2019/11/28, Thu.

 さて、ユダヤ人大量虐殺の開始される以前、一九四一年から四二年にかけて、ほとんど全強制収容所で、ロシアの政治将校と政治委員が清算された。秘密の総統布告にもとづき、すべての捕虜収容所でロシア人の政治将校と政治委員が、ゲシュタポ特別部隊の手で、選びわけられた。選びわけられた者たちは、隣接の強制収容所に移送された。
 この措置の理由として公表されたのは、こうだった。ロシア軍は、ナチ党の党員たると支持者たるとを問わず、すべてのドイツ軍兵士を、とくにSS隊員を、即座に斬殺した。一方、赤軍の政治委員は、捕虜となった場合にも、捕虜収容所もしくは労役地で、あらゆる形の不安動揺を惹起し、あるいは、作業をサボタージュする任務をうけている、と。
 こうして選び出された赤軍の政治委員は、清算のために、アウシュヴィッツへも送られてきた。最初に輸送されてきた小グループは、部隊の死刑執行部によって銃殺された。
 私がある職務上の小旅行をしている間に、私の代理・保護拘禁所長フリッチュが、殺害のために毒ガスを用いた。それがまさに青酸ガス・チクロンBだったのだ。それまで、これは、収容所内の害虫駆除に常用あれ、備蓄されていたものだったのだが。
 旅行から帰って後、私はそのことを報告され、次に移送されてきたグループにもまたこのガスが用いられた。ガス殺人は、第一一ブロックの懲罰拘禁室で行なわれた。私自身ガスマスクをつけて、その殺害をこの目で見た。
 超満員の部屋の中で、計画どおり、瞬時に死が訪れた。わずかに、短く、ほとんど絶えだえの一声をあげるだけで、もう終りだった。この最初のガス殺人の場面は、どういうものか、私にははっきりと意識にのぼってこない。たぶんその全体の光景から、あまりにすさまじい印象をうけたためだろう。
 もっと強烈に思い出されてくるのは、すぐこれに引きつづいて、九〇〇人のロシア人を、古い火葬場で、ガスで殺した時のことだ(ここを用いたのは、第一一ブロックの使用には、あまり手がかかりすぎたからだ)。さしあたり、ガス噴射の際には、たくさんあいている穴は、屍体室の土やコンクリートで上からふさがれた。
 ロシア人は、まず前室で服を脱ぎ、全員おとなしく屍体室に入っていった。虱を駆除するからという風にいわれていたからである。グループ全員が、完全に屍体室に入りきると、ドアがしめられ、開口部からガスが噴出した。
 この殺害にどれだけ時間がかかったか、私は知らない。しかし、なおしばらくの間、呻き声がききとれた。噴射の際、少数の者が「ガスだ」と叫び、ものすごい叫びがきこえ、両側のドアにドッと人がぶつかってきた。しかし、ドアは、この圧力にビクともしなかった。
 何時間かたって、ドアがあけられ、排気がおこなわれた。私が、堆[うずたか]いガス屍体の山を見たのは、それが初めてだった。
 (ルドルフ・ヘス/片岡啓治訳『アウシュヴィッツ収容所』講談社学術文庫、一九九九年、292~295)


