2019/9/24, Tue.

 死は、死の側からだけの一方的な死であって、私たちの側――私たちが私たちであるかぎり、私たちは常に生の側にいる――からは、なんの意味もそれにつけ加えることはできない。死はどのような意味もつけ加えられることなしに、それ自身重大であり、しかもその重大さが、おそらく私たちにはなんのかかわりもないという発見は、私たちの生を必然的に頽廃させるだろう。しかしその頽廃のなかから、無数の死へ、無数の無名の死へ拡散することは、さらに大きな頽廃であると私は考えざるをえない。生においても、死においても、ついに単独であること、それが一切の発想の基点である。
 (柴崎聰編『石原吉郎セレクション』岩波現代文庫、二〇一六年、11~12; 「確認されない死のなかで――強制収容所における一人の死」)

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 最初の淘汰は、入ソ直後の昭和二十一年から二十二年にかけて起り、私の知るかぎりもっとも多くの日本人がこの時期に死亡した。死因の圧倒的な部分は、栄養失調と発疹チフスで占められていたが、栄養失調の加速的な進行には、精神的な要因が大きく作用している。それは精神力ということではない。生きるということへのエゴイスチックな動機にあいまいな対処のしかたしかできなかった人たちが、最低の食糧から最大の栄養を奪いとる力をまず失ったのである。およそここで生きのびた者は、その適応の最初の段階の最初の死者から出発して、みずからの負い目を積み上げて行かなければならない。

 すなわちもっともよき人びとは帰って来なかった。  (フランクル『夜と霧』)

 いわば人間でなくなることへのためらいから、さいごまで自由になることのできなかった人たちから淘汰がはじまったのである。
 適応とは「生きのこる」ことである。それはまさに相対的な行為であって、他者を凌いで生きる、他者の死を凌いで生きるということにほかならない。この、他者とはついに「凌ぐべきもの」であるという認識は、その後の環境でもういちど承認しなおされ、やがて〈恢復期〉の混乱のなかで苦い検証を受けることになるのである。
 (28~29; 「強制された日常から」)

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 このような食事がさいげんもなく続くにつれて、私たちは、人間とは最終的に一人の規模で、許しがたく生命を犯しあわざるをえないものであるという、確信に近いものに到達する。第二の堕落はこのようにして起る。食事によって人間を堕落させる制度を、よしんば一方的に強制されたにせよ、その強制にさいげんもなく呼応したことは、あくまで支配される者の側の堕落である。しかも私たちは、甘んじて堕落したとはっきりいわなければならない。ハバロフスクでの私たちの恢復期には、おおよそこのような体験が先行している。
 (38~39; 「強制された日常から」)


