2019/12/10, Tue.

 凍った雪の上を、ぶかぶかの木靴をはいて、よろめきながら作業に向かう時、私たちは少し言葉を交わして、レスニクがポーランド人であることを知った。彼は二十年間パリに住んでいたのだが、ひどくへたくそなフランス語しか話せなかった。三十歳なのだが、私たちがみなそうであるように、十七歳とも五十歳とも見える。身の上話を語ってくれたのだが、今ではもう忘れてしまった。だが苦しく、つらい、感動的な物語だったのは確かだ。というのは、何百何千という私たちの話がみなそうだからだ。一つ一つは違っているが、みな驚くほど悲劇的な宿命に彩られている。私たちは、夜、交互に話をする。ノルウェーや、イタリアや、アルジェリアや、ウクライナでの出来事だ。みな聖書の物語のように簡潔で分かりにくい。だがこうした話が集まれば、新しい聖書の物語になるのではないだろうか?
 (プリーモ・レーヴィ/竹山博英訳『これが人間か』朝日新聞出版、二〇一七年、80; 「労働」)


 八時一五分のアラームを受けて起床。それ以前にもたびたび自然と覚めていて、今日の覚醒は比較的軽いものだったのだが、アラームの響きを一〇回数えてからベッドを抜け出すとしかし、身体の揺らぎに耐えかねてやはりまた寝床に戻ってしまった。戻ってすぐの時点ではわりと瞼ははっきりひらいていて、白さに満たされた空を眺めてもいて、この分ならすぐにまた起きられるだろうと思われたのだったが、さにあらず、結局その後意識を曖昧にして一〇時三五分まで寝過ごした。睡眠時間は八時間二〇分である。
 ダウンジャケットを持って上階に行くと、両親共に不在である。母親は書置きに「会議」と書いてあったので、今日は着物リメイクではなくて職場関連の用事らしい。父親はどこに行ったのか知れないが今日は確か休みだと言っていたはずで、ジャージに着替えてから玄関に出ると、あれは何の機械なのか、湿気を吸い取るものなのか、黒く艶々とした革靴のなかに管状の機械が挿しこまれて駆動させられてあったのだが、小窓を覗くと車はなかった。トイレで用を足し、台所に入ると卵を焼くことにして、水気の散っているフライパンを火に掛けた。極々微小な水の玉が音を立てて蒸発しているあいだに冷蔵庫から卵を二つ取り出し――これで卵はなくなったようだった――、油をフライパンに垂らして、その上から卵を静かに割り落とした。丼に米をよそり、卵の白身が固まって多少色もつくと、黄身が固まらないうちに米の上に取り出して、卓に向かった。腰を下ろして新聞を見ると、今日の最高気温は一四度、前日の新聞では確か雨の予報だったのだが、この日の報では青い雨のマークは消え、降水確率は四〇パーセントということだった。一面から臨時国会閉会に当たっての首相の発言を読む。憲法改正は任期中に必ずや自分の手で成し遂げたいとの意欲を示したと言う。単に政権や自分自身の威名を上げるような、よく使われる言葉で言うところの「レガシー」を拵えたいだけではないのか? それから頁をめくって、香港で抗議活動の本格化から半年を迎えたところ、主催者発表で八〇万人規模のデモが起こってまだまだ勢いは衰えないとの記事を読み、また、ウイグル自治区の主席が、職業訓練施設に一〇〇万人が収容されているとの報道は「捏造だ」と表明したとの報も読み、その隣にはさらに、甘粛省の公立図書館の職員が書籍を燃やしている写真が広まって「現代の焚書のようだ」と物議を醸しているとの記事もあって、中国関連の話題が揃っていた。
 食事を終えると丼を洗い、洗面所に入って明かりを点け、頭に整髪ウォーターを吹きかけて櫛付きのドライヤーで髪を撫でて整える。それから風呂洗いである。蓋を取り、ポンプも水のなかから持ち上げて静止させ、管のなかに溜まった水を排出させるあいだ、ポンプの先の方が赤っぽいような垢のような汚れに覆われているのに気がついたが、掃除するのは面倒臭いのでそのまま放ってバケツのなかに入れた。風呂は前日洗わなかったので、髪の毛がたくさん付着していた。洗剤を持った左手で手摺りを掴んで体重を預け、背を曲げて前屈みになりながらブラシを操って壁や床を擦る。終えて出てくると仏間に入り、父親が買ってきた洋菓子の箱のなかからフィナンシェを持って下階の自室に帰った。