宇野 要するに、人間というのは神でもなければ動物でもない。どこが違うかというと、人間は言語を通じて自分たちの仲間と共に暮らすことだというわけです。神は自己で完結しているし、動物というのは群れを作るけれど、それは言葉を通じてではない。人間だけが言葉を使って仲間とコミュニケーションをし、集団を作る。ここにこそ人間の独自性があり、その独自性と直結しているのが政治であり、ポリスである。これは強固な価値観です。言語を介して同胞市民と共同体を作り、それこそが政治の本質である。政治は単なる手段ではなくて、人間の生の目的ですらあるという、そういう価値観です。
人間と動物をそこまで隔てていいのかということを含めて、これは一つの固定観念かもしれません。しかしながら、その固定観念を軸に11世紀、12世紀以降、政治的人文主義(シヴィック・ヒューマニズム)という形で、古代ギリシャ・ローマの伝統が復興する。その中で古代の文献は、テキスト・クリティークを施され、そこに新たな解釈を加えられ、これを通じて政治もまた変化してきた。このモデルはいまだに強固にあります。
だから、政治学にとって言語はものすごく重要で、およそ言語をどのようにイメージするかということと、政治をどうイメージするかということが、少なくとも西洋政治思想においては、かなり不可分なところがあります。
(東大EMP/中島隆博編『東大エグゼクティブ・マネジメント 世界の語り方2 言語と倫理』東京大学出版会、二〇一八年、54; 酒井邦嘉・宇野重規・宮本久雄・小野塚知二・横山禎徳・中島隆博「言語の語り方」)*
宇野 ところで、社会契約論者は独特な想定を持っていて、個人はあらかじめ言語を使えることになっていて、言語を通じて自分の欲求を主張し、周りの人間と衝突しながら、秩序を作っていくというイメージがあります。実際には、人間は最初からしゃべれるわけではないし、赤ちゃんは当然しゃべれません。言語を習うことによって人は世界に参与するわけであって、あらかじめ言語を使って自分の欲求を主張できる人間像というのは、かなり独特な人間像であり、普遍的なモデルではありません。
むしろ人間というのは、経験を通じて言語を獲得していくわけですし、その言語も、必ずしも確定したものではなくて、常に偶然性に開かれています。その中で、実践を通じて言語もまた変化していくという言語観をプラグマティズムは示したのです。
パースなんかは純粋に論理学とか数学の世界でこのような議論を展開したわけですけれども、デューイは政治にまで発想を広げました。彼によれば、政治における民主主義というのは、唯一の真理が支配する社会ではなく、むしろ、いろんな人がいろいろなところで実験をすることを許す社会を指します。そのような多様な実験によって社会も変わっていく。このような、ある種の実験性や実践性を通じて、デモクラシーを擁護したのです。鶴見俊輔さんにとっても、戦後日本の民主主義を作る上で、やはりプラグマティズムの発想は非常に重要でした。その際に、実験や実践と深く結びついているのが言語です。彼が日本におけるプラグマティズムとして重視したのは、例えば綴り方運動でした。
つまり、子どもたちが言語を自然に学習する中で、自分たちの気持ちを表現できるようになっていく。このことを通じて、はじめて新たな日本の民主主義社会の礎が作られるはずだと考えたわけです。上から何かを決めていくのではなくて、下から言葉をどんどん豊かにしていく。このことによって、日本の民主化を図ろうという考えでした。そこにはどこか、言語と民主主義を結びつけて考えようとする、プラグマティズムの発想が見られました。このような考え方は、日本の戦後思想において力を持ち、鶴見俊輔さんの影響のうちでも、非常に重要な部分であったと思います。
(57~58; 酒井邦嘉・宇野重規・宮本久雄・小野塚知二・横山禎徳・中島隆博「言語の語り方」)
九時起床。何か妙な感じの夢を見たような覚えがないでもないが、いずれにせよ記述出来るほどの詳細な記憶はもはや失われている。パンツ一丁で眠っていたのでハーフ・パンツを履き、例によって尿意によって股間が膨張していたのでそれが収まるのを待ちがてら、コンピューターに寄ってスイッチを押し、Twitterなどを眺めた。そうして上階に行き、母親に挨拶してから洗面所に入ろうとすると、扉の細い隙間からなかで裸の父親が身体を拭いているのが見えたので――シャワーを浴びたらしい――洗面所には入らず、先に便所に行って溜まった尿を放った。出てくると改めて洗面所に行って顔を洗い、整髪ウォーターを後頭部に吹きかけて手櫛で寝癖を調整した。それから食事である。前日の鶏釜飯や棒々鶏を母親が皿に用意してくれたので、それを次々に卓に持って行く。スープとしてはモロヘイヤの汁物があった。卓に就くと新聞を引き寄せてひらき、三面から香港情勢についての記事を読みながら、モロヘイヤのスープを啜り、棒々鶏を口に運んだ。食後に林檎も食べてから抗鬱薬を飲み、食器を洗うと肌着の真っ黒なシャツを纏って下階に下りた。そうして扇風機を点け、コンピューターの前に就いてTwitterを眺めたり、前日の記録を付けてこの日の日記を作成したりしたあと、一〇時過ぎからFISHMANS『Corduroy's Mood』とともに日記を記しはじめた。"あの娘が眠ってる"はとても良い。歌を歌う一方で、前日の記事を数文足しただけでさっと仕上げ、この日の記事もここまで書くと一〇時二一分となっている。八月三〇日の記事をまだいくらも書けていないのに、あと三〇分ほどすれば発たなければいけない。今日は(……)に向かって何やら空間展示とやらを観る予定である。そして明日は(……)さん、(……)さんと(……)を散策する予定だから、また出掛けなければならないわけで、日記を書いている暇があまりなさそうだ。やばい。
