ぼくの舌は危険である 大問題である
このことはとても詩に書ききれませんが
ほかのもろもろのコケやトゲにまじって
イソギンチャクが一匹住みついたばかりに
ぼくの舌は海にたとえられる
海はどんなものにでも そうですね
横線小切手にたとえることもできるが
海岸 これはあらゆる比喩の終る場所だ
(『岩田宏詩集成』書肆山田、二〇一四年、82~83; 「わるい油」; 『いやな唄』)*
実をいえば ぼくらはかつて
匿名の革命をやるつもりだった
実をいえば 革命はとうの昔に
ぼくらを見棄てた筈だ してみれば
ほかにどんな話題があるだろう
女を語るか? 酒を? 魚を?
ブルガリアを? サビシガリアを?
遠くの海を? 近くの埋立地を?
七億もいるぼくらの仲間を?
(105; 「ささやかな訪問」; 『頭脳の戦争』)*
ショパンは目を見ひらいて
悪魔に語りかけた
「きみたちの手から
人間はただ一つの方法で
逃れる それは音楽だ
まずわたしはテーマを発見する
テーマはどこにでもある
早い話が きみでもいい
百の悪魔から百のプレリュードを
わたしは時間と健康にさからい
創り出してみせよう テーマだ
次にこのテーマをどうするか
わたしはここでイタリアの歌い手たちに
学びたい かれらの装飾音
微妙な節まわし 変奏と
即興の能力をきみはどう見るか
わたしは決してテーマを展開しない
人間は繰返すことしかできないが
繰返しの限りない豊かさと
エネルギーをわたしは信じたい」
(161~162; 「ショパン」; 「5 北の国」; 『頭脳の戦争』)
九時五分に覚醒し、二度寝に陥らず、それからまもなく起床することに成功した。良い具合である。上階へ行き、母親に挨拶して洗面所に入り、口を濯ぐ。食事はカレーパンが半分と、肉巻きが一つ、それに米と即席の味噌汁。さっさと食って抗鬱剤を服用し、皿を洗うと風呂も洗う。そうして自室へ戻る。母親はクリニックに何か書類を出しに行くついでに、友人と昼食を取ってくると言う。
自室へ戻るとコンピューターを点ける。Twitterを覗くと、インターフェースがまた元のものに戻っていた。前日の新しいインターフェースの導入は一体何だったのか。元のやつの方が使いやすい気がするので戻ってくれて良いのだが。そうして一〇時から、今日は日記を先に書くのではなく、比較的早めに起きられて余裕があるので、書抜きを行うことにした。柴崎聰編『石原吉郎セレクション』である。Twitterに時折り引用文を投稿しながら、四〇分掛けてこの本の書抜きは終了。それからまだ日記に移らず、ベッドに移り、小原雅博『東大白熱ゼミ 国際政治の授業』を読むが、寝転がっているあいだにいくらか寝た。この本は確かに平易でわかりやすいのだが、あまり鋭い知見というものは見られないようで、つまり端的に言って書抜きたいと思うような部分は少ない。外からは機械を使って草を刈っている音がぶんぶん響いていた。朝起きた時も響いていて、書抜き中にも音が鳴って、刈られた草の匂いが部屋内にまで漂って鼻に届いてきていた。書き忘れたが書抜きの際のBGMはFISHMANS『Oh! Mountain』。草刈りは誰か近所の家で頼んだものだろう。
一時半前まで読んで、それから洗濯物を確認しに上階に行った。ベランダの戸の近くにタオルが吊り下がっていたので、それをもう少しベランダの奥の、陽の当たっている場所に移しておく。そう、実に久方ぶりに陽射しの感触がある日だったのだ。快晴とまでは行かないと言うか、どちらかと言えば曇りに近いのだけれど。そうして部屋に戻ってきて日記を書きはじめ、ここまで綴ると二時一二分というわけである。音楽はBill Evans Trio『The Complete Village Vanguard Recordings, 1961』(Disc 3)を流した。
前日の記事をブログほかに投稿し、二時半から「記憶」記事音読。六番から一一番まで。旧約聖書に書き記されたイスラエル民族の歴史の略述など。二時四〇分を過ぎて音読を終了すると、「記憶」記事にいくらか項目を足した。石原吉郎の文章からの引用が多くなった。それで二時五〇分を過ぎたので食事を取りに上階へ。母親はまだ帰宅していない。ベランダの洗濯物を室内に取り込んでから、冷蔵庫のサラダを取り出し、ゆで卵とともに卓へ。一方、レトルトのカレーが台所の調理台の上に置いてあったので、それも食うかということで鍋に水を汲んで火に掛けるとそこにパウチを放り込んでおいた。あとは自ずと熱されるのを待てば良い。そのあいだ、卓に就いてサラダとゆで卵を食す。さらにヨーグルトも、食べてしまってくれと書き置きに書いてあったので食べ――無糖のものだった――台所に食器を運んで流しに置いておくと、温まったレトルトパウチをフライパンから取り出し、鋏で口を切り裂いて大皿の米に掛けた。そうして卓に戻ってそれもあっという間に平らげると、食器を洗って下階へ。服を仕事着に。白ワイシャツにグレーのスラックス。それから歯磨き。口内を掃除して口を濯ぐと三時二〇分頃だっただろうか。上階に行き、ほんの僅かでも母親の仕事を減らしておくかというわけで、タオルを畳み、さらに肌着も畳んで、そうして勤務に向けて出発した。
