2019/7/10, Wed.

 一枚の鏡は壊れて、碎[くだ]かれた破片のひとつ一つに異なった貌[かお]が映しだされている。もはや、ただ一枚の鏡に自分の像を見ることはできない。そして、壊れた鏡はまた元のようにならない。(/)統合という理念、その全人的要請は、安全無害な中和状態をつくり出すことにあるのではなくて、せめぎあう無数の異形のなかに自分を見出すことであると思う。近代日本人は、西欧という偉大な一枚の鏡に自分を照らして見ることに長い時を費やした。いまは時を掛けて、その碎かれた鏡に自分を映してみることだ。そして複雑に屈折し反射する無数の像を収斂する力が想像力なのであり、その力はまたその運動のなかにおいて培われ拡がる。
 (小林康夫中島隆博『日本を解き放つ』東京大学出版会、二〇一九年、360~361; 武満徹『樹の鏡、草原の鏡』新潮社、一九七五年; 小林康夫「せめぎあう異形のなかに自分を見出す」)

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 この地上で聞かれる音のすべては、異った波長の集積で成立っている。波長の集積のぐあい、あるいは強さの度合いといったことが、その音の独自な響きをつくりだしている。そして、そこに集っている波長は、相互に物理学的な信号の役割を果すのだが、このことはたいへん暗示的なことに思われる。信号としての波長は、他の波長を全く別の新しい振動に変えてしまうが、信号もまた元の波長のままではいない。私は、これを単に物理的な相乗効果としてだけ考えたくはない。他を変え、また自己を変えるということは、〈運動〉の原則ではないか。
 (365; 武満徹「暗い河の流れに」)


