2019/11/9, Sat.

 (……)ダッハウアウシュヴィッツ、ラーフェンスブリュック、その他の収容所で行われた医学的実験については、すでに多くが書かれている。その責任者の何人かは、全員が医者ではなく、しばしば臨時に代役を務めていたのだが、実際に処罰されたのだった(ヨーゼフ・メンゲレはそうではない、彼は最低の極悪人であった)。この実験の範囲は、何も知らない囚人への新薬の試験から、無分別で、科学的に意味のない拷問にまで及んでいた。例えばそれはヒムラーの命令で、ルフトヴァッフェ社のために、ダッハウで行われたような実験だった。そこでは、あらかじめ選ばれたものが、普通の身体的状態に戻すために、時には前もって食物を多く与えられていたのだが、長い間氷水に漬けられたり、減圧室に入れられたりした。そこでは二万メートル上空の大気の希薄さが再現されていた(当時の飛行機ではとうてい到達できないような高度だった)。それはどれぐらいの高度で人間の血が沸騰するか調べるためであった。こうしたデータは、いかなる実験室でも、わずかの費用で、犠牲者もなしに、あるいは普通の図表から演繹することができたのである。私は、どの程度の範囲内で、苦痛な科学的実験を実験動物に行うべきか、理性的に論じられる時代に、こうした嫌悪すべき事実を思い出すのは意味のあることだと思う。明らかな目的がない、非常に象徴的な、この典型的残酷さは、まさに象徴的であるがゆえに、死後の人間の体にまで及んだのだった。人間の遺骸は、はるか昔の先史時代から始まって、いかなる文明のもとでも、尊重され、敬意をささげられ、時には恐れられた。だがラーゲルで示された扱いは、それがもはや人間の遺骸ではなく、手の加えられていない、無関係の素材で、良くても何かの工業的用途に使えるだけだ、ということを表していた。何十年もたって、アウシュヴィッツの博物館の陳列台に、ガス室かラーゲル送りになった女たちの切られた髪の毛が、何トンも、ごちゃ混ぜになって展示されているのを見ると、恐怖と戦慄を感じる。それは時の経過で色あせ、傷んでいるが、訪問者に、いまだ無言の告発を繰り返している。ドイツ人はそれを目的地に送り出すのに間に合わなかった。その異例の商品はドイツのいくつかの繊維産業に買い取られていた。繊維産業はそれをズック地や、他の産業用の繊維の製造に使っていた。その利用者たちが、素材の正体を知らなかったとはとうてい思えない。または販売者が、つまりラーゲルのSS当局が、それから実質的な利益を引き出さなかったともとうてい思えない。利益という動機が道徳という動機に優越したのだった。
 (プリーモ・レーヴィ/竹山博英訳『溺れるものと救われるもの』朝日新聞出版、二〇〇〇年、141~143)


