2019/11/29, Fri.

 その点では、特殊部隊の態度もまた、全く異様だった。彼らは、その作戦行動が終るときには、すすんでその虐殺を助けた何千というその同胞と同じ運命に、自分も見舞われるのだということを、もちろん十分に承知していた。にもかかわらず、彼らは熱心に協力して、いつも私をおどろかせたものだった。
 もちろん、彼らは、犠牲者たちに待ちうける運命を一言も告げなかったばかりでなく、脱衣の時はせっせと手助けをし、逆らう者たちは力ずくでも服を脱がせた。また、動揺する者を連れ去り、射殺の際には、しっかりと押えることまでやった。さらに、彼らは、銃をかまえる下級隊長たちが目に入らないように、犠牲者たちを連れてきたので、その下級隊長は、人目につかずに、頸筋に銃をあてることができた。また、彼らは、ガス室の中へ運びこめないような病人や衰弱した者たちにも、同じような処理の仕方をした。まるで、自分自身が殺す側に属しているかのような自然さだった。
 つづいて、部屋から屍体を引き出す、金歯を取去る、髪の毛を切る、墓穴または焼却炉へ引きずってゆく。それから、穴のそばで火の調整をする。集めてある油を注ぎかける、燃えさかる屍体の山に風通しを良くするために火を搔きたてる。
 こうした作業全部を、彼らは、まるで何か日々のありきたりのことのように、陰鬱な無表情さでやってのけるのだ。屍体を引きずっている最中でさえ彼らは、何かを食べたりタバコをふかしたりする。すでに長時間、大きな穴に転がされて腐臭を発する屍体を焼くという、陰惨な作業の時にさえ、食べるのをやめないのだ。
 (ルドルフ・ヘス/片岡啓治訳『アウシュヴィッツ収容所』講談社学術文庫、一九九九年、303~305)


