2019/10/30, Wed.

 おまえはだれか別の者に取って代わって生きているという恥辱感を持っていないだろうか。特にもっと寛大で、感受性が強く、より賢明で、より有用で、おまえよりももっと生きるに値するものに取って代わっていないか。おまえはそれを否認できないだろう。おまえは自分の記憶を吟味し、点検するがいい。記憶がすべてよみがえり、そのどれもが偽装されたり変形されていないことを願うがいい。いや、はっきりした違反はないし、だれの地位も奪っていないし、だれも殴らなかったし(でもそんな力があっただろうか)、職務は受け入れなかったし(でも提案されたことはなかったか)、だれのパンも奪わなかった。しかしそれでもそれを否認することはできない。それは単なる仮定だし、疑惑の影である。すべてのものが兄弟を殺したカインで、私たちのおのおのは(しかしこの場合は、「私たち」という言葉をとても広い、普遍的な意味で使っている)隣人の地位を奪い、彼に取って代わって生きている。これは仮定だが、心をむしばむ。これは木食い虫のように非常に深い部分に巣食っている。それは外からは見えないが、心をむしばみ、耳触りな音を立てる。
 (プリーモ・レーヴィ/竹山博英訳『溺れるものと救われるもの』朝日新聞出版、二〇〇〇年、90)


 八時のアラームで一度ベッドから抜け出して、テーブル上の携帯を取って鳴り響きを停止させ、傍らのコンピューターの電源ボタンを押したまでは良かったのだが、そのまま立位に耐えることが出来なかったようで気づけばいつの間にか寝床に引き返しており、一〇時を迎えることになった。窓の外に人の気配と何らかの機械音が立ったことで再度目を覚ましたのだった。大方市役所で梅の樹の調査に来たのだろう、機械音からすると枝を斬って採取でもするのかもしれないと思ったが、あとで母親に聞いたところではこれは消毒をしに来たのだということだった。人の気配が窓外になくなってから立ち上がり、スイッチを押しただけでログインすらしていなかったコンピューターにパスワードを入力し、TwitterやLINEを覗いてから部屋を出て、階段を上がった。母親は今日も仕事があるらしかった。市役所の人々にカルピスを用意しようと思ったところが、気づいた時にはもういなくなっていたと言った。こちらは寝間着からジャージに着替えてから便所で黄色く染まった尿を長々と排出し、前夜にカップ蕎麦を食ったためか腹はあまり減っていないようだったので、風呂を洗った。それでさっさと下階に下りてしまい、Evernoteを起動して前日の記録を完成させ、この日の記事も作成したあと、早速一〇月二九日の記事を書きはじめたのだが、そのあいだに減っていないと思っていた腹が空腹感を激しく訴えはじめた。それで三〇分で前日の記事を仕上げると上階に行き、何かあるのかと母親に訊けば炒飯を作っておいたと言うので、礼を言って大皿に盛り、僅かに残った前夜のサラダも冷蔵庫から取り出して、野菜や茸の汁物はひとまず火に掛けておいて卓に移った。新聞を引き寄せると、前夜の夕刊でも見たが、緒方貞子元国連難民高等弁務官の訃報が伝えられている。それを読みながら炒飯を少々食ったあと、そろそろ汁物が温まっただろうと台所に行ってみると沸騰していたので火を止めて、椀によそって卓に戻った。そうして国際面から、複数の記事を読みながら食事を取る。香港の民主派団体「デモシスト」のリーダーである黄之鋒氏が区議会選挙への立候補者一〇〇〇名のなかで、ただ一人立候補を認められなかったという報があった。ほか、英国ではコービン労働党が、EU離脱期限の延長を受けて一二月一二日の総選挙に賛成に回ったと言い、米国ではドナルド・トランプウクライナ疑惑について、弾劾調査を始めるための決議が下院に提出されるとのことだった。ものを食い終わると食器を洗って片づけておき、一旦下階に戻って急須と湯呑みを持って上がり、緑茶を用意する。外は快晴、南窓から陽が射しこんで、窓際のテーブルの上に置かれたダウンジャケットの上に明るく宿っている。緑茶を持って自室に帰ると一一時半、この日の記事を書き出して、ここまで記せば正午が目前となっている。先ほどLINEでT田から、ローベルト・ヴァルザーを一つ読むならどれが良いかと質問が届いたので、鳥影社から作品集全五巻が出ていて、一番凄いのは最後の巻だがこれはなかなか取りつきにくいので、短いものが集まった四巻目あたりが良いのではないか、そのなかでは特に「神経過敏」という小品が素晴らしいと返しておいた。
 そうして間髪入れず一年前の日記を読み返しはじめたが、この日も本文は一文字も書かれておらず、まったくの空白が広がるのみで、読む対象となる文章はカロリン・エムケからの書抜きのほかにはない。「一九八〇年から二〇一三年のあいだに、アメリカ合衆国では二十六万人以上のアフリカ系アメリカ人男性が殺害された。比較のために挙げれば、ベトナム戦争で亡くなったアメリカ人兵士の総数は五万八千二百二十人である」(カロリン・エムケ/浅井晶子訳『憎しみに抗って 不純なものへの賛歌』みすず書房、二〇一八年、87)とのことだ。次に読んだ二〇一四年一月三一日の日記も端的に下手糞で、特筆する事柄はない。合間にT田からLINEの返信が届いたので、ローベルト・ヴァルザーについていくらか紹介し、今度会った時に作品集の第四巻を貸すことになった。続いてfuzkueの「読書日記」から「フヅクエラジオ」を通過し、それから「週刊読書人」の記事を読もうというわけで、今日は外山恒一のインタビューシリーズではなく、「村田沙耶香ロングインタビュー 世界を「食べて」生きている 『生命式』(河出書房新社)刊行を機に」(https://dokushojin.com/article.html?i=6107)をひらいた。ただし、村田沙耶香という作家には今のところ大きな興味関心は持っていないし、その著作も一冊も読んだことがない。日記に引用しておこうと思った部分も以下の一箇所のみ。