 七時四〇分頃に、既に意識は朧に現に戻っていた。しかしすぐには起きられず、八時のアラームを待ってベッドから離れ、コンピューターを点けてTwitterを確認したのち、上階に行った。洗面所に入って顔を洗うとともに櫛付きのドライヤーで髪を梳かし、それから冷蔵庫のなかのフライパンを取り出す。中身はカレーである。大皿に盛った米の上に、冷えたカレーを掛け電子レンジに入れて二分半、待つあいだは卓に就き新聞を眺めていた。テレビが映しているのはNHKの朝の連続テレビ小説、『なつぞら』である。電子レンジが加熱終了の音を立てると台所に行き、高熱を宿した皿の両端を持って落とさないように慎重に運び、食事に取り掛かった。カレーには何故か、不似合いなものを、竹輪が入っていた。食べ終えると冷蔵庫で冷やした水を汲んできて抗鬱剤を服用し、食器を洗ってから下階に帰って、そうして八時四〇分からベッドに乗って読書を始めた。早く起きることが叶ったこの午前中で、リチャード・ベッセル/大山晶訳『ナチスの戦争 1918-1949 民族と人種の戦い』を読み終えてしまう意気込みだったのだ。姿勢をあまり低くしなければ眠気に刺されて力尽きる可能性がいくらか減じると気がついたので、クッションと枕に凭れて脚を伸ばしながらも身体を水平に倒さず上体を持ち上げたまま保つように心掛けた。窓の向こうに覗く空には綿の集合のように細かく寄り集まった鱗雲が掛かっており、太陽はそのなかに引っ掛かっているものの、陽射しを薄く突き通してベッドの上に宿らせて、脚を温める時間もあった。眠らないための努力にもかかわらず、いつか気づけば瞼は閉じて意識は消失しており、断続的な混濁に見舞われて、一一時一五分まで苦しむことになった。おそらく、一〇時頃から眠っていたのではないか。その後は意識の平明さを取り戻し、覚醒を保って書見を続け、一二時一〇分に至って本を仕舞えた。ベッドから降りてコンピューターに近寄ると、『SIRUP EP』を流し出してAmazonにアクセスし、『ナチスの戦争』に付されていた参考文献を中心に、ホロコーストナチス・ドイツ関連の書物を次々と「ほしいものリスト」に加えていった。それが終わると時刻は一二時半を過ぎ、母親から雨が降ってきたとのメールが届いたので上階の洗濯物を取り込みに行った。ベランダに出てみると確かに、雨は細かくはらはらと散っているのだが、同時に陽射しも斜めに渡って床を明らめている、不可思議な天候だった。それでも一応、吊るされたものをすべて屋内に入れておき、バスタオルや足拭きマットなどはソファの背の上に広げておいて下階に戻ると、一時前からMさんのブログを読み出した。続けて過去の日記も二日分読み返し、二〇一六年六月八日水曜の記事をブログに投稿しておくと、fuzkueの「読書日記」も九月一一日の分を読んで時刻は一時二〇分、日記を書き出し、ここまで記すと一時半を回っている。そろそろ腹が、空虚さに呻いている。
 食事を取ることにして上階に行けば、母親はもう帰宅済みだった。洗濯物をまた出したのかと訊けば、足拭きだけ湿っているようだったから出したと言う。台所に入ってカレーのフライパンを冷蔵庫から取り出し、大皿によそった米の上にすべて払ってしまって、電子レンジに突っ込んだ。二分半を待つあいだは何をするでもなく居間に立ち尽くし、『ごごナマ』に美川憲一が出演しているのを眺めたりしていたが、じきにレンジの前に移って首をゆっくり回したり、肩を上下に回してほぐしたりしながら加熱を待った。そうしてカレーが温まると皿を運んで卓に就き、スプーンで掬って口に運ぶ。加えて母親が、キャベツなどを和えたサラダを小鉢に用意してくれたので、それらを食いながら新聞の三面、英国ではジョンソン政権に対抗するはずの野党がしかし不揃いで一致団結出来ていないという趣旨の記事に目を通した。食後には、母親が注いでくれた緑茶を口にした。先日も、葬式の返礼で貰ったという茶を飲んだのだが、それは全然美味くなかったところ、今回のこれも別の機会のお返しで貰ったものらしいが、先日のものよりはまだましであっても雑味が多くて後味がすっきりしない点では大して変わりもなかった。カフェインを摂っても何の問題もない身体になったし、これから暑さも減じて来ようから食後の一服や作業の供として緑茶を飲みたいが、葬式の返礼品の茶というものはどれもこれもあまり美味くもない。品のない苦味の緑茶を飲み干すと台所に移って母親の分もまとめて食器を洗い、それから風呂も洗った。そうして続けてアイロン掛けに入る。父親のシャツを何枚も、加えて母親のエプロンやハンカチ類を処理したのだが、その傍らで彼女はやはり先日の、Kのおばさんの葬式で貰ったという緑茶を出してきて、これは高いんじゃない、などと漏らしている。静岡産の茶葉らしく、箱のなかに缶が三つ入っているもので、一万円あげたお返しなので五〇〇〇円くらいはするのではないかと言う。三缶で五〇〇〇円なら結構なものだが、所詮は法事の返礼品なのであまり期待は出来かねるだろう。
 炬燵テーブルの縁に向かって膝立ちになってアイロンを操っていると、ソファに就いていた母親が、雨が降ってきた、と訊いて、耳を澄ませてみれば確かに窓外に静かな打音が立っている。それでベランダに干してあった足拭きマットは取り込まれ、アイロン掛けを続けているあいだに雨は本降りになって、石灰水の色をした雨粒が秋を控えて幾分和らいだ濃緑の木々を背景に、ことごとく地を指して柔らかな針のように流れた。
 アイロン掛けを終えるとシャツをソファの上に放置して階段を下り、居室に戻るとJunko Onishi『Musical Moments』とともに日記を書きはじめた。前日分を早々と仕上げ、この日の記事にもここまで文を書き足すと三時を回っている。雨は早くも止み絶えたようだ。
 出勤の支度を始めるまでの猶予で英文に触れることにして、Verna Yu, "Riot police fire teargas at Hong Kong protesters as unrest escalates"(https://www.theguardian.com/world/2019/sep/21/pro-china-supporters-tear-down-hong-kongs-lennon-walls)をまず読んだ。苛烈さを増す香港での抗議運動に際して、まだ僅か一三歳の少年少女が二人、逮捕されたという報だ。それから次に、George Yancy and Noam Chomsky, "Noam Chomsky: On Trump and the State of the Union"(https://www.nytimes.com/2017/07/05/opinion/noam-chomsky-on-trump-and-the-state-of-the-union.html)を読み出したが、一日三〇分が目安のはずが、触れているうちにすべて読み通してしまおうと興が乗り、しかし結構長い談話で四時半を前にしても仕舞えなかったから、一旦切って湯を浴びに行った。居間に吊るされたタオルを一枚取って洗面所に行き、肌着を脱いで浴室に踏み入ると、温かなシャワーを流し出し、汗の臭いの付着した身体を洗っていった。シャンプーを用いて頭も洗うと外に出て、下着を替えてパンツ一枚で下階に戻ってくると、歯を磨きつつ英文記事の続きを追った。四時五〇分には読了した。チョムスキーの英文は明快かつ平易で、こちら程度の読解力でも滑らかに視線が流れ、読みやすいものだった。それからceroの音楽を響かせながら仕事着に着替えたあと、インターネットに繰り出して、ほかにもチョムスキーのものした記事を探すと、Chomsky.InfoというオフィシャルページにインタビューもArticlesも対談もまとめられていたので、URLをメモしておいた。英文を読んでいるあいだはオンラインの辞書サービスを用いて語彙を次々と調べては記録していたのだが、以下にそれをまとめて掲げ、さらにチョムスキーのインタビューで気になった部分も引いておく。

