2019/9/30, Mon.

 囚人にとって、およそ不幸な[﹅3]過去というものは、ありえない。すべての囚人にとって、過去は絶対に幸福でなければならない。このことは、囚人の見る夢が、例外なく過去の夢であり、例外なく幸福な夢であることからもわかる。彼らにとって幸福とはなにか。たとえばそれは、朝起きて一人で[﹅3]排泄することであり、街路を自分の歩速であるくことであり、あるきながら任意に立ちどまることであり、行きあう一人一人に鷹揚な関心を示すことができる[﹅3]ということである。彼は思いついたように立ちどまることができ、そこから引返すことさえもできるのだ。私自身、しばしばそのことに思いおよんだとき、呼吸がとまるような驚きをおぼえた。
 (柴崎聰編『石原吉郎セレクション』岩波現代文庫、二〇一六年、108~109; 「沈黙と失語」)

     *

 望郷とはついに植物の感情であろう。地におろされたのち、みずからの自由において、一歩を移ることをゆるされぬもの。海をわたることのない想念。私が陸へ近づきえぬとき、陸が、私に近づかなければならないはずであった。それが、棄民されたものへの責任である。このとき以来、私にとって、外部とはすべて移動するものであり、私はただ私へ固定されるだけのものとなった。
 (124; 「望郷と海」)

     *

 四月三十日朝、私たちはカラガンダ郊外の第二刑務所に徒歩で送られた。刑務所は、私たちがいた捕虜収容所と十三分所のほぼ中間の位置にあった。ふた月まえ、私が目撃したとおなじ状態で、ひとりずつ衛兵所を通って構外へ出た。白く凍てついていたはずの草原[ステップ]は、かがやくばかりの緑に変っていた。五月をあすに待ちかねた乾いた風が、吹きつつかつ匂った。そのときまで私は、ただ比喩としてしか、風を知らなかった。だがこのとき、風は完璧に私を比喩とした。このとき風は実体であり、私はただ、風がなにごとかを語るための手段にすぎなかったのである。
 (127; 「望郷と海」)


