2019/11/8, Fri.

 私は仲間の何人かが見せる奇妙な現象にしばしば気がついた(時には私自身もそうなった)。「良い仕事をする」という熱望は非常に深く心に根づいているので、自分の家族や味方の害になる敵の仕事さえも、「良くやってしまう」ように突き動かされるのだった。それを「まずく」するためには、自覚して努力する必要があった。ナチの仕事をサボタージュするには、それは危険なことである以外に、祖先伝来の心の内部の抵抗を克服する必要があった。(……)
 (プリーモ・レーヴィ/竹山博英訳『溺れるものと救われるもの』朝日新聞出版、二〇〇〇年、140)


 八時のアラームが鳴り出す直前に一度覚めて、ベッドを抜け、携帯を手に取ると七時五九分だった。一分間待ってアラームが鳴るのを未然に防ぎ、そこで起床してしまえれば良かったのだが、何故だかふたたびベッドに戻ってしまい、ふたたび眠りに陥って、気づけば一一時を迎えていた。窓の向こうは今日も雲が消え去って偏差ない青さに包まれた快晴で、太陽は南に浮かんで網戸の目のあいだに天の川の縮図めいた光の筋を引っ掛けて、ガラスの表面の砂埃の汚れや蜘蛛の糸も露わに浮き彫りになっている。その様子を少々眺めてからベッドを抜け出し、コンピューターに寄ってスイッチを押し、少々待ってからログインすると、ブラウザを立ち上げTwitterを眺めて、総計で三万字も越えてわりと力を費やしたカフカの感想記事にまったく反響がないことを確認してから上階に行った。母親に挨拶してジャージに着替えながら飯はあるのかと訊くと、カレーを作ったと言う。有難いことである。それで台所に入ってカレーの大鍋に火を点けて、冷蔵庫からは昨晩の牛肉のソテーが小さな鉢に入ったのを取って電子レンジに入れ、鍋が焦げないようにカレーの火を弱めておくとトイレに行った。放尿して戻り、しばらくカレーを熱して沸騰させると大皿に盛った米の上に少しずつ掛けていく。そうして牛肉のソテーとともに卓に運んで、食事を始めた。カレーは少々味が薄く、粘度も緩いものだった。それでも一杯食べると二杯目をおかわりし、傍ら新聞をひらいて国際面から、トルコの越境攻撃を受けて難民化を強いられたクルド人たちの苦境について読みながらスプーンを口に運ぶ。食べ終わると皿を洗い、それから風呂も洗いに行って、出てくると今度はアイロン掛け、炬燵テーブルの端に台を置いてその前にしゃがみこみながら、テレビの天気予報を見つつ布を伸ばす。明日明後日は引き続き晴れの日だが、月曜日には天気が崩れるようで、最高気温も一五度と言うからなかなか寒い。一二時に至るとNHKのニュースが始まって、冒頭、香港の抗議活動で初めての死者が発生したという報が伝えられた。警察の強制排除の合間に、複合施設か何かの四階から三階に転落したらしく、病院に運ばれて重体となっていた二二歳の大学生がいたところ、その人が亡くなったと言う。正式には初の死者ということになるのだろうが、ただし、抗議活動に際して自らの命を擲[なげう]って自殺しながら香港の未来を案じた若者も確か数人いたはずである。いずれにせよ、これで抗議活動はまたエスカレートするだろう。警察もより強硬な姿勢を取り、第二第三の死者が出るという悪循環に嵌まってしまうのだろうか。
 アイロン掛けを終えると電気ポットに水を足しておいて下階に下った。自室に入ってコンピューターの前に立つと、Evernoteを立ち上げて、前日の日課記録を完成させるとともに今日の記事を作成し、冒頭にプリーモ・レーヴィの文言を引いておく。それからインターネット各所を回り、この日の日記を早速書きはじめようというところで便意が高まって尻が圧迫されたので、トイレに行くついでに茶を注いでくることにして、急須と湯呑みを持って部屋を出た。こちらが上階のトイレに入って糞を垂れているあいだに、母親は仕事に出掛けていったようだ。トイレから出てくると緑茶を用意する段で、いい加減今の茶の味にも飽きてきたので、確かI.Y子さんがくれたものだと思うが戸棚のなかにある茶を開封しようかと思ったところが、茶葉を保存しておくための茶壺が見当たらない。それで仕方がなく、今日もKの葬式の返礼品として貰った茶を飲むことにして、三杯分を用意した。急須と湯呑みで両手を塞いで部屋に戻ってくると、この日の日記を書き出して、ここまで記せば一二時四六分。今日は返却期限がやって来た本を一旦返してまた借りるために地元の図書館に行かねばならず、さらに立川に出てそちらの図書館でも本を見分しようかと思っている。そのためにはまず、前日の日記を速やかに仕上げなければならない。
