2019/7/15, Mon.

 ごらん
 ぼくは溶けてゆく
 ノーチラス号の澪のように
 ぼくはひろがる
 (『岩田宏詩集成』書肆山田、二〇一四年、27; 「その夜の劇場の」; 『独裁』)

     *

 気のくるった狂人のように純粋なもの
 聖書とおなじに淫猥で
 とりかえしのつかぬほど太いもの
 水晶よりもよそよそしい
 おやじの息子に対する また
 息子のおやじに対するごとく
 意表に出るもの
 時にはぼくらの目より貴重なもの

 それが歴史だ
 (37; 「独裁」; 『独裁』)

     *

 ああ せめてぼくらの体が ガラスのむこうの音楽家たち かれらに見えぬほど透きとおっていたら! 照明に荒れはてたこの丸部屋へ 八方からかれらの音楽がなだれこむ その無色無臭の流れのなかで いとしいぼくらの娘たちが倒れる
 (39; 「独裁」; 『独裁』)


 寝床にいるあいだ、「言葉とは紫色の水晶か鉄より硬く草より脆い」という短歌を一つ頭のなかで拵えた。それを考え終わってしばらく経った頃には四時を迎えていたので、事前の決断通り、眠れないのでもう起きてしまうことにした。身体を起こし、ベッドから下りて、部屋の入口脇にあるスイッチを押して電灯を点けると、大澤聡『教養主義リハビリテーション』を新たに読みはじめた。竹内洋との対談のなかで大澤は、例えば魚住折蘆という名前が出てくれば、「魚住は中学時代、藤村操と同級生でしたね」と応じ、また、高等教育進学率が一五パーセントを越えると「マス段階」に入る、と言われれば「マーチン・トロウの『高学歴社会の大学』などが採用している基準ですね」と、打てば響くように情報を補足している。勿論、編集が入っていて、実際の対談の場ではこんなに滑らかな受け答えではなかったかもしれないが、それを措いても批評家という人々は本当に皆、幅広くものを読んでいるものだと感心させられる。対談本は素麺を啜るようにするすると軽く読めてしまうのだが、だからと言って内容が薄くて物足りないというわけでもなく、この対談では知らなかった名前が色々出てきてためになり、知の世界はやはり途方もなく広いと思わされるものだ。「教養」の歴史について話し合っている対話だが、この対談自体が伝統的な形での「教養」をある程度体現しており、読者を広大な知の領域に向けて触発させるようなモデルとなっているのではないか――無論、そうでなければタイトルに「教養主義」を掲げるわけにはいかないだろうが。
 二時間二〇分ほど一気に読んで六時をだいぶ回り、窓の外も明るくなってくると――と言って雨が降っており、空は灰色に籠っているのでさほど明るくもないのだが――母親が活動しはじめた。それを受けてこちらもそろそろものを食うかというわけで部屋を抜け、上階に行った。作るのは例によって、例によってと言っても久しぶりのことだが、ハムエッグである。オリーブ・オイルをフライパンに足らして熱し、ハムを四枚並べた上から卵を二つ割り落とした。そうして黄身が固まらないうちに丼によそった米の上に取り出す。それを卓に運んでおいてから玄関を抜けて新聞を取りに行った。雨は細かいものだった。さほど濡れずに戻り、一面を読みながらものを食っていると母親が階段を上がってきたので挨拶した。一面には参院選についての世論調査の結果が載っており、与党がやはり優勢のようだった。自公で過半数を見込むとのこと。こちらが投票しようと思っている立憲民主党も多少は健闘して、議席を二〇ほどに伸ばす見込みだと言う。めくって内側の詳報も見てみると、東京選挙区では丸川珠代公明党山口那津男共産党吉良よし子が優勢で、残りの三議席を四者で争うなかに、立憲民主党候補の塩村あやか氏と山岸一生氏が両方とも入っていた。どちらに投票しようかますます迷われるところである。母親が、鶏肉もあるよと言うのでそれも食べることにした。セブン・イレブンの冷凍の手羽中である。それを電子レンジで三本温め、米も丼におかわりして食す。さらには母親がレタスと胡瓜のサラダも拵えてくれたので、それもマヨネーズを掛けて食べた。そうして食器を洗い、抗鬱剤を服用してから、玄関の外に出て牛乳箱に入っていた紙パックの牛乳を取り、冷蔵庫に入れておいた。それで下階へ。Evernoteを準備して七時から日記を書きはじめ、ここまで綴ると七時四八分である。BGMはNitai Hershkovitsのソロ・ピアノ・アルバム、『New Place Always』。
 前日の記事をブログ、Twitter、noteに発表。そうして八時過ぎからふたたび読書へ。大澤聡『教養主義リハビリテーション』。七六頁で大澤は、「いまや過去のすべての出来事は同一平面上にべたーっとフラットに並んでいる」と指摘する。インターネットに典型的に見られるように、過去の膨大なアーカイブのなかから任意のものを恣意的に取り上げて持ってくることが出来るので、かつての「歴史」感覚が消滅したと分析しているのだが、こうした「歴史」意識の欠如に関しては、小林康夫も西山雄二との対談のなかで似た趣旨のことを述べていた。