・riot police: 機動隊
・drawn-out: 長期に渡る
・vandalistic: 公共物破壊の
・light rail: 路面電車
・hurl: 投げつける
・desecrate: 冒涜する
・cat-and-mouse game: いたちごっこ
・offering: 捧げ物、奉納の品
・projectile: 投射物
・morph: 変化する、姿を変える
・trash: 滅茶苦茶に壊す
・gracious: 丁重な、快い
・gnat: ブヨ
・apropos: 適切な
・precipice: 断崖、絶壁
・hitherto: これまで
・unpretentiously: 見栄を張らずに、気取らずに
・bleak: 暗い、希望のない
・entrance: 夢中にさせる、うっとりさせる
・antic: 滑稽な態度
・prerequisite: 必要条件、前提条件
・shenanigan: 不正行為、ペテン
・make inroads: 入り込む、侵入する
・bluster: 大言壮語
・cower: 縮こまる
・by a factor of: ~倍で
・reflexive: 反射的な
・contrive: 作り出す、考案する
・oblivious: 気が付かない、無関心でいる
・huddle: しゃがむ、うずくまる; 身を寄せ合う
・second: 賛成する
・reserved: 控えめな
・given to: ~する傾向がある、~しがちだ
・oscillate: 振り子のように揺れる
・surreal: 超現実的な
・not least: とりわけ
・servile: 卑屈な
・deference: 服従
・affluent: 裕福な
・cast aside: 見捨てる
・dire: 緊急の、切迫した

