金は木の葉に変るといいと思うよ
全部じゃなくて半分くらい
そしたら木の葉を眺めて
一日中ぼんやり座っていられる
(谷川俊太郎『夜中に台所でぼくはきみに話しかけたかった』青土社、一九七五年、17; 「夜中に台所でぼくはきみに話しかけたかった」; 「5」)*
葉書を書くよ
葉書には元気ですなどと書いてあるが
正確に言うとちょっと違うんだな
元気じゃないと書くのも不正確で
真相はつまりその中間
言いかえれば普通なんだがそれが曲者さ
普通ってのは真綿みたいな絶望の大量と
鉛みたいな希望の微量とが釣合ってる状態で
たとえば日曜日の動物園に似てるんだ
猿と人間でいっぱいの
(20~21; 「夜中に台所でぼくはきみに話しかけたかった」; 「7」)*
題なんかどうだっていいよ
詩に題をつけるなんて俗物根性だな
ぼくはもちろん俗物だけど
今は題をつける暇なんかないよ題をつけるならすべてとつけるさ
でなけりゃこんなところだ今のところとか
庭につつじが咲いてやがってね
これは考えなしに満開だからきれいなのさ
だからってつつじって題もないだろう
(24~25; 「夜中に台所でぼくはきみに話しかけたかった」; 「9」)
八時に起床することに成功した。前夜は多分二時半くらいから意識を失っていたと思われるので、睡眠時間は五時間半といったところだろうか。コンピューターに寄って起動させ、Twitterにログインすると、ちょうどUくんからダイレクト・メッセージが届いているところだった。彼はKendrick Lamarのラップの分析で修論を書くつもりでいるのだが、それと関連して、奴隷制時代の黒人霊歌の歌詞について書いているブログを紹介してくれた(http://nagi1995.hatenablog.com/entry/547)。このブログがなかなかに凄いもので、様々な洋楽の歌を翻訳しているのだが、現在のところ六一三曲も揃っているようで、その網羅ぶりは素晴らしいものである。UくんがURLを貼ってくれたのは「Swing Low Sweet Chariot もしくはハリエット·タブマンと「地下鉄道」のことなど (19c. African-American Spiritual)」の頁で、それを軽く読んだあと、彼がさらに紹介してくれたDr. Dreの"Let Me Ride"という音源をyoutubeで閲覧した。"Swing low, sweet chariot, Comin' for to carry me home"と歌われる一九世紀の黒人霊歌の文言が、Dr. Dreによって"Swing down, sweet chariot, stop, and let me ride"と歌い直されている。黒人の歴史的遺産がしっかりと現代の文化のなかに根づいているわけで、こうしたギャングスタたちというのはおそらく、我々の想像以上に自らのルーツに対する意識が強いのだろうなと思った。Uくんはそれについて、「奴隷制時代から続いてきた宗教的な歌がそのまま引き継がれて、ゲットーを生き抜くギャングスタたちのラップのサビで歌い直される(しかも独自の解釈で)ことを見ると泣けます笑」とのメッセージを寄越した。さらに、Cornel WestがNew York Timesの記事(https://opinionator.blogs.nytimes.com/2015/08/19/cornel-west-the-fire-of-a-new-generation/)で述べていた希望の存在論的様態について彼は、それをテーマにした短い戯曲を書いたことがあると言って、それも紹介してくれたので、これは今日、労働から帰ってきたあとに上のブログの記事と合わせて読んでみなければなるまい。