玄関を抜け、ポストに寄ると癌検診を促すパンフレットが市から届いている。それを持って玄関に向けて階段を上がり、なかにパンフレットを置いてふたたび出るとちょうど母親が車で帰ってきた。送っていこうかと言われたが遠慮して、行ってくると言って歩き出した。すると坂道から新聞屋がバイクに乗って上って来て、こちらの横を過ぎて我が家のポストに新聞を配達する。そこに車から出てきた母親が、何やら声を掛けていた。我が家の外にある水道の水を自由に使って下さい、顔を洗ったり、とか何とか言っていたようだ。こういうあたり、母親は善良で実に罪のない人間だと思う。
暑い。坂を上っていき、額を手のひらで拭きながら進んでいると、T田さんがちょうど物干しスペースに出て洗濯物を取り込んでいるところだったので、こんにちはと挨拶する。今日は早いじゃない、と言われるのではいと答え、暑いですねと口にすると、暑いから気をつけてねと掛けてくれたので、有難うございますと礼を言って通り過ぎる。街道に向けて曲がるところで、足もとに蟬の抜け殻が一つ落ちていた。
雲は多く蔓延っているが、その隙間から陽が射して後頭部や背を温める。北側に通りを渡って進んでいると、小公園の桜の木から一匹、あれは何の蟬だかわからないが、車の走行音のなかに混ざって蟬らしきノイズがじりじり響いていた。ニイニイゼミだろうか? 蟬が出てくるとなるとそろそろ夏も本番というところだろう。老人ホームの窓の向こうを覗きながら過ぎ、裏道へ曲がる。
鶯の音がまだ落ちる。風は多少通るが、温いようで、あまり涼しくもない。それでも無論、ないよりはましである。歩いているうちに陽が旺盛になって、裏通りの路面は全面日向に舐められ、日蔭と言って脇の民家から僅かに忍び出る一角しかない。ワイシャツと肌着の裏の背に、汗の玉が転がっていくのが感じられた。
職場に到着。マネージャーもいた。最近、マネージャーはよく我が教室に来ているような気がする。たびたび見かける。今日の相手は、まず一限目が(……)くん(中三・英語)と(……)くん(小六・算数)。二人とも真面目だし、一対二でだいぶ余裕もあって問題なし。二時限目は(……)さん(中三・英語)、(……)さん(中二・英語)、(……)くん(中一・英語)。(……)さんは初顔合わせだったが、ギャル、とまでは行かないけれど今時の女子といった感じで、口調や態度はラフである。英語の実力は貧しいと言わざるを得ないだろう。三単現を前回やったようなので確認したが、そこからしてまずボロボロだった。それなので再確認していたり、あるいは単語テストを時間を掛けてやったりしたためあまり余裕がなくなってしまったので、リスニングは実施しなかった。それでも今日の単元の一頁がぎりぎりやっと終わったというところなので、リスニングを省いたのは正解だったとは思う。(……)さんはレッスン一とレッスン二のまとめ問題で復習をしたが、全体的にミスはほとんどなく、問題なかった。(……)くんは今日から夏期講習用テキストに入っていったけれど、これも最初のI am ~ / You are ~の文法の個所なので致命的なミスはなし。固有名詞の最初は大文字になることを忘れていたのと、可算名詞の前にaをつけなかったことくらいである。
授業終了。片付けをしたのち、事務給申請の書類を記入。今日も(……)さんへの報告はしなかった。八時一〇分頃退勤。電車は八時一六分。駅に入って改札を通り、ホームに上がると奥多摩行きに乗り込んだ。席に就き、発車・到着まで短いあいだしかないが手帳を取り出し、書いてある事柄を復習。一項目につき三回くらい読んでから目を閉じて頭のなかで内容を復唱する。一九九六年一月一一日に橋本龍太郎が首相に選出されたとか、同年九月に民主党が結党されたとか、一九九八年には省庁再編が行われて二一省庁だったのが一二省庁になったとか、その際に首相官邸直属の内閣府が新設されたとか、そういった事柄である。手帳を眺めているうちに最寄り駅に着いたので、降車。降りると夜闇のなかに植物から立つような匂い、あるいは昆虫のような匂いが漂っている。久しぶりに晴れたため、草木が香りを放っているのだろうか。左方、南の空に目を向ければ低みに色濃い満月がぽっかりと掛かっていた。階段通路を抜け、通りを渡って木の間の坂へ。山百合が道の脇、林の縁から生え出ており、芳香が通り過ぎざまに鼻に入る。
