2019/10/23, Wed.

 非ポピュリスト的な政治家は、選挙演説の際に、単に一派閥のために語ろうとはしない(とはいえ、語る者たちもいる。少なくともヨーロッパでは、しばしば党名が、小自作農やクリスチャンのような、ある特定のクライアントを実際に代表するつもりであることを示している)。また、ありふれた民主主義的な政治家は、あらゆる党派的違いを超えて、政治共同体の基礎的な政治的諸価値を完成させる共通のプロジェクトに従事するといった、高潔な倫理に必ずしも同意しているわけではない。しかし、大部分の政治家は、次のことを是認するだろう[﹅3]。つまり、代表が一時的かつ可謬なものであり、反対意見が正統なものであり、社会が残りの人[反対者]抜きでは代表されえないものであり、ある政党や政治家が民主主義的な手続きや形式から離れて永続的に真正な人民を代表することは不可能だということを。要するに彼らは、ハーバーマスが明快に述べた基本的な主張、すなわち「人民」は複数形でしか現れないという主張を暗黙のうちに受け入れているのである。
 (ヤン=ヴェルナー・ミュラー/板橋拓己訳『ポピュリズムとは何か』岩波書店、二〇一七年、51)

     *

 政権についたポピュリストは、人民を二極に分裂させ続け、まさにある種の黙示録的な対立同然のものを人民に覚悟させる。ポピュリストは、できる限り多くの政治的紛争を道徳化しようとする(国連総会という世界的舞台で明言したように、チャベスにとって、ジョージ・W・ブッシュはまさに悪魔同然であった)。敵が不足することは決してない――そしてそれらはつねに、まさに人民全体の敵なのである。チャベスは、二〇〇二年に反対派によって率いられたゼネストのさなか、「これは親チャベスか反チャベスかの問題ではない……愛国者対故国の敵の問題なのだ」と宣言した。「危機」は客観的な状態ではなく、解釈の問題である。しばしばポピュリストは、ある状況をしきりに危機として仕立て上げ、それを実存的な危機と呼ぶ。なぜならそうした危機は、ポピュリストの統治を正統化するのに役立つからである。言い換えれば、「危機」はひとつのパフォーマンスとなり、政治は包囲された状態の継続として提示されうる。チャベスや、エクアドルラファエル・コレアのような人物は、統治することを永続的なキャンペーンとして理解している――これはおそらく、非ポピュリスト的な政治家にも見出せる態度だが。しかしコレアは、大統領という自らの役割を、永続的に「動機づける人(motivator)」と理解することで、さらに数歩先に進んでいる。
 ポピュリストは、こうして不断に苦難を創り出すとともに、「人民に近いこと」を審美的に演出する。ヴィクトル・オルバーンは、毎週金曜日にハンガリー・ラジオで自らインタビューを受けている。チャベスは有名なテレビショー「こんにちは大統領(Alo Presidente)」の司会を務めていたが、その番組では普通の市民が電話をかけ、国のリーダーに自らの悩みや関心事を伝えることができた。そして、ときには大統領が、出演している閣僚に自ら指示を与えるように振る舞ったのである(かつてチャベスは、生放送で防衛相に戦車大隊一〇個をコロンビアとの国境まで派遣するよう伝えた)。ときには福祉政策が、カメラが回っている前で公表されたこともあった。ショーは六時間続くこともあった。現在では、コレアやボリビア大統領エボ・モラレスが、似たような自らのテレビ番組に参加している。
 以上のような実践を、ある種の奇妙な政治的伝承[フォークロア]として退けるか、あるいは「メディア・デモクラシー」および「観客デモクラシー(audience democracy)」(そこでは市民たちの政治的関与は主として権力者を観ることとなる)と呼ばれる現代において、全ての政治家に必須となった広報活動のようなものとして、相手にしない者もいるかもしれない。しかしながら、ポピュリストがまさに固有の統治テクニックを用いていること――そしてこれらのテクニックが、ポピュリズムの核心的ロジックからして道徳的に正当化されうるということ――もまた事実である。政権を握ったポピュリストは、自らが人民の唯一道徳的に正統な代表であること、そしてさらに、一部の人民のみが実際に現実の真正な人民であり、その人民こそが支持に値し、究極的には善き統治に値するという議論を、例外なく拠りどころとする。(……)