小林   (……)大学も権威を失ってしまった、今やその意味での文化の権威がどこからも消えつつある。権威が消えていくとはどういうことか。歴史や伝統、あるいは文化と言ってもいいけれど、今まで我々が理解していた文化とは違う文化が生まれてきているということですね。文化とは、ヨーロッパ語的に言えば「culture」ですから、農業(agriculture)にも通じているので、大地と関係する言葉ですよね。肉体的に大地を耕しながら知を育てていく営み。ところが、いまは、そうではなくて、スマートということが最大の格律になっていて、自分の中に内化することなく、どんな情報も膨大な外部メモリーから即座に持ってくることができる。そして、どんな現場にも瞬時にアクセス可能。そこでは長い文化的な歴史の時間の中に自分がいるという感覚が失われます。突き詰めていくと、この歴史への根づきの感覚こそ人文学を根源的に支えていたものなんじゃないかと思いますね。文科省の通知の問題もあるかもしれないけれど、やはりこうした歴史的コンテクストの中から人文学に対する攻撃、人文学の衰弱が生まれてきていると思います。それに対して、西山さんは今「反動的になる」と言いましたよね。僕もある意味ではそうなんです。クラウド的外部メモリーとは違う、あくまで内化され根づいた知を守るべきであると思っていますけど、そうした知のあり方を、物心ついた時からインターネットに浸されている若い子たちにどう教えることができるのか、なかなか難しい。

小林   (……)でも同時に、資本主義そのものが文化とシンクロしはじめる。産業と文化が別にあるのではなく、「文化産業」という形で相互関係がはじまる。これは歴史的に必然的でもあって、現在はその極限まで来てしまったわけですが、その結果として、大学あるいは学問を支えていたもの、つまり我々が「伝統」という形で理解していたものに対する関係付けが極度に希薄になってしまった。今や人類から「歴史」が失われつつある。この場合の「歴史」というのは、単に日本史とか世界史という意味ではなくて、文化がひとつの大きな歴史的な流れとしてここにあるという感覚を持つことです。その感覚がここ数年で急速に希薄になった。現在の出来事だけがあり、それは他の伝統とは切り離されていて、時間という感覚がまったくなくなっている。僕が今日最初に時間のことを問題にしたのも、そういうことがあるからです。我々は現在の問題に性急に反応し過ぎるばかりになってしまった。時間を確保するためには引きこもる、あるいは退却と言ってもいいけれど、そうした身振りが批評を可能にしていた。それが大学というある種の権威によって守られていたと思うんですね。権威とは何か。ある人が権威であると認められるのは、そういう時間を担っているからですね。今の時代とは何の関係もない、本質的にアナクロニズム的なもの、もうひとつの時間を違った場所で引き受ける。それを保持することが人文学のひとつの存在理由だった。それ自体が急速に根こぎされつつある現状に対して、どうしていいかはよくわからない。そういう感覚を僕は持っています。
 (小林康夫・西山雄二対談「人文学は滅びない時代の課題に向き合い、新しい人文学の地平を開くために」(https://dokushojin.com/article.html?i=3681))

