2019/8/25, Sun.

 窓のそとで ぴすとるが鳴って
 かあてんへいっぺんに
 火がつけられて
 まちかまえた時間が やってくる
 夜だ 連隊のように
 せろふあんでふち取って――
 ふらんす
 すぺいんと和ぼくせよ
 獅子はおのおの
 尻尾[しりお]をなめよ
 私は にわかに寛大になり
 もはやだれでもなくなった人と
 手をとりあって
 おうようなおとなの時間を
 その手のあいだに かこみとる
 ああ 動物園には
 ちゃんと象がいるだろうよ
 そのそばには
 また象がいるだろうよ
 来るよりほかに仕方のない時間が
 やってくるということの
 なんというみごとさ
 切られた食卓の花にも
 受粉のいとなみをゆるすがいい
 もはやどれだけの時が
 よみがえらずに
 のこっていよう
 夜はまきかえされ
 椅子がゆさぶられ
 かあどの旗がひきおろされ
 手のなかでくれよんが溶けて
 朝が 約束をしにやってくる
 (『石原吉郎詩集』思潮社(現代詩文庫26)、一九六九年、51~52; 「夜の招待」全篇; 『サンチョ・パンサの帰郷』)


 眠れなかったので、床に就いてから三〇分強で起き上がってしまった。スイッチを押して明かりを点け、コンピューターも起動させて、しばらくTwitterを眺めた。Lという名前のアカウントがあって、この人も夜更し勢らしく午前四時前といった深い時間にもかかわらず盛んに発言して、ポストモダン界隈の相対主義的なスタンスを舌鋒鋭く批判しており、こちらのツイートにも「いいね」を付けてくれたりしていたのだが、この人がどうも、確たる根拠はないのだけれど発言の雰囲気などからしてこちらの知人のUくんではないかと思われた。間違っていたらUくんにもL氏にも申し訳ないが。それで四時ちょうどあたりまでTwitterを眺めて、それからプリーモ・レーヴィ/竹山博英訳『これが人間か』の感想文を書きはじめた。一時間ほど掛けて以下のような文章が完成した。

 ラーゲルにおいてレーヴィたち抑留者を仮借なく苦しめた「敵」の最大のものは、やはり飢えだっただろう。「ラーゲルとは飢えなのだ。私たちは飢えそのもの、生ける飢えなのだ」(92)とまでレーヴィは言っている。人間の存在そのものが飢餓と完璧に癒着し、同一化してしまうような地獄の檻。その悪魔的な威力をまざまざと知らしめてくれるのは、シェプシェルという人物の紹介文のなかにある一節である。彼は、「今ではもう自分のことを、定期的に満たすべき胃袋としか考えていない」(116)。この一節は鮮烈で、衝撃的である。ここには人間的なあらゆる意味に対する無関心に呑み込まれ、すべてを諦めてただぎりぎりの生存の維持に追われる人の姿が如実に映し出されているように思える。彼が束の間食物を得たとしても、そこには食事の喜びなどというものはあるはずもなく、それは「定期的に」行われるべき単なる事務的な作業でしかないのだろう。原語において両者のあいだに区別があるのかこちらにはわからないが、単なる「胃」ではなくて「胃袋」という訳語が採用されていることも、印象的である。「袋」という言葉を伴うことによって、肉体や臓器の物質性、その冷え冷えとした即物性の生々しさを高めているからだ。
 飢えと並んでレーヴィたちを苦しめた要素は、ほかでもない「寒さ」である。「厳しい寒さと、激しい飢えと、多大な労苦が、目の前に立ちふさがっている」(78)というように、寒さはたびたび飢えと同一次元の苦痛として並べられている。「シャツとパンツと綿の上着とズボンだけ」の装備で、「一日中、零度以下の寒さにさらされ、風に叩かれる」(159)というその寒気は、当然だが、我々が生半可な想像によって理解できるような水準のものではない。レーヴィは言う。「私たちの飢えが、普通の、食事を一回抜いた時の空腹感と違うように、この私たちの寒さには特別な名前が必要だ」(159)。そして、そうした厳寒の環境のなかでは、「陽の出が毎日批評の対象になる」(88)。抑留者たちは、「今日は昨日より少し早い。今日は昨日より少し暖かい」と日々の夜明けに孕まれているほんの微かな差異を緻密に見分け、判別するのだが、そうした「強いられた繊細さ」とでも言うべき認識のあり方には、冬の終焉と穏やかな季節の到来を痛ましいまでに切望する彼らの小さな希望がありありと反映されている。

 そうして次に、同じくプリーモ・レーヴィ/竹山博英訳『これが人間か』のメモを手帳に取りはじめた。四〇分ほどボールペンを使って頁の上に文字を刻んでいき、六時を回ったところで食事を取るために部屋を出た。両親もそろそろ起きはじめているような気配があった。階段を上り、台所に入ると冷蔵庫から卵を二つ、ハムを一パック取り出して、フライパンに油を垂らした。そうして焜炉の火を点け、ハムを四枚投げて落とし、その上から卵を割り落とした。焼いているあいだに丼に米をよそって、それからすぐに、黄身が固まらないうちに目玉焼きをフライパンから米の上に搔き出したが、この時失敗して黄身を崩してしまい、白身もフライパンの底にこびりついて綺麗にすべて搔き取ることは出来なかった。
 丼を卓に運ぶと、玄関に向かい外に出て、新聞を取って戻ってきた。鋏で新聞を包む薄いビニール袋を切り開け、それをめくりながら卵焼き丼を食べはじめる。醤油を垂らして米を中途半端に溶けた黄身と搔き混ぜ、貪り食う。食べている最中に、父親が困憊したような表情と様子で階段から上がってきたので、おはようと告げた。こちらはものを食べ終えると食器を洗い、階段を下りて自室に帰った。
