2019/8/28, Wed.

 酒井 たとえば人間は道具を使いますが、道具を使える動物は他にもいるのではないか、という議論があります。チンパンジーは枝や石を使って虫や木の実などを食べることが知られていますから。しかしそうした例は、道具や知能を表面的な尺度でとらえたために起こる混乱です。人間と他の動物とを分ける能力は道具が使えるかどうかではなく、「メタ道具」、つまり道具を加工するような道具(たとえば枝を削るための刃物など)を作れるかどうかなのです。
 そうした人間の知能の根底には言語と心があることが疑いないわけで、知能はそれと切り離せない目的意識や意図を含めた「知性」と見なす方がより適切なのではないでしょうか。さらに人間は、知識それ自体をメタ的に体系化や一般化して、「知恵」として使うことができます。そうした知恵に基づく思考や意志の力が、人間を人間たらしめているのです。
 (東大EMP/中島隆博編『東大エグゼクティブ・マネジメント 世界の語り方2 言語と倫理』東京大学出版会、二〇一八年、20; 酒井邦嘉宇野重規・宮本久雄・小野塚知二・横山禎徳・中島隆博「言語の語り方」)

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 中島 わたしは酒井先生の著書を読んで、手話のところがすごく面白かったんです。手話もまさに自然言語なわけですね。あの記述は秀逸だなと思ったんですが、別に音声言語じゃなくてかまわないわけですよね、言語のあり方というのは。
 酒井 その点は人類学者も長らく誤解をして来ました。ネアンデルタール人あたりで喉頭の位置が下顎より下がって母音を出せるようになったことが、言語の起源であるかのように思われています。しかし手話のことを考えれば、喉頭の発達が全く無関係であるとすぐにわかるでしょう。脳に言葉を司る言語野があるならば、喉頭が発達しなくとも手話で思考や会話ができたに違いありません。親が手話の話者なら、その子どもは手話を母語として獲得することもできます。
 しかも言語の役割は、会話などのコミュニケーションに限られるものではありません。思考言語(内言語)としての役割の方がはるかに大切で、そこに音声と手話の違いはありません。「言語=コミュニケーション=音声」という見方がいかに表面的で、言語の本質に対する盲点であるか明らかでしょう。その意味でも、手話の研究は言語のあり方に対して重要な示唆を与えてくれます。
 一般の人に手話について解説をすると、最もよく受ける質問は、「手話は世界共通なのですか?」というものです。世界共通の手話言語は、音声言語と同様に存在しません。音声言語であれば、地域や世代によってさまざまな言葉や方言があることが常識でしょう。それなのに、なぜ手話も同じだとは考えないのでしょうか。人工的に手話を作れるとでも思ってしまうのでしょうか。
 (23~24; 酒井邦嘉宇野重規・宮本久雄・小野塚知二・横山禎徳・中島隆博「言語の語り方」)