 八時から二時間半ほどを掛けて、この本を一気に読み通してしまったのだが、大澤の一人語りの形式で書かれている最後の文章の冒頭付近には、描写こそが近代小説の存在意義だったのだという小説観が提示されている。勿論、Mさんが最近ブログで指摘していたように、「物語」に対抗して至極単純に「描写」を持ち上げるような単純な図式には注意を払わなければならないわけだが、それでもここで語られている、「小説の風景描写や対物描写がまどろっこしくて邪魔だと考える読者はいまでは少なくありません」(182)という受容状況にはやはり残念な思いを抱くものだ。ここを読んでこちらの脳内には、そもそも何故物語だけでは駄目なのだろうか、何故小説に描写的な細部が必要なのかという素朴な問いが改めて浮かび上がって来たのだが、それに対する自分なりの解答を出すとしたら、やはりそこにある種の「リアリティ」――これもまた曖昧で、問題孕みな概念ではあるが――のようなものの感触が表現されるからではないかと思う。勿論、この言明は、自然主義的な「リアリズム」を単純に称揚するものではない。それどころかここで言う「リアリティ」は、いわゆる写実主義的な「リアリズム」とは反対方向に離れた場所に成立するものでさえあるかもしれない。それを「差異」の感触と言ってみても良いのではないか。差異は細部にこそ宿る。そして、我々は差異との接触によってこそ自己としての、主体としての変容を誘発されるのではないか。おそらくそれは同時に、この世界の複雑性をまざまざと教えられるという体験でもあるだろう(再度強調しておくが、「この世界」という語を使ったからといってやはり、この世の様相をそのまま[﹅4]写し出すとされている――言語においてそんなことはそもそも不可能なのだが――写実主義的な「リアルさ」を念頭に置いているわけではない)。小説を要約的な物語にのみ還元し、物語という器を構築する細部を蔑ろにする読み方は、世界の複雑性を縮約し、差異との遭遇を――従って自身の変容を――回避するものだ。そこにあるのは、既に知っていることをただ貧しく反復する態度にほかならない。何しろ、物語とは誰もが既に知っている[﹅7]「型」なのだから。物語のみにあまりに引きずられた読み方は言わば、読書と言うよりは、情報処理に過ぎないのだ。
 一〇時半直前に読了した。これで今日は既に五時間弱、読書をしたことになる。前日の日記ももう書いてしまったし、なかなか勤勉である。それから書抜きに入った。柴崎聰編『石原吉郎セレクション』である。Bob Dylan『Live 1962-1966: Rare Performances From The Copyright Collections』の流れるなか打鍵して石原のエッセイの文言を写していく。それに三五分費やし、その後、インターネット記事を読むことに。朝日新聞社の「論座」のサイトで連載されている星浩というジャーナリストのコラムが、平成の政治史を簡易に振り返るのに適していそうだったので、それを読んでいくことにした。星浩「短命羽田政権から仰天の村山政権へ 平成政治の興亡 私が見た権力者たち(6)」(https://webronza.asahi.com/politics/articles/2018122000001.html)と 星浩「禁じ手「自社さ」村山政権の意義と限界 平成政治の興亡 私が見た権力者たち(7)」(https://webronza.asahi.com/politics/articles/2019010300001.html)である。手帳にメモを取りながら読むので、時間が掛かる。それで読み終わる頃には正午を越えていた。上階へ。父親はソファに就いてラジオを聞いていた。大澤聡の本を読み終わったタイミングだっただろうか、そのあたりにも一度上階へ上がって風呂を洗ったのだが、その時も父親は同じソファに就いてラジオを聞いていた。二時間前から姿勢が変わっていなかったわけである。玄関の戸棚からレトルトカレーを取り出し、フライパンに水を汲んで火に掛けた。父親にも、食べるかと言ってもう一つ取り出したが、米がないぞと言う。それで炊飯器を覗くと、確かに米はもうほんの僅かしか残っていなかった。父親は五目ご飯の残りを食べるらしい。自分で用意しはじめた。こちらは湯が沸いてパウチが温まるまでのあいだ、卓に就いて新聞から香港の逃亡犯条例改正反対運動について記した記事を読んだ。そうして父親が食べはじめた頃、こちらも立って台所に行き、カレーのパウチをフライパンから火傷しないように端を持って取り出して、大皿によそった少量の米に掛けた。そのほか、母親が朝に炒めた茄子の残りと、即席の味噌汁があったのでそれぞれ用意して卓に。立川に行くと伝えてあった。靴を買いに行くと。食べ終わった父親がソファに就いたあと、今日はどこか出かけるのかと訊くと、自治会館にちょっと行くと言う。そのほか、投票はもうしたのかと訊くとしたと肯定。誰かと訊けば、立憲民主党だと言うので、どちらかと続けて尋ねると、女の人の方だと言った。塩村あやか候補である。俺も立憲民主党のどちらかに投票しようと思っているよとこちらは受け、女の人は元都議だってねと投げかけると、父親はそれは知っていたようだったが、男の人は朝日新聞の記者をやっていたってと言うと、こちらは知らなかったようだった。どちらも知見がありそうじゃない、だからどっちに投票しようか迷っているんだけど、とこちらは言い、何で女の人にしたのと訊けば父親は、いや、どっちでもいいんだと答えた。ただ、要するに、自民党じゃないところに投票して、野党に強くなってもらわないと、と言った。同感である。今は野党が本当に弱すぎる、とこちらは受けた。それから、インターネットを見ていると現政権の悪いところも色々と語られているじゃない、と言い、父親がうんと受けると、でもそういう情報はテレビでは流さないんだよなあとこちらは漏らした。でも、どうも自民党がやはり勝ちそうだねと言うと、父親も今日の新聞の一面を読んだらしく、同意を返した。そのあたりでこちらはものを食べ終わったので台所に移って食器を洗い、それからアイロン掛けをした。母親の服やエプロンやハンカチにアイロンを掛け、終わると下に下りてきて、日記に取り掛かった。四〇分ほど綴って現在、一時二三分である。これから立川に行く。靴を新調するためである。