 手帳には六時四〇分から読書と記録されているのだが、ほとんど読まないうちに意識を失ったらしい。信じがたいのだが、そこから一二時ぐらいまで時折り覚醒しながらもだらだらと寝過ごしてしまったようで、そのあいだの記憶は残っていない。母親がガラス戸の向こうのベランダにやって来て、昼食にスパゲッティを茹でてくれと言ったので、起き上がって上階に行った。台所ではフライパンに湯が既にぼこぼこと沸騰していた。パスタの袋から三束を取り出し、封を取って一つ目の束を投入したが、どう考えてもパスタの長さに比してフライパンが小さかった。箸で麺を搔き混ぜて何とか湯のなかに収めつつ、フライパンが小さいだろうとやって来た母親に告げると、そうだけれど仕方がないという返答があったので仕方のないことと定めて、二束目を入れようとしたのだが、麺をくくっている封のシールが上手く剝がれない。そうこうしているうちに一束目がどんどん茹だっていく。それで鋏で封を切り裂いて何とか二束目、三束目と投入することが出来た。箸で麺を搔き混ぜながら七分かそこら茹でて、それからフライパンを持ち上げ、トングでボウルのなかに麺を取り出していった。そうして瓶詰めのなめ茸と缶詰のシーチキンをボウルに空けて、そこに醤油も僅かに垂らして、トングで麺を取り上げては搔き混ぜた。それで味付けが済むと自分の分を大皿によそり、卓に移って食事を取りはじめた。テレビは『のど自慢』を放映していた。ものを食べ終えると油っぽい食器を洗って下階に戻り、服を着替えた。オープン・カラーで温かみのある茶色にチェック柄のシャツと、濃縮されたようなオレンジ色に近い煉瓦色のズボンである。そうして洗面所に行って歯ブラシを咥え、階段下の一角に置かれた袋から、ロシアで買った「アリョンカ」のクッキーを二つ、ミルク味のものとチョコレート味のものとを一つずつ取り出した。それを持って階段を上り、歯ブラシを咥えたままもごもごと、母親に、ハンドクリームはどこかと訊く。仏間だと言われたのでそちらに入って、隅の一角にヴェルニサージュ市場で買ったクロスとNatura Sibericaのハンドクリームを見つけた。それらを取り上げ、Natura Sibericaの黒いビニール袋に入れて、これでAくんに渡す土産物の準備は完了である。
 下階に戻ると歯磨きを終え、そうして便所で排便してからリュックサックを背負って上階に行った。リュックサックのなかには本がいくつも入っていた。課題書である文庫本のルドルフ・ヘス/片岡啓治訳『アウシュヴィッツ収容所』のみならず、ここ最近に読んだ本――その大方はホロコースト関連の文献である――も紹介するために収めていたのだ。靴下は既に、白いカバー・ソックスを履いていた。それで引出しからハンカチを取り出し、尻のポケットに収めると、じゃあ行ってくると両親に告げて玄関に行った。靴を履き、姿見に映る髭面をちょっと眺めたあと、扉をひらいて外に出た。
 林から湧出する蟬の声が昨日一昨日よりも軽いような感じがした。隣家のTさんの宅の一角では紅色の百日紅が、花を重くつけた枝先を突き出し垂れ下げている。家の内からは既に終焉も間近の『のど自慢』の音声が漏れ出してきている。左右から蟬の鳴きしきる道を行くと、途中にあるT田さんの家からも同じように歌番組の音が流れ出していた。
 坂道に入って上っていくと、蟬が一、二匹、地面の上に潰れて干からびている。頭上からは鴉の声が降り、耳をそちらに寄せて、三羽か四羽いて鳴き交わしているなと判別した。鴉の声など普段大して気にも留めないが、改めて傾聴してみると、それぞれに色合いが違うものだった。間の抜けたようなもの、おおらかで伸びやかなもの、詰まってざらついたものとあった。彼らも言語を持っているのだろう。木の間の坂道に降る蟬時雨は、やはり昨日一昨日よりも密度が減っているように感じられた。あるいは時間帯の問題だろうか。
 最寄り駅に入り、ホームの屋根の下に立って手帳を取り出した。道中陽射しもあったし勿論暑くて汗は止まないが、ハンカチを取り出して首筋や額に当てるほどでもなかった。まもなく電車到着のアナウンスが入ったので、ホームの先の方に歩いていき、入線してきた電車に乗り込んで、扉際に立って手帳の文字を追った。今日の朝にメモしたばかりの、プリーモ・レーヴィ『これが人間か』からの言葉である。青梅に着いて降りると乗換え、ホームを歩いて立川行きの二号車まで行き、なかに入って三人掛けの一席に腰掛けた。そうして引き続き、手帳に視線を滑らせ、たびたび目を閉じて書かれていることを頭のなかで反芻する。
 電車に乗っているあいだ、周囲に特段に興味深いことはなかった。立川に着くとほかの乗客が降りていくなか、こちらは一人席に留まって、人々が階段口から捌けていくのを待つ。そしてしばらくしてから降りる間際、最後に読んでいた手帳の言葉は、ダンテ『神曲』中の「オデュッセウスの歌」の一節、レーヴィがピコロのジャンに暗唱して聞かせた例の、「きみたちは自分の生の根源を思え。/けだもののごとく生きるのではなく、/徳と知を求めるため、生をうけたのだ」という文言だった。それを頭のなかで繰り返し繰り返し唱えながら電車を降りて階段を上り、駅構内を歩いて改札を抜け、群衆のなかで俯きつつ北口方面に向かった。托鉢僧の鳴らす鈴の音が、煙のような人々のざわめきのなかを一閃して耳を射った。引き続き、「オデュッセウスの歌」の言葉を脳内で唱えながら階段を下り、通りを歩いてルノアールへと向かう。
 建物に入って階段を上り、入店すると、Aくんの姿が席に見えたので手を挙げて挨拶し、彼の向かいに入った。リュックサックを隣の椅子に置いて腰を下ろす。Aくんは飯を食っていないのだと言った。それで何を食べようかとメニューを見て迷っていたが、こちらはコカ・コーラに即決し、Aくんもいつも通り飲み物はカフェゼリー・アンド・ココアフロートに決めて、店員を呼んでひとまず飲み物だけ注文した。その後、Aくんはハニー・トーストを食べることに決断して、女性店員が飲み物を運んで来た際に追加注文したのだが、この店員がちょっと面白い人で、何やら躊躇しながらコーラをこちらの前に置いたあとに、何か言いたいことがあるのだが言えない、というような素振りを見せて、何かと思えば、あの、これ、何て言うんですっけ、とAくんのグラスの下に敷かれたコースターを指した。こちらの分のそれを持ってくるのを忘れたと言うのだった。それで彼女はすみませんと謝り、恐縮しながら戻って、コースターを持ってきてくれたのだったが、今度はストローを忘れたと言ってまた取りに戻って行った。こちらは笑って有難うございますと言いながらそれを受け取った。