 一二時一五分まで寝過ごす。母親は今日、友人のTちゃんという人を招いており、上階で話し声がしているのが聞こえていたのだが、じきに気配がなくなった。二人でどこか出掛けたらしい。こちらは上階に上っていき、台所に入って卵を二つとハムを一パック冷蔵庫から取り出して、フライパンにオリーブオイルを垂らした。そうしてハム四枚を一枚ずつ放り投げてフライパンに敷き、その上から卵を割り落とす。それでしばらく加熱したあと、丼に盛った米の上に取り出した。いつもながらの芸のない食事である。食卓に就いて、形を保ちながら温かくなった黄身を潰し、醤油を混ぜてぐちゃぐちゃと米を搔き混ぜて、そうして色のついた白米を貪った。食べ終えると台所で食器をさっと洗い、風呂も洗ってから抗鬱剤を服用した。あと四日分しかないので、そろそろ医者に行かなくてはならない。
 下階に下りるとTwitterをしばらく眺めたのち、歯磨きをして服を仕事着に着替えた。今日の労働は六時からだが、以前の室長だった(……)さんが(……)室長の代行で職場に来ており、それが四時までだと言うので早めに行って久しぶりに顔を合わせ、挨拶をしようと思っていたのだった。挨拶をしたあとは図書館に向かってそこで日記を綴り、可能ならば書抜きも行って、その後に勤務のために職場に戻ろうという魂胆である。それで着替えたあと、電車の時間を調べると、二時二七分発があったのだが、Yahooの路線案内には、青梅線は御嶽から奥多摩のあいだで運転を見合わせているという情報が記されていた。ということは、御嶽から青梅間は多分運転しているのだろうと希望的観測を抱き、二時になったら出ることにして、それまでのあいだにとMさんのブログとSさんのブログをそれぞれ読んだ。そうして二時に至ると、リュックサックに本やらコンピューターやら財布や携帯やらを用意して、上階に上がった。母親は未だ帰って来ていなかった。玄関の戸を開けて外を覗くと、雨が降っていたので久しぶりに黒傘を持つことにした。玄関をくぐると鍵を閉め、傘をひらいて道に出た。ざらざらと細かく震えて宙を搔き乱すアブラゼミの声が林から響いていたが、その勢いは軽く、聞こえるのは右方の木の間からのみで、家が連なっている左方の庭木や垣根からは声は立たなかった。十字路まで行き、坂道に入るとしかし、蟬時雨はまだそこそこ厚い。木の間の道は幽かに霧めいていた。上っていくと出口付近で前方から来る体育服姿の中学生があって、どうも(……)ではないかと目を凝らしていると果たしてそうだったので、こんにちはと挨拶した。塾行くんすかと訊くので、図書館に行ってから、と答える。今日塾です、待ってて下さいと言うのに笑って歩き出し、待ってますと背後に残して別れ、駅に向かった。
 二時二七分にはまだ間があるにもかかわらず、ホームには数人の先客があった。雨が降っているので屋根の外には出ず、閉ざした傘を左手首に掛けて、手帳を持って頁を眺めた。蟬たちのざらざらとしたGの子音が重なり合って辺りからは響いており、時折り鴉が飛んで間延びした鳴き声を振らせていた。電車は遅れているようだった。たまにアナウンスが入って、今、何駅を発車したところだと知らせてくれるのだ。柱に寄りかかりながら手帳を眺めて待ち、二〇分か二五分かそのくらい遅れてようやく青梅行きがやって来たので、乗り込んだ。車内は空いていた。山に行った帰りなのか、老年の男女たちが座席を占めて向かい合い、賑やかに話していた。青梅に着くと降りて、通路を辿り、駅を抜けて職場に向かった。
 入口を入ると、(……)さんはデスクに就いていたので、お久しぶりですと笑って挨拶し、ご無沙汰しておりますと礼をした。彼はデスクから立ち上がり、こちらの立っている前まで出てきてくれた。もう三年になりますかと呟き、知っている生徒とかもういないでしょうと言うと、肯定があり、でも今、(……)と(……)が自習に来ていて、と言った。彼らは三年前から在籍している組である。むしろ講師の方に知っている顔がほとんどおらず、それこそこちらと(……)先生ぐらいだと言ったので、そうですよねと笑った。(……)さんは現在、(……)教室の室長を務めており、(……)と言うと賑やかなイメージがあったのだが、賑やかは賑やかだけれど講師間の横の繋がりなどは意外と薄いようで、飲み会などもあまりないのだと言う。
 話に何となく切りがついたところで、(……)さんがありがとうございますと礼を言ったので、またいずれお会いできましたらと答えて、それではと別れを告げた。扉を開け、振り返り、お疲れさまですと挨拶を交わしてから職場を離れ、駅に戻った。改札を抜けてホームに上がると、三時八分発の立川行きがちょうど停まっている。それに乗り込み、席に就きながら、もう三年という感じもするが、同時に、まだ三年か、というような感覚もあるなとぼんやり考えた。しかもどちらかと言うと後者の感じの方が強いような気さえする。(……)さんや(……)さんと働いていた当時のことは、もっと昔だったかのような感覚があるのだ。それもおそらくは、昨年の人生二度目のどん底を通過したことが大きいのだろうなと考えた。こちらの人生行路の内で、それまでの自分を変容させてしまうような不可逆的な断絶となるような大きな経験は三つあって、一つ目はパニック障害である。これは二〇〇九年から二〇一〇年に掛けてがそのピークだった。パニック障害を一度発症した人間は、二度とそれ以前の認識のあり方に立ち戻ることは出来ない。自分がパニック障害患者であること、神経症であること、ほとんど常に不安に苛まれる人間であることを自覚し、そこから新しい確かな主体性のあり方を確立していくしか治癒の道はない。