 歯磨きをしたあと服を着替えたのだったか、それとも服を着替えたあとに歯を磨いたのだったか? どちらでも良いのだが、服装はガンクラブ・チェックのベージュのズボンに上は抽象的な絵柄のプリントされた白いTシャツである。便所に行って糞を垂れた記憶もある。それら諸々を済ませたあと、コンピューターをシャットダウンし、リュックサックに荷物を入れた。この時点では靴を買って本屋を回ったあと、喫茶店に行くつもりだった。従ってリュックサックには日記を書くためにコンピューターも入れたし、ことによると読書もするかもしれないと小原雅博『東大白熱ゼミ 国際政治の授業』も入れたのだったが、結局喫茶店には行かなかった。荷物を準備すると上へ。仏間に入ってカバー・ソックスを履く。父親は既に出かけたようで姿がなかった。ハンカチをズボンの後ろのポケットに入れて出発。傘は持たない。荷物になって煩わしいからだ。青梅まで歩くのも何となく億劫がられたので、最寄り駅から乗ることにした。それで家を出ると西方面へ。雨降りで濡れた路上を歩いていると、前方にKさんが現れて向かい合ったので、どうも、と笑いかけ、こんにちはと挨拶をした。久しぶりに会う相手だった。今は何をしてんのよ、と尋ねられたので、塾ですよと答えた。夕方から、と訊く。そうです、今日は休みでと答える。これから立川に行くのだと言うと、デート、と訊いてくるので苦笑して、いやいやと払った。もういくつよ。二九になりました。お兄ちゃんは。兄貴は……と顎に右手を当て、兄貴は何歳だったかな。五歳違いなので三四ですかね。で、外国にいんの? そうです、ロシアです。モスクワにいるんですよ今は。結婚して。ええ。じゃあ今度は君の番だなと言われたが、苦笑を返すほかはない。いやあ、なかなか……こればっかりは、相手がいないと出来ないですからねえとか何とか答える。話しているあいだ、Kさんの頭の周りには蚊だか蠅だかが頻繁に飛び回って、おじさんはそれを時折り手で払っていた。話していると、頭上を黒々とした鴉が一羽飛んで、Kさんの宅の屋根に止まった。首を曲げてその動きを追っていると、Kさんも見上げて、何だ、鴉かと言う。最近は鴉が何だか多いですね。と言うとKさんは、時鳥がよく鳴いていると話をちょっとずらした。そうですね、夜なんかよく鳴いてますね。一晩中鳴いてるみたいだな。このあいだ飛びながら鳴いてるのを見たよ、時鳥なんてあんまり見ねえだろ。そうですね、僕も実物は見たことないですね。てっぺんかけたか、って言うんだよなあれ。そう言われますね、でも全然聞こえない、そんな風には、と笑う。時鳥の鳴き声にそのような言葉を当てるということは、こちらは古井由吉の小説で知ったものだ。そうして立ち止まって話しているうちにKさんが、じゃあ気をつけて行ってきなと口にして、立ち話が終わる気配だったので、有難うございますと言い、別れ際に、あの、また自治会の方なんかでお世話になると思いますけど、と言い、よろしくお願いします、じゃあ失礼しますと挨拶して別れた。坂に入る十字路の脇のフェンスの向こうの林の縁では、チェーンソー的な道具をぶんぶんいわせながら男性が一人、草を刈っていた。その手前を曲がって坂道に入って上って行きながら、意外と話が続くものだなと思った。坂の出口間際に山百合が何本か、道の縁から突き出して咲いている。香るかと思って鼻を鳴らしながらその前を通り過ぎたが、匂いはよくも感じ取れなかった。坂を出て、スイッチを押して横断歩道を渡り、掲示板に寄って電車の時間を確認すると――待つのは苦にならないので、家で調べずにやって来たのだった――二時一四分発で、現在時刻はまだ二時になる前だった。階段通路を上って下り、ホームに入ると、ベンチには二人、先客があった。男性二人で、山歩きか何かしてきた風な風体である。彼らの横に座ろうかと思ったのだが、見てみるとベンチに雨が吹き込んだのか濡れていたので、仕方なし、立ったまま待つことにしてホームの先に行った。立ち尽くしながら手帳を取り出して眺める。駅の向かいの段の上は近くの家の敷地で、畑などもあって結構広い土地になっているのだが――遠く向こうに家屋が見える――そこを子供らが走り回って声を上げていた。待っているあいだ、頭上には燕が飛び交い、電線に止まって声を降らせる。それを見上げていると、股間のあたりが収縮する感覚がたびたび訪れた。高所恐怖と似た感覚だが、周りに支えとなるものが何もなく、空漠とした空間の只中に立ち尽くしていると、何だか自分が特に意識しなくても身体のバランスを保って立っていられるのが不思議なように思えてきて、このバランスが今にも崩れて倒れ掛かるのではないかという気がしてきて、ちょっと怖くなるのだ。特に視線を上げて視界に空が入るとその感覚が強まる。時折り手帳から目を上げながら、そうした感覚に襲われ、「襲われる」というほど強いものでもないのだが、それに耐えつつ、やはり「耐える」というほどに強いものでもないのだが、ともかくそうして時間を過ごして、電車がやって来ると乗った。扉際に立って手帳を引き続き見て、青梅駅に着くと乗り換え。塾の生徒である(……)くんらしき中学生がいて、こちらを見て、こちらを同定したらしき雰囲気があったのだが、言葉を交わすことはなかった。ホームの先の方に歩いていくと一番線に東京行きが入線してくるので、乗った。二号車の三人掛けである。そうして手帳を取り出しまた読むのだが、何を読むと言って安倍政権期の来し方の主要な出来事だとか、先ほどメモした村山富市内閣時の事柄だとかなのだが、発車して電車が揺れはじめると、f分の一揺らぎとかよく言われるけれどやはりそうした気持ちの良い揺れ方なのかあれは、自然と眠くなってきて、何しろ今日は三〇分くらいしか床に就いていないわけだし眠くなるのも必定だろうという感じなのだが、それでそのうちに手帳は閉じて手に持ちながら、左の仕切りに凭れて休んだ。道中、だから特に印象深いことは残っていない。
