2019/11/20, Wed.

 しかし強制収容所のシステムおよび虐殺の狂気にまで上りつめたアウシュヴィッツの実践についての具体的かつ詳細な事実の描写という点に、ヘスの自伝の歴史的資料としての唯一の価値があるわけではない。少なくとも同じように重要だと思われるのは、ヘスの自伝が、アウシュヴィッツ収容所を構築し指揮した人間の自己証明として、死の機構を操作したのはどのような種類の人間たちであったのか、その目的の遂行のために、彼らはどのような魂および精神の状態から収容所にいたのか、その場合どのような衝動・感情・思考のカテゴリーが形作られたのか、といったことについての説明を与えてくれることである。ヘスが自ら書き留めた文書によって、それと意識せずに、こういった問題の理解に寄与している点が、こういった問題に関し、おそらく知的に最も刺激的なところである。ヘスのケースできわめてはっきりしてくるのは、大量虐殺を、単純に殺人者の特性として思いつくような、個人的な残酷さや悪魔のようなサディズム、野蛮な粗暴性、あるいはいわゆる「野獣のような残忍性」と組み合わせて考えるべきではないということである。ヘスの文書は、そういったきわめて単純なイメージに徹底的に逆らうものである。それは日々のユダヤ人虐殺を演出していた男のポートレートというよりは、とにかくすべてに平均的で、まったく悪意はなく、反対に秩序を好み、責任感があり、動物を愛し、自然に愛着を持ち、それなりに「内面的な」天分があり、それどころか「道徳的にまったく非難の余地のない」一人の人間の姿を明らかにするものなのである。ヘスという人間は、一言でいえば、私的な場面での「穏やかさ・人柄のよさ」といった人間の質が、非人道的なものを阻むのではなく、異常に倒錯し、政治的犯罪という職務に就かせてしまいうるということの、まさに極端な例なのである。ヘスの文書は、まったく小市民的で普通の人間の書いたものであるために、人を驚かせ狼狽させる。というのも彼の文書は、ただ理想主義や責任感から熱心にことにあたった人間と、(そう考えるのは誤りであるのだが)生来残忍で、他の人の善意をその悪魔のような手仕事で損なった人間を、カテゴリー的に区別することをもはや許さないからである。(……)
 (ルドルフ・ヘス/片岡啓治訳『アウシュヴィッツ収容所』講談社学術文庫、一九九九年、32~33; マルティーン・ブローシャート「序文」)


 六時台か七時台から覚醒していたが、なかなか起き上がれないままに時間が過ぎていき、八時のアラームが鳴り響くとそこでようやく布団を抜け出すことができた。昨晩は普段よりは早めに、一時半に床に就いたおかげか、寝床に舞い戻るほどの肉体の重さはなく、コンピューターのスイッチを点けてその前に立ったまま留まることができた。ログインしてTwitterのみ眺めておくと室を抜けて階段を上がり、母親に挨拶をしてジャージに着替えた。それからトイレに行って黄色く染まった尿を放って、台所に戻ってくるとメンチが一切れ乗ったナポリタンがあったのでそれを電子レンジに突っこみ、そのほか胡瓜やトマトやゆで卵を合わせた生サラダを卓に運んだ。ナポリタンも取ってくると席に座って食事を始め、新聞をひらいてみると二面に早速、パレスチナ関連の情報と香港情勢の報が並んでいた。米国のポンペオ国務長官が、ヨルダン川西岸への入植は国際法違反ではないという新たな立場を表明したと言い、端的に言って糞である。ドナルド・トランプイスラエルへの傾斜は甚だしい。香港の方は理工大学にまだ一〇〇人ほどの抗議者が立て籠っているとのことだった。覆面禁止条例を香港基本法に反すると決定した先の高等法院の判断にも、全人代の法制委員会とか書いてあったか、本土中国の組織が解釈権を働かせて介入するような動きをちらつかせているようである。新聞を読みながらものを食べると台所の流しの前に移ったが、すると南窓からくっきりと射しこむ陽射しがテーブルの上に激しく反射して、白い池のような陽だまりを拵えて、それが視界を占領して強く瞳を射る。そのなかで皿洗いを済ませると、一旦下階に下りて日課の記録をつけたりしてから、急須と湯呑みを持って階を上がった。緑茶を用意し、母親が友人に貰ったというクッキー三枚を頂いて自室に帰り、オレンジの風味が混ざっているらしいクッキーを齧り、茶を飲みながらインターネット各所を回って、その後八時半過ぎから過去の日記を読みはじめた。一年前の記事にはほとんど言葉が記されていない。二〇一四年二月二六日を読んでブログに投稿し、それからfuzkueの「読書日記」、Mさんのブログと、それぞれ一日分を読み通した。そうしてここまでこの日の日記を記せば、九時二五分に至っている。今日は「G」のメンバーと奥多摩に紅葉見物に行き、昼食後は立川に出てスタジオ入りである。
 スタジオでは"D"という曲のアレンジを進めるとの話だったので、こちらがギターを弾く出番があるのかわからなかったものの、一応多少は弾けるようにしておくかというわけで、隣室からギターを持ってきて、Google Driveにアクセスしてコード進行を確認し、カッティングを練習して、音源に合わせていくらか弾いてみた。そうこうしているうちに時刻は一〇時半を過ぎたので、出る前に音楽を聞きたいことでもあったしそろそろ準備をしようというわけで、洗面所に行って歯ブラシを取ってきた。歯磨きしながら読んだのは、「Appleタックスヘイブンをジャージーに変更――南ドイツ新聞とICIJがリーク」(https://jp.techcrunch.com/2017/11/07/20171106apple-has-reportedly-relocated-its-international-tax-residency-to-jersey/amp/)の記事である。

 Appleの海外での利益はまずApple Sales Internationalというアイルランド子会社に移される。ICIJの調査によれば、同社は2009年から2014年までの間に1200億ドル以上を受け取っていた。
 2つめの子会社はApple Operations Internationalと呼ばれ、この1200億ドルの大部分を配当収入として得る。2社得る利益の大部分は本社に属するものがだが、子会社は企業に課税する地域に登記されていない。両社への課税はまったく行われず、Appleの課税基準収入を著しく下げていた。

