2019/11/4, Mon.

 一九四五年二月に私が移送された列車は、フォッソリの中継収容所から出発した初めての列車だった(それ以前はローマやミラーノから出発していたが、それに関する情報は届いていなかった)。その直前にイタリアの公安部から収容所の運営権を取り上げたSSは、旅行について明確な命令をいっさい出さなかった。彼らは長い旅になるということだけを知らせ、前に述べた下心のある、皮肉な忠告がもれ出るようにした(「金や、宝石や、とりわけ羊毛や毛皮の服を持っていくといい、寒い国に働きに行くのだから」)。収容所のリーダーは、彼も移送されたのだが、良識を働かせて、適度の食料を準備していた。しかし水は持って来なかった。水にはほとんど金はかからない。それなのにドイツ人は一滴の水もよこさなかった。彼らは優秀な組織能力を誇っているのに……また貨車ごとに便所の役割をする容器を備えつけることも考えなかった。この手落ちは非常に重大なものだった。渇きや寒さよりももっとひどい苦しみを与えたからだった。私の貨車には男女の老人がいたが、その中にヴェネツィアユダヤ人養老院のものたちが全員そろっていた。すべてのものがそうだったが、特に彼らにとって、人前で排泄することは非常に苦痛な、不可能なことだった。それは私たちの文明生活ではあり得ない精神的な外傷であり、人間の尊厳に加えられた深い損傷であり、予兆に満ちた、悪趣味な侵害であった。しかしそれは理由のない、意図的な悪意の印でもあった。私たちには逆説的な幸運であったが(私はこの文脈では、この言葉を使うのはためらわれる)、私たちの貨車には数カ月の赤ん坊を抱えた若い母親が二人いて、その一人がおまるを持っていた。そのひとつのおまるを、五十人ほどが全員で使わなければならなかったのだ。旅行を初めて二日後に、私たちは木の壁に釘が打ってあるのを見つけ、その二本を片隅に打ち込んで、ひもと毛布で、実質的には象徴的な意味しかなかったが、急ごしらえの隠れ場所を作った。私たちはまだ獣ではなかったし、抵抗しようとする限りはそうならないはずだった。
 この最小限の道具さえなかった他の貨車で何が起きたのか、想像するのは難しい。列車は、二、三度、開けた野原で止まり、貨車の扉が開けられ、囚人たちは降りるのを許された。しかし鉄道から遠ざかったり、身を隠してはならなかった。また一度駅で扉が開けられたが、その時はオーストリアの乗り継ぎ駅で停車中だった。警備のSSたちは、男や女がプラットホームや、線路の真ん中で、ところ構わずしゃがみ込むのを見て、喜びを隠しきれなかった。そしてドイツ人の乗客たちは嫌悪感をあらわにした。こういう人間たちはその運命に値する。どう振る舞うか見れば十分だ。彼らは人間ではなく、豚、獣だ。それは太陽の陽射しのように明白だ。
 実質的にはこれが始まりだった。その後の生活では、ラーゲルの日々のリズムの中で、羞恥心への侵害は、少なくとも初めのうちは、全面的な苦しみの中の重要な部分を占めていた。例えば決められた、切迫した時間に、目の前に次の番を待つものがいる状況で、巨大な集団便所に慣れるのは簡単ではなかったし、苦痛であった。そのものは立ったまま、時には哀願調で、時には居丈高に、十秒ごとに声をかけてくるのだった。「まだ終わらないのか[ハスト・ドゥー・ゲマハト]」。しかしながら数週間のうちに、その居心地の悪さは消え去るまでに弱まってしまう。慣れが不意にやって来るのだ(すべてのものにではない!)。それは人間から獣になる変身が、順調に進んでいることを思いやり深く示していた。
 (プリーモ・レーヴィ/竹山博英訳『溺れるものと救われるもの』朝日新聞出版、二〇〇〇年、125~127)