 立川着。降りると壁に寄って、あの壁は何の壁なのだろう? エレベーターの入った建物の外壁だろうか? ともかく白い壁に寄って、人々が階段口から捌けていくのを待つのだが、こちらの傍には二人の幼子を連れた親子連れがあって、子供はポーズを取って何か踊るようにしていた。そうして階段へ行き、上って、人波のあいだを縫って改札を抜け、横に流れる人々の水流を避けつつ向かいの壁のATMへ。ATMは何やら新しくなっていた。三台が三台とも新機械になっていた。給料が入ったので、カードを挿入して、五万円下ろす。財布のなかを整理するとリュックサックに仕舞って歩き出し、LUMINEに入った。手始めに二階の、つまり入ったところの階にあるUNITED ARROWSを見分する。目当ては上に書いた通り靴なのだが、ほかにもあれば服をやはり見たくもなる。それで衣服もちょっと見ながら、靴も見分するのだが、スニーカーの類は豊富にあるものの、あまりピンと来るものがない。靴底に段差がついていて一面になっていない綺麗目の靴は、今回はやめようと思っていた。来月ロシアに行ってたくさん歩くだろうから、軽くて歩きやすい靴にしなよと母親にも言われていたのだ。彼女の言を思い合わせて決めようとする当たり、素直な自分である。しかしスニーカーというものを履いたことがあまりないので、選択基準があまりよくわからない。それでピンと来ないし、良さそうなものも高いので、やはり六階に行くことにして店舗を抜け、エスカレーターに乗った。六階へ。まず、FREAK'S STOREに入った。靴は少なくて特に良いものはなかったが、シャツで良さそうなものが二枚見つかった。白を地にオリーブ色のストライプが入っているやつと、細かなチェック柄のベージュのものである。それに目をつけておいて店を抜け、それからUNITED ARROWS green label relaxing、REGAL SHOES、tk TAKEO KIKUCHI、さらにはABCマートと回ったのだが、そのものズバリでピンとくる品はどうも見つからない。REGAL SHOESでは細かな三角形が集まった模様の描かれたデッキシューズのような靴を試着してみたのだが、履いてみると思ったよりも無骨で野暮ったかったし、今履いているズボンだと柄がぶつかってしまって良くなかった。tkの革靴はなかなか格好良いものがやはり揃っていて、ロシア行きの件がなければここに決めてしまいたかったのだが、段差のない歩きやすい靴にすると決めた心である。それで最終的に、UNITED ARROWS green label relaxingのものにするかと決めた。候補は三つあって、VANSのスニーカーのようなデザインの赤いものと同じ品で色違いの青いもの、それに茶色のデッキシューズめいたやや綺麗目といった感じのやつである。それらに目をつけて、店員に靴の試着をしたいと話しかけた。相手の店員は、過去にも相手をしてもらったことのある、短髪で顎に黒々とした髭がちょっと生えている人である。この人は過去にはあちらから話しかけてきて、結構明るく愛想良く接してくれた覚えがあったのだが、今日はあちらから話しかけても来ないし、こちらから話しかけて品物を取ってきてもらっても、その際の動きが何だかのろのろしていると言うか、そんな風に感じられて、今日はあまりやる気のない日だったのだろうか? わからないが、ともかく三種類の靴を用意してもらって履き比べた。赤は良いのだが、良いけれどやはりちょっと色味の刺激が強いかなと思われた。青はしかし無難すぎる。店員も、この靴はもう何にでも合うと言うか、万能ですねと言っていた。その万能感がつまらないような感じはしたのだ。それでやはり三つ目の、褐色のやや綺麗目の底が黒のデッキシューズめいた靴に傾き、最終的にやはりそれにしようと決定した。スニーカーの方は七〇〇〇円くらいの品が半額で三五〇〇円くらいになっていて非常に安かったのだが、そう考えると、今から考えると、このスニーカーの赤青を両方とも買っておいて、気分に合わせて履き替えるとかいうことも出来たわけだな。それには思い至らなかった。しかしもう買ってしまったので仕方がない、デッキシューズの方は特に安くなっておらず、定価で七五〇〇円ほどである。それでこちらが心を決めたは良いのだが、先の店員がどこかに行ってしまって一向に戻って来なかった。それで近くにいた別の男性店員に話しかけて、これを購入したいのですがと申し出たのだが、先ほど担当していた店員がもう少しで戻ってきますので、もうちょっとお待ち下さいねと言われてしまった。そう言われては待つほかはない。それで近くの衣服を適当に見分しながら待って、戻ってきたところで決めましたと言い、これを頂きたいと茶色のものを示した。それから、履いて帰りたいのだがと申し出ると勿論構わないとのことで、さらに今履いている靴を処分してもらいたいと言うと、もういらないんですかと相手はちょっと笑ったのだが、こちらも笑って、もうボロボロなのでと答えた。それで新たな靴を履き、古い靴を引き取ってもらって会計へ。会計レジカウンターの前には三人くらい先客が並んでいた。その後ろに就き、財布のなかを覗きながら、小銭を数えたりしながら順番を待ち、番がやって来ると会計。七四五二円である。会計が終わって別れ際、それじゃあ破棄させて頂きますねと古い靴のことを指して店員が言うので、すいませんと受けて、有難うございますと言って別れた。
