2019/9/20, Fri.

 干潟はどこまでもつづいていて
 その先に海は見えない
 二行目までは書けるのだが
 そのあと詩はきりのないルフランになって
 言葉でほぐすことのできるような
 柔いものは何もないと分ったから
 ぼくは木片を鋸で切り
 螺子を板にねじこんで棚を吊った
 これは事実だよ
 比喩はもう何の役にも立たないんだ
 世界はあんまりバラバラだから
 子どもの頃メドゥーサの話を読んで
 とてもこわかったのを覚えているが
 とっくに石になった今では
 もうこわいものは何もない
 どうだい比喩なんてこんなものさ

 水鳥の鳴声が聞える
 あれは歌?
 それとも信号?
 或いは情報?
 実はそのどれでもないひびきなんだよ
 束の間空へひろがってやがて消える
 それは事実さ
 一度きりで二度と起らぬ事実なんだ
 それだけだ今ぼくが美しいと思うのは
 (谷川俊太郎『夜中に台所でぼくはきみに話しかけたかった』青土社、一九七五年、52~54; 「干潟にて」全篇)

     *

 乳くり合いと殺し合いの地球の舞台が
 なまあたたかい息のにおう寝室に始まって
 小暗い廊下を過ぎがたぴしする階段を下り
 そこからぬかるみへそして冬枯れの野へ
 または灰色の海辺へとひろがってゆき
 その上にいつに変らぬ青空を戴いているのは
 この半球も他の半球も変りないが
 愛を語ろうにも王を語ろうにも
 ぼくらの国に韻文が失われて既に久しいのは
 いったいいかなる妖精のいたずらなんだろう
 (55~56; 「シェークスピアのあとに」)

     *

 ああシェークスピアさん あなたのあとで
 いったいどうやって最初の一行を書き始めればいいんだい
 道化師になるのは王になるよりもっと覚束ない
 思いつく限りの悪口を並べたてても
 喩を入力できるコンピュータはありはしなくて
 午前七時四十分に郊外の駅へ歩いてゆく勤め人のように
 一二一二ときりのない二進法で
 月賦で買った美術全集の中のスフィンクスに答えるのが
 この世紀の流行の詩法なのかもしれないな
 人間はたしかに月へ行ったけれども
 形を変える月の不実に変りはないんだ
 世界はいまだにあなたの見た通りのもので
 スープをすする口が呪いを吐き散らし
 言葉にするのも憚られるところに接吻し
 やがては吸う息も吐く息もなくなって
 土の下で白樺の根を育てることになるのは
 うそつきも正直者も無口もおしゃべりも同じだ
 (57~58; 「シェークスピアのあとに」)


