2019/9/21, Sat.

 どんなおおきなおとも
 しずけさをこわすことはできない
 どんなおおきなおとも
 しずけさのなかでなりひびく

 ことりのさえずりと
 ミサイルのばくはつとを
 しずけさはともにそのうでにだきとめる
 しずけさはとわにそのうでに
 (谷川俊太郎『夜中に台所でぼくはきみに話しかけたかった』青土社、一九七五年、68~69; 「ポール・クレーの絵による「絵本」のために」; 《ケトルドラム奏者》1940、全篇)

     *

 とりがいるから
 そらがある
 そらがあるから
 ふうせんがある
 ふうせんがあるから
 こどもがはしってる
 こどもがはしってるから
 わらいがある
 わらいがあるから
 かなしみがある
 いのりがある
 ひざまずくじめんがある
 じめんがあるから
 みずがながれていて
 きのうときょうがある
 きいろいとりがいるから
 すべてのいろとかたちとうごき
 せかいがある
 (72~73; 「ポール・クレーの絵による「絵本」のために」; 《黄色い鳥のいる風景》1923、全篇)


 八時にアラームが鳴り出すより二〇分ほど前から目覚めていた。目覚ましが響き出すとベッドから起き上がって携帯を止め、部屋を出た。階段口でパジャマ姿の母親に遭遇したのでおはようと挨拶し、階段を上ると便所に行って放尿したあと、洗面所でドライヤーを操り髪を梳かした。米がないので食事は冷凍のおにぎりか、あるいはパンだと言う。そのほかに炒め物を作ろうというわけで母親はキャベツを取り出してざくざくと切り、そのあとを引き継いでこちらは玉ねぎを切って、炒めはじめた。菜箸で搔き混ぜながら炒めている横から母親が豚肉をいくらか投入する。そうすると火を強めて、フライパンを振りながら加熱していき、塩胡椒をちょっと振って完成とした。冷凍されていた五目御飯のおにぎりを電子レンジで温め、野菜炒めを中皿に盛り、母親が僅かに用意してくれた胡瓜とトマトの小鉢を持って卓へ、新聞を読みながらものを食べはじめた。するとあとから母親が、温かいゆで卵とヨーグルトを持ってきてくれた。食事中、突然母親が、お兄さんも鬱病なんだって、と口にした。こちらが新聞から視線を上げて向かいの母親を上目遣いに眺めると、O.Sさん、と名前を続ける。父親の姉であるO.Mさんの旦那さんである。鬱病と言って、医者に診断を下されたのか自己判断なのかで変わってくるが、何でも薬を飲んでいると言う。父親が昨晩O家に寄ってきて、ちょっと話をしたらしい。正月に山梨の祖母宅に集まった際に、Sさんは急遽体調不良で不参加となったのだが、あれはもう既に患っていたということなのだろう。現在、ようやくいくらか良くなってきているという話だった。
 サウジアラビア主導の有志連合軍が、イエメンのフーシに対して攻撃を仕掛けたという報を読んで新聞を閉じたあと、立ち上がって台所で食器を洗った。流し台には昨晩父親が使った食器が水に浸けられたままに放置されていたが、俺は洗わんぞと宣言しておき、自分で洗わせれば良いじゃないかと提案した。そもそも何故夜に一人の宴会が終わった時点で洗っておかないのか疑問なのだが、時間が遅いので食器をがちゃがちゃやっているとうるさいから、という理由があるにはある。しかし、母親も文句を言う通り、テレビを見ながら一人で燥ぎ回って大声を上げているような様なのだから、皿洗いをしようがしまいが結局うるさいのには変わりないのだ。だから夜中のうちに自分で自分の食器くらいは始末させ、それから下階に下りてこい、という風にすれば良いと思うのだが、母親はおそらくそうは言わずに自分が代わりに朝片付けることを甘受するだろうし、仮に言ったところで父親も素直に聞くかどうかは不明である。
 皿洗いを終えると下階に下って、自室に帰るとカーテンをひらく。昨晩は雨がいくらか降っていたようで空は引き続き真っ白であり、予報によると今日も五〇パーセントか六〇パーセントで雨となっている。コンピューターを点けてEvernoteを立ち上げ、九時直前から早速日記を書き出した。ここまで記すと九時一四分に至っている。今日はHIさん及びKJさんと新宿で読書会である。一二時前には家を発たなければならない。
 九時半から読書に入った。リチャード・ベッセル/大山晶訳『ナチスの戦争 1918-1949 民族と人種の戦い』である。しかしやはり四時間では眠りが少ないようで、じきに瞼が閉じてしまったので、読んでいたのは実質一〇時頃までだったと思う。一一時一五分まで休むと、部屋を出て上階に行き、風呂を洗うことにした。浴室に向かうと洗い場にマットが寝かされていて、漂白されているようで漂白剤とブラシが傍らに出されてあり、特有の鼻をつく匂いが漂っていた。ゴム靴で踏み入るとまずシャワーでマットを流し、それからやはり洗い場に立てられていた蓋の裏側を擦り、そうして浴槽を洗った。終えると出てきて、仏間で灰色のカバー・ソックスを履いてから下へ戻り、SIRUPを流しながら服を着替えた。濃青の麻のシャツにガンクラブチェックのパンツである。SIRUPの曲をちょっと歌い、歯磨きをしながら過去の日記を読み返した。二〇一六年六月一一日の分である。それほど大した描写ではないが、以下の一節の、梅の木を「大きな機械仕掛けの楽器」――おそらくパイプオルガンか何かが念頭に置かれているのではないか――に喩えているのがまあまあ良いと思われた。

