2019/9/28, Sat.

 ただ私たちには、うしなうということは奪われることだという、被害的発想がげんとしてあります。失語というばあいでも、それはおなじです。しかし、ことばを私たちがうばわれるのではなく、私たちがことばに見はなされるのです。ことばの主体がすでにむなしいから、ことばの方で耐えきれずに、主体である私たちを見はなすのです。見はなされる主体としての責任は、さいごまで私たちの側に残ります。これが、失語という体験を一般的状況のなかへ風化させないで、だれがことばを失ったかという問いを、さいごまで自分自身へ保留するための、いわば倫理であると私は考えます。
 いま私は、ことばは自分自身を確認するためのただ一つの手段であるといいましたが、それは、ことばがその機能を最終的に問われる、もっとも不幸な場においてのことです。もし、もっともよろこばしい場でそれが問われるのであれば、それは、一人の人間が一人の人間に語りかけるためのことばでなければならないと、私は考えます。
 私たちには、ことばはつねに、多数のなかで語られるものだという気持がありますから、ことばをうしなうことは、人間が集団から脱落することだと考えるわけですけれども、ことばはじつは、一人が一人に語りかけるものだと私は考えます。ことばがうしなわれるということはとりもなおさず、一人が一人へ呼びかける手段をうしなうことだと考えます。
 いまは、人間の声はどこへもとどかない時代です。自分の声はどこへもとどかないのに、ひとの声ばかりきこえる時代です。日本がもっとも暗黒な時代にあってさえ、ひとすじの声は、厳として一人にとどいたと私は思っています。いまはどうか。とどくまえに、はやくも拡散している。民主主義は、おそらく私たちのことばを無限に拡散して行くだろうと思います。腐蝕するという過程をさえ、それはまちきれない。たとえば怨念というすさまじいことばさえ、あすは風俗として拡散される運命にあります。ことばが徐々にでも、腐蝕して行くなら、まだしも救いがある。そこには、変質して行くにもせよ、なお持続する過程があるからです。持続するものには、なおおのれの意志を託することができると、私は考えます。私自身、そのようにして、戦争を生きのびて来たと思えるからです。
 私事になりますが、私がなぜ詩という表現形式をえらんだかというと、それは、詩には最小限度ひとすじの呼びかけがあるからです。ひとすじの呼びかけに、自分自身のすべての望みを託せると思ったからです。ひとすじの呼びかけと私がいうのは、一人の人間が、一人の人間へかける、細い橋のようなものを、心から信じていたためでもあります。
 いずれにしても、ことばのこのような機能をうしなうということは、とりもなおさず私自身を確認する手段をうしなうことであり、また一人の相手を確認する手段をうしなうことであります。それはこの世界で、ほとんど自分自身の位置をうしなうにひとしい。位置をうしなって無限にただよって行くことにひとしいことです。これが、失語という状態のさいごの様相であると私は考えます。
 (柴崎聰編『石原吉郎セレクション』岩波現代文庫、二〇一六年、70~72; 「失語と沈黙のあいだ」)


