2019/11/27, Wed.

 さて、ヒムラーの意を体して、アウシュヴィッツは、古今未曾有の大虐殺機関とされた。一九四一年夏、アウシュヴィッツに大量虐殺用の場を整え、その虐殺を実行すべしとのヒムラーの命令が伝えられたとき、私は、その規模と行く末について、片鱗も思い浮かべられなかった。
 たしかに、この命令には、何か異常なもの、途方もないものがあった。しかし、命令ということが、この虐殺措置を、私に正しいもの[﹅6]と思わせた。当時、私は、それに何ら熟慮の目をむけようとはしなかった――私は命令をうけた――だから、それを実行しなければならなかったのだ。
 このユダヤ人大量虐殺が必要であったか否か、それについて、私はいかなる判断も許されなかった。その限りで、私は盲目だったのだ。もし、総統自らが「ユダヤ人問題の最終的解決」を命じたとあれば一人の古参ナチ党員にとって、いかなる疑いもありえない。まして、SS隊長となれば、なおさらのことである。「総統は命じ、われらは従う」――これは、われわれにとって、決して空言葉ではなく、単なるスローガンなどでは絶対になかったのだ。それは、きびしく、真剣にうけとられたのだ。
 戦後、逮捕されて以来、私はくり返しいわれた。まさにこの命令を、私は拒否しえたのではないか、ヒムラーを射ち殺すことさえできたのではないか、と。――だが、私は信じない。何千というSS隊長の中に、ただ一人でも、そうした考えを自らに許した人間がいたとは信じない。要するに、そうしたことは、全くありえないことだったのだ。
 たしかに、多くのSS隊長は、ヒムラーの苛酷な命令に不平をいい、毒づいたりもした。しかし、それでも、彼らは、それをすべて実行した。ヒムラーは、その仮借ないきびしさによって、多くのSS隊長を、容赦なく処断した。しかし、それでも、彼に手をかけることを敢てしようなどと、心の奥底で考えるだけでもした人間が一人でもいたとは、私は信じない。SS全国指導者としての彼の人格は、神聖冒すべからざるものであったのだ。総統の名における、彼の原則的命令は、聖なるものだったのだ。それにたいしては、いかなる考慮、いかなる説明、いかなる解釈の余地もなかった。その命令は徹頭徹尾完遂されねばならなかった。たとえ、そのために命をなげうたねばならぬことがあろうとも。そして事実、戦争中、少なからぬSS隊長がそのとおりにした。
 (ルドルフ・ヘス/片岡啓治訳『アウシュヴィッツ収容所』講談社学術文庫、一九九九年、290~291)


 今日も今日とて、正午過ぎまで腐れ寝坊。ベッドから出るとコンピューターは点けずに上階に行き、寝間着からジャージに着替えてダウンベストを羽織った。母親は料理教室に出掛けている。台所に入ると昨晩のおじやが残っていたのでそれを電子レンジに入れ、フライパンに炒められてあった豚肉も皿に取り出してからトイレに行った。排尿して戻ってくるとおじやと入れ替わりに肉をレンジに突っこみ、熱を持ったおじやの容器を両手で持って卓に運び、腰を下ろすと食べはじめた。その後、豚肉も持ってきて、新聞を瞥見しながら食事を取り、平らげると台所で食器を洗った。風呂は残り水が多いので洗わなくて良いと書置きにあったので放置して、そのまま下階に帰ってくるとコンピューターを点け、前日の記録をつけたり今日の記事を用意したりした。ちょっとだらだらしたあとに日記作成に取り掛かって、まず今日の分をここまで短く記して一時九分である。
 それからメモに従って二五日の記事を進めた。力の抜けた平易な書きぶりになったように思う。二時半を越えて完成させ、インターネット上に日記を投稿するついでにTwitterをちょっと眺めてみたが、およそ退屈の感しか湧いてこなかった。Twitterという空間も、どうやら自分の居場所ではないようだ――昔にも同じことを思って撤退したのだが。今回は撤退はしないまでも、日記の投稿通知と、わりあいによく書けた箇所の引用だけ呟いていればあとはもう良いかな、という気分になっている。とにかく皆、どうでも良い冗語を喋りすぎではないかと思う――「白痴のおしゃべり同然、がやがやわやわや、すさまじいばかり、何の取りとめもありはせぬ」(シェイクスピア福田恆存訳『マクベス新潮文庫、1969年、125~126)。