 (55~57)


 七時台に目覚めた。久方ぶりの快晴。意識もわりあい晴れていて、八時のアラームを受けた際にはベッドを抜け出してそのまま留まることが出来た。コンピューターを点け、TwitterやLINEを覗き、EvernoteWinampを起動させておいて上階へ行き、母親に挨拶。寝間着からジャージに着替えて洗面所に入ると洗面台には布団のカバーか何かが置かれてあって、水を使えなかったので顔を洗うのは諦めて、櫛付きのドライヤーで髪の毛だけ整えた。それから台所に出ると、食べ物は特に何もないようだったので芸もなく卵とハムを焼くことにしたが、冷蔵庫を開けてみるとハムがなかったので、代わりに「ぎょうざの満州」の焼豚を使うことにした。母親は兄夫婦に関して、もっと色々出してあげれば良かったと漏らし、焼豚を指して、それも切って出してあげれば良かったねと言ったが、ピザも取ったしわりと色々供してあげた方ではないか。別に良いでしょと告げると、でもあんな蕎麦で、向こうに行った時にはたくさんやってくれたのにとの答えが返る。蕎麦というのは多分昨日の日記に書き忘れたと思うが、昼間に両親や兄たちが食っていた即席の蕎麦で、母親はそれを鍋でくたくたに煮込んで食べるのが結構好きなのだ。兄も結構美味いと言いながら食っていたので別に良かったのではないかと思うが、母親としては今更ながら、最後の日までもっと豪勢な食卓にしたかったという思いが湧いてきているようだった。それで焼豚を数枚切り、油を引いたフライパンに乗せ、その上から卵を割り落として加熱した。液体的な白身を箸で突き、引っ搔いて広げ、それが大方固まると丼によそった米の上に取り出して、卓に向かった。形を保ったままの黄身を崩して醤油と混ぜてぐちゃぐちゃと搔き回し、米を黄色く染めてから食べはじめる傍ら、新聞からは一面の天皇即位の記事を読む。そうして早々と食べ終えると台所に移り、丼と箸を洗ってから階段を下って、急須と湯呑みを持ってきた。緑茶を用意し、「Butter Butler」のフィナンシェを二つ持って自室に帰ると、LINE上でT田が、昨日T谷と会った際の写真を上げていて、「タピオカデート」をしたと言うのだが、タピオカの入った飲み物を前に座っているT谷のその顔が、何だか虚無的な表情と言うか、目尻を下げて眠いようなもので、疲労感が滲み出ているのが如実に見て取られてちょっと笑った。その点突っ込んでおき、それから前日の記録を付けてこの日の記事も作ると、フィナンシェを食い、茶を飲みながら早速日記を書きはじめた。BGMとしては、「ウォール伝、はてなバージョン。」の最新記事中に紹介されていたLONE - ESSENTIAL MIX(https://www.youtube.com/watch?v=uC7YeQjzENw)というYoutube音源を流している。手始めにここまで記すと九時一〇分。今しがたT田から小説の書出しを書いてみたがどうかと言って二文の風景描写が届いたのだが、二文とも体言止めを用いていたので、体言止めはなかなか難しい技法だぞと送り返して、全体に凝ろうとして幾分わかりにくくなっている感があると評を述べた。
 それから前日、二二日の記事に取り掛かり、T田と時折りメッセージを交わしながら記述して、カフカの小説の分析に、大した長さでないのにやはりちょっと時間が掛かってテクスト上の自分を床に就かせた頃には一時間が過ぎて、もう一〇時二〇分である。
 日記を切り上げてTwitterカフカ『城』の感想を投稿したのち、(……)音楽をふたたび流し出して"ルビーの指環"を歌い、一一時から日記作成に戻ったのだが、睡気が瞼に重く引っ掛かっていた。寺尾聰のアルバムが終わるとceroを何曲か歌ったのだが、そのあいだもテーブルに頬杖を突いて目を閉じているような有様である。それで、結構珍しいことだが仮眠を取ることにして、母親が布団を干してくれてマットだけになったあとのベッドに横たわった。そうしてすぐに眠りに入り――いや、少々待て、この時点では母親はまだ料理教室から帰ってきていなかったはずだから、彼女が布団を干してくれたのは眠りに入ったあとのことだ。こちらが眠っているとベランダに現れて、暑いじゃない、窓を開けなよと言いながら身体の上に掛けていた布団を取っていったのだった。