妊娠・出産が、これほどセンチメンタルなものではなかった時代がどこかにあったのではないかと想像することがあります。出産が素晴らしい奇跡の瞬間として、殊更にロマンチックに語られることが、少し怖い気がするんです。命懸けの任務をさせるのに都合がいい、すごく、便利なロマンチックなので怖いんです。小学校のころの性教育の授業も、なんだか怖かったです。いまここに生きているきみたちは、何億匹から生きぬいた精子であり、卵子なんだと先生が熱弁していたのですが、私になった精子卵子は、そんなにやる気があったとは思えなくて、偶然受精して、出てきたのだろうと思うんです。

 その次に、「<沖縄基地の虚実9>他県と違う一括計上 復帰後、全国家予算の0.4%」(https://ryukyushimpo.jp/news/entry-283929.html)を読み、さらに田中信一郎「トリクルダウンから「ボトムアップ」へ。活力ある経済の持続のために必要なパラダイムシフト」(https://hbol.jp/187949)もひらいて、読んでいる途中で一二時四〇分に差し掛かると、天気も良いしたまには布団を干すかというわけで、ベランダに続くガラス戸を開けた。掛布団を持ち上げて柵の上に乗せておき、枕も落ちないように、落ちたとしても内側に落ちるように角度を調整して柵の端に置いておき、そうして室内に戻って、明るい空気のなかで記事を読み進めた。

 また、安倍政権は「自助で生活し、国家のために協力する」という国民観を有しています。前出の施政方針演説で、安倍首相は「自立した個人を基礎としつつ、国民も、国家も、苦楽を共にすべき」「誰かに寄り掛かる心を捨て、それぞれの持ち場で、自ら運命を切り拓こうという意志を持たない限り、私たちの未来は開けません」と述べています。
 他方、ボトムアップ社会と整合的な国民観は「公助が備わることで、共助が機能し、自助できる」というものです。これも、積極的自由・社会権という日本国憲法の考え方です。

 安倍政権は「企業・個人による投資・消費意欲の減退に基づく、一時的な供給過剰・需要不足」と、日本経済を認識しています。だから、金融緩和で大量の資金を供給し、財政出動で需要を刺激し、企業を縛る規制を緩和すれば、再びかつてのように経済成長すると考えているのです。
 他方、ボトムアップ社会の政策は「人口減少・経済成熟に伴う投資・消費環境の変化に基づく、恒常的な供給過剰・需要不足」という認識に立ちます。この認識に立てば、まずは格差を解消して本来の民間消費を回復しつつ、その間に人口減少や技術変化、気候変動に対応できる持続可能な社会システムや市場を構築・投資することで、緩やかであっても長期的に持続する経済成長をめざすことになります。

 さらに続けて、橋本治浅田彰「日本美術史を読み直す――『ひらがな日本美術史』完結を機に―― 第1回 私の中に「奇」はない」(https://kangaeruhito.jp/interview/6614)も読む。

浅田 『ひらがな日本美術史』では、前近代が終わったところで一種の仕切りなおしがあり、弥生的なものを改めて日本美術史の枠組みとして設定し、縄文的なものを「奇」として面白がる岡本太郎的なポーズを排除するわけでしょう。ある意味で定番と思われている弥生的なものこそ、ヘンなものを自由に取り込みながら、日本美術史のメイン・ストリームをつくってきた。そっちのほうが主観的な好き嫌いを超えていいんだ、主観的に面白いとかいうんじゃなくたんにいいからいいんだ、という宣言をしている。全面的に賛成するかどうかは別として、潔い態度だと思いました。「俺は反動だ」と言っているのに近いところもあるわけだから(笑)。

浅田 (……)ただ、たまたま橋本さんの連載中に刊行された、磯崎新の『建築における「日本的なもの」』や、磯崎新福田和也が日本各地の建物を行脚した『空間の行間』なんかで、興味深いパラダイムが提起されている。日本史においては、外圧があって内乱が起きると、橋本さんの言う弥生的なものが揺らいで、とんでもないものが出現するんだけれど、それがまた和様化されて弥生的なものに戻るというパターンがある、と。具体的に言えば、白村江の戦い壬申の乱元寇とその前後の内乱、鉄砲やキリスト教の伝来と戦国の乱、黒船と明治維新ですね。その中でも特権的に取り上げられている建築物が、『ひらがな日本美術史』にも出てくる重源の東大寺南大門で、そこには磯崎新の、近代建築を本気でやるならああいう構造がむき出しになったようなものを屹立させたい、という気持ちが、明らかに透けて見える。だけど実際は、南大門のようなものはなし崩しに和様化されて弥生的になってしまうんですね。

