2019/7/31, Wed.

 豊崎 (……)二番目に「永遠回帰」についての考え方なんですが、「永遠回帰」の背景にはやはり「神の死」があって、このことは、さっきの「ポリテイスムとパロディ」という論文のときから言ってることですが、「神の死」というのは人間のイダンチテの消滅を意味する、だから「永遠回帰」というのは、自己同一的なものがそのまま戻ってくるという意味ではありえない、すでに複数形によって拡散してしまった、もう自分ではないようなものが戻ってくるというわけです。逆に言えば、一回目とか初めてとかということはそもそもないのであって、クロソフスキーのことばを使えば、一回きりしか起らないことというのは、強度不足から無意味になってしまう。ある程度の強度をもったものは、もうはじめから複数であり反復であるわけです。それから三番目には、「永遠回帰」と当然関係するんですが、それのひとつのシーニュであり形象である悪循環の円というものがある。それをクロソフスキーニーチェの一種の陰謀、「コンプロ」として捉えるわけです。これはそれこそ積極的、能動的ニヒリズムということになるわけで、あらゆるものには根拠がないし、世界にも自分にも、それを意味づけてくれる統一的な、一なるもの、神というものはまったくないにもかかわらず、行動するわけですね。そのために、ひとつにはダーウィン自然淘汰説のように凡庸なものを選別するほうにはたらくのではなくて、異例なもの、強いものを選別するほうにはたらかせるような陰謀を組織しなきゃならないというわけで、晩年のニーチェの著作活動は全部そちらのほうへ向けられている。とくに最後の点などは、ドイツの文献は知りませんけれども、おそらくいままで〔あまり人が〕言ったことがないことのように思えるんです。ですからこの『ニーチェと悪循環』という大著、およびその前の二つの論文には、ブランショのみならず、フーコードゥルーズ、あるいはデリダなどが現在問題にしているようなことが、殆ど全部含まれてるような気がするんです。
 (渡辺守章フーコーの声――思考の風景』哲学書房、一九八七年、81~82; 渡辺守章清水徹豊崎光一「ニーチェ・哲学・系譜学」)

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 渡辺 (……)要するにニーチェの『悲劇の誕生』を貫く基本的な衝動でもあり、また悲劇の体験の根拠をなしているものは、一種の全身体的であり全存在的な〈合一〉の体験でしょう。それはディオニュソスの巫女なり信女なりになるというあの憑依・変身の秘儀に要約される。しかし秘儀が演劇となったときには、というか演劇にならなければならなかったわけだけれど、そのためには「アポロ的な」仮象として〈表象〉を必要とした。この二つの現象、つまり合一体験と表象との緊張関係でギリシャ悲劇は成立してる。かなりヘーゲル的な図式だけれど、世界の〈根源的な一者〉が、自らを〈仮象〉として疎外し、それを〈夢〉として〈ルプレザンテする〉わけです。ただこの時期のニーチェは、ガエードが『ニーチェフロイトの先駆者か』で跡づけたように、〈夢〉に積極的な価値を与えているし〔「すべての夢みるギリシャ人は、それぞれが一箇のホメーロスだ」〕、〈夢〉は〈神話〉の言説場でもあった。ところがニーチェ自身の中で、〈夢〉への評価が否定的になり、最後に再び肯定的になるという変化があるわけです。演劇のほうからいくと、原則として演劇上演は何かを代行し再現前化するという意味でルプレザンタシオンであるわけだけれど、ところがルプレザンタシオンとしての演劇は堕落だという考えがある。それは、たとえば例のオペラのことをニーチェが非難してる部分に出てくる。レチタティーヴォを、「スティーレ・ラプレゼンタティーヴォ」と蔑称するのはその最も顕著な一例でしょう。この点ではアルトーも同じような志向をもっている。もちろん『演劇とその分身』の時期と、晩年とでは区別する必要があるでしょうが、最終的にいうと、表象とか再現とかあるいは記号化とかいうこと自体が、死であり堕落であると考える発想でしょう。ただ、アルトーもバリ島の演劇については、逆に〈記号[シーニュ]〉という語を濫用することで、ある種の〈強度〉の表現を語ろうとしているので、それが「幻覚症状」とか「神話」と一組になってるのは当然です。