2019/8/24, Sat.

 ぼくらは 高原から
 ぼくらの夏へ帰って来たが
 死は こののちにも
 ぼくらをおもい
 つづけるだろう
 ぼくらは 風に
 自由だったが
 儀式はこののちにも
 ぼくらにまとい
 つづけるだろう
 忘れてはいけないのだ
 どこかで ぼくらが
 厳粛だったことを
 (『石原吉郎詩集』思潮社(現代詩文庫26)、一九六九年、43; 「風と結婚式」; 『サンチョ・パンサの帰郷』)

     *

 だれもが いちど
 のぼって来た井戸だ
 ことさらにふかい
 目つきなぞするな
 病気の手のゆびや足の指が
 小刻みにえぐった
 階段を攀じ
 やがてまっさおな出口の上で
 金色の太陽に
 出あったはずだ
 泣かんばかりのしずかな夕暮れを
 それでも見たはずだ
 花のような無恥をかさねて来て
 朝へ遠ざかるのが
 それでもこわいのか
 病気の耳や
 病気の手が
 そのひとところであかく灯り
 だれもがほっそりと 
 うるんで見えるなら
 それでも生きて
 いていいということだ
 なべかまの会釈や
 日のかたかげり
 馬の皮の袋でできた
 単純な構造の死を見すえる
 単純な姿勢の積みかさねで
 君とおれとの
 小さな約束事へ
 したたるように
 こたえたらどうだ
 (45~46; 「病気の女に」全篇; 『サンチョ・パンサの帰郷』)


