2019/9/17, Tue.

 飲んでるんだろうね今夜もどこかで
 氷がグラスにあたる音が聞える
 きみはよく喋り時にふっと黙りこむんだろ
 ぼくらの苦しみのわけはひとつなのに
 それをまぎらわす方法は別々だな
 きみは女房をなぐるかい?
 (谷川俊太郎『夜中に台所でぼくはきみに話しかけたかった』青土社、一九七五年、10~11; 「夜中に台所でぼくはきみに話しかけたかった」; 「2」全篇; 「武満徹に」)

     *

 総理大臣ひとりを責めたって無駄さ
 彼は象徴にすらなれやしない
 きみの大阪弁は永遠だけど
 総理大臣はすぐ代る

 電気冷蔵庫の中にはせせらぎが流れてるね
 ぼくは台所でコーヒーを飲んでる
 正義は性に合わないから
 せめてしっかりした字を書くことにする
 (12~13; 「夜中に台所でぼくはきみに話しかけたかった」; 「3」; 「小田実に」)

     *

 にっちもさっちもいかないんだよ
 ぼくにはきっとエディプスみたいな
 カタルシスが必要なんだ
 そのあとうまく生き残れさえすればね
 めくらにもならずに

 合唱隊は何て歌ってくれるだろうか
 きっとエディプスコンプレックスだなんて
 声をそろえてわめくんだろうな

 それも一理あるさ
 解釈ってのはいつも一手おくれてるけど
 ぼくがほんとに欲しいのは実は
 不合理きわまる神託のほうなんだ
 (15; 「夜中に台所でぼくはきみに話しかけたかった」; 「4」; 「谷川知子に」)