ところがさっき出たマラルメは、〈根源的一者〉なんてものを立てないことで仕事をした人だと思う。ニーチェの場合にも、〈根源的一者〉がいつまでものさばっているわけではないけれど、「マヤのヴェールが引き裂かれ」て「個体化の束縛から解放された」人間が「存在の母へと回帰する」という幻想というか衝動は、『悲劇の誕生』にはあった。しかし、同じような〈ヴェール〉の比喩を用いながらも、マラルメは六〇年代のあの狂気に接近した体験について、「音楽と忘却の神秘を積み上げないで〈夢〉を裸形のまま見るという罪を犯した」からと言っている。マラルメにとって〈音楽〉は、ディオニュソス的な根源的一者への回帰ではなくて、「万象間に存在する関係の総称」なんだから、そこには当然分節化ということがある。つまり一に対する複数であり、演劇は演劇である限りはルプレザンタシオンであり記号の集合であり、分節化した関係性を前提とするはずなのに、演劇のなかにはそういうものを超えて記号の彼方に突き抜けたいという欲求がどうもあるらしい。(……)
 (94~96; 渡辺守章清水徹豊崎光一「ニーチェ・哲学・系譜学」)


 九時まで寝床に留まった。今日もまた非常に暑く、ベッドに寝転がっているだけで背や脚に汗が湧いて仕方がなかった。起き上がるとハーフ・パンツを履き――例によってパンツ一丁の格好で眠っていたのだ――、肌着のシャツを持って部屋を出た。階段を上がり、母親に挨拶しながらシャツを裸だった上半身に纏い、台所に入って何かあるのかと訊くと、前日の天麩羅などがあると言う。それで冷蔵庫から天麩羅や肉じゃがを取り出し、大皿にそれぞれ盛って――天麩羅に肉じゃがのほか、カレー・コロッケが半分ほど乗せられた――電子レンジに突っ込んだ。ほか、白菜の味噌汁。これもレンジで温めて卓に運び、さらにそのほか、サラダも用意された。テレビは『あさイチ』。ペット用の車椅子をオーダー・メイドで作製する工房の活動が紹介されていた。食事を取り終えると、丁度母親が冷たい水を用意してくれていたので、それを利用して抗鬱薬を飲み、台所で食器を洗った。皿を洗っているあいだ、居間のテーブルに就いた母親は、Eさんのことを話した。彼女が言っていたらしいが、I.K――小中の同級生――のお姉さんの子供も何か障害を持っている子なのだと言う。Eさん自身も障害を持っていると言うので、そうなのかと尋ねると、目が片方、ちょっと変になっているじゃない、斜視じゃないけれど、何て言うんだろう、とあった。息子のAくんが目の障害で昔からものがあまりよく見えないのは我々のあいだでは周知の事実である。それで、Eさんは、障害を持った人同士の縁結びに奮闘しているとのことだった。さらに、これはまだ食卓にいた時に聞いたことだが、Eさんはまた、市役所が今職員を募集しているから、Sくんも受けてみたら、と言ったらしい。それに対して母親は、いや、仕事は夕方からで、普段は読んだり書いたりしたいらしいよと答えたと言う。わかってくれている返答である。市役所は大学四年生の時分に一度だけ試験を受けたことがあるが、当時は生き悩んでいたので勉強にまったく身が入らず、受ける前からもう落ちるなとわかっていた。パニック障害やら面接で嘘めいたことを言わなければならないことへの嫌悪やらで就職活動もまったくせず、その後大学を卒業してから文学というものに出会って今に至っているわけだ。
 食器を洗い終えると、そのまま風呂場に行った。浴槽をブラシで擦りだすと電話が掛かってきて、母親が出て主人がどうのこうのと言っている。風呂を洗い終えて出てきてから訊いてみると、東京電力からで、木が倒れているとか何とかご主人から連絡があったが知っているかと訊かれたらしい。母親はそうした事実を把握していなかった。それで父親の携帯の方に掛けてみてくださいと答えて、電話番号を教えたらしかった。何故東京電力なのかと訊くと、倒れた木が電線に引っかかったんでしょうとの返答。電話の主は自治会長と言っていたらしいので、おそらくうちの父親だろうとのこと。
