2019/8/26, Mon.

 死んだというその事実から
 不用意に重量を
 取り除くな
 独裁者の栄光とその死にも
 われらはそのように
 立会ったのだ
 旗に掩われた独裁者の生涯は
 独裁者の死と
 いささかもかかわらぬ
 遠雷と蜜蜂のおとずれへ向けて
 ひとつの柩をかたむけるとき
 死んだという事実のほか
 どのような挿話も想起するな
 犯罪と不幸の記憶から
 われらがしっかりと
 立ち去るために
 ただその男を正確に埋葬し
 死んだという事実だけを
 いっぽんの樹のように
 育てるのだ
 (『石原吉郎詩集』思潮社(現代詩文庫26)、一九六九年、57~58; 「オズワルドの葬儀 ローズ・ビル墓地でのリー・オズワルドの葬儀は二〇分で終った」全篇; 『いちまいの上衣のうた』)

     *

 「もしあなたが人間であるなら、私は人間ではない。もし私が人間であるなら、あなたは人間ではない。」
これは、私の友人が強制収容所で取調べを受けたさいの、取調官に対する彼の最後の発言である。その後彼は死に、その言葉だけが重苦しく私のなかに残った。この言葉は挑発でも、抗議でもない。ありのままの事実の承認である。そして私が詩を書くようになってからも、この言葉は私の中で生きつづけ、やがて「敵」という、不可解な発想を私に生んだ。私たちはおそらく、対峙が始まるや否や、その一方が自動的に人間でなくなるようなそしてその選別が全くの偶然であるような、そのような関係が不断に拡大再生産される一種の日常性ともいうべきものの中に今も生きている。そして私を唐突に詩へ駆立てたものは、まさにこのような日常性であったということができる。
 (100~101; 「三つのあとがき」; 「2」)