 そういうわけで前日分の記事を書くことに邁進した。一時間強綴って二時直前に達したところで、何故か五分間のインターバルが入っているのだが、これは多分、Bill Evans Trioなどの音楽についての感想をTwitterに呟いていた時間ではないだろうか。Twitterに長々と日記の一部を流しても全然反応もないし、多分ほとんど誰にも読まれていないような気がするので、もう少し投稿を抑えて、その日の日記のなかで一番よく書けたと言うか、価値のありそうな箇所一つだけを日記のプレビューのような形で紹介していくのが良いかもしれない。それからふたたび打鍵に取り掛かって、二時四〇分に至って七日の記事を完成させた。打鍵のあいだは小沢健二『LIFE』を流して時折り口ずさんでもいた。七日の記事をブログやnoteに投稿するとベランダの洗濯物を取りこむために上階に行った。ガラス戸をくぐって外に出れば、三時にも達しようとするともう結構陽が低く、ベランダには当たらずタオルがいくらか冷えており、足もとには乾いた落葉が混ざりはじめている。下方のSさんの宅では、よくも見なかったがショベルカーが出張って土を掘り、土地を均して整えているようだった。吊るされたものを室内に運び入れるとタオルを畳み、そのあいだ、窓の位置関係で見えないがショベルカーの音ががたがたと伝わってくる。畳み物はタオルのみで下着は放置して階段を下り、歯ブラシを取って室へ戻ると、過去の日記を読み返しながら歯磨きをした。一年前の日記では、「「面白い」「楽しい」という感覚をもう随分長いこと覚えていないので、それがどのようなものであったかもはや忘れてしまった」と述べている。未だ病気の圏域に囚われているようだ。今は、病前に比べると全体に感情は穏やかに円くなったものの、感性は確実に戻ってきていると思う。それから二〇一四年二月一三日から一四日に掛けての日記を読んだ。この日は祖母の葬儀を執り行っており、通夜から告別式の日に掛けて斎場に泊まったので二日分まとめての記述になっているのだが、この一四日に大雪が降ったのを覚えている。
 日記を読むと一〇分が経って三時六分に達したので、口を濯いできて小沢健二の"ブルーの構図のブルース"を流して着替えに入った。下は冬っぽい濃い褐色のズボンを履くことに決めたのだが、上のシャツに迷った。と言うか、秋冬用のシャツが少なくて、新たに欲しいと思ったものの服に使うような金はない。結局、薄手のものだがGLOBAL WORKのカラフルなチェック柄のシャツを選び、それに紺色のジャケットを羽織った。ジャケットももう一着くらい買い足して三着を揃えたいものだ。
 着替えたあと、小沢健二 "大人になれば"を歌うと荷物を持って階を上がった。本を色々と運ばなければならないので、今日はリュックサックの装いである。仏間に入って椅子に腰掛け、赤地にアーガイル柄の入った靴下をゆっくりと履き、居間の引出しからBrooks Brothersのハンカチを取るとトイレに行った。用を足してくるとリュックサックを背負って出発、外に出れば太陽は林の樹々のなかに沈み巻きこまれて、光が木の葉の隙間に覗くのみ、空は曇ったようで家の前の空気は色を失っていると見たところが、道に入れば南の方にはまだ陽が掛かっており、坂道にも日向がいくらか残っていた。そのなかに入りつつ川を見やると、台風の余波はようやく消えたか、水は老いてまろやかに淡いような緑に染まっており、石がごろごろ敷き詰められた陸地も戻っている。上り坂を抜けると近間の樹々のなかにもうだいぶ黄色っぽいようなオレンジがかったような色が差しこまれていて、その上から陽を掛けられてさらに色を和らげていた。