橋本 つまり、弥生化というのは卑小化だということでもあるわけでしょ。

浅田 卑小化というか、外からのインパクトを融通無碍に散らして、やんわり受けいれる、と。それに抗って、インパクトを直接受け止めるようなもの、それ自体もインパクトのあるものが出来るかどうかというのが、磯崎新の問いだと思うんですね。だから、橋本さんの弥生的な構造が本流だという言い方と、磯崎さんのそれにどうやって抗えるか(ただし岡本太郎流の縄文的な「爆発」によってではなく)という問いは、背中合わせになっているとも言えるんじゃないか。

橋本 私にとって、弥生的だというのは、これはいいと思う、これもいいと思う、これもいいと思う、と「いい」が並んでくると、この「いい」の間に何か共通しているんだよな、ということなんですよ。言ってしまえば、縄文的なものっていうのは常にちょろちょろ湧いてくるんだけど、結局それを洗練してしまうのが日本美術であって、その洗練するという行為を弥生的って言ってしまえばいいのかな、というくくりなんですね。そう考えると、近代以前は洗練する時間的な余地があった。でも、近代以後になると洗練する余地がなくなった。だから、年寄りよりも若者がやることのほうがいい、となってしまったんだと思います。

浅田 ちなみに、和漢混淆文の話をきっかけとして、先ほどの磯崎新パラダイムをさらに敷衍すると、柄谷行人の『日本精神分析』や石川九楊の一連の漢字論のような議論があるでしょう。まず漢字を受容した上で、そこから仮名を作り出す。ところが、仮名は漢字から派生したものであるにもかかわらず、仮名こそ日本人本来の自然な心情を表現するのに適している、漢意からごころに対するやまとごころの媒体である、というイデオロギーが出来上がる。中国の仏教寺院の様式を導入して法隆寺なんかを建てておきながら、あえてもっと自然発生的な日本建築と称して伊勢神宮なんかを建てるのと同じです。つまり、純日本的なものというのは、漢字に対する仮名のように、外部からのインパクトを受容する過程で捏造された「起源」なのではないか。それが和漢混淆文のように何でもうまく取り入れて和様化するシステムとして根づき、いまも和洋混淆様式として続いているのではないか。そういう風に融通無碍に展開してきたのが美術史を含む日本文化史であるとして、それは橋本さんの言われるように近代化で壊れたようにも見えるけれど、強固に存続しているようにも見えるんですね。

 それを読み終えるとちょうど一時に達したので一旦切りとして、(……)一時一五分から英文に触れることにした。それまで流していたBill Evans Trio『The Complete Village Vanguard Recordings, 1961』(Disc 1)が終わっていたので、Black Sabbath『Heaven And Hell』とともに、Maria J Stephan and Timothy Snyder, "Authoritarianism is making a comeback. Here's the time-tested way to defeat it"(https://www.theguardian.com/commentisfree/2017/jun/20/authoritarianism-trump-resistance-defeat)を読んだ。

・co-optation: 〔現会員による〕新会員の選出
・Otpor: オトポール!(セルビア語:Отпор! / Otpor!。「抵抗!」の意)は、ユーゴスラビア連邦共和国の青年運動。スロボダン・ミロシェヴィッチ退陣をもたらした2000年の闘争を主導したことで広く知られる。
・whistle-blower: 内部告発
・desegregate: 人種差別をなくす
・over the long haul: 長期に渡って
・move the needle: 目立った変化をもたらす
・thrive on: ~でうまくやる、成長する

 二〇分少々で一記事読み終わったあと、次に行うべきは書抜きだが、その前に身体をほぐすことにして、その時ちょうど流れていた六曲目、"Die Young"を身体に受けながら、いつも通り屈伸を何度も行ったり、開脚して下半身や首周りの筋肉を和らげた。次曲、"Walk Away"の序盤に掛かったところで止めたので、実質五、六分しか柔軟をしなかったが、それでもそれなりに身は軽くなるものである。そうして、古井由吉『ゆらぐ玉の緒』の書抜きに入った。打鍵を進める合間はまたT田とLINEでやりとりを交わし、ヴァルザーの小品は一〇〇〇以上あるとかいう話だから、翻訳されたものはほんの一部に過ぎないと教えたあと、「ゲーテ御大の野郎も生涯で一四〇〇〇通以上の手紙を書いて、本国ドイツの全集では一四三巻のうち、五〇巻がそれに当てられているらしい」、「一日一通書くとしても、四〇年弱掛かるわけか。俺の日記はその二倍とまでは行かずとも、一・五倍は超えたいものだな」と大言壮語を吐いておいた。
 ぴったり三〇分で三箇所を抜き、古井由吉の小説の書抜きをすべて終えると時刻は二時一七分、ベランダに出たものを仕舞うことにした。Youtubeで流していた「Black Sabbath - Vol. 4 (1972) Full album」(https://www.youtube.com/watch?v=zZuw4ZHyjfg)の音量をやや絞り、まず下階のベランダに出ると、辺りはまだ明るく暖色が染みているものの、干された布団の位置にはもう陽射しはほとんど届いていない。枕を叩いてベッドの端に放っておき、布団も表面をちょっと撫で擦って埃を落とすと、持ち上げて戸をくぐり、ベッド上に畳んで設えておいた。それから上階に行き、ベランダに出ればこちらにはまだまだ陽があって、温みが肌に触れてくる。そのなかで吊るされたものを順々に取りこんでいき、すべて室内に仕舞っても戸を閉ざさず、風とアオマツムシの鳴きが淡く入ってくるなかでものを畳んだ。タオルを整理して足拭きマットとともに洗面所に運んでおき、それから肌着をゆっくり折り畳んで、パンツとシャツを合わせて各人のものごとにソファの背の上に並べておき、寝間着を畳むのは面倒臭かったのであとで気が向いたらやることに決めて、腹をいくらか満たすことにして簡便にまたカップラーメンで良かろうと、玄関の戸棚から日清のカップヌードルのカレー味を取った。テーブルの端に置き、ビニール包装を剝ぎ取って台所のプラスチックゴミの箱に突っ込んでおくと、湯を注ぐ。時刻はちょうど二時半である。正面、東の小さな窓からは、レース編みのカーテンを透かして外の道に、幾分薄くなった陽が渡っているのが見え、ガードレールの白さが仄かに明るんでいる。そうして開けっ放しにしておいたベランダのガラス戸を閉めておき、容器を持って階段を下りて自室に帰ると、Mさんのブログをひらいた。冒頭に付されたFlannery O'Connorからの引用を読んでいるうちに三分が経ったので、カップヌードルを白いテーブルの上、コンピューターの横に移動させ、零さないように注意しながら割り箸を突っこんで麺をほぐし、褐色の液体のなかを搔き混ぜる。そうして啜りながら他人の日記を読むのだが、以下の罵倒ぶりと言うか、貶しぶりには大層笑う。