その後も切れ切れに目覚めて起き上がらなくてはと思いながらも身体が動かず、結局二時過ぎまで断片的な夢のなかに巻き込まれながら床に留まることになった。ようやくベッドから足を下ろすと風呂を洗いに行くことにして部屋を出て、階段を上った。母親はソファに就いて録画したテレビドラマを見ていたが、彼女も睡気に襲われているようだった。こちらは便所に行って用を足してから風呂場に出向き、蓋を取って栓を抜いて、水が流れていくあいだ、肩をぐるぐる回したり首をゆっくり回転させたりして固まった肉体をほぐした。そうしてブラシを取って浴槽の掃除を始め、隅々まで擦ってからシャワーで洗剤を流すと台所に出てきて、母親が料理教室で作ってきてくれた弁当を頂くことにした。メインは秋刀魚の身を細かく混ぜ込んだご飯、それに茸のグラタンと、平たく伸ばされたつくねのような鶏肉である。それを電子レンジに入れて二分間を設定し、合間は左右に開脚して腰を落とし、下半身の固まりを和らげつつ待った。卓に就いた頃にはテレビドラマは終わって、今度は『マツコの知らない世界』が始まっており、パフェが好きで三年間で五〇〇種のパフェを食べ歩いたという三一歳の男性が出演していた。こちらは新聞から天皇即位関連の記事を読みながら弁当を食い、平らげると台所に移って弁当箱と箸を洗って、その後、タオルを畳んだ母親からこれを運んでと言われたので、洗面所にタオルを運んで籠のなかに移し替えた。パジャマと下着は階段脇の腰壁の上に置いておき、そうして自室から急須と湯呑みを取って上がってくると、仏間に座った母親が料理教室のことを話す。仲間の一人に、私が私がというような感じで自己主張のやや強い人がいるらしく、母親の仕事を取って自分がやってしまうような感じなのだと言う。ひき肉を捏ねる時なども、母親は手袋をつけてほしくてこれ使ってねと置いておくのだが、その人は気にせず素手でやってしまい、母親はそれを見てもう一人の友人と顔を見合わせる始末だとのこと。家でやるならまだしも、他人が食べるものなんだから、手袋つけてほしいよと文句を言うのに、そう提案すれば良いではないかと向けると、それとなく言っていると母親は答えるので、それとなくではなくてもっとはっきり言えば良いのにと部外者の無責任な言を送り、もっと嫌われる勇気を持てよ、人から嫌われる勇気を、とあまりにも凡庸なことを残して階段を下りれば、後ろからタオルが飛んできて階段の途中に落ちる。それで、自室に急須と湯呑みを置いてきてから戻って、このタオルは洗面所と便所のものかと上階に向かって声を投げれば、両親の枕カバーだからそこに置いておいて良いと言うので、下段の方に置いておき、ついでに寄越されたこちらの枕カバーを持って室に戻ると、まず寝床にシーツを敷いた。それから枕を布で包みつつ窓外を眺めたが、午前中はあれほどの快晴だったのに今はもう雲が広く蔓延っており、近所の家壁に一応日向と蔭の境はうっすらあるけれど明るくもなく、かと言って完全な曇りに落ちるわけでもない実に中途半端な天気だった。それからコンピューター前の椅子に就き、母親がくれた「くるみっこ」という菓子を食いながら茶を飲み、Charles Mingus『Alternate Takes』を流せばそこから作文である。ここまで綴ると三時一〇分を迎えた。
 その後、二一日の日記を綴り、その途中でベランダの布団を取り込んだ。外に出ると空は全面に雲を掛けられて、あまり暗いわけではないが青味はほとんど見られない。Tさんの宅との境に面した西側の柵に乗せられた布団に寄ると、緩い風が渡って涼しく身に触れる。そのなかで両親の布団は彼らの寝室に放り込んでおき、自分のものはベッドの上に乗せて寝床を整えた。その後、T田からLINEの返信が来ていることに気がついた。見てみると、一一時四〇分には既に来ていたようで、だいぶ遅れて返答して彼の書いた文章を批評した。
 それから四時半過ぎまで二一日の日記を進めたが、最後まで書き綴ることは出来なかった。なかなか終わらないものだ。そろそろ労働に向けて準備をしなければならないというわけで、洗面所に歯ブラシを取りに行き、口内を掃除する傍らT田とやりとりを交わしながら過去の日記を読み返した。一年前の日記からはカロリン・エムケ『憎しみに抗って』の分析を引いておこう。