 そうして下階に戻ってくると、あまりに暑いのでエアコンを入れることにした。夏というものはこんなにも暑かっただろうか――と言うか正確には、自分がこんなに汗を搔く体質だっただろうかと疑問に思わずにはいられない。特に、顎の下や首筋に掛けて、特段のことはしていないにもかかわらず汗が湧いて仕方がなく、そこに水滴が転がるのが煩わしいことこの上ない。こんなにも自分はこの部位に汗を搔くタイプではなかったように思うのだが。それだけ今年の夏は暑いということなのか――しかし、今年の夏が今までで一番暑いなという感慨は、毎年抱いているような気がする。ともかくそれでエアコンを掛けて、コンピューターを起動させ、Evernoteをひらいて前日の日課や支出の記録を付けると、この日の記事も作成して日記を書きはじめた。一〇時だった。先にこの日の分を綴って一〇時二〇分。
 それからエアコンのずっと掛かったなか――しかしカーテンの向こうの窓はひらいている――二時間半ものあいだ、打鍵を続けたのだが、前日の記事はなかなか進まず、まだ八〇〇〇字くらいしか書けていない。音楽はFISHMANSCorduroy's Mood』を二度流し、さらに『Oh! Mountain』に移行した。終盤はT田とLINEで少々やりとり。そうして一二時半頃になって上階に行くと、既に食事の支度が済んでおり、食卓には蕎麦や天麩羅などが並んでいて、母親はもう食べはじめていた。母親の向かいに就いてものを食いはじめ、安っぽい味の蕎麦を啜り、天麩羅を汁につけて食した。そのほか、サラダ。天麩羅は赤紫蘇が多く、これは隣家のTさんから大量に貰ったものだと言う。母親は天麩羅にする以外にも、先日ジュースを作ったりもしていた。ものを食べ終えると食器を洗って、それからアイロン掛けを始めた。前日に来ていったPENDLETONのグレン・チェックのシャツだが、アイロン掛けには当て布をするようにと表示されていたので、その用途に使える布を探して引出しを探り、一枚の布地を取り出すと、母親が、あ、それが良いよ、あの憎らしい布、と言うので何かと思えば、これが鶯啼庵の布だった。八王子にある店なのだが、二〇一八年の三月――つまりこちらの感情がなくなりはじめた頃合い――に山梨の方の――つまり父方の――親戚連中が集まって会食をした際、送迎バスの運転手の態度が無愛想で、母親がお願いしますと言っても何の反応も見せなかったのだ。運転もいくらか乱暴と言うか、粗雑な風で、その後三鷹のKさんが文句の電話を入れたようなのだが、それからしばらくのあいだ、鶯啼庵のスタッフの態度が悪かったということが、語り草になっていたことがあったのだ。それでその布地を当て布にしてシャツにアイロンを掛けていたのだが、あまり皺が取れない。それなので試しに直接アイロンをシャツに当ててみたところ、それでも大丈夫そうだったので、それ以降は当て布を使わずに皺を伸ばして、それからこれも前日に着た煉瓦色のズボンの方もアイロン掛けをした。そうしているあいだに母親が、山梨の祖母から送られてきた桃を剝いて切ってくれたので、それも食す。まだいくらか固く、甘みも薄くて若い桃だった。母親はまた、ロシアに行くのに、リュックサックで街に出ると危ないかもしれない、背中に背負っていると知らないうちにファスナーを開けられてものを奪われる可能性があると、兄が言ってきたらしい注意を伝えてきた。なるべくならば自分の身体の前に鞄部分が来て抱えていられるようなショルダー・バッグなどが良いと言うのだが、ショルダー・バッグの類はこちらは持っていない。クラッチバッグならどうかと言っても、引ったくりに遭う可能性がないとも言い切れない。それで、母親が先日ユニクロで買ってきたらしいサコッシュという、小さなバッグを使うかと言うので、品を見せてもらった。小さくて、財布とパスポートを入れたらあとはいくらもものが入らないようなものだが、まあそれならばそれでも良い。
 その後、ワイシャツを持って下階に下りてきて、ふたたびエアコンを入れて仕事着に着替えると、歯磨きをした。それからここまでこの日の日記を書き足して、二時を回った頃合いとなっている。前日の記事を書くのが多大な労力である。