 それからFREAK'S STOREに戻った。夏用のシャツももう一枚くらい欲しかったので、先の二つを試着してみようと思ったのだ。シャツを二つ持って、ここでも男性の店員に話しかけると、今試着室が空いていないので、空き次第ご案内致しますねとのことだった。了承し、店内を回っているうちにほかにも良さそうなシャツを見つけたのだが、それは一万八〇〇〇円もする高価なものだったのでとても手が出ない。そのうちに声が掛かった。試着室に入り、カーテンを閉めてもらい、吊るされたシャツのボタンを外して、まずオリーブ色のストライプの方から羽織った。爽やかだが、無難かなと思われた。威力が足りないような気はした。それで次にベージュの細かなチェック柄の方を羽織ってみると、これがさらさらとした素材で、素材は確か麻と綿が半々くらいと書かれていたような気がするのだが、やたらとさらさらとしているもので着心地が良かった。ただオープン・カラーのシャツなので、首もとが少々開いており、そこからインナーが覗いてしまうのが気に入らないと言えば気に入らないかもしれない、しかしその点を措いても柄と着心地に高い評価を与えるものだった。そこで店員の声が掛かったので、カーテンを開けると、お似合いですねという言葉が来る。ただ、ズボンが柄なのでどちらも柄になってしまって、と言うと、しかし柄に柄を合わせるのは今年流行っていますからねという反応があったので、そうなのかと思った。とは言え、こちらの感覚ではガンクラブチェックのズボンと一緒にはやはりこの品は着られないかなといった感じである。着心地について褒めそやしたあと、有難うございますと言ってカーテンをふたたび閉めてもらい、シャツを脱いでTシャツ姿に戻り、それからリュックサックを背負いつつカーテンを開け、寄ってきた店員にチェック柄のシャツを頂きたいと思いますと言った。店員は愛想の良い人だった。カウンターまで案内されて、会計。会計時、シャツを畳んでビニールに入れ、さらにそれを紙袋――「ショッパー」と言うのだったか――に収めてシールを貼るまでの手際が、実に滑らかで物慣れている感じで優雅だった。出入口まで送ってくれた店員に有難うございましたと礼をして品を受け取り、店をあとにした。
 これで買いたい服は買った。次は書店である。エスカレーターを下りていき、LUMINEから出たところで脇に寄り、リュックサックに今しがた買ったFREAK'S STOREの紙袋を苦心しながら収めた。そうして広場に出て、オリオン書房方面へ、すなわちモノレールの駅下を通り抜けていく。そうして書店の入っているビルに入る。HMVから何やら歌声が漏れていた。最初は何かしらの音源を流しているのだろうと判断していたのだが、それにしては歌が不安定だったところ、エスカレーターに乗ったところで、まあ別にそちらに大して意識を向けていたわけでないのだけれど、店の奥で何やらアイドル・グループめいた三人くらいの女性らが歌っているのだということに気がついた。エスカレーターを上がって書店に入店。最初に光文社古典新訳文庫を見に行った。ヘミングウェイの『老人と海』があるかと思ったのだが、見当たらない。どうしたものかと思った。T谷の誕生日プレゼントで三〇日に会う際にそれをあげようと思っていたのだが。ともかくそれは置いておいて、海外文学のコーナーをそれから見に行った。平積みになっている本を順々に見下ろしていく。なかに一つ、何か気になるものがあったはずなのだが、何だったか忘れてしまっている。何だったのか……フランスだったか? それともドイツ? 忘れてしまった。月曜社エクリチュールの冒険叢書だったか、そんなような名前のシリーズから出ている作品もあってそれもちょっと気になったのだが、それではない。ペソアの短編集でもない。何だか最近やたらと話題になっている中国の『三体』というSF小説でもない。デュラスではないしベケットでもない。ウェルベックでもない。完全に忘れてしまった。これは覚えておこう、と思ったはずなのだが。まあそれは良いとしよう。それから哲学の棚を見に行った。ここでは特に際立って印象に残ったものはなかったと思う。読みたいものはいくらでもあるが、今買ったところで太刀打ち出来ないに違いない。しかしそれでは、いつになったら太刀打ち出来るようになるのか? それからフロアを戻って、詩の棚を見に行った。『石原吉郎詩集』か『岩田宏詩集』が欲しかったのだが、どちらもオリオン書房のここには見当たらなかったので、やはり淳久堂に行こうということに決めた。それでエスカレーターに乗って下り、退店し、Right Onの前を通ってビルを出た。雨が降りはじめていたのは、いや、この時ではない。この時はまだ降っていなかったはずだ。高架歩廊をちょっと移動して高島屋に入ると、エスカレーターに乗って六階へ。淳久堂である。入るとまず、フロアを歩いて詩の棚へ。『岩田宏詩集』があったのでこれを買うことに。手に取って、それから思想の棚へ。一冊買うんだったら何かもう一冊くらい欲しいという、この欲望が散財の元である。思想の棚を見る。フェミニズム関連あたりの新着書を見ている女性がいた。こちらも表紙を見せて置かれている本を中心に見分していく。いくらも読みたいものはあるのだが、やはり今あるものを読んでからでないとなあ……と思いつつも、図書館でも本を借りて読んでいる有様で、一向に積み本が減らないのだが。古代ギリシャの区画まで遡っていき、そこで振り向いて日本の現代の思想家たちの著作も見分した。鷲田清一の本などをちょっと手に取ってみたのは、今日の朝に読んだ大澤聡の本で彼が対談相手として登場していたからだろう。それで、鷲田清一なら文庫でもたくさんあったはずだし、そのうちの一つくらいでも買うかなというわけで思想の棚を抜け、文庫の区画の方へ。途中で光文社古典新訳文庫のところに寄ってヘミングウェイ老人と海』があるかどうか求めたが、やはりここにも見当たらなかった。どうしたものか。ともかく、それから岩波現代文庫を見分し、さらにちくま学芸文庫を見ると、そこに鷲田清一の著作はいくつかある。講談社学術文庫にもあったと思うが、そちらは見なかった。それでうろうろした結果、『岩田宏詩集』だけで無闇に金を使わず退去しようかとも思ったのだが、新着図書として表紙を見せて置かれていたハンナ・アレント『政治の約束』が気になったので、これと、さらにやはり鷲田清一の『「聴く」ことの力』を買うことにした。