 バスのなかの難民たちは、一方で個人としては「不可視」の存在とされた。この世界を構成する「我々」の一部とはみなされなかった。独自の歴史、経験、個性を持った人間とはみなされなかった。だが同時に、彼らは「他者」として、「我々ではない者」として「可視化され」、または作り上げられた。彼らを不気味で、忌まわしく、危険な集団に仕立て上げ、烙印を押すさまざまな特徴が投影された。「異形と不可視とは、他者のふたつの亜種である」と、イレーヌ・スキャリーは書いている。「一方は誇張された姿で目に入り、目を向ければ嫌悪感を催す。もう一方は目に入らず、それゆえ最初から存在しない」
 クラウスニッツの映像に映っているのは憎しみだ。そして憎んでいるときには、憎しみの対象は重要で巨大で不気味なものでなければならない。それには、現実の力関係を独特の形で逆転させることが前提となる。クラウスニッツに新たにやってきた者たちは、明らかに弱者だった。だが、彼らは非常に危険な存在でなければならない。たとえ逃避行のあいだになんとかなくさず持ってきたビニール袋やリュックサックの中身以外にはなにひとつ所持していなくても、この地で自身の意見を表明し、自身を弁護するための言葉を話せなくても、もはや自分の家を持っていなくても。危険な存在である彼らに対して、自分は無力だと主張する者たちが抵抗しているという構図が成立しなければならなかった。
 (カロリン・エムケ/浅井晶子訳『憎しみに抗って 不純なものへの賛歌』みすず書房、二〇一八年、45~46)

 二〇一四年一月二四日の日記には特筆しておくことはない。読んでいると母親が外で掃除機を掛けだした音が聞こえ、部屋の床に埃が溜まっているのをそろそろどうにかしなければならないなとちょうど思っていたところだったので、出て洗面所に行き口を濯ぐと、トイレのなかに機械を突っ込んでいる母親に、終わったら貸してくれと告げた。それで室に戻り、服を脱いでワイシャツを身につけたところで母親がやって来たので、ワイシャツに下はパンツだけの半端で滑稽な格好で掃除機を操り、床の埃を吸い取った。それで機械を母親に受け渡して着替えの続き、紺色のスラックスを履き、水色の地にドット模様のネクタイを締め、Charles Mingusのブルースに合わせて適当に歌いながらベストをつけて、その後、コンピューター前でメモを取れば、五時直前である。T田とのやりとりは続いていて、認知や主客の話になってきたのだが、労働なのでもう出掛けなければならない、失礼すると送ってコンピューターを停止させた。
 そうしてバッグを持って上階に行くと、ちょうど来客があった。引出しからハンカチを取りながら玄関のやりとりを聞いたところでは、相手はおそらくYZさん、回覧板を届けに来たように推測された。それから仏間で靴下を履き、トイレに向かうと、玄関でやはり回覧板を確認していた母親が傍らの段ボール箱を指して、炭酸水を運んでと言う。ああ、と受けて便所に入り、放尿してから出てくると、二つの段ボールを一つずつ抱え上げて、元祖父母の部屋のなかに入れた。母親は重いでしょ、と口にして、それいつも、二つ、女の人が運んでくるんだよと言うがこちらもそれは知っている。作業が終わると居間に置いてあったバッグを持ってきて、玄関をくぐれば、郵便を取ってと母親が言うので、階段を下りてポストに寄った。郵便物を取り、階段を戻りながら夕刊の一面にちょっと目を落とせば、英国で今月末のEU離脱は困難になったと情勢の進展が伝えられていた。母親に郵便物を渡して道へ出ると、アオマツムシの声が、鳴きしきっていると言っては言い過ぎかもしれないが、凛々と復活している。坂に入って右方に目をやれば、川はまだ茶色と灰色の混ざった粘土のような色に濁って、緑は戻っていない。坂道に流れる空気は涼しく、と言って肌寒いというほどでもなく、辺りは既に薄暮れて、街灯に映し抜かれるこちらの影も、まだ濃くくっきりとは浮かばず青さを帯びて、地にすぐに染み込んでいく。
 街道へ向かっていると救急車のサイレンが聞こえてきたが、東西のどちらから鳴っているのか、また近づいているのか遠ざかっているのか、それもわからない。じきに車が現れたのは東からで、ピーポーピーポーというお馴染みのあの音のほかにもう一種、高く伸び上がる唸りのような音色を鳴らし、拡声された人声を聞かせながら車の列のなかに分け入って行った。空は雲に覆われて地の青さはほとんど覗かず、街道に出れば行き過ぎる車のライトは既に皓々と照り広がって、車体はその白さの裏で黒い影となって、よほど近くまで来ないと色もわからない。車が途切れると道の脇から虫の音が、電話の着信音のようにぴりりぴりりと立って際立つ。