 それからAくんに、ロシア土産だと言って袋を取り出し、中身を出してテーブルクロス様の布はヴェルニサージュという市場で買ったものだと言った。これはAくんに使ってもらっても、今日は用事があって欠席しているNさんに使ってもらっても良い。クッキーはそれぞれ一つずつ、そしてNさんにはそれに加えて、Natura Sibericaのハンドクリームを買ってきたのだと見せて、記憶が朧気だが、確かオブレピーハとかいうシベリアの植物を原料にしたという代物なのだと紹介した。そうして品物をビニール袋に収め直してお収めください、と言ってAくんに贈った。
 それからしばらくのあいだ、会話の序盤はロシア旅行の土産話が展開された。バレエを観たり、サーカスを観たり、グルジア料理を食ったり、ウズベキスタン料理を食ったりと盛り沢山だったと述べた。サーカスは特に凄かった。ボリューム満点で疲労するくらいだった。お馴染みの空中遊泳があったり、大きなブランコのような装置が舞台の両側に置かれて、その上を中国のカンフーめいた格好をした男たちがくるくる回りながら飛び移ったり。後半に、あれは早着替えと言うか、早着替えとはちょっと違うと思うのだが、僅かな時間のあいだに女性の衣服が次々と変わっていくという演目もあった。イースター・エッグの形をした大きな装置が舞台にいくつも出されて、そこから男女が現れる。男性は大きな扇を持って女性の姿を隠し、次に扇をひらいた時には女性の衣服が変化しているという手品のような趣向だ。どんどん女性の姿が隠れる時間が短くなっていき、最終的には紙吹雪のようなものをばら撒いて、それで女性の姿を隠すまでに至ったのだが、その一瞬で確かに服装が変わってしまう、あれはどういった仕掛けになっているのかまったくわからなかった。演目の途中では髪の飾りまで変わっていたのだ。下に何枚も着ているわけではないんだよねとAくんは訊く。身体にぴったりとくっつくような服装だったので下に着込んでいるようには見えなかったし、仮に着ていたとしても脱いだあとの衣服が残らず消え去ってしまうのも不思議だ。
 そのほかやはり見ものだったのは猛獣使いではないか。虎やら豹やらチーターやらが何匹も出てきて演技をするのだが、猛獣たちはなかなか素直に言うことを聞かない場面もあった。舞台の中央に歩み出て演技をする以外の時間は、動物たちは左右の端に設けられた台の上に静かに待機していなければならないのだけれど、時折り待っていられなくなって舞台の方に出てきてしまうものがいる。そうすると猛獣使いは即座にそちらに向かっていき、鞭を振るって動物を台の上に戻さなければならないのだ。一方で演技中の猛獣を操りながら、舞台全体を見渡して常に状況の変化を把握していなければならないわけで、視野の広さを発揮しなければならないのは大変そうだった。ところで、猛獣の演目のあいだに面白いことが一つあって、それはなかの一匹が糞をしたのだが、舞台の周囲に張られた金網の隙間を通して、黒子のようなスタッフが棒を差し入れ、その糞を台から落としていたことだ。サーカスの世界というのは非常に高度に構築された物語、要するに夢のようなフィクション世界なわけだけれど、その時は一瞬、その構築された世界観が綻びを見せていた。予定調和ではないね、とAくんは言う。そう、予定調和でない、そうしたささやかな出来事が起こったことによって、世界の裏側が一瞬垣間見えたと言うか、舞台裏が覗き、物語世界が破れるような感覚があって、それがかえって現実味を醸し出していた。そうした瞬間はもう一度あって、白い鳩がたくさん出てきて舞台に降りたあと、退場していくという場面があったのだけれど、そのなかに一羽、マイペースな鳩がいて舞台の端に居残っていたのだ。そうした本来の筋書きにはないはずの小さな瑕のような出来事が、奇妙な現実感を与えていてこちらには面白かった、と概ねそのようなことを語った。
 そうしてそのうちに、この日の課題書であるルドルフ・ヘス/片岡啓治訳『アウシュヴィッツ収容所』の話に移っていった。どういった流れからだったか、Aくんが当該著作に言及しはじめたのを機に、こちらはリュックサックから本をすべて取り出して卓上に並べた。ヤン=ヴェルナー・ミュラー/板橋拓己訳『ポピュリズムとは何か』、プリーモ・レーヴィ/竹山博英訳『溺れるものと救われるもの』、ルドルフ・ヘス/片岡啓治訳『アウシュヴィッツ収容所』、プリーモ・レーヴィ/竹山博英訳『これが人間か』、栗原優『ナチズムとユダヤ人絶滅政策 ―ホロコーストの起源と実態―』である。こちらは『これが人間か』を最初に差し出して、これは……ちょっと……素晴らしかったね、と告げた。視線を逸らして困ったような顔になりながら、これはね、ちょっと……まあ、読んだ方が良いんじゃないか、と続けた。のちにも、自分はあまり他人にこういうことは言わないけれどと漏らしながらも、もう一度読んだ方が良いと思うと勧めたのだった。Aくんは、何がそんなに素晴らしかったのかと訊く。――収容所という地獄の環境を記録した一証言録なわけだよね。しかしそれでいて同時に、文学作品として、一つのテクストとして単純に面白いものになっている。まあ面白いという、そういう言葉を使っていいのかわからないけれど。記述が練られているのもよくわかるし、比喩なんかも文章のなかにぴたりと適合している。非常に質の高い作品になっていると思う。