 それから音楽を聞く前に多分服を着替えたと思う。GLOBAL WORKのカラフルなチェック模様をあしらった暖色のシャツ、下は濃い褐色のズボンで、その上にBANANA REPUBLICの薄青いジャケットを羽織るつもりだった。そうして、音楽鑑賞に入った。まず、今日はいつもと趣向を変えて中村佳穂『AINOU』の曲を聞くことにして、五曲目の"永い言い訳"を流した。彼女は、ピアノでの弾き語りのバラードに映える声をしている。息を豊富に孕んだファルセットの表現が、適度に抑制されながらも同時に感情的で、最高音付近でも、水がすっと穴に吸いこまれていくように声が正確な位置に昇っていき、澄んだ音質で広がるのがちょっとぞくりとさせられる。具体的に言うと、「丁寧に見てても/見落として」の、「と」の音、次でキーのルート音に至る直前の、七度の音の澄み渡ったふくよかさである。一分の隙もない正確無比なシンガー、という感じではないものの、それは勿論瑕疵ではなく、エモーショナルな歌唱表現がとても上手い歌い手で、サビの三回目ではメロディをややフェイクして、「丁寧に」の頭の「て」の音を一回目二回目よりも高く取り、そこから下がっていくのだが、その際のため息をつくかのような下降の仕方も良い。長三度と短三度の半音程の行き来を利用しているサビの旋律そのものも素晴らしい。
 次に一〇曲目、"忘れっぽい天使"。これはまあ、ちょっと名曲だと言ってしまって良いのではないか。全体に風格とか貫禄みたいなものが感じられ、冒頭の、「みんなおんなじ辛いのよ」の突然の音の上昇からして、耳を惹く。中村佳穂の歌唱は歌と言うよりは語りに近いニュアンスが折々に散見されて、そのあたり、勿論ジャンルもタイプもまったく違うのだけれど、Robert Plantとか浅井健一とかあのあたりの、本人以外の人にはほとんど真似することが不可能な類のボーカルに近いものを感じるような気もする。この曲において彼女のそうした性質が一番よく表れているのは、厚いコーラスが重なる大サビに移る直前の、「どうかして/どうにかしてほしいよ」の呟きの部分ではないかと思う。また、大サビの途中の、「街の上に正論が渦を巻いてる」というフレーズはちょっと素晴らしい。
 続いて、Bill Evans Trio『Portrait In Jazz』から、"Autumn Leaves (take 1)"。今更言うまでもなく、とても素晴らしい演奏である。Bill Evansのピアノソロは、この曲のこのテンポでの演奏としては、これ以上ないくらいの整い方をしているのではないか。発音が実に明快で、フレーズとしても一瞬の淀みもなく流れていて気持ちが良く、ちょうど良いタイミングでリズム構成も変えて楽しませてくれる。六一年のライブで全篇に充溢している迷いや躊躇のまったく感じられない明晰さが、ここで既にほとんど完成されているようにも思われる。ピアノソロにおける流動的なインタープレイの度合いはまだ低く、Evansを主役として提示する趣向になってはいるものの、それとは別にベースソロの場面が三者の絡み合いに宛てられており、それもピアノソロの前と終盤とで二回あって、Scott LaFaroのプレイもたっぷり堪能できるようになっている。
 音楽を聞くと、既に一一時半を過ぎて電車の時間が迫っていたので、クラッチバッグに荷物をまとめて出発である。入れたのは財布に携帯、T田に貸す『ローベルト・ヴァルザー作品集 4』と、Tにプレゼントするべくフラミンゴめいた色の袋に包まれた中村佳穂『AINOU』のCDである。それでジャケットを羽織って上階に行き、赤地にアーガイル柄の靴下を履いて、家を出た。玄関の扉をくぐった瞬間から林の上方に、水の流れが生まれたかのような風音が響き広がっていて、家の前の地面には落葉がいくつも散らばっているその空間で、色の薄く黄色っぽくなった葉が風に触れられて枝から手を離し、林から飛び出して宙を一気に埋め尽くすのに、空気の冷たさも相まって、一挙に冬めいたな、という感を得た。それから、やや急ぎ気味に道を歩いていったが、道中の陽射しの質感の記憶がない。坂に入ったところ、落葉が道を左右の端から縁取るように浸食するように積もっていて、こちらが通っていく中央部分にも多数転がるものがあった。頭上には蜘蛛の糸が膜のように広がってその上に葉が乗っており、足もとを斑に染める木洩れ陽のなかにはこちらの影がすっと立って、もう少し進んだところで地に映った樹々の影は、空気の冷涼さが溶けこんだように青の色を帯びていた。大股で坂を上っていって駅に着き、時刻表を見て電車の時間を確認すると、記憶通り一一時四二分発、あと二分ほど猶予があった。ホームに入り、下り立ってすぐの端で立ったまま電車を待った。皆が何両目に乗っているのか知らないので、端から渡っていけばじきに見つかるだろうという算段だった。それで到着した電車の端から乗り、車両を移っていくと、三両目で仲間が見つかった。寄っていき挨拶をすると、Tに早速ジャケット姿を突っこまれ、山、舐めてるでしょ、と言われた。それを受けて、こいつだって大して変わらないだろ、とすぐそこに座っていたT谷を示したが、しかし彼は薄手の黒いコートめいた上着を着ているのだった。
 席に就くと、T田だけ向かい、北側の席に座っていて、何でもそちらの席から南側の車窓の景色を見ておきたいと言う。小説の参考のためである。それで一度はこちらの隣に来たT田が、北側にまた移る時、こちらの名を読んで誘うので、ほかの四人と離れた座席に二人で移った。ヴァルザーを持ってきたかとT田は問うたので肯定し、バッグから取り出して渡すと、同時に貸していた梶井基次郎を返却された。その本の貸借りの様子を、どうやらTは向こうの席から見て笑っていたようで、そんなような声と気配がちょっと伝わってきた。ヴァルザーは「神経過敏」という掌篇が面白いぞと伝えたその後、今日は何時に起きたかと訊かれたので、八時のアラームで起床に成功したと答えた。前日は一時半に眠った、最近は眠くなればもう眠るようにしている。そう言うと、まさか一二時までに寝ているのかと訊くので、さすがにそれは早い、基本的に日付が変わってから読書が始まるから、と笑った。