 裏道へ折れる頃にはよほど黄昏れて、空も冷え冷えと水っぽい青さに浸り、曲がって正面に立ったアパートの白い壁も青い空気に包まれて染まっている。一分ごとに暗くなっていくようなあの特別な時間であり、家の前で立ち話をしている婦人らの顔ももう窺えない。路地の中途の空き地の横まで来て見上げれば、東の空の低みに灰色が広がって、上部の青との境が確かに見られ、灰色の裏に空は透けずに青さは一滴も覗かず、むしろほんの幽かに赤味が含まれているようにすら見えるのは、それは雲に隠された西陽の反映が辛うじて混ぜ込まれたものか、それとも青さとの対照でそう見えるに過ぎないのか。
 道の始まりから、左手が何となく痺れていた。身体の片側の痺れと言えばやはり脳を疑って、何か悪いのかと大袈裟に心配してしまい、すると右の後頭部に確かにちょっと固さが感じられるのだが、さほど強くないのでさすがに脳出血などではないだろうと払って進む。文化センター裏の駐車場の看板からは化学的な緑の色が発せられ、その前を曲がっていく車に色が投げかけられて包み込むその明かりのなかに、自分も入って見てみれば、蛍光色に光った「空」の文字表示が光源だった。さらに進んだ裏路地で、幼い子供たちの嬌声が家々のあいだを反響する。角を通り過ぎざまに覗いてみれば、踏切りのある裏路地に、乏しい光のもとで子らが影と化して遊び回っており、彼らが上げる歓喜の笑い声と親の嗜める声を背に受けながら道を行った。
 救急車のサイレンが遠く表通りから響いてきたのは、先ほどの車が病人を運んで戻ってきたのかもしれない。駅前に出ると向かいのマンションの、部屋部屋がところどころ疎らに光を灯したのが、暗い空を背景に平面的に書割りめいて聳えている。ロータリーのなかにはちょうどバスがやって来たところで、乗客が降りていくなかに一人の女性が羽織った真っ赤な上着のその色を横目で見やりつつ過ぎ、横断歩道を渡りながらもう一度マンションの方へ目を振れば、線路の先の小学校の裏山が黒々と影成して墨色に沈んだ空と新和するなかに、丘上の公園のものだろう、一つ二つ光が灯っていた。
 職場に着くと、今日は室長は不在のようで姿がない。座席表を見れば担当相手は予想通り、ここのところ毎週当たっている(……)くん、(……)くんの中一コンビと、あと一人は中三の(……)さんで、科目は全員英語だった。奥へ向かうと(……)先生が早くも席に座って準備をしていたので、お疲れさまですと挨拶をし、ロッカーにバッグを仕舞って、手帳は出して席へ就き、道中のことをメモに取った。まもなく五時四五分から授業準備を始め、すぐに終えるとふたたびメモを書き、チャイムが鳴ると入口に行って、両手を腰の後ろに当ててまっすぐ前に視線を飛ばしながら生徒の出迎えと見送りを行った。
 そうして授業が始まる。英語の授業は基本的に単語テストを課しているのだが、きちんと勉強してくる生徒はあまりいない。今日の中一生二人もその類で、そういった場合はその場で勉強させると時間が掛かるし、頭に入っていない状態でチェックテストを実行させても大した意味がないので、プリント下部にちょっとだけ付されている英作文の問題だけを勉強させて、見ないで書けるようにするという方策を取ることにした。それでそのようにやってみると、さほど時間を取らないし、前回やった単元の文法もその英文に即して早々と確認できるので、なかなか良い方法ではないかと思う。今日の場合だったら、英文はdoesを使った疑問文だったので、何故ここがdoesになっているのか、などと質問をして、三人称単数現在形のルールを思い出させた。それで一年生二人は今日は同じ単元、Lesson 6のGET 3、does notを用いた否定文の知識を扱った。文法の理解自体に問題はないようだったので、ノートに書き記してもらったのはafterの意味、それに関連してafter schoolにafternoonも記してもらい、ほかにはそれぞれわからなかったschoolyardとfine artの語と、文法的な知識でなくて単語の意味ばかりになってしまったがまあ良いだろう。