 街道に向かい、表に出る前から、例のいつも大きな声で独り言を呟いている、あるいは目に見えない何者かと会話している高年女性の姿が見えた。淡い鶯色と言おうか、薄緑のコートを着ており、濃い褐色の健康そうな脛をいつも露わにしている。荷物はこの日はキャリーケースではなく、大きいものだが手提げの袋に変わっていた。立ち止まって髪を後ろで留め直していたが、そのような仕草はこの人にあっては初めて見るもので、その姿を見る限り尋常の人間と変わらぬように映るので、今日は喋っていないものかと思ったところが近くなるとやはり、朝鮮半島がどうとか不可視の存在と話しているのがわかって、横を抜かす歳には「すげえなあ!」という相当大きな声が耳を突いた。
 向かい風が滑って顔や首もとにまともに当たってくるものの、空気は暑くもなく寒くもなくちょうど良い具合に乾いており、空には雲が湧いて途上の東は曇ったレンズを覗いたように青と白とで畝を成し、背後、西では辛うじて太陽が雲から逃れて、行く先の路上に日向がひらいているが、もう陽がだいぶ低いので建物の影も街道を斜めに長く横切って広い。車の通りが今日は何だか多くて、渡る隙を見出せず、東へと向かって街道の北側を走る車たちは赤いテールランプを灯して詰まってさえいる。それで横断歩道で通りを渡れば老人ホーム前のハナミズキは赤一色でまとまって、かなり強くのっぺりと塗られた紅の葉も見られた。
 裏通りに入って家並みや線路の向こうの丘を見やれば、樹々から色はやや抜けて緑が幾分柔らかくなったようで、そのなかに鈍く赤味がかった樹も差しこまれ、ここ数日で一気に秋めいた感がある。路地には下校する女子高生の大群が生まれており、短いスカート姿でZARAとかH&Mとかの袋を携えた彼女らのあいだを、後ろから次々と抜かされながらのろのろと進んでいると、鴉が林から飛び立って、女子らの会話の声の合間にざらついた鳴きを降らせていた。
 青梅坂を越えた頃、後ろの方から浮気がどうとかセックスがどうとか聞こえてきて、男子高校生たちが猥談をしているようだった。文化センター付近まで来ると男らの団体がすぐ後ろに近づいてきたので脇に退いて先を譲れば、会話の主題は沖縄でナンパをしたのしないのという事柄に移っており、リーダー格らしい自転車に乗った騒がしい男子が友人のこととして、沖縄に行った時女の子とナンパして「イィヤーサーサー」したいと言っていた、と勢いこんで話していて、この「イィヤーサーサー」の独自語法にはさすがにちょっと笑いそうになった。一団が前方へ過ぎていったあと彼はまた、沖縄って土地が狭いじゃん、だから行くところもなくて、欲求が強い人が多いんだって、だからナンパして簡単にやれるって言ってた、と偏見に満ちた伝聞情報を撒き散らしていた。そのあとから男子一人、女子三人のグループがまた現れてこちらを抜かしていくのを見ていると、男子が多分恋人らしい隣の女子に、この太ももとけつのあいだが最高、と言って彼女のそのあたりを触っていた。どいつもこいつも盛っている。これではセクハラも世からなくならないだろうなと思った。
 駅に入り、ホームへ上がると人気のない二番線の方へ折れて前へ進み、小学校の裏の丘に視線を送ったが、樹々はまだ紅葉しておらず、渋い緑が多くを占めて、石段の最上段の端にある大銀杏も梢の先端をちょっと黄色に染めたのみで、まだ大方緑で統一されていた。立川行きの先頭車両に乗りこんで、短いあいだだが手帳にメモを取り、まもなく河辺に着いて降り、エスカレーターを上がって改札を抜けると図書館に向かった。全面ガラスで覆われた図書館のビルの表面に、雲のうねる空とその端から僅かに洩れた陽の光が映りこんでいる。眼下のコンビニはリニューアル中らしく暗い灰色のシートに囲まれており、一一月二七日からまたオープンという文字が視力の悪い目にも何とか読み取れた。二階の居酒屋は大きな広告を出して営業中であることを主張している。
 図書館に入るとカウンターに寄り、こんにちはと挨拶をして『アウシュビッツの沈黙』を取り出し、こちらは返却でと言いながら差し出したあと、ほかの三冊を手にして、こちらはもう一度お借りしたいと要望を述べた。予約が入っていなければと職員は言うが、入っていないことはホームページで確認済みだった。案の定大丈夫ですとの答えが返り、ほかに利用されますかと訊いてくるので、特にほかに借りるつもりはなかったがはいと肯定して三冊を受け取り、礼を言って場を離れ、CDの新着棚を瞥見したあと階段を上り、新着図書を見た。特に目新しいものはなかったと思う。トーマス・ベルンハルトの『アムラス』が姿を戻してまた現れていた。それから棚の前を離れて、背後の貸出機で手続きをして早々と退館した。