 一〇時起床。上階へ。母親は仕事で不在。洗面所で顔を洗ったあと、冷蔵庫を覗くと、前夜の残り物らしく様々な品があった。そのなかに茄子と豚肉の炒め物があったので、取り出して電子レンジに入れ、回しているあいだに便所に行って放尿する。戻ってくると米をよそって、卓に就いて飯を食う。味付けの染みている茄子をおかずに白米をもぐもぐと咀嚼する。そうして食べ終えると冷蔵庫で冷やされた水をコップに汲み、抗鬱薬を服用して、それから皿を洗った。続いて、風呂場に行って浴槽も洗う。壁から生え出ている銀色の手摺りを掴んで体重を預けながら、ブラシでごしごしと壁面を擦る。出てくると下階へ。
 日記を書く気力が湧かなかった。不可避的に長くなってまだまだ終わらないことがわかっていたからだ。それでしばらくだらだらと過ごしたが、やはり書かなくてはというわけで、まずは助走代わりに書抜きをすることにした。ルドルフ・ヘス/片岡啓治訳『アウシュヴィッツ収容所』である。cero『Obscure Ride』を流して、歌を歌いながら一箇所を書き抜き、正午を越えると日記に取り掛かった。そのまま二時間。しかしまだ喫茶店にいるあいだのことすら終えられていない。途中、一時四〇分くらいになった時点で、雨が降り出した音を窓外に聞きつけて、急いで部屋を出て階段を上がり、ベランダの洗濯物を取り込んだ。
 二時間のあいだコンピューターの前に座って身体を固めて打鍵しているとさすがに疲労したので、文章作成は一旦切りとして、ベッドに転がって休むことにした。ただ休むだけでは勿体ないので同時に本を読もうと思ったところが、ベッドに移って枕とクッションに身や頭を預けて脚を伸ばすと、すぐに目が閉じてしまった。そのまま結局、三時半まで、眠りに落ちることはなかったが、本をひらくこともなく静かに休息を取った。たった二時間書いただけで休まなければならないのだから、自分はよほど体力がない。世の勤め人は朝から晩まで、あまり休憩もなしにずっと働いているのだから本当に凄いものだ。勤め人だけではない。例えば主婦の人々だって、洗濯に掃除に炊事に買い物にと家事に追われてさほど休む暇もないだろう。彼ら彼女らに比べると、自分はよほど怠惰に生きているような気がする。
 三時半に至ったところで身を何とか起こし、食事を取るために上階に行った。冷蔵庫のなかからサラダの入ったプラスチックの細長い容器と、ホットケーキを取り出し、ケーキは電子レンジに入れて加熱した。そのほか、ゆで卵。卓に就くと酸味の強めのジャガイモのサラダを口に運び、レタスも一緒に口に入れ、レタスとジャガイモの仕切りになっていたハムも二枚重ねたまま食べる。そのあと、ホットケーキにメイプルシロップを掛けて箸を使って食べた。雨は一時止んでいたようだが、今、ふたたび降りはじめて、静かに、しかし急速に勢いを強め、直線的に鋭く落ちて空間を埋め尽くしていた。ゆで卵まで食べ終えると台所に食器を放置して、勝手口の外から燃えるゴミのゴミ箱や生ゴミを封じておく薄黄色のバケツをなかに入れておき、そうして下階に帰った。歯磨きをしてから上階に戻り、髭を剃ろうと思ったのだが、髭剃りの充電が切れていたので電源に繋いでおき、階段を下りて自室に戻ると仕事着に着替えた。そうして四時過ぎから日記を書き出して、ここまで一〇分足らずで書き足した。
 準備をして出発。上階に行って玄関を出ると、雨がぱらぱらと弱く降っていた。傘を持つほどではない。降雨のために蟬も勢力を弱めて、林から飛び出してくるのはツクツクホウシの声のみだった。西に向かい、十字路から坂道に入ってもやはり蟬時雨は散り消えてしまい、撥条仕掛けが弾かれるようなツクツクホウシの鳴きばかりが梢から落ちて、アブラゼミやミンミンゼミはほとんど聞こえない。
 駅に着くと雨がやや強まったようで、屋根を打つ雨粒の音が辺りに拡散する。それで手帳を読みながら屋根の下から出ず、いつもとは違う最後尾の車両に乗った。青梅に着いて降りると、塾の生徒である(……)さんが待合室の傍に立っていた。挨拶をすると、昨日も最寄り駅にいたかと尋ねられ、オレンジのズボンで本を読んでた、と続くので、それは俺だなと肯定した。家がこちらの方なのかと訊くと、最寄り駅がこちらと同じらしい。それで別れてホームを移動し、まだ職場に行くには早いので電車に乗って涼しいなかで手帳を読むことにした。席に座って目を閉じながら情報を頭のなかで反芻しつつ過ごし、奥多摩行きが発車間近になると降りて、職場に向かった。
 今日の勤務は二時限である。一コマ目は(……)くん(中三・国語)と、(……)くん(中一・国語)。まあ概ね問題はない。二コマ目は(……)(高三・英語)、(……)くん(高二・英語)、(……)さん(中三・社会)。こちらも大体問題はないが、歴史は説明することが多くてなかなか疲れる。それでも今日は、時間を取って間違えた問題を覚えさせるというプロセスを取り入れたので、まだ余裕を持てたようだった。
 九時半頃退勤。駅に入ると奥多摩行きはもう発車間近だったので、コーラを飲んでいる余裕はなかった。最寄り駅で飲もうと考えながら最後尾の車両に乗り、そのなかでもさらに一番後ろの扉際に立って手帳を取り出した。じきに発車し、最寄り駅に到着すると降りて、ホームを歩いて自販機で二八〇ミリリットルのコカ・コーラを買った。釣り銭を取る開口部のなかが濡れていた。ベンチには先客がいた。前屈みになってスマートフォンを弄っているサラリーマンらしき男性である。こちらもベンチに座って、渇いた身体にコーラを流し込んだ。手帳を見ながら飲み終えるとペットボトルをダストボックスに捨て、駅舎を出て帰路に就いた。
 帰宅して居間にいた父親にただいまと言う。母親は風呂に入っているところだった。ワイシャツを脱いで洗面所の籠のなかに入れておき、自室へ戻ると着替えて上階に引き返した。食事はカレーである。テレビは最初、いじめや不登校などについて話し合うような番組を流しており、中川翔子などが出演していた。そのうちに、風呂から出てきた母親が番組を変えて、一瞬だけ二四時間テレビが映し出される。誰だかがマラソンをしていたようだが、特段に興味はない。その後、録画されていたらしい音楽番組に移って、徳永英明がインタビューされていた。徳永英明にも特段の興味はないが、食べ終えても席に就いたまま何となく番組を眺めた。その後皿を洗ったのちに、風呂に入る前にシャツやハンカチにアイロンを掛けた。
 そうして入浴。出てくるとパンツ一丁で自室へ戻り、一一時五〇分から助走代わりに書抜きを行ったあと、日記に取り掛かった。読書会があった前日の記事を仕上げようと邁進したのだが、二時まで掛かってもあと少しのところですべては終わらなかった。そこで切りとして、ベッドに移り、栗原優『ナチズムとユダヤ人絶滅政策 ―ホロコーストの起源と実態―』を読みはじめたが、いくらもしないうちに力尽きた。気づくと四時半頃だったようだが、その時の記憶はもう残っていない。


・作文
 12:07 - 14:07 = 2時間
 16:05 - 16:25 = 20分
 24:24 - 25:57 = 1時間33分
 計: 3時間53分

・読書
 11:53 - 12:07 = 14分
 23:50 - 24:24 = 34分
 26:01 - ? = ?
 計: 48分+?

・睡眠
 2:50 - 10:00 = 7時間10分

・音楽