私は、人間はどんな場合にも、人間としてのみかかわりあうべきものだと考えます。そのばあい私たちを結びつける真実の紐帯となるものは、その相互間の安易な直接的な理解ではなく、それぞれの深い孤独をおたがいに尊重しあうことであると考えます。そのような場合にのみ、私たちは人間として全く切りはなされた状態でありながら、しかもその全体の上に深い連帯が存在しうると考えることができます。いずれにしてもそのような連帯は墳墓と儀式、慣習と血族意識とを核として成立する連帯とは全く別のものでなくてはなりません。
(『石原吉郎詩集』思潮社(現代詩文庫26)、一九六九年、123; 「肉親へあてた手紙 一九五九年十月」)*
どうぞ、ここにのべた内容の中で理解できるものは理解し、理解の困難なものは、そのままのかたちにしておいて下さい。自分の理解の領域にないものを、ただちに許すべからざる異質なものとして拒むという態度をおとりにならないでください。もし私に、これからのちも人間としての成長が許され、あなた方にも、それ以上の精神の深まりがあるならば、いつかは私たちは、相互の立場の間におかれた深い断絶をそのままのかたちで承認しあい、その上で何よりもまず、人間としてのつながりが回復する時があるはずですし、またそうなければならないと信じています。
人間が蒙るあらゆる傷のうちで、人間によって負わされた傷がもっとも深いという言葉を聞きます。私たちはどのような場合にも一方的な被害者であるはずはなく、被害者であると同時に容易に加害者に転じうる危険に瞬間ごとにさらされています。そういう危険のなかでなおかつ人間の間の深い連帯の可能性(それはまだ可能性であるにすぎず、おそらくは可能性のままであるかも知れないのですが)、そのような可能性を見うしなわないためには、人間はそれぞれの条件的な、形式的な結びつきから一度は真剣に自分の孤独へたちかえって、それぞれの孤独のなかで自分自身を組み立て直すことが必要であると思います。深い孤独の認識のみが実は深い連帯をもたらすものだという逆説を深くお考えになってください。さらにまた、その連帯は、死者との連帯の方へ向けられるのではなしに、生きているもの、問題と痛みを担って現に生きているものとの連帯へ向っての前向きのものでなければならないということも心の中にとどめておいていただきたいと思います。「死者は死者に葬らせよ」という聖書の言葉は、おそらくはこのような裏がえしの意味のなかで、はじめて深い光を放つ言葉であろうと思います。
(132~133; 「肉親へあてた手紙 一九五九年十月」)
九時起床。夢のなかで書店におり、そこに古井由吉の日記が売られていて、こんなものが発刊されたのかと興奮していたのだったが、夢に過ぎなかった。起き上がると生理現象で股間が膨張していたので、それが収まるのを待つあいだにコンピューターを点けて、Twitterを眺めた。それから上階へ行き、母親に挨拶すると洗面所で顔を洗い、さらにぼさぼさと伸ばしっぱなしになっていた髭を電動髭剃りで当たった。それから冷蔵庫を覗くと、ホットケーキやカレーの残りなどがあったけれど、それらはのちに出勤前に食べることにして、今はシンプルにご飯と即席の味噌汁で食事を取ることにした。それで椀に炊けたばかりの白米をよそり、味噌汁用の椀には小さな袋から蜆の混ざった即席の味噌を絞り出し、卓に就いた。米には緑黄野菜ふりかけを掛けて食べる。その頃には既に母親は着物リメイクの仕事へと出掛けていた。
ものを食べ終えると抗鬱薬を飲んで食器を洗い、そのまま風呂も洗った。そうして下階に下ったが、例によってすぐさま日記に取り掛かる気にならず、インターネットをだらだらと回って時間を潰してしまい、一一時前からようやくキーボードに触れはじめた。まずは助走代わりに書抜き、ルドルフ・ヘス/片岡啓治訳『アウシュヴィッツ収容所』の文章を写していく。音楽はFISHMANS『Corduroy's Mood』を流した。そうしてそれが『Oh! Mountain』に移行する頃、一一時を過ぎて、前々日の日記に取り掛かりはじめた。二〇分ほどで累計二万字ほどになった記事を仕上げて、インターネット上に投稿した。ついでに、プリーモ・レーヴィ/竹山博英訳『これが人間か』の感想記事も投稿しておき、そうするとまださほど打鍵していないのに、早くも疲労感が蟠って身体全体がこごったように重くなっていたので、ベッドに移った。読書をしながら休もうと思ったのだが、本をひらかないうちに眠りに落ちてしまった。そうして断続的に、切れ切れの眠りを二時四五分まで過ごすことになった。