 例によって八時のアラームでベッドを抜け出しているのだが、これも例によって鳴り響きを止めるとたちまち寝床に舞い戻ってしまい、窓から射しこむ陽射しのなかで布団と寝間着の下の肌に汗を滲ませながら、一〇時四五分頃まで留まることになった。起きると前夜点けっぱなしだったコンピューターに寄り、Twitterを覗いたあとに戸口をくぐって上階に行った。母親は買い物に出掛けており、その旨書置きが残されてあった。カレーが残っていると書かれてあったので、冷蔵庫から大鍋を取り出し焜炉に乗せ、弱火に掛けると同時に玉ねぎやらソーセージやらの雑多な炒め物も電子レンジに入れ、それらを温めているあいだにトイレに行って黄色い尿を放った。出てくるとカレーが沸騰していたので大皿に米をよそり、鍋掴みを左手につけて鍋を持ち上げ、米の上にカレーを注ぎ掛けた。全部注ぐと皿から溢れそうだったので、僅かに残した。そうして炒め物とともに食卓に運び、席に就いて新聞を引き寄せ、食事を始めた。新聞はいつものように国際面までめくって、ベルリンの壁崩壊から三〇周年を迎えるが、ドイツでは旧東独地域と旧西独地域との経済格差がまだ根強く残っていて、それに対する不満がAfDの伸長を招いているという記事を読んだ。ベルリンの壁が崩壊したのは一九八九年のことだというのは当然知っていたが、それが始まったのが一一月九日のことだったというのは初めて知る事柄で、とすると一九三八年の「水晶の夜」と同じ日付なのだなと思った。それは同時に、一九二三年のヒトラーミュンヘン一揆と同じ日付でもあることを意味する。旧東独地域ではAfDが着実に勢力を拡大しているらしく、いくつかの州議会選挙でどれも第二党の座を占めているとのことだ。
 食事を終えると台所に移ってカレーの滓のついた食器を洗い、それから風呂場に行った。栓を抜いて残り湯を流しだしているあいだ、肩をぐるぐる回したり、両手を天に向かって掲げ伸ばしつつ左右に身体をひねって腰の筋を和らげたりして待つ。それから浴槽を擦り洗って、出てくると下階に戻り、コンピューターを再起動させ、準備が整うあいだはイタロ・ズヴェーヴォ/堤康徳訳『トリエステの謝肉祭』を瞥見しながら待った。その後Evernoteを立ち上げて前日の記録をつけるとともにこの日の記事も作成し、それから緑茶を用意しに行った。静岡茶の袋に残っていた茶葉をすべて急須に落としてしまい、そのせいでやたらと濃くなった茶を持って自室に戻った。緑茶を飲むと暑くなるだろうからジャージの上着を脱いで肌着だけの格好になっていたが、そうすると鼻が少々むずむずした。それで茶を飲みながら、ひとまず今日は先に読み物を読んでしまうことにした。一一時半だった。一年前の日記、二〇一四年二月一五日の日記、fuzkueの「読書日記」――平倉圭の『かたちは思考する』というのも面白そうな本だが、一体いつになったら読めるのか?――、そうしてMさんのブログと読んだ。Mさんのブログの一一月六日、最新記事には非常に不安定な様子のS.Kさんとのメッセージのやりとりが記されており、この日の日記以降更新が停まっている現状を見るに、まさか彼女が衝動的な行動に出てしまったのではないだろうなと恐れられる。単純に授業や学生たちとの交流や、また確か九日からとか書いてあったか、長沙行のために日記を書く時間が取れていないだけだとは思うのだが。
 Mさんのブログまで読むと時刻は正午を越え、それから今日の日記を綴りはじめた。途中で腸を軽くするために便所に行くと、何故だか頭のなかにLed Zeppelinの"Black Dog"が流れていたので、戻ってくると当該曲が冒頭に収録されている『Ⅳ』を流しはじめ、そうしてここまで書き記せば一二時三三分を迎えている。前日の記事を書かねばならないのだが、外出したから記すべき事柄がたくさんあるし、メモも途中までしか取れていないのでやる気がなかなかそちらに向かない。
 そういうわけでふたたび読み物に時間を使ったのだったと思う。何を読んだのだったか? Sさんのブログである。最新記事まで一気に四日分の記事を読んだあとさらに、英語のリーディングを始めた。Harriet Sherwood, "Antisemitic incidents in UK at record high for third year in a row"(https://www.theguardian.com/news/2019/feb/07/antisemitic-incidents-uk-record-high-third-year-in-row-community-security-trust)を僅か一〇分少々で読み通し、続いてJoe Mulhall, "Holocaust denial is changing – the fight against it must change too"(https://www.theguardian.com/commentisfree/2018/nov/21/holocaust-denial-changing-antisemitism-far-right)も読むと合わせて二七分が経っていたので、今日の英文のノルマはこれで良いだろうと判断して記事を閉じた。

・desecration: 冒瀆
・complacency: 自己満足、安心
・concerted: 申し合わせた、一致した、協調した
・Home Office: (英)内務省
・besmirch: (名声を)汚す
・acolyte: 信奉者、追随者
・whitewash: ごまかす、うわべを飾る
・engender: 新しく作る、生み出す
・venue: 開催地、会場
・subsume: 含む、組み込む
・for the lulz: 笑いを求めて、洒落で
・kooky: 気の狂った
・hoax: でっち上げ、作り話
・debunk: 誤りを暴く、偽りであることを証明する
・mkay: うんわかった、いいよ、オーケー
・shorn of: 奪われる、剥奪される