 (……)こちらが気になるのはSKさんの自意識の強さだ。彼女はわりとしょっちゅう自撮りを投稿する。そしてその自撮りというのが、じぶんの顔をかわいらしくみえる角度から撮影するというような、いわば素人っぽい自撮りでは全然ないのだ。彼女はまるでじぶんがモデルであるかのように、雑誌のグラビア撮影であるかのように、絶好のロケーションと衣装とポージングを用意したうえで、この一枚を撮るためにおそらく同じような写真を何十枚も撮っているのだろうと思われるような、キメッキメの表情と構図のものを毎度投稿するのだ。日本人の、彼女らと同年代の女性のインスタなどまともに調査したことなどないので実際はどうだか知らないが、しかし一般論として、中国の女性のほうが日本の女性よりも自撮りを愛好するとは聞く(そしてそのような印象もたしかに受ける)。けっこうなことだ。しかしSKさんの自撮りはそういうレベルではないのだ。たとえば、今回新しい彼氏といっしょに撮って投稿した写真でいえば、カフェで向かい合って座っているふたり(一枚目)、テーブルに顔を横向きに寝かせて目を閉じるSKさんとそれを一枚目と同じ位置から見守る彼氏(二枚目)、居眠りするSKさんの髪の毛を椅子から腰を浮かせてなでる彼氏(三枚目)をワンセットにして並べたものがある。これはあきらかにSKさん当人のプロデュースによるものなのだが、こういう趣味に付き合わされている彼氏や撮影をたのまれている友人は、いったいどのようにして正気を保っているのだろうか? じぶんがもし彼氏の立場ならまずまちがいなく発狂すると思うのだが、シャブでも射っているんだろうか? 投稿された写真の中には、土産物屋らしい一角で小さな積み木細工をふたりしてながめているようすを店の外から窓ガラス越しに撮影したシリーズもある。同じ商品をながめているふたり(一枚目)、その商品から目をそらして微笑みながら見つめ合うふたり(二枚目)、SKさんの額にキスする彼氏(三枚目)みたいな流れで、これは端的に拷問ではないか? 正気を疑わざるを得ない。狐に憑かれているのだろうか? 最近墓参りに行っていないんではないか? 仮に正気だとすれば、それはそれでひどくおそろしい話だ。いったいどんなひどい境遇に生まれおちたら、前世でどのような大罪を犯したら、ここまでダサいCM的テレビドラマ的女性誌的感性をいきいきと真正面から発揮することができるのだろうか? 物語の奴隷などという形容ですらなまぬるい。世の中に流通する最大公約数的な型(パターン)ですらない、むしろほかでもないその最大派閥からさえも嘲笑の対象となるかアイロニカルな態度を表明されることになる――テレビ嫌いを公言するひとびとの数を見よ!――そのような型(パターン)を、彼女は真顔でキメまくっているのだ。ぞっとする。来世でこのような愚行を犯す人間に生まれ変わらないためにも、今世はなるべく善行に励んで徳を積んでおきたい。