それから上階に行った。食事は昨晩のうどんの残りだと言う。うどんが入った鍋を冷蔵庫から取り出して火に掛け、同じく前夜の残りである茶色の、肉と玉ねぎとモヤシの炒め物を電子レンジに突っ込む。それらを持って卓に就くと食事を始めた。テレビは『あさイチ!』を流しており、延命治療の是非といったようなことについて話が交わされていて、母親はそれを見ながら本当だよねえ、と呟いた。テレビで紹介されていた例では、脳梗塞の後遺症で意思表示がほとんど出来なくなり寝たきりで入院している祖母と、認知症で自宅介護を受けている祖父との双方に掛かる医療費が月に三〇万円と言われていたのだが、一体どこからそのような金が出てくるのだろうか? こちらの親のうちどちらかのみがそのような状態になったとしても、こちらには彼らをきちんと介護していける経済的余裕がいつまで経っても持てるとはとても思えない。
食べ終えると下階に下り、コンピューターの前にまたしばらく就いたあと、九時からベッドに移って書見に入った。町屋良平『愛が嫌い』である。最初の「しずけさ」は昨晩中に読み終えていたので、表題作「愛が嫌い」に入って読み進めていくのだが、何となく頭や肉体の感触からそうなるだろうと思っていた通り、また眠気に刺されてまもなく倒れることとなった。一時間半くらいは断続的に眠っていたと思われる。途中、一一時頃だったか、それとも一二時頃だったかわからないが、ベッドに倒れ込んでいると窓外で雨が降り出したのに気づいたので、急いで起き上がって上階に行き、ベランダの洗濯物を取り込んだ。それで戻ってから今度は眠らず読書を進めて、一時直前になって表題作を読み終わった。こちらも感触としては結構悪くなかったが、「しずけさ」の方が書き抜きたいと思う箇所が多くて、と言うか表題作の方には書き抜きたいと思うほど強い印象を覚える部分がなくて、今のところ冒頭の作の方が気に入られている。残るは書き下ろしの「生きるからだ」である。「愛が嫌い」を読み終わったところで本を置き、そのままベッドにごろごろとして休んだ。さっさと家事をやるなり、日記を書くなりしなければならないと思っていたのだが、眠りに落ちはしないにしても目を閉じて休み続け、あっという間に二時を迎えてしまった。その頃になると母親が帰ってきた気配が伝わってきたのでようやく起き上がり、上階に行った。玄関には買い物袋が置かれてあった。台所から笊を取って戸棚をひらき、米を三合掬い入れていると母親が外から入ってきたので、米を磨ぐよ、と言って流し台に移り、洗い桶に注ぎ込まれる流水のなかで素手を使って米を搔き混ぜた。洗い終えると釜に入れて、もう炊きはじめるようスイッチを押した。米を炊き、レトルトのカレーを食って出勤するつもりだったのだ。それから風呂を洗っていると、母親の、茄子が腐っていたという声が聞こえた。出てきて見てみると確かに袋に五本入った茄子のなかの一本の表面が木の洞のようにえぐれた風になっている。それを取り替えに行く際についでに職場まで乗せていってくれると言うので、言葉に甘えることにした。それからこちらは自分のシャツにアイロンを掛け、そうして母親が買ってきてくれたクレープバウムを二人で半分ずつ分けて食った。飲み物として母親が緑茶を淹れてくれたが、葬式の返礼品として貰ったというこの茶は彼女も言う通り、苦味ばかりが先走って味に深みやまろやかさがなく、全然美味くないものだった。使った食器を台所に片付けておくとこちらは下階に下りて自室に入り、FISHMANS『Corduroy's Mood』とともにこの日の日記を書きはじめた。その後、音楽をSIRUP『SIRUP EP』に繋げて、ここまで綴ると三時半前に至っている。
