2019/10/29, Tue.

 (……)あなたはなぜそれをしたのか? あなたは犯罪を犯していたことを知っていたのか?
 この二つの質問への答え、あるいは同様の質問への答えは、非常によく似ている。それは尋問される個々の人物には関係がない。たとえそれがシュペーアのように、野心的で、頭の良い専門家であっても、アイヒマンのように冷酷な狂信主義者であっても、トレブリンカのシュタングル、アウシュヴィッツのヘスのように近視眼的な官吏であっても、残忍な拷問を発明したボガーやカドゥクのような愚鈍な野獣であっても。言い回しは異なり、知的水準や教養程度の差で傲慢さに強弱はあるにせよ、彼らは実質的には同じことを言っていた。私は命令されたからそれをした。他のものは(私の上司たちは)私よりもずっとひどい行為をした。私の受けた教育、私の生きていた環境では、そうせざるを得なかった。もし私がそうしなかったら、私の地位に取って代わった別のものがさらに残忍なことをしただろう。こうした自己正当化を読むものが、初めに感じるのは嫌悪の身震いである。彼らは嘘をついている、自分の言うことが信じてもらえるなどとははなから思っていない、自分たちがもたらした大量の死や苦痛と、彼らの言い訳の間の落差を見て取ることができない。彼らは嘘をついていることを知りつつ、嘘を述べている。彼らは悪意を持って行動している。
 (プリーモ・レーヴィ/竹山博英訳『溺れるものと救われるもの』朝日新聞出版、二〇〇〇年、21)

     *

 (……)私たちが普通「理解する」という言葉で了解していることは、「単純化する」という言葉と一致している。根本的な単純化なしには、私たちの世界は際限のない、不明確なもつれあいと見えるだろう。それは私たちの方向感覚や、行動を決める能力に立ち向かってくるだろう。要するに私たちは認知可能なことを図式化するよう強制されている。私たちが進化の過程で作り上げた、人間に特有の素晴らしい道具、つまり言葉と概念的思考はこの目的を目指している。
 (33)


 八時のアラームでベッドから抜け出し、テーブルの上に積まれたCDのさらにその上に置かれてあった携帯を取って音を止めると、そのままコンピューターを点けて、寝床に舞い戻らずにベッドの外に留まることに成功した。TwitterとLINEをそれぞれ覗いておき、特段の変哲がないことを確認すると、上階へ行った。母親に挨拶すると、父親はそぼ降る雨のなか、畑で大根を採っていると言う。山梨に持っていくのだと続くので、今日は休みなのかと問えば、そうではなくて、祖母の通院に付き合ったあとから会社に行くということだった。こちらは洗面所に入って髪をいくらか整え、トイレに行って用を足すと、冷蔵庫から前夜の牡蠣フライの残り二個を取り出し、小皿に乗せて電子レンジに入れて、それから玉ねぎと椎茸の味噌汁の残りも火に掛けた。温まったものを椀に注ぎ込んで、米をよそり、三品を卓に運ぶと新聞を引き寄せながら食べはじめた。アルゼンチンで左派の大統領が誕生したとの報。また、香港では「逃亡犯条例」の正式な撤回が宣言されても抗議活動は収まらず、ここ一週間で二〇六人が逮捕されたと言う。食事を終えると食器を洗い、風呂洗いはあとにすることにして下階に帰った。コンピューター前に就き、ソフトを立ち上げたり、前日の記録を付けたりしたあと、何かの用事で上階に行ったと思うのだが、それが何だったか覚えていない。緑茶を支度しに行ったのだろうか? 覚えているのはその際、出掛ける前の母親が洗濯物を干していたので、それを手伝って肌着をハンガーに掛け、居間の東側の物干し竿に吊るしたり、洗濯挟みがいくつもついた集合的なハンガーにタオルを干したりしたことだ。
 その後、自室に帰ると八時半過ぎからCharles Mingus『Mingus Three』とともに、早速一年前の日記を読みはじめた。傍ら、前日に買ってきたポテトチップスをつまんでいた。一年前の自分は、「存在することそのものに付きまとう重さのようなものに苦しめられている。さっさとこの世から消滅して純然たる無と同化したい、ただそれに尽きる。生きたいように生きることなどではなく、死にたい時に死にたいように死ねるということこそが真の自由だ。人間に電源ボタンを付与しなかった点で創造主は完璧に間違っていた」などと書きつけており、今から見てみると明らかに完全な鬱症状の病態である。カロリン・エムケ『憎しみに抗って』からの書抜きも相変わらず付されている。

