2019/9/5, Thu.

 たとえAIを人間の心に近づけようと試みても、一体誰の心を基準にしたらよいかが分からないから、そもそも規格が定まらない。もし「朱に交われば赤くなる」のが人の心の常ならば、そんな心を実装して環境に染まってしまったAIは、メーカーが保証することができなくなるだろう。しかもAIが自己プログラミングを施すようになったら、いかに賢くなるか、あるいは暴走するかは全く予期できなくなるだろう。AIに自由意志を持たせることには、倫理的な問題が山積している。
 (東大EMP/中島隆博編『東大エグゼクティブ・マネジメント 世界の語り方2 言語と倫理』東京大学出版会、二〇一八年、118; 酒井邦嘉脳科学から見た人工知能の未来」)

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 家 東大EMPの科学史の講義でお話ししたのですが、キリスト教では17世紀のアッシャー大司教が、聖書の記述を文字通りにとって、天地創造は紀元前4004年の10月22日の夕刻の出来事だったというやたらに詳しい算出をしています。ケプラーニュートンも似たような試みをしています。その種の世界像では、天地創造、つまり地球がつくられたのも、生物がつくられたのも、人間がつくられたのも、全部その時点からの同時スタートなんですね。
 ところが今の科学でわかっていることは、宇宙は138億年前にビッグバンで始まっているし、地球は大体46億年前、それから生命は大体35億~36億年前、というふうになる。人類の祖先に至っては、せいぜい20万年ぐらい前でしょうか。文明は数千年ぐらいですかね。(……)
 (180; 家泰弘・小野塚知二・橋本英樹・横山禎徳・中島隆博「倫理の語り方」)

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 橋本 家先生がまさに今おっしゃっていただいた、やっぱり説得力であるとか、常に仮説であるということは、かつての、いわゆる単純認識論的デ・ファクトがそこにあるという考え方を、もはや近代物理学はとれない、ということです。そこで、科学者同士の間で、ある一定のルールに基づいたコミュニケーションの中で、はじめて真実が常につくり上げられていく、絶え間ない努力の下でつくり上げられていく。そのときそのときの真実という形のものに、もしなってきているんだとすると、何ていうんだろう、家先生たちの世界の真実というものの議論と、なにかすごく相同性が高くなってきていると思います。
 中島 そうなんです。おっしゃるように、ある意味で社会とか共同体の問題が、科学の真理の問題にもう入り込んじゃっているわけですか。別に外になにか共同体とか社会があって、科学は特権的な仕方で真理にアプローチするというモデルでは、もうないわけですよね。科学者が構成する共同体や社会それ自体が、実は真理のあり方と関わっちゃっているわけです。
 橋本 一種のコミュニケーションモードとしての科学である。
 中島 そう。
 橋本 ある一つの真実というものに対する、言ってみれば価値観を共有した者同士で成り立つコミュニケーションモードの下で、常に真実というものがつくり上げられていく。
 (195~196; 家泰弘・小野塚知二・橋本英樹・横山禎徳・中島隆博「倫理の語り方」)