 八時起床。快晴。ベッドを抜け出してテーブルの前に立てば、窓から光が通って足もとに溜まり、足先に触れるのが温かい。コンピューターを就けてEvernoteをひらき、前日の記録を付けてこの日の記事も作成すると、早速日記を書きはじめた。と言って前夜の終盤はひたすらフランツ・カフカ「判決」を読んでいただけなので、ほとんど書くこともない。七分で早々と仕上がって、ブログやTwitterやnoteへの投稿も速やかに済ませた。そうして部屋を抜け、上階に行けば居間は無人で、母親はこんな朝早くからどこかに出掛けたようなのだが、特に書置きもない。寝間着を脱いでジャージに着替えるその傍らで、ソファや炬燵テーブルの上には澄んだ陽射しが乗り、床にも日向がひらいて足もとは温かいが、身体の上部を包む空気の感触はもう結構晩秋めいたものである。窓外を見通せば近所の屋根が油を塗られたように輝き、液体的な白さが瓦の上に不定形なアメーバのように広がっていた。冷蔵庫を覗いてみると昨晩のおかずであるピーマンと肉の炒め物があったので、それを取り出し、加えていつものようにハムエッグを焼くことにして、ハムと卵二つも調理台の上に出した。炒め物は電子レンジに入れておき、温めているあいだにフライパンに油を引いて、ハムを四枚敷き、二つの卵を、黄身を崩さないように優しく割り落とした。そうして丼に米をよそり、炒め物の加熱が終わると卓に持っていって、戻ってくるとハムエッグも大方焼けていたので丼に取り出して、卓に移って食事を始めるとともに、下階から父親が、伊集院光のラジオの音を伴って上がってきたのでおはようと挨拶をする。お母さんはもう行った、と訊くので、どこに出掛けたのかと問えば、仕事だと言う。早番なのだろうか。そう言えばいつだかに芋掘りに行かなければならないとか言っていたが、もしかしてそれが今日なのだろうか? まあどちらでも良いのだが、新聞を読みながら食事を取った。社会面には座間のアパートに女性を連れこんで殺害し、現金を奪っていた白石何とかいう被告へ取材した記録があって――彼は今、立川拘置所に収監されているらしい――読んでみると、弁護士の活動を「正直めんどくさい」と漏らしていたり、被害者への謝罪の気持ちはあるかと問われたのに対して、ツナ缶一五個を差し入れてくれないと答えない、そうでないとモチベーションが上がらないなどと応じたりしている。かなり屑らしい人間だという印象を受けたものだ。反省といったような心の働きはどうもないらしい。そのほか国際面から、二日に行われた香港の抗議活動に際してまた二〇〇人ほどが逮捕されたとの報を読み、父親がトイレに行っているあいだに食器を洗って下階に下りた。急須と湯呑みを持ってもう一度上がってくると、トイレから出た父親は明るいソファに就いて伊集院光のラジオを流しながら携帯を見つめている。こちらは緑茶を用意すると階段を下り、自室に入れば時刻は九時、この日の日記を早くも書きはじめてここまで記せば九時一七分である。何と勤勉なのか!
 それからSlackにアクセスしてみると、T田がミックスして仕上げた"C"の音源を上げていたので、一一月二日に上げられていたものと合わせてダウンロードし、聞いてみることにした。椅子に座り、ヘッドフォンを頭につけてじっと音楽に耳を傾けたが、20191102版はT田自身やTが言っている通り、確かに歌が少々引っこんでいるような印象を受けた。20191104版と20191104a版は差異が微妙だったので何度か交互に流して聞き比べた結果、前者の方が歌がアンサンブルのなかに親和的に溶けこんでおり、後者は「こっちの方が確かに抜けやすいけど、奇麗じゃなく感じる」とT田が述べている通り、いくらか輪郭が際立っているような印象を持った。ただし、T田とは違って、特に「奇麗じゃなく感じる」ということはなく、前者にせよ後者にせよバランスが良いではないかと思った。それで以上の旨を下のような文言に認めてSlackに投稿しておいた。