 窓に切り取られた正午の陽射しが足もとの床に宿って日向をひらき、窓外に連なる樹々の影がその上を風のように高速で通り過ぎていく際、明るさと暗さが交互に細密に、目にも留まらぬほどに素早く入れ替わってぱちぱちと明滅する。線路が結構うねっているので、日向の矩形もそれに応じて床の上を、単細胞生物のように緩慢に流れ、のろのろと液体めいて位置と形を変えていく。窓外の樹々には橙や赤や黄色に鮮やかに変わったものも見られるが、常緑の針葉樹も山や川沿いを豊富に埋めている。御嶽で停まった時だったと思うが、向かいの窓のすぐ先に、楓らしく赤く染まった草葉が見えており、それにまた別の蔓草のようなものが絡みついているようで、楓よりも広いその葉の上に、露が零れんばかりに溜まったかのような白い光がいっぱいに乗っていた。川井に着く手前で線路がまたうねり、谷下で露わになった川の姿がちょうど太陽を背に戴く方向になって、川面が一面、純白とも銀白とも言える色でもって凍りついたように埋め尽くされて輝いたそれを見て、あれだ、あの川だ、とT田に言うと、吹奏楽部での集まりの時のことだろうか、T谷とあそこで話した記憶があるなと返ったのに、川が一面輝いていた、あの風景を書かなくてはな、とこちらは続けた。
 川井はだいぶ終点の奥多摩に近い地だという印象があったのだが、思ったよりも手前の駅だった。降りる際、ホームと電車とのあいだにかなり隙間がひらいていてその上を跨ぎ越さなければならず、これじゃあ車椅子は降りられないじゃないか、と突っこんだ。川井駅には券売機もSUICAのチャージをするための機械もない。Kくんが毎度のことで残高不足に陥っており、無人改札だから通ることはできるのだが、精算ができない。オレンジ色の機械から証明書を発行し、それを持って有人駅で精算しなければならないのだ。駅舎には案内通話の機械があって、そのスイッチを押して職員と電話を繋ぎ、出た女性に話を聞いてみてもそのような説明が返ったので、Kくんは証明書を発行してなくさないように財布に入れていた。
 それで駅を抜けて階段を下り、さらに坂を下って表の道に出た。街道を挟んで向かいに大きな橋が掛かって多摩川の上を渡っていたが、向かう目的地、釜飯屋「なかい」はそちらの方面ではなく、右に折れた上り坂の方面にあるらしかった。坂に入ってすぐ、高い石段の上に早速、強い赤に隈なく染まり尽くした紅葉が現れて、それを見つけたTはいい色だなあと言って、多分写真を撮っていたと思う。道を進んでいくと、道脇の高い石段の上に畑があるらしく、そのあたりまで掛かると突然、ピュイー! ピュイー! というような聞き慣れない鳥の声が響き渡り、あの鳥は何だろう、とT田やMUさんと興味深く話し合った。帰り道でも同じところで同じ声が聞こえたので、また鳴いているよと言ったところ、するとT谷が、あれは本物ではないのではないかと言う。スピーカーから出ているような感じの音質だと、そう言われてみれば確かにそうで、鳴き方の抑揚も行きに聞いた時と帰りに耳にした時とで全然変わらなかったような気がするので、人とか動物とかが畑に近づくとそのような音声が鳴るような仕組みになっていたのかもしれない。
 話しながら歩いている途中、何かの際にT田が、今ここまでで今日は日記が何字くらいになるかと訊いてきた。もう一万字くらいかと言うが、いやそこまでは行かないなと考えて、六〇〇〇字くらいかなと概算した。その後、外出するとそれだけで書くことがやたらと増えて大変だという話になって、そうすると、これ以上動き回るとまた書くことが増えるからもう帰ろうみたいな、そういうこともあるわけかとT田は冗談めかして言ったが、実際にそのような頭は勿論あって、休日などはわざわざ出掛けてしまうと書くことが多くなって大変だから今日は一日家に留まろうと、そう考えて生活の情報量を減らすことは往々にしてあると話した。実際、河辺の図書館に出掛けて帰ってくるだけでも、当然のことだが家に滞在しているよりも書くことは格段に増える。
 道の脇、ガードレールの先には鬱蒼とした林が広がり、その下の谷間に川が流れていて、空間がかなり深く高低差があって不安になるのであまり目を向けないようにした。T田は、川まで何メートルくらいあるかと皆に尋ねていた。五〇メートルは確実に超えていただろう。T谷は七八メートルくらいではないかとやたら細かい推測を立て、そのくらいだとビルの何階建ての高さになるのかよくわからないが、一階分を五メートルとして計算しても、七〇メートルで一四階分くらいにはなるわけだとこちらは計算した。それほどの高さがあるだろうかとちょっと疑問だったが、T田は、まあ建物で言うとそのくらいの、実にスケールの大きな高低差があるわけだなと落としていた。
 道は途中で背の高い樹々が無数に連なった林の脇に入って、そうすると陽が地面に届かず、広がった日蔭に我々小さな人間たちは包みこまれて、さすがにその地帯では気温が下がって涼しさが強く、結構寒々しい空気の質感だった。そこを通っているあいだに、MUさんが林のなかにマットレスが不法投棄されているのを見つけて、野生のマットレスだよ、と言ったのでちょっと笑った。歩いている途中、後ろから走ってきたライトバンめいた車が停まって、禿頭の高年男性が、大丈夫ですか、と声を掛けてきた。どこまで行くのと訊くのに釜飯屋に向かっていると返すと、男性はそこの者だと言う。思わぬ偶然だった。三人だったら後ろに乗せて送ってあげられると彼は言ったが、我々は皆で揃って行きたかったので、大丈夫ですと断って、礼を言って別れた。
 林に接した領域を抜けると日向が回復されて、人家も増えてきて、さらにもう少し行くと駐車場を示す釜飯屋「なかい」の看板が見えてきた。先頭を行っていたTは何故か出し抜けにぱたぱた走り出して、先に店に向かい、そのあとからKくんもついていき、ほかの四人はあとから遅れて店に到着した。入口の前でちょっと立ち止まり、庭内に紅葉などが取り揃えられて趣深い風情の外観を眺め、撮る者は写真も撮った。左方、緩い上り坂の上の方には、こちらにはよく見えなかったが石垣か何かがあったようで、あれも面白そうだとT谷は言って、実際あとで見物に行っていた。暖簾を分けて庭に入ると、店のなかにも、足もとに紅葉が散らばっている庭内にも結構人がいて、店舗入口前に立って我々が来るのを待っていたTによると、一一組も待っているということだった。相当な人気である。我々は三時半から立川のスタジオを予約してあったのだが、三時半開始にはどうしても間に合わなさそうなので、キャンセル料を覚悟して時間を一時間分、後ろにずらしてもらおうということで一致し、Tが電話を掛けたところ、時間をずらすことはできないと言うか、単に延長するという扱いになってしまうということらしいので、それなら開始には遅れてしまうけれど三時半から六時半の三時間で取っておき、行ける時間に行けば良いだろうとまとまった。川井発二時五四分の電車に乗れば、四時前にはスタジオに着くことができる。駅まで歩いて戻る時間を考えると、店を二時半頃には出なければならないなと見当をつけた。