 一一時半まで寝坊。汗を搔いていた。布団を身体から剝ぎ取り、ハーフ・パンツを履いて上階へ。母親はこちらが高校生の時の保護者仲間と食事に行っている。天気は晴れに寄っており、陽射しがあって、ベランダには洗濯物が出されていた。冷蔵庫を覗くと餃子が二つ残っていたので電子レンジに入れ、そのあいだに便所に行って放尿した。戻ってくると白米をよそって餃子とともに卓に置き、新聞を瞥見しながらちまちまとものを食った。食べ終えれば抗鬱薬を服用し、食器を洗って風呂へ、背を丸め腰を曲げて手すりを掴みながらブラシで浴槽を擦り洗う。終えると出てきて下階に戻り、Twitterを眺めたり、前日の記事に記録を付けたりしてから日記に取り掛かった。一二時半過ぎだった。それからちょうど一時間で、前日の記事を綴り、この日の記事もここまで書いている。
 それから二時に至るまでのあいだは確かまたTwitterを眺めたりしていたのではないだろうか。そうして大体二時ちょうどに、インターネット上に昨日の記事を投稿した。そして洗濯物を取り込むために部屋を出て上階に行った。白いポロシャツによくある青さのぱっとしないジーンズを履いた姿の父親がソファに就いていた。その背後を通り、ベランダに出て吊るされた物々を室内に入れていく。障子を向こうに据えたガラス戸に、裾の溶けた雲の浮かぶ薄青い空が淡く映り込み、ありきたりな印象ではあるがガラスかその先の障子に絵が描かれているようだった。洗濯物をすべて取り込んでしまうと、まずバスタオルから始めてタオル類を畳んで行った。次に両親の寝間着や肌着である。ソファの背の上で畳みながら目の前のソファに腰掛けている父親の後ろ姿を眺め、その側頭部の一番端、耳に近いところの髪の毛が白くなっているのを見て、歳を取ったものだなあとの感慨を催した。同時に、歳を取ると子供に戻っていくようなタイプの人間と、聖人のような鷹揚さを身につける人間とに分けられるのだとしたら、うちの父親はおそらく前者のタイプだろうなと密かに思って、来たる父親の退化を先取りして煩わしく思った。
 洗濯物を畳み終えると自室に帰って、読書に掛かることにした。栗原優『ナチズムとユダヤ人絶滅政策 ―ホロコーストの起源と実態―』である。クッションや枕に上体を預けてベッドに横になり、扇風機の風を浴びながら読みはじめたのだが、例によっていくらも読まないうちに眠気が身中から湧き出し籠って瞼を下ろした。一体何故、夜には眠くならないのに、日中にばかり眠ってしまうのか? そういうわけで実際読んでいた時間は三〇分ほどくらいしかなかったと思う。意識を覚醒に固定出来た頃には既に四時一八分だった。
 出勤前に食事を取るために上階に行った。テーブルの上には母親が頼んだELTか何かのチケットが届いて置かれてあった。メルカリでお礼のメッセージを送る必要があるためだろう、チケットが届いたらメールをしてくれと母親に予め言われていたのだが、父親がもう送ったのだろうかと思い、南窓の網戸を開けて、眼下で畑の周りの草を刈っている父親に呼びかけた。メールを送ったかと訊くと送っていないと言うので了承し、一旦室に戻って携帯で母親にチケットが届いた旨を報告しておいてから、ふたたび上階に上がった。冷蔵庫から前夜の残り物――モヤシやカニカマのサラダに、雪花菜と胡瓜のサラダ――とゆで卵を取り出し、卓に就いて黙々と食った。そうして食器を洗うとさっさと階段を下り、歯ブラシを咥えながらMさんのブログにアクセスした。歯を磨きながら二日分の記事を読み、その後、Borodin Quartet『Borodin/Shostakovich: String Quartets』を流しだし、弦楽が優美な旋律を奏でるのを聞きながら服を着替えた。そうして日記の加筆に取り掛かり、ここまで書き足して五時一〇分、そろそろ出発の時間である。
 クラッチバッグを持って部屋を抜け、階段を上ると仏間に入り、アーガイル柄の入った真っ赤な靴下を履いた。そうして玄関に行き、暗褐色の靴を履いて外に出ると、扉を開け放したまま階段を下りてポストに近づき、夕刊を取って戻った。新聞を台の上に置いておくともう一度戸をくぐり、扉の鍵を掛けて道に出た。作業着を着込んだ父親は家の斜め向かいの敷地で小さな畑の周りの草を毟っていた。そちらの方に視線を投げてもあちらはしゃがみこんだまま視線を寄越さないので、手を上げることなくそのまま西へ向かって歩き出した。林からは織り重なる激しい電磁波のような蟬の声が降り注いでいた。道を行っている最中、今日は土曜日だったと思い出した。そうすると普段と電車の時間が異なっており、ただでさえ少ない本数が土日はさらに少なくなったりするので、ことによると勤務開始時間に間に合わないかもしれないぞと思った。それでなるべく早く駅に向かうことにして速足で歩き、坂道に入って、蟬時雨が空間に浸透して身を包み込むなかを上がっていく。駅に着くとちょうど奥多摩行きが入線して乗客が何人も降りてきたところだったが、こちらが乗るのは青梅行きである。掲示板で電車の時刻を見ると、五時台の電車は五時五分か五〇分かしかない。現在時刻は五時二〇分頃だった。