 クラッチバッグを持って上階に上がり、母親にそろそろ行こうと告げた。彼女が父親の靴下などを買いに行く用事があったので、そのついでに送ってくれるという話になっていたのだ。それで玄関に向かい、靴を履いて扉を抜け、車の脇に立って母親が出てくるのを待った。林からは数種類の蟬の鳴き声が重なり合って響き出ていた。母親がやって来て車を出すと、助手席に乗り込んだ。車内は言うまでもなく愚かしいほどの暑さに温まっていた。母親が発車するとともにすぐにエアコンを入れた。坂を上っていき、街道に出て東へ向かう途中、母親は、本当に老人ばかりだねと口にした。駅前で車が停まると、有難うと礼を言って降り、八百屋の前を通り過ぎて、職場に行く前にコンビニに向かった。国民年金を払い込む必要があったのだ。コンビニに入り、店の奥に進んでいき、レジに向かう通路に入って、一番手前の、四〇代くらいと見える茶髪の中年男性が担当しているレジに用紙を差し出した。わりと愛想の良い、と言うか穏やかな物腰の人だった。一六四一〇円を支払い、礼を言って用紙を受け取って店をあとにすると、駅舎のすぐ前を通り抜けて職場に向かった。
 入ると、馬鹿げた暑さですよ、と室長に漏らした。すると彼は、昨日は珍客がありましたしねと言う。何かと思えば、蟬が職場内に入ってきたのだと言う。それから座席表を見ると、この日のこちらの勤務は三コマだったはずが、あいだの一コマにこちらの名前がない。それで訊けば、元々(……)兄弟に当たっていたところが、彼らが休みになったのでそのままこちらの勤務は空白になったということらしい。別に良いのだが、そういう連絡は早めにしてほしいものではある。教室に来てから判明するのでは、事前にわかっているのとはやはり心積もりのようなものが違ってくるのだ。それで、授業を入れましょうかという流れになりかけたが、僕は全然、一コマ空きでも構わないですよと言って、休憩時間にすることになった。
 その後、準備をして――国語のテキストを予め読んでおくことに時間は費やされた――一コマ目の授業を始めた。(……)くん(中三・社会)、(……)さん(中三・国語)、(……)さん(高三・英語)が相手である。(……)くんは初見。この子もまた大人し目で、声の小さな生徒ではあるが、コミュニケーションに問題はない。社会は歴史から始まった。今季、歴史の授業を扱うことは初めてである。範囲は中世、鎌倉時代から室町時代に掛けてのあたりだ。(……)くん本人は、歴史は「ぼちぼち」であり、問題を解いてみると忘れているとは言っていたものの、そんなに悪くはない印象で、こちらの口にする用語に対する反応もそれなりにあった。
 (……)さんは多分これで当たるのは三回目だと思うが、相変わらずの無口ぶりである。下手をすると声を一度も聞かずに授業が終わってしまいそうな様子なのだが、この日は前回の授業の復習をした際に、漢字の読みを発語させることに成功した。まあ段々とこちらという講師とそのやり方に馴染んでいってくれると良い。帰り際に前日と同様(……)さんから声を掛けられていたのだが、その時の表情の方が、こちらを前に授業を受けている時よりもやはり柔らかいような気がした。彼女を相手にする時は、椅子に座ってきちんと顔が見えるような応対の仕方をした方が良いだろう。
 (……)さんは今日扱ったのは冠詞のところで、どういう場合に定冠詞を使うのか、あるいは使えないのかといった点に少々苦戦しており、問題を解くのに時間が掛かってノートを記入する時間が全然取れず、授業冒頭に一つの事項を記録しただけで終わってしまった。これは誤算だった。それで言えば(……)さんの方もやはり、同じように問題を解き終わって切りがついたのが授業の終わる直前で、残り時間に猶予がなかったのでノートに記入させられなかったのだった。このあたりの回し方はまだまだ改善の余地があるなといった印象。
 休憩時間。座席に就いて国語のテキストを読んでいたのだが、仕切りを挟んで左隣が(……)だったので、時折り立ち上がり、仕切りの上から顔を出して彼女を見下ろし、声を掛けてちょっかいを出した。彼女が受けていたのは(……)先生の古典の授業だった。(……)先生は国語の教師を長年務めていただけあって、指導は詳細だった。古典文法などこちらはほとんど忘れてしまったけれど、僅かに残っている知識でもって口出しをして、授業ノートを記入するように促したりした。