問題は、(……)くんと(……)くんを一緒にするとやはりうるさいということで、互いにからかい合ったり悪戯を仕掛けたりするので騒がしく、それでもう一人の(……)さんが迷惑してしまったようだった。終盤には彼女は、あれで中学生、行動が小学生みたい、などと呟いていたくらいだ。その(……)さんは疑問詞の単元を扱ったが、単語テストやその他諸々、授業本篇の前にやらなければならないことが色々あって、それらが終わった時点で既に一時間ほど経過しており、問題を解くための残り時間は少なく、一頁の半分のみをこなすことになった。howの単体の意味など彼女はわからなかったのでノートに書き記してもらい、ほか、穴埋め問題で正答できても、英文を細かく区切ってそれぞれの語の意味をいちいち確認していき、be going toの形なども教えてこれもノートに記してもらった。そのようにノートにメモを取ってもらった段階で終わりがちになってしまうが、その後も授業内で書き記したことに立ち返って質問し、知識を定着できるとより良いのだろう。授業後、(……)さんには、一年生二人がうるさかったことについて、いやあ、今日はすみませんと謝り、怒るのが苦手なんだよねと言い訳をした。やはり彼女は少々迷惑感を得ていたようだ。
 生徒たちの見送りと片付けを済ませると奥のスペースに行き、仕事が終わって帰る前の(……)先生に声を掛け、(……)さんの母親が持ってきてくれたと言う菓子について、もう食べましたか、僕のではないんで、全然僕が言えることではないんですけど、どんどん食べて良いと思いますよと勧めた。(……)先生は一つだけ取っていた。その後、室長席に移り、連絡ノートに(……)くんと(……)くんは分けた方が良いかもしれないと記しておいて、退勤した。モスバーガーの外に掛けられた広告板は、海老天七味バーガーとかいうものになっていた。駅に入り、ホームに上がって、例によってコーラを買うとベンチの左端に就き、肘掛けの下に――端の肘掛けは細くてペットボトルを置けるほどのスペースがなかったの――コーラを置いて、ちびちびと飲みながらメモを取った。途中で、すみません、階段はどっちですかと大きな声が遠くで聞こえて、不案内な人がいるものだなと思っているとそれに続いて、何かスーツケースを引いているような音が段々近づいてきて、待合室の角から現れてわかったが、声の主は視覚障害者の人で、音は棒を左右に振って地を擦る響きだった。声を掛けられたらしい駅員がその後ろをついていき、案内しましょうかなどと途中で声も掛けていたようだ。
 奥多摩行きが来ると乗ったのは、今日は最後尾の車両の一席である。引き続きメモを取って発車と到着を待ち、最寄りで降りるとホームには風が緩く流れている。月はないかと首を曲げて見回すが、新月でなくとも雲で見えないかと曇った空を覗きながら階段通路を行けば、じきにさわさわという音が耳に届いて、風が走っているかと思ったところが停まって耳を寄せてみればそうではなくて、近間の水路の増水した響きらしい。通路を抜けて、横断歩道のボタンを押さずに車の途切れる隙を狙って通りを渡り、坂道に入れば濃く黒く密に締まった自分の分身が、背後から街灯に照らし抜かれて歩みに応じて前に伸びていく。その後も街灯の位置取りによって、左から右からのっぺりとした姿形の影がこちらを追い抜かしていくあいだ、寺尾聰 "二季物語"のメロディが頭にはあって、じきに右方のガードレールの向こうからは沢音がまだ高く立ち昇ってきて、この沢は先ほどの水路から繋がっているのだろうと気づいて耳を寄せていると、なかに轟々と、激しい風が騒ぐような響きが混ざっていた。坂を抜けて平板な道を行けば、今日は久しぶりに晴れたからだろうか秋虫の音が復活しており、気づけばいつの間にか左手の痺れはなくなっていて、ポケットに突っ込んで歩いていると向かい風がするすると流れて涼しく、道端の低い草の茂みが弱く揺らぐ。