T田、お疲れ。
上記三つの音源を聞いてみた。
20191102は確かに歌が引っこんでいるように感じられるな。
20191104と1104aはどちらもバランス良いと思うが、前者の方がボーカルの輪郭が幾分まろやかで、楽器のなかに親和的に溶けこんでいるように感じられるのに対し、後者はそれと比べるとやや輪郭が立っているように聞こえる。この印象は正当なものだろうか?
これが正しいとすると、前者の一体的な融合感を取るか、後者の独立的な分離感を取るかということになると思うのだが、俺の好みは強いて言えば前者かな。後者も特に綺麗ではないとは感じられず、全然良いと思うが。
あとこれはミックスの話ではないけれど、間奏の最後の四小節、ジャッ、ジャッ、ジャッ、ジャッと刻んでいるところでは、急に動きが単純になるような印象を受けたので、右ギターで八分音符で上下するようなフレーズを何か入れても良いのかもしれないとも思った。
以上。

 それからずっと放置していた「MN」さんへの返信をようやく作りはじめたのだが、これが全然上手くまとまらず、相手の発言を何度も読み返して思ったことを書き出したりしながらもいくらも進まず、あっという間に二時間が経って一二時を越えてしまった。あまり正面から向かい合って苦心してばかりいても難しいだろう、ひととき離れるかと思って、FISHMANS『空中キャンプ』を流しながら極々軽い運動を始めた。屈伸をして、前後に開脚をして、左右に方向を変えて下半身をほぐし、いくらもやらないうちにベッドに移ると、そこから足の爪を切った。歌を歌いながら鑢掛けをして、ティッシュを丸めてゴミ箱に捨てておくと、FISHMANS "あの娘が眠ってる"を歌い、それからここまで日記を書き足して一二時四三分。散歩に出ようかという気になっている。
 玄関の鍵をポケットに入れて部屋を抜け、階段を上がり、仏間に入って靴下を履くと玄関に行った。外に出ると家の正面には父親の真っ青な車が停まっており、トランクが開いているが父親当人の姿はない。玄関の鍵を閉めておき、道に出て西に向かって歩きだすと、午後一時前の陽射しが視界の上部に侵入して眩しく、道の先を見通すためには額に右手を当てて廂にしなければならず、それを外すと思わず顔を伏せてしまうような明るさである。それでも光の分厚さはさほどでなく、さすがにもう一一月にもなれば空気は乾いて清涼だった。
 坂道に掛かり、秋虫の乏しい音のなかを上っていって、日蔭に入れば途端にすっと空気は涼しさを増す。坂を上りきって裏路地を行けば、途上の西空には夏のそれのように量感豊かな雲が広く盛り上がって、道端の樹々の葉にも光が溜まって艶めいている。街道が近くなって緩やかな曲がり角を折れた頃、どこかで何か燃やしてでもいるのか、辺りに朦々と煙が湧いていて、そのなかから子供の声が聞こえてきた。
 表に出ると通りを渡り、東に方角を変えてまた裏に入って、軽く坂となった道を行く。陽射しが通って歩いてもいるからさすがに少々暑くて汗を滲ませながら、墓地の前を過ぎ、保育園も越えて行けば、一軒の塀の前でその家の老婆が、柚子か何か柑橘系の樹が塀内に生え伸びたその実ではなく葉っぱの方を、背を伸ばして取りながら、陽が当たってるから全部黄色くなっちゃうわ、と連れ合いに向けて呟いていた。
 駅を越えて街道を南へ渡り、さらに東へ進んでいって、肉屋の横から木の間の坂道に折れた。抹茶色に苔生した階段をゆっくり一歩ずつ下っていくあいだ、脇の林のなかで鳥が飛び交わし鳴き交わししているのに、立ち止まって目をやったけれど、もうよほど視力が悪くて、葉に隠れて枝先に落着いた鳥の姿も定かに見えず、薄緑のなかの微かな色の乱れとしてしか認知できなかった。顔に蜘蛛の糸が引っ掛かってくるのを外しながら坂を下りていく。
 帰宅するとレトルトのカレーを食べることにして、玄関の戸棚から一袋取り出し、フライパンに水を注いで火に掛けて、そこに早速パウチを放りこんでおいて下階に帰った。「MN」さんへの返信だが、一挙に全部の論点を拾い上げてそれらを繋げようとせずとも――そうすると非常に長くなってしまいそうでもあるし――少しずつ分割して個々の事柄に触れていけば良いのだと歩くあいだに思いついたので、そのような方針に従ってひとまず短い返事を拵え、送った。