それで三冊を持って会計へ。丁寧で穏やかな口調の男性店員に、カバーはそれぞれ掛けますかと訊かれたので、カバーはいいんですけど、この詩集を、プレゼント用に包装して頂きたいと申し出た。すると店員は、包装はあとでお見せ致しますので、先にお会計をよろしいですかとやはり穏当な口調で受けたので了承。三八五〇円を支払う。それから、プレゼント用の包装は紙のものと布のものとありますがどちらに致しますかと。ちょっと迷って、紙で、と決定。そうすると番号札――五番だった――を渡され、近くのベンチで待つように言われたので、有難うございますとそのほかの品物二冊を受け取り、ベンチに移動。リュックサックを下ろして腰掛ける。白い番号札を回したり傾けたりして、光の反射具合を変えて遊びながら待つ。頭上の電灯がプラスチック製の番号札に映り込む角度に固定して、その光をじっと眺めたりもする。黙想的。あるいは脚を組んで、ズボンの裾をちょっと弄ったり、顔を上げて行き交う人々を眺めたり、要するにこれといったことは何もしないでただ待つ。それでそのうちに、大変お待たせいたしましたと声が掛かった。深緑色の紙――淳久堂は不織布の袋も深緑だし、この色がテーマ・カラーなのだろうか――に包まれ、赤のリボンをシールで貼られた品物を受け取る。お手提げはビニールと紙とどちらに致しますかと問われるので、このままで良いですよと答え、お渡し用のお手提げもよろしいですかと続くのに、はい、と頷き、有難うございましたと礼を言って店員と別れた。リュックサックに品物を入れ、エスカレーターに乗る。そうして二階へ。ビルを抜ける。
 するとなんと雨が降っていたのだ! そこそこの降りだった。顔を俯け、雨粒を顔に頭に服に受けながら歩廊を進む。周りを行き交う人々のなかにも傘を持っていなくて手を掲げて雨粒を防ごうとしているような人が結構見られた。時刻は五時半頃だった。元々喫茶店で日記を書こうと思っていたのだが、ここまで書くのに大体二時間くらいは掛かるだろう、そうすると七時半頃になって帰りも遅くなるし、それからラーメン屋に行くとしても店が混んでいるだろう、何より今もう腹が減っている、というわけで、ラーメン屋に寄って喫茶店には入らず帰り、日記は自室で書くことにした。それで歩廊から下の道に下り、ラーメン屋へ。駅前で参院選の候補者が演説をしているらしき声が響いてきていた。ビルに入り、階段を上がって開け放された扉から入店。醤油チャーシュー麺一〇五〇円の食券を買い、あまり愛想の良くない、粗雑な感じの少々しないでもない男性店員に渡す。同時にサービス券も渡して、餃子を選ぶ。それでカウンター席に腰掛けて、水をコップに注ぎ、一口飲んだ。それから何をするでもなく、本当に何をするでもなく、手を組み合わせたり、周りの様子を窺ったりしながら待ち、チャーシュー麺が来ると食べはじめた。チャーシューをスープに浸けて、麺をその下から掘り出して啜る。まあ普通に美味い。しかし、この店がラーメン店のなかで果たしてどれくらいのレベルなのかはこちらの舌ではわからない。そもそもこちらはラーメンというものをそんなに愛しているわけでもないのでラーメンと言えばこの店にしか食いに来ないし、一人で新たな店と味を開拓するほどの熱意もない。立川のKの評価では、この店は三回は行かないかな、というくらいのものらしい。以前そう聞いた覚えがあるが、こちらはそんな大層な舌を持っていないので、この店くらいの味でも充分満足である。餃子もそのうちにやって来たので醤油を掛けて食す。麺と具をすべて食ってしまうと、スープを蓮華で掬って飲んでいく。脂と塩気でいっぱいの実に胃と健康に悪そうな濃い味の醤油スープである。それでも飲み、しかし飲み干すまでは行かず、ちょっと残して止まり、一息ついてからコップの水をごくごくと飲み干して、それでティッシュで口元を拭いて立ち上がった。ご馳走さまでしたと近づいてきた店員に言ったのだが、やはり彼はあまり愛想が良くなく、低く受けたのみだった。それで退店。ビルの外に出て、駅の方に歩いて行くと、参院選東京区の候補者、音喜多駿氏が演説をしているのが聞こえる。その声音、口調、声の感じから、何となく、「チャラい」という言葉で形容するような類の雰囲気を微かに感じ取った。いずれにせよ、日本維新の会に入れるつもりはない。階段を上がって通路を行っていると、差し出されてきたチラシがあって、音喜多氏のものか、一応受け取っておこうかなととりあえず手を差し出すと、音喜多氏のものではなくて、立憲民主党比例区候補者のおしどりマコ氏のものだった。この人はもともと漫才師のはずなのだが、チラシの裏と言うか最終頁に書いてある経歴によると、二〇一一年の震災後、記者として取材を始めたと言う。「東京電力記者会見には、誰よりも通っている」という自負の言葉が見られる。二〇一六年には平和・協同ジャーナリスト基金奨励賞を受賞したと言う――この賞が一体いかなる性質のものなのか詳らかにしないが。歴史の一断片としてこういうチラシの内容もそのまま写しておきたいような気もするのだが……一〇〇年後の人間が自分の日記をもし読むことがあるとして、その方が面白いのではないかとも思うのだけれど、やはり一方では面倒臭い。それでチラシを受け取ったが、おしどりマコ氏本人の姿はないようだった。支援団体だろうか? 音喜多氏とマイクを通した大音声とは違って、こちらの人々はわりあい控え目と言うか、慎ましいようにやっていた。そのあいだを抜けていって駅舎に入り、人々の一員と化して改札をくぐり、一・二番線ホームへ。一番線に電車はまだ来ていなかった。二番線にはもう来ている。一番線の方には人が結構いて、これでは待ったとしても座れないなとわかったので、後発の、六時二〇分のもので、発車するまでまだ三〇分ほどあったけれど、二番線の電車はまだまだ空いているので、そちらに乗ってしまうことにした。