On nuclear war, actions in Syria and at the Russian border raise very serious threats of confrontation that might trigger war, an unthinkable prospect. Furthermore, Trump’s pursuit of Obama’s programs of modernization of the nuclear forces poses extraordinary dangers. As we have recently learned, the modernized U.S. nuclear force is seriously fraying the slender thread on which survival is suspended. The matter is discussed in detail in a critically important article in Bulletin of the Atomic Scientists in March, which should have been, and remained, front-page news. The authors, highly respected analysts, observe that the nuclear weapons modernization program has increased “the overall killing power of existing U.S. ballistic missile forces by a factor of roughly three — and it creates exactly what one would expect to see, if a nuclear-armed state were planning to have the capacity to fight and win a nuclear war by disarming enemies with a surprise first strike.”

The significance is clear. It means that in a moment of crisis, of which there are all too many, Russian military planners may conclude that lacking a deterrent, the only hope of survival is a first strike — which means the end for all of us.

G.Y.: (……) Should we fear a nuclear exchange of any sort in our contemporary moment?

N.C.: I do, and I’m hardly the only person to have such fears. Perhaps the most prominent figure to express such concerns is William Perry, one of the leading contemporary nuclear strategists, with many years of experience at the highest level of war planning. He is reserved and cautious, not given to overstatement. He has come out of semiretirement to declare forcefully and repeatedly that he is terrified both at the extreme and mounting threats and by the failure to be concerned about them. In his words, “Today, the danger of some sort of a nuclear catastrophe is greater than it was during the Cold War, and most people are blissfully unaware of this danger.”

In 1947, Bulletin of the Atomic Scientists established its famous Doomsday Clock, estimating how far we are from midnight: termination. In 1947, the analysts set the clock at seven minutes to midnight. In 1953, they moved the hand to two minutes to midnight after the U.S. and U.S.S.R. exploded hydrogen bombs. Since then it has oscillated, never again reaching this danger point. In January, shortly after Trump’s inauguration, the hand was moved to two and a half minutes to midnight, the closest to terminal disaster since 1953. By this time analysts were considering not only the rising threat of nuclear war but also the firm dedication of the Republican organization to accelerate the race to environmental catastrophe.