 雨が物静かに降っており、雨滴に満たされた空間の遠くからは鳥の声が間歇的に薄く伝わってきた。目をひらくと一七分が経っており、手帳に瞑想を行った時間をメモしてから放心したようになって窓のほうに顔を向けていると、梅の木の葉叢のなかのところどころで、上の葉から溢れた雫が落ちて当たるのだろう、たびたび縦に揺れるものがあって、大きな機械仕掛けの楽器の部分部分が入れ替わり立ち替わり鳴っているかのようだった。

 それから多分この時既に、一年前の記事も読み返したと思うのだが、そのなかにさらに一年前、つまり二〇一七年九月二一日の記述が引かれていて、二〇一七年の自分もまあなかなか頑張っているなと思われたので改めてここにも写しておく。この頃は短い風景描写を――ブログのタイトルが暗示するようにまさしく「天気読み」の主体として――時間を掛けて練って書いていた頃なので、記述の精度は勿論今よりも高いと思うが、ただ読み返してみると主格の「の」を使いすぎではないかという気はする。一つ目の段落の最後の「雲の紫色に沈みはじめている」は「雲が」で良いだろうと今からは思われるし、二段落目の序盤の「空気の軽やかに流れて」も「空気は」で良いと思う。

 茶を用意しながら居間の南窓を見通すと、眩しさの沁みこんだ昼前の大気に瓦屋根が白く彩られ、遠くの梢が風に騒いで光を散らすなか、赤い蜻蛉の点となって飛び回っているのが見て取られる明るさである。夕べを迎えて道に出た頃にはしかし、秋晴れは雲に乱されて、汗の気配の滲まない涼しげな空気となっていた。街道に出て振り仰いでも夕陽の姿は見られず、丘の際に溜まった雲の微かに染まってはいるがその裏に隠れているのかどうかもわからず、あたりに陽の気色の僅かにもなくて、もう大方丘の向こうに下ったのだとすれば、いつの間にかそんなに季節が進んでいたかと思われた。空は白さを濃淡さまざま、ごちゃごちゃと塗られながらも青さを残し、爽やかなような水色の伸び広がった東の端に、いくつか千切れて低く浮かんだ雲の紫色に沈みはじめている。
 裏通り、エンマコオロギの鳴きが立つ。脇の家を越えた先のどこかの草の間から届くようだが、思いのほかに輪郭をふくよかに、余韻をはらんで伝わってくるなかを空気の軽やかに流れて、それを受けながら歩いて行って草の繁った空き地の横で、ベビーカーに赤子を連れてゆったり歩く老夫婦とすれ違うと、背後に向かって首を回した。夕陽が雲に抑えられながらも先ほどよりも洩れていて、オレンジがかった金色の空に淡く混ざり、塊を成した雲は形を強め、合間の薄雲は磨かれている。歩く途中で涼しさのなかに、気づけばふと肌が温もっている瞬間があったが、あの時、周囲に色は見えなくとも光線の微妙に滲み出していたらしい。それから辻を渡って、塀内の百日紅が葉の色をもう変えはじめていると見ていると、もう終わったと思っていた樹の枝葉の先に、手ですくわれるようにして紅色が僅かに残って点っていた。