 カップ麺を食い、スープを啜りながらMさんのブログを読むと時刻は二時五〇分、Black Sabbathの『Vol. 4』が最終曲だったので耳を傾けたと思うのだが、全然印象に残っていない。それから緑茶を用意してきて――今気づいたのだがガードレールの明るみを目にしたのはカップ麺を用意した際ではなくて、多分この時だった――次の作品、一九七三年の『Sabbath Bloody Sabbath』もYoutubeで流し出してみると(https://www.youtube.com/watch?v=9FsIp2YrtQI)、冒頭のタイトル曲が、なるほどこれは確かにシンプルながら格好良いリフで、実に正統派のハードロックだなと思われた。そうして、音楽とともに日記をここまで書き進めると三時半を過ぎている。
 一〇月二六日の日記作成に取り掛かった。打鍵をしながら髪の毛に手が伸びて、ちょっと弄るとその野放図ぶりが鬱陶しいので、いい加減に切りにいこうと心を定めて携帯を取り、近間の美容室に電話を掛けた。こんにちは、Fですと名乗り、いつもお世話になっておりますと丁重な挨拶をしてから、明日はどうかと尋ねれば午後が空いていると言う。それで、一時くらい? と訊いてくるのに、二時はいかがですかと向ければ、一時半頃だと有り難いと言うのでそれで良いと妥協して、予約を終えた。そうして引き続きYoutubeBlack Sabbathの音源を流しながら打鍵を続け、五時に至ったところで一旦中断して、居間の電灯を点けに行った。上がると食卓灯を点けておき、三方のカーテンを閉ざす。ベランダに続く西窓のカーテンを閉める際に外を眺めると、空には整髪フォームを長く押し出したような雲が群れて浮かび、その奥の水色と、雲の白っぽい薄灰色と、そのあいだで一部の雲が宿した薔薇色とが組み合わせられていた。カーテンを閉め終わると玄関を抜けて、アオマツムシの音の立つなかポストから夕刊を取って戻り、そうして下階に引き返して、五時半までと定めて二六日の記事を進めた。
 五時半に掛かると、まだ記事は終わっていなかったが予定通り切り上げて、食事の支度をするために上階に行った。まず、米を磨ぐ。炊飯器の釜の上に笊に入れて置かれてあった三合半の米を取り、洗い桶のなかで磨いで、六時半に炊けるように設定しておくと、次に玉ねぎと豚肉を炒めることにした。玉ねぎだけでは野菜の具が少ないので、キャベツと、一つだけ余っていたピーマンも入れることにしてそれぞれを切り分けて笊に収めておき、豚肉は生姜焼き用だろうか、比較的広い固まりが七枚ほど並んだパックだったので、そこから四枚を取り出してそれぞれ三つずつに分割した。傍らラジカセで小沢健二『刹那』のCDを流しており、人がいないのを良いことに思う存分歌を歌いながら作業を進め、フライパンに油を引くと、まず箸で一枚ずつ肉を取り上げて敷いていき、その上から生姜をこれでもかというほどに摩り下ろした。そうしてちょっと焼き目がつくと野菜も投入し、"それはちょっと"を口ずさみながら火を通すと、ニンニク醤油を振り掛けて、それだけでは足りなかったので普通の醤油もいくらか足し、胡椒も振ってもう少し炒めれば完成である。合間に汁物のために小鍋に水を汲んで隣の焜炉に掛けておいた。それでこちらは白菜と余った椎茸一つを入れることにして品を切り、沸騰した湯のなかに投入して、"いちょう並木のセレナーデ"を歌いながら洗い物を済ませ、「味の兵四郎」というメーカーのあご出汁を鍋のなかに放り込み、味の素も振ってから冒頭の"流星ビバップ"に音楽を戻して、ちょっと歌ってから白菜を一欠片取り上げて食ってみるともう柔らかかったので、火を止めてチューブ型の味噌を湯のなかに押し出した。それで搔き混ぜて味見もせずに完成と決め、音楽を止めると下階に戻ってきた。時刻は六時を回ったところだった。ここまで日記を書き足して、ふたたび二六日の記事に取り掛からなくてはならない。
 六時四〇分過ぎまで掛けて二六日の日記をようやく仕上げることができたので、二七日の記事と合わせてブログ、Twitter、noteにそれぞれ投稿した。引用部にタグを付したり、固有名の検閲をしたりしなければならないので、二日分の記事を投稿するだけで二〇分ほど掛かり、終えた頃には七時を過ぎていたと思う。いい加減に空腹が極まっていたので、食事を取ることにして上階に上がった。台所で自ら作った炒め物をふたたび火に掛けて温め、前夜の汁物の余りも熱してそれぞれ丼によそった。炒め物は無論、白米の上に乗せたわけである。その二品を卓に運び、夕刊を読みながら食べていると母親が帰ってきて疲れた疲れたと漏らしながらソファに座り、テレビを点ける。夕刊の一面では英国の総選挙提案が可決され、一二月一二日の予定で実施される見込みとの報道がなされており、めくれば三面にはドナルド・トランプウクライナ疑惑で国家安全保障会議NSC)の職員が一人、議会の調査に対して証言に立ったと報があり、その横にはトルコ軍のシリア進軍に関してロシアがクルド人部隊は撤退を終えたとの情報を発表したとの記事が載せられていた。それらを読みつつ米と炒め物を食い、食ってもまだ米を腹に入れたい気がしたので、冷凍庫に唐揚げがあったはずだと台所に行き、冷凍食品の鶏肉を三つ皿に取り出して電子レンジへ突っこんで、温めているあいだに卓に戻って汁物を飲んだ。そうしてふたたび台所に行き、丼に米を足して加熱を待っていると母親が、仏壇に御飯をあげてと言うので、極々小さな皿を受け取って米をほんの少しだけ盛り、炒め物の端切れもそこに乗せてもらって仏間へ行き、持ってきたものを供えるとともに先に置かれてあった米と茶を取って戻った。