 一一時半起床。コンピューターは素通りして上階に行き、母親と顔を合わせて寝間着からジャージに着替えた。台所の大鍋にはシチューが拵えてあった。加えて前夜の白菜の味噌汁も残っていたので双方火に掛け、同じく前夜の余りである餃子を電子レンジに突っこむと米をよそった。米と餃子を先に卓に運んでおき、それからシチューと汁物をそれぞれ深皿と椀に盛ってそれらも運び、新聞を瞥見しながらものを食べはじめた。母親は、アイロン掛けをしてほしいとか、下階に採ってある大根を持ってきておいてほしいとか、ストーブの石油を入れておいてほしいなどと、こちらにやってほしい家事をメモ用紙に列挙して示してみせる。食事を終えて皿を洗い、風呂も洗ってしまうと早速、下階に下りて物置きを開け、そこに放置されていた大根三本を袋に入れて上階の台所に持ってきておいた。そうして電気ポットに水を足しておいて自室に帰り、コンピューターを点けて各種ソフトを立ち上げて、インターネットを回るとともに前日の日課記録をつけ、この日の日記記事も新規作成した。そうして緑茶を注いでくると例によってやる気が湧かないのでしばらくだらだらとした時間を過ごし、一時を過ぎるとコンピューター前から離れて、何となくギターを弾くことに気が向いたので、隣室に入って楽器を手に取った。適当にブルースをやったり、定番のコード進行に乗せて曲を考えたりして満足すると自室に戻って、身体を温めることにした。the pillows『Once upon a time in the pillows』を流して歌を歌いながら、固まった肉体を和らげていく。三曲分のあいだ肉をほぐすと、音楽はそのまま流し続けながら、コンピューター前の椅子に就いて日記を書き出した。時折り歌を口ずさみながら、この日の文章をここまでさっと綴るとちょうど二時に至っている。
 口内が汚れているのが煩わしかったので、歯磨きをすることにした。歯磨きという行為だけを単一で行うのも手持ち無沙汰なので、そのあいだは当然、読み物に触れることになる。そういうわけで洗面所に行って歯ブラシを口に突っこんでくると、過去の日記、fuzkueの「読書日記」、Mさんのブログを読みながら口腔内を綺麗に磨いた。二〇分ほどで大方汚れを取れたようだったので、口を濯ぎに行くと、階段を上がって居間に踏み入り、ベランダに続く戸をひらけば、午後二時半の太陽が眩しく瞳に引っかかってくる。洗濯物を入れるあいだ触れた外気は、晴れていてもさすがにそろそろ冬らしくきゅっと固く締まっていた。室内に入れた洗濯物のなかからタオルを取って畳み、洗面所に運んでおくと、それから肌着も整理した。その次にストーブの石油を補充することにして、空っぽで随分軽くなったタンクを持って玄関から出ると、家の前には落葉がいくらか散っているがこれは今は片づける気にならない。勝手口の方へ回って石油のポリタンクが保管してある箱を開け、ポンプをタンクの口に挿しこんでスイッチを押した。あとは液体がいっぱいになれば自ずとセンサーが反応して、音を立てながら作動を止めてくれる。肩を回したり首をほぐしたりしながら待つその頭上の空は澄みやかに青く、形の曖昧な雲がいくらか塗られていた。タンクがいっぱいになると箱を元の状態に片づけ、室内に戻ってストーブにタンクを戻しておき、そうして一旦下階に帰った。二時三九分から前日の日記を書き出して僅か一七分で終了、これであと残っているのは二七日の夜、Tと通話したあいだのことのみだが、これに関しても細かく書くつもりはなく、よく覚えていることのみさらりと綴って終える予定だ。今日は休日で余裕があるので二七日の作文は後に回し、夏目漱石草枕』の書抜きを先に行った。BGMとして流したのはOscar Peterson『The Trio』である。ちまちま文言を打ちこんで、三〇分ほどでこの本の書抜きをすべて終えると時刻は三時半前、食物を摂取することにした。
 白菜を刻んで生のままドレッシングを掛けて食べれば良かろうと考えていた。そのほかに、同じく白菜の味噌汁も一杯分残っている。ただそれだけではボリュームが足りないように思えたので、米はないものの卵とハムを焼くことにした。まず先に白菜をざくざく切り刻んで笊に入れて洗い、それを置いておくとフライパンに油を垂らしてハムと卵を乗せた。焼いているあいだに温まった味噌汁を椀に流しこみ、白菜も大皿にこんもりと盛って、胡麻ドレッシングがもうないが新しい品は買ってあるのかと調理台下部の収納を覗けば和風のものがあったので、それを開封した。そうして焼けたハムエッグも皿に乗せて卓へ行き、新聞を読むこともなく黙々と食事を取った。生野菜にドレッシングを掛けるだけの品でも、充分美味いものだった。キャベツや白菜の類に、ハムと卵があれば質素ではあるが立派な一食を拵えることができ、カップ麺の類を食うよりも健康にも良いだろう。
 ものを食べたあとは食器を洗い、次に米を磨ぐ段だが、その前に玄関前の落葉を掃いておくことにした。サンダル履きで外に出て、柄の分解しかけている竹箒を取って、地を擦りながら色づいた枯葉を集めていく。駐車場の方を掃いていると賑やかな声がやって来て、中学生か、とすると、と思っていると案の定、(……)兄弟がなかにいたので、笑ってこんにちは、と挨拶をした。ほかに(……)くんと(……)くんの姿もあって、彼らは塾では(……)兄弟とはあまり関わりがないような印象だったが、実際にはそうでもないらしい。彼らが賑やかに過ぎていったあとも冷え冷えとした空気のなかで作業を進め、四時の鐘が鳴る頃に集め終わったものを塵取りに入れて、林の縁に捨てた。そうして室内に帰ると手を洗い、戸棚から米三合を笊に取って、釜を洗ってから洗い桶のなかで磨いだ。洗ったものをすぐに釜に収めて、水も注いで炊飯器に戻すと六時半に炊けるようにセットしておいた。これであとこなすべき家事はアイロン掛けくらいのものである。食事の支度はシチューもあるし、父親は今日は会合があって外で食うらしいし、冷凍されている牛肉を簡便に炒めれば充分である。
 そういうわけで緑茶を用意して自室に帰り、英文を読みはじめた。昨日に引き続きJames Blachowicz, "There Is No Scientific Method"(https://www.nytimes.com/2016/07/04/opinion/there-is-no-scientific-method.html)を読んで、さらにKatalin Balog, "‘Son of Saul,’ Kierkegaard and the Holocaust"(https://opinionator.blogs.nytimes.com/2016/02/28/son-of-saul-kierkegaard-and-the-holocaust/)も途中まで読めばノルマの三〇分が経過したので中断し、この日の日記を書き足して、ここまで書くと既に五時を越えている。