一〇時半過ぎに至って日記を中断し、街着に着替えた。まず、ガンクラブ・チェックのズボンを履く。上は濃青か白か、いずれにせよ麻のシャツだが、どちらにするか迷ってまずは白の方から身につけてみた。濃青のシャツは、ロシアでガンクラブ・チェックのズボンと合わせた際に、ちょっと合わなかったような記憶があったのだ。それで白いシャツの方を着て廊下に出て、通路の突き当たりに置いてある鏡に自分の姿形を映して確認したあと、洗面所にも出向いてそこでも鏡を見た。続いて濃青のシャツの方に取り替えて同じように鏡に映してみたが、思いの外に変ではなかったので、こちらの装いで行くことに決めた。次にロシア土産を用意することにした。(……)さんの分である。階段下のスペースから「アリョンカ」のクッキーの、チョコレート味の方を取り、階段を上がって仏間に入るとNatura Sibericaのハンドクリームを取って、それとともにビニール袋に入れた。それで下階に戻って歯を磨き、口を濯ぐとふたたび上に戻って仏間で白のカバー・ソックスを履いて、さらに便所に入ってゆっくりと糞を垂れた。出てくると自室からバッグを持って来て出発しようとすると、母親が卵と蒟蒻だけ買いに行きたいと言う。それで(……)まで送って行ってくれると言うので、乗せて行ってもらおうと一旦は思ったのだが、彼女は財布が見つからないなどと言ってぐずぐずしている。目的の東京行きに間に合うか不安だったので、やはり自分で最寄り駅から行くことに決めて、行くわと母親に伝えて玄関を出た。
隣家の(……)さん宅の百日紅が非常に盛って枝先に紅色を膨らませ、重く垂れ下げている。曇り空の下を歩いていると、路上、視線の先に何やら白く小さなものが浮かんでいる。最初、ティッシュの切れ端か何かが低く地を這う微風に押されているのかとも見えたのだが、その実、蝶だった。蝶は進んでいくこちらの足の横を通り過ぎて背後に飛んで行った。さらに進むと、(……)さんが家の前でしゃがみこんで草取りをしており、傍らには女児が一人、佇んでいた。近づいていくと(……)さんはこちらを向いたので、どうもこんにちは、と挨拶し、お孫さんですか、と訊くと、ええ、そうですとの返答があった。女児の方もこんにちはと挨拶してくれたので、こちらもこんにちはともう一度答えて過ぎ、坂に入って速歩き気味に木々のなかを上って行った。駅に着くとホームの一番先へ行き、腕時計を見れば一一時ちょうどだった。やって来た電車に乗り込み、まもなく(……)に着くと乗り換えである。すぐ向かいから乗り、車両を移って二号車の三人掛けに入って、携帯を取り出してメモを取りはじめた。まずこの日のことである。メモを取りながら電車に揺られているあいだ、鼻水がやたらと出て、何となく心持ちが良くなかった。風邪気味なのかもしれない。
この日の事柄の記録が終わると、八月三〇日の事柄に移って、ひたすら携帯を使ってメモを取った。そうして新宿に着くと降り、階段口に大挙して向かっていく群衆をやり過ごし、電車が発車してすべての車両が過ぎてしまい危険がなくなってから歩き出した。階段を踏んで階上へと上がり、山手線ホームへ向かって階段を下りる。目的地は目黒から乗り換えた先の(……)なので、渋谷・品川方面である。ホームに下りるとちょっと移動し、電車がまもなくやって来たところで端の車両に乗り込み、七人掛けの席の端っこの前に立った。こちらの傍ら、座席の仕切りの脇であり扉の前でもある位置には、ベビーカーを伴った若い女性が立っていた。彼女が連れている赤ん坊は一歳くらいだろうか。ベビーカーに身を預けながらこちらを見上げて来たので、笑みを返すとあちらも笑ってくれた。その赤ん坊が蠢かせる足が、こちらの持っていたバッグに当たるので、母親がすみませんと謝って来たが、そんなことでいちいち苛立つはずもないので、いえいえ、と笑みで返した。ベビーカーを電車から下ろす際に手伝ってあげたいような気持ちはあった。どこまで行くんですかと訊こうかとも思ったけれど、しかし同じ目黒で降りるという偶然もそうはないだろう。赤ん坊は泣かず、母親に構われながら大人しくしていたが、原宿か渋谷を過ぎて車内が空いて、彼女らが車両の隅のスペースに移動したあとは泣きはじめていた。こちらは何をするでもなく窓の外を眺めながら到着を待ち、目黒で降りた。見上げると頭上の表示に東急目黒線の文字が認められたので、それに従い手近の、ホーム端の階段を下りていき、そうしてJRの改札を出ると券売機に寄って、SUICAに五〇〇〇円をチャージした。そしてすぐそこの改札をくぐり、階段を下りて目黒線のホームへ入った。(……)行きに乗れば良いのだと事前に調べてあった。一二時二一分発が今ちょうど出ていくところで、そのあとに二七分発があった。壁に寄って電車を待ちながら、ここでは携帯を弄らず手帳を眺めて、小泉純一郎政権時代の事柄などを復習した。まもなくやって来た電車に乗り、(……)までは僅か一駅である。降りてみれば、改札は一つのようだ。思いの外に早く着いてしまい、待ち合わせの午後一時までまだ三〇分もあった。ホームのベンチに座って手帳を読んでいようかとも思ったのだが、とりあえず改札に向かってみることにした。そうすると、改札を出た無効に腰掛けられそうな植込みの段が見えたので、そこに座って待つことに決めた。それで改札を抜け、段に寄り、上に乗っていた細かな砂を素手で払って尻を乗せた。そうして携帯を取り出して、この日のことを書き記した。