 それでT谷、T田、MUさんの三人は庭の外に出て先ほどの石垣などを見物に行き、こちらとTとKくんは敷地内に留まった。木造りの長テーブルを設えた待合席があったのでそちらに移り、今日のスタジオでアレンジを進めようという予定の"D"について確認した。Tがコード進行表を人数分持ってきてくれていたので受け取って再確認していると、頭上、まさしく燃え盛るがごとく赤々と染まりきった楓の樹冠の彼方に太陽が膨らんで照り輝き、テーブルに置いた用紙の上に光に照らし抜かれた葉叢の薄影が投影されるのだが、それが淡くまろやかな紫の色を帯びていて目に珍しく、風に梢が揺らされるのに合わせて手もとに映ったその分身の方もふるふると細かく幽かに振動するのだった。Kくんはこちらの隣でコード進行表を見つめ、向かいのTはスマートフォンで音源を聞きながら、テーブルの上で両手指を動かし、ピアノのフレーズを確認していた。
 一一組も待っているからかなり時間が掛かるのではないかと思っていたところが、結構進みは速くて、思いの外すぐに番が回ってきそうだったので、半分ほど進んだ時点でTは外の三人に連絡した。彼らが戻ってきてまもなく、呼ばれたと思う。入口をくぐり、靴を脱いで鍵付きの靴箱に入れ、板状の鍵を抜き取ってジャケットのポケットに入れたが、この時、一同のなかに三人くらいブーツを履いてきた者があって、彼らは結構脱ぐのに手間取っていた。それから店のなかに上がり、入って左側の室の一番端の、長テーブルの席に通された。温かな緑茶が用意された。メニューを見れば釜飯以外にも定食とかうどんとか蕎麦とか色々と取り揃えられていたが、やはりここはメインである釜飯を食うべきだろうと、当然皆一致した。季節限定や数量限定のメニューを除けば品は茸の釜飯と山菜おこわの釜飯の二種類があり、こちらとKくんが茸のもの、ほかの四人は山菜おこわのものに決定した。それに加えてKくんは味噌田楽を頼み、さらに、注文を受けてくれた丁重で穏やかな態度の男性店員が、柱に貼られた原木椎茸八〇〇円の表示を示して、もう最後ですので良かったら是非、と勧めるのを受けてT田が、じゃあ頂きますと何の躊躇もなく推薦に従って、それも注文されることと相成った。
 まず味噌田楽がやって来た。Kくんは品物を皆に分けていたが、こちらは彼の食べる量が少なくなってしまうだろうというわけで遠慮し、甘味のある味噌だけをちょっと舐めさせてもらった。次に椎茸。到着した途端にバターの香りが凄いとTが漏らしたその品は、醤油をさっと掛け、檸檬を絞って召し上がってくださいとのことだった。一切れ取皿に取って醤油を垂らして頂くと、肉厚で風味も強く、とても美味かった。二つ目は檸檬の掛かったものを頂いたが、これも柑橘系の酸味が風味のなかに上手く混ざりこんで美味だった。
 そしてメインの釜飯である。膳のメニューは主役の釜飯に汁物として水炊き、漬物が胡瓜と沢庵とあと何か一つ、三種類添えられ、あとは刺身蒟蒻とデザートの饅頭だった。茸の風味と味わいが染みた釜飯は言うまでもなく美味である。ただ、隣のMUさんが――書き忘れていたが、席順を明示しておくと、こちらの位置は六席の手前側の右端、左方に向けてMUさん、Kくんと並び、こちらの正面にはT谷が就いて、そこから左にT、T田という順番だった――山菜おこわの釜飯を分けてくれると言うので、こちらの分も渡して交換し、ちょっと頂いたところ、おこわのもちもちとした食感が実に美味く、これはおこわを選んだ方が好みに合っていたかもしれないなと思われた。刺身蒟蒻は、我が家でもたまに母親が買ってきて食卓に供されるが、それが時々、品によってはちょっと生臭さのような風味が鼻につくことがあるところ、この店の刺身蒟蒻は、当然のことだが品の良い味だった。水炊きも、野菜の味がよく染み出ていて美味い。T谷は水炊きは苦手らしく、と言うのは、茸の風味で無理矢理誤魔化そうとしているような品が結構あるからだと言うのだが、この水炊きは美味いと評価していた。水炊きには、これもまた檸檬を絞って食べて下さいと黄色い柑橘の小片が添えられていて、後半でそれを垂らしてみたところ、酸味が結構上手く混ざって、まろやかで優しげな味になった。饅頭は、こちらは餡子があまり得意でないのでどうかと危ぶんだが、この饅頭の餡子は甘味が弱く、全然くどくなく、甘ったるさがまったくなくて非常にさっぱりとした上品な甘さだったので、問題なかった。外の生地も、TとT田が小籠包みたいだとか言っていたが、確かに肉厚で弾力のあるものだった。
 店員のなかには一人、やたらフランクな態度の中年女性があって、巨大な急須に入った茶のおかわりを持ってきた際なども、ここに置いとくね、と砕けた口調で話しかけ、注文が一人分遅れてきたことについても、片づけの際に触れて、一つ遅れちゃってごめんね、ごめんね、と親しみ溢れる口調で謝っていた。注文は、山菜おこわを四つと言ったはずが上手く伝わっていなかったらしく、膳が一つ遅れて、T田がそのあいだ空腹の憂き目を受けたのだった。店内BGMとしては琴の演奏が流れており、テーブル上にはピラカンサの、まだ赤く染まりきっておらず、薄いオレンジ色に留まった段階の小鉢が置かれてあった。食事を堪能しながら会話を交わしたのだが、例によって内容はあまり覚えていない。料理に対する品評を皆で下しながら、合間に別の話題が差しこまれるという感じではなかったか。まるで不十分な一言ばかりのメモに頼ると、『エルフェンリート』の話が一つにはあった。どういう流れでその名前が出たのか全然覚えていないが、T谷がこの作品名を口にしたのだ。鬱系と言うか、グロテスクな描写のある作品として、こちらも名前を聞いたことはあった。それで、お前の隙な脚本家の人の作品ではなかったかと訊くと、いや、虚淵さんではないとのことだった。何故その作品名が話頭に上がり、どんな話題と繋がっていたのか、全然思い出せない。T谷が最近見たということだったのだろうか? ほか、色の知覚の話があって、西洋人は日本人と比べて色が薄く見えるのだという知識をT谷が披露した時間もあった。だから外国のアニメは色がやたらとどぎついのだと言う。そして、日本人は西洋人に比べて色には敏感だけれど明度の判別が弱いと、そんな話をしている最中にT谷が、「外人様は」という奇妙な言い方を漏らして、言った傍から突っこまれ、いや、「外人」という言い方は好きじゃないんだけど思わず出てしまったので、「様」をつけてカバーしようとしたんだ、と弁明していた。中和しようとしたわけだなとこちらが差しこむと、T谷は、そう、中和、と受け、隣のTが中和できてたよと言うのには、いや、できてなかったと思うと笑っていた。