 それから「週刊読書人」上で連載されている外山恒一のインタビューシリーズを、残りが少なかったので最後まで三つ連続で読んでしまい、続けて琉球新報上の「沖縄基地の虚実」シリーズから一記事読むと、「あとで読む」記事の昔の方を探って、中村淳彦「家賃4万円風呂なし、AV女優の過酷すぎる貧困」(https://toyokeizai.net/articles/-/192076)をひらいた。

 AV業界が存亡の危機に立たされる中で、業界を擁護する理由として貧困問題を持ちだし、「AV女優はどこにも行き場所がない、居場所を奪うな」みたいなことが一部で言われる。トンチンカンな擁護であり、非常に危険だ。AV業界がセーフティネットとなっているのは、実はAV女優以外の関係者である。
 AV業界のシステムは、スカウトやプロダクションが商品である女性を仕入れて裸にし、女性の裸やセックスに依存しながらメーカーや制作会社が映像を撮影、DVDやネット配信、有料放送して男性客に販売する。女性の裸とセックスを様々なジャンルに投入してグルグルとまわして利益を上げ、利益が上がらなくなったら女性は交換となる。そういう、女性が乾電池のように扱われる構造だ。その周辺に専門誌やエロ本、AVライターがいておこぼれに与(あずか)る。
 長年かかわっていた筆者を含めて、才能や能力がない人材が女性の裸やセックスの力を借りながら、なんとか価値のある商品を作って売る。そうして生活をしている。裸になってくれるAV女優の力を借りなければ、多くのAV監督、AV男優、メーカー経営者、プロデューサー、専門誌編集者、AVライター、プロダクションマネジャーあたりは、とても生きていけない。裸のない世界では商品を作ることができない。売る商品をほかのものに替えればいい営業担当者あたりはギリギリ他の行き場所があるかもしれないが、他の職種は行き場所がない。
 逆に激しい競争をさせて選られながら活躍するAV女優たちは、若く、総じてスペックが高い。心身が健康ならば、容姿を求められる仕事は世間にたくさんある。付き合いたい、結婚したいという男性たちも殺到する。水商売や性風俗に転職したならば、富裕層相手の高価格帯の店舗に採用され、製作費削減で叩かれまくっているAV女優時代の収入くらいは簡単に稼げる。AV業界が消滅しても、AV女優たちの選択肢はたくさんあるのだ。

 そしてさらに、「あとで読む」記事のなかから今度は一番上に記されている最近のURLのなかから大野博人「冷戦終結共産主義が崩壊し古い資本主義が蘇った 冷戦終結30年、エマニュエル・トッド氏に聞く」(https://webronza.asahi.com/politics/articles/2019110600012.html)を選んでひらき、これも読むとちょうど二時に至った。

――しかし、ロシアは今もやはり他国に脅威を感じさせる大国では?

 今になってみると、それがまったく馬鹿げているわけでもない。この困難な時代にあって、ロシアは米国のあらゆる力に立ちはだかる唯一の核大国として存在しています。これは奇妙なことなのです。
 でも結局、共産主義のロシアはよくなかったけれど、米国のユブリス(傲慢)、力の意思に対抗する重しとしてのロシアが存在することはとてもよいことではないでしょうか。
 だって、その国の社会的文化的システムの質がどんなものであれ、ひとつの国家、ひとつの国、ひとつの帝国が世界全体にだれもブレーキをかけない状態で絶対的な力を及ぼすのはよいことではありえないのですから。
 米国が唯一の超大国と言われてきたけれども、超大国はたったひとつであるよりもふたつである方がましです。

 共産主義体制はよい質問への悪い答えでした。よい質問とは何か。資本主義は不平等を広げるが、どうすればいいか、という問いです。その悪い答えの共産主義体制が崩壊したと思っていたら、ある意味で階級闘争というマルクスの論理が再登場しようとしているような状態です。
 共産主義はロシア人にとってはひどいものでした。というのも、共産主義は資本主義の後に出てくるという論はロシアではフィクションみたいなものでした。だいたいロシアには資本主義はなかった。あったのはせいぜい資本主義のはしりのようなものでしたから。
 戦後、西側で資本主義と社会保障が結びついた幸福なときがありました。それはソ連が強く脅威だったときです。その脅威が西側に資本主義を文明化することを強いたのです。競争相手がいたわけですから。米国のルーズベルト大統領の改革や、フランスの人民戦線、欧州での社会民主主義がいくつか成功したのもソ連へのただただ恐怖からでした。
 で、共産主義が崩壊したとたんに、もう恐れるものがなくなった。そして古い資本主義だったものがまた再登場してきた。ネオリベラリズムといわれているものは、マルクスが批判した当時の資本主義の再来にほかならないのです。