 一二時一〇分まで惰眠を貪った。今日は出来れば早めに起きて午前中のうちに医者に行くつもりだったのだが――木曜日は医院が午前しかひらいていないのだ――その計画は我が身の怠惰のために果たされなかった。ベッドを下りるとコンピューターに寄って起動させ、TwitterSkypeなどを覗いたあとに上階に行った。母親は昼食を取っているところだった。米がないので主食はパンだと言いながら、母親自身は海苔を巻いた餅を食っていた。こちらは一月二日の日記にも記したように、喉に詰まらせて死にたくないので、餅は一生食わないことに決めている。それで台所に入ってナメコとエノキダケの味噌汁を椀によそり、小松菜とハムを炒めたものも中皿に取った。そのほか生サラダがあり、またフランスパンを焼きなと母親が言うのに、パンを焼いてバターを塗ったりするのは面倒臭えなと思っていたのだが、母親がお構いなしにオーブン・トースターにフランスパンを二枚入れてしまったので、卓に就いてちょっとものを食べたあと、焼き加減を確認して取ってきた。テレビは『サラメシ』を映していた。新聞の社会面を覗くと、エマニュエル・ウォーラーステイン池内紀の訃報があった。後者の方は既に前日、Twitter上で多数の人が言及しているのを見かけていた。カフカの『城』なども、また読みたいものだ。食事を取り終えると、母親が前日に買ってきたパモキサン錠――ぎょう虫の薬――を服用した。一度に五錠も服用しなければならなかったので、一つずつ口に入れては水で流し込んでいった。それから食器を洗い、風呂も洗って自室に戻ってくるとコンピューターに寄り、しばらくTwitterを覗いたり、FISHMANSCorduroy's Mood』を流して歌を歌ったりしたのち、一時半からこの日の日記を記しはじめた。ここまで一〇分少々で綴っている。今日は地元の図書館に行って予約しておいた牧野信一『ゼーロン・淡雪 他十一篇』を借り、その後(……)に出て書店で町屋良平『愛が嫌い』を購入する。(……)さんの望みで、牧野信一に加えて町屋良平も二一日の読書会の課題書に追加されたのだ。後者も図書館で借りても良いのだが、どうも今貸出しされているところらしいので、手っ取り早く買ってしまおうと思ったのだった。
 それからcero "Yellow Magus (Obscure)"を流して口ずさみながら服を着替えた。下は例のオレンジ色のズボンを履き、上はGLOBAL WORKのカラフルなチェック柄のシャツを久しぶりに身に着けた。そうしてコンピューターをシャットダウンし、リュックサックに荷物を整理して上階に上がった。すると、母親が一〇〇〇円貸してくれと言う。祭りの手伝いをしてくれた(……)さんと(……)さんという人に礼金を差し上げるのだが、細かい金がないらしい。それで一〇〇〇円を渡し、母親が支度をするのを待ちながら、ソファに就いて手帳を眺めた。彼女も図書館に行くと言うので、車に同乗させてもらうことにしたのだった。母親は例によって、眼鏡がないなどと言って辺りを探し回ったり、着ていく服に迷って着替えたりとぐずぐず時間を掛けていた。そのあいだこちらは手帳に目を落とし、瞑目して読んだ事柄を一つずつ頭のなかで反芻していた。そうして母親の支度がようやく整う頃には、二時二〇分頃に達していた。玄関に行き、そこにあった雑紙の入った紙袋を持って扉を抜け、駐車場脇の物置きに入れておく。そうして母親が出てくるのを待ち、車を出してもらって助手席に乗り込んだ。
 初めに向かったのは(……)さんの宅である。坂を上って行き、平らな道をちょっと行ってから左の上り坂に折れたところで車は停まった。母親が戸口でIさんとやりとりをしているあいだは、こちらは手帳を取り出して目を落としていた。それから今度は、(……)さんの宅に向かう。坂を上りきったところで左折して細い道に入って行くのだが、このあたりが(……)さんの家だろうとこちらは呟いた。(……)しかし、辺りに並んでいる家のなかのどの宅が件の(……)さんの家なのかはわからなかった。(……)さん宅の前に車は停まり、母親は降りて行って戸口に向かい、こちらは手帳を見ていたが、母親はすぐに戻ってきた。どうも不在だったらしい。