 読み終えるとSIRUP "SWIM"を歌ってからコンピューターを閉じ、上階に行った。ハンカチを尻のポケットに入れて出発である。
 天気は曇りで、雨が降るようなことも言われていたが、傘は持たなかった。涼し気な秋の気である。道を歩いていると白い蝶が一匹、林の縁の茂みのさらに外縁、小さな草の先端に止まっては離れてうろついていた。Tさんの宅の横の斜面には人足が何人も出張って木を斬っていたようだ。あれにも結構な金が掛かるだろう、家を持って保っていくということは大変なことだ、と見て過ぎる。白い宅の一階を全部使った車庫は開け放たれており、なかからラジオの音声が流れ出していた。SIRUPを頭のなかに流しながら行くと、小公園の桜の木が葉をところどころ黄色に変えている。それから入った木の間の坂道に雨の痕はほとんどないが、一部道の端に湿り気が残ってそのなかに落ち葉がゴミのように散らかっている。静けさがあたりに充満していた。耳を澄ませると多様な虫の音が道の左右から代わる代わる立つが、それに縁取られているからこそ、かえって静寂が空気のなかに際立って浸潤するようだった。
 駅に着くと風が流れるなかホームの先に歩いていき、手帳を取り出すとまもなく電車がやって来た。乗ってしばらく過ごし、青梅駅で降りると目の前のベンチに就いた。向かいの一番線には立川行きが停まっておりまもなく発車だが、それには乗らず、次の東京行きに乗って座ったまま一気に新宿に行こうという目論見だった。携帯電話を取り出してここまでのことをメモに取りながら待つ。周りには身体の小さくて背を曲げたような高齢者が多いそのなかで、大学生くらいの若い男性の一団が奥多摩行きに乗りこんだ。御嶽か奥多摩にでも遊びに行くのだろうか。東京行きがやって来ると立ち上がって先頭車両に行き、席に就くと引き続きメモを取った。
 手帳を読んでいると新宿まであっという間である。降り、大挙してホームを移動する人々をしばらくやり過ごし、電車が発車して危険がなくなってから歩きはじめた。待ち合わせの店は銀座ルノアール西口ハルク横店である。細かい場所はわかっていないが、前日にグーグルマップで大方の位置は確認してあったので、とりあえず西口から出ればどうにかなるだろうと判断し、そちらに向かった。ホームから出て改札をくぐると、ハルクの表示に従って適当に歩いていき、百貨店の地下から表に出た。前日に確認しておいたマップの記憶を頼りにして、こちらの方だなとハルクの角を曲がると、何か祭りの類を催しているらしくて道の端に台がいくつも出されてあり、賑やかな呼び声が辺りに響き、屋台のたこ焼きめいた匂いが漂っていた。
 店には無事に着くことが出来た。地下の店舗に向かう階段の横、手すりに凭れて立ちながら携帯にメモを取った。時折り顔を上げると、目の前の道を外国人の集団やら自転車に乗った子供連れやらが通り過ぎていく。メモを取っていると、じきに寄ってくる人があって、こんにちはと話しかけられた。顔を上げて相手と目を合わせてこんにちはと返し、KJさんですかと訊いてみると、果たしてその人である。Fですと言って挨拶をし、握手を交わしたあと、しばらく立ったままもう一人がやって来るまで会話を交わした。KJさんの本名はKWさんと言った。それなのでここからはKWさんの表記で行こうと思うが、「KJ」というハンドルネームは、日本の四三県にちなんでいるとのことだった。彼はこちらよりも早く周辺に着いていたらしい。方向音痴なので早めにやって来て、途中で飯も食ってきたとのことだった。こちらは腹を空かしており、このルノアールで食事を取るつもりだった。KWさんは背がこちらよりも幾分高く、痩せ型で顔も細く、やや面長と言って良いだろうか。事前に聞いていた通り眼鏡を掛けており、視力はかなり悪いらしくて眼鏡がないと生活が出来ないレベルだと言った。
 出身は兵庫県で仕事で東京に出てきており、居住地はあとで聞いたところ、西武線沿いのNという場所だと言った。仕事は出版関連と言うか、構成・校閲のような仕事をしており、場所は高田馬場だと言う。仕事に行くにもほかのどこかに行くにも、西武線なのでまずは高田馬場に出なくては始まらないとのことだった。新宿にはそこまで来ないらしいが、こちらが二月ぶりだと言うと、そこまで足が遠ざかっていたわけではないと言う。
 会話を交わしているあいだ、KWさんは顔を上げて遠くに視線を飛ばしていた。目の前の道には都営のバスがやって来て停まり、降りてきた家族連れがまだまだ幼くよちよちと歩く子の手を引いて、幼児の方は発っていくバスに向かってぎこちなく手を振っていた。牧野信一はあまり上手く乗れなかったとKWさんはじきに漏らし、記述がいびつでしたよねとこちらも受けて話していると、そのうちに青年がお待たせしてすみませんと言いながらやって来た。やはり眼鏡を掛けているが、KWさんとは対象的にやや丸顔の若い男性で、この人がHIさんことISさんだったのだが、彼は着くや否や、女子トイレに入り間違えたという話を始めた。駅のトイレは汚かったり人がいっぱいいたりするから、出来れば使いたくない。それですぐ近くのビルが都合良くちょっと知っているビルだったので、ここに来る前にトイレに寄ろうということでそこに入ったところが、眼鏡をしていなかったためだろう、トイレの入口で左右を間違えてしまったらしく、個室に入っていると外からコツコツという足音が響いてきて、ヒールのそれではないかと気がついた。それで外に出ると、待っていた女生と鉢合わせしたのだが、特に慌てられたりはせず、大丈夫だったようだ。合流してすぐにそのような話をして一笑いさせてくれたのだが、そのような話しぶりは、Twitterで見かけるツイートから得ていた雰囲気とはちょっと違うように思われた――と言って、ではどんなイメージを持っていたのかと言われても、それは判然としないのだが。
 その話が終わったところで、店に入りましょうということで階段を下ってガラス扉をくぐり抜けた。店舗はなかなかに広いもので、入ってすぐ左に扉とガラスで区切られた喫煙席があり、奥に向けてフロアが広がっていた。店員がなかなか出てこなかったが、じきにやって来た女性に指を三本立てると、女性はフロアの奥の方に行き、見渡して、上司らしき男性と話したあと戻ってきて、今禁煙席が空いていないのだと告げた。それで、名前を書いてお待ち下さいと言われたので、ISさんが用紙に記入してくれ、脇に設置されていた待機用の席に三人並んで腰掛け、雑談を交わした。話しているあいだにそう言えば、と言ってロラン・バルト特集の『現代詩手帖』を取り出し、これ、良かったら、と二人の方に差し出した。間違えて二つ買っちゃったので、お二人のどちらかが欲しければ、というわけだったのだ。初めにこちらの隣に座っていたISさんが受け取ってめくると、冒頭の記事の文字がやたらと小さく、目に良くないですねと二人は漏らした。二人とも揃って目が悪いのだ。目次を見ていたISさんが千葉文夫の名前を目に留めて、エッセイ集を出すらしいですよという情報を教えてくれたのだが、これはあるいは、ミシェル・レリスのエッセイ集を訳すということだったのか? 詳細が上手く聞き取れなかった。