 歩廊の上を駅へ渡っていると、西南の果てには雲が広く湧いて雨に籠められたような青さに占められたなか、遠くの山影も薄く、同じ青の色で均されて溶けこんでいるが、左方、雲の端からは陽が幽かに洩れて水っぽさの裏に焼けついている。駅に入るとホームに下りて、先頭車両の位置に立ち、立ったままジャケットのポケットから手帳を出してメモを取りはじめ、まもなくやって来た電車に乗って七人掛けの端に就いた。脚を組んだその上に手帳を構えてペンを滑らせるあいだ、立川まで特別のことはなかったと思う。こちらの向かいには山帰りらしい装いの老人二人が乗っていて、疲れていたのだろうか、途中から眠りこけていた。
 立川に着いてもすぐには降りず、周りの乗客らが去っていくのを待ち、車両が空になるとそこに地味な高校生のカップルが乗ってきて、いちゃいちゃしはじめた。しばらくすると降りて無人になった階段を上り、壁際の焼きそば屋を見て腹が減ったなと思いつつ改札に向かい、抜けると人波でごちゃごちゃとごった返しているなかを進めば、ルミネカードを宣伝する音声が頭の上から降り注ぎ、駅舎出口の脇に立つ雲水の鈴の音もざわめきを割って鳴り響く。広場に出て通路に入って見上げれば空は雲を全面に張られて青白く、陽の感触はもはやなく、もうよほど暮れて、一刻ごとにさらに暮れていく午後五時前である。歩道橋を渡って左に折れ、HMVに向かった。モノレール線路下広場の大きなツリーは、さすがにまだ電飾を光らせてはいなかったが、電球の設置は既に大方済んでいるようだったので、そろそろイルミネーションを始めるのではないか。
 ビル内へ入り、ジャズの流れだすSUIT SELECTの前を過ぎて、嵐の曲を騒々しく流しているHMVに入店した。Tにプレゼントするつもりの中村佳穂の『AINOU』があるかどうか、見に来たのだった。どうせないだろうと思っていたところが何と棚の並びに見つかって、これでプレゼントは確保できたとレジに持っていき、店員に渡すとあの、と低く声を掛けて、プレゼント用の包装って可能ですかと尋ねた。店員はああ、と言ってしゃがみこみ、しばらくごそごそと物を探って、フラミンゴみたいな色の袋をカウンター上に取り出した。これにこのまま入れる形になりますが、よろしいですが、と言って、実に簡易なものだがまあないよりはましだろう。そういうわけで肯定し、三〇八〇円を支払って品物を受け取り、礼を言って場を離れると店をあとにしてからリュックサックに袋を入れた。
 建物を出て高架歩廊を歩道橋の方へと行けば、雲を掛けられた空はもう完全に光を失って、青暗い黄昏に包みこまれたなかで歩道橋の先、東の交差点付近のビルの屋上からクレーンが、天に向かって大きく斜めに突き出して、その先端で赤色灯が呼吸のように明滅している景色の、この点滅も幾度も過去に書いてきたものだなと懐かしく思い返した。突き当たりで右側、歩道橋に折れるのでなく左方に曲がり、この通路も久しぶりに通るものだと思いながら行けば高島屋の二階、外に面してある喫茶店は往時の記憶と異なっていて、「SARUTAHIKO COFFEE」という新たな店舗に変わっていた。それで高架歩廊を進んで数年ぶりに立川中央図書館の自動ドアをくぐり、ゲートのあいだを通ると初めに目についたのはリサイクル本の棚で、その数の多さからして地元の図書館とは比べ物にならない。見分してみると、『わが師シャガール』という著作があるのがちょっと気になったが、シャガールには今のところ凄く大きな興味はないし、積み本を無闇に増やすのも考え物かと思ってこれは見送ることにした。その他、岩波書店刊の『戦後デモクラシーの成立』という本もあり、なかを覗いてみると戦後ドイツの歩みにも触れられているようだったので、こちらは頂いておくことにしてリュックサックに入れた。それから新着図書の並びを眺めたあとにフロアを奥へ進み、最初にドイツ史の区画を見に行った。