 一〇時四〇分起床。K.Y(小中の同級生)の家に遊びに行っているという夢を見た。そのほかにも二、三種類の夢を見たはずだが、それらは忘却。水泳部を舞台としたものがあったような気がする。起きると上がっていき、両親不在。母親は仕事、父親は今日も休日だがどこかに出かけているらしい。ケンタッキー・フライド・チキンを冷蔵庫から取り出し、鶏肉の塊を皿に一つ取り分け、電子レンジに入れて一分半を設定。そのあいだに便所に行って黄色い尿を放つ。戻ってくるとさらに鶏肉を二〇秒加熱し、米をよそって卓に就いた。新聞一面を瞥見しながら食事。さっさと食べ終えると抗鬱剤を服用し、鶏肉の脂でべたべた汚れた皿を洗い、風呂場に行って風呂桶も擦り洗った。そうして下階へ下り、コンピューターを点け、インターネットを少々回ったのち、一一時四八分から日記を書き出した。BGMはいつもの通り、FISHMANS『Oh! Mountain』。それが終わると、同じFISHMANSの『Corduroy's Mood』に移行し、前日の記事を仕上げてここまで書くと一時が目前に迫っている。
 七月九日の記事をブログに投稿。続けて間髪入れずTwitterに通知を流し、noteにも投稿。noteの方には今まで日記本文しか発表していなかったが、はてなブログの方に投稿している記事と同様に、冒頭の引用と下段の日課記録も投稿することに。そうして、一時二〇分から「詩」記事音読。二〇分読んだのち、ベッドに移って『曽根ヨシ詩集』を読み出したのだが、例によって例のごとく眠気によって書見を妨げられる時間があいだに差し挟まった。最後の方では姿勢を横にしてだらしなく休んでいたと思う。四時一〇分まで読み進めて部屋を出ると、階段下の室で母親が、草取りの疲れにやられて仰向けに寝そべっていた。腰が痛くて動けない、と笑った。その横を通って階段を上り、台所に入ると冷蔵庫から豆腐を取り出した。パックの蓋を剝がして一度豆腐を片手の上に出し、容器のなかの水を捨てると豆腐をそのなかに戻した。それで鰹節を上に掛け、食卓に運ぶ。醤油を掛けて食った。そのほかにももう一品、何か食べたと思うのだが何だったか、ゆで卵だっただろうか? 多分そうだと思う。食べ終えると始末をして、すぐに下階に帰った。そうして室に戻って仕事着に着替えたところで、上階でインターフォンが鳴るのが聞こえた。行商の八百屋が来るという話を聞いていて、母親は自室に休みに行ったようだったので、こちらが出なければなるまいと部屋を出て階段を上っていくと、インターフォンを押したのは八百屋ではなくて父親だった。ティッシュと絆創膏はあるかと言う。彼は草取りをしていたのだが、どうやら指を切ったらしい。それでティッシュ箱をひとまず渡しておき、絆創膏は在り処がわからなかったのだが、父親が、仏間の押入れの一番下にあると言うのでそこに行き、発見すると持ってきて玄関の父親に渡した。そこに母親が上がって来たので、今、怪我をしたらしいと伝えた。母親は心配の声音になって鎌で切ったの、と訊いたり、地面に落ちた血の小さな円を見て、血が、と言ったり、もうやめた方が良いよなどと言ったりしていた。ただそれで聞く父親ではない。こちらは階段を下りて下階に戻り、歯磨きをしたあと、出発することにした。クラッチバッグを持って上階に上がり、母親に行ってくると告げて玄関を抜け、道に出た。もうやめるように言って、と母親が言うが、言ったところで聞く父親ではない。道を歩き出しながら、林の縁にいる父親に向けて片手を上げると、向こうも疲労の色合いを滲ませた顔をしながら鎌を持った方の手を掲げてみせた。
 前日よりも涼しさが弱くて、肌寒さというほどにはならず、微風が流れても丁度良い気候だった。鴉が道の脇の一段下った花壇の敷地から何羽も飛び立って、家屋根や、電線や樹の梢に止まっていた。坂を上っていくと、出口付近の脇に敷かれた褐色の落葉のなかに、鴉の黒い羽根が一枚、混ざって落ちていた。
 街道に出る頃には、暑いというほどではないが、やはり首もとが僅かにべたついていたと思う。それを指先で触れたような記憶がある。表通りを行くあいだに特に印象深い出来事はなかった。老人ホームの横を通ると、食事の匂いが漂ってきた。角を曲がって裏通りに入り、鶯の声が林の方から響いてくるなかを、白線に沿って進んでいく。今日は高校生たちの姿が裏道に見られなかった。白猫の姿もなく、いつも彼あるいは彼女のいる家の敷地には、車が二台、前後に並んで停まっているのみだった。その車の下にあるいは寝ていたのかもしれない。
 青梅坂に差し掛かる頃には淡い影が足もとに湧きだしていて、背後を見やれば雲の混ざった空のなかに太陽の姿形が薄く浮かんでいる。坂を越えると路面はより濃く色づいて、影とその周囲の日向とが分離された。そのなかを歩いていき、駅前に出て右折すると、手近の植え込みで紫陽花が未だ丸々と膨らんでいる。相変わらずその青は清涼で鮮やかだが、さすがに瑞々しさはそろそろ衰えてきているようだった。