 そのうちに入口から最も近間にあった席が空き、店員がそこのテーブルを二つ接続して椅子も三つ用意してくれ、そこに入ることになった。注文はこちらがコーラとピザトースト、KWさんがブレンドコーヒー、ISさんは確かアイスティーのストレートだっただろうか? まず最初に、それぞれの自己紹介として、読書歴などについて話した。KWさんは高校生くらいまでは活字をほとんど読んだことがなかったのだが、漫画は幼い頃から好きで、保育園時代から母親の自転車の後ろに乗りながらジャンプやサンデーなどを読んでいたと言う。かなり早熟である。活字に初めてきちんと触れたのは高校三年生の頃、そろそろ書物というものでも読んでみなくてはという焦りのようなものを感じたのだと言う。それで本を読みはじめたのだが、最初に何を読んだと言っていたか忘れてしまった。ただそのあとしばらくしてから、赤瀬川原平尾辻克彦名義で書いた作品を読んで、それが大層面白かったのだと言っていたのは覚えている。本人曰く、天邪鬼的な性質がいくらかあって、それで順当に直木賞ではなくて芥川賞方面のものを読んでみようと取ったらしいのだが、そこで面白いと思えたのが凄いですよねえ、とこちらは受けた。
 正確な時系列の順番ではないのだが、KWさんに関わることとして、ナタリー・サロートとの出会いもここで記してしまおう。彼はTwitterのプロフィール欄にも、ナタリー・サロートが好きだと表明しているほどにこの作家のファンなのだ。ヌーヴォー・ロマンならばともかくとしても、ピンポイントでサロートをフェイヴァリットに挙げる人というのはなかなか珍しいのではないだろうか? しかし本人が話すには、最初はサロート当人に目をつけていたわけではなく、ロブ・グリエを読もうとしたのだと言う。それで、例の有名な名前だが、『去年マリエンバートで』が入っている筑摩書房の世界文学全集の六三巻――と彼は言っていたと思うが――、すなわちアンチ・ロマンの巻を入手したところ、そこにロブ・グリエと並んでサロートが入っていた。一回目に読んだ時にはあまりピンと来なかったと言うか、乗り切れなかったような感じだったのだが、しかしある時もう一度読んでみようという気になって再読してみると、これが大変面白かった。そこから嵌って、邦訳されているものはすべて読んだほどだと言う。なかでは、『黄金の果実』という作品が面白いらしく、これは確かこちらもいつだったかささま書店で購入して積んであるのではなかったか? サロートには未邦訳の作品もいくらかあるらしく、KWさんはフランス語が読めないにもかかわらず、原語の全集も購入したと言うから、まさしく筋金入りのファンである。
 KWさんが自己紹介をしたあとは、ISさんが、じゃあFさん、どうぞと手を差し出して振ってきたのだったが、こちらは、日記に全部書いてあるんで、とへらへら笑って受け流した。特に言っておきたいことは、と続くので、ないですよそんなの、と笑いながらも、日記を書きはじめたきっかけについて少々話した。こちらが文章というものを本格的に書き出したのは――それは同時にこの日記を綴りはじめた起点でもあるわけだが――二〇一三年一月のことで、当時はまだ「きのう生まれたわけじゃない」のタイトルで一般公開されていたMさんのブログに遭遇したのが発端だったのだ。形式的にはこちらのそれと同じような形で、朝起きた瞬間のことから夜床に就く時のことまで、一日の生活を隈なく詳しく綴っていくというもので、それを読んでこういう風にやれば良いのだと目をひらかされ、真似をしはじめたのが始まりだった。それ以来自分の人生を記録する文章を書き続けて――鬱病に冒されていた昨年の一年間は休止していたが――六年半余りになる。
 これもこの時ではなくてのちのことだったと思うが、読書遍歴のようなものも話した。――文を書きはじめたのと同じ、二〇一三年の一月に文学も読みはじめました。卒論も終わって時間が出来たので、前々から興味のあった文学というものに触れてみるか、と。就職活動はまったくせず(と言いながらへらへら笑うと、ISさんは素晴らしい、と受ける)、一応地元の市役所を受けていたんですが、当然の如く落ち、将来が不定なふわふわとした身分になったわけですね。それで文学でも触れてみるか、となったんですが、最初は文学作品というものの読み方が知りたかったんですよ。と言うのも、当時もTwitterをちょっとやっていたんですが、そうすると、自分と同年代の大学生らしい人が、哲学なんかを引用しながら格好良く文学について論じているわけですね。これは何だか面白そうだな、と。それで最初に読んだのが、筒井康隆の『文学部唯野教授』だったんですよ。あれは小説仕立てで、文学理論について簡単に紹介するというようなものでしょう。そこから嵌っていったんですが、でもまあその後、読み方はまあいいかという感じで、作品そのものに触れる方が楽しくなりましたね。初めのうちは色々と手を出してみて、確か四月頃には詩に触れて、中原中也とか長田弘とかを読んでいました。それで、七月ですよね、ガルシア=マルケスの『族長の秋』と出会うわけです。――最初に触れた時は、どんな感じでした? 読めましたか? ――まあ、勿論、訳がわからない。何をやっているのかまったく訳がわからんけれど、凄いということだけはわかるぞ、と。それでまたすぐに二回目を読んだんだったかな。その時の方が楽しめましたね。何となくやっていることがわかってきたんで。……ガルシア=マルケスを読むのに最初に『族長の秋』というのは、他人にはお勧め出来ませんけど、僕には良かったみたいですね。それで完全に呑み込まれた、っていう感じです。
 ISさんは保坂和志の小説論を読んで以来、読み方と言うか「心構え」のようなものが身についたような気がする、と言った。それでこちらも、小説論は僕も初めの頃に読んで、あれで読み方がちょっとわかったような気はしますねと受けた。物語だけを読む読み方から離れていくという観点からはまあわりと良い入門書なのではないだろうか。KWさんも小説論は読んで面白かったが、実作の方はどうもあまり乗れないと言い、ISさんもそれに応じて、解離がありますよね、エッセイと小説と、と受けていた。こちらは小説の方もわりと好きだが、もうだいぶ彼の作品を読んでいないので、最近の作を読んだり、『カンバセイション・ピース』を今読み返したりしたらどう感じるのかはわからない。