あるわあるわという感じで、『アウシュヴィッツの巻物』もあったし、ささま書店にあって買おうかどうしようか迷ったロバート・ジェラテリーの『ヒトラーを支持したドイツ国民』もあったし、棚の反対側に回ればウィリアム・シャイラー『第三帝国の興亡』全五巻も揃っており、そのほかにも興味深い著作は色々あって、ちょっとこれはやはりどうにも素晴らしいなと思った。それから哲学の区画に移ってここにも非常に色々興味深い著作があるのを見たが、特に、ミシェル・フーコーコレージュ・ド・フランスでの『講義集成』が、一部借りられているようで抜けていたがおそらく全巻揃っているのには感動した。『思考集成』の方まであったらまさに神だったのだが、さすがにそこまでは揃っていなかった。それに感動して哲学の区画は西洋のものを見たのみで、総論の棚や東洋の部分を見るのを忘れてしまったが、ともかくそれからフローベールの『ブヴァールとペキュシェ』を借りに行こうというわけで、フロアを横切って海外文学の方に移動し、フランス文学の棚を見たのだが、しかし『ブヴァールとペキュシェ』は借りられているようで見つからなかった。その他サミュエル・ベケット宇野邦一による新訳もあって、それを借りてしまおうかとも思ったのだったが、多分プリーモ・レーヴィの作品が何かあるのではないかと目星をつけて、イタリア文学の方に移ってみれば、果たして『リリス』があったのでこちらを借りることにした。そのほかに何か借りるべきか、借りるとして何を借りるべきか迷ったが、地元の図書館でも色々借りているから二冊までに絞ろうと決め、そうなるとやはりホロコースト関連の著作だろうということでドイツ史の棚に戻り、そうするとやはり『アウシュヴィッツの巻物』を読まないわけにはいかないだろうと思われたのでこれを取り、カウンターに向かった。そこで本を置き、Yから借りた図書カードを機械に読み込ませたところがしかし、有効期限が切れていると出たので、マジかと思って本を持ち、仕方なく今日借りるのは諦めて棚にそれぞれ戻しに行った。職員のいるカウンターまでお越し下さいとも表示されていたのでそれに従って更新を試みても良かったが、身分証明書の提示などを求められたら面倒でもあるし、ここは慎重に、別にそれほど急ぐわけでもないし、Y本人にやってもらった方が良いだろうと判断して、連絡を取ることにした。それで図書館を出る前に、便意がちょっと生じていたのでトイレに行き、個室に籠って糞をひり出したあと、手を洗ってトイレを抜け、そのまま図書館をあとにした。まだ五時半過ぎだったが、腹も減っていたしラーメンを食って帰ることにした。宵の空気に包まれた高架通路を戻り、歩道橋を渡ってドラッグストアになったビルの前を過ぎて伊勢丹の横から歩廊下に続くエスカレーターに乗った。降りると目の前にはまだ三歳くらいだろうか、小さな男児が立っていて、エスカレーターの間断ない川のような流れが面白いのだろうか、母親が呼ぶのも聞かずにその動きをじっと注視していた。まもなくふっと離れた男児は、母親が手を伸ばすのをしかし意に介さず、ふらふらと親から離れて気ままに歩くのだった。そんなさまを横目で見やりながら通りを行き、「味源」のビルに入った。入口の扉を横に引き、なかに入るときっちり閉めておき、食券機で塩チャーシュー麺とトッピングの葱の券を買った。今日フロアに出ているのはいつもの愛想の悪い若者ではなく、同じく若くてもわりと真面目そうできびきび動き、威勢もそれなりに良い男性だった。その人に食券とサービス券を渡して、サービス券の方はいつも通り餃子を頼んで、店の奥、カウンターの左端に就いた。店員がすぐにお冷やを持ってきてくれたので、水をコップに注いで口をつけ、それから携帯電話を取り出してYに連絡を取ろうと思ったが、彼の連絡先はアドレス帳に入っていなかったので、Yさん(叔母)に頼んでメールアドレスを教えてもらうことにした。その文言を認め送り、携帯を仕舞って、温かいものを食って暑くなるだろうからと脱いで隣席に置いてあったジャケットから手帳を取り出そうかどうか迷っていると、早くもラーメンが届いたので礼を言った。サービス券が配布されなかった。