 八時のアラームで一度目覚めるのだが、一度起き上がってベッドを離れた身体も吸い付けられるように寝床に舞い戻ってしまい、そのまま一一時過ぎまで断続的に眠った。いつものことである。亡くなったKのおばさんの宅に行っていたであろう母親が帰ってきたのを機に起き上がり、部屋を抜けて階段を上がった。暑いね、と母親は言う。こちらとしてはむしろもう夏が確実に終わったらしく思われる涼しさだったが、確かに陽射しは窓外の空中に密度濃く漂っていた。便所に行って膀胱を解放してきてから冷蔵庫を覗くと、弁当箱に炒飯が収められていたので、それを中皿によそって電子レンジに突っ込む。待つあいだに卓に就いて、新聞の一面を読み出し、電子レンジが鳴ると台所に移って炒飯を取り出すとともに、前日の野菜炒めの残りも温めた。それら二品を食いながら、東電の元経営陣の無罪判決についての記事などを読んだ。食後に母親が貰ってきたというラスクも頂き、水を汲んできて抗鬱剤を飲むと皿を洗って、その後に風呂場に行った。マットが漂白されてあったのでシャワーを掛けて洗剤を流し、それから浴槽の蓋を取り上げて洗い場に置き、その裏側をブラシで擦る。水が捌けていくと浴槽内も擦って流し、出てくると下階に戻った。母親はまもなく、仕事でまた出掛けていった。自室に帰ったこちらはコンピューターの前に立ち、前日の記録を付けると同時にこの日の記事も新規作成し、一二時一八分からFISHMANSCorduroy's Mood』とともに早速日記を綴りはじめた。前日分を短く足して仕上げ、この日の分もここまで書くと一二時半を過ぎている。
 前日の記事をインターネット上に放流すると、そこから三時前までひたすらだらだらとした。それからJohn Coltrane『Blue Train』を流し出し、ベッドに移ってリチャード・ベッセル/大山晶訳『ナチスの戦争 1918-1949 民族と人種の戦い』を読みはじめたはずが、音楽に耳を寄せて目を閉じているうちに瞼がひらかなくなった。それでアルバムが終わったあともしばらく瞑目のまま意識を緩くして、三時五〇分頃から復活し、新書を読み進めた。寝転がったまま四時半前まで読むと切りとして上階に行き、また新聞を少々読みながら、炒飯の残りとキャベツの生サラダで食事を取った。食器を洗うと居間の片隅に吊るされてあった肌着の類を畳んで、そうして下階に行き、歯磨きをしながらMさんのブログを読みはじめた。口を濯いできて読み終えると五時、John Coltrane『Blue Train』がふたたび掛かっているなか、仕事着に着替えた。この日のスラックスは父親から借りている緩めのやつである。着替えるともう出るまでにいくらも時間がなかったので、残りの時間をSさんのブログに充てることにした。彼のブログは一記事がコンパクトにまとまっているので、時間がない時でも読みやすいのだ。それでLee Morganの瞬発力に感嘆しながら七月いっぱいまで記事を読んだところで時間は五時一五分頃に達した。カーテンを閉め、部屋を出て上階に行くと仏間に入って靴下を履き、居間の引出しからハンカチを取って玄関に移動した。扉を開けてポストまで行き、夕刊ほかの郵便物を取って玄関内の台に置いておくと、扉の鍵を掛けて出発である。もはや秋の陽気なので蟬の声は聞こえないかと思いきや、ツクツクホウシの音が乏しいながら、林の縁で伸びている。しかしそれよりも、茂みのなかから回転しながら響き出て長く持続する秋虫の声の方がいくつも重なり合って大きかった。道には涼気が浮かんでいて、着替える際にベストをつけようか迷ったのだが、着てきても良かったかもしれないなと思われた。しかし、"You'd Be So Nice To Come Home To"のメロディを頭のなかに流しながら坂を上っていくと、出口間際で風が正面から流れて身を包んだものの、その頃にはやはり汗の気がいくらか生じていたので、ベストはまだ早いなと思い直した。駅に入ってホームの先まで歩いていくとちょうど電車が入線してきたので乗り、扉際に立って僅かな時間の合間、手帳を眺めた。青梅に着いて降りると、山帰りの乗客たちが続々と開口部から吐き出されて向かいの電車に乗り換えて行くので、ベンチの前で停まってその流れをしばしやり過ごし、それから歩き出して階段通路に入った。通路の途中には、荷物をばたばたいわせながら必死に走る中学生がいたが、おそらく電車には間に合わなかっただろう。駅舎を出ると何本も生えた街路樹のそれぞれから、おそらく椋鳥だろうか、鳥の声が湧き昇って空に織り重なっていた。
 今日の授業は元々二コマだったのだが、振替えが多く出たということで一コマに減っていた。相手は(……)くん(中三・英語)に、(……)くん(中三・社会)。(……)くんは主格の関係代名詞を扱ったがいつも通り問題なく、特筆するべきことは見当たらない。(……)くんはテスト前の社会の授業は全部で三回、本人の希望を聞き、そのうちの二回を歴史に充て、最後の一回は公民を扱うことになった。今日は歴史、第二次世界大戦の始まりから扱っていった。説明している最中、ワークの解説にユダヤ人への徹底的な差別という項目が出てきて、アウシュヴィッツ強制収容所の名前があったので触れたのだったが、太字になっていなかったためだろう、(……)くんは、覚えたほうが良いですか、と尋ねてきた。うーん、そういうレベルの問題ではないのだけどなあ、と思いながらも、そんなに強く押せないものだから、まあ非常にやばい事件なので、知っておいた方が良いと思いますよ、と言うに留めた。むしろホロコーストについて覚えないで、ほかに何を覚えるべきだと言うのか。しかしそれはこちらの個人的関心に寄せすぎかもしれない。ともあれ一応、一般には六〇〇万人ほどのユダヤ人が殺されたと言われているという情報を伝えたが、六〇〇万人などと数字を言われたところで勿論想像が追いつくものではないだろう。やはり印象に残すためには生々しい具体性が大事なので、例の、ガス室に追いやられていく自分の妻と子供の髪を切らなければならなかった床屋のエピソードでも話そうかと機会を窺っていたのだが、中学生に話すには重すぎる挿話であるようにも思えたので、結局はチャンスを掴めなかった。
 授業後、書類を記入したあと退勤し、駅舎に向かっていると、あれはサッカー部だろう、紺色の運動着を着た中学生らしき集団が、モスバーガーの新作らしき広告絵の方を指して、美味そうじゃね、と賑やかに言い合っていた。駅に入ってホームに上るといつものように自販機で二八〇ミリリットルのコカ・コーラを買った。ベンチの一方は先の中学生の仲間らしい同じ紺色の姿で埋められていたので、反対側の端に就いて手帳を取り出し、情報を復習しながらコーラを飲んだ。瞑目して頭のなかで知識を反芻しながら電車を待ち、やって来た奥多摩行きに乗ると引き続き手帳を眺めて、最寄り駅で降りると、小さな羽虫が蛍光灯に惹かれて泡のように浮遊している階段通路を抜けた。虫の数も夏の一時期に比べると随分少なくなったものだ。横断歩道を渡って暗い木の間の坂道に入ると、今日も鈴虫の、金泥色めいて鈍く光沢を帯びた輝きが林のなかに重なりながら漂っている。涼しい夜気の満ちたなかを歩きながら、戦後七四年を経てホロコーストの歴史も、まさに今風化しつつあるのだろうなと考えた。何しろ、学校の教科書にはどうだか知らないが、塾の教材ではアウシュヴィッツは太字になっていないし、六〇〇万という数字も出てこないし、それで言えばそもそも「ホロコースト」という用語すら記されていなかった。もっとも、六〇〇万人という一般的に語られているホロコースト犠牲者の数字は、おそらくアイヒマンヒムラーにした報告を元にしているのではないかと推測するのだが、学問的にはこれは正確な数字ではなかったはずだ。加えて、この六〇〇万という数字が、例えばイスラエルに対して何かを言おうとする際に、すべての批判を黙らせるためのマジック・ワードとして機能することもあるのは、テジュ・コール/小磯洋光訳『オープン・シティ』に書かれていた通りだが、それは別の話である。おそらく、どんな国にも、どんな民族にも、苦難の歴史というものがある。ユダヤ人にもあるし、パレスチナ人にもある。ドイツにもあるし、アメリカにもある。黒人にもあるし朝鮮にもあるし、中国にもあるし、日本人にも勿論ある。沖縄にもあるし、アイヌにもあるし、広島にも長崎にも水俣にもある。それらを出来るだけ広く、かつ深く学び、伝えていきたいと思うが、勿論自ずと限界はあるし、自分には大した能力もない。
 帰宅するとワイシャツを脱いで洗面所の籠に入れておき、下階に戻った。服を脱いでコンピューターを点けると、ソフトやブラウザの起動を待つあいだに、ティッシュを切らしていたので、空き箱二つを持って上階に行き、箱を潰して玄関の戸棚のなかに始末しておくと、階段の途中に置いてあるティッシュ箱を二つ持って帰り、Twitterを眺めたりしたあと、ハーフ・パンツを履いて部屋を出た。先に風呂に入ることにした。湯に浸かると目を閉じ静止して、汗がだらだらと途切れることなく次々首筋に湧いて流れるのを感じながら、先ほど駅で復習した知識をここでも反芻した。出てきて髪を乾かすとパンツ一丁で居間に出て、食事をそれぞれ皿に盛って用意した。炊飯器に米はないので冷凍されていた五目御飯のおにぎりを解凍し、茸が少しだけ入った薄味のスープを椀に掬い、茄子と豚肉の炒め物にマヨネーズなどで和えたキャベツのサラダをよそる。そうして卓に就き、わりとどうでも良いテレビ番組に目を向けながらものを食うと、抗鬱薬を服用して皿を洗って下階に下りた。そうしてしばらくだらだらとして、一〇時過ぎから過去の日記を読み返した。二〇一六年六月一二日日曜日のものだが、当時のブログに公開していた本文すべてよりも、欄外に書きつけられていたヴァルザーについての評言の方が面白かった。「ローベルト・ヴァルザーの小説ほど、書かれているすべてはただ紙の上だけで繰り広げられている芝居であり、人物は単なる薄っぺらな操り人形であるという印象を与えながら、同時に生き生きと踊り跳ねるような魅惑的な躍動感、道化的な紛い物の生命の輝きを感じさせる文章はないのではないか」というものである。単なる曖昧な印象批評だが、二〇一六年の自分もそこそこ頑張っている。
 その後またちょっとだらだらして、一〇時四〇分過ぎからプリーモ・レーヴィ/竹山博英訳『溺れるものと救われるもの』の書抜きを行い、最後まで終わらせると、続けてインターネット記事を読むことにした。「週刊読書人」からの二記事、「二十歳のドゥールズに出会い直す 『ドゥルーズ 書簡とその他のテクスト』(河出書房新社)刊行を機に 宇野邦一・堀 千晶対談」(https://dokushojin.com/article.html?i=33)と、長濱一眞「九〇年代の遺産としての自由――内戦ー浄化に至る――」(https://dokushojin.com/article.html?i=5938)を読むともう日付が替わる直前だった。前者の記事から気になった部分を以下に引いておく。