intuit: 直観する
・tentatively: 暫定的に、仮に
・falsificationism: 反証主義
・immerse: 浸す
・elicit: 引き起こす、生じさせる
・visceral: 直感的な、理屈抜きの
・repellent: はねつける、寄せ付けない
・attunement: 調和
・ineffable: 言葉では言い尽くせない

 五時を越えたのでもう外も深く暮れて居間は真っ暗、というわけで明かりを灯しに行った。階段口で手探りで壁のスイッチを点け、階を上がって食卓灯を引く。それから三方のカーテンを閉め、トイレに行ってから部屋に戻ってくると、二七日の日記を書きはじめた。まだ記さずに残っていたのはTとの会話のみだが、そんなに内容も覚えていないし短く済ませようと思ったところが書いていればそこそこ色々出てくるもので、完成させるまでに一時間が掛かった。そうして二七日と二八日の分の記事をインターネット上に投稿しておくと、アイロン掛け及び夕食の準備のためにふたたび上階に上がった。アイロン掛けは母親のシャツをエプロンである。三枚を処理して終わらせると、台所に入って玉ねぎを切り出した。冷凍された牛肉も電子レンジに入れて一分温め、そのあいだにフライパンに油を垂らしてチューブのニンニクを落とし、玉ねぎを放りこんだ。続けて肉も投入して搔き混ぜながら炒めて、砂糖を少々と醤油を掛けてフライパンを振れば手早く完成である。もう食べてしまっても良かったのだが、それほど腹が減った感じがしなかったので、食事はもう少しあとに回して、下階に戻ると兄の部屋に入ってふたたびギターを触った。料理中にメロディの断片が頭に浮かんでいたのでそれを形にしようと考え、一応ある程度整ったので自室に戻ってMIDI形式で打ちこんだのだが、作曲をやるにはやはり環境があまりにも貧弱過ぎる。自分の頭のなかにあるサウンドを再現できるシステムが整っていないので、細かく詰めるほどのやる気が出ないのだ。かと言って音楽制作ソフトを買うにはコンピューターのスペックが心許ないし、そこまでの熱意もない。自分があと音楽方面でやりたいと思っているのはアコギによる弾き語りくらいのもので、ちょっと練習して色々な曲がアコギ一本で歌いながら弾けるようになったら楽しいだろうなと夢想しているに過ぎない。
 それでメロディ案を一応MIDIに仕立てておくと七時半頃だった。八時になったら飯を食いに行くことにして、それまでに 下澤和義訳『ロラン・バルト著作集 3 現代社会の神話 1957』に触れることにした。まず、書抜きである。二箇所を一〇分で写したあと、さらに新しい頁を読み進め、八時五分で切って上階に行った。帰ってきた母親の礼を受け、炒め物とシチューを温め、玉ねぎと牛肉は丼に盛った米の上に乗せ、シチューは深皿によそり、そのほか母親が買ってきてくれたカレーパン半分を温めて、卓に運んだ。テレビは信じがたいほどにどうでも良い番組を映しているのでほとんど目を向けず、夕刊を読みつつものを食って、食後、皿を片づけると風呂に入った。さすがに裸になった時に肌を襲う空気の質感が、なかなかに張ったものになってきた。湯に浸かりながら詩句の案を考えたり、雑多なことに思い巡らせていると父親が帰ってきた音がしたが、だからと言ってすぐには上がらず、ゆっくりさせてもらうことにしてもうしばらく浸かってから上がった。出ると父親に挨拶し、電気ポットに水を足しておいて下階へ、(……)茶を用意しに行き、持ってくると一服しながら「対談=與那覇潤×石戸諭/與那覇潤×安田峰俊 歴史がおわる世界から、もう一度 『歴史がおわるまえに』(亜紀書房)刊行記念対談 載録」(https://dokushojin.com/article.html?i=6224)を読んだ。