 それでふたたび出発して、(……)の(……)図書館へと走る。市街を抜けるあいだ母親は、仕事を始めてから家にいるのがますます嫌で仕方がない、仕事がない日はあったら良いのになあと思う、それなので週三日に増やそうかとも思うというような話をした。仕事を辞めてからそのありがたみがわかったね、とも呟き、そのように労働を称揚するような価値観にはこちらは馴染んでいないのだが、まあやり甲斐を感じられて人生に張り合いが出ているのだとしたらそれは良いことだと思う。母親はある種、ワーカホリック的なところがあるのかなとも思ったが、こちらが忌避するのも仕事と言うよりは義務的な「労働」の方なのであって、「仕事」ということで言えば、自分としては毎日このように書いている日記だとか本を読むことだとかがこちらにとってのそれだと認識しており、毎日読み書きをすることに苦痛を覚えないどころかそれこそが生の主要目的だとすら信じているので、そういう意味ではこちらも大概ワーカホリックなのかもしれない。義務的な「労働」に関しても、昔よりはよほど慣れたと言うか、実際のところ今ではそこまで忌避してもおらず、金を稼ぐこと以外にも人間たちのあいだに入って人々との交流を保つという点で一定の意味合いはあるという考えに至っている。とは言え、やはり働かなくて済むならばなるべく働きたくはないというのが正直なところでもあるのだが。(……)駅付近に近づいた頃、消防署の前あたりの位置だったと思うが、母親はもう一度、週三日に仕事を増やしたい気もすると言って、どう思うかとこちらに問いを差し向けて来た。しかしこちらとしては本人がやりたければやれば良い以上の感想がないので、知らねえよ、好きにしろ、と冷淡に突き放し、特にどうも思わないとすげなく払った。何故こちらがいちいち助言を与え、母親の肩を押してやらなければならないのかという話だ。
 それで、(……)から今は(……)に変わったビルの上層にある駐車場に入り、車から降りると大きく背を伸ばし、狭い座席に押しこめられて固まった身体をほぐした。それから母親と連れ立って歩き出し、ビルのなかに入ってエスカレーターを一階分下りて、図書館や(……)のあるビルの方に繋がる上空通路を渡った。渡る際に外に広がる駅前の景色に目を向け見下ろしたが、さほどの不安や怖さは感じなかった。(……)の前を過ぎる際、母親は、垢擦り三五〇〇円だって、などと張り紙に注目していた。エレベーターの一方がちょうどひらいて人が入り、下りて行くところだったが、こちらは急がず鷹揚な足取りを保って扉が閉じるに任せ、もう一方のエレベーターのスイッチを押した。そうしてやって来たエレベーターに乗り、二階まで下りて出ると図書館に入館した。カウンターに寄って、ルドルフ・ヘス/片岡啓治訳『アウシュヴィッツ収容所』を返却したあと、CDの棚を見に行こうとしたが、そこで予約図書を借りるのだったと思い出してカウンターにふたたび近寄り、予約している資料がありましてと図書カードを差し出した。それで牧野信一『ゼーロン・淡雪 他十一篇』を借り、それからCDの棚を見に行き、ロック/ポップスの区画の端をちょっと冷やかしたが、目ぼしいものもなさそうだったので雑誌を見ている母親の脇を通って上階に上がった。新着図書には、クリストファー・ブラウニング――という著者名だったと思うが――『普通の人々』が見られた。ちくま学芸文庫の本で、ナチス時代に「普通の人々」がどのように無意識の内に政権に加担したのか、というようなことを論じているものだと思う。これはまさしくこちらの興味のど真ん中を撃っている著作であり、いずれ読まなければならないことは当然であり、先日、(……)くんとの読書会のあとに行った淳久堂で買ってしまおうかとも思いつつも見送ったのだったが、図書館に入荷されるとは好都合である。ほか、アーサー・ウェイリー版の『源氏物語』の翻訳の四巻目があったりして、こちらも是非とも読んでみたい。