コンピューターを点け、インターネットをちょっと回り、前日の記録を付け、この日の記事を新規作成したあと、緑茶を注ぎに階を上がった。用意して戻ってくるとフィナンシェを食い、一服しながら早速、ロラン・バルト/松島征・大野多加志訳『声のきめ インタビュー集 1962-1980』を読んだ。難しくて何を言っているのかよくもわからない。概念の射程が捉えきれていないと言うか、バルトの言っていることを理解するためには、抽象的な観念の含む意味に対する解像度がまだまだ足りていないような感じがする。茶を啜るあいだ、二〇分ほど本を読み進めて、そうしてこの日の日記を書き出した。ここまで綴ると正午を越えて一一分に達している。
 それからさらに、前日九日の記事をメモに従って綴り、完成までに一時間一八分が掛かって一時半に達した。the pillows『Rock stock & too smoking the pillows』を"New Animal"から流しだし、インターネット上に記事を発表しておくと、便所に行って糞を垂れてから運動を始めた。いつも通りまず屈伸を繰り返して膝を柔らかくして、それから前後に開脚、続いて左右に開脚、と姿勢を変えていく。"Ladybird girl"や"Tokyo Bambi"を歌いながら腰を落として肩を上げ、股関節を伸ばすとともに首の周りの筋も和らげると、ベッドに乗って"Funny Bunny"とともに腹筋を始めた。昨晩風呂に入る際に洗面所で裸体を鏡に映してみたのだが、すると息を吸いこんだ際に思いの外に腹が突き出して不格好なことに気づいた。病中にオランザピンの作用で一〇キロ太って、その際に腹も結構出たのは認識していたのだが――何しろそれでスラックスが入らなくなって腰周りを直してもらったくらいだ――改めて見てみるとなかなかのもので、加えてこちらは姿勢としても背が反っている傾向にあると言うか、自然と腹を前に出すような立ち方をしてしまうようでそれで余計に突き出て見えるのかもしれないが、これはもしかすると、メタボリック・シンドロームまでは行かないとしても、思った以上に内臓脂肪がついているのかもしれないぞと思った。そういうわけで、と言うかそれに気づく以前から健康と身体のバランス維持のためにも腹筋運動を習慣化しようとは思っていたのだが、なるべく毎日、こなしていきたい。一日につき前日よりも一回多く回数をこなすことを目標とする。この方式が理想的にうまく行けば、一年後には今よりも三六五回も多く腹筋運動をこなせるようになっているはずなのだ。しかしそこまで回数をこなすとなると、それだけで結構な時間が掛かるだろうから、多分途中で回数の増加を止めると思うが。
 それで運動をして二時を越えると、今日は先に音楽を聞くことにした。そう言えば書き忘れていたけれど、日記が終盤に差しかかった頃だったか、それとももう終わったあとだったか、職場からメールが入って、元々今日は二コマの労働だったところを一コマにできるがどうするかと訊かれたので、是非ともお願いいたしますと「笑」の文字付きで返したのだった。それで今日は一時限のみの労働に変わったので、比較的余裕はあった。
 今日、まず聞いたのは、Bill Evans Trio, "Come Rain Or Come Shine"(『The 1960 Birdland Sessions』: #11)である。三月一二日録音。LaFaroはここではいつものように音楽空間を滑らかに縫うような音使いを見せていながらも、"All Of You"のように過剰な多動性によって突出してはおらず、Evansとの交錯のバランスが適切に整えられている。Evansはピアノソロでは冒頭近くから一六分音符を嵌めたりしており、それを聞くとちょっと急いでいるような印象を受けないでもないが、しかしその後は落着いて、着実な呼吸を作って弾いている。スケールに沿って高音部へ上っていく際など、彼には珍しく――あるいは、特に珍しくはないのかもしれないが、少なくとも六一年六月二五日とは違って――、情感が滲むかのように感じられる瞬間もあった。明晰なタッチによる強い打音の為せる技である。ベースソロは録音が悪劣なために細かな部分が聞こえてこないので、いまいち評価がつけられない。対して後テーマの後半では、ベースは動き回ることなく低音部でロングトーンを奏でているのだが、そこでは音質が悪くとも、LaFaroの低音の溢れる重厚さが伝わってきて素晴らしい。