 またも正午まで寝床に留まり続ける。言い訳はするまい。私は堕落して腐りかけ、地に這いつくばる茸に過ぎない。ベッドを抜け出し、ダウンベストを持って上階に行き、母親に挨拶すると寝間着からジャージに着替えた。食事は即席の煮込み蕎麦である。大鍋に入ったそれを熱し、そうすると鍋の持ち手も熱くなるので濡れた台布巾で手を守りながら鍋を持ち上げ、丼に蕎麦を流しこんだ。そのほか、薩摩芋を混ぜて作ったホットケーキ様のものがあったので、これは台所に立ったままつまみ食いし、丼を持って卓に向かうと新聞を瞥見しながら麺を啜った。食べ終わる頃には母親は仕事に出掛けていった。こちらは皿を洗い、風呂も洗って、一旦自室に戻るとコンピューターを点けてログインし、各種ソフトを立ち上げておいてそのあいだに緑茶を仕立てに行った。三杯分を用意して戻ってくると、インターネットを見回ったり、今日の記事を新規作成したりしたが、その後すぐには日記に取りかかれず、休日であることもあってか気分が緩くてやる気がまったく湧かず、長くだらだらと過ごした。そうしてあっという間に二時前に至り、そろそろ正式な活動を始めるかというわけで、まず最初に身体をほぐすことにした。例によってthe pillowsの曲を流して歌いながら下半身や肩周りの肉を和らげ、柔軟運動を止めてからも"Ladybird girl"とか"Tokyo Bambi"とか"Funny Bunny"とかを歌い、その後Bessie Smith『Martin Scorsese Presents The Blues: Bessie Smith』を流しながらようやくこの日の日記を書きはじめた。ここまで綴れば二時二三分である。
 さらに二六日の日記に取り組んで、三〇分強綴ったのだが、三時で作文の時間が途切れている。次に日課が記録されるのは三時半、読み物を始めており、この時食事を用意してきてそれを食べながら過去の日記などを読んだのは覚えているのだが、三時から三時半までのあいだに何をしていたのかが不明である。ともかく、三時半前になると腹が減ったのでものを食おうというわけで、上階に行き、セブンイレブンカップのきつねうどんに湯を注いで割り箸とともに持ち帰ってきたのだった。味の結構濃いそれを啜りながら二〇一四年三月六日の日記や、fuzkueの「読書日記」や、Mさんのブログを読んだ。読み物の後半にはまた、おにぎりも一つ作ってきて食べていた。そうして午後四時で読み物からふたたび書き物へ移行し、二六日の記事をまた進めて、五時前に至って完成させることができた。Bill Evans Trio『The Complete Village Vanguard Recordings, 1961』の感想を一所にまとめた記事とともに、二六日の日記をインターネットに放流すると五時、そこから音楽を聞いて心身のチューニングを図ることにした。いつものごとくBill Evans Trio, "All Of You (take 1)"を聞いたのだが、予想通り、音楽に包まれて視覚も聴覚も閉ざしていると睡気が湧いてきて、いつか意識が逸れてまともな聴取にならず、何度か流していれば頭が晴れてくるかと思って四、五回聞いたのだが、結局明晰な認識には至らず、従ってほとんど印象も残っていない。いつの間にか、六時になっていた。そろそろ飯を作らねばならないと思っていたが、六時半まで休むことにして、ベッドに移って横たわり、寝床に生えた茸と化して三〇分、褥の安楽を味わうと、起き上がって階を上がった。野菜室を見ると大きな白菜があったので一つにはこれを味噌汁にすることに決め、おかずには鯵があったものの何となく気が向かずほかの品を探していると、冷凍庫に餃子の袋を発見したのでこれを焼くことにした。それで白菜を三枚剝ぎ取り、洗って切り分け、鍋の湯のなかに投入し、一方ではフライパンで餃子を焼きはじめた。火を点けるとまもなく水を注いで蓋をして、餃子を加熱し白菜も煮ているあいだは食器乾燥機の皿を片づけたりしながら待って、しばらくするとフライパンの水が少なくなって弾ける音の種類が変わったので、蓋を取って水気を散らす段階に入った。それでちょっと焦げ目をつけて餃子は完成とし、一方で汁物の方も具合が良さそうだったので火を止めて味噌を溶かし入れ、それほど腹は減っていなかったが焼き立ての温かなうちに餃子を食ってしまいたかったので、食事を取ることにした。丼の米の上に餃子を乗せ、白菜の味噌汁とともに卓に運ぶと、夕刊をひらきながら食物を摂取しはじめた。渡辺貞夫が一二月にストレートアヘッドなフォービートジャズのライブ盤を出すと言う。メンバーはSteve GaddにJohn Patitucciに、確かRussell Ferranteと書いてあったか? Steve Gaddは近年はあまり目覚ましいプレイをしていないような印象なのでそこまで惹かれないが、John Patitucciの参加にはちょっと興味を覚える。それから三面に戻って香港の覆面禁止規則の適用が延長されたという記事を読み、一面から米国で香港人権法案が成立したという報も読んで、ものも食べ終えて抗鬱薬を飲み、台所に移って皿を洗う段になって母親が帰ってきた。何をやったのと言いながら入ってきたので、餃子と味噌汁と答えて食器を洗い、電気ポットに水を足しておいてから下階に帰った。漫画について少々検索したあと、緑茶を用意しに行き、戻ってくると一服しながらJames Blachowicz, "There Is No Scientific Method"(https://www.nytimes.com/2016/07/04/opinion/there-is-no-scientific-method.html)を読んだ。結構長いエッセイで、気づけば四五分が経っても最後まで読み終わらなかったので、途中までで続きは翌日以降と定めて切り、便所に行ってきてから日記を書き出した。ここまで記すと八時三八分。