記録が現在時に追いついたあとは手帳を見た。鼻水は相変わらず盛んで、鼻を啜りながら手帳を読んでいると、あ、あれか、という声が聞こえた。顔を上げると、(……)と(……)さんがこちらに向かってくるところだった。こちらの下に辿り着くと、(……)はご機嫌よう、と言ってきたので、こちらも同じくご機嫌よう、と返して挨拶を交わす。(……)は先日立川のGUで皆で選んだ――と言うか、こちらが推したのだが――黄土色っぽいチェック柄のズボンに、上はグレーのシャツを身に着けていた。(……)さんは予めLINEで言っていた通り、ウィッグをつけていた。アッシュブラウンとでも言うのだろうか、僅かに暗い褐色の混ざった灰色と言うか、灰色掛かった暗褐色と言うか、そのような色合いで、左右で三つ編みにして垂らしているウィッグのその上からさらにベレー帽を被っていた。服はあまりよく見なかったが、白いスカートではあったと思う。
まもなく(……)くんと(……)も並んでやって来た。(……)は何だか知らないが、こちらに向かってくるあいだ、大笑いしていた。皆集まったところで、(……)さんの先導で歩き出す。段から立ったところで、こちらが座っていた植込みの前、ちょっと横にずれたところに吐瀉物が撒き散らされていたことに気がついた。座っているあいだはまったく気づかなかったのだが、それで、もう少し別の場所にいれば良かったなと思った。駅前を離れて、スマートフォンで地図を見ている(……)さんについて細道へ入る。途中、(……)という学校が道の先に覗いた。目的地までは五分ほどしか歩かなかったのではないか。今日は(……)さんがTwitterで見つけた空間展示というものを観るということで(……)まで出向いてきたのだが、展示場は一見はこじんまりとした古びた家屋といった感じで、(……)くんはもう少しスタジオ風のところを想像していたと漏らした。二階の窓外には洗濯物が干してあって生活感を醸し出している。展示は、「(……)」というタイトルである。
引き戸をがらがらと開けてなかへ入った。受付で五〇〇円の入場料を支払い、展示物やそこを舞台に撮られた人物たちの写真が印刷されたカードを受け取る。入ってすぐ右側の壁には写真のパネルと、物語の設定が短文で記されたパネルとが多数展示されていた。写真の舞台背景は室の奥、中央に作られたセットなのだが、これは「(……)」という、惑星を販売する老舗の店、という設定で作られた空間であるらしい。その店では「星眼」と呼ばれる、眼に星の輝きを持った一族が雇われて働いており、彼らは特殊な能力を持っていて惑星間を自由に移動出来るということだ。その美しい瞳はマニアのあいだで高値で取引きされていたものの、現在は法によってそれは禁止されていると言うのだが、この設定に触れた時には、誰でも連想すると思うけれど、『HUNTER×HUNTER』の、クルタ族の「緋の眼」の逸話を思い出した。短文を記したキャプションの前半にはキャラクターの台詞が書かれており、後半でそのキャラクターに纏わる物語設定の説明、短い要約的な記述があったあと、最後に「~~の物語」という形でキャラクターの名前が付されて誰の話なのかが明示されている。そのように、様々なキャラクターの物語のほんの断片だけを提示しておいて、あとはこの世界観と同化してもらい、自由に想像を膨らませてもらうという趣向らしい。二次創作の余地を大きく作って、それを前提としているわけだ。実際、入口横にはこの世界観に触発されてファンの人が自ら描いたという漫画イラストも展示されていたし、あとで(……)さんが話していたところによれば、運営者の側もこの物語設定をフリー扱いにしていると言うか、二次創作を大いにやってこの世界を広げて行って欲しいという方針で奨励しているらしかった。
写真は、適当な語かどうかわからないが、「耽美的」という言葉が頭に浮かぶような雰囲気で、(……)さんはこういう感じのものが好きなのか、と少々新鮮に思われた。女性キャラにせよ男性キャラにせよ、皆中性的な顔立ちで色白であり、ゲームのキャラクターを現実化したような、コスプレ的な雰囲気だった。それも当然で、これらはコスプレイヤーの人々を招いて撮ったものらしく、つまり、空間展示を制作した人と、そこを舞台にキャラクターを演じるコスプレイヤーの人とのコラボレーションというわけなのだろうが、人物たちはその中性的な雰囲気からすると、あるいは全員女性が演じていたのかもしれない。写真が展示されている壁の端、ちょうど室の角のところには洋書の置かれた書棚が取り付けられていた。こちらの興味を惹いた本は、Che GuevaraのThe Motorcycle Diariesくらいのものだったが、この本は並びの本のなかでも一つ浮いているように思われたし、この場で構築されている世界観とも全然合っていないように思われた。端的に、何故この本が置かれていたのか、その必然性がわからないのだが、おそらく洋書の選択には確たる基準はなかったのだろう。