そうして温まった唐揚げを持って卓に帰り、鶏肉をおかずにしながら白米を食う。また、母親が水菜やモヤシなどのサラダを用意してくれたのでそれも食べて、冷たい水で抗鬱薬を服用すると皿を洗った。父親がもう福生まで来ていて、あと三〇分ほどで帰ってくるという話だったが、こちらは散歩に出るつもりだった。それで使い古した靴下を履き、行ってくると言って玄関に出ようとすると母親が、葉書を出してきてと言う。ひとまずトイレに入って用を足し、出てきて居間に戻ると、葬式の返礼品のカタログで炬燵布団とシェーバーを注文するらしい。それでその葉書二枚を半分に切って、個人情報保護シールを貼ってポケットに入れ、外に出た。靴はいつもスーツに合わせて履いている方の、一見革靴に見えそうだがその実スニーカーのように柔らかい素材でできているものを選んだ。道に出て見上げれば空は雲に乱されており、月はその本体の姿のみならず、雲に映る痕跡すら一滴ほども見られない。月の暦など読みつけていないので移りが知れないが、今は新月の時期だろうかと諦めて涼しい夜気の道を行けば、虫の音が、すぐ道端からは立たずやはり遠く小さくて、草木いっぱいに凛々と鳴きしきっていた時季はもう過去のもの、坂を上って裏路地を行けばそれでも川沿いの林が近いからいくらか重なり合いが聞かれて、耳を張っているとそのなかから悲鳴のような声が立ち、一瞬人間のものと錯誤しかかったがどうやら鳥の声らしいと聞き直し、川鳥でも叫んでいるものかと思っていると合わせて四度鳴いてふっつりとあとが絶えた。裏路地の角まで来ると緩く曲がり目になったところに草が低く蟠っていて、これは確か、ユキヤナギではなかったかと見た。春にはここで純白に咲き連なっているのを見た覚えがある、と思い返したそのあとから、そうか、あれからもう幾月も経ったかと独白がぽつり続いて、折れて表道に出れば歩いてきたので汗がうっすら肌に滲みはじめていた。
 二つ目を皓々と照らした車の流れる横を行くあいだ、風切り音の途切れる間があって、そのなかに差し入ってくる蟋蟀の音を聞きながら、しかし思い出したのはカネタタキのこと、尾崎放哉がエッセイにかの虫のことを書いていたなと想起され、それにしてもカネタタキと言ってこのカネは鐘ではなくて鉦の方、祭りの囃子などで打ち鳴らされる小さな器のことを指して、それに似つかわしく控え目で、ふくよかに響き良くもない声なのに放哉は、地の底から遠く湧き上がってくるようなと、それどころか地獄の底からなどと言っていたか、あの虫の音がそんな風におどろおどろしく聞こえるとは一体どんな心境だったのだろうと考えた。そんなことを思いながら進めば駅には電車が着いてまもないらしく、前方から車のライトの逆光に、ほとんど真っ黒な影と化した仕事帰りの人々が疎らに歩いてくる。すれ違って最寄り駅に至るとポストに葉書を投函しておき、さらに東に街道を進めば、道の先で工事をしているらしく、勿論夜なので今は作業は行われておらず人もいないが、残されたカラーコーンの上に光る保安灯の、替わる替わる高速で赤や緑に点滅するのが集団舞踊のように、道路の上に破線を描いている。向かい風のなかに、肉屋ももうとうにシャッターが閉まっているのに、揚げ物の匂いが混ざって鼻についてきた。
 裏に入って坂を下り、折れてもう一本の坂に入ると、道脇の斜面が綺麗に刈り整えられている。野放図な草の背をあれだけ短く均すのも大変な仕事だ、あるいは一日では終わらなかったかもしれない、先般見かけた際に出張っていた人足は、近くの家の人も含んで大方高年のようだったが、彼らも手づから草を抜いては刈りながら、来年は同じことができるかと息をつく瞬間もあるものだろうなと思いやった。坂道の終わりまで来ると風が吹き、左方から川音が立ち昇ってくるなか右からは、林の一番外縁の、細い草葉の先端がさらさら揺れて、しかしさらに耳を寄せても奥から葉鳴りが立たないようで、高みでは吹いていないのか、それとも林の内の葉叢の厚みももうだいぶ変わったものかと歩いていると、近づいた水路の水音が代わりにまだまだ高く響いてきた。
 帰宅すると扉に鍵が掛かっていたのでインターフォンを鳴らしたところ、父親の重い足音が聞こえたあとに二つの鍵がひらいた。それでなかに入って挨拶をしようと思ったところが、父親は既に居間に向かって歩いていくところで、こちらがまだ靴を脱いでもいないのに明かりを消したので、何か機嫌が良くないような雰囲気を感じ取ったが、相手はすぐに風呂に行ってしまったのでそれ以上仔細は知れない。あるいは穿ち過ぎか、挙動一つで、と思いながら下階に下りて、八時二〇分からこの日の日記を書き足しはじめ、ちょっとすると水を足した電気ポットが沸いただろうと道具を持って上階に上がれば、おかえりとこちらが掛ける声にも返答がない。あるいはどちらも特に意味のない偶然かもしれないが、どうも妙な雰囲気を感じるので関わらないのが吉と、さっさと緑茶を用意して自室に逃げ、ヘッドフォンをつけてBlack Sabbathのライブ音源を聞きながら打鍵を進めていると、音楽の合間にやはり、母親に対していくらか荒い声を出しているのが伝わってきた。しかしそれも、いつものことと言えばいつものことなので、今日がとりわけて不機嫌なのか否かの判断材料にはならない。
 ここまで記すと書きはじめたのが八時二〇分だったはずが、いつの間にか九時半を回っていて、まことに文を作るということは時間が掛かる。尾崎放哉のエッセイの原典を引いておこうと今しがたEvernoteを探ったが、意外にも該当部分を書き抜いていなかったようで見つからなかったので、青空文庫の頁に拠ろう。