 途中でローベルト・ヴァルザーの名前も出た。ここに集まった三人とも、ヴァルザーが好きで、素晴らしいと言を合わせた。こちらはTwitterなどのアイコンにしているくらいだ。ISさんは原文で読んでみたいと言うので、こちらもそれには強く同意し、何しろ全部で一〇〇〇とかあるらしいですよ、小品が、と燥いだ。著作集も五巻すべて出揃ってしまったし、全集のようなものは当分は出ないだろうとISさんが見通しを述べるので、それはそうだろうなとこちらも同意した。読みたければ自分でドイツ語を勉強するしかないわけだ。こちらとしてはしかし、一〇年後でも二〇年後でも良いので、小品をすべてと、あとは日記や書簡などを訳してくれる人が現れるのを待ちたいと思うが、それも相当な労力で、一生の仕事になるだろう。そこまでヴァルザーに人生を捧げようという人間、彼の存在を引き受けようとする人間が日本に現れるだろうか?
 ヴァルザーの話題を書いたのでついでにここに記してしまうが、ISさんは最近、ヴァルザーとクレーの詩画集を読んで実に良かったと言った。確か昨年末あたりに出ていたものだっただろうか。立川図書館で借りて読んだと言うので――ISさんは現在、立川近辺に住んでおり、職場も立川にある――立川中央図書館のあの宝庫を利用できることを羨ましがって、僕も立川にいとこがいるので、カードを借りて不正利用しようかなと目論んでいますと笑った。ヴァルザーの詩とクレーの絵はとても調和していたらしい。ヴァルザーは雪とか灰などの儚いものをよく歌っており、散文と少々異なって柔らかな感じだったとISさんは話した。
 それで確か、こちらが昨年鬱病になっていたという話から今回の課題書である町屋良平『愛が嫌い』の話に入っていったのではなかったかと思う。昨年鬱病を患い、感情や感受性がまったく消失したような状態に陥ったのだが、町屋良平の「しずけさ」がそのあたりの感覚を上手く書いているように思った、とこちらが言い、どういう流れで課題書の話を始めようかと機会を窺っていたISさんがそれを拾って、そのあたりから本の話に入っていっても良いですか、と話題が展開したのだったと思う。以前も日記に記したことだが、町屋良平は、予想していた以上に描写力を持っているように感じられたとこちらは話した。数年前に作品を読ませてもらった時よりも、実力は着実に、格段に上がっているのではないか。当時は敢えてスカスカと言うか、幾分雑に書いたような記述が散見された覚えがあるのだが、今作は全体的に文章が整っており、上でも述べたように特に鬱病の描写が、平易な言葉遣いではありながらも通り一遍でなく充実していたように思う。鬱病の感覚、と言うよりは無感覚[﹅3]、あるいは感覚や感情が自分から分離してしまうような離人症的感覚をよく捉えられているようだった。ISさんも一時期、鬱病のようになったことがあると言った。とにかく無気力になってしまい、例えば本を読んでいても面白いということはわかるのだけれど、面白いから何なのだろうという思いが湧いてくると言うか、次、何かの本を読んだとしてもきっと面白いんだろう、だけどそれで終わるんだろうな、というような思いに囚われて、本を読む気力がなくなったのだと言う。それもある種の離人症と言うか、自分の感覚に自分で埋没出来ない、というようなものだったのではないだろうか。
 ISさんは町屋良平をほかにも何作か読んだらしいが、そちらも合わせてみると彼には「分身」のような主題が結構多く見られるとのことだった。今作にもそれは垣間見られたと言い、ISさんはその主題の散らばり方を鬱病の感覚と結びつけて読んでみたいようだった。つまり、登場人物が互いに分身同士として、共通性を持って捉えられるようになると、作品世界が狭まって息苦しくなってくると言うか、解釈の取り掛かりや道筋が限定されていくような感じがするのだと言う。
 ほか、こちらは、ちょっと今手もとに本そのものがなくて引用を正確なものに出来ないが、「ノスタルジーが徴兵みたいに襲いかかってきて、ショックだった」みたいな一文を取り上げて、この「ノスタルジー」と「徴兵みたいに」という比喩の組み合わせはなかなか凄いのではないかと言った。するとISさんは、これは現代川柳の言葉遣いに似ているような気がすると応じた。彼が紹介していた名前を忘れてしまったが――笹井、とか笹塚、みたいな名ではなかったか?――最近話題の現代川柳作家として何とかいう人がいるらしい。そこから、比喩のイメージと物語や世界観のイメージが衝突したり矛盾したりするのは駄目だ、という話に流れた。それで言えば、町屋良平のこの比喩は「徴兵」という語がそれまでに表象されてきた物語のイメージとは幾分ずれており、唐突で、あるいは前後の文脈から浮いているのかもしれないが、そうだとしても上手い具合に浮いているのだと思う。読んでいるとちょっとドキッとすると言うか、印象的な一節である。
 牧野信一の方に関しては、KWさんは先ほども記したようにあまり上手く乗れなかったとのことで、こちらも古井由吉大江健三郎が揃って褒めているという情報から来る期待が強すぎたのか、それほどに印象深い部分はあまりなかったというのが正直なところである。描写がいびつでしたね、という点で三者とも一致した。記述の順番などが、有り体に言ってしまえばちょっと下手くそなようにも思えたのだったが、ISさんが評したように、一言で言えば「ヘタウマ」と言うのが相応しいのだろう。ただ、岩波文庫の表紙に記された広告文のなかに、「無類の文学世界」という文句があったのだが、これは確かにその通りですねとKWさんは評価した。ほかに誰が似ているというような要素があまりない。坂口安吾小島信夫が影響を受けているらしいという話がISさんからあったが、確かに、彼らの源流となるような雰囲気が部分的に見受けられたような気はしますと彼は言った。古井由吉牧野信一について、やたら反射するような文章だが、時には実に端正な一節がある、と評しているらしい。それで言えば、古井と大江が揃って評価していた「西瓜を喰ふ人」(だったか?)の作の方が、ISさんによると、今回読んだ諸作よりも端正に整っているとのことだった。
 牧野信一に関しては、「演じる」というテーマが結構良く見られたということもこちらは指摘した。古典文学などの登場人物に自分を擬えてみせる箇所が散見されたのだ。そのようにして自己を物語のなかの登場人物に擬してフェンシングの剣を持ち出してみせたりするのは、妻子を持っている一人前の男性としては幾分子供っぽい振る舞いのようにも思えたのだが、そのあたりに自己の戯画化が施されているような感じがするとこちらは話した。『ゼーロン・淡雪 他十一篇』に含まれていた諸篇のなかでは、「天狗洞食客記」が良かったという点で三人とも一致した。これもわりとわかりやすいすっとぼけたような滑稽譚なのだが、それが後半ではちょっと幻想風味の美しいような話になってきますよねとISさんは言った。この篇はこちらがこの本のなかで唯一書抜きしようと思った描写が含まれていた篇でもあるので、その部分を以下に紹介しておこう。