 そこまでで読み物は切りとして椅子から降り、身体のこごりをいくらか和らげるかというわけで、ライブラリのなかから目についたMaroon 5の曲を流しだし、"This Love"を口ずさみながら屈伸を繰り返したり前後に開脚したりした。その後も"She Will Be Loved"を歌いつつ、左右に開脚したり腰をひねったりして、八分ほど身体を労ると"Sunday Morning"、"Not Coming Home"と歌って、それから前日の日記を書きはじめた。
 一時間二三分で力尽き、立川図書館をあとにしてラーメン屋に向かいはじめるところまでで記述を止めて、部屋を出て上階に行った。ソファに就いてタブレットを弄っていた母親に、腹が減ったが何かあるかと尋ねると、竹輪チーズのパンなるものがあると言う。それを食べる前にしかしトイレに行って用を足し、さらにアイロン掛けを済ませてしまうことにした。昨日自分で着たものも含むシャツが三枚、それにエプロンとハンカチと小間物を入れるような袋が居間の片隅で一所に集められ、皺を伸ばしてもらうのを待っていた。炬燵テーブルの端にアイロン台を置き、器具のスイッチを入れて温まるのを待っているあいだ、正面の南窓から外を眺めてみると、空はほとんど白に近いような物凄く淡い青さで乱れなく広がっており、左右に視線を振って窓をそれぞれ見通してみても、三方のいずれにも雲は欠片も見られない。正面に目を戻せば、川沿いの樹々や遠くの山には午後四時の柔らかな西陽が掛けられて、樹々のなかには斜陽の色を受けずとも既にオレンジめいた風合いに変化したものも含まれていた。アイロンが熱を持つと、衣服を順番に一つずつ取り上げて押し当て、その表面を滑らせて皺を取り除いていった。こちらがそうしているあいだに母親は、買ってきた竹輪のパンとカステラめいた甘味を半分ずつ分けて皿に用意してくれたので、作業を終えたあと、椅子に座ってそれらを食べた。そうして食器を流し台に運んでおき、それから自室から急須と湯呑みを持ってきて、不味くはないが大して美味くもない静岡茶がなくなったので、玄関の戸棚からI.Y子さんに頂いた狭山茶を取ってきて、鋏で開封し、茶壺に茶葉を流しこんだ。香りを嗅いでみたところ、匂いは不味そうではなかった。そこからひと掬い急須に取って、沸騰した湯を注いで湯呑みに緑色の液体を流し入れると、そこから淡く立ち昇る芳香も悪いものではない。本来邪道だろうが二杯目三杯目の分を急須に注ぎ入れておくと、両手にそれぞれ道具を持って階段を下り、自室に帰った。四時過ぎだった。
 そこから読み物をするなり日記を書くなりすれば良かったものを、(……)。そうするともう六時に至っており、夕食の支度を怠けてしまったが後の祭り、そこから今度は何故か隣室に入ってギターを弾きはじめてしまい、ハミングと合わせて適当にアドリブを散らかしたり、それに飽きると曲をちょっと考えたりしたのだが、それにも飽きて楽器を置き、自室に戻ってくるとあっという間に一時間が経って七時に掛かっていた。トイレに行って用を済ませてきてから、ようやくこの日の日記を書き足しはじめて、ここまで綴れば七時半前である。
 それから手帳に記してある事柄を学習しはじめたのだが、いい加減腹が空になって呻いていたので、六四頁と六三頁を確認したのみで僅か九分で打ち切り、食事を取りに行った。階を上がって台所に入ると母親の買ってきた焼き鳥が三本も皿に置かれてあったので、こんなに食べて良いのかと言いながら電子レンジに入れた。ほか、茄子焼きに大根の味噌汁、キャベツやゆで卵のサラダに野良坊菜のお浸し、そして白米である。食卓と台所のあいだを何度か往復してそれぞれを運び、椅子に就くと新聞を引き寄せて食事を始めた。