 一一時に起床した。陽射しが寝床に射し込んでいた。ベッドから降りるとコンピューターの前に行ってスイッチを押し、起動して準備が整うのを待ったあと、Twitterをひらくと、UくんとHさんの二人からダイレクト・メッセージが届いていた。Uくんは、ピエール・ルジャンドルの勉強は一時中断していて、今は修士論文のためにKendrick Lamarのラップの読解に取り組んでいるとのことだった。Hさんからは、唐突だが明日の午後は空いているか、あるいは二七日金曜日の午後はどうかとあったので、明日は労働だが二七日ならば空いていると返信しておいた。そうして上階に行くと、着物リメイクに出掛けたはずの母親が帰ってきたところだった。休みだった、と言う。それで帰りに買い物をして来たその荷物を運んでくれと言うので、玄関に置かれた大きなクーラー・ボックスと布袋を台所の方に運んだ。食事は前日の残り物として五目御飯にセブン・イレブンのメンチカツ、それにキャベツや人参など生野菜のサラダがあったので、温めるものは温めて卓に配膳し、新聞をめくってものを食べはじめた。平らげると氷の入った冷たい水で抗鬱薬を流し込み、台所に移って食器を洗った。そうして次に風呂を洗っていると母親が、二八日は結局どうする、お前も行く、と訊いてくる。立川のホールで開催される村治佳織渡辺香津美のコンサートである。なかなかに興味深そうなので、行こうじゃないかと答え、浴室から出ながら、それで俺は帰りに立川の家で夕食を頂いて来ようかな、と言うと、どこか外で食えば良いではないかと母親は言う。立川図書館を不正利用するために、YかKの図書カードを貸してもらいたいとこちらは思っており、そのためにはすぐにカードを受け取れるように先方の宅に出向いた方が都合が良いのだが、まあそう急ぐ話でもないし、どちらでも良いことではある。
 そうして母親が買ってきたチップ・スター(サワークリーム・オニオン味)を分けてもらって自室に持ち帰り、ぱりぱり食いながらTwitterを眺め、食べ終わるとUくんに返信を送った。Uくんが紹介してくれたKendrick Lamar "Alright"の音源をyoutubeで聞き、格好良いですねと送ったのだが、こちらには想起される記憶があって、と言うのは、数年前にNew York Timesで読んだCornel Westのインタビューのなかで、Kendrick Lamarの曲の一節がアメリカの若者のあいだでデモのコールとして使われている、と言われていたのを思い出したのだ。その一節というのが、この"Alright"という曲の主要部分として繰り返される、"We gon' be alright"というフレーズだった。このような叫びの背景と言うか系譜としてはさらに、Donny Hathawayの"Little Ghetto Boy"の後半で繰り返し合唱される"Everything has got to get better"などがおそらくあるだろうし、Bob Marleyが"No Woman, No Cry"のなかで吠えている"Everything's gonna be alright"ももしかしたらその源泉の一つとして位置づけられるのかもしれない。それはともかくとして、こちらはそのCornel Westの記事を思い出したので、Evernoteの記録のなかから該当記事を探し出して、URLをダイレクト・メッセージ欄に貼りつけてUくんに紹介するとともに、こちらの印象深かった部分についていくらか述べておいた。
 音楽はFISHMANSCorduroy's Mood』を流していた。その後、正午を過ぎた頃合いからMさんのブログを二記事読み、それからは自分の最近の日記をいくつか読み返してしまい、あっという間に一時半に近づいたところでSIRUP『SIRUP EP』を背景に、ベッドに乗って柔軟運動を行った。それからようやくこの日の日記を書き出して、ここまで記すと二時ももう目前となっている。またどうせやたら長くなるであろう前日の記事を記さなければならないのが大層面倒臭い。
 三時半まで文を綴って、それから読書である。町屋良平『愛が嫌い』。しかし本当に毎度毎度のことで呆れてしまうが、眠気にやられて、五時まで続けた読書のあいだ、四五分間くらいは眠っていたのではないだろうか。それからさらに、五時半頃まで休んでから夕食を作りに上階に行った。母親は、米がないのでうどんにすると言い、それを煮込むための汁だけはもう作ったと言った。加えておかずを作るためにこちらは台所に入り、玉ねぎとモヤシと豚肉を炒めることに決めた。玉ねぎ二つの皮を剝いて細く切り分けていき、笊に入れられた茹でモヤシの上に乗せておく。それから生ニンニクを細かく刻んで油を引いたフライパンに投入し、その上から野菜も被せ入れた。しばらく炒めると小間切れになった豚肉も加えて加熱し、味付けは砂糖と醤油で済ませた。こちらが炒め物を作っているあいだ、横の流し台の方では母親が大根や胡瓜や人参を細くスライスして生サラダを拵えていた。炒め物が完成すると次に鍋で湯を沸かし、生麺のうどんを放り込んでさっと茹でると、野菜や肉の入ったスープの方に移して少々煮込み、丼によそった。まだ六時頃だったが、早くも夕食を取ってしまうことにしたのだ。それでそれぞれの品を皿に盛って卓に運ぶと、椅子に腰掛け、甘じょっぱい炒め物を貪り、うどんを啜った。テレビは何かしらのニュースでも映していたのではないだろうか、特段に覚えていることはない。食事を終えると抗鬱薬を服用し、食器を洗って下階に帰った。コンピューターに向かい合って、LINEを見ると、T田からメッセージが入っていた。女の子の仕草などの描写が豊富な小説作品でも知らないか、という問いだった。