フロア入口から見て左の、窓際にもいくらか細々とした展示物が置かれていた。低い台のような机が置かれており、その上には、ここにも洋書が頁をひらかれて置かれてあったのだが、これはAlice In Wonderlandの本だった。頁の上には乾いた花の種のようなものが多数散っており、周りにも乾いて枯れた植物の類が設置されていた。メインの展示は先ほど述べた通り、室内中央に設えられた惑星販売店をテーマにした一角で、絨毯めいた布が敷かれた上に装飾された地球儀などが置かれ、その背後には入れ口を細かく区分した棚が組み立てられており、その棚には植物を標本のように収めた小瓶の類が無数に並べられていた。小瓶にはラベルが付されて、そのなかに収められた素材の名がいちいち記されているこだわりようである。地球儀は元々地図が描かれていたであろうその上から色を塗りたくられて一色に均され、石を取り付けられたりして装飾を施されていた。棚のさらに背後には一見洋書が高い棚にずらりと収められているように見えたのだが、近づいてみるとこれは本物ではなくて印刷だったので、本好きとしては実際に引き出して手に取り確認できないのを残念に思った。そのメインの一角に(……)さんが入って、地球儀の前にしゃがみこんだり、床に座って脚を伸ばしたりしている様を、(……)や(……)が撮影した。その後、皆で写真を撮ろうということになったのだが、ちょうど展示室に訪れている他客のなかに、先ほど写真を撮っていた女性がいて――実のところこちらは最初、その人は客ではなくて運営側のスタッフだと思っていたのだが――大きなカメラを操っており、撮り方も堂に入っていてカメラの扱い方を知っている人のようだったので、(……)が持ち前の明るさを発揮して彼女に気さくに話しかけて、写真を撮ってくれるように頼んだ。それで構築された空間のなかに五人で入って、何枚か写真を撮ってもらった。
その後はこちらは室の右方端にあった革張りの椅子に腰を下ろして、脚を組んでいた。向かいのもう一つの椅子には(……)くんが腰掛けた。テーブルの上には感想を書き留めるためのノートや、この展示を制作した作家が過去に作ってきた写真集などが置かれてあった。そこに腰掛けながら、作家は皆こういうポーズをする、こうすると作家っぽくなると言って頬杖を突いて俯き、陰鬱に考え事をしているようなポーズを取ると、(……)が写真を撮ってくれたのだが、のちのちLINE上にアップロードされた写真を見てみると、なかの何枚かが我ながら思った以上に様になっていて、ダウンロードして自分のコンピューターに保存しておいたくらいだ。(……)も絵になると言って褒めてくれた。
我々が入った時点、午後一時を回ったあたりでは客は少なかったのだが、二時に近づく頃にはかなり増えていて、展示室が狭くなったくらいだったので、結構ファンがいるんだなと感心した。それで我々は退出することにして出口に向かった。出際に(……)さんが運営者の方といくらか言葉を交わしていた。コスプレというのを今までやったことがなかったけれど、この展示があることを知って、これを機に挑戦してみた、というようなことを言っていたと思う。それでありがとうございましたと皆で挨拶して外に出ると、蒸し暑い晩夏の空気に包まれた住宅街が目の前に現れて、現実とのギャップが凄い、と(……)か誰かが漏らして笑った。
道を戻って駅前まで来たところで立ち止まり、このあとどうしようかと話し合った。カフェか何かに入ろうということだったが、(……)付近よりは目黒に出た方が店があるだろうということで、一駅乗ることになり、改札をくぐった。それで電車に乗って目黒で下り、改札を抜けていくつものエスカレーターを上って地上に出たところで、(……)がカフェの一つに電話を掛けたが、埋まっているとのことだった。五人を一挙に受け入れてくれるほど空いている喫茶店となると、都会の方にはあまりない。(……)はもう一つ、atreのなかに入っている店に電話を掛けて、そうするとちょっと待てば空くかもしれないとの返答が返って来たらしかったが、そこに向かう前に目の届く範囲にサンマルク・カフェがあったので、ひとまずそこで席を確認してみようということに決まった。それで横断歩道を二つ渡り、店に入って奥に進むと、上階と地下にそれぞれ席が用意されているようだったので、空いているかどうか分かれて確認しに行った。そのあいだにこちらと(……)は踊り場に残って待ち、しばらくすると地下に行った(……)さんが戻ってきて、空いていた、(……)くんが座席を取ってくれていると言うので、我々は先に注文をすることにしてレジに並んだ。こちらはチョコクロワッサンとアイスココアというやたら甘ったるい組み合わせを購入した。それで地下に下り、(……)くんの座っている隅の一角に入った。
BGMにはジャズが流れており、これは何だと(……)に訊かれて、Art Pepperか誰かかなと最初答えたが、さらに聞くうちにPepperらしくはない激しいような吹き方が散見されたので、どうも違うぞと訂正した。曲は多分、"Lullaby Of Birdland"だったと思う。そのほか途中では、"In A Sentimental Mood"なども掛かっていた。店で話したことはほとんど覚えていない。ただ、(……)さんの誕生日企画として三案あるなかからどれが良いかと彼女に聞いた時間があったのは確かだ。(……)くんが三案をそれぞれ説明したのだが、それらというのは、一つは(……)に行って紅葉を見物し、加えてキャンプ場でカレーを作ったり、可能ならば泊まりで星を見たりしようというもの、もう一つはどこか(……)さんが出掛けたいところに皆で出掛けて、やはりカレーを作ろうというもの、最後はレンタルキッチンを借りてカレーに限らず料理を皆で作ろうというものだが、これはそれだけだと寂しいということで、何故かさらに紙粘土を使って皆で作品を制作しようという企画が組み合わされた。