 その後、運動をした。長く寝坊しただけあって身体が固かったので、the pillowsを歌いながら屈伸を何度も何度も繰り返し、そのほか開脚や腰をひねる運動も行った。そうして三時直前に至って食事へ向かった。母親は帰宅しており、料理教室で弁当を作ってきてくれたのでそれを有り難く頂くことにして、台所の調理台の上に置かれてあった弁当箱を温めた。メニューは米にビーフストロガノフ、それに南瓜のコロッケ、あとはキャベツのコールスローサラダである。ビーフストロガノフとは何なのかと食べながら訊くと、牛肉と玉ねぎを炒ってデミグラスソースで和えた料理だとか言う。八月のロシア旅行の最中にも食ったもので、あの時には壺のような容器のなかに入っていて、確か蕎麦の実と一緒に詰めこまれていた記憶がある。ゆっくり味わって弁当を食っていると母親が、饅頭を買ってこようかなと言う。三〇日に山梨の祖母宅で食事会があるのだが、そこに持っていくための品だ。それを求めに出掛けるらしかったので、緑茶を買ってきてくれないかと言うと、まだあると答えて母親は戸棚を探り出し、高いのがあったと持ってきたのは、これもまた例によって何かのお返しの品らしいが、確かにわりと品の良い包装に包まれてあるのだった。「いなば園」という会社の静岡茶で、お返しの品は大抵は美味くないのであまり期待できないのだが、これは高いから美味しいと思うと母親は主張する。それで食後、皿を洗ってから袋を開封して茶葉を茶壺に入れてみたところ、その際の香りは悪くはなかった。下階から急須と湯飲みを持ってきて注いでみたが、緑色の湯から立ち昇る香気もやはり悪くない。自室に戻って読み物に触れながら一服してみると、味も、物凄く美味いわけでもないが、普通に美味い緑茶で、雑味がないのが何より良かった。それで飲みながらいつものように、過去の日記、fuzkueの「読書日記」、Mさんのブログと読むと三時四二分に達したので、一旦中断して上階に行き、アイロン掛けに取りかかった。アイロンのスイッチを入れて南の窓外に視線を放つと、どうも雨が降っているような空気の色合いで、それで窓に寄って目を凝らしてみたところ、幽かに降っているようだけれどうまく見えず確定できない。今度はベランダの方のガラス戸を開けて手を突き出すと、仄かに触れるものがあった。その頃には既に器具が温まっていたので炬燵テーブルの側面に戻り、アイロン掛けを始め、母親の白いシャツやエプロンやハンカチを処理し終えると階段を下って、洗面所で歯ブラシを取った。洗面所の前、階段下のスペースでは、大きな編笊に細く小さく切った大根がいっぱい乗せられて、扇風機の風で乾かされている。それを跨ぎ越して部屋へ移動すると、Sさんのブログを読みながら歯磨きをした。一一月六日から一一日の記事まで読んだなかで、七日の「久保さん」という記事が面白かった。若きSさんの芸術や絵画に対する熱情についてちょっと触れられていて、やはりそういう心情=信条を持っていたのだなあと思った。
 それから口を濯いできて、the pillows "New Animal"を流して歌いながら着替えである。今日は黒の装いに、ネクタイは鼠色のものを取った。ベスト姿になると、"プロポーズ"を歌った。この曲は、どちらかと言えば地味な方である気がするが、こちらは結構好きである。ブルース進行に則っているのも好みだし、Aメロの歌詞も意味がよくわからず、架空の映画を思わせるような雰囲気があるのが良い。歌を歌うと四時一五分からこの日のことをメモ書きし、それを終えると出勤までにまた音楽を聞くことにした。
 Bill Evans Trio, "All Of You (take 3)"(『The Complete Village Vanguard Recordings, 1961』: D3#4)。このテイクの"All Of You"もやはりまた完璧である。Evansは序盤は間を広めに空けて、悠々と弾いているような感覚で、そうすると機動的なLaFaroの動きが自ずとそこに吸いこまれてきて耳に届く。このテイクのEvansはソロの前半では結構繊細なタッチで弾いているようで、優しげな印象も感じさせないでもない。リズムがフォービートに移行するとフレーズの息が長くなり、また例によってコードを叩きはじめ、Evansが厚いコードを打つのに応じて、Motianもシンバルのダイナミクスを上げて活気づいていくのがよくわかる。LaFaroのソロはやはりかなり歌っていると思うし、拍頭を捉えづらくなるようなダイナミックな速弾きも耳にできる。