堀 冒頭でも少し申し上げましたが、後の時代に繋がる要素が、とても面白かったですね。たとえば「女性の叙述」(一九四五年)を読んでいると、すでに「顔」に対する鋭敏な関心をもっていることが分かります。そのなかには「お化粧論」があって、おそらくファンデーションをイメージしていると思いますが、一方には表面系のお化粧がある。他方で、口紅のように穴を縁取る、開口部系のお化粧の話が出て来ます。この二極を区別してドゥルーズは議論を進めるのですが、『千のプラトー』(一九八〇年)での「顔貌論」でも同じように、「白い壁」と「黒い穴」によって、表面と穴によって顔は構成されるという議論があります。こうして意外な形で、後年にまで伸びてゆく線が浮かびあがってきます。また「女性の叙述」での「ほくろ」と「そばかす」の対比もたいへん面白い。顔にほくろがあるのではなく、逆に、ほくろに顔が付属している、ほくろを中心に顔全体が組織されると彼は考えるわけですね。一種の中心化作用です。それに対して、そばかすはもっとはかないものであり、奥からそっと立ち上がってきた厚みのない泡が、ふわっと皮膚の表面に浮き出し、まるでそこで静かに揺れているかのような描き方です。そしてほくろとはちがって、そばかすには中心化作用がなく、消え去る泡のようなはかなさを湛えながら、表面でじっと浮動している。それをドゥルーズは讃えるわけですね。彼は表面性を愛するような感性を、若い頃から持っていたわけですが、こうした議論を見ると、どうしても意味の表面、その皮膚を論じる『意味の論理学』(一九六九年)を想起してしまいます。
宇野 つまり「化粧」と「表層性」ということですよね。