テレビは、『YOUは何しにニッポンへ?』を映していた。五八歳の夫婦が軽井沢で行われるアイスホッケーの大会に参加するさまを密着取材しており、試合が終わったあとで最後に奥さんの方が、何かをやりたいと望む人間は考えに考えてその方法を見つける、何もやりたくないと思う人間は言い訳を見つける、と述べていて、物凄くありきたりで月並みな物語的人生観なのに、まったくもってその通りだな、と何故かちょっと感銘を受けた。新聞からは大学入試改革の記述問題導入について、延期するべきだとの懸念が野党側から政府に寄せられたという記事を読み、ものを食べ終えると台所に移って食器を洗い、抗鬱薬も服用してから入浴に行った。綺麗な一番風呂のなかに身を沈め、浸かりながらじっと目を閉じ思いを巡らせているうちに、湯の熱さが物足りなくなってきたので追い焚きのスイッチを押した。何を思っていたのかは例によって覚えていない。ということは特別思考がまとまった形を成した時間もなかったということだろう。じきに上がって身体を拭き、下着から寝間着まできちんと着込んでから短い髪をさっと乾かし、出ると母親に挨拶してジャージを腰壁に置いておいて階段を下った。急須と湯呑みを持って戻ってくると、テレビはあれは一体何の番組だったのか、雅楽というとちょっと違うのだが、尺八やら琴やら太鼓やらのアンサンブルを披露していて、真剣に聞けばちょっと面白そうだったけれど居間に留まるほど興味が嵩まなかったので、緑茶を用意して自室に帰った。そうしてまず、Bill Evans Trio『Explorations』を流しながら、對馬達雄『ヒトラーに抵抗した人々 反ナチ市民の勇気とは何か』の書抜きである。《クライザウ・サークル》の人々は、西欧各国が共通のキリスト教的精神を下敷きにしながら経済的に協調することで平和秩序を構築していくという、一国の範囲を越えた経済構想を練っていたらしく、一九四三年六月一四日の第三回全体会議の結論冒頭においても、「ヨーロッパ経済は伝統的な国民国家の制約から解放されねばならない」とはっきりトランスナショナルな姿勢を表明しており、さらに「今後の問題」としては第一に、「ヨーロッパ国内の統一通貨と関税制限の撤廃」という項目を立てている。これはまさしくEU的発想そのものであって、著者の對馬達雄も、「ドイツの再生と平和を願う《クライザウ・サークル》の人びとが密かに討議し纏めた考えに、その源流を認めてもけっして誇張ではない」とのコメントを付している。EUの源泉となる考え方は既に戦時中に考案されていたのだ。おそらく彼らが交流していた経済学者のグループの影響が強いのだろうが、EUのような超国家的機関の発想がどのようにして生まれてきたのかという歴史を学ぶのも面白そうだと思った。
 書抜きを終えるとふたたび手帳を読み、六〇頁から六一頁に記された栗原優『ナチズムとユダヤ人絶滅政策』からの情報は二回目の学習をして、五八頁から五九頁の同じ著作からの事項も一回目の学習を済ませ、それで時刻は一〇時前、歯磨きをすることにした。歯ブラシを取ってきて口内に突っこみ動かしながら、合間はインターネット記事を読むことにして、泉谷由梨子「日本の子供はバカにされている。若者の投票率が低い理由をスウェーデンと比較してわかったこと。」(https://www.huffingtonpost.jp/2017/10/16/young-generation_a_23245487/)を閲覧したあと、さらに菅付雅信「東浩紀、『動物化するポストモダン』刊行から18年後の現在地を語る」(https://wired.jp/series/away-from-animals-and-machines/chapter11-1/)を読んだ。