 そうして二コマ目。相手は(……)さん(中三・英語)、(……)さん(中三・国語)、(……)さん(中三・国語)である。まあ全体にわりあいにうまく回せたのではないか。(……)さんはやはりスピードが遅く、まずもって漢字テストの時点でかなりの時間が掛かっていたが、こればかりは致し方ない。本人のペースとレベルに合わせて着実な実力向上を図るのが個別指導の役割である。それでもテストは四〇点中三四点となかなかの成績で――とは言え、実施する前にいくらか解答を見て覚える時間を取っていたけれど――事前にノートに勉強もしていたようだったので、彼女としては結構頑張ったのではないか。あとで(……)さんに報告をした際に、彼女が、(……)さんは学校の授業を受けていないということをちらりと漏らしたのだったが、その点についてもう少し詳しく突っ込んで聞けば良かった。それで思い当たるのは、以前、(……)さんは会話のなかで、不登校の生徒などが集まる学外の施設のようなものの名前を出したことがあった――その正確な名称は思い出せないのだが。けらけらと笑うような明るめの、わりと今時の子なので、完全な不登校なのかはわからないけれど、学校に行っていないのだとしたらそれはちょっと意外ではある。それでも、彼女については将来は何となく大丈夫なのではないかという楽観的な見通しをこちらは持っている。コミュニケーション能力は充分あると思うし、今日話していても、その会話のなかに、祖父母の話題が出てきたのだ。曰く、昨日自分はエアコンも点けないで水も飲まないでずっと眠っていたら、頭が酷く痛くなった、おそらく熱中症になりかけていたのだと思う、お祖母ちゃんも扇風機だけで過ごしているので心配だ、というような話で、お祖父さんの方は釣りに行っているので日に焼けて真っ黒なのだということだった。同居しているのかは知れないが、おそらくそうなのではないか。古い考えかもしれないが、祖父母と同居している子供はわりあいに情操的に上手く育つような気がこちらはしていて、それも(……)さんの将来にはまあそこまで心配はないのではないかと判断する理由の一つである。
 授業が終わると(……)さんに報告をして、入口近くにタイムカードを押しに行ってから教室奥に戻ろうとすると、扉がひらいた。(……)さんの母親が迎えに来たのだった。それで自習席で眠っていた(……)さん――(……)ちゃん、と言った方が良いだろうか?――を(……)さんとともに起こしてやり、その片付け――色々とものが詰まって重くなったリュックサックにさらに道具を仕舞う――のを手伝ってやり、そうして入口近くまでついていき、送り出した。それから教室奥に戻ってロッカーからバッグを取り出し、退勤した。
 午後八時前にもかかわらず、もやもやとした馬鹿げた暑気だった。「浸かっている」という形容が相応しいような熱気のなか、駅舎に入り、ホームに上がると自販機に寄って、一五〇円を挿入して一三〇円のコカ・コーラを買った。そうしてベンチに就き、手帳を取り出してコーラを開けた。炭酸飲料がしゅわしゅわいっているところを一口含み、それから手帳を読みながらゆっくりと飲んでいった。飲み干すと手帳を持ったまま立ち上がって自販機横のボックスに空のボトルを捨て、座席に戻った。それからしばらくして奥多摩行きがやって来ると乗り込み、七人掛けの端に就いてクラッチバッグを折り畳み左の仕切りとの隙間に置く。そうして引き続き手帳に記された情報を、一項目五回ずつ読みながら発車と到着を待ち、最寄り駅で暑気のなかに降り立つとホームを辿った。階段通路の途中、一段の端に蟬が伏していた。まだ死んでいないように思われたが、鳴くことも動くこともせず静かに停止していた。駅舎を抜けると横断歩道の前に、若い女性が一人立っていた。ボタンを押して渡るのかと思いきや、その素振りも見せない。短いパンツを履いて脚を露出させた格好で――夜闇に加えて目が悪いので、もしかしたら肌に近い色のズボンを履いているのを見間違えたのかもしれないが――、そのような格好の若い女性が我が最寄り駅の付近に、しかも夜に立っているというのは、何とはなしに珍しい光景だった。こちらは車が途切れた隙を狙って通りを渡り、木の間の坂道を下りていった。枯葉が至るところに散らばって群れ成している。職場にいるあいだに激しい雨が通った時間があったのだが、木の天蓋を戴いた坂道には濡れ痕があまり見当たらなかった。こちらの方では降らなかったのだろうか? 坂を出て平らな夜の道を行っていると、脇の垣根からキリギリスか何かの声が立ち、数瞬置いて暗闇に包まれた林の方からも蟬らしき叫びが上がって、さらに目の前を小さな蛾が街灯の明かりに照らされて横切っていった。この世は映画だな、と思った。