 「破壊者が皆、たとえようもない悪人だというわけではない。彼らは今日にいたるまで、単にこの国の気分をそのまま実行に移す者たち、この国に受け継がれてきた力を正確に解釈する者たちに過ぎない」と、タナハシ・コーツは著書『私と世界のあいだに』で述べている。そこには悪意や突発的な激しい憎しみさえ必要ない。コーツによれば、必要なのは、黒人のことは常に貶め、軽視し、不当に扱っても構わない、それで罰を受けることはないという、連綿と続く確信のみなのだ。必要なのは、黒い身体から危険を連想させ、それゆえ黒い身体に対するいかなる暴力も常に正当化する、受け継がれてきた想像上の恐怖のみなのだ。(……)
 (カロリン・エムケ/浅井晶子訳『憎しみに抗って 不純なものへの賛歌』みすず書房、二〇一八年、85~86)

 (……)白人による暴力への恐怖は、アフリカ系アメリカ人の集団的経験であり、奴隷制の遺産の一部だ。なんともやりきれないパラドックスである――黒い身体に対する人種差別的な恐怖は社会的に認知され、再生産される一方、烙印を押された黒人たちの側からの白人警官の暴力に対する正当な根拠のある恐怖は、まさにその人種差別の死角に追いやられたままなのだ。(……)
 (86)

 次に読んだのは二〇一四年一月三〇日木曜日の記事で、この日はこの時期にしてはそれなりに頑張って書いているような感じがする。ポテトチップスを食い終わると、緑茶を用意するために上階に行った。この日、茶を注いだのは確かここが初めてだったはずだから、やはり先ほどは緑茶を支度しに上がったわけではないのだ。一体何の用だったのだろう? それはともかく、一杯目の分の湯を急須に入れて待つあいだに、台所に移って塩と味の素を振ったおにぎりを一つ拵えた。それから緑茶を仕立てて下階に戻ると、fuzkueの「読書日記」、坂中さんのブログ、「週刊読書人」上で連載されている外山恒一のインタビューシリーズと読み進めた。
 いや、少々待て。そうではない。この午前、八時三四分から一〇時まで記録されている読書時間のあいだには、ポテトチップスを食いながら辻瑆・原田義人訳『世界文學大系 58 カフカ』から『変身』を読んだのだった。上に記した日記の読み返しなどは午後になってから、一時台後半から二時半前までのあいだの話だった。『変身』を最後まで読み終えたあと、読んでいるあいだはポテトチップスをつまんでいたために読書ノートに書きつけが出来なかったところ、頁を振り返って気になった箇所を改めて精査しノートに記して分析も付している途中、コンピューター前の椅子に座った身体がこごったようだったので、楽な姿勢を取るかとベッドに移ったのだった。枕とクッションに凭れて、布団を身体の上に掛けていると、容易に予想されたことだが睡気が差して目が閉じて、一〇時を最後に意識を失ったのだった。そうしてそのまま一時過ぎまで休み続けたあと、風呂を洗ってきてからふたたびポテトチップスをつまみつつ、日記を読み返したりなどしたのだった。
 それでそのあと二時二〇分から英語を読むことにして、音楽はもう一度Charles Mingus『Mingus Three』を流して、Kenan Malik, "Why western liberals have long picked the wrong historical hero"(https://www.theguardian.com/commentisfree/2019/sep/08/john-locke-hero-of-western-liberalism-not-as-tolerant-as-we-thought)をひらいた。この記事が思いの外に早く読めて、一五分ほどで読了したので、もう一記事、Timothy Snyder, "Donald Trump borrows from the old tricks of fascism"(https://www.theguardian.com/commentisfree/2018/oct/30/trump-borrows-tricks-of-fascism-pittsburgh)も読むことにしてアクセスし、こちらも二〇分掛からず通過できたので今日の英文リーディングは三〇分余りとちょうど良い具合である。