 そうして段々と、『アウシュヴィッツ収容所』の話に入っていった。その長い会話の筋道を再現することは、当然ながら出来ない。こちらの感想はブログに上げたようなものなので、ここでは詳しくは繰り返さないことにするが、ヘスが自分の任務を疑うことを「許されなかった」と執拗なまでに繰り返しこの言葉を用いて述べていることを指摘し、彼の精神の宗教性について触れたりした。Aくんは、読む前はヘスという人はもっと、言ってみれば「普通の」人、一般人に近い人なのかと思っていたけれど、いざ読んでみるとこの人は思ったよりも一般的ではないのではないかという印象を持ったと言う。――一六歳で家を飛び出して、戦争に従軍して。その後ナチ党にも参加して、人も殺しているからね。――確かに。有能な人ではあったんだろうね。――何しろ、アウシュヴィッツを建てる時なんかも、どんなブラック企業だ、って感じじゃないですか。資材も何もなくて自分で調達しなきゃならない環境で、上司に窮状を訴えても聞き入れられない。視察しに来たヒムラーは、「まあ、いけるでしょ」みたいな感じで。普通だったら、いやいや、無理ですって、とかなりそうなものだけれど、それを実際にやっちゃったわけだからね。――まあ、ナチ体制下でなければ、能力のある、良い官僚になっていただろうね。それにしても、ヘスの自己放棄ぶりは際立っている。――彼も命令に対して、「うん?」という違和感を覚える時とか、嫌だなと思う時とかはあったと思うんだ。でも、そこで自分を押し殺して、あるいは克服して、命令に対する忠誠心の方が勝ってしまう。――そういう義務感、忠誠心は並々ならぬものがあるね。命令を疑うことは「許されなかった」とたびたび繰り返している。そこで同時に、「健全な理性が逆のことを告げたとしても」とも言っていて、俺はここを読んだ時、ヘスは自ら、自分の判断が理性とは逆行している、非合理的なものだと認めていると思った。批判的理性の放棄だよね。ほかの場所では、「総統の名におけるヒムラーの命令は、聖なるものだった。それに対しては、いかなる考慮、いかなる説明、いかなる解釈の余地もなかった」とも言っているわけだ。聖典の言葉に自分の「解釈」を交えず、一字一句そのまま遵守しようとする宗教的原理主義者の態度と、重なるものがあると思う。
 ヘスの例を見る限り、ナチ・イデオロギーには宗教的な側面が間違いなく含まれている。もっとも、それはナチスだけではなくて、どのような政治的理念も宗教的になっていく契機を孕んでいるということかもしれないが。ヘスの自己放棄ぶり、命令に対する忠義心は際立っていて、その点であまり一般的ではなくて特殊なのかもしれないが、しかし本当に特殊な例なのだろうか、という疑問も湧いてくる。ヘスのように命令に唯々諾々と服従する人間が多数いたからこそ、SSという機構が、ナチスという体制が成立したとも思えるからだ。――まあ、現代の日本とも、そんなに遠い話ではないのかもしれない。いわゆる「ネトウヨ」と言うか、政権与党を熱狂的に支持している連中ともあまり変わらないかもしれないね。
 ――ありきたりな言い分になっちゃうけれど、やっぱり批判的理性を働かせることが大事だと思うんだ。よく言われる言葉で一口に言うならばそれは、「自分で考える」っていうことなんだけど……でも、それが一番難しいよ。「自分で考える」ってどうやるんだって思う。――確かに。考えるって、どういうことなんだろうね。――と言うか、人は「自分で考える」ことなんて出来ないんじゃないか。「自分で考える」っていうのは、「他者とともに考える」っていうことと同じなんじゃないだろうか。――なるほど。こうやって話しているのもそうだし、本を読むのも一種の他者との対話だもんね。――そういう自分と違うものからの誘引がないと人間ってのは考えられないよね。――でも、例えば就活とかで、人気のある企業リストみたいなのが出て、それを見てこの企業がいいなとか決めるわけじゃん。ネームバリューがあるからとか。でもあれって自分では考えてないよね。外部の要素によって決めていて、自分の本当にやりたいこととそれは合ってないことが多い。それで入社して、思っていたのと違う、ってことになってつまずいちゃう人もいるんだよね。勿論、そういう挫折の経験を次に活かせるかもその人次第だし、なかには結局この会社に入って凄く良かったって感じる人もいるとは思うんだけど。――俺が就活をまったくしなかったのもそれでさあ。要は、俺は、面接で嘘を言うのに耐えられなかったんだよね。まあパニック障害の問題もあったんだけど、俺は、そもそも、働きたくなかったし(と大笑いする)、やりたいこともなかったし、だから特に興味のある企業もなかったし。でも、面接ってなると必ず、じゃあこの企業を選んだ理由を聞かせてくださいってなるわけじゃん。そこで俺の言うことは必ず嘘になっちゃうわけよ。その欺瞞ぶりに耐えられなかったっていうか……くだらないと思ったんだな。いや、くだらないなんていうと怒られちゃうけど(と笑う)。……そうすると、行けるのは公務員くらいかなってことで地元の市役所を目指したけど、それも結局興味がないから、勉強に身が入らず、当然落ちる。その後、文学なんてものにかかずらうようになって、まあ、今に至るわけだけど。
 ――あと今思ったのは、「他者とともに考える」ってことと、「他者に考えさせられる」っていうのは違うのかもしれない。Aくんの挙げたような例は、自己の主体性が欠けているよね。外部要因に凭れ掛かって、それによって考えさせられていると言うか、思考を誘導させられていると言うか。そこで、吟味するっていうことが重要になってくるんじゃないか。考えるっていうのは、吟味するっていうことなのではないか。その時、吟味の対象のなかには自分自身が入っていないといけないと思う。――吟味するっていうのは、例えば本を読んだ時に……。――例えばこのヘスの本を読んで、自分がどう感じたかっていうのを対象化する。相対化する。――自分が感じた、その感じ方を一段上から……。――そうそう。自分がヘスの考えのどこに共感したのか、あるいは反発したのか、細かく調べる。ヘスの考えを対象化するとともに、自分の考えや感じ方も同じように対象化する。それで自分にとって確かなことを求めると言うか。そういう風に、絶えず自分を吟味していくっていうのが考えるっていうことなんじゃないか。一言で言うと自分自身を疑うってことかな。ただ、そうしていくと、必然的に相対主義に落ち込むと思うんだけど、そこでその相対主義すらをも吟味する、この吟味の絶えざる連鎖が考えるっていうことなのかもしれない。