石戸  山本さんは、平成の天皇、つまり現在の上皇について、お父さんのような存在だと語っています。自分は父親がいない家庭に育ったから、父性をどこかに求めている。平成の時代に天皇がしてきたこと、戦地や災害地に赴いて、民に声をかけ元気づける。その姿に父性を感じるのは普通の感覚ではないですかと。山本さんはちょっと心配になるほどストレートな左翼なんだけど、体系的なイデオロギーは持ってないんです。

那覇  イデオロギーではなく実感だけがあると。これは丸山眞男が昔、日本人の無思想ぶりに対する「悪口」としていったことですが。

石戸  それがいまや熱狂的に迎えられている。僕の周りでも、タイムラインがれいわで埋まるぐらい、熱狂している人がたくさんいます。でもその現象の中心にいる山本さんには、天皇を持ち出せば右派を味方につけることができるだろう、というような計算を全く感じない。計算がなくて、実感だけがある。そこに危機感を持っています。実感だけで勝負するという系譜のなさに。

那覇  日本だけでなく、まさにいま世界中で起きている問題でもありますね。丸山や、拙著で取り上げた評論家の山本七平は、「純粋な人間」が理屈でなく感情で周りを引っ張っていく現象を、日本の特殊性だと捉えていた節があります。
 欧米のインテリは知性で考える。それに比べて日本のインテリは実感信仰だから、ずるずる民意に引きずられるんだと。でも最近では、トランプみたいな人が似た感じで米大統領になっていて、この現象をポピュリズムと呼ぶわけです。

那覇  郵政選挙の頃から批判的にポピュリズムの語が使われ始め、続いてむしろ「民主主義とポピュリズムは、本当に区別できるのか」という疑問が湧きだした。民主主義は多数決な以上、選挙が人気投票になるのも逸脱ではなく本質なんだと。この空気にうまく乗ったのが、政治家時代の橋下徹さんです。その後、右翼の専売特許のようにいわれてきたポピュリズムに「左の側から乗ろう!」とする人が世界的に出てきて、日本にも山本さんが登場する。
 しかしもう一度、民主主義とポピュリズムは「何によって区別できるのか」を考えるとき、僕がいま指標になると思うのは時間の感覚です。歴史や系譜の喪失を議論してきましたが、ポピュリストと呼ばれる政治家は、時間感覚が「現在」に集中していますよね。いま、これをいえばウケる、票が取れると。
 ハイデガーの『存在と時間』をはじめとして、哲学の人がよく「時間とは主観的な現象だ。客観的な実在ではない」といいますね。普通に生活してると全然実感ないけど(笑)、重度のうつを体験すると「時間感覚は人によって違う」ことが身に染みて分かるんです。ポピュリストは、過去にAがあって、いまBという問題が生じているから、Cな対策をして、次の世代にはDの状態にしていこうといった、長い幅のある時間軸を持たない。半年後に破綻しますといわれても、「いま」の満足度をMAXにする政策を叫ぶ。これが民主主義とポピュリズムの分かれ目のように思うんです。