 我々から見て正面の席にはスーツ姿の男女たちが集まっていたのだが、隣のMUさんがこちらに囁いてきたところによると、彼らは先ほどから、一言も会話を交わさないで黙りこくっているとのことだった。その重々しい雰囲気に飲まれてしまったのか、その隣の席の夫婦二人連れも黙ってしまっている、奇妙だと彼女は言った。しかしそれからちょっとすると、サラリーマンたちのテーブルに笑いが灯っていたので、ああ良かった、喋らないわけではなかったのだと二人で確認して安堵した。
 そうして二時一五分頃になったところで、退去することにした。俺が一旦全部払うからと伝票を持って、会計に向かった。会計場は何故か、天井から仕切りのようなものが下がってカウンターの向こうにいる店員の顔がまったく見えないような奇妙な形になっており、こちらは身を屈めて向こうを覗きこむようにして、例の丁重で穏和な物腰の男性店員と顔を合わせなければならなかった。会計は合わせて一一四八〇円だったか? 金を支払い、礼を言って場を離れると、靴を箱から取り出し、T谷がブーツを履いている横でさっと足を入れて、店の入口をくぐった。
 道に出ると、TとT田は何故か競争するように走り出して先頭を行き、ほかの四人はあとからついていく。電車の時間まで三〇分ほどの猶予があったが、遅れてしまうとまた長く待たなければならないからといくらか速めに歩くことになった。Kくんが涼しい顔をしながら結構歩くのが速く、我々のグループよりも先に突出してやがて前の二人と合流し、MUさんとT谷とこちらの三人はあとからそこそこの速度で進んでいった。道中T谷と、"D"のアレンジをどうするか、といったような話をちょっと交わした。また、Tにボーカルメロディの楽譜を作ってもらわないとな、ということも話した。前々からT谷は楽譜が欲しいと要求しているのだが、T自身は脳内の記憶に頼って事を進めるタイプで、あまり楽譜の必要性を感じていないらしい。とは言え、T谷が楽譜が欲しい、楽譜を作れと「無限回」言ってきたので、そろそろ彼女も要求に応じてくれるだろうとのことだった。本当は、作曲の段階から楽譜作成ソフトを使って作れば、一番手っ取り早いのだよなとこちらは受けた。Tは今は、単純な記憶と、歌とかちょっとしたピアノ演奏をスマートフォンなどに録音しておいたその音源を頼りにやっていると思うのだが、そうしたものも楽譜として視覚化されていた方が共有もしやすいだろう。
 それでやがて川井駅に到着して、先の三人と合流した。釜飯屋で茶を飲んだためだろう、こちらは尿意がやたらと嵩んでおり、トイレに行きたくて仕方がなかった。駅には木造の駅舎めいた建物があって、ここはトイレではないかと思ったのだが、それらしき入口がなかったので諦めた。それで尿意を紛らわすために、というわけでもないが、西の方角を見て、高校の卒業打ち上げのあとの朝の記憶を話した。高校の卒業打ち上げもここ川井にあるキャンプ場で行われ、川井という地を訪れたのはそれ以来だからおそらく一一年ぶりくらいになるわけだが、一晩過ごして帰路に就いた際の早朝に、西の方面からやって来る電車の前面に、背後、東でまだ昇りはじめたばかりの太陽の光が反射して輝いていた、それを覚えていると話した。そうした場面を含んだ高校時代の記憶を元にして小説を一本作ろうと昔は考えていたのだが、今はもうその気はない。そんな話をしていると、遠くの眼下、川の上空に落葉が虫のように群れ、光を弾きながら浮遊しているのを誰かが発見して皆で目を向けた。すると今度は、近く、線路のすぐ向こうの斜面に建った家の屋根に猫が現れて、暢気そうにのそのそ歩いて物陰に隠れていった。そうこうしているうちに青梅行きの電車がやって来て、曲線を描く線路に応じて車体が弧を描くと、横から太陽が降り注ぐ位置関係になって、背の上に白光が反射する。電車が迫る様子を見てTは、格好いいなと漏らしていた。
 乗車する頃には、尿意がかなり切迫していた。店で済ませてくれば良かったのだが、時既に遅しである。男子三人が、何故かサンダーバードの話などをして盛り上がっているなかで、Tに声を掛けて、青梅駅で乗換え時間はどれくらいあるかと尋ねると、スマートフォンを使って即座に調べてくれた彼女は、二分だと言う。二分か、と苦笑して、それじゃあ、トイレに滅茶苦茶行きたいから、俺は便所に寄って一本あとで行くわと告げた。その後も尿意は当然減じることはなく絶えず差し迫っており、ことによるとこれは漏らしてしまうのではないかとも思ったが、不安障害時代のようにそれで不安が高まって尿意を相乗させるという現象は生じなかった。股間が冷たくなってくるような感覚を気にしつつ、皆の話を聞いたり、こちらから多少話をしたりした。口をひらいて喋っているとやはり気が紛れるところがあったので、Tがこちらに、この一か月はどうでした、と何かの拍子に尋ねてくれたのは有り難かった。と言って、特に変わったことがあったわけでないので、どうだったかと訊かれてもすぐには特段の回答を思いつかず、どうだったかなあ、まあ普通かな、と凡庸に落としたあと、最近はしかし、音楽をよく聞いているなと口にした。ジャズを、特にBill Evansをやたらと聞いていて、やはりとてつもなく素晴らしいのだと言った。ただ、インターネット上を検索してみても、ジャズの優れた感想や批評文を綴っているようなサイトは、ほとんど見当たらず、大抵の文章が実にふわっとした曖昧なものに留まっている。それなので自分がもう少し具体的で、読み応えのあるような文章を書けたら、という野望を抱いていると明かした。事情は古典的なモダンジャズのみならず、現代ジャズにおいても同じである。と言うかむしろ、現在進行形のジャズについてこそ、優れた感想や批評を書き綴り、リスナーの方もプレイヤーたちの努力に応え、シーンを盛り上げていかなければならないはずなのだが、現代のジャズというジャンル自体がそこまでメジャーなものでなく、ジャズが好きだという人でも聞くのは大概モダンジャズに留まっているだろう。なかにはいくつか、現在進行形のものを色々と聞いて感想を書いているサイトはあるものの、やはりもっと面白い文章で記されていなければならないとは思う。Kくんもそれに応じて、ジャズの感想ってなると、コード進行やフレーズのアナライズとか、理論に通暁していないといけないから、難しいよね、と言う。自分は勿論素人なのでそこまではできないが、聞いた立場からの印象を具体的に綴ってみたい、とこちらはそう答えた。