 Aくんは、ゾンダーコマンドーについても言及した。ヘスの手記のなかには、ガス室の清掃だとか死体の処理だとかを担わされた特殊部隊のユダヤ人たちが、自分もいずれは殺されるという事実を当然承知していながら、しかし虐殺に「熱心に協力」したと述べている場所がある。――あれはぞっとしたな。あの、特殊部隊の人が、死体のなかに自分の奥さんだかの顔を見つけて、一瞬ぎょっとするんだけど、そのあと何ともない風になるっていう……それは、何なんだろう、やっぱり無感覚になっちゃうのかな。――無感覚……それもあるかもしれないけど、でもあれはヘスが言っていることだからね。――それは確かにそうだ。――外見からはわからないよ、その人が本当はどう感じていたかなんて。……それに、ゾンダーコマンドーの人たちも、屈辱を、絶望的な恥辱を感じているわけだよやっぱり。それで、どこかから紙を入手してきて、そこに言葉を書いてさあ、誰かに伝えなきゃいけないって思ってるからね、それを死体のなかに隠したりするんだよね。それが発見されたりしているらしいんだけど。……それで言うと、語っておくべきエピソードが一つある。クロード・ランズマンっていう映画監督の、『ショアー』っていう作品がある。九時間もある長いものなんだけど、それはホロコーストを生き延びた人々の証言を収録したもので、そのなかにこういう話がある。ある床屋の人が、友達の、囚人の髪を切る仕事をしていた床屋の人について語るんだけど……ガス室に入る前に、髪を切るわけよ。そこに連れてこられたユダヤ人たちは何も知らない。自分が今から殺されるっていうことを知らないんだ。今からシャワーを浴びるんだ、とその床屋は言う。俺はユダヤ人だ、同じユダヤ人の仲間の言うことなら信用できるだろう、って。そういう説得の役目をやらされているわけだ。それでガス室に入る前に、抑留者たちの髪を切る。その髪の毛は、繊維産業に売られて、製品の材料になったりしているわけよ。切られた女性たちの髪の毛が、アウシュヴィッツの博物館に展示されているらしいね。それで、床屋は髪を切っていたんだけど、ある時、自分の妻と子供がそこにやってくる。囚人の一員として。でも、どうしようもないわけよ。今からお前たちは殺されるんだって言っても、逃げることも出来ない。自分も一緒になって逃げるとしても、何も変わらない、殺されるのが二人になるか三人になるかの違いしかない。それで、証言者の床屋は、その友達の床屋について言うんだ、あいつはよくやった。あいつは本当によくやったんだ、自分に出来ることを最大限やったんだって。あいつは普段、一分も掛けないで髪を切っていた……でも……(とここでこちらは感極まってしまったと言うか、涙を催してしまい、言葉を詰まらせ、涙声になる)ごめん、泣けてきちゃったんだけど……(声がうまく出ず、長い間を置きながら)奥さんの時は……三分掛けてやったんだ、って……。Aくんは神妙そうな顔で黙り込み、卓上にはしばらく沈黙が流れた。
 こちらは泣いてしまったことに対する照れ隠しのようにして、久々に泣いたわ、と口にし、手帳をめくった。Aくんはしばらく黙っていたあと、ぽつりと、それは重い……重すぎるね、と言った。こちらは、それじゃあ『これは人間か』のなかで最も感動的だったシーンを紹介しようかと言って本をひらき、例の、レーヴィが仲間のジャンというピコロ(使い走り)に対して「オデュッセウスの歌」の講釈をする場面を読んだ。

 さあ、ピコロ、注意してくれ、耳を澄まし、頭を働かせてくれ、きみに分かってほしいんだ。

  きみたちは自分の生の根源を思え。
  けだもののごとく生きるのではなく、
  徳と知を求めるため、生をうけたのだ。

 私もこれを初めて聞いたような気がした。ラッパの響き、神の声のようだった。一瞬、自分がだれか、どこにいるのか、忘れてしまった。
 ピコロは繰り返してくれるよう言う。ピコロ、きみは何といいやつだ。そうすれば私が喜ぶと気づいたのだ。いや、それだけではないかもしれない。味気ない訳と、おざなりで平凡な解釈にもかかわらず、彼はおそらく言いたいことを汲みとったのだ。自分に関係があることを、苦しむ人間のすべてに関係があることを、特に私たちにはそうなのを、感じとったのだ。肩にスープの横木をのせながら、こうしたことを話しあっている、今の私たち二人に関係があることを。
 (プリーモ・レーヴィ/竹山博英訳『これが人間か』朝日新聞出版、二〇一七年、145)

 それでこの場面に対するこちらの解釈と言うか感想を述べたのだけれど、それをここに再構成する気力はもはやないし、そもそも日記にも一度書いたことでもあり、『これが人間か』の感想を近いうちにアップしようとも思っているので、ここには繰り返さない。その他『アウシュヴィッツ収容所』について話したことも、大体は感想文に含まれていると思うので、ここには記さない。ただ一つ、栗原優『ナチズムとユダヤ人絶滅政策 ―ホロコーストの起源と実態―』のなかの重要な論旨を紹介することはした。それは、ユダヤ人大虐殺というと従来はナチズムの非合理性を表す代表的な行いのように思われてきたが、栗原氏の考えではむしろそれは行き過ぎた合理主義、人間の価値や生命よりも能率を上位に置くという、一線を越えた合理主義の産物なのだという考え方だ。プリーモ・レーヴィは『これが人間か』の終わりに付録のようにして収録されている「若い読者に答える」という文章のなかで、「ナチの憎悪には合理性が欠けている」(254)とはっきりと述べている。これら両者の考え方は一見対立するようだが、実は同じことを言っているのかもしれない。と言うのも、どちらもナチズムが通常の合理性では測れず、その枠を超え出たものであるという点に関しては一致しているからだ。