何とか起き上がり、上階に行くと、食事を取ることにした。冷蔵庫からピーマンや人参などの野菜と、ホットケーキとゆで卵を取り出し、ホットケーキは電子レンジへ。温めてから卓に就き、新聞を読むでもなくテレビを見るでもなく黙々とものを食った。そうして食器を洗うと、上階に上がってきた時点で取り込んでおいた洗濯物を畳みはじめた。タオルや肌着を畳んで、タオルは洗面所へ持っていき、肌着はソファの背の上に置いておいて、それで下階に戻った。自室に入ると、日記を書かねばならないのだが、またTwitterを覗いてしまい、あいちトリエンナーレ周りの論議など追って時間を費やしてしまい、気づいた時には四時が近くなっていた。まだ前日の記事も終えられていないが、まずは着替えようということでワイシャツにスラックスの姿になり、歯磨きをしたあと、ようやく四時を回ったところでこの日の日記を書きはじめた。それで既に四時二〇分なので、そろそろ出勤しなければならない。
荷物を持って上階に行き、玄関を抜けてポストに近寄ってなかの夕刊を取ろうとしていると、母親がバイクで帰ってきた。行ってらっしゃいと言いながら家の横の小坂を下っていくのに無言で視線を向けて、夕刊を瞥見してから玄関内の台の上に置いておくと、道に出て出発した。歩いて行く方向、西の空を見上げると、頭上は一面偏差のない白さに均されており、比較的涼しさが感じられた。それでも坂を上って駅に着く頃には、やはり汗が湧いている。ホームで今日は手帳を取り出すのではなく、携帯を出して、まだ日記に書けていない前日の事柄をメモしはじめた。まもなく電車がやって来たので先頭車両に移動して乗り、青梅に着いて人々が捌けていくのをやり過ごすと席に座った。そうして五時過ぎまで、記憶を思い起こしながら携帯をかちかちと操作して、前日のことを綴ると、電車を降りて職場に向かった。
この日は二コマの授業である。時間にかなり余裕があったので、高校生の現代文のテキストをたっぷりと、ゆっくりと読むことが出来た。そうして一コマ目の相手は、(……)さん(小五・国語)、(……)さん(中三・国語)、(……)さん(中三・国語)。(……)さんは三〇分ほど遅れてやって来たが、理由はいちいち訊かなかった。真面目で、いつも教室を退出する際にはお辞儀をしてくれる礼儀正しい子なので、止むに止まれぬ事情があったのだろう。授業は主語と述語の見つけ方を確認。(……)さんは今日は作文をやったが、よく書けていて問題なかった。(……)さんはいつもながら進みが遅くて、漢字テストなどもゆっくりとやっており、今日は最初の文章の問題までしか終わらなかったのだが、まあ彼女のペースで地道にやってくれれば良いと思う。ノートには人物の特徴と、そこから生じた主人公の心情について書いてもらった。
二コマ目は(……)(高三・国語)、(……)さん(中三・英語)、(……)さん(中三・英語)。まあ全体にわりあい良い調子だったと思う。英語は生徒が問いている最中にその場で介入し、解説しながらノートにメモを取らせることが出来るので、やりやすい。しかし(……)さんはやはり見張っていないと、手遊びをしている時間が多くなって――何やら自分の腕に絵を描いていたように見えたが――進みが遅くなるようだ。今日は二頁弱の進度だった。(……)さんはまとめ問題で復習。レッスン二と、レッスン三をほんの少しだけ扱い、宿題はレッスン二のまとめをもう一度と、レッスン三のまとめを今日やったところも含めて全部やってくる、という風にした。レッスン二のまとめは宿題をやって来てくれればこれで三回解くことになるので、かなり定着するだろう。
そうして九時半頃退勤。駅に入り、発車間近の奥多摩行きに乗って、座席に就いたのだったかそれとも立ったままだっただろうか。まあそんなことはどちらでも良い。いや、席に座ったのだった。それでこの日は手帳を出さずに向かいに就いたサラリーマンを眺めていた。彼はスマートフォンを見ながら脚を組む、と言うか右脚を左の腿の上に直交するように乗せ、その足先を貧乏揺すりのように細かく震えさせていた。その様子を見ていると、電車が急停止した。アナウンスが入るのを聞けば、鹿と衝突したと言う。それでどうやら長引きそうだなと思われたので、ここで手帳を取り出して眺めはじめた。乗務員が忙しなく立ち働くのを暗い運転室に横目で見ながら手帳を読んでいると、しばらくしてから鹿の撤去が完了したと伝えられた。撤去したということはおそらく、やはり鹿は衝突の勢いで死んだのだろう。死体をどのように撤去したのだろうか? やはり単純に、線路の周りの手近の林のなかに捨てたのだろうか?