 帰宅すると居間は食卓灯のみで暗いなかに母親がおり、父親は昭島で懇親会とか何とか言った。おそらくまた飲んでくるのだろう。下階に下りて、服を脱ぎながらコンピューターを点け、スラックスやベストを吊るしておいてジャージに着替えるとメモを取った。現在時に追いつくとちょうど午後九時、食事へ向かえば母親は風呂に入っている。丸めたワイシャツを洗面所の籠に入れておき、コーラを飲んだせいか尿意が高かったので便所に入ってそれを解消し、台所に入れば焼豚が皿に入っていたのでつまみ食いしながらフライパンの麻婆豆腐を火に掛けて、洗面所に入って入浴中の母親に、磨りガラスの扉を通して全部食べちゃって良いんでしょと尋ねると、どうなのかなと疑問が返ったが、食ってくるんでしょと父親のことを言って払えば、良いと許可が出た。それで温めたものをすべて丼に盛った米に掛け、そのほかサラダと焼豚を卓へ運び、席に就いた。テレビのニュースは安倍首相の各国要人との会談や晩餐会の模様を伝え、列席する人々の前で言葉を述べて乾杯の音頭を取る首相の姿を映している。首相は相変わらず滑舌はあまり良くなく、「科学技術」という語を発する時など、合間の音がちょっと飛んで躓くようなリズムになっていた。それを見たあとテレビは消して、ものを食べながら新聞の方に意識を向けた。英国のEU離脱が月末までに達成されるのは困難だと言う。離脱協定案を承認しなければならないところ、手続きの詳細が良くもわからないが、その承認前に関連法案の方を先に審議するという動議が可決されたとか何とかいう話で、そうすると多分、承認が日程的に間に合わないことになるのではないか。それで、二四日までに関連法案の審議を終えるという動議が加えて出されたのだと思うが、こちらは否決されたと言って、下院での審議のあとに上院での審議や女王の認可などもあるので二四日が事実上のタイムリミットだったところが、それには間に合わなくなったとそういうことらしい。ほか、安倍首相が中国の国家副主席、王岐山氏と会談したと伝えられており、その記事によれば、習近平が来春に来日する予定のようだ。めくって三面には、ロシアとトルコが停戦期間の延長で合意したとの報があった。先に米国とのあいだで合意された停戦期間が二二日夜に切れる予定だったところ、ロシアとの話し合いで二九日まで一五〇時間延長することに決まって、そのあいだにクルド人武装組織をシリア北部国境地帯から撤退させると言う。
 サラダはいつも通り、レタスや細くスライスした大根などが混ぜられた生のものだが、しかしこの日普段と違ったのは、摩り下ろした人参で和えた蕪と林檎が上に乗っていることだった。食後、冷たい水を冷蔵庫から取り出して注ぎ、セルトラリンを二錠、それにアリピプラゾールを一錠服用した。それから食器を洗い、終えると自室から急須と湯呑みを取ってきて、緑茶を支度した。それを持って下階に帰り、『Charles Mingus & Friends In Concert』のディスク二を流しながらメモを取れば、九時三六分である。
 T田とやりとりを交わしながらfuzkueの「読書日記」、それにMさんのブログを読む。二日分を通過したところで風呂に行こうかと思ったが、"E's Flat, Ah's Flat Too (a.k.a. Hora Decubitus)"が終わっていなかったので、この曲が終わりまで流れてからと定めて、その合間、今度はSさんのブログを読んだ。演奏では、ピアノの音使いが独特なように聞こえて、クレジットを確認してみると、Randy Westonという人だった。どこがどう特殊なのかはあまり良くわからないが、何となく、朴訥なのか雄弁なのか良くわからないと言うか、そんな風なスタイルを持っているような気がした。
 曲が終わるとSさんのブログも切りとして上階へ向かえば、寝間着姿で頭にタオルを巻いた母親が、風呂空いてるよと言うので、ああと受けてパジャマを持って洗面所に入った。寝間着を洗濯機の上に置いておき、それから便所に行って放尿したあと、風呂場に踏み込んだ。いつものように湯に浸かって瞑目の内に身体を静止させていると、最初のうちは思念の形がある程度保たれているのだが、安逸さのなかで過ごすにつれて意識が段々ほどけていって、無秩序な夢の世界に近いような形象が眼裏に現れだす。そのなかに一つ、良くも覚えていないが巨木の幹の根本近くにこれも巨大な、幹の太さよりも遥かに大きな卵が埋め込まれている、というようなイメージがあったようで、目を開けながら、このような夢未満の超自然的な形象を定かに記憶しておければ、それを集めて幻想小説風の作品が作れるのだが、と考えた。