 労働。今日は二時限。一限目は(……)さん(中三・国語)、(……)くん(中一・英語)、(……)くん(中一・英語)。昨日の記事に書いた通り、終了二〇分前には終わりの流れに入っていくことには成功して、まあ丁度良く、余裕を持って終われたけれど、その代わりに(……)さんが後半その二〇分を自習することになってしまったので、もう少し遅くても良いかもしれない。一五分前から一七分前くらいでも良いかもしれない。全体的な授業の質はまあまあと言ったところか。(……)さんのノートは充実させることが出来たし、抽象的な文章についても詳細に解説して、理解を図れたように思う。
 二限目は(……)さんの今度は社会と、(……)くん(中三・国語)、(……)(高三・英語)。後半もまあまあ。(……)さんはわりとやりやすい。ノートも充実させることが出来たのだが、ただどうだろう、こちらの方針に賛同しているかどうかは不明。それでも帰り際など、有難うございましたとはっきり挨拶してくれたし、好感度はそれほど悪くはないと思うのだが。(……)くんは国語は結構得意なのか、ミスはほとんどなかった。ノートに関しては短い文章を要約してもらい、二項対立に気をつけるようにとのコメントを付した。(……)ももう少し細かな指導が出来ればよかったかなと思うが、しかし問題は概ね出来ていたし、ミスしたところも重要点や疑問点は解説できただろう。ノートも欄いっぱいに充実させることが出来た。彼の場合、自ら進めて、疑問点を尋ねてきてくれるので、やりやすい生徒ではある。我が社が目標として掲げている自立学習の理想的な形ではあるのかもしれない。
 授業の最後にその日の授業で扱った事柄の復習をやるという風に本当はなっているのだが、現状、写真を撮ったりコメントを書いたりするのに手一杯で、なかなかそこまで出来ていない。この点も改善するべきポイントだろう。
 この日の授業後は、新人の(……)先生と少々立ち話をした。誰かが持ってきた焼き菓子の最後の一つが残っていたため、それを持って、彼女に呼びかけ、これ食べますかと差し出したのだ。是非どうぞ、と言っても僕のものじゃないですけどね。彼女は甘い物が大好きだと言って受け取った。それから、仕事の方はどうですかと尋ねたのだ。今日は、生徒にちょっと可愛そうなことをしてしまったかもしれないと言う。一人の生徒はわりと自分で進められるので良かったのだが、もう一人の生徒は基礎が身についていない、並べ替えで日本語の順番のままで英語を当て嵌めてしまうような始末だ、それなのに、あまり解説の乗っていない頁を扱ってしまったと手近にあったワークをひらいて言うので、そこの頁は学校でもどうもあまり扱わないようなので、僕などは飛ばしてしまいますねと告げた。そのほか、実力の足りない生徒に関しては、まず教科書本文の訳を確認したりだとか、教科書を補助として使わせながら解いてもらうのも良いかもしれないと助言をした。
 そうして退勤。話しているあいだにまた九時三〇分が過ぎてしまって、一〇時過ぎの奥多摩行きを待たねばならなかった。駅に入ると自販機に寄って、一三〇円で二八〇ミリリットルのコーラを一本買った。ベンチに就いて闇のように黒い炭酸飲料を空っぽの胃に流し込みながら、最近自分、コーラ飲み過ぎではないかと思った。それほど欲しているわけでもないのだが、仕事をすると、室内での、それほど身体を使うわけでもない仕事であるとは言え、やはり喋るからだろうか、それなりに肉体が温まって渇くようで、何となく冷たい飲み物の刺激が欲しくなるのだ。コーラを飲み干すと自販機横のダストボックスに空のボトルを捨て、席に戻って手帳を取り出した。読みつつ、時折り目を閉じて考え事をする。そうしているうちに奥多摩行きがやって来たので乗り込み、手帳は仕舞って瞑目して発車を待った。発車して、しばらく経って最寄り駅に着き、降りると弱い雨がぱらついていた。
 帰宅後には特段のこともないし、いちいち書くのが面倒になってしまったので、今日の日記はここまでとする。二時五〇分まで『曽根ヨシ詩集』を読んでから眠ったのだが、眠る前に瞑想じみた真似事をしたはずのところ、その時の記憶がまったく残っていない。やらなかったのだろうか? どうだったか忘れてしまった。


・作文
 11:48 - 12:57 = 1時間9分

・読書
 13:21 - 13:42 = 21分
 13:47 - 16:10 = (1時間引いて)1時間23分
 23:24 - 24:12 = 48分
 24:18 - 25:03 = 45分
 25:33 - 26:50 = 1時間17分
 計: 4時間34分

  • 「詩」: 3 - 6
  • 『曽根ヨシ詩集』: 54 - 128
  • 「わたしたちが塩の柱になるとき」: 2019-07-07「沈黙を認めたくない口元に運ぶグラスの氷が溶ける」; 2019-07-08「法則と信仰がある来年のいまごろきみが司るもの」
  • 「at-oyr」: 2019-06-05「傘」; 2019-06-06「海の沈黙」; 2019-06-07「梅雨入り」
  • 「消費増税、「鬼門」挑む与党=野党は反対、全面対決-参院選【公約比較】」(https://www.jiji.com/jc/article?k=2019070800743&g=pol
  • 「「やっぱり安倍政権しか選べない」東大生はなぜ自民党を支持するのか」(https://www.businessinsider.jp/post-34482

・睡眠
 3:25 - 10:40 = 7時間15分

・音楽