 続いてアルバム最終曲、"Speak Low"。やはり三月一二日の録音である。テーマ部におけるピアノの左手とベースのユニゾンを提示するアレンジは、リズム的にも変化があってなかなか好ましい。演奏も全体として活気があって明朗で、このトリオは単純なフォービートをやっているだけでも相当に強力だと思わされる。Evansもともかく、リズム隊が実に強靭で、スウィンギーとはこういうことを言うのだろうと感じさせてくれるのだ。ベースソロに移るとしかし、例によって細部の音程が聞き取れないので、メロディ感覚がわからず良し悪しの判断がつけられない。Motianはドラムソロのスペースも確保されて、多少は彼らしさを見せているか。緩急を変化させながらスネアを連打するアプローチが多かったようだが、そのなかにシンバルや、無闇無造作に踏みこまれるキックを組み合わせた場面も聞かれたと思う。
 二曲を三回ずつ聞き終えて一時間弱が経つと時刻は三時前、食事を取りに上階に行った。両親共に帰宅済みだった。蕎麦を茹でておいたと言うので礼を言い、台所に入って、朝にも鍋に入っていた大根などのスープに肉を足したつゆが用意されてあったので、そこに蕎麦を投入してちょっと煮込み、お玉を使って丼に盛った。そのほか搔き揚げが一つあったので電子レンジで温めて卓へ、その天麩羅は昼飯を食いに行った店で余ったのを持ち帰ってきたと言うので、今日はどこに行ったのかと訊けば、職場の会議のあとに父親に迎えに来てもらって、ついでに埼玉の方にうどんだか蕎麦だかを食いに行ってきたのだと言う。そのお零れに与ったこちらは蕎麦を啜り、スープの味が薄かったので麺つゆを足そうと冷蔵庫に行くと、あるのは「創味」のつゆで、これは結構値の張るものだったと思う。新品だったそれを開封していくらか蕎麦に垂らし、新聞を読みながら食事を取った。台湾総統選が来月の一一日に迫っていると言う。香港情勢があそこまで荒れて、反中感情も相当に高まっている折でもあろうし、まあ大方蔡英文氏が再選されるだろうなとは思う。食後、皿を洗って水を飲み、自室から急須と湯呑みを持ってくると、先ほど、ここにいると眠くなってきちゃうねと言ってもいた母親は、その言葉通り、タブレットを持ちながらうとうとと安穏な様子だ。ちなみに父親もソファでダウンジャケットを布団代わりに身に掛けながら眠っていた。こちらは緑茶を用意すると下階に戻り、一服しながら読み物、二〇一四年三月一八日の日記を読んだ。未熟さは勿論拭えず、ちょっと気取った臭みのようなものもあり、文の形としても整いきっていないが、当時の自分としてはまあわりと頑張っているかなと思われる描写の日だった。それからfuzkueの「読書日記」、Mさんのブログと久しぶりの習慣を復活させ、それで時刻は三時三五分、何をしようか迷って一旦は英文を読もうとしたのだが、四時になれば身支度をしなければならないから、日記が優先だと思い直して、音楽の感想は除いてここまで二〇分で綴った。すると四時ぴったり、今しがた市内に鐘が鳴ったところである。
 その後、歯磨きをすると共にロラン・バルト/松島征・大野多加志訳『声のきめ インタビュー集 1962-1980』を読み、一七分経つと口を濯ぎに行って着替えである。例によってBill Evans Trioの音楽を、"Alice In Wonderland (take 1)"から流し、ジャージを脱ぐとベッドの上に優しく柔らかく静かに放っておき、黒のスーツを身につけた。ネクタイは水色の地に水玉模様のついたものである。音楽を流したまま、出発までのあいだにセンター試験の過去問を確認する。二〇〇五年度、遠藤周作の『肉親再会』の文章である。
 そうして時間が来ると上階に行った。居間には明かりが点いておらず、電気つけたらと台所の母親は言ったが、先にトイレに行った。用を足して出てきて洗面所に移り、石鹸をつけて手を洗っていると母親が、電気つけて、と今度はちょっと強い調子で、ソファの父親に言ったのだが、しかし父親は小暗いなかで携帯か何かを見ていて動かない。洗面所から出るとこちらが壁のスイッチを押して電灯を点けたが、すると今度はカーテン閉めてよと言うので、三方の窓に寄って幕を閉ざした。