五〇分のものに乗ればぎりぎり間に合うことは間に合うし、今日の勤務は一コマだけなので準備をほとんどしなくともどうにかなるだろうと判断して電車を待つことにした。それで階段口に掛かると、前から母親が下りて来たので、あ、と声を出し、相手が気づくとおかえりと言った。すぐに別れ、こちらは階段を上り下りしてホームへ、ベンチに座って手帳を取り出したが、首筋や腕に汗がべたべたと湧いていたので、一方でハンカチを取って肌の水気を拭った。しばらくのあいだ、駅にはこちらしか人影がなかった。箒で地面を掃いている音がどこかから響き、蟬が時折り宙に飛び立って翅音を立て、こちらの足の周りには蚊が一匹寄ってきて、スラックスと靴下に阻まれて肌に着地し血を吸うことが出来ないのに、未練がましくいつまでもそのあたりを飛び回っているのだった。手帳を読みながら暗唱のために目を閉じると、まろやかで優しげな風が肌を涼しくしてくれるのを感じた。
 五〇分に至る頃、席を立ってホームの先に歩いていき、やって来た電車に乗り込んだ。車内は混み合っていた。土曜日なので山に行ってきた行楽客がちょうど帰る時刻だったのだろう。こちらの傍らには腕に入れ墨を彫り込んでサングラスを掛けた背の高い――バスケットボールでもやっていそうな――黒人が立っており、仲間と話をしているなかに日本人らしき女性も一人含まれていて、英語で会話をしていた。その会話に密かに耳を立てたり――しかし全然聞き取れなかった――手帳の情報を頭のなかで反芻したりしながら揺られて、青梅に着くと降りて階段を下った。
 職場に着くとすぐに支度を始めて、まもなく授業である。今日の相手は(……)くん(中三・英語)及び(……)さん(中三・英語)。二人相手で余裕があったこともあり、今日の授業は全体的に上手く行った。二人の傍らに立ちながら進行を見守り、答え合わせを待たずに介入するべき時には即座に介入することが出来たのが良かった。その結果、そこから滑らかな流れでノートに事項を記録させることも出来たわけである。やはり問題をやっている途中でも、何か解説をしたらその場ですぐに記録させてしまうのが良い。(……)さんは以前当たった時にはこちらに見つからないように携帯を弄っていたのだが、今日はそのような様子は観察されなかった。ただ、こちらが場を離れてしまうと問題をなかなか進めず俯いた状態でいるのだが、あれは何をやっているのだろうか。
 授業を終えてさっさと退勤し、駅に入った。普段なら先発の電車に間に合う時間だったが、土曜日なのでそれも普段より早かったようで、既に経ってしまっており、八時一四分発の電車まで待たなくてはならなかった。ホームに上がると例によって自販機でコカ・コーラを買い、木製のベンチに就いて手帳を眺めながら漆黒色の炭酸飲料を胃にゆっくりと流し込んだ。
 そうして奥多摩行きが来ると乗り、引き続き手帳に記された知識を頭のなかで反芻しながら時間が過ぎるのを待ち、最寄り駅に降り立った。空気はそよとも動かず、温みが宙に宿っているのが感じられたが、電車が動き出すとそれに応じていくらか風も生まれた。駅舎を抜けて坂道に入ると、今日も闇の奥から、鈴虫の幽幻な声が立って彷徨う。チリン……チリン……チリン……チリン、と四音を一単位としてたっぷりと間を置きながら鳴いていた。
 坂を下りて平らな道に出る間際で、どこか遠くの方から花火でも撃っているような響きが伝わってきた。どこぞで祭りでもやっていたのだろうか。クラッチバッグを手に提げながら夜道を行き、家の近くの林の前まで来ると、多種多様な無数の秋虫の声が周囲から替わる替わる立って交錯した。
 家に入るとワイシャツを脱いで洗面所に置いておき、下階に戻って服を着替えた。そうして食事へ。上っていき、台所に入って茄子の味噌汁を椀によそって電子レンジへ、それから鮭も温める。一方で米をよそり、レタスや胡瓜などの生サラダを大皿へ盛った。そうして卓に就き、テレビには録画したものだろうか、ドラマ『凪のお暇』が掛かっているなか、ものを食べた。食べ終わる頃、母親がセブンイレブンの、あれは手羽元だっただろうか、小さな骨付きの鶏肉を温めて持ってきてくれたので、それも口に入れてもごもご咀嚼し、骨を吐き出しながら食った。そうして食器を洗ってテーブルを布巾で拭くと、風呂に行ったのだが、母親が湯沸かしスイッチを押すのを忘れていて浴槽は空だった。それなのでスイッチを押しておき、湯が湧くまでのあいだ下階に戻って英文メールを綴りはじめた。と言うのも、モスクワから東京に戻る飛行機のなかで席が隣になって会話を交わしたJからメールが届いていたのだ。本当にメールを送ってきてくれて驚く気持ちもいくらかあるが、彼はI'll write you laterと繰り返し言っていたし、その念押しの様子が社交辞令には見えなかったので、多分実際に送ってくるのではないかなと思っていたのだった。それでいくらか文を綴ったあと、九時半頃になって風呂に行った。さっさと湯を浴びて上がり、パンツ一丁で部屋に戻ると、引き続きオンラインの辞書を駆使しながらメールを綴った。以下の文面が完成する頃には、一一時を迎えていた。