 二つ目は勿論、文学との遭遇、そして読み書きを始めたことであり、これは二〇一三年の一月のことだが、この前とこの後とでは端的に言ってこちらは別人である。勿論その変容は文学に出会ったからと言って一朝一夕に成し遂げられたわけではないが、少しずつ自分は変化・成長していって、二〇一三年以前の自分とは今では考え方も認識の有り様もまったく別物となっている。そして、三つ目の大きな断絶として昨年の変調が挙げられると思うのだが、しかしこれはほかの二つの断絶と比べるとまだしもその影響力は弱いものかもしれない。身体的感覚などが変わったのは事実だけれど、鬱症状を通過しながらも自分はこうしてまた文章を書くことが出来ているわけで、それも以前よりもおそらくある種詳細に書くことが出来ているわけで、これを不可逆的な断絶と言うのはちょっと言い過ぎかもしれない。
 とそんなことを考えながら電車に揺られて、河辺で降りた。エスカレーターを上って改札を抜け、駅舎を出ると歩廊を渡って図書館へ、入るとカウンターにはまだ返却をせず、CDの新着棚に寄ったが、特に目ぼしいものはなかった。そうして階段を上り、新着図書を確認し、それから書架のあいだを抜けて大窓際に出たが、ここの席は空いていなかった。喫茶店に行くようだろうかと思いながらテラス席の方に移動すると、一つのテーブルの端が空いていたので、そこに入った。床を擦る音が盛大に立たないようにゆっくりと弱く椅子を引き、座るとコンピューターを取り出して、まず借りている三枚のCDの情報を記録しはじめた。Brad Mehldau『After Bach』、John Scofield『Combo 66』、R+R=NOW『Collagically Speaking』である。そうして、三時四〇分頃から日記を書きはじめ、前日の記事を仕上げて、ここまでさらに書き進めると開始から一時間以上が立って、もうそろそろ五時も近い。
 コンピューターをシャットダウンし、リュックサックのなかに仕舞って席を立った。三冊の本と三作のCDは手に持ち、フロアを渡って階段を下りて、カウンターに借りているものを返却しに行った。CDを先に返却してもらい、それから本だが、ルドルフ・ヘス/片岡啓治訳『アウシュヴィッツ収容所』と、プリーモ・レーヴィ/竹山博英訳『これが人間か』はまだ書抜きが終わっていないので、もう一度借りたいと申し出た。それで再度受け取り、ほかの本も見分するために上階に戻った。まず、韓国史の棚を見に行ったのだが、木村幹『日韓歴史認識問題とは何か』は見当たらなかった。それで検索機に寄って検索してみると、歴史ではなくて外交関連の書架にあることが判明したが、予約資料との表示が出ていたので、今は棚には置かれていないようだった。悪化する日韓情勢に接して、やはりこちらと同じように歴史問題について学んでおこうと思った人間がいるのだろうか。それで一応外交の棚を見に行ったが勿論そこには所在していなかったので、歴史学の方に戻り、ドイツ史の区画から第三帝国ホロコースト関連の文献をチェックした。その後、フロアを横切って文学の方を見に行き、こちらからもホロコーストの体験記などを中心にチェックしたのち、――いや、そうではなかった、その前に反対側のフロアの端にある新書を確認したのだった。それで、前々から気になっていた書物だが、リチャード・ベッセル/大山晶訳『ナチスの戦争 1918-1949 民族と人種の戦い』を借りることにしたのだった。それで海外文学の方に移り、こちらからもホロコースト関連の書物を借りたい気はしたのだが、しかしここは敢えてそうではない、普通の小説を借りようというわけで、これも以前から気にかかっていたイタロ・ズヴェーヴォ/堤康徳訳『トリエステの謝肉祭』を選び取った。そうして最後にまたドイツ史の棚に戻って、先ほどチェックしたなかから、花元潔・編集・解説/米田周・インタビュー『アウシュビッツの沈黙』を借りることにして、そうして貸出機で手続きをした。計五冊である。手続きを終えると退館へ向かった。
 雨がぱらぱらと落ちる歩廊の上を渡って駅に入り、改札を抜けて電光掲示板を見上げると、電車は五時一四分、まもなく来るところだった。ホームに下りて先頭の方まで行き、リュックサックから手帳を取り出して見ながら電車を待つ。目を閉じて頭のなかで文言を反芻していると、電車が入線してきて、目の前を通過していく轟音とともに風が生まれて顔を撫でた。乗り込み、席に就いて引き続き手帳を見やりながら到着を待つ。青梅に着くとちょっと待ってから降りて、ホームを辿り、階段を下って職場へと向かった。