 そうして出発である。家の間近の林の縁から、蟋蟀らしき虫の音がほんの僅かに、おそらく一匹だと思うが、まだ立って聞こえる。最後の生き残りの類だろう。空気はさして寒くなく、冷気が鋭く固まることはなかったが、街道前まで来て口を開けて息を吐くと、車のライトの凝縮を背景にして、目の前の視界が瞬時濁ってはまた透明さを取り戻していく。
 街道を越えて裏通りに入れば、五時前だとまだ人も車もあって、背後から自動車が路地に入ってくるとそのライトが道をいっぱいに埋め広がって、左右の塀や建物の上に線を作り、その明暗の境、光の上端は青紫色に染まっているのだった。工場[こうば]からはまだ溶接の音が響いている。道端で高年の女性が二人、立ち話をしており、前から自転車もやって来たが、しかし目を送っても乗り手の顔貌は定かにわからない。黄昏れというやつである。
 長いこと歩いて職場まで来ると、建物の横で女性が二人、立ち話をしている。生徒か講師かと思ったのだが、見覚えがなかった。室長が教室から出てきて、縛った段ボールを持ってその横を通りすぎていく。そのあいだにこちらは職場に入って、靴からスリッパに履き替えて、室長が戻ってきたところに有難うございますと笑いながら礼を言った。一コマの労働にしてくれて感謝するとの意である。今日はヘルプの講師が多くて、前半のコマでも既に二人、後半になるとさらに一人増えて三人が加わるのだった。
 英語のテキストを読みながら授業の準備をして、ヘルプの講師が来ると挨拶をし、冬期講習のマニュアルをコピーして、室長が説明しているところに加わって差し出し、これを見ながらやっていただけると良いと思いますと伝えた。そうして授業は、(……)くん(高三・英語)、(……)さん(中三・英語)、(……)さん(小五・国語)が相手である。授業開始後まもなくは、ヘルプの先生の下に行き、やり方を確認したりした。こちらの授業内容については、まず、(……)くんのやさぐれ具合がますます甚だしくなっている。テキストも後半に入って文章が結構難しくなってきており、それでやる気が削がれるようだ。また、毎日続けて授業が入っているのもなかなかきついようで、当然のことだが、毎日入れるもんじゃねえな、と本人も漏らしていた。そうした気力のなさが前面に出ているので、こちらもあまり突っこんで指導したり質問したりしにくいものだ。冬期講習に入って一〇日が経ち、本番も段々近づいてきてプレッシャーもあるだろう、だいぶ疲弊してきているように見える。
 (……)さんは、今日扱ったのは進行形・未来形・助動詞の単元。悪くなかった。確認問題レベルなら解説を見ながら自分で解けるし、間違えやすいhave toの変化形の問題なども正解できていた。読解問題からわからない単語も拾ってノートにメモしてもらい、記録も比較的充実させられたと思う。なかなか良いのではないか。
 (……)さんは何故か遅れてきたのだが、理由は特に訊かなかった。今日やったのは古典作品、古文や漢詩である。「つれづれに」という言葉の意味を確認した際に、『徒然草』という作品があってと口にしたところ、名前を知っていたようだったので、凄いねと褒めてあげた。導入部を紹介し、中学校に行くと多分やると思うよと言っておいた。漢詩で取り上げられていたのは孟浩然の「春暁」などで、これも中学校の教科書にも載っていて実に有名なものなので、授業ノートに記録してもらった。
 授業後はもう一コマをこなしてくれるヘルプの先生二人に声を掛けておき、退勤した。駅前ロータリーを通って裏路地へ入ると、前方から中学生だか小学生だか、サッカークラブか何かの子供たちが連れ立ってやってくる。多分いつも駅で賑やかにしている連中ではないか。
 市民センター裏まで来て、右方、線路側に目をやると、線路の向こうの森が黒々と影と化し、その前にいくつか並ぶ家々は暗闇に包まれ沈んだなかに、線路上の電灯が白く収束して、まったくありきたりな印象だが侘しいような風景だなと思った。一つの絵と言えば絵になっていたかもしれない。左方に建つ市民センターは対して、一階から三階まで、広く大きな窓を通して各フロアに明るさと色味が満ちている。