そのあと四時過ぎまで、前日か前々日のものか忘れたけれど、ともかく日記を書き続けたのち、食事を取るために上階に行った。上にも書いた通り、レトルトのカレーを食べるつもりだった。台所では母親が早くも夕食の支度を行っており、きんぴら牛蒡や、野菜や茸の入った汁物が用意されていた。焜炉を一つ空けてもらってそこに水を注いだ鍋を据え、まだまったく温まっていないのにレトルトパウチを最初から入れて火に掛けた。それでタオルを畳んだり新聞を瞥見したりしながら加熱を待って、カレーが温まると大皿に米を盛ってその上から注ぎ掛けた。そうして卓に就いて食ったのだが、このカレーが辛いだけで全然美味くない。味に深みというようなものがまったくなかったのだ。もっとも、同じ種類のレトルトカレーは以前にも食ったことがあったのでそのことは既に知っていたのだったが、改めて美味くないと口に出すと、母親も同意してみせた。訊けばこのレトルトカレーは父親の会社の知人か誰かが、長野県は蓼科に行ってきた際の土産物なのだと言う。その知人には悪いが、これは土産物としては低品質の部類である。文句を言いながら辛いカレーを食って、食器を洗うとシャワーを浴びに行った。身体にべたべたと付着していた汗を流し、臭いを取り払って、頭を洗ってから出てくると、パンツ一丁で下階の自室に戻り、携帯電話で吉祥寺SOMETIMEに電話を掛けた。それで九月二七日のOMA SOUNDの公演がある日にHさんと二人分の予約を取っておいた。開演は七時半、オープンは六時半だと言う。Hさんとは五時に待ち合わせをしていて、そのまま店に行ってくっちゃべりながら公演を待とうと思っていたのだが、六時半にならないと開かないのだろうか? その点、五時でも良いかと訊いてみれば良かったが、昼間から営業しているはずだから多分五時に行っても大丈夫なのではないだろうか。もし駄目だったとしても、ほかの喫茶店で時間を潰してから店に向かえば良い話である。通話を終えると仕事着に着替えて、歯磨きをしながらMさんのブログを読んだ。九月一五日付の記事を読んだところで時刻は五時一五分頃、最後にSIRUP "SWIM"を歌って、それでクラッチバッグを持って部屋を出、階段を上り、母親に行こうと告げた。それから数分、母親の支度を待って出発である。雨はもうほとんど降っていなかったが、つい先ほどまで降り残っていて路面は濡れそぼっていたし、空気は湿り気に包まれていつまた盛り出してもおかしくないように思われたので、黒傘を持った。それで母親の車の助手席に乗り込むと、例によってEvery Little Thingの音楽が掛かっている。
市街に向けて街道を走っていくあいだ、母親は突然、祭りの接待の話を始めた。今年は連絡がないからやらなくていいと思ってたって、そんなのないよねえ、毎年やってるんだから普通わかるよねえ、と言うのだが、およそどうでも良く、ただ一言知るか、と言いたいような話である。まずそもそも、主語を明示しないで言うので誰の話なのか不明だし、言われたところでこちらにはわからない名前だった。そしてさらに、地元の秋祭りなどもう二週間も以前に終わっているのであって、一体いつの話をしているのか、いつまでこだわっているのかとこちらは呆れてしまった。そう言うとしかし母親は、別にこだわっているわけじゃないけど、と薄笑みで執り成しながら曖昧に否定する。こういう時の母親は必ずそうした言動を取るのだ。続けて彼女は、このあいだもデニーズで打ち上げらしきことを行ったが、相手はやりましょうやりましょうと言うだけで一向に話が進まないので、自分の方からこの日はどうですかと訊かなければならなかった、ということを漏らすのだが、これも一言、知らん、という話であって、端的に行って糞みたいにどうでも良く、関心を持てなかった。
そのような話を聞き流しながら職場の傍まで送ってもらい、ありがとうと言って降りると、降り増した雨のなかを、しかし傘を差すのが面倒臭いので服にいびつな水玉模様をつけながら歩き、職場に行った。この日は室長の姿が見えなかった。準備は例によってすぐに済んだので、残った時間はいつものように手帳にメモを取っていた。そうして授業、この日の相手は(……)くん(中一・英語)、(……)くん(中一・英語)、(……)(高二・英語)である。前者二人はここのところ毎週当たっていると思う。