 この日は一コマの勤務である。相手は(……)くん(中一・英語)と(……)さん(高三・国語)と(……)(中三・英語)だったのだが、(……)は欠席になったので二対一となって気楽な授業だった。二人相手だとやはり結構な余裕がある。(……)くんは、英語は特に英単語を覚えるのが苦手なようで、文句を漏らしていたが、文法の方は多分大丈夫ではないか。(……)さんが今日読んだのは、中野好夫の「悪人礼賛」という文と、小川洋子が『思い出のアンネ・フランク』の著者にインタビューした時のことを綴った文章。中野好夫の方は、文体がやや古めかしかったこともあってか、難しいと言っていたのでいくらか手助けをした。ノートには彼が思う悪人と善人のそれぞれの特徴、その違いについて書いてもらった。曰く、悪人は特有のグラマーあるいはルールを持っているため、その文法をこちらが知悉していればさほど付き合いにくい相手ではない、それに引き換えて善人はそうしたルールがなく、無軌道に善意を振りかざすために対応しにくい、善意を言い訳とした迷惑を掛けられたりすると溜まったものではない、というような趣旨だった。
 それで一コマのみの簡単な労働を終えて退勤。駅に入り、発車間近の奥多摩行きに乗って、最後尾の扉際に立つ。手帳は見ずに最寄り駅までのあいだを何をするでもなく過ごし、降りるとホームを歩いて屋根の下に入った。リュックサックから財布を取り出すのが面倒臭かったので、SUICAでもって二八〇ミリリットルのコカ・コーラを買った。ベンチに就いてリュックサックを下ろし、『アウシュヴィッツの沈黙』をなかから取り出して、漆黒色の炭酸水を飲みながら少々頁をめくった。これは元々、映像資料としてホロコーストの生き残りの人々にインタビューしたものを書き起こした本らしい。そうしてコーラを飲み干すとボトルを捨てて、駅を抜けて家路を辿った。
 家に帰り着くと、居間にいるのは父親のみで、母親の姿はなかった。風呂にも入っていないようだったので、母親はと尋ねると、コンサートだとの返答があった。すっかり忘れていたが、ELTか何かのコンサートを観るために中野に行っているのだった。それから脱いだワイシャツを洗面所に置いておいて下階に下り、コンピューターを机上に据えて電源スイッチを押し、服を着替えるとともにTwitterなどを眺めた。そうしてしばらくしてから上階へ上がって食事である。モヤシの酢の物があり、フライパンにはまた野菜を適当に炒めた料理があったが、これはおそらく父親が作ったものらしい。そのほか、彼はケンタッキー・フライド・チキンを買ってきていた。それぞれを温め、炊飯器のなかの米は僅かだったのですべて払ってしまい、コップに汲んだ水を二杯分、注いでおいた。そうして卓に就いて食事である。テレビは嵐が出ている番組で、大野智が遠野に行ってブラインド・サッカーの選手たちや、彼らに対する地元住民の「おもてなし」の取り組みを取材していた。地元の小学生が獅子舞を披露すると言うのだが、目が見えない人たちにどうやって獅子舞を伝えたら良いのかと悩みを漏らすのに、大野は、今まで練習してきたことを思い切りぶつけて伝えるのが一番、そうすれば伝わると思うけどね、とにかく楽しんでやるのが一番じゃない、というようなことを答えていた。物語である。それでいざ獅子舞の披露となって、盲目の選手たちは思いの外に振動や音声のみでも楽しんでいるようだったのだが、そうした様子を見て父親は、うんうん感心したような頷きと唸りを漏らし、赤い顔で、ちょっと涙ぐんでもいたような気がする。まったくもって恥ずかしいやつだなと思わざるを得ないのだが、この物語に対するあられのない屈服というのは一体何なのか。歳を取って涙もろくなってきたということもあるのかもしれないし、酒を飲んでいたために感情の箍が少々緩んでいたということもあるのかもしれない。しかし本質的にはそれはやはり父親の元々の性質の問題なのであって、いかにも紋切型の出来合いの物語に違和感を覚えずに安々と感動出来る彼は、そうした点においてまあ「善良」と言って良い人間なのだろうけれど、しかしそのような俗情と結託した「善良さ」こそが本当は一番危険なものではないのか。そうした大きな構造、価値観の体系性に唯々諾々と同化して恥じない無抵抗というのは、自分が凭れ掛かっている大きな価値観や世の趨勢が転換した途端に、成すすべもなくそちらへと呑み込まれてしまうのではないか。
 というようなことを、食後、風呂に入りながらぼんやりと考えた。そうして風呂を出てくると、冷凍庫からバニラアイスを取り出して下階の自室に戻り、コンピューターを前にしながらそれを食った。そうして容器とスプーンを上階に片付けに行ったついでに、米を磨いでおき、翌朝の六時に炊けるように炊飯器を設定しておいた。そうして自室にふたたび帰ると、午後一〇時から書抜きを始めた。ルドルフ・ヘス/片岡啓治訳『アウシュヴィッツ収容所』である。一〇分少々で終わらせると、続いてインターネット記事を読むことにした。國分功一郎 「【哲学で読み解く民主主義と立憲主義(1)】――7・1「閣議決定」と集団的自衛権をどう順序立てて考えるか」(https://webronza.asahi.com/culture/articles/2014101600010.html)、國分功一郎 「【哲学で読み解く民主主義と立憲主義(2)】――解釈改憲に向かう憎悪とロジック」(https://webronza.asahi.com/culture/articles/2014101700006.html)、國分功一郎 「【哲学で読み解く民主主義と立憲主義(3)】――民主主義と立憲主義はどういう関係にあるのか?」