・papist: (軽蔑的)カトリック教徒、教皇絶対主義者◆イギリス宗教改革(the English Reformation)の時に作られた言葉で、英国国教会側が使ったものだった。
・rent: rendの過去分詞; 引き裂かれる
・strife: 衝突、対立
・nonconformist: プロテスタント、非国教徒
・cut against the grain of: ~の性質・気性に逆らう
・sedition: 扇動; 暴動、反乱
・plethora of: 多量の、過多の
・coddle: 甘やかす、大事に扱う
・victimhood: 被害者意識
・pout: ふくれっ面、不機嫌
・storm trooper: 突撃隊員
・spare: 見逃す
・inculcate: 植え付ける、吹き込む
・whining: めそめそ言うこと、泣き言
・denigrate: 中傷する
・trope: 言葉の比喩的用法
・puff one's chest: 胸を張る
・sinus: 洞; 鼻の穴?
・palliative: 一時しのぎの、緩和的な

The idea that the powerful must be coddled arose in a setting that recalls the United States of today. The Habsburg monarchy of Hitler’s youth was a multinational country with democratic institutions and a free press. Some Germans, members of the dominant nationality, felt threatened because others could vote and publish. Hitler was an extreme example of this kind of sentiment. Today, some white Americans are similarly threatened by the presence of others in institutions they think of as their own. Among the targets of the accused pipe bomber were four women, five black people and two Jews. Just as (some) Germans were the only serious national problem within the Habsburg monarchy, so today are (some) white Americans the only serious threat to their own republic.

According to Hitler, Jews inculcated ideas, such as that of individual rights, that drew people away from their natural bloodlust. The notion that Jews are responsible for civil rights or immigrant protection, one that seems to have motivated the mass shooting at the Tree of Life synagogue in Pittsburgh, is an example of this Hitlerian way of thinking. Since Jews are supposedly responsible for rights, they are blamed when people beyond the dominant group exercise rights. Because the spread of the norm of rights takes place in the mind, the only response, thought Hitler, was to remove Jews from the planet. The accused Pittsburgh murderer (“all Jews must die”) seems to have thought in just this way.

The attraction of the Nazi conspiracy thinking is that we can feel like victims when we attack. Its vulnerability is that the world is full of facts. Hence Hitler’s hostility to journalism. In the Germany of the early 1930s, the newspaper industry was suffering after a financial crisis. Hitler and other Nazis used the idea of the “Lügenpresse” (“fake news”) to attack remaining journalists who were trying to report the facts. In Germany and Austria today, the far right once more speaks of the Lügenpresse, in part because the American president has made the idea respectable. The extreme right in Germany and Austria knows perfectly well that “fake news” is American English for Lügenpresse.