それで乗り込み、席の端に就いて、手帳を取り出して読んだ。一項目を何回か読むと、目を閉じてその項目の内容を頭のなかで復唱する。ということを繰り返しているうちに一番線には電車が来て発車していき、二番線の我々の電車の発車時刻もやって来た。そうして発車して電車が揺れだすと、やはりf分の一揺らぎの為せる業か眠くなってきたので、じきに手帳を閉じて目を閉じた。ほとんど一駅ごとに起きてはいたものの、断続的に意識を曖昧にしつつ過ごして、河辺あたりでようやく頭を起こした。そうして残りの路程を待ち、青梅に着くと降りるのだが、これが土砂降りの雨になっていたのだ。それで車両を移動して、屋根のあるところで降りるのだが、降りる際に電車の車両と屋根のあいだの僅かな隙間を落ちてきて扉の前に暖簾のように垂れ下がった雨粒に当たって濡れてしまう。こいつは困ったなと思い、たまのことだから親に迎えに来てもらうかと思った。それでホームを移動し、土砂降りの雨音のあたりに響いて耳を聾するなかで、携帯電話を取り出し、父母の携帯ではなくて自宅に電話を掛けた。すると母親が出た。Sだけど、と言い、雨が酷いから最寄り駅まで迎えに来てくれないかと頼んだ。了承された。それで電話を切り、奥多摩行きに乗るのだが、乗る際にもぼたぼた垂れる雨粒にまた当たってちょっと濡れてしまった。優先席に腰掛けて手帳を見、発車してしばらく経って最寄りに着くと降りた。屋根のあるところを狙って前の方の車両に乗ったのだったが、それでも降りた場所は屋根の外だった。打たれながらホームを移動し、屋根の下に入り、階段通路を抜けると母親の車は既にあった。近づいて後部座席に乗って、有難うと言った。そうして運転されて帰宅。
 父親は飯の支度をしているところだった。こちらは洗面所に入って靴下を脱いでおき、それから下階に戻ってズボンを脱ぎ、Tシャツにパンツの情けない姿になった。それでコンピューターを机上に据えて点け、今日の支出など記録したあと、ベッドに寝転がった。風呂に入るまでのあいだ、書見をしながらちょっと休もうという魂胆だった。それで小原雅博『東大白熱ゼミ 国際政治の授業』を読む。第一回を早速読み終えたが、期待通り語り口は平易で、今のところはこちらの乏しい知識範囲でも知っていることが取り上げられていてついていける。八時を過ぎると起き上がって上階へ。入浴。湯に浸かり、頭を浴槽の縁に置いて預けながら、FISHMANS "感謝(驚)"のメロディを口笛で吹く。そのうちに黙って、ただ瞑目して安らいでいると、じきに丹光が眼裏の視界の内に現れていることに気づいた。例の、靄めいて収縮拡大する薄ぼんやりとした光のような視覚現象である。風呂に浸かって安らぎ、アルファ波のような何らかのリラックス的脳波とか脳内物質的なものが出ていたのだろうか。靄が中央に向かって収束していってはまた周縁部から現れてふたたび収束していく、とそれを繰り返すのを眺めながらさらに浸かり、結局二〇分か二五分かそこらくらいはじっと目を閉じて浸かっていたのではないか。上がると身体を拭き、パンツ一丁で出てくると、台所で母親がマンゴーを切っていたので一切れ頂き、それで下階に戻った。自室に入り、日記を書き出したのが八時四九分、それから二時間強でここまで。現在は一一時を回ったところ。音楽はJohn Coltrane『Both Directions At Once: The Lost Album』。明日は三時限の長めの労働である。面倒臭い。それでも世の尋常な勤め人に比べればよほど短いので、文句など言う資格はないのだが。
 日記を書き終わったあと、インターネット記事を読むことにした。ハーバー・ビジネス・オンラインで連載されている「ゼロから始める経済学」シリーズを三つ。アベノミクスの失敗について述べられている。アベノミクスは「トリクルダウン」、すなわち富裕層の富の余剰が雫が滴り落ちるように下層まで流れてくるということを狙ったらしいのだが、それは結局起こらなかった。株価が上昇しても恩恵を受けたのは一部の金融資産家だけだったと。名目賃金は上がっているけれど、実質賃金指数は低調なので、実際のところ庶民層の暮らしは楽になってはいない。第三回の最後では、トリクルダウン的なトップダウン方式で考えるのではなくて、ボトムアップ式に考えを転換して、下から富を積み上げるようにしていくべきだとの提言が述べられている。そのためにはまず賃金を上げなければならない、というわけだが、これは立憲民主党ほか野党が参院選に当たって表明している考えと同じである。立憲民主党で言えば、彼らは五年以内に最低賃金を一三〇〇円にすることを目指している。
 一時間弱、インターネット記事を読み、零時を越えたところでベッドに移って、小原雅博『東大白熱ゼミ 国際政治の授業』を読みはじめたのだが、じきにいつの間にか意識を落としていた。何時に眠ったのか覚えていない。


・作文
 7:02 - 7:48 = 46分
 12:45 - 13:24 = 39分
 20:49 - 23:02 = 2時間13分
 計: 3時間38分

・読書
 4:02 - 6:21 = 2時間19分
 8:03 - 10:27 = 2時間24分
 10:45 - 11:20 = 35分
 11:25 - 12:12 = 47分
 19:40 - 20:05 = 25分
 23:11 - 24:05 = 54分
 24:07 - ? = ?
 計: 7時間24分+?

・睡眠
 3:30 - 4:00 = 30分

・音楽

  • Nitai Hershkovits『New Place Always』
  • Bob Dylan『Live 1962-1966: Rare Performances From The Copyright Collections』
  • FISHMANS『Oh! Mountain』
  • John Coltrane『Both Directions At Once: The Lost Album』