 焼肉屋とスナックのあいだの駐車場で猫を見つけた。道の先では老人が立って、通行人を見ながら何やら身振りを提示しているのは、家の敷地から出ようとする車に合図を送っているのだ。明るい茶色の猫に寄ると、すぐさま逃げられた。いかにも警戒して、怯えたような様子で逃げていった。それで先に進むと、こちらが通るのを見て老人が、車にストップの合図を出したので、会釈して通り過ぎた。
 青梅坂を過ぎると、今日は夜気がかなり温かく、何だか暑いようだったのでマフラーを首から外してバッグに入れた。寒さはなく、何だったら肌に馴染むような空気感である。空き地まで来ると建物がなくなるから空が広くひらいて、一面曇ったなかに一片、白さがほんの僅か強く籠り、かえって曇りが深くなったような箇所があるが、その裏に月があるのだ。白猫はいないかと辺りを見回しながら行くと、一軒の宅の側面、室外機か何かの上に座っているのを発見した。それで手を伸ばしたが、相手は反応を示さない。足もとには段があって、そこを越えれば猫の体に手が届きそうなのだが、他人の宅の敷地に踏み入るのはちょっと憚られて、鼻先に手を伸ばすに留めたところ、しかし猫は細い目で眠そうな顔をするばかりだったので、眠っていたのかもしれない、それでは邪魔をするまいと思い直して、別れて進んだ。背後から車がやって来る。この路地に入ってくるということは、辺りに住んでいる生活者のはずで、彼らもまた帰宅の時間である。建て連なっている家々や、その前に停まって電灯の光をつるつると跳ね返している車に目をやりながら進み、これらの家を造ったり車を持ったりするのにも、よほどの金が掛かっているのだろう、まったく世人は凄いものだと思った。人々の気配は意外と家から漏れてこず、一見すると人が住んでいるのかどうか怪しいような宅もある。
 表通りに出る角まで来るとまた空がひらいて、すると月は、雲が淡いところに掛かったようで、今度はいくらか定かに映った。ほとんど満月らしかった。見上げながら表に出ると、また家並みに目を向けながら行くのだが、通りに面している家々から思いの外に明かりも漏れず、奥には人がいるのだろうが雨戸も閉てきってある。人の気配というものが立ってこず、微かにあったとしても、車が通っているので、その音でかき消されてしまうのだろう。
 ふたたび裏に入って坂上まで来ると、月が黄色く濃くなっていた。その下の彼方、市街や川向こうの町明かりが闇のなかに浮かんで、いくらか隙間を空けながら連なっているのに、あの間歇的な光の並びを、花が咲きひらいているというイメージで昔はよく日記に書いたなと思い出した。眺めていると視界の端で何か動きがあって、目を振れば、また猫らしい。猫によく出会う帰路だ。こちらの方を警戒するらしい素振りを見せながら、坂の先を下りていくが、それでいて一気に走って逃げるわけでもないので口笛を鳴らしながら追いかけたが、途中にある車庫の横の、暗闇に包まれた階段の方に去っていってしまった。
 帰宅すると即座に下階に下りて着替え、食事へ。居間にはテレビが点いていて、例によってどうでも良い番組を流しており、しかも父親も母親もそれぞれ携帯やタブレットを見ていてテレビには目を向けておらず、この締まりのない時空は一体何なのかと思った。食事は鮪のソテーや煮込み蕎麦の残り、それに大根をしんなり和えたサラダやブロッコリーである。鮪のソテーの汁を米に掛けたのだが、米は釜に残った最後のものだったのでいくらか固まっており、液体を混ぜても柔らかくならない部分は取り除いた。夕刊の一面には、海上保安庁の大型巡視船配備計画について載っており、活発化している中国の動きを受けて尖閣諸島方面に九隻を配備する予定だと言う。二三年度末までに一〇〇〇トン以上の船を七五隻にしたいとかいう話だったか。尖閣周辺の中国公船の航行は遠慮なくなってきているようで、接続水域内に入った日数は今年一年で二六〇日だかそのくらいだと書いてあったと思う。領海侵入も三〇回ほどとあったか。