 その後、GuardianのThe long readシリーズから最近のコラムを探って、二、三、「あとで読む」記事に足しておき、それからインターネットで見つけた浅田彰のインタビューの翻訳、「浅田彰インタビュー(1998) by Krystian Woznicki @ nettime.org」(https://www.terrainvague.info/quotes/?p=256)を読んだ。そうして、『変身』に対する書きつけがまだ途中だったので、三時一〇分からそれを始めたのだが、手書きでノートに記しているために文を引くにも思いついたことを付すにも時間が掛かって、あっという間に一時間以上が過ぎて四時を越えた。四時一七分で何とかすべてを書きつけることが出来、そこからこの日の日記を書き記せば、四時四〇分である。
 そろそろ薄暗くなってきたので、居間に電灯を点けておくために上階に行き、食卓灯の紐を引いて黄昏の青さに浸った室内にオレンジ色を差しこんでおき、塒に戻ると歌を歌いながら少々身体をほぐそうというわけで、FISHMANSCorduroy's Mood』を掛けた。そうして旋律を歌い奏でながら屈伸を何度も繰り返したり、前後の開脚して脚の筋をほぐしたりし、それから左右にも脚を広げて腰を落とし、肩を持ち上げたままの姿勢で静止して股関節や背中を和らげたりもした。そうすると首の周りの筋肉がほぐれるようで、声も良く伸びて出るようになり、それで歌を歌う気分が高まったので続けてceroを"Yellow Magus (Obscure)"、"Summer Soul"、"Orphans"と三曲歌い、それからMr. Childrenを何曲か流して叫び、五時半に至ったところで一旦上階に行った。居間の窓のカーテンを閉めておき、夕刊を取るために玄関を抜けると雨は既に止んでいた。半透明のビニール袋に入った新聞を掴んで引き返しながら一面を見やると、文化勲章か何かを与えられる人の一覧が出ていて、そのなかに政治学者の佐々木毅の名前があった。卓上に新聞を置いておき、それから自室に戻ってMr. Children "PADDLE"を歌うと、歌は終いとして日記に取り掛かろうとしたところが、母親が帰ってきたらしかったのでそれでは夕食を作るかと転換して、また部屋を抜けて階段を上がった。何を作るかと訊けば、茸汁を作ろうと言う。茸汁と言うか、野菜や茸が雑多に入った汁物ということだが、それで台所に入ると手を洗い、ラジカセで小沢健二『刹那』を流しだし、母親が買ってきた白菜を数枚剝いて水で流して、ざくざくと切り分けはじめた。そのほか、椎茸・エリンギ・舞茸・人参・大根・牛蒡・里芋・玉ねぎなどを切っているあいだ、ガス台では母親が買ってきた鮪を焼いていた。エリンジと玉ねぎをそちらにも少々分け、野菜分割の終盤、多分里芋の皮を剝いていた時だろうか、見れば笊いっぱいに入れておいた野菜や茸を母親が既に白鍋で炒めはじめている。多すぎる、と言うので少しずつ炒めれば良かったのにと言って里芋を切り、玉ねぎも切り分けようとするあいだに母親は早くも水を注いでいるので、早すぎるだろうと突っこんだ。しかし腹が随分と減っていて、さっさと仕上げたいのだと言う。それで切った玉ねぎを投入し、水をさらに注いでもう煮る段に入ると、今度は母親が先ほど茹でておいた大根の葉を切り分けたので、フライパンをもう一枚取り出して、胡麻油をそれに引き、炒めはじめた。そのほかの具はやはり買ってこられた焼豚である。母親が細かく刻んだそれを投入し、フライパンを振ってなかの二品を搔き混ぜて、ある程度火が通って仕上がると、日記を書きたかったのでじゃああとは頼むと任せて台所を抜け、用を足すためにトイレに行った。出てくると母親が台所から、ALL FREEを入れておいてと声を放ってくるので、玄関の戸棚の最下部から缶を三つ取り、冷蔵庫に収めておいて下階に戻ると、小沢健二 "流星ビバップ"と"ローラースケート・パーク"を歌ったあと、Charles Mingus『Pithecanthropus Erectus』とともに日記を綴りはじめた。ここまで書き足せば六時三四分。これから二五日の記事を進め、完成させなくてはならない。
 その後、七時前まで掛けて二五日の日記を完成させると、空っぽになって呻きを上げる腹を抱えながら記事をブログやnoteに投稿し、そうして上階に行った。台所で食膳を用意していた母親が、頂きます、と口にした。そのあとから台所に入っていき、大皿一つに鮪のソテーと大根の葉の炒め物をよそって電子レンジへ、そのほか具の豊富な汁物を椀に盛り、水菜や白菜のサラダも大皿に乗せると、その上から自家製の細い大根をおろして掛けた。米も用意してそれぞれ卓に運ぶと、夕刊の袋を鋏で切りひらき、一面の文化勲章及び文化功労者の発表を読んだ。後者のなかに萩尾望都の名前があった。七〇歳だと言う。そのほか、元国連難民高等弁務官緒方貞子氏が九二歳で亡くなったという報も一面にあったので読み、サラダには胡麻ドレッシングを掛けてむしゃむしゃ食い、ソテーと炒め物をおかずに米を平らげたあと、汁物を最後に貪り、もう一杯おかわりをして満腹に至った。そうして水を汲んできて抗鬱薬を飲んだあと、食器を台所に運んで洗い、食器乾燥機のなかに片づけておくとすぐに入浴に行ったはずだ。窓は開けなかった。目を閉じてじっとしながら湯のなかで安らいでいると、時計の勤勉な刻みが鬱陶しいように耳につき、同時に窓外の水音も耳に入ってくるが、それが沢の水の流れる音なのか、雨がまた降りだしたのか判断がつかなかった。しかし、しばらく思念を遊泳させてまた窓外の音に立ち戻ってくると、今度は蟋蟀の鳴き声にも気づかれて、その立ち方、輪郭の定かさが雨降りの時のものではないように思われたので、雨は降っていないか、落ちていても幽かなものだろうと推測した。八時頃まで湯に浸かってから洗面所に上がると、空気の冷たさがさすがにもう一〇月も終盤のものだった。身体を拭って服を着込み、もう一度タオルで頭をがしがしやって水気を幾分散らしたあと、櫛付きのドライヤーで髪を半端に乾かし、そうして洗面所を抜けて母親に挨拶をした。すぐに下階に戻って急須と湯呑みを持ってくると、チョコレートを食べる、と母親が訊く。帰りにスーパーに寄って、Mちゃんに送ってあげようということで菓子類を色々と買いこんできたらしく、そのなかにハロウィン仕様の包装に包まれたチョコレートがあったのだ。緑茶を一杯用意し、どちらが良いかと袋二つを示す母親に、別にどちらでも良かったのだが一方を選んで渡し、小さなミルク・チョコレートを三つ貰い、急須に湯を注ぎ入れると三つまとめて口に咥えて下階に下りた。そうして八時一一分から、まずは古井由吉『ゆらぐ玉の緒』の書抜きである。チョコレートを舐め、茶を飲みながら三箇所を写すと、日記作成の前にインターネット記事に触れてしまおうというわけで、「<沖縄基地の虚実8>県外主要基地含め74% 誤った情報 ネットで拡散」(https://ryukyushimpo.jp/news/entry-283907.html)を読んだ。