大体似通ったものなのでいっそのこと全部合わせて、(……)のキャンプ場に行ってカレーを作って食べ、紙粘土遊びもやれば良いのではないかとこちらは思ったが、口には出さなかった。第一、紙粘土遊びなど特段やりたくはなかったのだ。しかし(……)さんは、(……)に行く企画は(……)くんと(……)の結婚祝いを兼ねてあとに回そうと言って、三番目の料理と紙粘土遊びの企画が良いと言った。こちらは、自分は中学時代美術の成績が二である、紙粘土など扱ったこともないし、とにかく発想力というものがないから作品など作れないと渋ったのだが、何でも良いのだから、ということで押し通された。それでは綺麗な球でも作ることを目指そうかと言うと、それでも良いと言う。ただし、「無」を作るとかそういうのは駄目だと(……)が言うので、こちらは、ドーナツの穴を作ろうかなどと冗談で受けた。
その後、(……)に移動してホームセンターに行くことになった。と言うのは、これも説明するのが面倒臭いので適当に省いてしまおうと思うが、(……)が"(……)"のMVに使う紙芝居枠を加工するのに木材が必要だったからだ。それでサンマルク・カフェを抜け、横断歩道を渡ってから駅構内へと続く階段を下り、改札をくぐって山手線の電車に乗った。それで新宿まで行き、降りると目の前が総武線の番線だったのでそちらに乗り換える。電車内でどのような会話を交わしたのだったか、全然覚えていない。何かしらの話をしていて、(……)に着いた際、もう(……)かと口に出した覚えはあるのだが、肝心の内容を忘れてしまった。(……)と音楽の話でもしていたのだろうか? それとも、この日行った展示の話をしていたのだろうか。ともかく(……)に着いて降りると、(……)やブロードウェイのない方に駅を抜けた。と言うことは、南口ということだろう。それで(……)さんの先導でホームセンターに向かって歩いていく。彼女は(……)に住んでいたこともあり、また多分(……)付近で働いていたこともあるようで、当該のホームセンターには何度も来たことがあるようだった。途中、何とか言うホールがあり、それに隣接する形で図書館もあった。(……)さんによれば、ここが(……)中央図書館であるらしかった。その前を通り過ぎながら、図書館という施設はまったく素晴らしい、文明の利器だね、などとこちらは漏らした。
ホームセンターに到着してなかに入ると、フロアを奥へ進み、木材のコーナーを見分した。端の方に細く細かな木材がたくさん取り揃えられている一角があった。木材が必要なのは、(……)が持っているフォトフレームの枠に細い木を取り付けて段差を作り、より紙芝居の枠らしくして絵を際立たせたいという望みからだったのだが、それに適した木材を決めるのに時間が掛かった。色々と話し合って、最終的に、八ミリ幅の細い木材を買うことになった。個々の材木によっても微妙な色合いの違い――白っぽかったり、色がやや濃かったり――があって、統一感を出すために、(……)は四本、同じような色合いの木を吟味して選んでいた。それから、その木や枠を着色する用の塗料あるいはニスを見分しに行った。枠の色味と買い足した材木の色合いが違っていたので、着色して風合いを揃えたいということだったのだ。それでニスの類を吟味して、ステインという種類の塗料と、それを掛けてから上塗りする用の水性のニスとの二種類を買うことになった。最後に、紙やすりを見分して目の粗いのと細かいのと一枚ずつ手もとに保持し、会計に向かった。こちらは(……)が会計に向かう後ろに就いて、木材だったかニスだったかを持って運んであげた。ほかの三人が先に入口の方に行って待っているあいだも、こちらは(……)と一緒にレジに向かい、会計を終えてビニール袋に入れられた品物を、荷物になるだろうと(……)の代わりに携えて店を出た。
そうしてやって来た道を駅の方へと戻っていく。(……)ブロードウェイに行こうという話になっていたのだ。道中、(……)と(……)くんが同人誌の話をしており、そのうちに(……)くんはこちらにも、(……)さんは同人誌は買わないのと話を振ってきた。こちらは、買ったことがないなあと受け、文学フリマとかに行けば色々あるんだろうけれどねと続けたあと、文学フリマには一度だけ行ったことがあると告げた。確か、二〇一四年の五月五日だったのではないかと思うが、その当時の日記は既に消去されたので確認が出来ない。当時、Twitter上で知り合った人々と読書会を行っていたのだが、その交流の一環として皆で出向いたのだ。しかし文学フリマに行ったあと(……)に移ってPRONTOに入ると、政治談義が始まって、なかに一人全世界的に共産主義革命を行うべきだと主張した人がおり、ほかの皆がさすがにそれは時代が違うだろうと対立して、それでこの読書会のグループは解散したのだった。その共産主義を奉じていたメンバーというのは、(……)くんという人で、メンバー内にはほかに(……)くんもいた。(……)くんというのはこちらがTwitter上で再会し、今年の二月四日に新宿で顔を合わせた人だが、彼は当時「(……)」の一員として活動しており、そのやり方を(……)くんが批判したことも決裂の一因となったのだった。主張の当否はともかくとしても、当時自分は政治についてなど何も知らない若造だったくせに――今も全然知らないが――自らの主張に固執して譲らない(……)くんの態度に苛立ち、こちらには珍しく声と口調を荒げて抑圧的な振舞いを取ってしまったのだが、それについては今でも申し訳なかったと思っている。道を歩き、高架下を北口の方へ抜けながら、そのようなエピソードをいくらか搔い摘んで(……)と(……)くんの二人に話した。駅前では誰か政治家か活動家が演説をしており、香港情勢について触れていたと思うが、すぐに通り過ぎてサンモールに入ってしまったので内容の詳細は覚えていない。