(https://webronza.asahi.com/culture/articles/2014101700007.html)をそれぞれ読み、さらに徐台教「韓国「GSOMIA終了」の論理と、その余波」(https://news.yahoo.co.jp/byline/seodaegyo/20190823-00139589/)も読んで時刻は一一時半だった。Skypeにアクセスすると、九月二日の件で話し合いたいとNさんからメッセージが届いていたので、通話でもチャットでもどちらでも良いですよと返答しておいた。そうしてベッドに移って栗原優『ナチズムとユダヤ人絶滅政策 ―ホロコーストの起源と実態―』の書見に入り、零時を一〇分ほど過ぎてからふたたびコンピューターの前に戻って確認すると、通話をしたいとのメッセージが返っていたので、少々お待ち下さいと言っておいて書見を中断し、両親たちに声が届かないように隣室に移動した。そうして通話である。通話の最中には、TwitterでこちらのSkypeアカウントにコンタクトするようにお願いしていたのだったが、Kさんからもコンタクトが届いたので承認し、ヘッドフォンから耳に入ってくる音声を聞いたり、こちらも喋ったりしながらも、別のチャット枠で少々やりとりを交わした。
 九月二日の件は、NさんとYさんは一一時に御茶ノ水に集合し、そこで昼食を取ったあと遥々青梅まで来てくれるということになった。別にこちらが呼んだわけではない。Nさんが、奇特なことに、およそ見るべきものは何一つないと言って良い我が青梅の町を見物したいと希望していたのだ。わざわざ時間を書けて来てもらうような町ではないとこちらは思うのだが、どうもこちらの日記の舞台を生で見てみたいというような欲求があるらしい。それで青梅市街を散策することになったが、疲れた時に休憩のために入れる店屋もさほどないような寂れた町である。駅前にもモスバーガーと喫茶店がいくつか辛うじてある程度なので、青梅を見たあとは立川まで出ても良いかもしれませんねとこちらは言った。もっとも、立川へ出たところでこちらの行き先と言ったら大方書店くらいなので、案内できるわけでもないのだが。
 そのうちに、Eさんという方の話になった。NさんがTwitterで最近知り合った人で、神奈川県住まいの女子大生らしいのだが、何でもこちらの日記に感銘を受けて読んでくれていると言う。それで、良かったらお話ししてあげてくれませんかということだったので、勿論良いですよと答えて、と言うか、今ここに呼んじゃえば良いじゃないですかと軽く受けた。それでNさんはEさんにダイレクト・メッセージを送った。しばらく反応がなかったようだが、話しているうちにじきに返信があったようで、まもなくEさんもSkypeに参加した。少々ふわふわとしたような感じの声音の人だった。初めまして、Fですと名乗り、日記を読んでくださっているみたいでありがとうございますと礼を言うと、毎日あんなに長く書いていて、凄いと思いますという返答があった。やはり長さなのだ。
 元々Nさんは来京する今回の機会を活かして、Eさんと九月三日に会う予定になっていたらしいのだが、そこに良かったらYさんも参加したらということになった。展覧会を見に行くということになったのだが、いくつか候補が上がったなかで、こちらはその日は参加しないにもかかわらず横からしゃしゃり出て、じゃあ、~~が良い人、などと言って会話を先導した。そうして話し合われた結果、三人は、乃木坂の国立新美術館――先般Nさんが来京した際にはクリスチャン・ボルタンスキー展をここで観た――でやっている「現代美術にひそむ文学」という展覧会と、渋谷でやっているマッド・ドッグ・ジョーンズという人の個展を観ることになった。多分それが決まったあたりでだっただろうか、Eさんは、携帯の充電があと五パーセントになってしまったのでと言って去っていった。
 それが二時頃だったと思う。それからYさんとNさんと三人で適当に雑談をしていたが、Yさんも二時四〇分頃になると今日は何だか眠たいと言って退出し、Nさんと二人になった。詩の話をした。最近彼女はこちらの詩を読み返してくれたらしい。それで、何か夜起きだして呻く、みたいな一節があったじゃないですかと言うので、Evernoteで詩をまとめてある記事をひらいて、該当箇所を参照した。「僕という現象は/熱と電気と空っぽな心の交感作用/まるで白痴の垂らした涎の一粒みたいなもの/こうしていつも真夜中に起き出しては/押し殺した呻き声を上げずにいられない」という詩文である。あれは実体験から出来ているんですかと訊くので、まあそういう面もないではないが、あれは実は宮沢賢治のパクりなんですよと笑った。『春と修羅』の「序」の冒頭に、「わたくしといふ現象は/仮定された有機交流電燈の/ひとつの青い照明です」という言葉があって、それを何となく借用して自分なりに仕立てたつもりなのだ。Fさんにとって詩ってそういう……パッチワークみたいな感じなんですかとさらにNさんは訊くので、うーん……と唸りながらも、まあそうでないと作れないかもしれないですねと笑った。こちらには発想力というものが昔からあまりないのだ。中学校の美術の授業など、これこれという題材に従って作品を作りなさいと言われても、何をどう作れば良いのか本当にまったくわからなくて、課題を提出しなかったくらいだ。そのおかげで美術は唯一評定で二を頂くことになった。
 話は「君がさみしくないように」にも及んだ。四連のみ以下に引く。