 岩国、三沢、佐世保、横田、横須賀、厚木(神奈川県)という県外6主要米軍専用施設の合計面積と、沖縄にある米軍専用施設のうち嘉手納飛行場と嘉手納弾薬庫の2施設だけの面積を比較しても1対1・2と沖縄の2施設の方が大きい。いかに沖縄に広大な米軍基地が集中しているのかが分かる。

 防衛省が「在日米軍施設」と表現している基地は三つに分類できる。
 (1)米軍が単独で使用する米軍基地(日米地位協定2条1-aで規定)(2)米軍の「正規の使用目的にとって有害でない」など一定の条件の下に、自衛隊に使用を認める米軍基地(同2条1-aと同2条4-aで規定)(3)一定の期間を限って、米軍が使用することができる自衛隊基地(同2条4-bで規定)-となる。
 つまり「米軍しか使わない米軍基地」「自衛隊も使える米軍基地」「米軍も一時的に使える自衛隊基地」の3種類だ。
 防衛省はこのうち(1)と(2)を「米軍専用施設」と法的に位置付けている。そしてこれらは沖縄に全国の74%の面積が集中する。一方、(1)(2)(3)の全てを合わせると、沖縄にある米軍基地は「全国の23%」まで比重が小さくなるのだ。

 続いて、徐正敏「「政教分離」ほんとうの意味 韓国現代史とキリスト教の関係から考察する」(https://webronza.asahi.com/politics/articles/2019070800001.html)。

 人類の歴史のなかで国家が最初に形成されたとき、その形態は「政教一致」の様相を呈していた。
 そして長い時間を経た後に「宗教国家」が誕生した。これは宗教と国家が密接な有機的連結関係にあることを意味するだけでなく、宗教と政治つまり宗教的カリスマと国家の権威を比べると、宗教が優位に立つことを意味するものであった。
 その後、さらに発展した国家体制の下では「国家の宗教」が誕生した。要するに「国教」をもつ国家体制である。それは国の宗教すなわち「国教」を国家権力が守り、育成し、利用する形態であるが、あくまでも現実的な主導権は国家にある。
 その後、最も近代的なかたちで「政教分離」の概念が誕生した。これは信教の自由の認定であり、国家権力による宗教の強制を禁止し、個人の宗教の選択と信念の自由を保証することを意味した。

 1787年に米国は正式に建国され、米国憲法が公布される。その憲法においては、個人の宗教の有無、宗教の選択の自由、良心の自由が徹底的に保証されている。そして、第1次修正憲法1条で「政教分離」を宣言する。つまり「国教」制度を否定し、国家が特定の宗教を強制的に護持することはせず、宗教上の理由で国民の基本的権利を侵害することはしないことが名言されたのである。
 つまり「政教分離論」は、あくまでも個人の信敎の自由、宗教活動の自由を保障するための塁(とりで)として成立した概念である。
 したがって「政教分離論」の出発点は、国家権力の宗教に対する強制的な干渉などを排撃することにあったといえる。決して、宗教活動の一環として、宗教が政治的営為を批判したり、それに関与することまでを禁止する条項ではない。