 またしても返信が大変遅くなってしまい、申し訳ありません。

 「MN」さんのお返事を読んで、考えたことを一挙に述べようと思ったのですが、どうもうまく整然とまとまりませんし、やたらと長くなってしまいそうでもあるので、まずは細かく分割して、疑問点をお尋ねさせていただくことにしました。

 まず、人間の「愚かさ」についてですが、「MN」さんの言う「愚かさ」とは、軽蔑するべき劣悪さと言うよりは、人間がどうあがいても嵌まってしまわざるを得ないような不可避的な性質だということですね。大抵の人々は、と言うかむしろすべての人々が、かもしれませんが、程度の差はあれ、それこそ「紋切り型の文句」を組み合わせることでしか言語活動を構築することができない。そして、それでコミュニケーションは充分成立するわけです。従って、日常的な交流における人間の言葉はそれほど繊細な読解を必要とするほどに入り組んだものにはならず、表面的で、「軽薄さ」を孕んだものであるのがむしろ常態である。そこにおいては当然ながら、様々な齟齬や軋轢が発生するけれども、そうしたディスコミュニケーションは表のコミュニケーションに常に付き纏う裏面のようなものなのであって、人間の意思疎通という領域において、そのような「濁りがち」な言語使用を閑却することはできないと、概ねそういうことかと理解しました。これは正当なご指摘だと思います。

 これに対して教育ができることは、「言葉の濫用を中止させること」だと「MN」さんは述べておられます。「言葉の濫用」とは具体的には、それに続いて言及されているように、「過度の感動に応援を求めたり」、「興奮や共感を呼び起こすために大仰な言葉を使ったり」することを指していると思われます。教育という営みが一つには、そのような抽象的な感情の動員を促すような言語使用を差し控えさせ、「言葉の上滑りに耐える事を教える」役割を持つということには、こちらも全面的に同意するものです。

 ただ、「言葉の濫用を中止させること」という文言の前に、「言葉を上手く使わせることではなくむしろ」という前段が付け加えられているのに、こちらとしては疑問を感じます。僕の考えでは、「言葉を上手く使う」能力とはまさしく、上のような意味での「言葉の濫用」を控えること、曖昧な感情に無闇に訴えるような物言いを排除して、地に足のついた明晰な論理を組み立てるための技能ではないかと思うのですが、「MN」さんの記述からは、「言葉を上手く使う」ことが「言葉の濫用」に直結するかのように読み取れるように思われます。この点は具体的にどのようにお考えなのでしょうか。

 また、終盤には、大学教育の「ネガティブな効用」として、「解釈を停止する」ことと、「上滑りに耐える」ことが並置されていますが、これらの関係についてもこちらはいまいち明確に理解しきれていません。解釈を重ねれば重ねるほど、人は紋切型に嵌まりこんでしまうということなのでしょうか? このあたりの事柄について、まずはご教示いただけるとありがたいです。