宇野 もうひとつ、「発言と輪郭」という一風変わったテクストがあって、これも部分的には女性論になっていますよね。マスターベーションとか露出趣味といった性的なカテゴリーを、精神分析とはまったく無関係に、ある種の存在論として展開する。この辺りの文章を読んでいると、プルーストの影響がとても強いことがわかります。プルーストの登場人物が持つ倒錯性をドゥルーズは巧みに哲学化している。『失われた時を求めて』の中で、眠ったアルベルチーヌの姿を観察するシーンを取り上げて、それもまた女性論に繋げていく。〈眠る女〉とは外部性が一切ない状態であると言って、とても印象的な分析をしている。初期テクストの中の一番最後では、ディドロの小説『修道女』について論じていますよね。修道院で、「自由」という問題に直面する修道女が、修道院の中でどういう事態に出会い、同性愛的な関係に何を見出すのか、エピソードをたどりながら美しい考察をしている。この論文は、『修道女』の序文として書かれたものです。こうした一連の文章を繋いで読んでいくと、明らかに「マゾヒズム論」に繋がっていく発想の萌芽を見ることができる。「マゾヒズム論」では、苦痛を快楽と感じることが、マゾヒズムの一番本質の問題ではないという提案をすることになる。マゾヒズムサディズムはセットで、マゾとサドが一緒になるとちょうどいいなんていう通念は全くの誤解だと、ドゥルーズは断じた。それよりもマゾヒストと女性との契約が大きな問題である。そういう意味では、「パパ―ママ―ボク」の三角形の図式から、父が完全に閉め出された世界が、マゾヒズムの構造である。「マゾヒズム論」の中には、女性つまり母との契約が法を覆すという論点も入っていますよね。法というのは父の法であるわけですから、父の法を覆す母との契約は、父の法を倒錯させてしまう。マゾヒズムとはそういう戦略であるという読み方を、ドゥルーズはしたわけです。ドゥルーズガタリと出会い、『アンチ・オイディプス』で初めて「欲望機械論」に向かっていくようにみえますが、こうやって初期論文からの展開を読んでみると、実は、精神分析と相いれない欲望機械の内在性というモチーフは、初期作品から周到に形成されてきたことがよく見えて来ますね。
サディズムマゾヒズムを分離したことが、マゾッホ論における概念の発明なんだと、ドゥルーズ自身が言っていますよね。S/Mは相互補完的なものでない、と。けれども同時に、「父系」の「法」の原理と、「母系」の「契約」の原理とを区別することもテーマであり、今のお話を聞きつつ初期テクストと対比してみると、サディズムマゾヒズムばかりでなく、男性的なものと女性的なものとを分離し、女性的なものを取り出すことが重要な問題としてあったことがわかります。つまり、母/父、女/男は相補的なものではない、と。それは、「父―母―子」という家族主義的なオイディプスの三角形を決定的に破壊することにも繋がってゆくように思います。女性的なものは、この家族主義的な図式のなかに収まる一項なのではなく、三角形の外にあるまったく別の原理として取り出されるわけですから。また女性的なものに関わる問題は、『千のプラトー』の中で、「女性への生成変化」としても出て来ます。そこでも、「男性への生成変化」は存在しないという形で、女性的なもの/男性的なものという相補的ペアが成り立たないようになっている。それに先ほどのアルベルチーヌのお話と関連する点では、同じく『千のプラトー』での「秘密」をめぐる議論もありますよね。つまり、隠しているものが何もなく、すべてを外部に晒しているときにこそ、すべてが謎めき、秘密となるという話です。初期テクストを読んでいると、後年の本を単体で見ている時とは違う角度からラインが引かれていきます。