サンモールを進み、(……)ブロードウェイに入った。時刻は多分、六時前くらいだったのではないか? 途中で(……)が豆腐の店に寄って、何だったかドーナツだったか何かを買って食っていたのだが、飯時まであと一時間くらいしかないのに今食べてしまって大丈夫なのだろうか、と思ったような記憶があるからだ。上層階から順々に下りて行こうということになって、エスカレーターと階段を上り、最上階に出たが、このフロアはひらいている店が少なく、寂れているような感じだった。それで三階に下りると、「(……)」の店舗が色々と並んでいる。これがあの有名な「(……)」かと見ていたのだが、通路を進んでいくうちに、古本のコーナーが現れた。一つの店舗の外側に文庫本がずらりと並べられていたので、嬉々として見分を始めた。岩波文庫のムージル/川村二郎訳『三人の女・黒つぐみ』を発見した。さらに、講談社文芸文庫のロブ=グリエ/平岡篤頼訳『迷路のなかで』も発見されたので、これはちょっと本腰を入れて見ないわけには行かないなと取り掛かり出し、そんなこちらの様子を見たほかの皆は、また戻ってくるからと言ってこちらをこの場に一人残し、ほかの店舗を見に行った。それで思うまま、じっくりと棚を吟味した。ハードカバーの本も文庫の区画の横に並べられていて、佐々木中の論集とかがあったのを覚えている。珍しいところでは、ジャン=ルイ・バローの自伝か何かがあって、これは確か一〇〇円だったので買っておいても良かったかもしれない。そのほか、レイ・ブラッドベリ/小笠原豊樹訳『とうに夜半を過ぎて』も見つけたので、これも買うことにした。それから文庫の棚の接している店舗内に入ったのだが、ここは精神世界や宗教やオカルティズムに関する本が集まった店舗だった。オカルティズムにはあまり興味はないが、なかに宗教の本や民俗学の本の区画が混ざっていたので、そのあたりを見分した。民俗学の棚にはちくま文庫の『柳田國男全集』が四巻ほどと、平凡社の『南方熊楠全集』がこれも四冊並べられていた。『南方熊楠全集』が一冊一〇〇〇円で結構安かったので買うことにした。選んだのは第六巻、新聞随筆や未発表手稿が集められた巻で、これを選んだのは、南方の堅い論文など読んでも全然わからないだろうから、おそらく比較的柔らかく緩めの話が展開されているであろう随筆の入った巻にしようとの判断からである。
それで会計をした。「(……)」と冠されたこの店舗は文庫と精神世界関連の本しか扱っていないのかと思っていたところが、あたりをよく見回してみると通路を挟んで向かいに人文学の棚があったので、こちらも見なくてはとの使命感に駆られて見分を始めた。そして、ここの品揃えがなかなか良いものだった。法政大学出版局の著作がたくさんあったし、値段もわりあいに安い方だった。しかもこちらの最近の興味関心であるホロコースト関連の本が結構見られたので、それらを中心にたくさん買い込むことになった。選出されたのは、V.E. フランクル/霜山徳爾訳『夜と霧 ドイツ強制収容所の体験記録』(これは言わずと知れた古典文献であり、当然読みたいと以前から思っていた)、ルート・クリューガー/鈴木仁子訳『生きつづける ホロコーストの記憶を問う』(この訳者はゼーバルトを訳している人だ)、ソール・フリードランダー編/上村忠男・小沢弘明・岩崎稔訳『アウシュヴィッツと表象の限界』(上村忠男は言うまでもなく、アガンベンなどを訳しているイタリア思想界隈の重鎮である)、レニ・ブレンナー/芝健介訳『ファシズム時代のシオニズム』(芝健介という人はこちらも最近名前を知ったばかりだが、ホロコーストやナチス関連の著作をものしている人であり、講談社学術文庫のルドルフ・ヘス/片岡啓治訳『アウシュヴィッツ収容所』の解説も担当していた)、それに『エピステーメーⅡ[3] 【特集】エマニュエル・レヴィナス』(レヴィナスに関しては今のところこちらの読書の文脈に本格的に上がって来てはいないし――しかしそれこそ、ホロコーストへの関心から接続できるのではないか?――今読んでもわかる気など到底しないが、『エピステーメー』は蓮實重彦なども寄稿していた伝説的な雑誌であり、現物を目にしたのは初めてだったので買っておくことにした)である。
ちょうど棚を見分し終えて、会計に移ろうというようなタイミングで(……)と(……)と(……)さんが戻ってきたのだったと思う。六〇〇〇円ほどを支払うと、(……)が、次の魔窟にご案内すると言ったのでそのあとについて階段を下った。次の魔窟というのは、(……)くんが先ほどお勧めしていた「(……)」という書店だった。普通の本屋ではあまり扱っていないような類の書籍を売っていると(……)くんは言っていたが、いわゆるサブカルチャーとかアングラ方面のものを取り揃えているようだった。入ってすぐ脇の棚には中古本が置かれており、そこにギュンター・グラスの何とかいう著作があって、それが何とたった一〇〇円だったので買おうかとも思ったのだが、これ以上荷物を増やすまいということで結局は見送った。店内には(……)くんがおり、棚の前に立って何やら立ち読みをしていた。あとで聞いた話からすると、多分寺山修司か何かを見ていたのではないか。文芸関連はあまりなかったが、幻想文学とか映画関連の著作とか漫画とかが豊富にあった。