(……)くんは先週はきちんと宿題をやって来て、単語テストの勉強もして来ていたようだったので、こちらの言葉の効果があったのかなと思ったのだったが、今回はまた宿題もテストの勉強も忘れてきていた。残念である。(……)くんはこの日、遅刻した。多少遅れてくることはあるが、それは五分程度の話であって、一〇分も一五分も現れないのは珍しかったので電話を掛けたところ、先ほど確かに家を出たと母親は言う。それでもう少し待ってみますと答えて切ったこちらの頭には、まさかどこかで事故にあったりしているのではないだろうなという可能性が過ぎっていたのだが、授業開始から三〇分ほど経って、髪を雨にだいぶ濡らした状態でやって来たので安心した。何故そんなに時間が掛かったのかはわからないし、訊かなかった。二人は今日は同じ箇所、himやherなどの代名詞目的格の単元と、when及びwhereの疑問文の単元を扱った。(……)は関係代名詞。まあ全体に問題はないだろうと思う。授業中、(……)が突然、友人の(……)さんの話を始めたのだが、彼女は演劇部に所属していてそれで都大会に出場するのだと言う。それを聞いて、確かに役者として映えそうだと思ったのだったが、(……)さんはしかし役者ではなくて、裏方を担っているという話だ。
一コマの楽な授業を終わらせると、生徒たちの見送りをし、片付けをして退勤した。アオマツムシだかコオロギだかの鳴き声が凛々と響き渡るなか、駅に入りホームに上がって、もうだいぶ涼しい秋の夜の気候で、喉も大して乾いていないのにまた二八〇ミリリットルのコーラを買って、ゆっくり飲みながら手帳を眺めた。日本国憲法の条文などを頭のなかで反芻し、暗唱出来るようにしながら電車を待ち、来ると三人掛けに乗り込んで引き続き手帳に書かれてある事柄を復習する。最寄りに着くと降りて駅舎を抜け、木の間の坂道に入ると樹冠には雨の残滓がまだあるようで、坂を下りるあいだ細かな水音があたりを囲むように立っていた。
帰宅するとワイシャツを脱いで丸め、洗面所へ続く扉を開けると、風呂から出たばかりの父親がパンツ一丁で髪を乾かしていたので、ただいまと挨拶をして籠のなかにシャツを放り込んだ。そうして下階へ戻り、コンピューターを少々弄ったあと階段を上がり、まだあまり腹が減っていない感じがしたので先に風呂に入ることにした。湯のなかでは身体を水平に近くして浴槽の縁に頭を預け、身をじっと静止させて首筋に湧き流れる汗の動きを感じながら、先ほど駅や電車内にいるあいだに手帳から確認した知識を頭のなかで反芻した。出てくると食事、モヤシの上に茄子の和え物を乗せたのが一皿、カキフライが二つ、さらに細切りの大根を添えたサーモンの刺し身があり、汁物や野菜や茸の入った薄味のものだった。それぞれを卓に運んで椅子に腰掛けると、カキフライをちまちまと千切って口に運び、それをおかずに白米を咀嚼した。テレビはニュース。消費増税を前に、各種飲食店でテイクアウト用の商品を新たに開発しているという話が取り上げられていた。「外食」に対して「内食」には軽減税率が適用されるため、増税による支出増を嫌って持ち帰りを選択する顧客の需要を掴もうという目論見らしい。通りすがりの人に対するインタビューでも、これからはテイクアウトを多くしちゃいそうですね、とか、外食が好きだったがその生活スタイルを考え直すべき時かもしれません、などという声が聞かれる。それらを眺めながら、まったく阿呆らしいなと思った。企業の方は生き残りを欠けているから当然の努力だと言うべきだろうが、それでも増税に皆、踊らされている。そんななか、千葉では台風によって多くの人々が被害を受けているにもかかわらず、政府は内閣改造に遊んでおり、そこで環境大臣に抜擢された若き新鋭――とされている――政治家は、福島復興について何の具体性もない意味不明な譫言を発するばかりで、しかもその同じ人が次の首相に最も相応しいとの世論の支持を得ている始末だ。そんな思いを抱きながらものを食ったあと、食器を片付けて下階に戻り、一〇時前から三宅さんのブログを読みはじめた。