 そうして上階に上がり、台所に入ると大皿に米をよそって、沸騰した湯のなかからパウチを取り出して鋏で開封し、白米の上に濃褐色の、栄養分が深々と蓄えられている土のような色のカレーを掛けて、そうして卓に移ると新聞をひらいて米を食いはじめた。新聞からはアメリカ大統領選まで一年という時点での趨勢を報告する記事を読んだが、伝統的に民主党支持だった自動車労働者や炭鉱労働者が、やはりドナルド・トランプの方に傾斜していると言う。その記事だけ読んで早々とものを食べ終えると、使った皿とスプーンを洗っておき、下階に下った。そうして、過去の日記の読み返しである。一年前の日記には特段のことは書かれておらず、次にひらいた二〇一四年二月五日水曜日は、この時期にしてはそこそこ上手く、頑張って綴っている気配があったものの、引いておくほどの言葉は見られない。それからfuzkueの「読書日記」、Mさんのブログを三日分と読み進めて、そこで時刻が二時半直前に至ったので、洗濯物を取りこむために部屋を出た。上階に移ってベランダに出て、澄明な陽射しのなかに吊るされてよく乾いたものたちを室内に入れていく。全部取りこむとガラス戸を開けたままにして涼しい気を流しこみながら、まず集合ハンガーからタオルを外し、ソファの背の上にまとめて乗せて、一枚ずつ取り上げては縁を触って表裏を確認し、畳んで積み重ねていった。終えるとバスタオルとまとめて洗面所に運んでおいて、それから肌着の類を整理し、父親のジャージも畳んでおくと、玄関の戸棚から最後に残った柿の種の一袋を取ってポケットに入れ、塒に帰ると急須と湯呑みを持ってもう一度上がり、仕立てた緑茶を持ってまた下階に戻った。そうして次に、Sさんのブログを読み進め、最新記事まで読んでしまうとさらに長濱一眞「ユートピアの災難――「いますぐ自由と責任を請負った行動をとってください」」(https://dokushojin.com/article.html?i=6163)も読んだあと、英文に触れはじめた。Steven Poole, "‘Alt-right’, ‘alt-left’ – the rhetoric of hate after Charlottesville"(https://www.theguardian.com/books/2017/aug/18/steven-poole-words-charlottesville-alt-right-alt-left)である。

・coinage: 新造語
・semblance: 外見、外観
・babbler: チメドリ; おしゃべりな人、ぺちゃくちゃ喋る人
・smear: 中傷
・smear word: (人を中傷する)あだ名、レッテル
・descriptor: 記述子
・eugenics: 優生学
・complimentary: お世辞を言う、称賛の; 優遇の
・weak-kneed: 腰抜けの、弱腰の
・Manichean: マニ教徒の、二元論的な

 二〇分足らずで読み通したあと、最後に読みさしにしてあった蓮實重彦講演「ジョン・フォードと『投げること』 完結編」(http://www.athenee.net/culturalcenter/special/special/hasumi_f.html)をひらき、蓮實重彦が次々と紹介していくジョン・フォードの映画のシーン解説を読んだ。以下の発言にはちょっと笑わされた。蓮實重彦という人は、一面では非常に嫌らしいような皮肉家だが、もう一面、多分講演などではここに表れているようなちょっとした軽妙さを結構披露する人なのではないかという気がする。

 ジョン・ウェインは早く捜索を続けようと言うのですが、食卓のジェフリー・ハンターはかたわらに美しいメキシコ女性がいたりしてなかなか動こうとしない。そこで、ジョン・ウェインが飲んでいたテキーラを火のなかにくべると、真っ赤な炎が燃え立つのです。このシーンをはじめて見たとき大学生だった私は、あ、『駅馬車』でやったことをまたやっている、フォードも好きだなあと思いました。それが今から45年ぐらい前ですから、いまだにそれにこだわっている私も好きだなあというほかないのかも知れません。撮る方も、見る方もこんなことばっかりやっているんだなあという気がいたします。お互い様というわけです。(……)

 (……)ところで、この作品を撮った直後にヘンリー・フォンダが日本に来て、フォードは「優れた監督であった」と過去形で言ったのです。私はそれを新聞で読みまして、以後、ヘンリー・フォンダと別れようと思ったわけです。今まで見てやってきたが、もうお前さんとは手を切ると。したがって、『荒野の決闘』という作品もそれまでは良いところがあると思ったが、良くないことにしようと自分に言い聞かせ、そのように振る舞いはじめました。これを「転向」と言うんですね。私が「転向」した作品であるということは不幸なんでしょうか、幸福なんでしょうか。しかし、ヘンリー・フォンダが主演したジョン・フォードの映画で素晴らしい作品はたくさんありますので、大きな問題はありません。(……)