餃子と一緒に渡されるだろうかと思いながら葱の山を崩し、下から麺を引っ張り出して啜っていると餃子が届いたが、やはりサービス券は配られなかった。ついでに言えば餃子も今まで五個だったはずが何故か四個しかなくて、サービスの内容が変わったのだろうかと疑問に思いながら、また券をくれるように声を掛けようかどうしようかと迷いながら食事を進め、辛味のある葱を麺と一緒に貪り、餃子もぱくぱく食って、ラーメンの具がほとんどなくなると蓮華でスープを掬いながら残った細かい滓を口に運び、すべては飲み干さずに完食して水を注いで息をついた頃にも、やはりサービス券は渡されていなかったので、店員がフロアに下りて近づいてきたのを見計らって手を挙げ、すみませんと声を掛けた。サービス券は頂けますかという言葉を言い終わらないうちに、まるで予め用意していたかのような素早さで男性は券を差し出してきたので、もしかしたらこちらが食べ終わるのを待って渡すつもりでいたのかもしれない。ともかく礼を言い、水を飲み干すと立ち上がってジャケットを着て、リュックサックを肩に掛けて退店に向かい、厨房の店員にご馳走様でしたと声を掛けて出口をくぐった。
 ビルを出ると、駅の方から何やら演説の声が響いていた。表に出てみると、道路脇に立憲民主党の、名前を忘れてしまったのだが何とか言う女性議員の車が停まっており、初めは演説は頭上の広場で行われているものかと思っていたところが、音声はその車から発されているのだった。与党が厳しく政府の政策をチェックする役割を果たしていない、と批判していた。その声を背に階段を上り、大きなカメラを構えて周囲に向けている外国人の横を通り、右に折れて通路を行き、駅舎に入るとLUMINEの前では広告を持って大声を出しながらルミネカードの宣伝をしているスーツ姿の女性がある。それに被さるようにして頭上からもマイクの音声で大方同じ内容の案内が降り、さらに進めばLUMINE入口の反対側にも今度は男性がいて同じ宣伝をしているのだから、明らかに人員過剰のように思われた。ごった返す人波に紛れて改札をくぐると、一番線の青梅行きの発車まで二分しかなかったが、まあ急ぐまい、遅れたところで日記をメモする時間が増えるのだから問題はないと鷹揚に受けて、歩速を速めず悠長に進むとしかし発車に間に合ったのだが、車内は結構混み合っていて扉際も埋まりがちで、メモが取りづらそうだったので次の電車に乗ることにした。それでベンチに就いて電車が滑り出していくのを見送って、手帳を取り出しペンを操り、ちょっと経ってから席を立って階段付近の電光表示板を見に行くと、次の電車というのは背後の二番線から六時半の出発で結構間があった。それでも席に戻って日記のメモに邁進し、電車来着のアナウンスが入ると立って戸口の位置に立ち、ゆっくり滑りこんできた電車に乗って七人掛けの端に就くと、ひたすらペンを動かした。そのうちに車内は結構埋まってきて、こちらの横にも人々が並び座り、そのあとから乗ってきたもう年嵩の、薄い髪が白くなっている男性が、歳のわりに膝を柔らかく曲げて床からライターを拾い、誰か落としていませんかと前後の人々に向けだした。こちらは手を振り、来た時からありましたと答えたのだが、ほかの乗客は大方スマートフォンを覗いて男性の方を見向きもせずに何ら反応を示さない。この無関心ぶりは一体何なのだろう。それでこちらの答えを受けた男性は、どうしようかと迷っていたようだったが、そこにこちらもどうしますかと訊いて、ここに置いておきますかと自分の脇の仕切りと座席のあいだの隙間を示すと、いや、この辺にと言って男性は扉際の足もとにライターを置いて、それでこの一件は落着した。その後はまたメモに邁進し、青梅まで特段のこともなく時間は流れ、降りるとホームを渡って奥多摩行きに乗り換えて、七時一五分の発車を待った。
 最寄りに着いて降りても確か夜空に月は見えなかったと思う。帰路の道中にも特段の印象は残っていないので躊躇いなく省略して、帰宅すると父親も既に帰って寝間着姿で飯を食っており、母親が食べてこなかったのと訊くのに食べてきたと答えて階を下りた。そうしてコンピューターを点け、準備を待つあいだに服を着替え、その後は何をしたのかよく覚えていないし、この夜全体で見ても大した記憶は残っていないので、いくつかの事柄を抜粋的に記して終わろう。まず、英文を二記事読んだので、調べた語彙とそれらからの引用を下に並べておく。