 それから私たちは食事の度ごとにそれとなく四方山のことなどをはなすようになったが、顔つきや口つきを全く動かすことなしに言葉を吐くということは妙なもので、「言葉」というものが全然発声者とは関わりなく、それぞれ游離して、明らかに空間における別個の存在物と感ぜられた。私は、私と小間使がとり交す言葉のすべてが、眼にこそ見えないが、眼に映るあらゆる物象と同様に、あれらの転生宗教家連が信ずる如くそれぞれ命を持ってたゆとうていると思われた。――と考えれば何もそんな顔つきで会話を交える私たちの場合に限らず、宇宙間のあらゆる音響がそれぞれ別個の命あるものと信ぜられるのだが。
 (牧野信一『ゼーロン・淡雪 他十一篇』岩波文庫、一九九〇年、168; 「天狗洞食客記」)

 おまけに間断もなく鉛のような酔に閉されている私の眼に、華麗な花の合間からちらちらと映るうつつであるが故に、無何有[むかう]の風情が突っぴょう子もなく、嫋娜[たおや]かに感ぜられるのであろ(end168)うが、藤の花のようにすらりと丈の伸びたテルヨが、いつもうつむき加減でひらひらとする両[ふた]つの振袖を軽やかに胸の上に合せて土橋の上をゆききする姿が真に幽かな蕭寥[しょうりょう]たる一幅の絵巻ものと見えた。――もうこの頃はどちらもすっかり言葉に慣れてしまって、睨み合い端坐したまま、
 「テルヨさんが居なかったら僕は一日だってこんなところに居られるものか、馬鹿馬鹿しい!」
 「もっと胸を張っていなければ駄目ですよ、しっかりと腕をあげて、そして、もうせんのように落ついて頤を撫でて、――それが下手になったら片なしじゃないの……」
 などと囁き合うのであったが、どうしてもそれらの言葉が、あの向方の藤棚の下をゆききする冷々と美しい娘の口から吐かれるものとは感ぜられぬのであった。その姿は私などの言葉は断乎として届かぬ遥かなもののまぼろしとうかがえるのみだった。私の慣れ慣れしい言葉は、ただ彼女の口先から洩れる数々の言葉とのみ慣れ親しんでどこかの空をさまようているだけで、あの姿に向っておくりつたえたものとは、私には考えられなかった。
 (168~169; 「天狗洞食客記」)