 八時の目覚ましで床を離れることに成功した。上階に行くと、仕事着姿の父親がいたのでおはようと挨拶をして、洗面所に入って顔を洗うとともに髪を梳かす。食事は米がないから素麺だと言う。冷蔵庫からガラスの器に入った麺を取り出し、麺つゆを椀に作って、山葵と葱を添えて卓に運んだ。テレビはNHK連続テレビ小説なつぞら』を映しており、どうも最終回らしかったが、特段の関心はない。いくらか固まった素麺をつゆに浸けて啜り、平らげてしまうとゆで卵も一つ食って、抗鬱剤を飲んだあとから皿を洗った。そうして下階へ戻り、『SIRUP EP』を流して九時前から早速、日記に取り掛かった。二五日の記事の確認である。時間を掛けたところでいくらも変わるわけでないのに、文を頭から読み返して直すところは直していき、終えると二六日の分も同じように推敲するとちょうど一時間が経った。二日分の記事をインターネットに投稿し、それから前日の日記を書かねばならないところだが、億劫さが勝ってひとまず本を読むかと布団もマットもベランダに取り払われたベッドに乗った。古井由吉『ゆらぐ玉の緒』を、最初は縁に座ってひらいていたが、すぐに枕もなしに横になってしまい、そうすると知れたことで、朝いくらも寝てもいないから、睡気が差してくる。気づけば微睡みに入って、虚しく本を持ったまま正午前まで横になっていた。その頃、母親がやって来てベランダの布団を入れはじめたので寝床から退き、洗ったシーツも持ってきてくれたので敷くのを手伝って、母親が昼食に去っていくとそのあとからコンピューターに寄ってこの日の日記を書きはじめた。ここまで打って、一二時半が近づいている。
 現在、一〇月二日に至っており、この土曜日の一日から四日もの時間が経ってしまっており、四日も前の記憶を想起して細かく綴るのが面倒臭くて仕方がないので、この日は例外的に簡略化して記録する。俺の負けだ。やはり如何に記憶が薄れないうちに、と言うことはなるべくその日のうちに、あるいは遅くとも翌日にはということだが、綴れるかどうかが日記における勝敗に掛かっている。この日は立川RISURUホールという場所、これは立川市民会館のことであり、昔にはアミュー立川と呼ばれていた施設だが、そこで渡辺香津美村治佳織のギター・デュオ・コンサートを観覧した。曲目は、前半冒頭がこちらの知らない導入曲のような短いもの、次にルネサンス期の歌曲、三つ目にバッハのリュート組曲村治佳織がアレンジしたもの、四曲目は、渡辺の細君である谷川公子が作った、"Shadow And Light"という曲、五曲目は村治佳織作曲のアフリカはタンザニアにちなんだ曲、次にBireli Lagreneの"Made In France"だが、Bireli Lagreneなどという名前は実に久しぶりに耳にしたものだ。超絶技巧のギタリストで、昔聞いた時には、あまりに上手すぎ、技術が高度すぎてそれがかえって嫌らしいように感じたものだ。
 その後、渡辺のソロに入り、The Beatlesの"Come Together"が演じられた。これが全体を通してこちらとしては最も良かったように思う。前半の最後は渡辺のオリジナルで、"Jammin' Iberico"と言っていたと思う。
 休憩を挟んで後半は村治のソロから始まって、ジブリ映画『ハウルの動く城』のテーマ曲だった"人生のメリーゴーラウンド"がまず演じられ、次に"Moon River"、そして"アルハンブラの思い出"である。デュオに戻ったあとは"When You Wish Upon A Star"、"Stella By Starlight"、"Waltz For Debby"とジャズスタンダードが続き、それが終わると"Tico Tico"という、アストラ・ピアソラがやっていそうなタンゴ風の曲が演じられ、最後に"Nekovitan-X"という渡辺のオリジナル。アンコールは"Moon River"をもう一度、今度はデュオでやり、最後に"川の流れのように"が演じられて終了。
 観覧中、印象を受けたことは色々とあったのだが、それらを細かく綴るのが面倒臭いので泣く泣く省略。コンサートを観たあとは立川のA家に帰って夕食を頂く。その席で話したことももう大して覚えていないので割愛するが、ただ、母親と一緒になって父親の悪口を言ったり、隣にいる母親を前にして彼女の悪口を言ったりして、これは帰りに夜道を歩きながらちょっと反省した。他人の前で自分の親のことを悪く言うものではない。しかし他人の前でと言ったって、他人の前でしか言う機会はないに決まっていて、それ以外にはこの日記に書くくらいしか出来ないわけだが。ともかく、もう少し殊勝に生きようと思ったものだ。
  "Ai Weiwei: Can Hong Kong’s Resistance Win?"(https://www.nytimes.com/2019/07/12/opinion/hong-kong-china-protests.html#)を読んだ際に調べた英単語を以下に付してこの日の記事は終える。これでやっと負債を完済することが出来た。推敲などという難事にかかずらうことはもうしないぞ。毎日書く文章に推敲などしていたら切りがなくて書けなくなる。

・recourse: 頼み
・populace: 民衆、一般大衆
・concur: 同意する、同一歩調を取る
・notify: 通知する、知らせる
・shoddily: 粗悪に
subversion: 転覆
・encroach: 侵入する
・muzzle: 口を封じる


・作文
 8:51 - 9:51 = 1時間
 12:08 - 12:25 = 17分
 13:08 - 13:32 = 24分
 計: 1時間41分

・読書
 13:33 - 13:59 = 26分
 14:30 - 14:54 = 24分
 23:21 - 24:08 = 47分
 25:46 - 26:38 = 52分
 26:39 - ? = ?
 計: 2時間29分

・睡眠
 3:15 - 8:00 = 4時間45分
 10:30 - 11:50 = 1時間20分
 計: 6時間5分

・音楽