 その後、"Gloria's Step (take 2)"。三枚組の音源の冒頭に戻ってテイク一を聞こうと思ったところが、間違えてディスク二の最初を聞いてしまい、聞き終えたあとになって気がついた。"All Of You"と同様に三テイク収録されている"Gloria's Step"のなかでは、LaFaroはテイク三において最も過激な振舞いを取っているのではないかと思っていたが、なかなかどうしてこのテイク二もかなり動き回っている。明らかに派手で目立つ動きはテイク三の方が多いかもしれないが、例の三連符の突っこみなどはここでも聞かれ、よく言われることだけれど、ほとんど独奏みたいな動き方をしているものだ。
 次に、"Gloria's Step (take 1, interrupted)"。テンポはおそらくこのテイクが一番速いだろうか? これもやはり凄いと言わざるを得ない。LaFaroのベースというのは、素早さと言うかスピーディーさと言うか、機動性のような感覚がずば抜けていて、突然二拍三連に移行してみたりとか、フォービートで上昇した先でそのまま副旋律めいた細かなフレーズに滑らかに推移したりとか、方向転換が非常にクイックである。まさしく融通無碍で、変幻自在と言うべき柔軟さに満たされていて、ソロも勿論素晴らしいけれど、それよりもやはりバッキングでのそうした素早い遊動が印象に残るものだ。
 音楽を聞いてメモを記しておくと五時を過ぎたので、バッグに荷物を入れ、今年の給与の明細をすべて封筒一つにまとめておき、上着を着て内ポケットに手帳を入れると、荷物を持って上階に行った。母親に、これ、明細、と告げて卓上に置いておく。父親から、今年の収入をわかるようにしておいてくれとメールが届いていたのだ。それから窓際にあった灰色のマフラーを取って首に巻き、引出しからハンカチも取って玄関へ向かった。母親は、おばさんもう帰ってきたかな、大根置いといたけどわかったかなと呟きながらついてくる。隣のTさんのことである。戸口をくぐり、道へ出ると、マフラーを巻いていることもあってか、昨日よりは寒気が強くないように感じられた。歩きだすと、母親が隣家の勝手口でこんばんはー、とTさんを呼んでいる声が背後から渡ってきた。
 公営住宅前まで来ると前方に人影があって、こちらを振り返ってみせるその姿は、どうやらNさんらしい。近づいてこんばんはと声を掛け、寒いですねえ、なかなかねえ、と笑いかけると、お父さんにはいつもお世話になって、というようなことを答えるので、とんでもない、こちらこそと受けておき、色々とお願いしますとよろしく言ったあと、それじゃあ、失礼しますと挨拶を送って別れた。電灯が積もった葉っぱの色を露わならしめている坂道を上って駅に着き、ホームに入るといつも通りベンチに座ってメモを取った。電車が来ると乗りこんで席に就き、引き続きペンを動かし、青梅に着くとちょっと経ってから降り、黄線に沿ってホームを行った。屋根と電車の車体の隙間に見える丘を背景にした空間は純然たる闇に籠められており、そのなかに線路上の白色灯が人魂のように――と言っては明るすぎるが――浮かんでいた。
 教室に着くと早速準備を始め、今日も大学入試センター試験の国語の過去問を読んだ。玉虫を題材にした井伏鱒二の掌篇である。今日の生徒は(……)(高二・英語)に(……)くん(高三・国語)、(……)くん(中一・英語)である。今日の授業はあまり上手く行かなかった。予習の時間が満足になくて文章を読めなかったので致し方ないことではあるが、国語の問題を上手く解説できず、(……)くんも納得が行かないような表情をしていた。終わりに、今日はあまり上手く突っこめなくて、とカバーしておいたが、すると、会話が芸人みたいと言われて笑いが起きたので良かったものの、やはりもっときちんと教えられないと講師としては駄目だろう。そのためには勿論、国語だったらせめて本文を事前に読んでおかなければならないのだが、と言って準備時間ではそこまで読む余裕はないから、結局やはり在宅勤務と言うか、家で確認しておかなければならないことになるわけだ。インターネットでセンター試験の過去問を探らなければならないだろう。あるいは赤本を買っても良いだろうが、それだって自腹になるわけで、そこまでするべきなのかちょっとわからない。