 鉦叩きと云ふ虫の名は古くから知つて居ますが、其姿は実の処私は未だ見た事がないのです。どの位の大きさで、どんな色合をして、どんな恰好をして居るのか、チツトも知りもしない癖で居て、其のなく声を知つてるだけで、心を惹かれるのであります。此の鉦叩きといふ虫のことについては、かつて、小泉八雲氏が、なんかに書いて居られたやうに思ふのですが、只今チツトも記憶して居りません。只、同氏が、大変この虫の啼く声を賞揚して居られたと云ふ事は決して間違ひありません。東京の郊外にも――渋谷辺にも――ちよい/\居るのですから、御承知の方も多いであらうと思はれますが、あの、チーン、チーン、チーンと云ふ啼き声が、何とも云ふに云はれない淋しい気持をひき起してくれるのです。それは他の虫等のやうに、其声には、色もなければ、艶もない、勿論、力も無いのです。それで居てこの虫がなきますと、他のたくさんの虫の声々と少しも混雑することなしに、只、チーン、チーン、チーン……如何にも淋しい、如何にも力の無い声で、それで居て、それを聞く人の胸には何ものか非常にこたへるあるものを持つて居るのです。そのチーン、チーンと云ふ声は、大抵十五六遍から、二十二三遍位繰返すやうです。中には、八十遍以上も啼いたのを数へた……寝ながら数へた事がありましたが、まあこんなのは例外です。そして此虫は、一ヶ所に決してたくさんは居らぬやうであります。大抵多いときで三疋か四疋位、時にはたつた一疋でないて居る場合――多くの虫等の中に交つて――を幾度も知つて居るのであります。
 瞑目してヂツと聞いて居りますと、この、チーン、チーン、チーンと云ふ声は、どうしても此の地上のものとは思はれません。どう考へて見ても、この声は、地の底四五尺の処から響いて来るやうにきこえます。そして、チーン、チーン、如何にも鉦を叩いて静かに読経でもしてゐるやうに思はれるのであります。これは決して虫では無い、虫の声ではない、……坊主、しかし、ごく小さい豆人形のやうな小坊主が、まつ黒い衣をきて、たつた一人、静かに、……地の底で鉦を叩いて居る、其の声なのだ。何の呪詛じゆそか、何の因果いんがか、どうしても一生地の底から上には出る事が出来ないやうに運命づけられた小坊主が、たつた一人、静かに、……鉦を叩いて居る、一年のうちで只此の秋の季節だけを、仏から許された法悦として、誰に聞かせるのでもなく、自分が聞いて居るわけでもなく、只、チーン、チーン、チーン、……死んで居るのか、生きて居るのか、それすらもよく解らない……只而し、秋の空のやうに青く澄み切つた小さな眼を持つて居る小坊主……私には、どう考へなほして見ても、かうとしか思はれないのであります。
 (尾崎放哉「入庵雑記」; 「鉦たたき」 https://www.aozora.gr.jp/cards/000195/files/43777_25705.html