 食後、母親は米を磨ぎ、そのあいだにこちらは乾燥機のなかの食器を棚に仕舞い、それから皿を洗ったあとに、先に風呂に入れと譲った。急かされずゆっくり入りたかったし、茶も飲みたかったのだ。電気ポットは湯を沸かしている最中だったので下階に行き、英文でも読むかと思ったところに、ロラン・バルト関連の本を整理しておこうと思い立って、それで積んである本や本棚のものを揃えてベッドの上に集めた。埃が付着しているはティッシュで拭き取る。数えてみるとバルト本人の著作は一五冊を数え、関連書は八冊である。これらを着実に読んでいきたい。そういうわけですぐに手に取れるところにまとめておこうと考え、ベッド脇のスピーカーの上に二柱に分けて積んでおいたのだが、そのように本を整理するだけで二〇分かそこら費やした。
 それから茶を注ぎにいくと、母親はまだ風呂に入っていなかったので、何で入ってねえんだよと苦言を向けると、鍋を洗っていたとか何とか言う。入っちゃいなと言って茶を用意して戻ってくると、英文を読んだ。Omri Boehm, "Can Refugees Have Human Rights?"(https://opinionator.blogs.nytimes.com/2015/10/19/could-refugees-have-human-rights/)である。

・saturate: 浸す; 満たす、詰め込む; 集中砲火を浴びせる
・allusion: 言及、ほのめかし
・set the tone: 方向づける、雰囲気を決定づける
・predicament: 苦境、窮状
・lingo: 言葉遣い、専門用語
・the Almighty: 全能の神、全能者
・vouch for: 保証する
・ascribe to: ~のせいにする、~に帰する
・quandary: 当惑、ジレンマ
・contain: 抑制する; 食い止める、阻止する、封じ込める
・derogatory: 軽蔑的な
・momentous: 重大な、由々しい

 ちょうど三〇分で読み終えて、そうして日記のメモを取っていると、寝室から出てきた父親がお風呂空いたぞと声を送ってきたので、それを機に中断して入浴に行った。母親のあとはいつもそうなのだが、加熱されて刺激の強い湯のなかで目を閉じて今日のことを思い返し、二〇分かそこらで出てくると、一一時を回った頃合いだった。部屋へ戻る。この時ではなくて、風呂に入る前だった気がするが、Twitterを閲覧していた際にリンクが繋がってnoteを訪れると、Kさんという方から五〇〇円のサポート及びメッセージが届いていた。この方は前々からたびたびサポートをしてくれたり、記事に一〇〇円を設定していた時期には買ってくれたりした方で、まことに有難いことである。日記の冒頭に付してあるプリーモ・レーヴィからの引用に、極限的に凄惨な状況でも人間が尊厳を失わないように闘ったことを示す貴重な記録だと思います、という風に触れていたので、同意の意を示しながら返信のメッセージを送っておいた。それで入浴後は、Christian McBride Trio『Live At The Village Vanguard』を聞きながら下澤和義訳『ロラン・バルト著作集 3 現代社会の神話 1957』を書抜きし、三〇分弱を打鍵に費やし、その後、この日のメモを取って零時一一分を迎えた。
 零時四四分から書見に入って、ロラン・バルト/松島征・大野多加志訳『声のきめ インタビュー集 1962-1980』を三時間弱読み進めて、三時半を過ぎてようやく就床した。


・作文
 11:53 - 12:11 = 18分(10日)
 12:12 - 13:30 = 1時間18分(9日)
 15:40 - 16:01 = 21分(10日)
 22:13 - 22:39 = 26分(10日)
 23:43 - 24:11 = 28分(10日)
 計: 2時間51分

・読書
 11:33 - 11:52 = 19分
 15:12 - 15:35 = 23分
 16:02 - 16:19 = 17分
 21:30 - 22:00 = 30分
 23:14 - 23:41 = 27分
 24:44 - 27:34 = 2時間50分
 計: 4時間46分

・睡眠
 2:15 - 10:35 = 8時間20分

・音楽