 そのほか、最近の日韓関係の悪化に対して実に短絡的に反応している人々の発言がSNS上に見られて、さすがに気が滅入ると言うか、短絡的で性急な空気が社会全体に醸成されつつあるような感じがしてどうも居心地が悪い、といったような話もした。五時半頃まで話しこんで、それで書店に行くことになった。席を立ち、個別でそれぞれ会計を済ませ、店を出ると、Aくんはトイレに行くと言った。それで鏡に自分の姿が映っているのを瞥見したりしながらしばらく待ち、Aくんが戻ってくると共に階段を下りて外に出た。道を歩きながらAくんは、凄く眠いと言って、今日は実は四時くらいから起きているのだと明かしてみせた。聞けば、サイクリングに行っていたのだと言う。多摩川沿いを走るのだが、雨の日は当然辛いのでサイクリングは出来ない。雨の翌日も水溜まりがそこここに出来ていて、その上を自転車で勢い良く通ると水が跳ね上がり、背に負ったリュックサックが汚れてしまうので避ける。さらには晴れの日であっても、川沿いの道というのは日蔭がほとんどなく、常に太陽に照らされているような具合なので、日中に走ると熱中症になってしまいかねない。仕事との兼ね合いや自分の体力の問題もある。というわけで、走れる条件の揃う時日は限られているのだが、ここのところ梅雨などでしばらく――一か月か二か月と言っていただろうか――行けていなかったところ、今日の早朝に久しぶりに走りに行ったのだということだった。そこまで聞いた頃には我々は駅舎入口のエスカレーターを上り、北口広場に出て、そこから高島屋方面への通路に入ったところだった。風が強く吹いていた。前からやっていたんだっけ、とサイクリングについて訊くと、色々な人に話しているから誰に話したかわからなくなってしまい、もしかしたら話していなかったかもしれないけれどそうなのだという返答があった。発端は、しまなみ海道だったと言う。一度、中国から四国へと――あるいはその反対だったかもしれないが――自転車で渡ろうと挑戦したことがあったのだが、その時、途中で「ぶっ倒れた」。体力が追いつかず、中途でダウンして、道端で気を失いかけていたところをタクシーの運転手に助けてもらったのだと言う。それで、これは自分、体力がなさ過ぎるだろうということで、リベンジを目指して身体を鍛えはじめた。ジムに通いはじめたのもその一環である。それで、去年だったか一昨年だったかリベンジを果たしたのだったが――しかも今度は往復をしたのだが――身体を鍛えたおかげで自分はこの程度の負荷で倒れたのかと拍子抜けするほどだったと言う。それ以降もたまに走りに行っているとのことである。歩道橋を渡りながらAくんは、脚はかなり鍛えられたと誇った。何でも、初めてジムに行った時は、レッグプレスと言ったか、脚の力で錘を持ち上げるような機械があるらしいのだけれど、それが五五キロ程度しか持ち上げられなかったところ、今では一八〇キロを持ち上げていると言う。凄いな、三倍ではないかとこちらは驚愕した。
 そうして高島屋に入り、エスカレーターを上って淳久堂書店へ。次回の課題書を何にするか、大まかな方向性すらも決めずに来てしまったのだが、とりあえず海外文学を見に行くかと合意して、フロアを歩いた。そのあいだAくんには、モスクワから東京へ帰る飛行機のなかで出会ったブラジル人、Jのことを告げて、メールアドレスを教えたら本当にメールが来たのだと話した。海外文学の棚に着くと、まず最近発売されたと言う『プリーモ・レーヴィ全詩集』を探し、発見した。そのほか、プリーモ・レーヴィの作品は、以前からこちらの興味を引いている『周期律――元素追想』があり、さらに、これは今回初めて気づいたものだが、『リリス』も発見された。欲しいなあ、欲しいなあと言いながら手に取ってめくるが、まだ決断はせずに棚に戻す。Aくんはパスカルキニャールの著作を確認した。そのほか、宇野邦一による新訳のベケットも確認していると、Aくんは、Fはあれ読んだの、あの、ゴドー……と漏らすので、『ゴドーを待ちながら』か、と受けて、読んでいないのだと答えた。『ゴドー』なら、白水社Uブックスから出ていたと思う、と言って棚の端に移動し、件のシリーズの並びを確認すると、果たして発見された。それをAくんに渡して見てもらったあと、どうしようかと言ってフランス文学の棚に戻り、新訳のベケットをふたたび見分したのだが、しかしこれはこちらは良いけれど、多分Nさんには厳しいだろうとこちらは笑った。それで、韓国の本でも良いかもしれないなとこちらは口にした。喫茶店にいるあいだ、日韓関係について話し、両国間の歴史問題についても勉強したいねと言っていたところだったので、そうした歴史の本でも良いかもしれないとの意図だったが、Aくんは文学のことだと思ったらしく、『カステラ』みたいな、と受けた。パク・ミンギュ『カステラ』という韓国作家の小説を以前、会で読んだことがあったのだ。こちらも文学でも勿論良いので、韓国文学の区画に行くと、ハン・ガンの名前が目に入ってきて、そう言えばこの人も評判が良いと思い出して言った。『回復する人間』が表紙を見せて置かれていたが、『すべての、白いものたちの』も評判が良かったと探し出し、それをAくんに手渡すと、なかを見分した彼は、良いんじゃないかと思いますと言ったので、次回の課題書はそれにすることに決定された。
