2019/7/9, Tue.

 そうであれば、21世紀に入ってすでに20年近い時間が経過し、しかもこの間に、人類の文化そのものが、グローバリゼーションであれ、情報革命であれ、また地球環境変化であれ、途方もない規模の大変化の時代へと突入してしまった現在において、問題は、――「ジャポニスム」というレッテルのもとに日本というローカルな文化をそのまま海外にもって行こうという時代錯誤は論外としても――それをただ世界の地平へと届け、もたらすというだけでは、もはや[﹅3]、十分ではない、と思います。問題は、日本文化をそのまま世界にもっていくことではなく、日本文化から出発して、現在の、そして未来の「人類」が直面するグローバルな問題にとっての(「解決」とは言わないまでも)「応答」の方向性がみつけられるかどうか、です。そのためには、日本文化において、普遍的な問い[﹅6]を問うことができるのでなければならない。
 (小林康夫中島隆博『日本を解き放つ』東京大学出版会、二〇一九年、348~349)

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 ひとつの生命が他の別の生命を呼ぶ時に音が生まれる。その、沈黙を縁どる音の環飾りが音階となり、やがて、音階のひとつひとつは光の束となって大気を突き進み、あるいは、河の流れのようにほとばしる飛沫となって大洋へと解き放たれる。それは、無音の巨大な響きとしてこの宇宙を充たしている。
 (355; 武満徹『樹の鏡、草原の鏡』新潮社、一九七五年; 小林康夫「せめぎあう異形のなかに自分を見出す」)

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 (2)邦楽――そこでは極限的に「一音に世界を聴く」ということが要請される。すなわち、「邦楽は関係[﹅2]のなかに在る音楽ではなく、反ってそうした関係[﹅2]を断つところに形あらわす」。そして、「日本人は無にまで凝縮された一音[﹅2]に無限定な全体を聴こうとする」ということになります。これは、武満においてはのちに「さわり」の美学として展開されるものに通じていくのですが、対象 object としての「もの」ではなく、「物の怪」にも通じる出来事[﹅3]としての「物」の音楽と言うこともできるかもしれません。
 (358; 小林康夫「せめぎあう異形のなかに自分を見出す」)