 新着図書を確認したところで、ほかに何か借りるつもりはなかったので便所に行って放尿した。個室からは何かの音声が流れ出していた。誰かがスマートフォンで動画か何か見ているのだろうか。何か着物についての番組といったような趣だったのだが、あるいはもしかすると、手続きをするのが面倒臭い横着者が、DVD再生機を持ち込んで図書館のDVDを不法にトイレで視聴している、というようなことだろうかとも推測したが、真実は知れない。放尿を済ませるとハンカチで手を拭きながら室を抜け、階を下り、退館して歩廊を渡って駅に入った。ホームに下りて端の方にあるベンチに就き、牧野信一の本をちょっとめくってみたあと――小説だけでなくてエッセイの類も三篇収録されていた――手帳を取り出して書いてある事柄を復習した。じきに電車がやって来たので乗り、七人掛けの端に就いて手帳を見ながら(……)までの時間を過ごしたが、頭のなかで読んだ文言を反復するために目を閉じていると眠気が薄く生まれて籠り、脳内の思考があらぬ方向に遊泳していくのだった。
 電車内はかなり空いていた。(……)に着くとしばらく待って人々がいなくなってから降り、階段を上った。一・二番線ホームから上ってすぐ左側にはおにぎりの店があって、ここのおにぎりを以前からちょっと食ってみたいと思っている。それを横目に過ぎ、改札を抜けて群衆の一片と化しながら北口広場へ出た。広場では高齢の人々が何かの演説をしたり、チラシの類を配ったりしていたが、何について訴える活動なのかは確認しなかった。伊勢丹の横を通り抜け、歩道橋を渡る際、車椅子に乗った女性が向かってくる人々を避けるのに苦慮しており、大変だなと思った。こちらは後ろから邪魔にならないように距離を大きめに取って追い抜かし、そうして高島屋に入館した。エスカレーターを上って六階の淳久堂に入り、まず思想の区画の新着棚を見たが、大方既に見たことのある著作だった。その向かいにはみすず書房の著作が揃えられていたり、書物復権シリーズの本が並べられていたりして、みすず書房の本たちのなかに、やはりナチス時代のドイツ人民について書いたような書物が一つあったと思うが、著者名も書名も忘れてしまった。それから二つ隣の通路に移って、ドイツ史の著作を見分した。勿論関心はナチス時代やホロコーストについてで、興味深いものはいくらもあるのだが、どれもやたら高い。ラウル・ヒルバーグのホロコーストについての著作など多分界隈では古典的な著作として扱われていると思うのだが、上下巻で一巻六〇〇〇円以上もする。こんなものをいちいち買っていたらいくら金があっても足りない(……)通路を抜け、日本の文芸の区画に向かって町屋良平『愛が嫌い』を取りに行ったのだが、これが棚に見当たらなかった。それでオリオン書房の方に行ってみるかというわけで早々に淳久堂書店を退出し、エスカレーターで下りて行ってビルを抜けた。高架歩廊を辿ってオリオン書房の入っているビルに入ると、HMVからどうでも良い、毒にも薬にもならない類のジャパニーズ・ポップスが流れ出ている。その横を過ぎてエスカレーターを上り、オリオン書房に入ると日本文学の棚を見に行った。ここには『愛が嫌い』は無事に見つかったので棚から抜き出して保持し、次に壁際の海外文学を見分した。ジョイス・マンスールの新しい翻訳らしきものが平積みされていた。棚を結構じっくりと見分してから今度は思想の区画に移ったが、ここは平積みされている新着図書をさっと見るのみに留めて、余計なものは買わずにさっさと喫茶店に行こうというわけで会計に向かった。一七八二円を支払ってエスカレーターに乗り、本をリュックサックに収めながら一階下りたところで便所に行った。何だか腹の調子が良くなかったのだ。個室に入って糞を垂れてみると、やや下痢気味の柔らかいものだった。尻の穴をよく拭き、立ち上がって水を流すと室を出て手を洗い、ハンカチで手を拭いながら外に出て、ビルを退出した。