 君がさみしくないように
 手紙を書こう 真夜中二時に
 今日 僕が何を見たのかなんて
 君は関心ないだろうけど 

 僕がさみしくないように
 手紙を書いて 朝の六時に
 今日 君は何を見るんだろうね
 僕の心は興味でいっぱい

 君がさみしくなる前に
 電話をしよう 星空の下で
 普通の会話を愛しているよ
 泣きたくなるんだ 声聞くだけで

 僕がさみしくなる前に
 電話をしてね 朝陽のなかで
 普通の会話を愛してほしい
 泣かないでくれ 声を聞かせて

 第一連と第二連に、「僕」と「君」が「見る」ものについての「関心」や「興味」が語られているのは、実はカフカの書簡が下敷きにある。下敷きにあるというほどれっきとしたものではないのだが、カフカがフェリーツェへの手紙のなかで、もっとあなたが一日のうちで何を見たのかとか、何をしたのかとか、そういったことを詳細に、具体的に書いて下さい、みたいな要求を言っていたという記憶が朧気にあって、そこが連想されたようなところはあったのだ。あと、「普通の会話を愛しているよ」は言うまでもなく、cero "大停電の夜に"からの借用、紛うことなきパクりである。
 そんなようなことを話したあと、三時に至って通話は終了した。こちらは忍び足で自室に戻り、コンピューターを机上に据え直しておくと、ベッドに移って栗原優『ナチズムとユダヤ人絶滅政策 ―ホロコーストの起源と実態―』を読みはじめたが、また途中で意識を失ったらしく、その後の記憶はない。


・作文
 15:39 - 16:47 = 1時間8分

・読書
 13:44 - 13:57 = 13分
 21:59 - 22:11 = 12分
 22:20 - 23:25 = 1時間5分
 23:43 - 24:12 = 29分
 27:03 - ? = ?
 計: 1時間59分 + ?

・睡眠
 4:30 - 12:15 = 7時間45分

・音楽