堀 それとドゥルーズのヒューム読解には、ご指摘のあった「関係」の問題があります。ドゥルーズには「関係の外在性」という用語がありますが、これは端的にいうと、一種の全体主義批判です。超越的役割を果たす中心的な審級(項)が、社会「関係」全般を統御してしまうこと、超越的な「項」の内部に「関係」を取り込んでしまうこと――そのような議論に対する根底からの批判を、ドゥルーズは「関係の外在性」に見出していた。関係を項のなかに取り込むことは絶対にできない、超越的な項が関係を決めることはできない、と。ドゥルーズはヒュームの中に、こうした抵抗のモチーフを最初から読み込んでいたのではないでしょうか。そのときにドゥルーズの念頭にあったのは、おそらくヘーゲル批判です。すべてを単一なものの中に包摂してまとめていってしまうような思考様式に対する批判を、ヒュームの中に見出しつつ、同時にその彼をとおして、全体主義に回収されないような主体形成のありようを考えていたように思います。
宇野 この本に収録されているガタリへの書簡の中で、ドゥルーズは次のようなことを言っていますよね。「あなたは素晴らしい野性的概念の発明家である」。そしてこの「野性的な概念」とは、イギリス経験論つまりヒュームのなかにあるというわけですよね。こんなひと言によって、実に多くのことを言っている気がするんです。つまりドゥルーズはヒュームから、ある思考の内容、主題という点で強い影響を受けたというよりは、スタイルや着想、論の進め方のところで、ヒュームが染み込んでいる。そんな印象を受けるんですね。『経験論と主体性』を今回読み直してみて、やはり一番迫力があるのは、主体がはじめからあるのではなく、観念の集合として主体が構成される過程があるだけだ、というふうに論じているところです。「妄想」「幻想」「信念」といった言葉をキーワードとして使っていて、カントに比べると歴然としますが、要するに、理性とは妄想であり信仰であると言うわけです。そうやって大胆に理性批判をしながら、問題を提起していく。つまりここでドゥルーズは、哲学のアカデミックな伝統から遠い方法について語っている。その意味でガタリに対して、「sauvage(野性的)」であると言っていることも重要に思えるんですね。そうした「野性的な」思考法を、既にヒュームの中に見ている。ニーチェの方がはるかに「野性的」かもしれないけれども、むしろイギリス経験論に思考の野性を見る。ヒュームに関する講義を、ドゥルーズが重視したのも、そんなヒュームの思考のプロセスに逐一拘り、検証し直す必要性を感じていたからだと思いますね。