高架歩廊を辿っていき、歩道橋を渡ったところで左折して階段を下り、下の通りに出ようとすると道を自転車が結構な勢いで走ってきて通り過ぎて行き、危うく当たりそうになったので、危ねえなと思った。こちらは基本的に急ぐとか焦るとかということがないので、あのように周りもあまり見ずにスピードを出して走る人間の心持ちがよくわからない。それからビルのあいだの薄暗い路地を抜けて表通りに出て、(……)に入った。ポケットに手を突っ込んでカウンターの前を通り、階段を上がって、カウンター席にリュックサックを置くと財布を取り出して下階に戻り、アイスココアを注文した。Mサイズは三三〇円である。礼を言って品物を受け取り、階段を上がってカウンター席に入って、ココアの上に乗せられたクリームをストローで掬い取って食い、褐色の液体も一口飲むとコンピューターを取り出し、この日の日記を書きはじめた。時刻は四時半だった。その時店内に掛かっている音楽が、なかなかソウルフルで好感触なものだった。サビの最後で"I know, she knows"と強調して歌っていたので、多分これを手掛かりに同定出来るのではないか。帰宅後に検索してみるつもりだ。(……)は全体的にわりあいに音楽のセンスが良い。日記をここまで綴るとおおよそ一時間が経って、五時半が迫っている。
 それからさらに一時間打鍵を続け、九月一日の記事を完成させたところで作業を切り上げることに決めて、トイレに行った。放尿してから出てくるとコンピューターをシャットダウンし、腕時計を手首に戻し、リュックサックに荷物を入れて勢い良く背負い、氷の溶けたグラスの乗ったトレイを持って返却台に置いておき、近づいてきた女性店員に礼を言って階段を下った。一階のカウンターの向こうにいた女性店員にも会釈を送って退店し、居酒屋の客引きたちのあいだを抜けて裏道に入り、「(……)」に行った。豚骨つけ麺というものを初めて試してみることにした。七五〇円である。さらにトッピングに葱を選んで合わせて八五〇円を払って食券を入手し、サービス券とともに近づいてきた若い男性店員に差し出して、サービス券は餃子を選び、つけ麺は中盛りに出来ると言うのでそうしてもらった。カウンターのちょうど曲がるところの一席に就くと携帯を取り出して母親にラーメンを食ってくるとメールで知らせておき、手帳を読みながら品物が届くのを待った。冷房がもろに当たるところで、やや肌寒かった。しばらくして、まず餃子が持って来られた。すると手帳を仕舞い、割箸を取ってかちっと音を立てて割り、餃子に醤油と酢を掛けて、まだ熱いそれを一個ずつ口に入れて行った。五個すべてを食べ終わった頃に、ちょうどつけ麺が届いた。中盛りでも結構麺の量は多く、その上にさらにトッピングの葱がどっさりと乗せられていた。膜が出来そうな濃い肉色のスープのなかにも葱がたくさん浮かんでいる。つけ麺というものを食いつけていないのでどういう作法が正解なのかわからないのだが、普通に麺を葱の下から引きずり出してスープにつけて啜った。味が濃くて結構美味かったが、如何せん普通のラーメンと違って麺が冷たいので食っているうちにスープの熱が減じて行って、これは何とかならないものかと思ったのだがそれもつけ麺というジャンルの仕様の一つなのだろうか。店内にはいつものように毒にも薬にもならない類の退屈なJ-POPが騒々しく掛かっていた。そのなかで一度、宇多田ヒカルが掛かったのが何となく毛色が違うように思われた。