・hideous: おぞましい
・disseminate: 広める、ばらまく
・disquiet: 不安、心配
・conflate: 合成する、融合する、一つにまとめる
・query: 質問、疑問; 疑念
・reparable: 修理できる
・grossly: 大いに、甚だしく

 Paul Chadwick, "Ignorance of the Holocaust is different to wilful disbelief"(https://www.theguardian.com/commentisfree/2019/feb/10/ignorance-holocaust-wilful-disbelief-poll-denial-antisemitism)より。

(……)To the proposition “the Holocaust never really happened”, responses were: strongly agree 2.6% (53 people, of whom 35 were aged under 45); agree 2.8% (57, 46 under-45s); neither agree nor disagree 6.9% (139, 105); disagree 10.7% (214, 123); strongly disagree 72.9% (1,462, 604); I don’t know 2.8% (57, 36). Twenty-four people (23 under 45) affirmed: “I have never heard of the Holocaust.” Yes, it is a relatively small sample. Strong majorities backed key points, such as the need for more education. And there was caution: only 25% strongly agreed or agreed that “something like the Holocaust couldn’t happen again”, though 21% neither agreed nor disagreed with that proposition.

Disquieting also was the degree of agreement with the assertion that “the scale of the Holocaust is exaggerated”: 8.2% strongly agreed or agreed. To the proposition that “the Holocaust is irrelevant now”, 8.4% strongly agreed or agreed. Another 12.6% responded that they neither agreed nor disagreed with that statement.

 Harriet Sherwood, "One in 20 Britons does not believe Holocaust took place, poll finds"(https://www.theguardian.com/world/2019/jan/27/one-in-20-britons-does-not-believe-holocaust-happened)より。

One in 20 British adults do not believe the Holocaust happened, and 8% say that the scale of the genocide has been exaggerated, according to a poll marking Holocaust Memorial Day.