彼はどうやら『Steins; Gate』の二次創作を書こうとしているようなのだが、その参考となるような文章を求めているとのことだった。それでEvernoteの読書記録を探りながら少々考えてみたのだが、まずそもそも自分はあまり若い女の子の出てくる小説というものを読んでいないような気がした。そのように伝えて、続けて、T田が求めるものとは違う気がするがと留保を置きつつ、少女の心理や感情を描いたものとしては、太宰治の「女生徒」の名前が浮かんだと言っておいたが、この作を読んだのも随分と昔なので、細かな印象は特に残ってはいない。さらに続けて、二五日水曜日の昼間は空いていないよなと問いかけたのだが、その時日には大阪にいると返ってきた。二五日には吉祥寺SOMETIMEで昼から大西順子がライブをやるので、是非とも見てみたいのだ。勿論一人で行ったって良いわけだが、ただ一人でライブを観に遠出をするというのも何となく面倒臭い感じがして、どうせ吉祥寺まで出向くならば誰かと会いたいような気がしているのだった。しかし平日の昼間だから身の自由な人間もなかなかいないだろう。やはり一人で行ってみるべきだろうか? 
 七時直前からふたたび日記に取り掛かった。ハン・ガン『すべての、白いものたちの』の感想を、そんなに長くもないし大したものでもないのだが書くのにやはり手こずり、八時半まで時間を掛けたところで風呂に行った。浸かって上がって戻ってくると、九時ぴったりから一〇分ほどまた文を綴り、今日はここで切りとすることにした。それから三〇分ほどのあいだは何をやっていたのか不明である。一〇時前から過去の日記を読みはじめたが、同時にTwitter上でまた夜の話し相手を募集していた。すると、KUさんという方がすぐに応じて来てくれたので、ダイレクト・メッセージでやりとりを始めながら、二〇一六年六月一五日の日記を読んだ。「雨はもはやないが、広がった水気に街灯の色が忍びこんで、駅前の通りに金色の靄が生まれていた。裏通りを行きながら民家の向こうを縁取る林のほうを眺めても、白濁した夜空が降りてきて樹頭の輪郭線が霞んでおり、地と空が繋がって白灰色の壁を作っているために、ビニールハウスのなかに包まれているような感じだった」という一節がまあまあだなと思われた。さらに、Sさんのブログの七月後半の記事も読み進めながら、KUさんとやりとりを交わした。彼は今、ショーロホフというロシアの作家の『静かなドン』という大長篇を読んでいると言った。初めて聞いた名前だが、ソルジェニーツィンと折り合いの悪かったソ連の作家らしく、この世界にはまったく作家という存在がいくらもいるものだ。ソルジェニーツィンの名前が出たので、『収容所群島』もやたらと長い、確か六巻あるのだったか、と振ってみると、この作品も併読中だとKUさんは答えた。
 その後、今まで読んだなかで一番印象に残っている作品は何かあるかと尋ねてみると、筒井康隆『霊長類 南へ』、レマルク西部戦線異状なし』、井上ひさし吉里吉里人』『父と暮らせば』の名前が挙がった。どの作も作家もこちらは読んだことがないものだった。そのなかでも、レマルクをフェイヴァリットに挙げる人というのはなかなか珍しいのではないかという印象を持った。そういったところで、翌日が平日であることもあって、KUさんはそろそろ会話を終了させてもらっても良いかと伺いを立てて来たので、全然構わないです、ありがとうございましたと礼を言ってやりとりを終えた。
 そうして一〇時四〇分から二〇分ほど、プリーモ・レーヴィ/竹山博英訳『溺れるものと救われるもの』の書抜きをしたあと、しばらくだらだらとして、一一時半から町屋良平『愛が嫌い』を読み出した。読み出してまもなく、Hさんからダイレクト・メッセージが届いた。二七日の金曜日に会おうという話になっていたのだが、それに関してこちらは、吉祥寺SOMETIMEに行かないかと誘いを掛けていた。と言うのも、鈴木勲のバンドであるOMA SOUNDがその日にライブをやることになっていて、オマさんこと鈴木氏ももう八六歳だからいつ観られなくなってもおかしくないということで、是非行っておきたかったのだ。Hさんはジャズにはあまり興味がないのではないかと思いながらも誘ってみたわけだが、それに対して、是非行きましょう、めっちゃ楽しみですという返答が返ってきたので、こちらは安堵して、五時に吉祥寺駅集合ということに取り決めた。ちなみにHさんはこの日は仕事がかなり早めに終わったと言うのだが、かなり早めに終わっても既に日付替わりも間近になっているわけだからとんでもない。普段は帰宅は一時過ぎになり、長い場合には二時手前になることも往々にしてあると言うので、本当に体調にだけは気をつけてください、と労りの言葉を送っておいた。
 そうしてコンピューターの前に座って町屋良平『愛が嫌い』を読み続けたのだが、最初に載せられている「しずけさ」という作がなかなか面白かった。以前も日記に書いたけれど、町屋氏とは一時期交流していたことがあって、その時分に彼の書いていた作品も読ませてもらったことがある。その淡い記憶や、折に諸所で瞥見された情報からすると、記述を敢えてスカスカに拵え、風通しを大層良くした薄い文体で書く作家だという印象を持っていたのだったが、平仮名が多用されて確かに軽みを帯びており、幾分ポップとも言えるかもしれない文章ではあるものの、ところどころの描写がしっかりと書き込まれているのが感得された。特に、鬱症状――本文中では平仮名で「ゆううつ」と記されている――の人間が囚われる閉塞感や停滞の感覚、あるいはほとんど根源的な無感覚[﹅3]を、平易な言葉遣いでありながら通り一遍でなく的確に捉えているように思われたのだ。例えば、次のような具合である。