 食事を終えて水を飲み干すと、長居はせずにすぐに立ち上がり、満たされた腹を抱えて退店した。階段を下りて道に出て、駅の方へ向かうと、(……)よりもよほど都会である(……)の、ビルばかり立っている駅の前でも、コオロギかアオマツムシか、秋虫の音が群衆のざわめきや車の音にも負けず辺りに響いている。駅前に僅かに立っている乏しい木々から懸命に声を放っているようだった。それを聞きながら階段を上って高架歩廊に上がり、広場を経由して駅舎に入り、群衆のなかの一片となって改札をくぐった。直近の(……)行きは五番線だったが、座りたかったので二番線の後発に乗ることにしてそちらに向かい、ホームに下りると電車はまだ来ていなかったのでベンチに座って手帳をひらいた。しばらくしてやって来た電車に乗り、七人掛けの端に就いて偉そうに脚を組んで引き続き手帳を眺めていたが、発車してちょっと経つと電車の揺れに感応して眠気が身内から浮かんで来て、残りの道中は大方意識を曖昧にしていた。(……)に着いてもすぐには降りず、目を瞑り、横の仕切りに頭を凭せ掛けてちょっと休んでから降車した。ホームを歩いてベンチに座り、目の前に停まっていた(……)行きが出てしまって辺りが静かになると、携帯電話を取り出して(……)さんに電話を掛けた。(……)さんというのは大学時代にバンドを組んでいた仲間の人である。出会った時に四〇手前だったはずなので、今はもう四〇代も後半に掛かった頃合いかと思うが、仲良くさせてもらい、三年くらい前に一度会って、こちらの体調が悪くなりはじめていた二〇一七年の年末にも連絡をくれたのだった。もう随分と会っていなかったし声も聞いていなかったので、久しぶりに顔を合わせたいと思って電話をしたのだったが、その(……)さんはコール三回くらいですぐに応答した。お久しぶりです、(……)ですと挨拶をすると、書いてるのと来るので、書いてますと答える。(……)さんの生活はあまり変わっていないらしく、ドラムも続けていると言ったが、ただバンドは辞めて一人でやっているらしく、「山に籠っている」ようなイメージだと言う。こちらも、昨年はちょっと体調が悪くなって一年間休みを貰ったのだが、五月くらいから塾の仕事にも復帰して、相変わらずフリーターとして働く一方で書き物をやっていると話した。(……)さんはこちらの毎日の活動に感嘆らしき息を漏らし、もうだいぶ、自分の思うように書けるようになったでしょ、と訊いたが、こちらは、ああまあ、どうなんですかねえと煮え切らない答えを返した。作品を楽しみにしていると言う。こちらはもう小説作品を作る気はあまりないのだが、そのあたりは説明せず、苦笑で返した。それから、俺、彼女出来たのよ、と(……)さんは言った。以前は結婚していたのだが、その後離婚してそれ以来独り身だったはずだ。それで、このあいだ井の頭公園に行ってボートに乗ったのね、そこで(……)くんのことも思い出して――と言うのは、もう何年も前にやはり我々も男二人で井の頭公園のスワンボートに乗ったことがあるからだが――そんな話もしたんだけど、と言う。今何歳かと訊かれたので、二九だと答えると、(……)さんは、もうそんなになるのかと大層驚き、だって会った時、二〇歳くらいじゃなかったと訊くので肯定した。三〇も目前になりながら、未だにフリーターで親元に置いてもらっている身ですよと自嘲すると、まあでも、今はもうそんなの関係ない時代だからね、気にしなくても良いよと(……)さんは言った。
 彼は今、休暇で神津島というところに訪れているらしい。今検索してみたところ、伊豆諸島のうちの一島らしい。それで土曜日に帰ってくるので、そのあとにまた連絡するよと(……)さんは言うので、了解して、お願いしますと言って通話を終えた。それから手帳をひらき、読むのではなくて今日のことをメモに取って行きながら電車を待ち、来ると乗り込んで座席で引き続きメモを取って最寄り駅に着くのを待った。着くと降りて駅舎を抜け、暗闇の浸透した坂道を行きながら、岸政彦のやっている「聞き書き」を、(……)さんを相手にやってみたいなと考えていた。インタビューのような形でこれまでの人生行路をたっぷり語ってもらい、それを録音して発言を編集せずにすべてそのまま文字起こしして日記に載せるというような計画だ。そう考えると、(……)さんについて、こちらは意外とあまり知らないぞということに気がついた。若い頃にアメリカを横断する旅のようなことをしていたり、バンドをやっていてデビュー寸前まで行ったというようなことは知っているが、そもそも出身地すら、聞いたのかもしれないが覚えていない。(……)さん相手でなくても良いが、「聞き書き」という試みはいずれ是非ともやってみたいところだ。