That poll found that one in three people knew little or nothing about the Holocaust, and an average of 5% said they had never heard of it. In France, 20% of those aged 18-34 said they had never heard of the Holocaust; in Austria, the figure was 12%. A survey in the US last year found that 9% of millennials said they had not heard, or did not think they had heard, of the Holocaust.

 そのほか、零時一八分から三時半直前まで、三時間余りに渡ってイタロ・ズヴェーヴォ/堤康徳訳『トリエステの謝肉祭』を読んだ。二三頁で主人公エミーリオ・ブレンターニは恋人のアンジョリーナに対し、過去の恋愛の破局にもかかわらず、「彼女がもうあまり不幸そうに見えないのが残念だ」と言っている。エミーリオがアンジョリーナに、自らの抽象的な恋愛像、自ら求める愛人のイメージを一方的に投影していることがここから読み取れるだろう。彼にとって彼女は、過去の恋愛の「不幸」な決別に未だ悲しみを覚えるような、ある種の「悲劇のヒロイン」のような存在でなくてはならないのだ。彼がたびたびアンジョリーナに向ける「同情」も、そうしたイメージの付与による産物として考えられるかもしれない。つまり、エミーリオにとって彼女は「同情」に値する存在でなければならず、過去の「不幸」な恋愛に今も苦しんでいなければならないのだ。エミーリオは愛人のなかに、「都合のよい」(23)姿のみを見ようとしている。言ってみれば彼は、非常に通りの良い恋愛の物語に囚われている。おそらくその恋愛観は、「本棚に改造した古い洋服だんすにこれ見よがしに飾られている何百冊もの小説」(13)などの「本から吸収したこと」(10)から形成されたのではないか。そもそも初めからエミーリオは、「何度も話には聞いたことがあるのに、彼自身はまったく経験したことのない情事」(5)への期待からアンジョリーナに近づいたのだった。従って、彼は彼女の個別性を見ようとはせず、「気楽で短いアバンチュール」への憧れによって彼女を愛する。そんな彼に対してアンジョリーナは、多少男の期待に答えてみせるような振舞いを取る。「もうあまり不幸そうに見えないのが残念だ」(23)と伝えられた彼女は、「彼の意に添うように、悲しそうに顔をくもらせ」、過去の恋人に「捨てられて」――「関係を解消する決定的な言葉を切り出したのは彼女のほうだった」(17)のだが――自分が心痛から病気になった事実を指摘し、「ああ、あのとき死んでもよかったのに」(23)とまで口にするのだが、これはいかにも大袈裟な紋切型で、「悲劇のヒロイン」のイメージ[﹅5]に相応しいものである。しかし、その演じぶりは完全なものではない。そう言った「舌の根も乾かぬうちに」、エミーリオの腕に抱かれながら、彼女はあっけらかんと大笑いしてみせるからだ。
 このように、この小説は、自らの観念的な恋愛像に一致する姿を恋人に求めながらそれを裏切られる男の悲哀と滑稽さを一つには描いていると、一応そのように読むことはできると思う。そのあたりの事情は作者自ら四三頁から四四頁に掛けてはっきりと書きこんでもいる――曰く、「彼が愛した女、アンジュは、彼の空想の産物であり、彼がわざわざ苦労して自ら作り出した女だったが、実物は、空想の女に協力しないどころか、抵抗してじゃまをしていた」と言うのだが、しかしこのような読み方は実にわかりやすく耳触りの良い整理に過ぎず、この作品をこの作品に相応しく読めていないのではないかという疑念が付き纏うものだ。この小説が持っている射程に適切に答えることができておらず、読み取るべき事柄を見落としているのではないかというような気がする。


・作文
 12:25 - 12:47 = 22分(8日)
 12:47 - 13:54 = 1時間7分(7日)
 13:59 - 14:40 = 41分(7日)
 計: 2時間10分

・読書
 14:56 - 15:06 = 10分
 19:52 - 20:10 = 18分
 20:10 - 20:34 = 24分
 20:42 - 21:11 = 29分
 23:07 - 23:47 = 40分
 24:18 - 27:28 = 3時間10分
 計: 5時間11分

・睡眠
 1:30 - 11:10 = 9時間40分

・音楽