ともかくそれで運転が再開し、最寄り駅に着いて降りた。雨が少々降っていた。ホームを移動すると、ベンチに、昨日と同じ人だと思うが、サラリーマンがスマートフォンを弄りながら座っていた。こちらは大して喉も渇いていないのに今日もコーラを飲むことにして、自販機に寄って一三〇円を挿入し、二八〇ミリリットルの飲料を買った。そうしてベンチに就き、手帳を見ながら黒々とした炭酸飲料を喉の奥に流し込んでいく。サラリーマンはそのうちに立って去っていき、そうして駅にはこちら一人しかいなくなったが、まもなくこちらもコーラを飲み終えたので立ち上がり、ペットボトルを捨てて駅舎を抜けた。坂道に入って木の下を通っていくと、ぽたぽたとワイシャツの上に垂れて潰れた玉模様をつけるものがある。織り重なった枝葉に当たる水滴の音が四方八方の宙に漂っているので、木々のあいだに入ると途端に雨が強くなったように感じられるのだった。
雨降りでも慌てずに歩いて帰宅すると、ソファで歯磨きをしている父親にただいまと告げ、ワイシャツを脱いだ。洗面所に近づいていくと、なかから母親が着替えているよと声を出すので、扉を一面は開けずほんの少しだけ引いて、なかを見ないようにしながら腕だけ隙間に突っ込んでワイシャツを渡した。そうして下階に戻り、コンピューターを点けてTwitterを眺めながら服を着替えた。それで上階に行き、食事である。米に野菜のスープ、豆腐ハンバーグや牛蒡の揚げ煮やサラダである。牛蒡の揚げ煮は今日何とか言うスーパーで買ってきたらしく、美味しいでしょと母親が言う通り、甘じょっぱい味が少々濃かったが美味くて、それをおかずにして米を貪った。テレビは何を映していたか、特段の記憶がない。食事を終えると抗鬱薬を服用してから風呂に行き、湯を浴びてさっさと出ると、自室に帰った。そうして一一時過ぎからMさんのブログを読みはじめた。二日分を読み、Twitterを少々眺めてから続いて、前日の日記を書きはじめ、二〇分で仕上げるとまたTwitterを眺めてしまった。最近少々依存気味である。午前一時前から星浩「ドジョウ野田首相の挫折と安倍氏の執念の返り咲き 平成政治の興亡 私が見た権力者たち(18)」(https://webronza.asahi.com/politics/articles/2019060600003.html)を読みはじめるとともに、引き続きTwitterを時折り覗いていたのだが、そうするとHさんが、Kさんと読書会をしたいと呟いているのが発見された。この二人とは何度かやりとりを交わしたことのある仲である。それなので、もし実現したらこちらも参加させて頂きたいと二人に向けてリプライを送っておき、その後やりとりをしながら、星浩「「モリカケ」を凌いで令和を迎えた安倍政権の本質 平成政治の興亡 私が見た権力者たち(20・最終回)」(https://webronza.asahi.com/politics/articles/2019072500002.html)を続けて読んだ。そうして二時に至ると、そろそろベッドに移って読書をしようということで、今日はそろそろコンピューターを離れるので追ってまた詳細を話し合いましょうと送っておき、Twitterを閉じたのだが、コンピューターを離れると言っておきながらその後もしばらくインターネットを回ってしまい、読書を始めたのはもう二時四〇分にもなる頃だった。 それで栗原優『ナチズムとユダヤ人絶滅政策 ―ホロコーストの起源と実態―』を読んだのだったが、記録を見ると五頁程度しか読んでいないし、記憶もあまり残っていないところを見るとどうもまた途中で意識を失っていたらしい。四時半に就床した。
・作文
11:13 - 11:31 = 18分
16:03 - 16:21 = 18分
23:54 - 24:13 = 19分
計: 55分
・読書
10:48 - 11:13 = 25分
23:03 - 23:28 = 25分
24:53 - 26:05 = 1時間12分
26:40 - 28:29 = 1時間49分
計: 3時間51分
- ルドルフ・ヘス/片岡啓治訳『アウシュヴィッツ収容所』講談社学術文庫、一九九九年、書抜き
- 「わたしたちが塩の柱になるとき」: 2019-08-16「啓蒙が滴り落ちる水滴のようにあなたを穿つときまで」; 2019-08-17「指先が一輪の花となるように鎖骨が水瓶となるように」
- 星浩「ドジョウ野田首相の挫折と安倍氏の執念の返り咲き 平成政治の興亡 私が見た権力者たち(18)」(https://webronza.asahi.com/politics/articles/2019060600003.html)
- 星浩「「モリカケ」を凌いで令和を迎えた安倍政権の本質 平成政治の興亡 私が見た権力者たち(20・最終回)」(https://webronza.asahi.com/politics/articles/2019072500002.html)
- 栗原優『ナチズムとユダヤ人絶滅政策 ―ホロコーストの起源と実態―』: 181 - 186
・睡眠
4:30 - 9:00 = 4時間30分
12:00 - 14:45 = 2時間45分
計: 7時間15分
・音楽
- FISHMANS『Corduroy's Mood』
- FISHMANS『Oh! Mountain』
- Bill Evans Trio『The Complete Village Vanguard Recordings, 1961』(Disc 2)