 既に五時を回っていた。cero "POLY LIFE MULTI SOUL"を流して歌い、三分ほど余して途中で切ると、バッグを持って階を上がった。黒くて薄い生地の長靴下を仏間で履き、ハンカチをポケットに持って玄関をくぐり、道を歩き出すと行く手の奥に、杖を突いて歩幅も狭いらしくゆったりと歩く老人の姿が見える。近所に住んでいる、I.Kのお祖父さんだろうかと見た。リウマチで一度死にかけたものの息を吹き返して養生していたところ、先般父親が畑仕事のあいだに散歩に出会ったと言っていたのを思い出したのだ。また歩いているのならば結構なことではないかと距離を縮めていくとしかし、顔の形など見るにどうも件の人ではない。空には防災放送が渡って尋ね人の知らせを聞かせるそのなかで近づくと、見知らぬ老人は突然こちらを振り向き目を合わせて来たので、無言で会釈して追い抜かした。そうして入った木の間の坂は、足もとがじめじめと暗く濡れて湿り気が湧き昇るようであり、落葉も水を含んで繊維を崩し、路面に汚く貼りついている。ツクツクホウシが、九月もよほど押し詰まったこの夕べにもまだ聞こえた。道を急がず上りながら不意に、何というきっかけもないが、古井由吉という名前を思い出した。それで『ナチスの戦争』を読み終えたその次に、最新の『この道』でなくて一つ前のものになるが、古井の『ゆらぐ玉の緒』でも読み返そうかという気になった。尋ね人の知らせは放送位置を変えて繰り返されており、八八歳の老人が自転車で家を出たきり行方不明、髪は白髪で何色の服を着て、と間をたっぷり置きながら述べられる一言一言が乱されず明瞭に耳に届いた。
 駅の階段に掛かり見上げた西空に、霙っぽいような細かな雲が合間に青を流し込まれながら群れ集まって、下腹の方から浮き上がる陽に触れられて一斉に薄明るんでいる。ホームの先まで行ってからもう一度西を振り向けば、空の端に浮かんだ雲はほかより幾分色が強くて、熾火のように暖まっている。それを見てから手帳を取り出し、まもなく着いた電車に乗ると扉際で視線を落とし、降りるとベンチの前に立ち尽くしてほかの客が捌けるのを待って階段口に向かった。通路を行きながら、捲った袖の縁の肌に汗が滲むのを感じるが、同時に粘っこい鼻水も右の鼻腔に引っ掛かっていた。
 授業の準備を済ませてから入口傍で生徒を出迎えれば、たびたびひらくドアの彼方、ビルの上端に触れて残照の終末の一帯[ひとおび]がくゆって、空は大方紺青に濡れ沈んだなかにそこだけ幽か、明るんでいる。授業は一齣、(……)くん(中三・国語)、(……)さん(中三・英語)、(……)さん(中三・英語)の三者を相手にした。英語の二人は単語テストの勉強をしてこなかったと言うのでそれは省略した。その場で勉強の時間を取ったところで長期記憶に残るものでもなく、率直に言ってその分の時間が勿体ない。生徒が学習してこなかった場合はテストを実施しない方針を取ろうかと考えている。二人とも、今日扱ったのは関係代名詞だが、(……)さんはまだしも復習も一頁扱えたところが、(……)さんはこちらが近くにいなければやはり手が止まりがちで、最近切ったようで短くなった髪の毛で俯いた横顔を隠しながら何をやっているのか、携帯を弄っている風でもないのだが、手を遊ばせているのが困り物である。(……)くんは森鴎外の「高瀬舟」、及び俳句について扱って、特段の支障はないがそろそろテキストの問題の方が尽きる。
 授業後、帰っていく生徒たちを見送ってふたたび入口傍に立っていると、扉が開くたび、野などないのだけれどまさしく野もせにといった勢力で鳴きしきっている虫の音が広がった。八時前に職場をあとにした。駅に入ってホームに上ると自販機に寄り、いつもの習慣で二八〇ミリリットルの小さなコカ・コーラを買い、ベンチに就いて手帳を出すとともに封を開けた。ぽん、と小気味良い音が鳴ると同時に漆黒の炭酸水の、その縁を取り囲むように微小な泡が大挙して湧き、空気を求めて這い上がってくるが、口から噴き出すほどの勢いはない。手帳を眺めつつ、ゆっくりと間を置いて一口ずつ飲み、飲み干すとボトルを捨てて、まもなく来た電車の三人掛けに入れば、腰を下ろすと同時に向かいの男子高校生が、思春期にありがちなことで無意味な反感を籠めたような視線を上目がちに送ってきてすぐに逸らした。瞑目しながら手帳の文言を反芻しているうちに発車も近くなって、間際に乗り換えてきた客のなかに軽薄そうな男があり、見れば学生の隣に座る。彼女が出来たか云々と話すのを聞けば同級生らしく見えるが、キャップを被った私服姿なのはあるいは高校に行っていないのだろうか。和やかに笑いながら一頻り喋ったあと、二人はふっと沈黙に落ちて、間を持て余したのかそれぞれの携帯を見つめ出し、私服の方は両耳に白いイヤフォンも挿していた。