 (……)も仮定法を扱ったのだが、あまりいくつも解説できず、基本的な事柄を確認したのみで終わってしまった。(……)くんも、進行形の疑問文などの形を一頁分扱ったのみで終了。彼の場合は、授業本篇に入る前の諸々の確認で、結構時間が費やされてしまったのだが、三人相手はやはりかなり忙しい。働けば働くほど、二対一がバランスとしてベストな形式だという確信が強まっていく。
 授業後は室長の代わりに(……)先生の授業記録を確認し、書類を記入して提出すると退勤した。ちょうど八時頃だった。駅に入って自販機でチョコレート飲料を買い、ベンチに就いて甘く温かな液体を空の胃に流しこみ、缶を捨ててくるとメモ書きをした。奥多摩行きが入線してくると乗って三人掛けに座ったが、するとそのうちに三人連れの、柄のあまり良くなさそうな男たちが乗ってきて、立川から家に帰るまで八時間掛かる、とか言っていたのだが、それは夜通し飲んで朝帰りで帰ると電車のなかで寝てしまい、電車が立川と青梅を往復するあいだずっと眠っている、とそんな話らしかった。乗換え客が入ってきてまもなく電車は発車した。向かいの席に就いた女性が数年前の生徒のように思われたが、こちらは彼女を担当したことはないし、名前もよく覚えていない。
 最寄り駅で降車すると、どうにかして金を必要とせずに生きていくことはできないだろうかと至極無益なことを考えながら駅を抜ける。やはりキブツみたいな、有志による小共同体的な形しかないのだろうか。全然知らないのだけれど、シャルル・フーリエファランステールとかいうやつはそういう感じのものなのだろうか――ロラン・バルトがどこかで言及していたような気がするのだが。しかしいずれにせよ、そういったユートピア的な共同体を自分の力で作れるわけでもないだろう。あとは、どうにかしてもっと睡眠時間を短くせねばならないということも己に言い聞かせ、また、出勤退勤はやはり電車に乗らずに歩く方が良いだろうなとも考えた。昔は日々行きも帰りも歩いていたところ、最近は横着して、また長く歩くと書くことが増えてしまうからと電車を選びがちだったのだが、作文の主題がちょっと増えるくらい大したことではなく、どうせ書くものなのだから生きていくに当たってそのくらいの負担は担わねばならない。また、歩けば単純に運動にもなるし、電車賃の節約にもなるのだ。と言って微々たるものではあるが、しかし数日電車に乗らず歩いて出退勤すれば文庫本代くらいにはなろうし、一か月頑張ればものにもよるが単行本一冊くらいは買えるだろう。馬鹿にならないものだ。
 帰宅すると自室へ下りて、コンピューターのスイッチを押し、ポケットからものを出しておき、上着を脱いで廊下のハンガーに掛けた。それからジャージに着替えて上階へ行くと夕食は、米に、トマトソースを掛けた鮭、煮た薩摩芋、葉っぱと一緒に輪切りの大根をソテーした料理、それに雪花菜や人参や玉ねぎや魚肉ソーセージを酸っぱく和えたサラダである。それぞれ用意して卓に就き、ものを食べながらイギリスの総選挙の見通しを伝える記事を読んだ。テレビは、『家、ついて行ってイイですか?』を放映しており、二〇代のカップルが出ていて、女性が妊娠したのでその報告を彼氏に対してサプライズで告げるとか何とかやっていたのだが、まったく凄いものだなと思う。とてもでないが自分は子供を作り、養っていく気概など持てるはずもない。