那覇  「つくる会」のピークは、九〇年代末です。九七年に結成され、最初の教科書の検定合格が二〇〇一年。これは見方を変えると、右翼の左翼化なんです。藤岡信勝さんは共産党からの転向者ですが、冷戦下の保守系知識人には、大衆は放っておいて、政権を動かすエリートだけに働きかければいいとする態度があった。平成の「つくる会」の新しさは、庶民の側へ近づいていったことです。既存の教科書の権威に、むしろ下からの運動で挑んでいった。

石戸  「つくる会」を右からのポピュリズム運動と呼んだのは小熊英二さんですが、この認識を僕も踏襲しています。右からかつ下からの動員です。

那覇  「人民は間違わない」という考え方も、本来は左翼的ですね。

石戸  意識的に取り入れたと、藤岡さんは明言していました。

那覇  右翼の左翼化が起きたのが九〇年代だとすると、平成末期に進行したのは左翼の右翼化で、しかも右翼は左のいい部分を取り入れたけど、左翼は「時間軸の放棄」という右のダメな部分を取り入れている。

那覇  最近思うのは、『永遠の0』は歴史が「完全に死んだ後」の世界で、最初に書かれた歴史小説だったのではないかと。先発者のメリットで、いちばん売れた面はある。
 僕らの世代までは「戦後」といわれて、「どの戦争の後?」とは訊き返しませんよね。第二次大戦の悲惨さは国民全員が、本人が体験したかに関わらず、必ず記憶に刻んでおくべきだとされてきた。そうした巨大な蓄積を踏まえて戦争を語るときは、まず「逡巡する」という所作が自然に出てきたと思うんです。俺なんかが、こんな風に語っちゃっていいのかなと。
 『永遠の0』にはそれがない。容貌や表情の描写に乏しく「のっぺらぼう」な登場人物が、特攻の体験を調べたり語ったりして、しかも証言者が例外なく饒舌なんです。いい淀む人・口を閉ざす人は出てこない。歴史の「重さ」みたいなものを百田さんは感じてなくて、純粋に参照した情報だけを流してゆく。『永遠の0』は零戦のゼロではなく、「歴史ゼロ」の社会に向けて書かれた最初の小説だった。

那覇  安田さんは月刊誌『文藝春秋』に二号連続で香港ルポを書いています。十月号では、非暴力で平和裏に五大要求を突きつける主流派(和平派)に対し、死ぬまで権力と闘うと叫んで路面のレンガで投石する過激派(勇武派)が台頭し、運動がカオス状態になりつつあると。その記事を読んで、日本でいう六〇年安保と七〇年安保が、同時に起きているような印象を受けました。
 六〇年に丸山眞男らの知識人が指導して、岸信介による日米安保改定の強行を許さず「民主主義を守ろう」とした平和裏なデモがあった。しかし十年後の学生運動では、民主主義とは名ばかりで体制自体が腐っている、こんな日本に未来はない、全てぶっ壊すしかないんだと。そう唱えて全共闘が暴れまわった。それと重なる性格の変化が、より急速に香港ではいま起きていませんか。

安田  類似点はもう一つあります。香港デモは反中デモであると報道されますが、ここでいわれる「中国」は、かなり観念的なものなのです。実際にデモ隊が怒りを向けているのは、香港政府であり、林鄭月娥であり、香港警察です。その意味でも六〇年、七〇年安保と似ていると思うのは、あの闘いで唱えられた反米も、観念的なものだったからです。その背後には、ベトナム戦争を主導するアメリカへの抗議がありつつも、新左翼が抗議した対象は、傀儡の出先機関である自民党政権であり、許せないのは日本の政治と警察だった。

那覇  なるほど。ノンフィクションの賞を獲られた安田さんの『八九六四』は、天安門事件の「その後」を描くルポでした。興味深かったのは、香港の民主派はいちばんあの事件に強くコミットし、記憶を語り継ごうとする人々だった。中国本土で「八九六四」は完全な禁句ですが、香港では毎年事件があった六月四日に追悼デモが起きる。しかし、そうした歴史意識と共にある「天安門の都」だったはずの香港で、最近は「天安門離れ」が起きていると。