 そうして青梅に到着すると、皆と離れて急いで便所に行った。狭い室内に清掃員の女性がいたので無言で会釈をしたのだったが、何か声を掛けた方が良かったかもしれない。それから小便器の前に立ち、勢い良く放尿したあと、手を洗ってハンカチで拭きながら室を出ると、間に合わないと思っていた乗換え先の電車がまだ停まっていたので、一番近くの口から乗りこんだ。それで身体を揺らされながら車両を移り、間に合ったわと言いながら皆のところに合流するとTが、凄い、と言って、ヒーロー感ある、ただトイレに行ってきただけなのに、と妙な褒め方をするので、ねえよと笑って否定した。ヒーローは遅れてくるからね、とKくんもTに応じていた。
 さて、嵩んでいた尿意も解消されて、安心して電車に揺られることができたが、立川までの道中にはどんな話を誰としたのか全然覚えていない。いや、思い出した。高校の合唱祭の話をしたのだ。Tに、三年E組は合唱祭の自由曲は何だったかと尋ねたのだが、彼女はどうしてもそれが思い出せなかった。合唱祭実行委員として働いており、あまり練習に参加しなかったためだと言う。その隣に立っていたT田が何と当時の合唱祭実行委員長だったのだが、しかし彼は、自分が何の仕事をしていたのか全然覚えていないと言う。Tら実行委員の方が実際には働いていて、T田は主に許可を出すだけみたいな立場だったようだ。こちらが属していた三年B組の自由曲は、黒人霊歌から取った"ジェリコの戦い"である。それで三年の時には全体で三位を記録した。二位はG組、何とかの巌みたいなタイトルの曲だったはずだが、何も印象に残っていない。一位はしかし忘れもしない三年A組、"四四羽の紅雀"というだいぶプログレッシヴな合唱曲で、これが高校生にしては高度な、非常に良くまとまった合唱として成立しており、聞いた瞬間にこれは負けたなと、彼らが優勝に違いないと確信されたのだったが、俺はあれを聞けただけでも合唱祭に参加した価値があったと、当時のこちらが言っていたのをよく覚えているとTは言って、そういう気持ちを抱いたことはこちら自身もよく覚えている。とても面白い曲なので、読者諸兄も聞いてみてほしい(「44わのべにすずめ」 大阪ハインリッヒ・シュッツ室内合唱団 https://www.youtube.com/watch?reload=9&v=109Kr3kBiNQ)。よくもまあ、高校生の、しかも部活動でなくクラスの合唱でこの曲をやろうと考えたものだ。それは多分、合唱部にも属していて練習を主導していたであろうKJ.Gくんのイニシアティヴによるものだったのだと思う。彼とこちらは一年時に同じクラスだったこともあって多少交友もあり、相手は男子であるにも関わらず、こちらは何故か彼のことを「KJさん」とさんづけで呼んでいた。クラスの音楽的なリーダーだった彼はバスを担当していて、本番では実にふくよかげ堅固な低音を披露して良い仕事をしていたのだったが、優勝が決まったあとのアンコール、再度の合唱披露では、気が抜けたのだろうか本番のテイクと比べるとA組のバスは腑抜けたように、腰が軽く不安定なものになってしまって、そのことをその後しばらく馬鹿にしていたのを覚えている。
 そうこうしているうちに立川に着いた。MUさんは預けていた荷物を取りに行き、Tはトイレに向かった。階段を上がって男子四人で待機していると、MUさんが階段を上がってきた。ロッカーはホーム上にあったらしい。T谷は飲み物を買いたくて仕方がないようだった。じきにTも合流したので改札を抜け、SUICAが残高不足になっていたKくんは窓口で処理手続きを行った。改札を出た場所でそれを待っているあいだ、皆に釜飯屋の代金を頂いた。いや、ホームから階段を上がったところの通路で待機しているあいだだったかもしれないが、それはどちらでも良い。皆から一九〇〇円ずつ貰い、Tからも頂いたのだが、T田がMUさんへの誕生日プレゼントの代金もと指摘してTがそのことを思い出し、二〇〇〇円を払ったので、貰った金をほとんどそのまま返すような形になった。
 そうして、南口へ向けて歩き出した。先頭はTとKくんの夫婦が行き、彼らがエスカレーターを下りていく脇でこちらは階段を小走りに下り、駅を出てロータリーを回ってマクドナルドの前を右方に折れた。日高屋の前を通り過ぎてもう少し行けば、GATEWAY STUDIOである。高校時代だったか大学時代だったか忘れたが、昔にも利用したことがある。小さな戸口から入って階段を上がり、カウンターでTが電源ケーブルなどの入った籠を受け取って、もう一階分螺旋階段を上がった。部屋は七番である。ストラトキャスターが二本と、フェンダージャズベースが用意されてあった。こちらは室の奥、鏡が張られた壁際の角に置かれてあったフェンダーのアンプを使うことにした。T谷がマーシャルである。室内に吊るされてあったチューナーでチューニングを済ませ、アンプに繋ぎ、トーンを適当に設定してリバーブをほんの僅か、薄く掛けると準備はOK、適当に弾いているうちに今日やる"D"のバッキングが出てきて、自然発生的に皆でちょっと合わせる感じになり、それを機に本格的な作業に入っていったと思う。
 室に入ったのは多分四時頃だったのではないか。それから六時半まで、アレンジを続けた。最初はエレキギターを二本用いて、こちらがカッティングを担当し、T谷がトーンを少々歪ませてもう一種類のバッキングを色々と試していたのだが、最終的に歪みはいらないのではないかとまとまり、カッティングもアコギでやった方が爽やかで良いのではないかと案が出た。それでTがエレアコを借りてきてくれたのをこちらが受け取って試してみたところ、わりあいに良い感じだったので、アコギとエレキで概ね同じ種類のバッキングを合わせたその上に、もう一本を加えるかどうか、加えるとしたらどのように加えるか、というような段になった。Kくんがベースからギターに持ち替えて、ちょっとしたメロディを絡めたコードプレイというようなオブリガート的なフレーズを披露してくれ、それで大方形は固まって、あとは一番から二番に移る前の間奏のキメをどうするかという点を探ったものの、決めきれずにタイムアップとなった。