 食後、風呂に入った。今日は浴槽を洗わなかったので、床や壁の下端がいくらかぬるぬるしていた。二〇分くらい浸かって出ると九時半、一〇時からTと通話する約束になっていた。下階へ下りて急須と湯呑みとゴミ箱を持って上がると、父親がちょうど帰宅した。今日は山梨の実家に行っていたらしく、色々と野菜を貰ってきており、それらが卓上に並べられた。これは誰から、とかいう説明を聞きながら、母親はうんざりしたような態度を取っていた。腐らないうちに切って調理し、使い切ってしまわなければならないのが面倒臭く、また生ゴミがたくさん出るのも嫌なのだろう。こちらは燃えるゴミを整理するとゴミ箱を下階に戻しに行き、緑茶も用意して戻ってきて、一服しながらメモ書きをするともう一〇時が目前になっていた。
 Skypeにログインし、LINEの方でTに、Skypeにログインしていると伝えると、まもなく、掛けるよというメッセージが届いたのでOK、と返すと着信があった。こんばんは、と挨拶し、今日は時間を頂き、有難うございますと礼を言った。特別な用事があるわけではないのだけれど、このあいだ会った時に、意外と近況を話していなかったような気がしてと向けると、しばらくTが知っている各人の生活ぶりを語ってくれたと思う。と言って、前回会った時から一か月ほどしか経っていないので、皆、あまり変化はないようだ。TとKくんとしては入籍し、新居にそろそろ移ることになっているのが大きいだろう。また、これは後ほど話したことだが、MUさんに関しては、先日集まった際には随分と明るく、雰囲気が緩くなっていたとTは観察を述べた。こちらはその点あまり明確に気づかなかったが、確かにテンションが高かったような気はする。それは何故なんですか、と質問するとTは、新しい仕事が始まって一か月くらい経ち、段々落着いて余裕が出てきたのだろうという分析を述べた。新しい職場に移ってまもない頃は、確かに緊張してストレスもあるだろうしなとこちらは受けて、加えて、このあいだ、誕生日プレゼントを贈ったことがもしかしたらあるんじゃないのと推測を返した。ある意味、ある意味だが、あれでより正式なメンバーとして認められた、というような感じを得たのかもしれない、と話すと、Tもそれはあるかもしれないねと同意した。
 T谷については簡単なものではあるが、先日集まった際にファミレスで近況めいたものを聞いた。T田は大阪行きに向けて諸々準備を進めているところだろう。T田の来年からの引っ越しに関しては、メンバーが一人遠く大阪へ離れてしまうのに、誰も何の不安も感じていないねという話ものちのち出た。活動に支障が出るという可能性を誰一人考えていないと。一年前と比べるとこちらの体調も改善し、気性も明るくなって良い具合だし、T谷も先般までは忙しくて調子も悪かったようだが、このあいだ集まった時にはだいぶ回復して余裕も生まれていた、MUさんも先ほど述べたように朗らかになって、いや、気づかなかったけど、こうして見ると私たち、凄くいい状態にいるな! とTは感嘆した。この一年間は、そうした良い状態や雰囲気に持っていくためのしっかりとした土台作りをしていたような気がするね、と言う。作品制作の面、音楽活動の面から言えば、それほど急激に進展があったわけではないかもしれないけれど、個々人の状況だとか、メンバー同士の人間関係だとかを整えるという点では、これからの活動を支える確固としたベースが確立されているんじゃないか、というようなことを彼女は話した。
 こちらに関しては、この一年間で本当に凄く明るくなったという印象が強いようで、Kくんともそれについては何回か話したのだと言う。確かに病前と比べても、落着いて比較的朗らかな気性になり、他人とのコミュニケーションにおいてもむしろ以前よりも物怖じしなくなったような感はある。体調も、夜更かしと糞寝坊ばかりしているわりに問題なく整っており、油断はできないものの、良いバランスを保っていると思う。書き物もあまり自分を追いこむことなく、適度な負担を負いながら日々地道にやっている。それで言えば、昔と比べて俺もかなり丸くなったな、という話もした。Tにも自分は昔の方がもっと尖っていたという実感があるらしく、でもそうした先鋭さを失ったことを悪いことだとも思っていないとのことだったので、その辺りはこちらと同じような認識を持っているようだ。