 一二時二〇分まで寝坊。夢を二種類見て、覚醒時にはわりとはっきり残っていたはずだが、ぐずぐずと寝坊しているうちに失われてしまい、今はすべて忘却の彼方である。起き上がって上階に行くと、今日は休みの父親は食事を取っており、母親の方は「K」の仕事に出かけるところだった。行ってきます、と言うのにはい、と受けて台所に入ると、トマトソースのピラフめいた料理が皿に入っていた。もう一つ、大きめのスチーム・ケースにキャベツなどの温野菜も拵えられていたが、これはのちのち、出勤する前に食べることにして、ピラフの方を電子レンジに突っ込んだ。三分を設定して、加熱しているあいだに洗面所で髪を梳かすとともに便所に行って用を足した。戻ってきて電子レンジからピラフを取り出し、箸を差し込んでみたが、まだなかの方が凍っていてしゃりしゃりという感触が伝わってきたので、もう一度レンジに入れて二分を設定した。待っているあいだに卓に就き、ものを食っている父親の前で新聞の一面を瞥見する。そうして電子レンジが加熱終了のブザーを鳴らすと、立ち上がって台所に行き、ピラフを取ってきて食べはじめた。こちらが食べはじめると同時に父親は食事を終え、台所に移って洗い物をしはじめた。炬燵テーブルの上にはケンタッキー・フライド・チキンのバケツが置かれていた。母親が仕事で遅くなるので、夕食用に父親が早くも買ってきたのだろう。となると釜のなかの米がもうほとんどないので、出勤前に米くらいは磨いでおかなければなるまい。食事を終えると抗鬱剤を飲んで皿を一枚と箸を洗い、風呂場に行った。浴室に入ると漂白剤の匂いが香ったが、何に対して使われたのかはわからなかった。蓋だろうか? 残り湯は多く、浴槽の半分くらいまでを満たしていて、洗わなくても良いくらいだったけれど、やはり一応洗うことにして栓を抜いた。そうして浴槽の内壁を擦り、シャワーで流すとゴム靴を脱いで浴室を抜け、下階に戻ってきた。コンピューターを起動させ、ブラウザやEvernoteWinampを準備し、Twitterを眺めたあとに――「漫画村」の元管理者が逮捕という報が話題になっていた――FISHMANS『Oh! Mountain』を流して日記を書きはじめたのが一時一一分だった。それから三〇分も掛からずに七月八日の記事を仕上げ、ここまで文章を綴っている。"感謝(驚)"はやはり素晴らしい。
 前日の記事をブログに投稿。いつものようにAmazonへのリンクを仕込もうとしたのだが、記事冒頭に引用が掲げられている『日本を解き放つ』のリンクを作ったところで、突発的に面倒臭くなった。Amazon Affiliateを再開したのだけれど、再開しても以前と変わらず、クリックはされても注文はなく、一向にこちらの懐に金は入ってこないわけで、やはりもう良いかと思ったのだった。自分の文章が金にならないことははっきりした。それならそれで良いではないか。そういうわけでリンク作成はやめることにして、さっさと投稿し、そうして二時前からベッドに移って『曽根ヨシ詩集』を読みはじめたが、いつも通りいつの間にか眠気に刺されて倒れており、二時間読んだうちの一時間半くらいは定まらない意識のままで過ごしていたのではないかと思う。四時を越えると読書を切り上げてコンピューターに近づき、「詩」記事から岩田宏の詩句を音読しはじめた。「むすめに」と「悼む唄」である。一〇分ほど読んでから部屋を出て階段を上がっていくと、仏間にいた父親が、お前、塾は、と訊いてくるので、あるよと答えて台所に入り、冷蔵庫から前日の鶏肉の残りとスチーム・ケースに入った野菜を取り出した。それぞれを電子レンジで温めて卓に就き、食べていると、父親は自治会館に行ってくると言って出かけていった。ものを食い、その後ゆで卵も一つ食べたこちらは、食器を洗ったあと、米を磨ぐことにした。炊飯器の釜のなかに僅かに残っていた米を皿に取り出し、熱の残っている釜を布巾で掴んで流し台に持っていき、洗ったあとに笊を持って玄関の方に出た。戸棚のなかから米を三合、笊に取り分けて戻ってくると、洗い桶に溜まっていた汚れた水を流し、ちょっと濯いでからその上で米を磨ぎはじめた。白濁した水が洗い桶いっぱいに溜まるまで米をしゃりしゃりと擦り、それからもう早速釜のなかに入れてしまい、水も注いで炊飯器に戻し、六時五〇分に炊けるように設定しておいた。そうして下階に下って、Wynton Marsalis Septet『Selections From The Village Vanguard Box (1990-94)』を流しだし、仕事着に着替えた。それから歯磨きをするともう四時五〇分近くになったので、クラッチバッグに荷物をまとめて上階に行き、出発した。