実にありがちな題だが、「幻想風景集」のようなテーマで、マグリットやダリなどがちょっとしたスケッチ集を拵えたみたいな感じの断章作品だ。しかしまあおそらく、そうしたものはシュルレアリスムの連中が既にいくらでもやっていることではあるのだろう。考えているうちに、そう言えばゴヤにも、何と言ったか幻想的かつ悪魔的と言うか、魔術的で陰鬱な主題の絵を集めた連作があったはずだなと古い記憶を思い起こしたが、タイトルが思い出せなかった。それで上がって部屋に戻ってから検索してみると、『ロス・カプリチョス』という作だった。ゴヤという画家も何かしらやばいものを孕んでいるような印象を昔から抱いており、是非とも生でその作品を目にしてみたいとは思っている。
 上のような作品のアイディアを脳内に回しながら湯に浸かり、ちょっとしてから浴槽を抜けると洗い場に座り込んで、シャワーを流しだせば流水の響きが室内に満ちるので、その音に紛れて、"二人で/長いマフラー包まって/一二月 はぐれないように/歩いたんだ 永遠を試したくて」と歌った。the pillows "FLAG STAR"である。それで頭と身体を洗って洗面所に上がると、バスタオルで身体を拭い、パンツを履いて局部を隠し、また歌いながら髪を乾かした。そうしてズボンも履いて出ると、茶を飲んだためかトイレが近くて、ふたたび便所に入って透明な尿を放つと、肌着のシャツを身につけて下階に下りた。『Charles Mingus & Friends In Concert』の続きをヘッドフォンで聞きはじめ、Evernoteの日記の記事にメモを取り、現在時刻まで記し終えると一〇時四四分だった。
 そして、一〇月二一日の記事を書くことにした。もう終盤だった。音楽は次に、Charles Mingus『Epitaph』を聞いた。これはMingusが作曲した一続きの長い音楽で、すべて演奏するのには二時間以上も掛かると言う。だからMingusの生前には正式に通して演じられたことは一度もなく、この時聞いた音源も一九八九年に、Mingusが亡くなったあとに錚々たる面子が参加して実現したものらしい。そうして打鍵を続け、一一時四〇分に二一日の記事を完成させると、ブログやTwitterやnoteに二一日と二二日の日記を発表した。加えて、村上春樹アンダーグラウンド』の感想、感想と言っても日記に折々書きつけたものを日付毎にまとめただけの記事だが、それも投稿して、インターネットを回ったのち、零時半前から手帳を読みはじめた。目を瞑って頭のなかで情報を反芻していると睡気が籠って仕方がないので、ヘッドフォンを外した方がまだしも意識が晴れるかと、『Epitaph』はディスク二の五曲目、"Ballad (In Other Words, I Am Three)"までで停止した。それから辻瑆・原田義人訳『世界文學大系 58 カフカ』を読んでいたが、やはり睡気が強く湧いてどうにも抗いがたいので、今日はもう眠ってしまうかということで明かりを落とし、床に入った。一時一〇分だった。


・作文
 8:51 - 10:20 = 1時間29分
 10:59 - 11:49 = 50分
 14:47 - 16:33 = 1時間46分
 22:45 - 23:40 = 55分
 計: 5時間

・読書
 16:35 - 16:46 = 11分
 21:36 - 22:07 = 31分
 24:23 - 24:40 = 17分
 24:43 - 25:09 = 26分
 計: 1時間25分

  • 2018/10/23, Tue.
  • 2014/1/24, Fri.
  • fuzkue「読書日記(158)」: 10月8日(火)
  • 「わたしたちが塩の柱になるとき」: 2019-10-20「抜け穴を抜けることなく入り口と出口を塞ぐ土葬の暮らし」; 2019-10-21「人称を水に沈めるはじめから何もなかったことにするため」
  • 「at-oyr」: 2019-10-16「金木犀」; 2019-10-17「聴く」; 2019-10-18「北陸」
  • 手帳: 83 - 84, 65
  • 辻瑆・原田義人訳『世界文學大系 58 カフカ』: 252 - 260

・睡眠
 2:20 - 8:00 = 5時間40分
 12:00 - 14:10 = 2時間10分
 計: 7時間50分

・音楽