・append: 付け加える
jot: 手早く書き留める、メモする
・profanity: 口汚い罵り、冒瀆の言葉
・itemize: 箇条書きにする
ad hoc: その場しのぎの、即興の; 特別の問題(目的)のための
・composite: 合成の、混成の
・criterion: 基準、尺度
・ellipse: 楕円
・default: 初期設定、初期値
・entertain: 心に抱く
・oval: 卵型
・lopsided: 一方に傾いた、不均等の
・curve-fitting: 曲線適合法
・seat-of-the-pants: 経験と勘による
・devoid of: 欠いている、持っていない
・tack on: 追加する、付け加える; 上乗せする
・prescribe: 命じる、指図する、規定する
・projectile: 発射物、投射物
・parabolic: 放物線の
・variable: 変数; 不確定要素

 そこからしばらく何かをして、確か九時を越えてから風呂に行ったと思う。湯のなかに浸かり、縁に頭を預けて安らぎながら目を閉じて、詩句の案を考えた、今現在、詩のアイディアは二つ頭のなかにあって、まあどちらも似たような感じのテーマではあるのだが、そのうちの一つについて思い巡らせたのだった。第一連の構成は何となく見えていないでもないものの、その一連目だけで完結してしまいそうな雰囲気もあり、もっと広がりを出して展開させていくにはどうしたら良いのか、考えどころである。しばらく言葉を頭のなかで遊泳させて、上がって自室に帰ると、いくつか使えそうな語句をEvernoteにメモしておき、そうして九時半過ぎから二七日の記事を綴りはじめた。一時間を打鍵に邁進して、Tとの通話に入る前の場面まで書き終えることができた。通話で話したことを書くのは翌日の自分に譲ることにして時刻は一〇時四〇分、そこから書見を始めるまでにまた間があるのだが、何をしていたのか覚えていない。一一時半に達するとまず、夏目漱石草枕』の書抜きを行った。三〇分余りをそれに費やすと次に、プリーモ・レーヴィ/関口英子訳『天使の蝶』を読み出して、二時間半をぶっ続けでこの作品に充てて、最後まで読み終わるに至った。どの篇も科学的な、あるいはファンタジックで豊かな想像力に基づく創造的なアイディアが主軸に据えられていて、文章としてもすこぶる読みやすく、よくできたSF的物語の集合としてなかなか面白かったが、言語表現とか文学的形式とか小説の構成として興味を覚えたり深い印象を得たりする瞬間とは遭遇せずに、さらりと読み通してしまったような感じだ。書抜きをしたいと思う箇所とも、出会うことができなかった。
 さらに続けて下澤和義訳『ロラン・バルト著作集 3 現代社会の神話 1957』を読み出し、三時半前まで書見を続けたのち、就床した。


・作文
 14:15 - 14:23 = 8分(28日)
 14:23 - 14:57 = 34分(26日)
 16:00 - 16:47 = 47分(26日)
 20:16 - 20:38 = 22分(28日)
 21:37 - 22:40 = 1時間3分(27日)
 計: 2時間54分

・読書
 15:29 - 15:55 = 26分
 19:22 - 20:08 = 46分
 23:33 - 24:07 = 34分
 24:13 - 26:45 = 2時間32分
 26:48 - 27:22 = 34分
 計: 4時間52分

・睡眠
 2:15 - 12:00 = 9時間45分

・音楽