こちらにもやはり、二〇一四年、二〇一五年の頃の方が読み書きに対する熱情が強かったように思われ、それは人生におけるほかの種類の時間をおおよそ無価値なものとして、あるいはそこまで行かなくとも読み書きよりは当然価値の劣る半ば無駄な時間と見做していたことに端的に表れていたのだが、現在ではそのあいだの有価値/無価値の境が融解しかかっている。勿論、作文と読書が毎日こなすべき第一の事柄としてあるのは変わらないが、単純な話、自分のキャパシティのすべてをそれに完全に注ぎこもうとまでは考えなくなり、生活におけるほかの活動の余地を広く認めるようになっている。そして、そちらの方が良いだろうと今の見地から思われるのは、過去においては情熱が強い分、それだけ反動のような趨勢も自分のなかにたびたび生じることがあったからで、つまりは完璧な勤勉さを求めながらもそれに徹しきれずにかえって怠けてしまい、それに対して自己嫌悪に駆られ、勤勉でなければならないという理想的な命令と、現実的な自分の能力で実現できる努力状態とのあいだで板挟みになることがあったということだ。それに引き換え現在は、まあ怠けたければ怠ければ良いと思っているのだが、そのわりに一日すべて怠けて過ごすようなことはほとんどなくなり、少時間であっても毎日必ず読んで書くという営みは維持できている。活動が情熱的なものでなくなった分、過去よりも遥かに自然なものになったのだ。そうしたことを踏まえて、やっぱり自然さが大事だよ、飯を食うように書く、空気を吸うように読む、そういう自然さ、という風に述べると、Tは、やっぱりそうだよね、自然さ、大事だよねと意気込んで同意し、いやー、やっぱ自然さだな、名言出たね、と言って、画面の向こうでメモを取っているようだった。
 それ以前に、人に伝わる歌、人の心を動かすような歌とはどういうことか、というような話をする時間もあったのだった。Tは今日、こちらと話す予定が生まれてから、こちらにそれを聞いてみようと思っていたと言うので、いや、難しいですね、と笑いながらもこちらは、でも今話を聞いていて一つ思ったことがあって、俺の知り合いにHMさんっていう人がいるんだけど……大学の時にHGと一緒にバンドをやっていた人で……(ああ、このあいだ会ってた人?)そうそう、ドラマーなんだけど、彼はドラマーだから、ほかのドラマーのプレイを観察するわけだよね、そうすると、技量は高いけれど、技量が高いだけであまり響いてこないっていうような人がやっぱりいて、それに対して、テクニックは劣るかもしれないけれど、何か魅力が醸し出されているっていう人もいて、HMさんはそのことを「艶がある」っていう言葉で言ってたんだよね。まあそこから考えるに、作家でも、音楽家でも、美術家でも同じじゃないかと思うんだけど、芸術家の究極的な目標って、やっぱり自分自身の存在として芸術作品のようになるってことじゃないかと思う、書いている文章だけが素晴らしい、そういう人も勿論いるだろうしいていいんだけれど、存在そのものとして、総体として作品であること。俺が文を毎日書くのもそういうところがあって、文を書くことで自分を作っているような感じがあるのね、彫刻家が像を彫って形を整えていくように、自分の生活を隅々まで書き記すことで自分という存在を彫りこんで洗練させていくような。だから、歌っていう領域でも、何かそういう風な、自分を高めるような営みの仕方ができるといいのかもしれない、と話した。
 その前にTは、テレビで見た歌手のオーディション番組の話をしてくれたのだった。その番組ではどうも著名らしいプロデューサーが、候補者の歌を聞いてアドバイスをするような役目で出演していたらしいのだが、その人の言うことを聞いていると、ああ確かにそうだなあ、っていうのがわかるのだ、とTは話した。歌は上手いけれど、自分に自信がないみたいだ、とか、曲を自分のものにできていない、曲に負けてしまっているとか、細かいことは忘れたけれど何かそういうようなコメントをしていたらしくて、それを聞くといちいち、ああその通りだなと実感できたのだと言う。それでTが思ったことに、歌というのは歌の巧さだけではなくて、ステージに立って歌っているその姿、身振りとか、表情とか、そういったものも込みで、自分が表れてしまう行為なんだな、というわけで、そうした話を受けて上のようなことをこちらは述べたのだった。