「帰路、万达の広場をふたたび通ったのだが、ステージの上では告白イベントのようなものが催されていた。司会とは別の男性がマイクを手にしてなにやら語りかける、するとそれを受けたおなじステージ上の女子三、四人が、YES/NO枕のようなものをひっくり返してなにやら応じるという趣向だった。正気の人間には決して参加できないイベントだ。殺人や近親相姦を犯す人間よりもこの手のイベントに平気な顔をして参加できる人間のほうがよほど狂っていると思う」という記述に爆笑した。一〇時頃に至るとUくんからメッセージが送られてきたので、彼が紹介してくれたブログの記事(http://nagi1995.hatenablog.com/entry/547)を読み、さらに彼の作った短い戯曲も読んでから返信を送っておいた。それから、日記である。前日の記事を日付替わり間近まで進めたあと、インターネット上に投稿してから過去の日記を読み返した。二〇一六年六月一四日のものである。そうして次に、プリーモ・レーヴィ/竹山博英訳『溺れるものと救われるもの』の書抜きを少々行うと、この夜もTwitterで話し相手を募集した。すると、K.MKさん――イニシャルでは後半を取って、MKさんと表記することにする――という方が応じてくれた。また、以前からこちらの短歌に折に反応をしてくれるDKさんもメッセージを送ってきてくれ、さらにSNさんもこのあいだの続きを、と言って来てくれたので、一気に三人とダイレクト・メッセージのやりとりをすることになった。それで合間に町屋良平『愛が嫌い』を少しずつ読み進めながら、二時頃まで短歌の話や、宮沢賢治の話や、好きな小説の話などを三者と交わした。二時に至ったところでやりとりが続いていたのはMKさんとのあいだだけだったが、そろそろ読書に入るかというわけでコンピューターを離れる旨相手に告げて、礼を言い合って別れた。そうしてコンピューターをシャットダウンさせると、ベッドに移って町屋良平『愛が嫌い』を読みはじめた。最後の篇、「生きるからだ」である。三時半過ぎまで読み進めて就床。
・作文
14:44 - 16:09 = 1時間25分
22:31 - 23:44 = 1時間13分
計: 2時間38分
・読書
9:02 - 12:57 = (1時間半引いて)2時間25分
17:02 - 17:13 = 11分
21:48 - 22:04 = 16分
22:05 - 22:26 = 21分
24:04 - 24:15 = 11分
24:19 - 24:33 = 14分
24:39 - 24:55 = 16分
26:08 - 27:32 = 1時間24分
計: 5時間18分
- 町屋良平『愛が嫌い』: 93 - 230
- 「わたしたちが塩の柱になるとき」: 2019-09-15「待ち人の朝はいずれもはやいのだ夜泣きをするな爪を齧るな」; 2019-09-16「星屑を拾い集めて水槽の中に沈めるわたしの命日」
- 「華氏65度の冬」: 「Swing Low Sweet Chariot もしくはハリエット·タブマンと「地下鉄道」のことなど (19c. African-American Spiritual)」(http://nagi1995.hatenablog.com/entry/547)
- 2016/6/14, Tue.
- プリーモ・レーヴィ/竹山博英訳『溺れるものと救われるもの』朝日新聞出版、二〇〇〇年、書抜き
・睡眠
? - 8:00 = 5時間半くらい?
・音楽
- FISHMANS『Corduroy's Mood』
- 『Art Pepper Meets The Rhythm Section』
- 『SIRUP EP』
- Art Blakey Quintet『A Night At Birdland, Vol.1』
- Benny Goodman『The Famous 1938 Carnegie Hall Jazz Concert』