 帰宅するとカバー・ソックスを脱いで洗面所の籠に入れておき、下階に戻ってコンピューターを机上に据えた。パンツと肌着のシャツ姿になってTwitterを覗いたり、FISHMANSを歌いながら九月一日の記事をインターネットに投稿したりしたあと、九時に至って日記を書き出そうとしたのだが、そこで(……)で耳にした音楽のことを思い出し、検索を始めた。"I know she knows"でそれらしい曲がすぐに出てくるだろうと見込んでいたのだが、ところがちっとも聞き覚えのある曲が出てこなかった。lyrics searchで調べて出てきたサイトをいくつか活用して、候補曲のタイトルを別のタブでまた検索して片っ端から聞いてみたのだが、全然目的の音源に当たらなかった。挙句の果てに、「(……) BGM」などで調べて情報を求めてもみたが、それで出てくるはずもない。結局、あの曲が誰の何という音源だったのかは不明なまま諦めて、風呂に入ろうと上階に上がった。父親がもうそろそろ帰ってくると言うので、入浴はさほど時間を掛けずにさっと済ませ、戻ってくると一〇時過ぎ、この日の日記の続きに取り掛かった。ここまで綴って一一時前だが、こんな調子ではいつまで経っても溜まっている日記の負債を返しきることが出来ない!
 そのままさらに一時間、九月二日の日記を綴って、零時を回ったところでこの日の作文は切りとした。それから(……)さんのブログを読もうとしたのだが、コンピューターの動作がやたら鈍重になっていたので、一旦再起動を施した。それに時間が掛かりそうだったので待っているあいだはベッドに移って、ハン・ガン/斎藤真理子訳『すべての、白いものたちの』をちょっと読み進め、しばらくしてからコンピューターの前に戻ってログインしたのだが、すぐにブログを読むのではなくてインターネットを回ってだらだらとしてしまった。それで(……)さんの日記を読みはじめたのは一時半前、二日分を読んで――こうして毎日二日分を読んでいけば、いずれは最新記事に追いつくはずだ――、その後、プリーモ・レーヴィ/竹山博英訳『これが人間か』の書抜きも少し行って二時前に至った。コンピューターをシャットダウンしてベッドに移り、ハン・ガン/斎藤真理子訳『すべての、白いものたちの』を読みはじめ、一時間ほどで最後まで読み終えた。感想や考察の類が生まれそうな気配がないでもないので、もう一度最初から読み返してみようと思っている。と言うかこの夜に早くも再読を始めようと思ったところが、読了して気が緩んでしまったのか、冒頭に戻らないうちにいつの間にか意識を失っており、気づくと四時に至っていたので明かりを落として眠りに就いた。


・作文
 13:31 - 13:44 = 13分
 16:28 - 18:26 = 1時間58分
 22:05 - 24:08 = 2時間3分
 計: 4時間14分

・読書
 25:23 - 25:33 = 10分
 25:36 - 25:52 = 16分
 26:00 - 27:00 = 1時間
 計: 1時間26分

  • 「わたしたちが塩の柱になるとき」: 2019-08-27「宝石を転がす舌で口にする合言葉よりたしかなものを」; 2019-08-28「化膿した母語の傷口瘡蓋を剥いて原稿用紙に並べる」
  • プリーモ・レーヴィ/竹山博英訳『これが人間か』朝日新聞出版、二〇一七年、書抜き
  • ハン・ガン/斎藤真理子訳『すべての、白いものたちの』: 146 - 186(読了)

・睡眠
 4:00 - 12:10 = 8時間10分

・音楽