 例によって一一時五〇分まで寝過ごす。カーテンをひらくと、空は雲の隊列に埋め尽くされているが、窓の端に陽もいくらか灯っている。起き上がって階を上がり、まず便所に行って腹を軽くした。それから洗面所に入り、顔を洗うとともに櫛付きのドライヤーで頭を梳かす。そうして台所に出て、冷蔵庫からうどんと、前夜の鶏肉にミートソースを絡めた料理を取り出して、鶏肉は電子レンジに入れた。そのあいだに麺つゆを用意し、冷凍庫で凍らされた葱と山葵を加える。そうして卓にものを運び、新聞の一面を見やりながら食事を始めた。関西電力の幹部連が、福井県高浜町の元助役から金品を受領していたとの報。明日から消費税が一〇パーセントに増税されるとの記事もある。それらを読みながらものを食べると、水をいっぱい注いできて抗鬱薬を飲み、台所に移って食器を洗った。その後、風呂も洗ってしまうと玄関の戸棚を開けて、柿の種を二袋持って下階に下り、コンピューターを点けた。起動を待ちながら柿の種をつまみ、Evernoteを立ち上げて前日の記録を付けると、しばらくインターネットに遊んだ。そうして一時一八分から日記に取り掛かって、まずここまで一〇分も掛からずに記している。
 それから二時二〇分まで、総計で一時間ほど文を綴ったあと、多分洗濯物を取り込みに行ったのではないだろうか。しかしそのあたりの記憶はもはや定かでない。次に日課の時間が記録されているのは四時半過ぎからの作文だが、それまでのあいだは確か、インターネット徘徊のあいだに『ウォルテニア戦記』という漫画に行き当たって、公式ホームページで二五話ほど無料で公開されていたものだからそれを読んだ。いわゆる異世界転生物であり、また主人公無双物と言うのだろうか、主役の能力が無闇に高すぎるという点もあるが、そうした物語上のご都合主義を措けばそこそこ楽しめる。それを長々読んで四時半を越えると、ふたたび作文に入り、五時を回るまで文を拵えて、そうして上階に行った。まず取り込んでおいた洗濯物を畳んだと思う。それから台所に入って米を三合磨ぎ、六時五〇分に炊けるようにセットして、夕食のためには簡単に、豚肉を炒めることにした。冷蔵庫を覗くとエノキダケがあるのでそれも炒め物に加えるとともに、いくらか分けて味噌汁も作ることにする。それで玉ねぎと茸を切り、豚肉もすき焼き用で長細くなっているものを切断し、フライパンで炒めはじめた。強火に掛けてフライパンを振り、搔き混ぜながら加熱して、一方では小鍋にエノキダケと豆腐を煮て、味噌もチューブに液状で入っていて溶かす必要のないものを簡便に押し出して加える。炒め物は塩胡椒を振っておき、醤油を各々食卓で掛けてもらうことにして、完成すると下階に戻った。それからまた七時前まで作文である。
 米の炊ける六時五〇分に達すると、いい加減腹も減ったのでもう飯を食おうということで部屋を出た。母親はまだ帰っていない。丼によそった米の上に炒め物を載せ、味噌汁を椀によそって卓へ、取っておいた夕刊を読みながら豚肉に醤油を垂らして米を貪ったが、どんな記事があったのかは覚えていない。オーストリアの国民議会の選挙で極右自由党が大敗したと知らされていたのはこの夕刊だっただろうか? 
 ものを食い終えて皿を洗っていると、母親が、バイクに乗って行ったから玄関ではなく下階の物置きから帰ってきて、階段を下りれば暑い暑いと嘆いて荷物を運んでくれと言うので、何かの袋を階上に持っていった。それで自室に戻ると、七時二〇分からふたたび作文の時間が記録されているが、二〇分ほどですぐに途切れて、そのあとはコンビニに行ったのだった。年金の支払い期限がこの日までだったのだ。肌着のシャツにハーフパンツの軽装のまま着替えず上階に上がり、母親にコンビニに行ってくる、年金の支払いが今日までだからと告げて、サンダル履きではさすがに頼りないから裸足に靴を履いたが、そのおかげで足の指が擦れてあとで少々痛くなった。
 坂に掛かって見上げると、雲は青味を含んだ夜空に黴のように蔓延っているが、その雲間に星が一つ、灯っている。坂を上りきって木の間の裏道を行けば、前方に、オレンジ色の暖色灯を点けたトラックが停まっていて、行商の八百屋と知れた。旦那が傍の宅の婦人と話を交わしているところに近づいていき、こんばんはと告げれば、最初はこちらとわからなかったようだがまもなく見分けて、今日は仕事じゃないのと訊くので、こんなところで会うとはと言って、今日は休みで、今コンビニまで行こうと思ってと受けた。遠いな、まだ半分あるぜと旦那が言うのに、遅くまでご苦労さまですと掛けると、とんでもない、俺はまだあと一時間くらいはあると返るので、そうなんですかと驚いて、頑張ってくださいと励ましを送って通り過ぎた。
 過ぎてしばらくしてから、どうも急いているようだなと気づいて、足を緩めた。人っ子一人おらず、車通りもほとんどなく、虫の音を孕んだ静寂のみが満ちる夜道に、夜気は涼しいものの汗はやはり湧いてくる。表に出ると車の通り過ぎていく横を歩き、コンビニに入るとまず年金の支払いを済ませた。それからオレンジ色の籠を持って飲み物のスタンドに寄り、コカ・コーラ・ゼロを一本籠に入れると次に棚のあいだに入って、ポテトチップスにポップコーンを取り、さらに冷凍保存の区画から、チョコーレトとバニラが半々に混ざったソフトクリームを拾い上げた。そのほか、たまには両親にケーキの類でも買っていってやるかというわけで、一つ三〇〇円するスイーツを三つ選び取った。チョコレートスフレにショートケーキにミルクレープである。そうしてふたたび、会計を済ませて退店し、アイスを包んだプラスチックの容器を取って食いながら歩き、家に帰った。
 帰宅するとケーキやコーラを冷蔵庫に入れ、それからすぐに風呂に入ったのだったか否か。記憶が覚束ないが、ここで風呂に入ったにせよそうでないにせよ、結局一一時を過ぎるまで、買ってきた菓子を食い、またコーラを飲みながら、だらだらと怠けたことは確かである。そしてようやくJason Stanley, "Germany’s Nazi Past Is Still Present"(https://www.nytimes.com/2018/09/10/opinion/germanys-nazi-past-is-still-present.html)を読み出した頃、同時にLINEでTとちょっとやりとりをしていた。Tの家で今日の夕食にエイヒレが出たという報告を彼女はしてきたのだったが、それは先般仲間で集まった際、中野の路地裏の「目利きの銀次」で、エイヒレは美味いと言ってこちらが勧めたその経緯を踏まえてのことだった。その他愛ない報告に返信をしていたところ、今ちょっとSkypeは出来るかと要請されたので了承し、英文のリーディングを中断してSkypeにログインした。通話はすぐに始まった。(……)
 (……)
 (……)
 (……)
 (……)
 (……)
 (……)
 通話内容で覚えているのは大体そんなところだ。ボーカルについてのことなどは良いけれど、グループに関係するような事柄は書かないでほしいと、話している最中にTに言われたので、書きはするけれど公開はしないということで手を打った。ボーカル関連の事柄は書いても良いとは言われたが、当然二つの話題は繋がっているものでもあり、どれが公開可能でどれが公開してほしくないのか厳密に区別することが難しいため、この夜のTとの会話の内容はすべて検閲することにする。
 それで通話を終えると、時刻は一時半に近くなっていたと思う。Jason Stanley, "Germany’s Nazi Past Is Still Present"を最後まで読み終えた。

・drone: 怠け者
・sow: 種を蒔く
・reap: 収穫する
・inexplicably: どういうわけか、不可解なことに
・swallow hard: ごくりと唾を飲む、懸命に涙をこらえる
・expedient: 都合が良い

 その後、一時間ほど日記を書いて、二時半から読書である。記録によるとそこから二時間、四時半頃まで花元潔編集・解説/米田周インタビュー『アウシュヴィッツの沈黙』を読んだらしいのだが、そのあいだの細かいことは覚えていない。


・作文
 13:18 - 14:21 = 1時間3分
 16:38 - 17:02 = 24分
 17:36 - 18:51 = 1時間15分
 19:22 - 19:48 = 26分
 25:34 - 26:30 = 56分
 計: 4時間4分

・読書
 23:22 - 23:31 = 9分
 25:21 - 25:30 = 9分
 26:35 - 28:32 = 1時間57分
 計: 2時間15分

・睡眠
 3:20 - 11:50 = 8時間30分

・音楽