 そのほか、やはりこちらが凄いと思うのは、例えば音楽だったら、音楽そのものになっているような人、音楽と同一化しているような人だと言った。そこにおいては小手先のいわゆる「個性」などというものは問題にならない。どうやって自分の独自性を出すか、スタイルを確立するかみたいな話が結構されると思うけれど、そんなものはあとからいくらでもついてくると言うか、音楽なら音楽そのものになることを目指すその苦心の仕方がそのままその人の個性となるのであって、つまりは自己を一種放棄し、虚しくして、存在総体として音楽というものを具現化しようとした時に、しかし生身の人間であるから何かしらのものは勿論必ず残ってしまう、そのようにどうあがいても消しきれずに残ってしまうようなものが個性と呼ぶに値するのではないか、というようなことを述べた。Tの意識としては、音楽制作や歌唱においては二種類のパターンがあって、一つは彼女の言うところの「妖精さん」に与えられて、その「妖精さん」がやりたがっていることをなるべく実現するという種類の曲、もう一つは彼女自身に属すると感じられる曲で、前者においては自分を消して「妖精さん」の求めることを最大限に具現化するような方向性を目指さなければならないけれど、後者においては自分の気持ちとか考えとかを表現しなければならないのだと言った。言わば前者においてTは一種のシャーマンと言うか、霊媒者的な存在、音楽そのものを表現するための媒介になる方向を目指しているわけだろうとこちらは理解したが、そうした媒介者としての彼女の性質は、音楽を離れて「G」内の人間関係における位置づけにも相応するような気がする。彼女自身は、自分はボーカルを担当しているけれど、自分が主役なのでは決してなく、皆、凄い人ばかりなのだから皆が主役として活躍してもらって、自分はそういう人たちを結びつける役割をしている、言わばマネージャー的な位置づけだと思っているという風に以前述べていたのだが、今回話を聞いていて、それが以前よりも理解できたような気がする。確かに彼女は、メンバー間の媒介者なのだ。それをこちらは、繋ぐ人、言わばプロデューサーとか編集者だね、と言った。
 (……)
 零時半頃まで話して、そろそろ眠る準備をしなきゃとTが言うので、礼を言い合って通話を終えた。その後こちらはだらだらと過ごし、一時半からプリーモ・レーヴィ/関口英子訳『天使の蝶』を読み出し、二時一五分頃床に就いた。


・作文
 13:04 - 13:09 = 5分(27日)
 13:09 - 14:33 = 1時間24分(25日)
 16:15 - 16:31 = 16分(27日)
 21:34 - 21:56 = 22分(27日)
 計: 2時間7分

・読書
 15:19 - 15:42 = 23分
 15:52 - 16:04 = 12分
 25:30 - 26:13 = 43分
 計: 1時間18分

  • 2014/3/5, Wed.
  • fuzkue「読書日記(161)」: 11月2日(土)
  • 「わたしたちが塩の柱になるとき」: 2019-11-24「翌朝の私よどうかいつもより多少は狂っていますように」
  • 「at-oyr」: 2019-11-06「California Girls」; 2019-11-07「久保さん」; 2019-11-08「明日はきっといいことがあるさ」; 2019-11-09「お香」; 2019-11-10「外食」; 2019-11-11「来たるべきもの」
  • プリーモ・レーヴィ/関口英子訳『天使の蝶』: 134 - 185

・睡眠
 3:00 - 12:15 = 9時間15分

・音楽

  • Bill Evans Trio, "All Of You (take 3)", "Gloria's Step (take 2)", "Gloria's Step (take 1, interrupted)"(『The Complete Village Vanguard Recordings, 1961』: D3#4, D2#1, D1#1)