 昔はよほど引っこみ思案な人間だったから、スタジオ練習の時などは自分の意見を言わずに黙り、リーダーシップを取りがちなT谷に任せていたものだが、こちらも歳を取ってだいぶ図太く偉そうになったということか、この日は考えをいくらか述べたようだった。キーボードを弾きながらボーカルを取るTの声が詰まって窮屈そうな感じで、どうも柔らかくないなと聞かれたので、途中でちょっと身体をほぐしたらと提案して、こちらもギターを置いて立ち上がり、背を伸ばしたり開脚して身体をひねったりしていたのだが、そうして背伸びをしているところをMUさんに撮られていたようで、あとでLINEに写真が上がっていた。
 それで六時半前になると片づけをした。Tがケーブルの八の字巻のやり方がわからないと言うので、一緒にやってみようと言って教えようとしていたところが、スタジオの職員に次があるのでとりあえず退出を、と促されてしまったので、すみませんと言って室をあとにした。そうしてロビーに戻り、カウンターテーブルに寄って曲についていくらか話し合いをした。BGMになかなか格好良い音楽が掛かっていて、ベースがよく動くファンキーでスタイリッシュな歌物だった。
 その後、ガストがすぐ向かいにあるということで、ファミレスに行くことになった。カウンターの店員に礼を言って退出し、ビルを出て、道路を渡って向かいのビルの横から階段を上り、ガストに入店した。出てきた女性店員の顔立ちが、高校の同級生であるO田さんにちょっと似ているとT谷は言ったが、こちらにはそうは思われなかった。ちょっと待っているうちに六人掛けの席を片づけてくれたようで、すぐに通された。昼の釜飯が結構多かったのでそれほど腹は減っておらず、サラダとサイドメニューの唐揚げでも食おうと思っていたところが、ナスやら何やらの入ったトマトソースのチーズ焼きみたいな品にも食指が動き、結局こちらは三品も頼むことになった。手前の右端に座ったこちらから見て反時計回りの順でメンバーたちの注文を記録しておくと、正面のKくんはマヨコーンピザ、その隣のT田は肉がごろごろ入ったパスタ、Tは何も頼まず、MUさんはサンデーとドリンクバー、こちらの左隣のT谷はパフェめいた品と、あともう一品何か頼んでいたのだがそれが何だったかは忘れてしまった。Kくんの頼んだマヨコーンピザは、全然美味くないらしかった。変な風味があって、充分に温まってすらいない代物だったようなのだが、その後、KくんとT田は二人で、フォンダンショコラだったか、何かそんなような名前のチョコレートケーキを頼んでおり、こちらの味には満足したようで、Kくんなどはピザと比して、このケーキ、ガストのメニューで一番美味いかも、などと言っていた。
 会話はT谷が先に帰る前とそのあととで大きく分かれるのだが、前半の時間で一体何を話していたのか、全然記憶が蘇ってこない。皆はそれぞれ適当に何かしら話していたと思うのだが、こちらは多分、比較的黙りがちで黙々とものを食っていたのではないか。全員ではないが、それぞれの近況報告みたいな時間が多少あったような気がする。こちらはまた音楽をよく聞いているというような話をしたのではなかったか。T谷は、よく覚えていないが、情報セキュリティについて政府が今後進めていく政策の下敷きとなるような文書を作ることになりそうだ、みたいなことを話していて、凄いではないかと皆で受けた。
 その後、Tにプレゼントをする段になった。プレゼントと言っても用意していたのはこちらとMUさんの二人だけだったようだが、MUさんからは小さな加湿器が贈呈された。梟の姿を象ったもので、セラミック素材だと言い、なかを覗いてみても何もなかったのだが、水を注ぐだけで空間を加湿してくれるらしい。こちらからは中村佳穂の『AINOU』のCDを贈り、一〇曲目、一〇曲目が名曲だから聞くんだと強く勧め、正面のKくんにも、一緒に聞いてあげてねと言っておいた。
 そのほか、音楽活動の計画を話し合った。順当に行けば二月八日あたりにスタジオで"C"をレコーディングすることになりそうなのだが、そこから逆算して、その二週間前くらいにはギターアレンジもボーカルやコーラスも確定し、皆で確認するために音源を用意しておかなければならない。それで修正するべき部分があれば修正し、Tは本番までにメインメロディだけではなくて確定させたコーラスも歌えるようにしておかなければならないというわけだ。T谷の要望としては、先ほども記した通り、ボーカル及びコーラスの楽譜も作ってほしいということだった。
 T谷は翌日も仕事だし、立川からだと家も遠いし、疲労もしていたのだろう、今日は早めに帰るということで、九時半前に一人先に去った。その後、Tが作ってきた"C"の仮MVを一人ずつ見せてもらった。こちらよりも前に見たKくんやT田が、多動的、とか評していたから何かと思えば、確かにそれぞれの映像の表示される長さがちぐはぐで、長く映る箇所と短く過ぎていく箇所とのバランスが悪く、後者の次々に映像が変転していく場面を指して、彼らは多動的と言ったのだとわかった。そうしたことを指摘し、主題面でも、宇宙の映像が主軸となってそこに地球上の事物とか風景とかが差し挟まれるような趣向になっているのだが、画像の配列をどのように組み立てるか、といったようなことをちょっと話し合った。
 その後、何故だったのかわからないが、こちら、T田、MUさんと、T、Kくんのグループに分かれて話を続けていると、MUさんが、最近のハイライトを聞いてと言い出した。好きなコスプレイヤーの人の写真を元にして絵を描き、それをTwitterに上げたら、その人本人から好意的な反応があって非常に嬉しかったと話しながら、彼女は当の画像を見せてくれた。絵というものをまったく描くことのできない人種なので、絵の形になったものを作れるというそれだけで凄いと評価してしまう。嬉々として話すMUさんの様子を受けて、いいなあ、俺の最近のハイライト何だろう、と言って考えてみたものの、特に思い当たることはなかった。変化のない生活である!