 久しぶりに気温の低めな日で、ワイシャツ一枚でベストも上着も着ていないと、道行きの初めのうちは少々肌寒いように感じられるほどだった。鵯の声に耳傾けながら坂を上っていく。坂の出口付近では、道の両端に茶色く変色した落葉がたくさん敷かれていた。街道に出る前、前方から体操着姿の中学生が一人走ってくるのを見ていると、その中学生がにやりと笑った。さらに近づいたところで、相手が(……)のどちらかだとわかったので、おうと言って停まり、続けてこんにちはと会釈を交わした。通り過ぎていった相手に頑張って、と掛けて先を進み、街道に出ると北側に渡って車が流れていくその脇を進んでいく。
 裏通りには鶯の鳴き声がたびたび落ちた。歩いていると男子高校生らの賑やかな声が背後から聞こえてくる。白猫は見当たらなかった。そのあたりまで来ると、汗を搔くというほどでもないが、やはりいくらか服の内に湿り気が籠って、しかしそれが微風に触れて熱いよりは涼しい感覚の方が勝る。
 職場に着くと奥のスペースに行ってロッカーにものを仕舞い、準備を始めた。国語に当たっていたので、今日扱う単元の文章を読むことに準備時間の大方は費やされた。一限目の相手は(……)くん(中二・英語)、(……)さん(中三・英語)、(……)くん(中三・英語)。全体的にはまあまあ上手くいったと思う。(……)くんはもう何度も当たっているし、真面目な生徒なので特に問題はない。今日はbe going toの文法を扱った。(……)さんは以前勤めていた時にも担当しているが、こちらのことを覚えているかと訊いてもあまり記憶にないようだったので、改めて、よろしくお願いしますと挨拶をした。今日の単元は助動詞。問題は解説を見ながらではあるがほとんどミスなく解けていたけれど、それでは知識が確実に頭に入ったかと言うと難しいところだろう。本人も、全然覚えられないからと言ってノートにたくさん助動詞表現を記していた。shouldが覚えにくかったよう。授業の最後にちょっと質問して確認したが、うーん、どうだろうかといった感じ。(……)くんは意欲的で、はい、はい、と返事も細かく打ってくれて、やりやすい生徒だと思う。今日扱ったのは一般動詞。意欲はあると思うが、三単現のsに関連して、主語が複数の時にもsをつけてしまったり、あるいはbe動詞と一般動詞を併用するミス――例えば、Is she play ~?といったような――があったりしたので、主語が複数だったらsは考えなくて良いこと、さらには一般動詞の疑問文や否定文の時にはとにかくdoを用いること、それがdoesに変化することを伝えた。授業の最後の方で、三単現のsを複数形のsだと思っていたことが判明したので、そうではないのだと訂正した。ことほど左様に、それほど実力があるわけではないかもしれないが、意欲があるのでこれからの学び方次第でカバーし、実力を上げていけるのではないか。意欲で言えば、彼は結構早めに教室に来て、英単語テストの勉強もしていたようだ。これから先もやる気を失わず、その姿勢が続けば良いと思う。
 後半の時限はあまりうまくいかなかった。相手は(……)さん(中三・英語)、(……)(中三・英語)、(……)くん(中三・国語)。のちに岡安さんに報告した時も、このメンバーはなかなか難しい三人ですねと言っていたのだが、確かにそうだったのだ。(……)さんは初顔合わせ。不登校気味の生徒らしく、過去何回かの授業は欠席していたのだが、今日、一か月ぶりくらいで英語にやって来たのだった。常に萎縮しているような感じで、声が非常に小さく、コミュニケーションを取るのがなかなか難しい。ガンガン質問をしていくわけにはいかないタイプの生徒である。なるべく丁寧な接し方を心掛けた。授業自体は真面目にやっていたのだが、単語テストに時間を使いすぎてしまったかもしれない。それも、多少勉強してきていたようだが、一六問中一点しか取れなかったので、結果として自身の実力不足を無闇に際立たせるようなことになってしまったかもしれない。時間を掛けるのだったら、ちょっと練習させてから実施させれば良かったかもしれない。ワークの方は並べ替えの五問だけで終わってしまった。いや、六問だったか? まあどちらでも良いのだが、ミスは二問、どちらも疑問文の際にbe動詞を前に出していないというものだったので、それほど致命的なミスではない。それらの文は三回ずつ練習してもらい、ノートにも記録してもらった。