Hello, J!

First of all, thank you very much for really writing to me. I'm so glad to hear from you.

Since coming back to Japan, I have been engaging in reading and writing same as before. As you know, I'm working as a cram school teacher, so my service usually starts in the evening. I read books or write my diary for the rest of a day.

Please let me introduce myself again here.

I'm 29 years old. I graduated from Waseda University in 2013. I studied the Western History in the university and wrote about The French Revolution in my graduation thesis (But I was a BAD student and it was a terrible paper as I think of it now). I rather got interested in the literature since a little before the graduation. Then I started reading some works, and I've been fascinated with the literature. Since then, I have been reading many books and writing some texts while working as a part-time jobber (In Japan, they generally call someone like me a "freeter" ).

I came across the literature in 2013 and I started writing at the same period. I write my diary everyday. My journal is rather special, I guess. It may feel strange to some people. I write EVERYTHING about my life from the time I get up to the time I go to bed. Therefore my daily stuff becomes so long that ordinary people don't want to read it. It takes an hour or two hours, and sometimes three hours and more to complete my daily work.

I used to dream about creating a great novel. But now I don't think much about it. Instead, I'm devoting my life to writing my diary. I'm crazy about documenting almost everything about my life and my world. I have a grandiose idea that I write until the day I die. It is not some analogy or exaggeration. I do hope so.

Well, I'm a kind of man like this. Then, If you have time to do that, would you let me know about your life so far?

You said you were flying to South Korea. It sounds nice. Sad to say, relationship between South Korea and Japan is getting very bad in the present. But I personally don't have any bad impression about South Korea. What do you go to South Korea for? I hope that you will enjoy your trip. And I wish to meet you somewhere and enjoy talking.

Excuse me if my English feels strange to you, for I have never written a letter in English! (I looked in a dictionary a lot to write this message!)

Best regards,
S.F

 沖縄のHさんからも今月初めにメールが届いており、モスクワ行きなどで忙しくて返信を書けずにそれを放置してしまっているのが心苦しいのだが、今日は英文を綴るのにだいぶ力を使ったので、彼女へのメールはまた別の日に綴ることにする。彼女はシカゴの神学校で神学修士の学びを始めるのだと言う。凄い。
 それから Borodin Quartet『Borodin/Shostakovich: String Quartets』とともにこの日の日記を書き足して、現在ちょうど日付が替わるところである。
 その後、ルドルフ・ヘス/片岡啓治訳『アウシュヴィッツ収容所』の書抜きを行い、さらに星浩「3・11、小沢一郎氏との抗争…混乱続いた菅政権 平成政治の興亡 私が見た権力者たち(17)」(https://webronza.asahi.com/politics/articles/2019052300004.html)を読んだあと、ベッドに移って書見に入った。栗原優『ナチズムとユダヤ人絶滅政策 ―ホロコーストの起源と実態―』である。二時四〇分まで読んで明かりを落とし、就床したのだが、眠気が皆無だったので、とても眠れる予感がしなかった。


・作文
 12:37 - 13:37 = 1時間
 16:56 - 17:10 = 14分
 23:13 - 23:59 = 46分
 計: 2時間

・読書
 14:22 - 16:18 = (1時間半引いて)26分
 16:41 - 16:53 = 12分
 24:04 - 24:28 = 24分
 24:36 - 25:04 = 28分
 25:06 - 26:42 = 1時間36分
 計: 3時間6分

・睡眠
 3:00 - 11:30 = 8時間30分

・音楽

  • Borodin Quartet『Borodin/Shostakovich: String Quartets』
  • R+R=NOW『Collagically Speaking』