 さてそして、それから音楽を聞こうというわけで、今日も一九六一年六月二五日のBill Evans Trioの奇跡のライブから二曲鑑賞することにして、"All Of You (take 2)"と"Alice In Wonderland (take 1)"とを耳に流しこんだのだったが、生憎睡気が差していて、それにやられてまともな聴取にならなかったようで印象は何も残っていない。それで、これではいかん、久しぶりに昼寝をしようというわけで、もう時刻は四時にも掛かって陽も落ちてきたのにベッドに入った。そのうちに容易に寝ついたようで、気づけば部屋は暗がりと化し、ひらいたカーテンから覗く窓の外では半月になりきらない月が、雲に隠されてはまた現れることを繰り返して、黄昏の空のなかに黄色混じりの白さが小さく付されている。それを見ながら長く起き上がれずに苦しんで、六時前に至ってようやく身体を起こして明かりを灯した。一時間四〇分ほど寝床にいたわけで、今日の睡眠時間は合わせて六時間四〇分、まあわりと適度なのではないか。そうして上階に行くと、母親は当然仕事から帰ってきており、もう食事の支度も済まされてあったが、レタスと胡瓜をサラダにしてくれと言うので台所に入って手をよく洗い、レタスを一枚ずつ剝いて千切ったものを洗い桶に入れていき、その上から胡瓜もスライサーで細かくおろした。そうして水を流しこみ、手で搔き混ぜて洗ったあとに笊に上げておくと、便所に行って用を足し、それから塒に帰ってくればちょっとだらだらしてしまったが、六時半から日記を書き足してここまで綴って七時九分、順調である。カフカ「判決」の感想や分析を書きたいのだが、これもまたやたらと長くなりそうで、しかもそのわりに大したものにならない気がするのでなかなか手が伸びない。
 大概面倒臭いので食事と入浴の時間のことは省こう。夕食のメニューだけ書いておくと、エノキダケや卵の入ったおじやにキャベツやレタスや胡瓜のサラダ、あと一品あった気がするが何だったか忘れた。汁物ではない。入浴後、緑茶を用意しに来た時に、酒を飲んだ父親がテレビでラグビーの様子を見ながらまた騒いだり感極まったりしていて、まったく恥ずかしい人間だなと思ったのは覚えている。しかし、同じように競技場で集まって熱狂している人々を見ても特に恥ずかしいとは思わないのに、こと肉親の様子になるとそのように感じるのは何故なのだろう? 家族であるということが関係しているのか、それとも普段の様子とあまりにも違う点にそれを見ているのか、あるいは酒を飲んで感情の箍が緩んだその理性の放棄を軽蔑するのか、さらには集団でなくてただ一人で騒いでいるさまを滑稽に思うのか、色々と可能性は考えられるが答えは見えない。
 九時一九分から零時過ぎまで、ひたすらカフカ「判決」についての感想を書き綴った。感想というよりは、読んでいるあいだの自分の思考の流れを追うみたいなことになっているが、結局それだけ時間を掛けてもまだまだ完成はせず、論をまとめるにはやはりピースが足りない感じがする。そういうわけでまた読み直して読書ノートにメモを取ってみようと考え、しかし身体が疲れたのでコンピューター前でなくベッドのなかでそれをやることにしたのだが、そうすると当然のことながら睡気が湧いて作業はまったく進まず、一時を越えて気がついたので眠ることにした。


・作文
 8:13 - 8:20 = 7分(3日)
 9:02 - 9:17 = 15分(4日)
 9:58 - 12:16 = 2時間18分(DM)
 12:34 - 12:43 = 9分(4日)
 18:32 - 19:10 = 38分(4日)
 21:19 - 24:01 = 2時間42分(「判決」について)
 計: 6時間9分

・読書
 13:48 - 14:27 = 39分
 14:40 - 15:06 = 26分
 15:07 - 15:25 = 18分
 15:29 - 15:43 = 14分
 24:12 - ? = ?
 計: 1時間37分

・睡眠
 3:00 - 8:00 = 5時間
 16:10 - 17:50 = 1時間40分
 計: 6時間40分

・音楽

  • G, "C(20191102)", "C(20191104)", "C(20191104a)"
  • FISHMANS『空中キャンプ』(途中まで)
  • FISHMANS, "あの娘が眠ってる"
  • Bill Evans Trio『The Complete Village Vanguard Recordings, 1961』(Disc 2)
  • Bill Evans Trio, "All Of You (take 2)", "Aice In Wonderland (take 1)"
  • Richie Kotzen『Mother Head's Family Reunion
  • Robert Glasper Experiment『Black Radio』