 帰り着くと母親に挨拶し、ワイシャツを脱いで丸めて洗面所の籠に入れた。そうして下階に戻るとスラックスも脱いで肌着とパンツの姿になってコンピューターを点けた。Twitterを覗いたり、LINEのグループで二、三、やりとりをしたりしてから、上階に行き、食事である。メニューは酢の物に鮭や煮物、モヤシのカレー炒め、そうして白米と白菜の味噌汁だった。卓に就き、胡瓜と蛸とモヤシの混ざった酢の物をかっ喰らい、鮭をおかずに白米を貪って、それから煮物やモヤシ炒めを食べ、最後に味噌汁を飲んだ。こちらが食べている途中から母親は、父親がもうまもなく帰ってくるからと言って風呂に行ってしまい、こちらが食べ終えて薬を飲もうというところでその父親が帰ってきた。おかえりと言って挨拶したその時は、九時のニュースが始まった頃合いだった。こちらはそれから食器を洗い、下階に下りて、しばらくしてから日記を書き出した。九時半過ぎだった。BGMとして流したのは、Hank Mobley『The Dip』である。何となくこのアルバムの冒頭、タイトル曲のテーマが頭に蘇ってきたのだった。さて、それで日記を二〇分ほど書いて一〇時が近くなってから入浴に行った。浴槽のなかに浸かると両手で湯を掬って顔をばしゃばしゃ洗って脂を流した。シャンプーはもうほとんど尽きていて、ポンプを押しても洗剤が出なくなったところに湯をボトルに入れて水増しして使っている。非常に薄く稀釈されたシャンプーでもって頭を洗い、出てくると三ツ矢サイダーの缶を一本持って自室に帰った。それを飲みながらふたたび日記を書き出して、ここまで記すともう一一時が目前となっている。
 その後、Skype上で通話が始まったのでチャットで参加した。最初はYさんとKさんだけが話していたのだが、じきにRさんやCさんなどが集まってきた。こちらが、Twitterでまたメンバーを募集してみようかと提案すると了承されたので、Twitterの方でSkypeに参加できるURLを貼りつけてツイートを投稿した。それから適当に話していたのだが、じきに、Oさんという方が募集に応じてやって来てくれた。その頃にはIさんも大層久しぶりに姿を現しており、その後、NさんやAさん、MDさんなども参加してきて、いつになく盛況になった。こちらは零時頃から日記を書くのを止めて、音声で通話に参加した。その直後にIさんもやはり通話に移行してきて、久しぶりに彼の文学談義を耳にすることになった。彼は村田沙耶香コンビニ人間』や、沼田真佑『影裏』などを最近読んだと言う。どちらも芥川賞を受賞した小説だったはずだ。『コンビニ人間』は本当にコンビニでしか生きられないような、コンビニと心身ともに同化・一体化してしまったような人物の話で、読んでいて自分の身にも当て嵌まるような部分もあるのが気持ち悪かったと話した。『影裏』の方は、こちらは震災関連の小説だと何となく認識していたのだが、震災色はそこまで強くなく、むしろLGBTを主題とした小説なのだと言った。そのほか、夢野久作論が仕上がって査読を通れば雑誌に掲載されるというような話しなどがあったが、話題の大方は今思い出せないので省略する。最後の方で、安部公房を勧められた時間はあった。ガルシア=マルケスが好きなFさんなら、きっと気に入ると思いますよとのことだった。
 二時になったのを機に通話を終了し、コンピューターをシャットダウンしたこちらは、ベッドに移ってプリーモ・レーヴィ/竹山博英訳『溺れるものと救われるもの』を読みはじめたのだが、ほとんどいくらも読まないうちに意識を失ったようだった。実質三〇分すら読んでいないと思う。あとで見てみると、僅か二頁しか進んでいなかった。それで気づくと四時になっていたのでそのまま就床した。


・作文
 10:01 - 12:37 = 2時間36分
 13:46 - 14:02 = 16分
 21:34 - 21:54 = 20分
 22:10 - 23:58 = 1時間48分
 計: 5時間

・読書
 26:05 - 28:00 = 実質30分も読んでいない。

・睡眠
 2:20 - 9:00 = 6時間40分

・音楽