 ほかにも色々と話したのだったが、こちらの記憶に残っている事柄はそのくらいのものである。あとはそうだ、ロラン・バルト特集の『現代詩手帖』は結局、ISさんが貰ってくれることになった。『偶景』の名を挙げてこちらは、俳句が好きなら『偶景』は面白いかもしれません、バルトが俳句をやってみた、みたいな作なんでと紹介した。ISさんもやはりバルトのなかでもそのあたりに一番関心があると言う。それでこちらは、バルトにとって俳句っていうのは意味の最小性を実現するものなんですよね、日本だと、俳句は極小の形式のなかにいかに言葉を上手く重ねて意味の重層性を生み出すか、というような風に語られると思いますけど、バルトはそういう風には見ないんですよね、などと話した。それで五時頃に至って、このあと紀伊國屋書店に行きましょうかということになった。それでそれぞれ財布を取り出して金を出し、KWさんに一括して支払ってもらうことにした。彼が支払いを終えて戻ってくると席を立ち、退店して駅の方に向かって歩き出した。ハルクの一階に入っている何とか言う喫茶店――名前を忘れてしまった――にISさんは良く来ていたのだと言った。その前を通り過ぎ、角を曲がると、彼は飲み物を買いたいと言ってドラッグストアに寄った。彼が店内で買い物をしているあいだにこちらとKWさんは店舗の外で待ち、そこの棚に陳列されていた顔にぴったり貼りつくタイプのマスクを手に取って、最近この型のマスクをつけている人が多いですよねと話したり、「ONAKA」という整腸用品か何かのような品物のネーミングセンスに突っ込みを入れたりしていた。ISさんが戻ってくると彼について人波のあいだを歩いていき、やけに幅の広い交差点を渡ってガード下を抜け、東口あるいは歌舞伎町の方面に行った。紀伊國屋書店には裏口の方から入る形になったが、そちらの道から来るのはこちらは多分初めてだったと思う。当然目当てとなるのは二階、文芸のフロアで、まずハードカバーの新刊が並べられている一角を見分した。トニ・モリソン追悼で彼女の著作がいくつか平積みにされてあり、バラク・オバマ元大統領も読んだ、というような宣伝文が付されていた。それから海外文学の方に移動して棚を見分。フランクルの『夜と霧』の新訳が出ていたが、これは初めて見るものだった。ただの新訳ではなくて、旧訳とは違う新版に依拠したもので、記述にもいくらか異同があるらしい。『夜と霧』は先日、中野ブロードウェイまんだらけで見つけて入手してあるところ、新訳が出ているのだったらそちらを読めば良かったか、と思ったが、まあ名高い作品なので両方とも読んでみたって悪くはないだろう。海外文学の書架を辿っていくと、次には文芸批評の区画などを見て、やはり『論集 蓮實重彦』が欲しいけれど六〇〇〇円くらいするので諦めたり、隣にあった工藤庸子との対談本もい一三〇〇円でわりと安いけれどこれも見送ったりしたあと、最終的に日本文学の区画に平積みにされていた後藤明生『挟み撃ち デラックス解説版』を買うことにした。二二〇〇円くらいだった。これを選び取ったのはやはり、蓮實重彦の批評文が付録についていたからである。そのほか、平岡篤頼の解説なども含まれていて、なかなか豪華である。そう言えば海外文学の棚を見ているあいだのことだったが、こちらの傍らにカップルがやって来て、女性の方を見ると、顔は見えなかったがマロン色めいた長い茶髪の幾分ギャルっぽい雰囲気の人で、彼女が海外文学など読むのかと去っていくその後ろ姿を視線で追ったところ、手に持っている本のジャケットに見覚えがあって、今正確な名前を思い出せないのだが、以前Yさんに教えられた「東欧のボルヘス」と呼ばれている作家のものだったので、人を見かけだけで判断してはいけないけれど、あのような人があのような本を読むのか、とちょっと意外に思われたのだった。
 それから文庫の区画に行ってここも長々と見分した。こちらは岩波現代文庫の棚から熊野純彦の『レヴィナス』が目に留まったので、これを買ってしまうことにした。熊野純彦には以前からわりと興味があるが、だからと言ってさすがにいきなり岩波文庫の『存在と時間』を読んだりする気にはなれない。ISさんは文庫の区画の入口あたりに表紙を見せて並べられていた島尾敏雄及び島尾ミホの評伝らしき文庫本を購入していた。それでこちらもレジに行って会計し、KWさんは何も買わないと言うのでそれで店をあとにした。通りに出たところで、このあとどうするか、飯でも食っていくかということになったのだが、今日はここで解散しようということに決定され、西武線の方に行くKWさんとはここで別れ、ISさんとJRの方に向かった。新宿ではこの日、祭りが催されていたようで、歌舞伎町の方へと続く間道の途中に提灯が並べられてあったり、その奥から下手くそな歌唱が聞こえたりしており、辺りの宙には何かの煙が漂っていたので、煙が、煙が、とこちらが漏らすと、ISさんはこのことも日記に書くんですか、と訊いてきたので笑った。印象に残っていれば書き記すと答えたのだったが、見事記憶に残って記録されたわけだ。群衆のなかの小さな一片と化して横断歩道を渡り、地下通路に下りて、日記の話などしながら改札に向かった。改札に入る手前で、Fさんは、と番線を訊かれたので、ご一緒しますよと受けて、総武線に乗るというISさんと西荻窪まで路程を共にすることにした。彼は今日は立川に帰るのではなく、西荻窪の知人の家に行くのだということだった。それで工事中の通路を辿っていき、新しく出来たらしい階段からホームに上って、ちょうど来ていた電車に乗り込むと、三人掛けの席を取ることが出来た。ここで出身を訊いてみると、茨城県の下館という町だと言った。結城市の隣らしい。その後、お互いに買った本を見せ合い、さらに今何を読んでいるのかと訊くと、ISさんはスマートフォン読書メーターを見せてくれたのだが、文芸を中心に実に色々と読んでいるものだった。最近は建築関連にも興味が出ているらしく、その関連の写真集や、『物語としてのアパート』などという本なども読んでいると言った。って言うか、読むの速いですよねと訊くと、普通の人よりは速いと思います、という言が返ってきて、速ければ三日に一冊だと言った。きちんと働いてもいるのに、大したものである。しかし長ければ一週間以上掛けることもあるし、これからはもうゆっくり読むようにしますと彼は笑った。