 それから海外文学をまた少々眺めたあとに、思想の棚に行っても良いかと了解を取ってフロアを移動した。それで思想の区画を、表紙を見せて陳列されている新刊本を中心に見分したのだが、積読がいくらでもある現状、敢えて購入して手もとに持っておきたいと思うほどに惹かれる著作はなかった。それでも、以前からの興味の範囲内だが、スーザン・ソンタグエドワード・サイードなどは気になった。ソンタグの論集、『サラエボで、ゴドーを待ちながら』があったので、以前図書館で借りてそれを読んだことのあるこちらは、これも感動的だった、NATO空爆下の状況で、『ゴドーを待ちながら』を演じているのだ、と紹介した。感心のような吐息を漏らしたAくんは、でも、ほかにやることあるだろとも思うよねと言うので、しかし、プリーモ・レーヴィ『これが人間か』について話したこととも繋がるけれど、現地の人々が、そういう状況下でも文化活動を絶やしたくないと言って、ソンタグに演出の依頼をし、それで彼女は飛んでいったのだと事情を説明した。それは、戦争下にあっても尊厳のある人間といてありたいという望みだろう。
 それから韓国史の区画に行った。何年か前に吉野作造賞か何かを取った、何とか言う日韓の歴史問題についてまとめた本があったはずだが、と覚束ない記憶を頼りに棚を見分したが、それらしきものは見当たらなかった。書店にいるあいだは著者名も著作名も思い出せなかったが、こちらの念頭にあったその本というのは、木村幹『日韓歴史認識問題とは何か』というものだった。そのほかにもいくつか、同じようなテーマの興味を惹かれる著作はあったが、特にメモを取ったりすることはなかった。ある程度見分したところで、わかりました、とAくんに向けて重々しく頷き、行くかと告げて歩き出した。最後に、文庫は見ていく? と訊くと、講談社学術文庫だけ見ても良いかと言うので勿論了承し、文庫の区画に移動した。こちらは岩波現代文庫を見分して、前回の読書会のあとに初めて見つけたヨッヘン・フォン・ラング編/小俣和一郎訳『アイヒマン調書 ホロコーストを可能にした男』を購入することに決断した。それで講談社学術文庫の棚の前にいるAくんのところに行くと、彼も色々と興味の惹かれる本はあるのだろうが、今日は見送ることにしたようだった。こちらは、俺は『周期律』を買うぞ、と笑いながら大きく宣言して歩き出し、海外文学の書架に至ってプリーモ・レーヴィ/竹山博英訳『周期律』を棚から取り出して、それで会計へと向かった。
 計三冊で六四三七円を支払い、Aくんと合流すると、リュックサックにビニール袋に入れられた本を収めて、エスカレーターに乗った。ルミネの上層階にある店で寿司でも食おうということになっていた。立川は今日、祭りが催されているらしく、ビルの外に出て高架歩廊を行くと、表通りの方から太鼓の音や、神輿を担いでいるか山車を引いているかしているらしい男たちの掛け声が聞こえてきた。そのなかを駅まで歩いていき、駅舎に入るとさらにLUMINEに入って、エスカレーターを何階も上って行った。八階に至り、寿司屋の前まで来ると、休日で飯時――既に七時頃だった――だし、絶対に混んでいるだろうと思っていたところが、待っている人は全然おらず、店内を覗いても席に空きが見える。店の前に立っているメニュー看板をちょっと見てから、入店した。店名は「築地玉寿司」である。テーブル席に通されて、メニューをひらいた。こちらは「ばらちらし」にすると決めていた。Aくんは、「築地マグロ握り」というセットを選んだ。こちらはちらし寿司に加えて握りもいくつか食うことにして、づけまぐろ、炙りサーモン、カンパチ、コハダを選んだ。本来は食べ放題用の用紙だったらしいが、テーブルに備え付けられていた注文表に欲しい品を記入して店員に渡した。
 茶を飲みながら、最近どう、と出し抜けに、不躾に尋ねると、いや、今年は激動の年になりそうだという返答があった。訊けば、家を買うのだと言う。マンションの一室である。それで、今日の午前中もモデルルームを見に行っていた。フローリングにするとか棚をつけるとか、オプションが色々とあるらしく、それを決める必要があったのだ。つけないと、かなり殺風景になるらしいが、それで当然だがまたいくらか掛かる。
 さらには、転職することにもなった。一一月一日からだ。まあ、向こうから具合の良い話がやって来て、決断することになった。加えて、入籍もする。元々、近々入籍はするつもりだったのだけれど、Nさんの方で不幸があった。母方の祖父が亡くなったのだが、あちらの家庭がそうしたことを多少気にする家なので、いくらか期間を空けないといけない。調べてみると、母方の祖父だと三か月くらいが妥当らしい。亡くなったのは七月末なので、一〇月末まで延期、一一月に籍を入れることになるだろう。
 ――転職は、話が向こうから来たと言うが、一体どういう伝手でやって来たのか。
 ――職場に電話が掛かってきた。取ったのは同僚だったのだが、先方はSと名乗った。どちらのS様ですかと訊くと、Sと言えばわかると言う。それで替わってみたところが、相手は転職支援会社のエージェントで、当然自分の知己ではない。どこから調べたのか知らないが、あなたの経歴を見て力を貸してほしいという企業がある、話だけでも聞いてくれないかと言われた。それで、まあ損するものでもないし、話くらいは聞いてみるかという気になった。
 ――新しい仕事はどんな職なのか。
 ――いくつか候補があったなかから決めたのだが、販促資料や広告を代行して作るような会社で、今と内容としてはあまり変わらない。今まではインタビューをして、その企業のことを自分がある程度汲み取って書いていたけれど、今度はれっきとした顧客がいて、そちらの意図をきちんと聞いて代弁するということになるので、今よりは詳しく話を聞くようになるかとは思う。