 さらに、「あとで読む」記事の下部から数か月前の記事を辿って順番に読んでいくだけではなく、最近に発表された記事も加えて触れたいというわけで、飯田泰之ユニクロ柳井氏「日本は公務員を半減せよ」発言の「大きな間違い」」(https://gendai.ismedia.jp/articles/-/67965)も目を通した。

 OECDのなかで比較が容易な30か国内で、日本の中央政府・地方政府あわせた政府総支出の対GDP比は24位(39%)と下位に位置する1。ちなみに米国は25位(37.8%)と日本よりも財政規模は小さいものの、大きな差はない。
 (……)
 日本の財政支出には無駄遣いが多いからだ――と思われるかもしれないが、これも事実とは異なる。日本の財政支出のうち、最大の項目は社会保障支出である。社会保障支出を「無駄遣い」ととらえることは一般的ではないだろう。社会保障費以外の政府支出の対GDP比では、29位(15.4%)と30位のアイルランド(13.2%)並である。現時点で日本の財政規模が大きいと主張するのは困難である。
 公務員削減についても、ごく簡単なデータから否定できる。雇用者全体に占める一般政府雇用者比率は5.9%とOECD諸国の中で最も低い値である。ちなみにOECD諸国の同比率の平均は18.1%であり、日本は突出して公務員比率の低い国であることがわかる[2: ガベージ・ニュース(2019.2.14)「公務員数の多い少ないの実情をグラフ化してみる(最新)」(http://www.garbagenews.net/archives/2399894.html)]。
 (……)
 『世界価値観調査』では勤務先に関する質問が含まれている。そのなかで、自分が「公的機関(Government or public institution)で働いている」と答えた人の割合――制度上の定義ではなく自己認識によるデータを見ると、日本は10.7%と調査対象58国中57番目となっている。日本よりその割合が低いのはモロッコ(10.4%)のみだ[3: 舞田敏彦「日本の公務員は先進国で最も少なく、収入レベルは突出して高い」(https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2016/10/post-5959.php),Newsweek Japan]。

 経済に関する問題を考える際には、今直面している問題がオープン・システム問題であるのか、クローズド・システム問題であるのかに注意しなければならない[4: 詳しくは『クルーグマンの視座―「ハーバード・ビジネス・レビュー」論考集』(ポール・クルーグマン著・北村行伸訳,ダイヤモンド社)参照]。
 オープン・システム問題とは、課題となっている対象に「外部」がある問題だ。例えば、企業が成績の振るわない従業員を解雇し、不要不急の費用を節約すると――少なくとも短期的には利益は増加するだろう。企業は業績を圧迫している要因を「企業の外に出す」ことが可能である。企業に関する問題は、それがいかに大きな企業であれオープン・システムの問題なのである。
 一方で、このようなリストラ策は日本経済のための施策として妥当なものだろうか。ある企業を解雇されたとしても、その当事者が日本国民でなくなるわけではない。彼らが生活をする費用は、本人による貯蓄の取り崩しであれ、政府による社会保障であれ、日本国内の誰かがなんらかの形で負担することになる。小野善康氏(大阪大学名誉教授)の言葉を借りるならば「日本国民をリストラすることはできない」のだ。
 このように、「外部」がないために「特定要因を組織の外に出す」ことができない(少なくとも困難)な問題をクローズド・システム問題という。