 (……)しかしゆううつのさなかにはゆううつ以外ない。三十秒先のことを考える気力すらないのだ。なにもおもしろくはないし、なにもうれしくもない。不安すら好調時のいち症状でしかなかった。ただ時間と不調だけがそこにある世界で、身を潜めている。(……)
 (町屋良平『愛が嫌い』文藝春秋、二〇一九年、15)

 驚きを驚くのは体力がいる。かれは感受したものや感動したことに思考を伴わせることができていないが、その源泉はまえとおなじようにからだにはある。それを自分に報せるだけの表現力すらないだけだっった。(……)
 (17)

 (……)ゆううつはゆううつを脱けるという価値基準をもてない。ゆううつを脱けたところで、そこにある世界想定もゆううつを離れたものではありえず、いきたい世界なんてどこにもないからだ。
 いきたい場所があるということが正常だ。
 それは過去か未来にある。
 おもいだしたい過去か、夢みるべき未来があるか。明日いきたい場所、あいたいひとがいるか。そもそもかれにはそんな思考も組み立てられない。ゆううつでは思考も時間も組み立てられず、ただおそろしい「今」をくりかえしていくしかなかった。このように「今」というのは純然たるモンスターだった。
 (29)

 書かれているのは「ゆううつ」の感覚でありながら、しかしここからはどろどろと澱み渦巻く暗鬱な自意識が取り払われていて、三人称の記述は平静に距離を挟んで病状を客観視しており、文章はあくまで軽くスムーズに、フラットに流れていく。この作家の文体は、水気をいっぱいに孕んだ暗雲のように垂れ下がる近代文学的な内面の重みから一線を画すことに成功しているのではないだろうか。「ゆううつ」の魔の手に囚われている棟方という人物は、夜ごと「久伊豆神社」の池を見物に行くのだが、池やその周囲の木々の様子、水に棲んでいる鯉や亀といった生き物の動き、大気の感触や光と闇の見え方などの風景、季節や天気や気温に影響されて日によって異なる様相を見せるそれらの差異も堅実に書き分けられており、予想していたよりもずっと描写の力に富んだ作家だという印象を受けた。
 零時四〇分まで読んだところで一旦中断し、腹が減ったので上階にカップ麺を用意しに行った。電気ポットから湯を注いで自室に持ってくると、割り箸を使って啜りながらレジス・アルノー「男性が不慮の死「外国人収容所」悪化する惨状 今もハンガーストライキが行われている」(https://toyokeizai.net/articles/-/295480)を読んだ。塩気の強いスープまで全部飲み干してゴミ箱に容器を捨てておくと、ベッドに移ってふたたび書見を始めたが、まったくいつものことでまた途中で意識を失った。二時半くらいまでは起きていたのではないだろうか。気づくと四時だったので、そのまま明かりを落として正式な眠りに向かった。


・作文
 13:28 - 15:29 = 2時間1分
 18:52 - 20:33 = 1時間41分
 21:00 - 21:11 = 11分
 計: 3時間53分

・読書
 12:07 - 12:22 = 15分
 15:39 - 17:00 = (45分引いて)36分
 21:49 - 22:33 = 44分
 22:41 - 23:00 = 19分
 23:29 - 24:40 = 1時間11分
 24:46 - 25:04 = 18分
 25:08 - ? = ?
 計: 3時間23分 + ?

  • 「わたしたちが塩の柱になるとき」: 2019-09-13「あいさつの言葉もいずれ古語となる中秋節の月は変わらず」; 2019-09-14「でたらめに巨大な獣から落ちる影こそ夜の正体だという」
  • 町屋良平『愛が嫌い』: 21 - 93
  • 2016/6/15, Wed.
  • 「at-oyr」: 2019-07-21「型」; 2019-07-22「夫婦」; 2019-07-23「眠り」; 2019-07-24「味覚喪失」; 2019-07-25「ギター」
  • プリーモ・レーヴィ/竹山博英訳『溺れるものと救われるもの』朝日新聞出版、二〇〇〇年、書抜き
  • レジス・アルノー「男性が不慮の死「外国人収容所」悪化する惨状 今もハンガーストライキが行われている」(https://toyokeizai.net/articles/-/295480

・睡眠
 4:00 - 11:00 = 7時間

・音楽