宇野 『無人島』に入っている「ルソー論」の中でドゥルーズは、「物に即する」という言い方をしていますよね。ルソーは『エミール』でも、子どもに物を持って来てやるのではなくて、物の方に子どもを行かせることを重視する。そのことと関連させて、『物の味方』という作品を書いたフランシス・ポンジュを引用したりする。初期テクストの中でも、ポンジュの詩からの引用が出て来ます。そして「感情を物にするのではなく、物を感情にしなければならない」、つまり「物が感情の比喩になっては駄目だ」と言うことです。またパントマイム、「マイム」に対して、アンチマイムとは何をやるのか。「物に即した表現でないといけない」「感情を物に翻訳するような表現は間違いである」と言う。ドゥルーズが二十歳そこそこで書いたことですが、「物に即する」という問題は、実は、政治的なコミュニケーションの問題にまで繋がって来ることですよね。ルソーは『社会契約論』にも、このような発想を注ぎ込むことになる。
堀 その点は、『アンチ・オイディプス』の欲望論にも関わってきますよね。ドゥルーズガタリは、欲望を心的なものではなくて、物質的なものとして規定しようとしています。いわば「欲望の唯物論化」が大きなテーマで、精神分析マルクス主義との結合が行なわれていく際の鍵となる発想ですが、それは今回の本に収録された『アンチ・オイディプス』をめぐる討論の中に出て来る「乾燥の流れ」の話にも繋がっています。それは乾燥というのを、水が足りない状態として、欠如として読んではいけないという話で、むしろ乾燥という物質的なプロセスの流れがあり、その流れが、水を追いかける身体の別の流れと結合する。こうしたいくつもの物質的プロセスとともに、欲望をいかに構成していくか。それが『アンチ・オイディプス』の主眼としてあった。そうなると欲望を構成するために、欠如はいらなくなるわけですよね。内側で何かが欠けているから欲するのではない。つねに外側にある積極的なものが連結することで、欲望が構成され、アレンジされていくわけです。

 そうしてまたちょっとだらだらとしたのち、零時二〇分からこの日の日記を綴りはじめた。BGMはKeith Jarrett Trio『Tribute』。何だかんだ言って、やはりあまりに美麗で雑駁さのなさ過ぎるピアノだが、それでは明快かと言うと、必ずしもそうでもないような気がする。Bill Evans的な、ある種機械的と形容したくなるような明快さとは違う、情念に煽られ、縁取られたような美しさだ。それを背景に聞きながら日記を進めていると、一時頃になってSkype上でYさんが通話を始めたようだったので、久しぶりにチャットで参加してBGM的に聞いてみるかと入ったところ、Yさんしかいなかった。それからじきに、MYさん、Cさんがやって来たのだったが、会話は深夜の静けさに相応していまいち盛り上がらず、一時四〇分頃になってCさんが去ったのを機に、こちらも日記作成に戻った。ここまで綴ると午前二時が目前となっている。
 それからまたちょっと怠惰な時間を過ごしたあと、二時半からベッドで読書に入った。リチャード・ベッセル/大山晶訳『ナチスの戦争 1918-1949 民族と人種の戦い』である。読書ノートにメモを取りながら読んでいるとあっという間に四時を回って、さすがに眠かったのでそこで就床した。


・作文
 12:18 - 12:34 = 16分
 24:20 - 25:58 = 1時間38分
 計: 1時間54分

・読書
 14:49 - 15:00 = 11分
 15:50 - 16:22 = 32分
 16:42 - 16:57 = 15分
 17:03 - 17:13 = 10分
 22:09 - 22:17 = 8分
 22:44 - 23:08 = 24分
 23:15 - 23:57 = 42分
 26:29 - 28:05 = 1時間36分
 計: 3時間58分

  • リチャード・ベッセル/大山晶訳『ナチスの戦争 1918-1949 民族と人種の戦い』: 24 - 53
  • 「わたしたちが塩に柱になるとき」: 2019-09-18「もうなにも浮かばないから飼い犬の名前を書くことにするコビィ」
  • 「at-oyr」: 2019-07-26「今年の夏」; 2019-07-27「香」; 2019-07-28「youtubeフジロック2019」; 2019-07-29「明るさ」; 2019-07-30「宵」; 2019-07-31「元の世界」
  • 2016/6/12, Sun.
  • プリーモ・レーヴィ/竹山博英訳『溺れるものと救われるもの』朝日新聞出版、二〇〇〇年、書抜き
  • 「二十歳のドゥールズに出会い直す 『ドゥルーズ 書簡とその他のテクスト』(河出書房新社)刊行を機に 宇野邦一・堀 千晶対談」(https://dokushojin.com/article.html?i=33
  • 長濱一眞「九〇年代の遺産としての自由――内戦ー浄化に至る――」(https://dokushojin.com/article.html?i=5938

・睡眠
 3:00 - 11:15 = 8時間15分

・音楽