 最寄りの駅舎を抜けるあいだ東西南北どちらを向いても、夜の背景を金属の壁のように埋め尽くす秋虫の音に突き当たる。通りを渡って坂に入ってからも壁は続き、なかからそれと似て凛と澄明だが、幾分変音気味に撓む声が揺蕩うのは、これがおそらく鈴虫のものらしい。この日は木の間に風は吹かず空気は停まって木も鳴らず、下りていって沢の近くでは昼間の雨の名残か、濡れた草の匂いが淡く香った。
 帰り着いて居間に入るとワイシャツのボタンを外して服を身から剝ぎ取る。炒飯が美味しくてこれだけになっちゃったと母親が言うのを見れば、台所の調理台の上の皿に炒めた米が入っており、その隣には厚揚げも用意されてあった。洗面所の籠にワイシャツを突っ込んでおくとねぐらに帰って、スラックスを脱ぐとともにコンピューターを点け、肌着姿で起動を待ちつつ書棚から古井由吉『ゆらぐ玉の緒』を取り出して、冒頭を読んだ。一読しただけでも感じ取れる文の切れだった。流石、身を削るようにして、夜叉の如く、緻密な推敲を何周も重ねているだけのことはある。この文章の密度であれば、おそらく何を書いてあっても自分は愉しめるだろう。それに感化されたということもあるか、コンピューターが整うと日記をひらいて、この日の文を頭から読み返し推敲を始めた。毎日ただ書けば良いだけの営みに、わざわざ推敲の労を掛けるなど、馬鹿げている。内容も内容で地味で退屈な日常だから、文言を少し取り替えたところで文章が急に華やぐものでもない。しかし止まらず、音調を掴むように誘い寄せるようにして、読点の有無や位置にまで気を配って直していく。
 九時過ぎまで文を弄ると上階へ、先に湯を浴びることにして仏間の簞笥から下着を取り、風呂場に行った。温みのなかに身体を浸しながら、文章の要となるのはやはり音なのだろうと考えた。音と一口に言って、いわゆる聴覚的なリズムのみのことではない。意味の順序と流れ方も合わせての話だ。意味と音とはどちらが損なわれてもならない二つながらのものであり、意味が音律を誘い招き、音調が意味を引き寄せる、そのような調和と拮抗の相関こそが文章の要諦と見た。
 出てくると夕食に入る。炒飯に厚揚げ、それに鮭と惣菜の乗った皿をレンジで温めてから卓に就く。夕刊を見やりながら厚揚げを千切って口に運ぶと珍しい味がして、これは何かと訊けば、カレーの余りに麺つゆを混ぜて味付けたものだと言う。惣菜の揚げ物は、南瓜で満たされた甘く柔らかいコロッケに、メンチカツにイカフライで、それぞれにソースを掛けて食べ、最後に炒飯を平らげてから薬を飲むと、皿を洗って居室に帰った。cero『POLY LIFE MULTI SOUL』を流して九時四〇分からふたたび文章に取り掛かり、書き進めながらたびたび前に戻って文の流れ方にこだわっていると、あっという間に一一時を過ぎた。それどころか、再度の推敲を施してここまで辿り着くと二時間が経って、九月二五日も間近になっている。
 織田朝日「自殺未遂、ハンスト……。入管に収容された外国人たちが、命をかけて訴えるもの」(https://hbol.jp/200449)を読んだ。続けて姜尚中宮台真司・堀内進之介「感情が動員される社会を生き抜くには 堀内進之介著『感情で釣られる人々 なぜ理性は負け続けるのか』(集英社)刊行記念鼎談載録」(https://dokushojin.com/article.html?i=190)も読んだが、この鼎談には引いておきたいと思うほどの発言はない。既に夜半を越えて夜気は涼やか、寝床に移って古井由吉『ゆらぐ玉の緒』を読みながら、裸だった上半身に肌着のシャツをつけた。丑三つも近くなって、いくらか雨が通ったようだ。三時を控えて、蟋蟀の声のひとときも途切れず立ち広がっている窓外からまた雨の音が始まって、粒の結構大きな降りらしく聞こえたが、一分も持たず、あとが続かなかった。古井の文は、読点を折々に挟んで鷹揚に、ゆったりと歩み継がれ、通常言うところの息の長さとは心地が違うが、結構長息の箇所が時にあるのだよなと、その泰然とした律動に惹かれるように読み耽っていた。