 「超越的な視野が欲しいかどうかは、その人が決めることです。ただ、超越的・哲学的・文学的・人文的な思考をしたい人たちには社会はそれを提供しなくてはならない。言っておきたいのは、人が文学的なことばかりを専門的に考えている状態はおかしいということ。『文学的である』状態とは、文学的ではない生活、つまりは動物化が広がっているなかで、あるタイミングで人に訪れるものなんです」

 「リアルな社会に息苦しさを感じるからこそ、さまざまな出会いや発見のあるヴァーチャルな世界が必要だと言われますよね。ぼくは逆だと思っています。リアルな世界のほうが偶然性が高く、さまざまなものに出合える可能性が存在しています。リアルな世界での思いがけないものや知らないこととの出合いが、実は頭をリフレッシュしてくれるんです」

 「コミュニケーションのテクノロジーがいくら進化しても、人々は同じように喧嘩し、恋愛し、薄っぺらいカリスマに熱狂している。人々の行動パターンはあまり変わっていませんし、関心をもつことは何も変わっていない。ぼくもインターネットは少なくとも政治くらいは変えるだろうと思っていました。でも、変わらなかった。むしろ社会を変えていくためには、新しいテクノロジーに過剰な期待をするのをやめたほうがいいんじゃないかと思います」
 だからこそ東は「市民社会をどうつくるか」という古い問題に関心が移っているという。
 「デジタル・ガジェットに囲まれた動物的な人々が、それに飽きたらなくなったときに言葉を与える場所をどうつくるか。ゲンロンは、そういうときに社会や政治について考える人が集まる場所として育てていきたいと思っています。これまでは批評や哲学などの伝統を引き継いで残す場所というアイデンティティだったのですが、少し方向性を変えました。いまの社会のなかで哲学的、文学的なことを考えられる場所にしていきたいんですよ」