安田  香港人アイデンティティの変質が起きています。かつての植民地時代の香港人は、イギリスに支配されていても自分たちは中国人だと。そこでいう中国人とは、毛沢東を賛美するわけでも、中国共産党を支持するわけでもない、「チャイニーズ」であるということです。中華人民共和国というネイションではなく、もっと大きな枠組みで見た中国に属する存在であると。ゆえに、天安門事件は自身の問題であるし、「愛国」的な行動だと。
 ところがそうした伝統的な香港人アイデンティティが、二〇一四年の雨傘革命から変わりはじめます。若い人たちは、自分たちを「香港人」だと思いはじめた。天安門事件は人道上の悲劇だが、隣の国で起きた出来事であり、自分たちは当事者ではない。それをなぜ「愛国」として追悼するのかと。結果、香港での天安門追悼運動は低調になりつつあるんです。

 それで一〇時、ここまで書き足せば一〇時一七分。翌日は山梨の祖母宅で食事会だが、朝八時半には出なければならないと言う。果たして起きられるだろうか。
 音楽を聞きはじめた。まず最初に、Bill Evans Trio, "All Of You (take 1)"(『The Complete Village Vanguard Recordings, 1961』: D1#5)を三回連続で聞いた。Paul Motianのドラムは軽やかで、シズルシンバルの残響の為せる業も大きいのだろうが、空気をよく孕んでいるような、やはり気体的と言うべき質感を持っているように感じられる。尋常のアンサンブルだったらドラムが全体の下支えになるものだろうが、Motianのドラムはとにかく軽く、浮遊的で、むしろドラムの方が上に乗っているように聞こえる。その際に「乗る」というのはしかし、ほかの楽器の作り出す層の上に乗るのではない。一九六一年六月二五日のBill Evans Trioには、誰が誰の上に乗るという上下関係が存在しないからだ。そこにあるのは水平方向の対等性の関係のみで、たまさか上下の複層関係が生ずるにしても、それは決して恒久的に固定化されたものではなく、その位置取りは絶えず入れ替わっていく。三者全員で全員を支え合っているのがBill Evans Trioの力関係だ。この三人は互いの顔を見合わせ相手の出方を窺いながら演奏している感じがしない、むしろ、三者とも視線を交差させることがなく、皆で揃ってただ一つの方向を向いているように聞こえる、というようなことを以前に記したことがあるが、そうした印象は今回改めて繰り返された。勿論現実には、相手の呼吸をこの上なく鋭敏に感知し掴んでいるに違いないのだが、聞く限りの印象としては、三者三者とも互いの演奏に合わせようとしているのではなくて、それぞれ己の内なる音楽形式に忠実に従って演じた結果が偶然にも調和してしまっている、というような感覚を覚えるのだ。陳腐な言い方になるが、彼らはまさしく「音楽」という一つの共通した観念としての土台の上に、三者とも同じ高さで立っている。そのユートピア的な、完全なる平等性の様相は、感動的である。
 次に、"Alice In Wonderland (take 1)"。これも改めて聞いてみると、とてつもなく凄い演奏だと打たれるもので、名演だと断言せざるを得ない。動きの多様さ、織り重なりの複雑さで言ったら、あるいは"All Of You"以上かもしれず、このライブ音源のなかでもほかには聞かれないような精妙な絡み合いを実現している感覚がある。ベースソロも機動性が非常に高く、鮮烈な動き方をしていて素晴らしいことこの上なく、Motianのドラムの多彩さ、拡散的な歌いぶりも、この曲がおそらく最高度に達しているのではないだろうか? 繰り返し聞きこまざるを得ない。