 公苑の奥の庭に大池と小池があり、その小池の岸から老いた桜の木が節榑[ふしくれ]立った大枝を水の上へ低く伸べ、春には花をこぼれるばかりにつけて、池に舞う桜色の大鳥を想わせるのを、それまでにも十年二十年と、これには目もそむけずに眺め入って来たが、それもその雪にだいぶの傷手を受け、それ以来、年々瘦せて、花を咲かせる間はそれでも寂びた色を見せていたが、花が散ればまた一段と朽ちた姿をあらわし、やがて根本から切られて、新しい木に植えかえられた。(……)
 (古井由吉『ゆらぐ玉の緒』新潮社、二〇一七年、16~17; 「後の花」)

 風景やら天気やら事物やらの描写と、人間の物事の経緯を語る足運びとの、その関係が尋常の小説と異なるようにも思われた。普通の作ならばここは風景、ここは出来事、ここは述懐、ここは内省と、それに応じて起伏が生まれ、記述の種ごとの区分けが明らかにつきそうなもので、古井にも勿論、程々の区別と波打ちはあるが、しかしそれぞれの要素が互いに細かく有機的に絡み込んでいるような、と見るうちに、文章の孕み持つ情報の量、描写の密度のようなものが、どこを取っても一定に均されているのではないかと気がついた。これが度重なる推敲の、手の跡というものだろうか。無論作家の念頭としては、流すところと勘所とそれぞれに軽重はあろうが、少なくとも外見上、隅から隅までおしなべて、一様に整っている。かつてガルシア=マルケスと、古井由吉とを綯い交ぜにしたような文を書けないかと夢想したことがあった。自分が今まで、最も感化されたであろう二人である。共に時空の操作に卓越してはいても、コロンビアの作家の記述が四角く截然と区切られるのに対し、古井の往還はもっと融解して液体的に絡み合うもので、まったく異なる二者だから所詮夢は夢に過ぎないと払っていたが、文の密度の均一さという点では、思いの外に共通しているのかもしれない。
 いつか頭痛が差していて、眠気は来ない。それでも三時半に至る頃にはそろそろと明かりを落とし、薄布団の下で身体を伸ばした。ここのところ、こちらから眠りに向かっていくまでもなく、読み物の合間に自ずと意識が消えていることが多かったところを、久方ぶりに目の冴えた夜だった。暗闇のなか、耳を澄ませるわけでもないのに、窓を埋める虫の音とは反対側、家の内の方から、音声を伴わない携帯の震動のみを宙に取り出して浮かべたような響きが、虫声を被せられて聞こえづらいが、どうも耳につく。気のせいのような幽かなものだ。何の音かは知れない。あるいは部屋の内に入り込んでくる蟋蟀の声の、人間の可聴域を超えた倍音でも反響して残るのを知らず聞き取っているのか、と気づけば耳を張るようになっていて、そんな調子ではますます眠れなさそうだから、とたしなめて力を抜いた。入眠は、思ったよりも早かった。


・作文
 13:20 - 13:34 = 14分
 14:18 - 15:06 = 48分
 20:42 - 21:05 = 23分
 21:40 - 23:51 = 2時間11分
 計: 3時間36分

・読書
 8:40 - 10:00 = 1時間20分
 11:15 - 12:10 = 55分
 12:53 - 13:20 = 27分
 15:15 - 15:32 = 17分
 15:36 - 16:24 = 48分
 16:36 - 16:49 = 13分
 23:59 - 24:22 = 23分
 24:41 - 27:25 = 2時間44分
 計: 7時間7分

・睡眠
 3:35 - 8:00 = 4時間25分
 10:00 - 11:15 = 1時間15分
 計: 5時間40分

・音楽

  • SIRUP『SIRUP EP』
  • FISHMANSCorduroy's Mood』
  • 16FLIP『Ol'Time Killin' Vol.4』
  • Junko Onishi『Musical Moments』
  • Junko Onishi『Glamorous Life』
  • cero『POLY LIFE MULTI SOUL』