 (……)は行きの道中に出会った生徒である。まあいつも通りという感じ。もう少し細かく確認し、ノートも充実させたかったのだが、どうもほかの生徒に当たったりしていて駄目だった。と言うか、この時限は全体的に余裕がなく、三人とも指導が半端になってしまった気がする。何が原因だったのだろうか? (……)くんの国語はそのなかでもまあまあうまくいった方かもしれないが、彼も無口な生徒だったので――彼も初顔合わせだったのだが――、なかなか質問を投げかけてそれに答えてもらって、というような形が取りにくかった。一つ挙げられるのは、授業終了まで残り二五分となったところで新しい問題に取り組ませたのはやはりまずかったかもしれない。その新しい問題が結構抽象的で中学生には難しいだろうと思われる類の文章だったので、その解説に時間がいくらか掛かってしまったのだ。こちらとしても取り組ませるかどうか迷ったのだが、ほかにやることもなかったのだ。しかし、やはり授業終了まで一五分から二〇分の余裕を持って終わりに入っていくのがベストだと思う。そうでないと余裕が生まれない。時間が余ったとしても、チェックテストの練習など、やることはある。そうか、(……)くんの場合は、二五分前の時点で切り上げて、今日のチェックテストで間違えた漢字の練習をしてもらえば良かったのだ。そうすればほかの二人に当たる時間ももう少し生まれていたはずだろう。やはり二〇分前、最低でも一五分前には終わりに入っていくことを意識すること、これがおそらく肝要な点だ。
 授業終了後は、今日は人が多かったので棚の周りに人がたくさん集まって作業していたり、(……)さんへの報告にも列が出来ていたりしたので、こちらはほかの人々に先を譲った。それで報告の順番は最後になってしまい、終業の九時半を過ぎてしまった。そう言えば二限目の途中からマネージャーが姿を現して、授業が終わったあとなど、突然、掃除の神様が降りてきた、などと言って入口のガラスなどを拭き掃除していたのだが、あれは何をしに来ていたのだろうか? それはともかく、(……)さんへの報告を済ませたあと、どうせ電車の待ち時間があるのでというわけで書類を記入して少々時間を使い、退勤したのは九時五〇分かそこらになったと思う。駅に入ってホームに出ると、自販機に近づき、一三〇円のコカ・コーラの小さなボトルを買って、木製のベンチに就いて飲みながら手帳を眺めた。飲み終えたボトルを自販機横のダストボックスに捨てておくと席に戻って、引き続き手帳を眺め、奥多摩行きがやって来ると乗り込んだ。手帳は途中で仕舞って、瞑目して到着を待ち、最寄りに着くと降りて駅舎を抜けた。帰りの道中で印象に残っているのは、雨で増水した沢の響きが強かったことくらいである。
 帰宅すると居間には誰もおらず、母親は風呂に入っていて、父親はおそらく酒を飲んだあとにもう下階に下がったようだった。自室に帰って服を着替え、上がってきて洗面所の前に立ち、母親が出たかどうか様子を窺おうとしたところで扉が薄くひらいて、しどけない格好の母親が、パジャマが仏間にあるから取ってくれと言う。ハンカチを渡しておき、それから仏間に行ってパジャマを取ってきて渡すと、ケンタッキー・フライド・チキンを皿に一つ取って電子レンジで温めた。その他のメニューは米に、輪切りにした玉ねぎを炒めた簡易な料理に、キャベツ・パプリカ・胡瓜をそれぞれ雑多に切ったやはり簡易なサラダなど。出てきた母親が掛けたテレビを時折りちらちらと見やりながら――しかし内容は覚えていない――ものを食い、薬を飲んで食器を洗うと入浴に行った。出てくると室に戻り、一一時半過ぎからインターネット記事を読みはじめた。「ロスジェネ世代が切り拓く未来。非正規、女性の一人として、等身大の声を上げたい」(https://cdp-japan.jp/interview/32)と、「議員も記者も「現場百遍」——ロスジェネの元朝日新聞政治記者が、メディアを飛び出した覚悟」(https://cdp-japan.jp/interview/35)である。立憲民主党の東京都選挙区の候補二人のインタビュー記事である。それほど印象深い情報は特になかったように思うが、どちらに投票しようか迷うところだ。片や東京都議会議員としての実績があり、片や新聞記者としての経験とスキルがある。女性の政治進出を応援するという意味で塩村あやか候補に投票したい気もするし、記者としての経験を買って山岸一生候補に入れたい気もする。
 その後、書抜き。東大EMP/中島隆博編『東大エグゼクティブ・マネジメント 世界の語り方2 言語と倫理』と細見和之石原吉郎 シベリア抑留詩人の生と詩』で一時間。音楽はWynton Marsalisを聞き、その次にFranck Amsallem『Out A Day』。これは繰り返し聞くに値するアルバムだと思われる。一時を越えてコンピューターをシャットダウンすると、ベッドに移って『曽根ヨシ詩集』を読みはじめた。三時一五分あたりまで読み進めて、暗闇のなかで瞑想じみた真似をしてから就寝。


・作文
 13:11 - 13:36 = 25分

・読書
 13:52 - 15:58 = (1時間半引いて)36分
 16:04 - 16:15 = 11分
 23:38 - 24:04 = 26分
 24:06 - 25:05 = 59分
 25:19 - 27:16 = 1時間57分
 計: 4時間9分

・睡眠
 ? - 12:20 = ?

・音楽