棚の上にも書物が並べられた一角があって、そこにはフォークナーを収録した世界文学全集などが置かれていたのだが、その並びのなかに、何と、ミシェル・レリス/岡谷公二訳『日常生活の中の聖なるもの』が見つかった。これは端的に言って驚きである。(……)でも(……)でも見かけたことのない著作であり、かなりレアなものではないか? ミシェル・レリスの著作は昔から集めているのだが――そのくせまだ全然読めていないのだが――まさかこんなところで出会えるとはというわけで、一冊で二七〇〇円もしたけれど買わないわけには行かない。それでその一冊を購入し、(……)くんのところに行って、俺は満足したと告げ、店外に出てから買ったものを示し、欲しかったものなのだと言った。それからほかの皆と合流しようということで歩き出し、一階下りてみると、通路のすぐ先に(……)と(……)さんの姿が見つかった。(……)は同人誌の類を見ているとのことだった。それでそのあたりに立って話したり、コスプレ衣装を取り揃えた店に入ってみたり、こちらは通路の真ん中でムージルの『三人の女・黒つぐみ』を取り出して読みはじめたりして時間を潰し、(……)が戻ってくると食事に行こうということになった。
ブロードウェイを出て、特に目当てもなく路地に入り、軒を接して立ち並ぶ店々の前を次々に通り過ぎて行った。歩きながらこちらは、昔、(……)氏と読書会を持っていた時分に、このあたりの店のどれかに入ったことがあるはずだがと思い出していた。歩き回ったあと、見てきたなかなら鳥貴族かなと(……)くんが言ったのだが、その前に(……)さんの知っているパスタの店を見に行くことになった。「(……)」という店だったと思う。その店の前に着くと、(……)さんが地下への階段を下って五人が入れる余地があるか確認しに行った。店の前にはパスタの匂いではなく、階上にあるインド・ネパール料理屋から漏れてくるカレーの香りが漂っていた。店は空いていないとのことだったので、それでは鳥貴族に行こうということになり、ふたたび路地を歩いた。その途中、こちらは(……)に、以前読書会をやっていた時にこのあたりの店に入ったことがあると話を始めた。その時の仲間がその後(……)を受賞したのだと告げると、(……)は驚いていた。しかし今はもう交流はなくなったとこちらは笑って、ちょうどそのくらいの頃合いに鳥貴族に着いたはずだ。しかしここも五人入る余地はないとのことだったので、それでは先ほど歩く途中に見かけて空いていた目利きの銀次に行こうかと決まった。それで道を戻り、海鮮居酒屋に入店したが、店内はがらがらだった。樽のなかに入るような感じの、仕切りが設けられた席に入って、メニューを見ながらタブレットで注文を決めた。飲み物はこちらがジンジャーエール、(……)さんがコーラを頼み、ほかの皆は水だった。酒気のまったくない面々である。食事はこちらは海鮮丼に決め、(……)くんは海鮮二段重、(……)は鮪のラーメンにして、そのほか山芋のチーズ焼きだとか若鶏の唐揚だとかが頼まれた。こちらはさらに、エイヒレを希望した。エイヒレは美味い。(……)がエイヒレを食べたことがなかったので、美味いから食った方が良いとこちらは勧めたが、ほかの皆はあまり手を出さなかったので、こちらが大部分を頂いてしまった。
食事のあとは、このメンバーでやっている音楽プロジェクトである「(……)」をどこまで広めて行くか、というような話し合いをした。(……)さんは創作用のpixivアカウントだとかTwitterアカウントを持っている。そちらの方で「(……)」の制作を宣伝しても良いだろうか、というような話である。結論としては、本名や顔を出すのでなければそのあたりは各人の裁量に任せて良いのではないか、というようなところに落着いたのだったと思う。「(……)」におけるこちらの名前は本名の(……)をそのまま片仮名にしたものにする予定だったのだが、そこからあるいは足がついてこの日記を綴っているのが(……)であるとバレると困るな、という点に思い当たったので、ハンドルネーム的なものを作ることにしたのだが、そこで(……)くんが、「(……)」は、と言ったので、それは面白い、それは良いなとこちらは笑って、採用することにした。
そのほか、隣に座っていた(……)に対して、最近どう、と訊いた時があったのだが、(……)は、いや、一昨日昨日も会ってるからねと苦笑した。そう言いながらも彼は、今日、目黒に行って空間展示というのを見てさ、と皆がまるでそのことを知らないかのように今日のことを話し出した。一緒にいた女の子の一人がちょっとコスプレみたいなことをしていたんだけど、それがすごく様になっていて、決まっていて素晴らしかったと彼は感想を述べたので、こちらは、お前、女の子の友達いるの、羨ましいわと横から突っ込んだ。すると周囲の皆から、いやいやお前もいるだろという突っ込みが入ったが、でも三人くらいしかいないなとこちらは返した。実際のところ数えてみると、「(……)」の仲間である(……)に(……)さん、読書会のメンバーである(……)さん、それにあまり会うことはないが高校の同級生で(……)の友人である(……)さんも友達だろうとTは言っていた。あとはTwitterを介して知り合った(……)さんとももう二度も会ったし、まあ友人と言って差し支えないのではないかと思う。(……)さんなどもまだ会ったことはないけれど、友人と言って良いのだったら、計六人くらいということになるか。