 緑茶を飲んだためだろう、尿意及び便意が耐え難く高調していたので、急いで便所に行った。そうして腸と膀胱を軽くしてから部屋に戻ると、風呂は母親が入っているだろうが、燃えるゴミをまとめておくために一度上階に上がることにした。それでゴミ箱を持って部屋を出て、ついでにトイレのなかにも用済みになったトイレットペーパーの芯が一つあったので取っておき、それらを持って階段を上がった。台所では父親が洗い物をしていた。その横でしゃがみこんで、自室のゴミ箱から台所のゴミ箱にティッシュなどを移していると父親が、お前、あそこにあったティッシュの箱、片づけてくれた、と訊いてくる。よく覚えていなかったが、たしかに階段横の腰壁の上に置かれてあったものを始末したような覚えがあるので、多分片づけたと思うと答えれば、礼が返った。これほどまでににささやかな事柄で礼を送ってみせるとは、殊勝な心遣いなので、どうも機嫌が悪いのではないかという疑いは、こちらの邪推だったように思える。先の振舞いは特に意味はなく、帰ってきたばかりで疲れていただけのことか、あるいは本当に機嫌が芳しくなかったとしても食事のあいだにそれも落着いたか。ともかくそんなことを話しながら玄関に出て、戸棚のなかの紙袋にトイレットペーパーの芯を突っこんでいると、何? と言う母親の声が聞こえる。それでもう風呂を出たのかと思って洗面所を覗いたところが姿はなく、まだ入る前だと言う。母親はトイレに入っているのだった。それで、入るの、と訊けば、そのつもりだったけれど先に入っても良いと言うのでそうさせてもらうことにして、ゴミ箱を戻しに下階に下りて、ふたたび上がって洗面所に入り、扉を閉めて、鏡のもとの電球を灯し、髭を剃りはじめた。唇を内側に捲りこみ、顎を伸ばしてざりざりと髭を処理すると入浴、湯に浸かって例によって頭を背後に預けながらしばらく目を瞑って静止した。一〇分かそこら物思いを巡らせたあとに上がって身体と頭を洗うと、出てきて髪を乾かした。そうして洗面所を抜けてすぐに下階に下り、衣装部屋にいた母親にお先にと挨拶して、明日、髪を切りにいくと力ない低い声で告げておき、自室に帰ると、二〇〇五年のBlack Sabbathのライブ映像、「Black Sabbath - Live At Ozzfest 2005 (Full Concert)」(https://www.youtube.com/watch?v=D9yawWUIit0)を視聴しはじめた。Ozzy Osbourneもこの時点でもう六〇歳近くだから仕方がないが、Ozzyという人はまったく歌が下手糞だなあと思う。年齢に関わらず、歌が大して上手くないのは昔から同じか。それにしてもこの映像の彼はあまりにもヘロヘロで声が全然出ておらず、挙動もとても格好良いとは言えないふらふらとしたものだが、ハードロックなんてちょっとダサいくらいで良いのかもしれない。それに、無邪気な子供のように笑顔を見せながらぴょんぴょん飛び跳ねていて、ともかくも楽しそうではある。対してTony Iommiは、ギターの腕はほぼ衰えていないように聞こえるし、風貌としてもわりと良い歳の取り方をしているようだ。
 その後、Black Sabbathの近年のライブ映像をいくつか視聴した。二〇一七年に"The End"と題された最後のツアーを行ったらしく、その時のパフォーマンスがオフィシャルで提供されていたのだ。ドラムのBill Wardは不参加で若い人がサポートを務めているが、ほかの三人は皆この時点で七〇手前のはずで、爺、無理すんなよ、と言いたくもなるが、二〇〇五年のOzzfestの時よりもさらに年寄ったこちらの方が、Ozzy Osbourneの歌が上手いのには笑ってしまう。しかしオフィシャルの映像だし、おそらくは編集を施されているのだろう。彼にしては安定しすぎているのだ。対してTony IommiとGeezer Butlerは、七〇歳目前の爺さんにしては相当に頑張っているように思われ、衰えはほとんど見られないようだ。
 そうして一一時半から辻瑆・原田義人訳『世界文學大系 58 カフカ』を読みはじめた。「流刑地で」はそれほど印象深い点は見つからず、読書ノートに書きこみをすることもなくさらりと通過してしまった。しかし、そのあとに収録された「火夫」がかなり面白く、一時半頃になると「どん兵衛」の肉うどんを用意してきて食ったのだが、そのあとで感想を読書ノートに綴るのに時間が掛かってしまった。「火夫」は以前読んだ際の朧気な記憶によるともっとでたらめに書かれているような印象だったのだが、今回読み直してみると、思いの外によくまとまっているという感触を得た。正確には、カルルが火夫とともに事務室を訪れるあたりまでは、雨傘を忘れて船内の通路をあてどなく彷徨う彼の歩みと同様に、先を見通すことのない行きあたりばったりな書き方で作られているような気配があるものの、そのあとの事務室での話し合いにおけるそれぞれの人物の権力関係、そして状況の変化を絶えず注視しそこに干渉しようとするカルルの観察眼などは、かなり緊密に、上手く組み立てられているように感じられた。そして、話し合いのこじれが頂点に達したその瞬間に鮮やかに差しこまれる上院議員の介入である。つまり、それまで偶然その場に居合わせているだけだと思われ、何者だとも知れなかった「竹のステッキをもった紳士」(400)が、実は主人公カルル・ロスマンの伯父だったという新事実が明かされるのだが、カフカがどの時点でこの展開を考えついたのかは無論わからないものの、権力者の一声でそれまで場の中心にあった火夫の待遇改善の訴え――「正義に関する問題」(406)――が完全に放置され、カルルと伯父の個人的な親戚関係が話の中央に置かれて人々の関心を搔っさらってしまう流れなど、非常にリアリティを感じさせるものである。しかしもしかすると、カフカ上院議員の台詞――「それなら、私はお前の伯父のヤーコプで、お前は私の甥だ」(402)――を書きつけるその直前まで、この「新事実発覚」の展開を思いついていなかったのかもしれない。上院議員の実際の名前と、カルルの知っている伯父の名前とのあいだに微妙な異同があることもそれを表しているように思えなくもない。つまり、船長から「ヤーコプさん」と呼ばれる上院議員の本名はエドワルト・ヤーコプと言い、そこではヤーコプの名は姓の方に据えられているのに対し、カルルが知っている伯父ヤーコプの名前は洗礼名のものなのだ。この矛盾は、「おそらく名前を変えたのだろう」(403)というカルルの推測によってあっさりと、実にそっけなく解決されているのだが、これは、紳士の名前が初めて明らかになる時点――「この青年に何かおたずねになろうとされたのではありませんか、ヤーコプさん?」(402)という船長の呼びかけ――では、カフカのなかにまだ、彼をカルル・ロスマンの伯父として仕立てるというアイディアがなかったことを示しているのかもしれない。いずれにせよ、おそらくカフカはこの小篇を書き進めていくうちのどこかの時点で、まったくの偶然によってちょうど良い落としどころを見つけたのだろう。あるいはご都合主義と見做されるかもしれないその急展開は、しかし端的に見事であり、何だったら「美しい」とすら言ってしまいたくなるような嵌まり方である。カフカにしては珍しく、この作品は非常に上手く行ったもの、意図せずしてたまたま成功してしまった[﹅6]ものなのではないだろうか。


・作文
 10:34 - 11:04 = 30分(29日)
 11:30 - 11:57 = 27分(30日)
 14:58 - 15:33 = 35分(30日)
 15:34 - 17:01 = 1時間27分(26日)
 17:05 - 17:31 = 26分(26日)
 18:05 - 18:20 = 15分(30日)
 18:20 - 18:42 = 22分(26日)
 20:19 - 21:38 = 1時間19分(30日)
 22:25 - 22:52 = 27分(30日)
 計: 5時間48分

・読書
 11:59 - 13:00 = 1時間1分
 13:15 - 13:38 = 23分
 13:47 - 14:17 = 30分
 14:33 - 14:50 = 17分
 23:31 - 26:48 = 3時間17分
 26:54 - 27:09 = 15分
 計: 5時間43分

・睡眠
 2:00 - 10:10 = 8時間10分

・音楽