 それで時刻は九時を回ったところ、日記を書きはじめる段だが、その前に身体をまたちょっとほぐそうということで、音楽を聞きながら例によって開脚の姿勢を保って身を柔らかくした。掛かっていた音楽は六九年アムステルダムでのライブ音源、Charles Mingus『Statements』から二曲目、"The Man Who Never Sleeps"という曲で、バラードである。トランペットの吹奏に耳を寄せたが、このEddie Prestonという人はちょっとLee Morganを連想させるような音色ではあるけれど、Morganよりもテクニックや綺羅びやかさでは劣って、バラードだからということもあるかもしれないが、吹ききれていない半端な印象を受けた。その後、コンピューター前に立って打鍵を始めてしまったので仔細に聞き取れてはいないが、この音源はピアノのJaki Byardが聞き物なのではないかという気がする。九時一五分から日記作成に入って、ひとまずこの日の分をここまで進めると、九時三九分に至っている。
 それから二時間強、日付が替わる直前まで一〇月二六日の記事を書き進めた。合間にはLINEのグループ上でTがT谷と会った際のことを報告していたので、それに対するメンバーたちの反応を見やったり、一一月二〇日の奥多摩遊歩について話し合いが始まった際にはこちらも参加したりした。一一月も後半の奥多摩はかなり寒いだろうから、ある程度歩いたらカフェか何かに入りたいねということで、F家はどうかと言われたので我が家は狭くて汚いので、それだったら青梅駅まで戻ってモスバーガーにでも入った方が吉だと答えておき、駅前に「ここから」という喫茶店があって、結構広いし客も地元の爺さん婆さんくらいだろうから六人いても入れるだろうと紹介しておいた。
 零時前で日記を切りとすると、三〇分間、手帳を読むことにした。リチャード・ベッセル『ナチスの戦争』からの情報を学んで、零時半前に至ったところで、腹が減ったので例によって夜食にカップ麺を食べることにして、上階に上がった。玄関の戸棚から「どん兵衛」の鴨出汁蕎麦を取り出し、テーブルの端で加薬を入れて湯を注ぎ、ゴミを台所のゴミ箱に捨てておくと、液体スープは蓋の上に乗せて、両手で容器を持って階段を下った。電灯のスイッチを静かに切って廊下を行き、自室に入るとカップ蕎麦は机上に置いておいて、辻瑆・原田義人訳『世界文學大系 58 カフカ』を読みはじめた。三分経つと蕎麦を白いテーブルの上、コンピューターの横に移して、スープを注ぎ入れて搔き混ぜてから啜りはじめる。食いながら閉じたコンピューターの上に置いた全集を眺め、スープも飲み干すと容器をゴミ箱に入れておき、引き続き読書をした。『変身』の時系列と言うか、グレゴール・ザムザがある朝「毒虫」と化してしまってから「三月末」に死ぬまでのあいだにどれだけの時が流れているのか、ということが気になったので、『変身』を最初から読み返してその手掛かりとなる記述をチェックしていったのだった。するとまず、三五八頁に、「直接の人間的な話しかけが自分に欠けていることが、家族のあいだの単調な生活と結びついて、この二カ月のあいだにすっかり自分の頭を混乱させてしまったにちがいない、とグレゴールは知った」という文言がある。「この二カ月」の開始点を変身が起こったその朝に置くことにして、さらに読み進めると、彼がこの認識を得たのとまさに同じ日に父親の投擲した林檎によって負った傷について、「グレゴールが一月以上も苦しんだこの重傷」(362)と言及されている。と言うことはつまり、変身の朝から死亡の日まで、合わせて少なくとも三か月以上が掛かったということだ。グレゴールが死んだその日は「三月の末」(371)だったとはっきり記されているので、そこから逆算して考えると物語の開始は一二月の後半よりも以前、最初の日は「寒い天候」(350)だったとも書かれているので、夏までは遡らず、おそらく秋が段々深まってきた頃合いだと思われるから、一〇月から一二月のあいだというところだと推測されるだろう。ここで一つ疑問なのは、物語の舞台設定がそのように寒々とした季節に置かれているにもかかわらず、この作品のなかには暖房器具の描写が何一つとして書き込まれていないということである。これはどういうことなのか?
 その後、「流刑地で」にも入ったのだが、二時を迎えないうちに睡気が差してきたので、いくらも読まずに床に就くことにした。眠りは比較的近かったようだ。


・作文
 16:17 - 16:39 = 22分(29日)
 18:20 - 18:34 = 14分(29日)
 18:34 - 18:53 = 19分(25日)
 21:15 - 21:39 = 24分(29日)
 21:41 - 23:52 = 2時間11分(26日)
 計: 3時間30分

・読書
 8:34 - 10:00 = 1時間26分
 13:43 - 14:53 = 1時間10分
 14:59 - 15:08 = 9分
 15:10 - 16:17 = 1時間7分
 20:11 - 20:28 = 17分
 20:29 - 21:05 = 36分
 23:55 - 24:24 = 29分
 24:28 - 25:51 = 1時間23分
 計: 6時間37分

・睡眠
 4:05 - 8:00 = 3時間55分
 10:00 - 13:00 = 3時間
 計: 6時間55分

・音楽