 Bill Evans Trioの演奏は、そのベストな様態においては一瞬たりとも固化することがなく、常に不定形に流動し続ける。それはScott LaFaroPaul Motianが音楽空間を常に搔き回しているためで、とりわけLaFaroの攪拌ぶりが激烈なのは言うまでもない。「堅固」という重量感溢れる言葉があまり似つかわしくないようなイメージのBill Evansだが、しかしそうした点から見れば、この三者のなかで最も堅固なのは彼なのではないか。LaFaroとMotianがどれだけ演奏を搔き混ぜても、Evansは決してそれに引きずられることがなく、確固たる一定性を常に保って音楽世界を支えているからである。彼は透明感溢れる明鏡的な不動性の権化であり、美しく定かな宝石めいた「固体」としての様相を持っている。それに対してLaFaroは流体的かつ攪拌的な遊動性を担当し、変幻自在の柔軟さを宿したまさしく「液体」である。そして、Motianのドラムは軽やかな微風のような拡散性を特質としており、型に嵌まらず予測できない動きで音響空間を広くひらくその演奏は、言わば「気体」になぞらえることができるだろう。「固体」たるEvansが構築するこの上なく明晰で揺るぎない音楽世界のなかに、「液体」としてのLaFaroが泳ぐように縫うように分け入って空間を柔らかく搔き混ぜ、「気体」であるMotianは外周から浮遊的に音響世界を包みこんでその最小の細部まで浸透していく――それが、一九六一年六月二五日のBill Evans Trioの音楽的動態である。
 さらに、Bill Evans Trio, "Autumn Leaves"(『The 1960 Birdland Sessions』: #4)。これは三月一九日の音源で、すなわちこのアルバム冒頭の"Autumn Leaves"の一週間後に演じられた同曲のテイクである。一曲目のテイクではLaFaroのソロから始まっていたが、今度は尋常に、『Portrait In Jazz』のテイクと同様の始まり方をしており、スタジオ盤のテイクにライブならではの熱が付け加えられたといった感じだ。ベースソロはLaFaroがリズムの補助もなしに完全な独奏で演ずる場面が長く、店の客の笑い声やざわめきによって細部まで聞き取るのが難しく、またリズムも自然な揺らぎを帯びているのでついていくのがなかなかスリリングなのだが、やはりライブなのでフレーズの動きはより大胆になっているのではないか。Evansも単音でのソロ前半はともかく、後半の盛り上がりはスタジオ音源よりも一歩先まで踏みこんでいるように思われた。派手に畳みかけるような三連符の連なりも披露し、リズムの構成に変化をつけた場面も一部あって、その点、六一年の不動性とは微かに異なる感覚も覚える。六一年時点でのこのトリオが"Autumn Leaves"の演奏を残すことがなかったのは、実に惜しいことだ。それにしても、今や伝説となっているこの時期のBill Evans Trioは、三月一二日のテイクを考慮に入れてみても、これほどの演奏を霊感に導かれた特別のものとしてではなくて日常的に提示することができたのは疑いないのだが、それはまったくもってとんでもないことである。この三人はやはり化け物だ。
 音楽鑑賞のあとは零時半直前から読書に入り、下澤和義訳『ロラン・バルト著作集 3 現代社会の神話 1957』を二時まで読み進めて就床した。
    


・作文
 13:50 - 14:00 = 10分(29日)
 14:39 - 14:56 = 17分(28日)
 16:43 - 17:05 = 22分(29日)
 17:08 - 18:09 = 1時間1分(27日)
 21:59 - 22:18 = 19分(29日)
 計: 2時間9分

・読書
 14:01 - 14:22 = 21分
 14:58 - 15:25 = 27分
 16:11 - 16:42 = 31分
 19:29 - 19:39 = 10分
 19:40 - 20:05 = 25分
 21:31 - 21:57 = 26分
 24:28 - 26:02 = 1時間34分
 計: 3時間54分

・睡眠
 3:30 - 11:30 = 8時間

・音楽