 そうした話をしている最中に寿司がやって来て、こちらはAくんが話すのをうんうん頷きながらあっという間に寿司と、付属した茶碗蒸しにアオサの味噌汁を喰らってしまった。Aくんは、こちらに近況を説明しながら間を見つけては握り寿司を口に運び、ゆっくりと食べている。彼は飯を食うのがかなり遅いと自認しているのだが、それは食事中によく喋るからだろう。こちらは食事中はあまり喋らず、聞き役に徹することが多いので、食べるのは多分わりあいに速いほうだ。
 ――転職があるので、銀行から金を借りることが出来ない。源泉徴収票を出せないからだ。それでNさんに借りてもらうことになっている。また、税金対策のために、両親から五〇〇万円ずつ借りることになっている。正式な借用書も作る。五〇〇万円というのは、借用書に収入印紙というものを貼らなければならないのだが、それが五〇〇万円までなら二〇〇〇円で済むところが、五〇〇万円を越えると途端に二万円に値段が跳ね上がるからだ。だから、例えば父親一人から一〇〇〇万円借りるよりも、二人に分けた方が安くなる。加えて、年に一一〇万円までなら贈与税が掛からないので、それも自分の口座に移してもらう。そして、その金を使って月々いくらかずつ借りた金を返済していく。マネー・ロンダリングみたいなものだが、とAくんは笑う。こちらにはよくもわからないが、そういう形で税金を支払わずに済むらしい。
 彼がものを食べ終える頃から、互いのブログについて話した。そう言えば、全然関係ないんだけれど、とこちらはそれまでの話の文脈を断ち切り、noteというクリエイター向けSNSがある、そこにも日記を投稿しているのだと明かした。それで、一記事一〇〇円を設定して投げ銭システムを取っている。すると一人、金を払ってくれる人が先日現れた。俺の文章は累計で、今、一二〇〇円の経済的価値を生んでいる、と笑うと、Aくんも凄いな、と笑ってくれた。まあ第一歩だね、とこちらは言い、一〇〇年後は俺の名前ちゃんとウィキペディアに載ってるから、「世界一長い日記を書いた人間」として、と大言壮語を吐いて大笑いした。Aくんもブログをやっている。それは、やたらと長々しくそれだけで読む人を選ぶこちらの日記とは違い、本人の使った言葉を借りれば「大衆向け」と言うか、本や映画の内容などをわかりやすく、通り良くまとめているものである。検索対策だとか、広告の導入だとか、フリー素材から画像を拾ってきて記事に付加したりとか、色々と試行錯誤をしていると言う。こちらは良くも知らないが、いわゆるSEO対策とかいうやつだろう。頑張っているのだが、結局、Google Analyticsなどの分析を見てみると、読まれているのはAくんが力を入れて書いた記事よりも、むしろ適当に綴った筋トレについての記事の方だったりするのだと言う。彼は城が好きで、ゴールデン・ウィークにも中国とか四国の方の城を行脚して来たのだが、これは誰も書いていないだろうというような城についてまとめて記事にしてみても、意外とライバルがいて、検索してみても自分のブログは上位に出てこないのだと言う。まあでも何はともあれ、Fが前から言っていることだけど、とにかく続けることだと思うから、と彼は言うので、こちらも頷き、まあまずは一年でしょ、と受ける。一年、そして五年、そして一〇年だね、と続けると、うわ、今の言葉、ちょっと肝に銘じておくわ、とAくんは笑った。
 九時頃まで話して、そろそろ行くか、となった。席を立ち、それぞれ会計を済ませて店舗の外に出て、トイレに行った。用を足してからビルの外に出ようとしたが、エスカレーターは既に停まっていたので、エレベーターの方に向かった。エレベーター前に着くと、ちょうど下りのエレベーターが来たところだったので、周りの人々とともにそれに乗り込む。そうして二階まで下っていき、室内から出て、ビルからも退出した。人々の群れのなかを改札へ向けて歩いていき、駅構内に入って天井から下がった電光掲示板を眺めると、Aくんの乗る電車はあと一分で発車するところだった。もう行くわ、と彼は言って、お疲れさまですと手を挙げてきたので、有難うと礼を言って別れた。こちらは青梅線ホームへ行き、二番線の青梅行きの先頭車両に乗り込んだ。乗ると、車両の端にある車椅子に乗っている人などのための手摺りがついたスペースに男女がいた。女性は立っているが、ソフトモヒカンのような髪型で褐色の肌の、いくらかやんちゃそうな男性の方は女性の足もとにしゃがみこんで、俯きながら女性の脚を両腕で抱くようにしていた。具合が悪いのだろうか。酒を飲みすぎて、気持ちが悪い、とかだったのだろうか。その後、車椅子の人が乗ってきたので、二人は優先席の方に移動していた。
 こちらは扉際に立ち、手帳を眺めて青梅までの時間を過ごした。着くと降りて、奥多摩行きに乗り換えた。じきに最寄り駅に到着し、降りて駅舎を抜け、家路を辿った。家に着いたのは一〇時過ぎだったと思う。自室に帰って服を脱いでから、インターネットを少々眺めたのち、風呂に行った。湯浴みして出てくると下階に帰った。さすがに疲労していたので、日記を書かねばならないとわかっていながらも、そうする気にならなかった。それでも零時前になるとそろそろ取り組まねばなるまいというわけで、助走としてまずルドルフ・ヘス/片岡啓治訳『アウシュヴィッツ収容所』の書抜きをすることにした。二〇分ほど打鍵をして、その勢いでそのままこの日の日記を記しはじめた。そうして三時間弱、午前三時前まで綴ったが、多分一万字も書けなかったと思う。三時になる前に就床した。長い時間外出して疲れたので、今日はさすがに眠れるだろうと思った通り、入眠には苦労しなかったようだ。


・作文
 4:08 - 5:13 = 1時間5分
 24:05 - 26:49 = 2時間44分
 計: 3時間49分

・読書
 5:24 - 6:02 = 38分
 23:42 - 24:04 = 22分
 計: 1時間

・睡眠
 2:45 - 3:20 = 35分
 7:00 - 12:00 = 5時間
 計: 5時間35分

・音楽