そうして帰宅。居間に入ると母親が、暑いでしょうと言うのでああと肯定する。父親は酒を飲んでいるらしい。ワイシャツを脱いで丸めて洗面所の籠に入れておき、下階へ。服をハーフ・パンツと肌着に着替えて、食事へ。天麩羅と野菜炒めがメインのおかずである。そのほか、インゲンの和え物に、胡瓜やら大根やらを細くおろした生サラダ。米。温めるものは電子レンジで温めて卓に就き、醤油を掛けた天麩羅や野菜炒めをおかずに米を食う。テレビは『笑ってコラえて』。飯を用意しているあいだ、何かよくわからないが、子供が父親に向けて感謝の言葉を述べるような場面が映し出されており、それを見ながら父親はうんうん頷いて、ちょっと涙ぐんでいたようだった。ありきたりの物語、「良い話」に弱すぎるだろう。酒を飲んでいたので涙腺が緩くなっていたのだろうか? こちらが飯を食っているあいだに番組は終わり、九時のニュース。元SMAPの三人を民放のテレビ番組に出演させないように、ジャニーズ事務所から圧力が掛かっていたとの報。ジャニー喜多川が死んだので色々と黒い部分が明らかになってくるだろう。確か彼はペドフィリアと言うか、いわゆるショタコンと言うのか、自分の事務所の男児に性的暴行を加えていたみたいな、そういう噂もなかっただろうか? よく覚えていないがともかく、飯を食い、薬を飲み、食器を洗うと風呂へ。FISHMANS "感謝(驚)"のメロディを口笛で吹く。湯のなかで。今日も沢の音が窓から。しかし虫の音はない。
出てくると枕カバーを持って下階に戻り、枕のカバーを取り替え、使っていた方のカバーとゴミ箱を持って上階へ。カバーは階段横の腰壁の上に置いておき、燃えるゴミは上階の台所のゴミ箱に合流させた。そうして室に戻り、脚が疲れていたので日記に取り掛かる気力が起きず、読書をしながらちょっと休むかというわけで、小原雅博『東大白熱ゼミ 国際政治の授業』を読み出した。最初は寝床に上り、クッションに身を預けて姿勢を低くしながら、膝頭でもう片方の脛を刺激し、ほぐしていたのだが、じきに、久しぶりに足裏をぐりぐりやるかというわけで起き上がり、ベッドの縁に腰掛けてゴルフボールを踏みはじめた。その甲斐あって、脚の疲労は結構和らいだ。そうしてインターネットをちょっと見たあと、一〇時四〇分から日記。Franck Amsallem『Out A Day』とともにここまで記して一一時一六分。力を抜いて、気負わず、さっと楽に書けた。一筆書きのような書き方をやはり目指していくべきだ。
それからMさんのブログを二日分読み、一一時半を越えるとベッドに移って書見。小原雅博『東大白熱ゼミ 国際政治の授業』。まもなく読み終わったのだが、読み終えて次の本に移れないままに本を置いて目を閉じていると、例によっていつの間にか意識を失っていたようだ。気づくと三時半頃だった。そのまま就寝。
・作文
13:27 - 14:12 = 45分
22:39 - 23:16 = 37分
計: 1時間22分
・読書
9:59 - 10:39 = 40分
10:42 - 13:24 = (1時間引いて)1時間42分
14:31 - 14:43 = 12分
21:42 - 22:23 = 41分
23:20 - 23:35 = 15分
23:41 - 24:00? = 19分?
計: 3時間49分
- 柴崎聰編『石原吉郎セレクション』岩波現代文庫、二〇一六年、書抜き
- 小原雅博『東大白熱ゼミ 国際政治の授業』: 190 - 338(読了)
- 「記憶」: 6 - 11
- 「わたしたちが塩の柱になるとき」: 2019-07-13「助動詞が誘拐された街角であなたの笑みが深読みできない」; 2019-07-14「国境をなぞるペンの先端が海辺ですくむ泳ぎは苦手」
・睡眠
3:40 - 9:05 = 5時間25分
・音楽
- FISHMANS『Oh! Mountain』
- Bill Evans Trio『The Complete Village Vanguard Recordings, 1961』(Disc 3)
- Franck Amsallem『Out A Day』