 T田には小説の進捗はどうかと尋ねてみると、結構進んでいるらしいが、記述はまだ夕方までしかできておらず、星が出る時間には至っていないとのことだった。骨が折れる、と漏らすので、それはそうだ、何でもそうだと受ける。上手く書けたと思えることもあり、そういう時はやはり気持ちが良いと言うので、風景描写などかと訊くと、職業柄、風景よりも身体の動きなどの方が上手く書ける気がすると言っていた。ただ、書いている最中に上手く書けたと思った箇所でも、あとでまた読み返してみるとその時には全然書けていないように見えると、これはT田本人が話したことだったか? 彼自身はそうは言っていなかったかもしれない。最近一番嬉しかったこと、MUさんの語で言えばハイライト的な瞬間というのは、やはり小説を書いていて力を尽くして上手く書けたと実感できる時だと、これは確かに言っていたはずだ。
 そんな感じで話をして、一一時二〇分頃になって退店した。連れ立って歩き駅に戻って、改札の前でKくんがSUICAにチャージをするのを待った。Kくんは妙に時間を掛けていたのだが、そのあいだに何を話したのだったかは例によって覚えていない。改札をくぐると、南武線に乗るT田が離脱するので、ありがとうと手を振って別れ、MUさんもトイレに行くということで離脱し、こちらとKくんとTの三人で通路を進んだ。一一時三六分だったか、最終の奥多摩行きの発車が迫っていた。Tも一緒に乗るものだと思っていたところが、遅れちゃうから先に行きなと言うので、行かないのかと尋ねると、その次の電車で帰るとのことだった。それで青梅線に下りる口の前で二人と向かい合い、例によってKくんと握手をして、じゃあなS、じゃあなJ、といつもながらの挨拶を交わした。それから礼を言い、また連絡してくれと残してエスカレーターを下り、奥多摩行きに乗りこんで扉際に立った。ちょっとぼんやりしてから、手帳を取り出してメモ書きを始めようとしたところでしかし、Tが現れた。MUさんがトイレから戻ってきて間に合ったので、やはり乗ることにしたと言う。MUさんとKくんの二人もホームに見送りに下りてきてくれたので、電車が発車すると、手を挙げて別れを交わした。
 その後、Tと話しながら拝島まで帰路を共にした。MV難しいねと彼女は漏らしたので、難しいね、かなり難しいね、と応じた。それから、レコーディングをしないのはどうして、と訊かれた。今日のようにスタジオで軽く合わせるくらいのことだったらやっても良いのだが、こちらは正式なレコーディングには参加しないと明言している。質問の答えとしては、きちんとしたレコーディングをできるほどの実力が自分にはない、という点をまず挙げた。次に、練習をしてそれを埋めようにも、そこまでの余裕は正直なところないと言い、さらに自分の感じを適切に表す言葉を探しながらも見つけられず、ほかに思いつかなかったので仕方なく、そういう状態でやっても無責任になってしまうから、と落とした。責任とか無責任とか、通りが良く、便利で嫌な言葉だ――その聞こえの良さによって単に、面倒臭さや労力を避けたい気持ちや、そこまでの興味はないということを糊塗したのではないかとも自分で思われる。
 そのあと、今日のことに話題が移ったと思うのだが、その時に、伝えたかったことを一つ言うなら、と話し出した。昼間も話したように、最近は音楽をよく聞いている。当然のことだけれど、例えば歩きながら聞いているよりも、目を閉じてじっと耳を傾けて聴取した方が、受け取れる情報量が全然違ってくる。そのように、真剣にその音楽だけに集中して聞く時間をやはり取らなければならない。Tにもそういう時間を、一日に一曲分だけで良いので是非取ってほしい。とにかく毎日、一曲だけで良いので集中して聞くということが大事だ、とそう伝え、それを一年間続けると、色々なことが変わってくると思うよ、と最後は曖昧に落としたのだが、実際、耳は肥えるだろうし、音楽に対する感受力はかなり高まるだろうとも思う。そうしたこちらの言葉を受けて、Tは携帯にメモを取っていた。それから彼女は黙って、頭をちょっと傾けて考えこむような表情になり、こちらも話題が思いつかないので黙りこくっていたところ、しばらくしてTは、楽譜のことを話しはじめた。T谷からは楽譜を作れ作れとせっつかれるものの、彼女自身は、あまり作譜の必要性を感じていないのだと言う。昔はむしろ何でも楽譜にしようと思って取り組んでいた時期があり、それは譜読みが拙かったのでその練習という目的も兼ねていて、それで実際いくらか楽譜の読み取りは改善されたらしいのだが、結果として自分の場合、楽譜作成よりもほかのことに時間と労力を向けるべきなのではという結論に至ったのだと言う。それで作らなくなったらしいのだが、ほかの人にとっては楽譜が結構大事なんだなとわかったと、結構意外な風に受け取っていたようだ。とは言え、何か良いソフト、手軽に作譜できるようなソフトがあればやってみるというつもりでいるようだったので、今は色々あると思うよと受け、それからもう一つ、楽譜というのは自分の頭のなかにある音楽情報を他者と共有するためのツールでもあるわけだから、自分にとっての意味だけでなく、他人にとっての意味合いも考えてみてほしいというようなことを伝えようとしたところ、それを口に出す前にTが、こちらが替わりに持ってあげていた荷物を受け取る素振りを見せて、扉上の表示に目を振ればもう拝島に着いているのだった。あれ、もう拝島か、と口にして荷物を渡し、するとTは、黒い手袋を片方外して握手を求めてきたので、手を握ると、二十代最後の一日を一緒に過ごしてくれてありがとう、みたいなことを言われたと思う。それで彼女は降りていった。発車までほんの少し時間があって、彼女はホームから見送るために待っていたので、戸口に寄って、最後の一つ言っておくなら、と口にして、先ほどの他人のための意味合い、というようなことを伝えようとしたものの、完全には伝達できなかった。しかし彼女はこちらの言わんとすることがわかったようで、絵替えで見送ってくれたので、手を振って別れた。
 その後、青梅までの道中はメモを取り、この電車は奥多摩行きだったので乗り換える必要もなく座ったまま最寄り駅に着き、降りて駅を抜けると、個人商店の前の自販機に寄って、一五〇円のコカコーラゼロのペットボトルを買った。それをバッグに入れて帰路を辿ったが、この日からもう四日も経ってしまっているので、さすがに帰り道の記憶はない。帰宅後も風呂に入って本を読んだくらいのことしかしていないと思われ、特段に印象に残っていることもないので、この日の日記はここで終了する。


・作文
 9:12 - 9:25 = 13分(20日

・読書
 8:38 - 9:12 = 34分
 10:39 - 10:45 = 6分
 25:27 - 25:51 = 24分
 計: 1時間4分

・睡眠
 1:30 - 8:00 = 6時間30分

・音楽

  • 中村佳穂, "永い言い訳"(×2), "忘れっぽい天使"(×2)(『AINOU』: #5, #10)
  • Bill Evans Trio, "Autumn Leaves (take 1)"(『Portrait In Jazz』: #2)