 電車に乗ってからのISさんは何となく元気がなくなったと言うか、声が小さくなってこちらの耳に届きにくくなったので、こちらも姿勢を前屈みにして彼と顔を並べて発言を耳に拾った。疲れてしまったのだろうか、それとも電車が苦手なのだろうか。僕の日記をまだ読んでくださっているんですかと尋ねると、読んでいるとの返答が来たのでありがとうございますと笑って礼を言った。ただ、やはり全部は読めていないと言う。当然のことだ。Twitterで流れてきたら「いいね」を押して記録しておいて、そうした記事はあとで読むとのことだった。最近はこちらの記事もやたら長くなりがちでなかなか追いつけないようで、読むのが追いつけないくらいのものを書くのって凄いと思います、と言うので、こちらは笑い、あれを毎日読める人はよほどの暇人ですよと受けると、ISさんはいやいや、と応じて、楽しんで読んでいる人は一定数いますよと言ってくれた。
 その時点で荻窪を過ぎた頃合いだったが、西荻窪に着くあいだまで話が途切れて沈黙が漂った。窓の外はもはや暗闇が浸透しており、扉際に立ってスマートフォンの画面に指を滑らせている人の姿がガラスに反映していた。西荻窪に着く直前でISさんは立ち上がったのでこちらは手を差し出し、握手してありがとうございましたと言葉を交わした。また立川の方で、と言うので、是非是非、と受けて、いつでも連絡してください、と言い、ふたたびありがとうございましたと手を挙げて別れた。
 三鷹に着くと総武線から中央線に乗換えである。水中書店に寄っていきたいような気がしたが、寄ればまた一万円くらいは使ってしまうことになるので自制し、改札は出ずに大人しくホームを替えてやって来た八王子行きに乗った。一駅乗って武蔵境で目の前の座席の端が空いたのでそこに入った。隣の高年の男性がひらいて持っている本に視線を送ってみると、カバーの折返しの欄に司馬遼太郎の名前が見えたが、彼はうとうととしているようで、視線を俯かせたまま頁を進めずにじっとしていた。
 携帯にメモを取りながら立川まで乗り、降りるとラーメン屋に寄って夕食を済ませてしまうことにした。それで改札を抜け、人波のあいだをくぐっていき、北口広場に出て通路を辿り、エスカレーターを下りていつもの如く「味源」に向かった。ビルの二階に上がって入店すると、食券機で今日は醤油チャーシュー麺の券を買った。そのほか一〇〇円で白髪葱のトッピングも選び、カウンター席に着くと近寄ってきた男性店員に券を渡して、サービス券は餃子を頼んだ。水をコップに注いで口をつけ、携帯にメモを取りながら食事が来るのを待つ。ラーメン屋では今日は珍しく、J-POPではなくて洋楽が掛かっていた。メロコアと言うのだろうか、メロディアスな旋律の明るいパンクめいたロックという感じのものばかりが続けて流れていた。ラーメンがやって来ると、丼の縁に乗せられたチャーシューをスープのなかに沈め、山盛りにされた白髪葱も崩してその下から麺を持ち上げて啜った。餃子も一気に食ってしまい、ラーメンの方も平らげると、蓮華で一口ずつスープを掬って、葱やチャーシューの細かな破片を残さず口に入れた。そうして水を飲み干すと、長居はせずにすぐに立ち上がって背後の出口に行き、出る間際に店員に向かってごちそうさまですと告げて店をあとにした。ビルから出ると向かいの伊勢丹の一階に入っているスター・バックスの前の段に若い男女が腰掛けてたむろしていた。表に出ると階段を上がって通路を辿り、駅に入ると改札をくぐって一番線である。一番端の車両に乗り、座席に腰を下ろして相変わらず携帯を操り、メモを取りながら青梅に到着するのを待った。
 青梅に着くと乗換え、奥多摩行きは確かもう来ていたのではなかったかと思う。電車に乗ると座って引き続きメモを取り、最寄り駅に着くまでのあいだに九五〇〇字くらいは記録できたようだ。駅を抜けてこの日の記憶を反芻しながら夜道を歩き、帰宅すると多分九時前だったのではないだろうか。
 その後、九時半からMさんの日記を読んだ。そうして一〇時に至るとインターネット記事、まず猪瀬直樹・三浦瑠麗・小谷賢・ケント・ギルバートグローバル化と国家 英国のEU離脱と米大統領選挙、これから日本が進むべき道 日本文明研究所シンポジウム載録」(https://dokushojin.com/article.html?i=191)を読む。それから、この日からなるべく毎日英文にも触れていこうと方針を決めて、Pico Iyer, "The Beauty of the Ordinary"(https://www.nytimes.com/2019/09/20/opinion/aging-marriage-autumn.html)も読んだ。それであっという間に一一時を越えて、風呂に行った。湯浴みして戻ってくるとハン・ガン/斎藤真理子訳『すべての、白いものたちの』と牧野信一『ゼーロン・淡雪 他十一篇』を続けて書抜きしたが、その途中、ちょうど零時になった頃合いにLINEの通知音が鳴り、見てみるとT田がHMさんとのグループを作ってくれていた。これで無事、LINEでHMさんと繋がることが出来たわけである。
 その後、この日は日記を書くのが面倒だったので仕事は翌日以降の自分に任せることにして、Twitterで話し相手を募集した。するとTNさんという方が応じてきてくれたので、ダイレクト・メッセージでやりとりをした。好きな詩人を最初に尋ねられたので、岩田宏石原吉郎が好きだとこちらは受け、石原吉郎について短く紹介したあと、音楽の話などをした。ジャズを聞くと言うと、何かおすすめはありますかと訊いてくる。付け加えて、あちらは映画を見るらしいからそれで聞き知ったのだろう、"Mack The Knife"が好きだと言うので、その曲が入っている定番のアルバムだったらSonny Rollinsの『Saxophone Colossus』なんかがありますねとこちらは教え、そのほかにもMiles Davisの『Relaxin'』なんかから入るのが良いんじゃないかと思いますと紹介した。そうこうしているうちに二時に至ったので、そろそろおひらきにしましょうとこちらから言って、礼を言い合ってやりとりを終えるとコンピューターを閉ざしてベッドに移った。リチャード・ベッセル/大山晶訳『ナチスの戦争 1918-1949 民族と人種の戦い』を読んでいたはずが例によっていつの間にか意識を失くし、何時まで読んでいたのか、何時に眠ったのかはわからない。


・作文
 8:55 - 9:15 = 20分

・読書
 9:29 - 10:00 = 31分
 11:34 - 11:47 = 13分
 21:26 - 21:54 = 28分
 22:04 - 23:13 = 1時間9分
 23:47 - 24:07 = 20分
 24:11 - 25:22 = 1時間11分
 26:11 - ? = ?
 計: 3時間52分

・睡眠
 4:10 - 8:00 = 3時間50分

・音楽

  • SIRUP『SIRUP EP』
  • Art Pepper Meets The Rhythm Section』