 それから日記を書き出し、ここまで綴って一〇時四三分である。
 さらに八日の記事を書き足し、一一時一九分を迎えた。八日の日記はほとんど綴り終えたが、イタロ・ズヴェーヴォ/堤康徳訳『トリエステの謝肉祭』の感想を書くのが面倒臭かったのでそれだけ翌日に回すことにして、その後、(……)零時二〇分頃になってから音楽を聞きはじめた。最初に聞いたのは例によって、Bill Evans Trio『The Complete Village Vanguard Recordings, 1961』から"All Of You (take 1)"である。Paul Motianのプレイに耳を寄せた。彼の特質が未だ明晰に掴めないのだが、聞いてみるとやはりかなり自由で融通無碍な振舞いを取ってはいるもので、少なくとも伝統的な、アフター・ビートをきちんと強調して土台を拵える形式からは逸脱していると思う。まずもって、序盤、ブラシを使っているあいだにはシンバルがあまり鳴らず、ハイハットをそんなに踏んでいないようだし、踏むとしても通常のように裏拍で鳴らすばかりでなく、表拍で踏む場合もある。そして時折りシズル・シンバルを挟むのだが、その瞬間にはほかの部分を叩くのは止めて、シンバルのみを鳴らすようだ。これはシズルの響きを最大限に活用して、あの棚引く音響が生む広がりのある空間性を強調しようとしているのだと思う。スティックに持ち替えてからはフォー・ビートを刻むのだが、それもやはり単純に二拍四拍に重点を置くのでなくて、全体的なダイナミクスの変動も細かく繊細微妙だし、気まぐれにアタックを入れてみたり、あるいは一拍目の裏、三拍目の裏を打ったりもしてリズム的に変化を加えてくる。そういうライド・シンバルの自由な使い方は、Miles Davis『Four & More』などで演奏しているTony Williamsなんかも連想させるところがあるが、それまでの規範的なスタイルからは明らかに外れていこうとしているように思われるこれが、六〇年代のジャズドラムだということだろうか。総じてPaul Motianのプレイは、ほかの楽器が上に乗るための基盤を拵えると言うより、音響空間の外縁を画して、アンサンブルを周辺から囲いこみ[﹅4]、特殊な空間性を生み出しているような印象を受ける。しかし、その空間性の特殊さとは具体的にどういうことなのか?
 次に、"My Romance (take 1)"を聞いた。Scott LaFaroが冒頭付近から怒涛の三連符を連続させている。彼の三連符には破壊的なニュアンスがあると言うか、いかにも周囲を構わず傍若無人に暴れているというような印象を与えるものだ。それからも出るわ出るわという感じで、隙があれば音のあいだを縫いくぐるように泳ぎ回って凄いこと、アプローチのアイディアがまったく枯渇せずに次から次へと湧いてくるような豊穣さ、汲み尽くしがたさが感じられる。ドラムがスティックに変わってからは珍しくオーソドックスなフォー・ビートを演じているが、これはおそらくシンバルが空間を埋めるし、Evansも興が乗って音数が増えてくるので、それに対してあまり高音部に出張ってうろついては衝突してアンサンブルが濁るとの判断からではないだろうか。ソロは相変わらず綺麗にまとまっている。
 そのあと、Bill Evans Trio『On Green Dolphin Street』の三曲目、"Woody'n You (take 1)"を流した。Philly Joe Jonesは二拍四拍にハイハットを踏みながらライド・シンバルを刻むという伝統的なプレイをしているが、これを前提にしてPaul Motianの流体性、その特性を考えていかなければならないだろう。Evansのプレイは、やはり一九六一年のそれと比べると、折々に躊躇を感じさせると言うか、休符の取り方がばっちり嵌まっておらず自然な息継ぎよりもほんの僅かに長く取って、そのあいだに手の運びを考えているような気配を覚える。また、フレーズも息が短く散発的な部分があり、次に上手く滑らかに繋がっていかないような場面が散見される。それで気づいたのだが、一九六一年六月二五日のプレイは最初から最後まで、流れが途切れずに見事にひと繋がりになっているのだ。とは言え、この五九年一月一九日の録音も、乗っているところはやはり乗っていて流麗である。
 続いてさらに、"Woody'n You (take 2)"。一九六一年六月二五日の演奏があまりに素晴らしいのでどうしてもそれと比べてしまうのだが、そうしてみるとやはりあの神憑りのような輝く統一性はここには見られない。この録音でのBill Evansは、ある意味で人間味があると言うか、やはり彼も普通に悩んだり迷ったりする人間なのだなと思わせるような、一種の未熟さが垣間見えるように思う。
 音楽を切りとしたあとは、イタロ・ズヴェーヴォ/堤康徳訳『トリエステの謝肉祭』を一時間余り読み、二時半を越えて就床した。七二頁で語り手は、友人バッリの「天から降ってきた恩恵」(71)のエピソード――富豪の老人と出会い、彫像の作成を注文されたこと――を「苦々しく妬ましい思い」(72)で聞くエミーリオの様子を叙述したあと、彼には「うれしいことも、そして予期せぬことすらまったく起こらなかった」とその人生を乾燥的に要約している。不幸な出来事すらも常にあらかじめ予期され、ゆっくりと訪れてきたので、それに対して充分に心の準備を整える余裕があったと言う。「多くの不幸に見まわれても、救いがたいほど平凡で単調なあの運命に起因すると思われた悲しむべき無力感から彼が脱することはなかった。愛にしろ憎しみにしろ、彼は強い感銘を受けたことが一度もなかった」。すべてが、不幸さえもが予測可能で、何もかもに既知感が付き纏う生。エミーリオの人生をそのようなものとして読むならば、これはまさに老年の心境そのものではないだろうか(この物語の原題 Senilità は「老年」という意味である)。今までエミーリオには、老いて人生の終末を近くした人間にも似た感情の平坦さ、鈍さがあったのかもしれない。身を焦がすような激しい「愛」も「憎しみ」も感じたことがなかったのだろうが、しかしアンジョリーナとの出会い、彼女に対する「燃えるような恋心」によってそれも変わったはずだ。彼がそのような感情を覚え、女性に執着したのは生涯で初めてのことであり、だとするならばこの作品は、言わば「遅れてきた初恋」の物語として読めるのではないか。


・作文
 12:06 - 12:34 = 28分(9日)
 14:21 - 15:44 = 1時間23分(8日)
 19:02 - 19:27 = 25分(9日)
 22:20 - 22:43 = 23分(9日)
 22:43 - 23:19 = 36分(8日)
 計: 3時間15分

・読書
 11:32 - 12:06 = 34分
 12:34 - 12:45 = 11分
 12:50 - 13:17 = 27分
 13:21 - 14:00 = 39分
 19:33 - 19:42 = 9分
 20:44 - 21:23 = 39分
 21:24 - 21:55 = 31分
 21:56 - 22:18 = 22分
 25:17 - 26:31 = 1時間14分
 計: 4時間46分

・睡眠
 3:30 - 10:45 = 7時間15分

・音楽