それから、(……)がこちらにも、お前は、と振ってきたので、もう皆知っていることだがロシアに行ったのだと話したりしたあと、実は今日俺も目黒に行ってさ、と(……)の目論見に乗っかった。空間展示ってのを見てきて……まあ俺も女の子の友達と一緒に行ったんだけど、その一人が、アッシュブラウンって言うのかな、そんなような色のウィッグをつけて、三つ編みを左右に垂らしていて、それで写真を撮ったりしたんだけど、まあ様になっていたな。で、そのあと目黒のサンマルク・カフェに行って、地下の隅の席に入ってくっちゃべったりして……などと話していると、(……)くんか誰かが、え、その仲間のなかに、(……)ってやついない、などと乗ってきた。ああ、(……)ね、いるよ、最近この(……)ってやつがやたら日記に出てきてさ、このあいだもうちに泊まりに来たし、などと受けていると、隣の(……)が、え、それって俺とは違う人か、と訊いてきたので、こちらは驚いた振りをして、お前か! と答えて下手くそなコントを閉じ、皆で笑ったあと、もう少し落語みたいな落ちにしたかったなと呟いた。
その次に、(……)くんに手を差し向けて、じゃあ、どうぞ、と告げると、ええ? 最近? と(……)くんは困惑気味に呟いたあと、そうだな……まあ直近のことなんだけど、と始めて、実は今日目黒に行って、と同じ流れを始めた。展開は先の二つと同じなのだが、(……)くんは空間展示の会場で一人だけトイレに行っていたのでそのことを言及した。曰く、トイレが和式の上に様式の便器が乗っているような、折衷様式と言って良いのかわからないがそのような奇妙で珍しいものだったのだと言う。その後、(……)ブロードウェイに行って、それで目利きの銀次っていう居酒屋で飯を食って、などと(……)くんが話すのにこちらは、え、もしかして今、目利きの銀次にいるの? と訊き、ああ、いるいる、と肯定が返ると、実は俺も今銀次にいるんだけど、とまるで互いに顔を合わせず電話でもしているかのような発言をして、皆で笑った。
(……)のバージョンと(……)さんのバージョンもあったのだが、流れは大体同じなのでそれに関しては割愛する。そのような馬鹿なやりとりを交わしたあと、店を出たのは一〇時半頃だっただろうか? 退店すると人の少なくなったサンモールを出て駅前に至り、そこでバスに乗るという(……)さんと別れを交わした。そうして改札をくぐり、ホームに上って電車に乗った。(……)行きだったかと思う。電車内で(……)くんは、三〇日の日記はいつ書くの、とこちらに問うてみせた。それに対して(……)が、楽しみにしてるじゃん、と笑うので、でもURL知らないよねと訊くと、一昨日の夜、(……)家からの帰路、別れたあとに検索したら、「二秒で見つかった」と言う。そんなに上の方に出てくるだろうかとこちらは疑問に思い、何と検索したのかと訊いたのだが、それは教えてくれなかった。しかし、(……)くんはセキュリティ系のしごとをしているから、目的のサイトを上手く速やかに見つけるような検索方法には慣れていると言う。ユニーク度の高いワードで検索し、あとは期間指定なども組み合わせると見つけやすいと言うのだが、確かに、ここ数週間の期間に範囲を限定して、例えば「ボリショイ劇場」というような語で調べれば、おそらくこちらのブログが引っ掛かって来るだろう。
(……)に到着すると、恒例になっているが、別れの前に(……)くんと握手をして頷き合った。駅に着くと(……)と(……)くんの二人は降り、すると(……)が突然、盗撮しなくてはと言って携帯を取り出した。「盗撮」と称してこのカップルの写真を折に触れて撮るのが(……)は好きなのだ。その使命感は何なんだよとこちらは笑い、降りたところに立った(……)くんは片手で顔を隠した。(……)の方は隠し方がなおざりであり、むしろ手を振って別れを告げるような感じだった。その二人の様子を(……)が撮る。
(……)を発車したその後、(……)は読者が増えたじゃないかとこちらに言った。しかしまずいな、とこちらは受けて、だらだらとした生活をしているのがバレてしまうと苦笑した。でも、起きているあいだは日記を書いたりしているから、何もしないうちに一時間が経ってしまったとかそういうことはないだろう、と(……)。まあ一応それはないと思う――しかし最近では、Twitterをちょっと覗くつもりで三〇分ぐらい時間を使っているようなことが結構あるが。起きるのが遅いのは遅くまで起きているからだし、ともかく、お前そんな暇があったら曲を作れよ、とか言われるような生活ではないだろうと(……)はフォローしてくれた。
そうして(……)で降り、階段を上がったところで(……)と別れ、こちらは(……)のホームに降りた。終電の(……)行きだった。従って家に帰り着いたのは零時二〇分かそこらだったはずだ。(……)以降の帰路の記憶は特にないし、帰宅後に何をしていたのかについても印象深い事柄は特別残っていないので、この日の日記はここで幕を閉じることにする。
・作文
10:05 - 10:33 = 28分
・読書
25:55 - 26:40 = 45分
26:44 - 27:40 = 56分
計: 1時間41分
- 「わたしたちが塩の柱になるとき」: 2019-08-20「盛り場の外来魚だけには分かる夜と昼とをまたぐ汽水が」; 2019-08-21「人名でしりとりをする大半は死者の名となるこれも喪である」; 2019-08-22「地図上の河川をはさみで切り抜きつなげて神話の蛇を作る」
- ハン・ガン/斎藤真理子訳『すべての、白いものたちの』: 31 - 85
・睡眠
1:50 - 9:00 = 7時間10分
・音楽