2019/12/12, Thu.

 だが飢えがないことなど、考えられない。ラーゲルとは飢えなのだ。私たちは飢えそのもの、生ける飢えなのだ。
 (プリーモ・レーヴィ/竹山博英訳『これが人間か』朝日新聞出版、二〇一七年、92; 「良い一日」)

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 分からない点が多かったラーゲルの生活とは、今まで語ってきたような生活だ。これからも述べられるような生活だ。同時代の多くの人間が、こうして地獄の底に押し込まれて、つらい生き方をした。だが一人一人の時間は比較的短かった。そこでこういう疑問が湧いてくることだろう。この異常な状態に何か記録を残す意味があるのだろうか、それは正しいことなのだろうか、という疑問が。
 これには、その通りと答えておきたい。人間の体験はどんなものであっても、意味のない、分析に値しないものはない、そして今語っているこの特殊な世界からも、前向きではないにしろ、根本的な意味を引き出せる、と私たちは信じている。ラーゲルが巨大な生物学的社会的体験でもあったことを、それも顕著な例であったことを、みなに考えてもらいたいのだ。
 (109; 「溺れるものと救われるもの」)


 一〇時のアラームで一度布団を抜け出す。携帯を止めてから寝床に戻り、しかし臥位にはならずに上体を立てたまま枕とクッションに凭れて、晴れ晴れしい青空から投射される光を浴びていたはずが、意識がやや曖昧になって気づけば時計は二五分を指していた。そのまま前方に、布団の上にうつ伏せに倒れこんだ。それで結局また眠ることになり、途中で姿勢も直して頭を枕に乗せ、布団の下にも入りこんで休み続け、結局午後一時半まで起き上がれなかった。酷い堕落である。休日という頭があると、やはり心身から緊張感が抜けるのだろうか。上階に行くと炬燵に入った母親は、おはようと言ったあとに、もうおはようじゃないよと続けてみせるので、おそよう、だなと答えた。寝間着からジャージに着替えたのが先だったか、それともトイレに行ったのが先だったか。どちらでも良いが、台所の調理台の上に置かれてあった炒飯を電子レンジに突っこんでから便所に行ったのは確かだ。腸内をいくらか軽くして出てくると、温まった炒飯を卓に運び、確かその横に白菜など雑多な野菜の入った汁物も並べたはずだ。汁物にはさらに、葱を細かく下ろして加えたのではなかったか? テレビは多分、点いていなかったと思う。新聞の三面を見ると、元農水省次官が引き籠りの息子を殺害した事件に関連して、いわゆる「八〇五〇問題」が深刻化しているとの説明があったので目を通した。こちらは現在のところ引き籠りではないが――それだって、また鬱病にでも陥って働けなくなるという可能性がまったくないとは言えない――生計を親に頼っており経済的自立の方途も見えない身として、少々他人事ではないと言うか、身につまされるようなところがあり、自分も本当にこの先どうしようかなあと不安にさせられるものだ。その他、国際面から香港関連の記事――香港政府内だか警察内だかに設置されている調査委員会の外国人顧問的な人々が、調査権限の不足に不満を持って辞任したとの報――やミャンマー関連の記事――アウン・サン・スーチーが国連の場だったかどこかで、ロヒンギャ問題への対応は虐殺を目的としたものではなかったと弁明したとの報――を読み、ものを平らげると――炒飯と汁物以外に、サラダもあったような気がされ、また林檎があったのは確かだと思うが、その林檎は多分、隣のTさんから頂いたもののはずで、この日もあとで玄関前を掃き掃除に出た際に母親はまた林檎を貰って、隣のおばさんは九九歳だって、と言っていた――皿を洗い、洗面所への戸をくぐった。今日は休日で労働はないので寝癖は直さず、浴室に入って栓を抜き、浴槽のなかに入りこむと上体を前方に曲げて、ブラシで壁を擦っていく。水垢などが付着している部分に触れると、微かにざらついた感触がブラシの先から伝わってくる。そのざらつきがなくなるまで念入りに擦って、シャワーで洗剤を流すと出てきて、ポットは確か風呂を洗いに行く前に水を足していたはずで、それが沸くのを待って一旦下階に帰った。インターネットを少々回ったり、前日の記録を付けたりしたあと、緑茶を用意しに行くと、母親は洗濯物を入れていたのではなかったか。西側のベランダに続くガラス戸を通して薄陽が居間のなかを横切り、東側の戸棚の上にいくらか暖色を乗せるのだが、二時半前ともなるとその色味も希薄なようだった。緑茶を持って室に帰ると読書である。ロラン・バルト/松島征・大野多加志訳『声のきめ インタビュー集 1962-1980』を三〇分ほど読んで、三時に至った。それから何故かギターを弾こうという気になって隣室に入り、Rolandのアンプのスイッチを入れ、ギターを手に取って椅子に就き、適当に音を奏でた。ハミングと一緒にメロディを散らしたり、目を閉じると眼裏に次の音を指示する図的配置が映るのでそれに従って指を動かしたりした。二五分ほど遊んだあと自室に帰って、ふたたびロラン・バルト/松島征・大野多加志訳『声のきめ インタビュー集 1962-1980』に触れるわけだが、今度は新しい頁を読みすすめるのでなくて、読書ノートへのメモである。このインタビュー集からは今までになく多数の文をノートに引用している。それで時刻は四時半、空腹にはあまり良くないのだが、緑茶をまた飲もうと部屋を出て廊下を行けば、母親は階段下の部屋で電気も点けずにコンピューターを前にしている。何かやるのと訊くので、五時になったらと答えて階段を上り、もう居間はよほど薄暗いので食卓灯を引いて点し、そのもとで茶を仕立てた。自室に戻ってくると椅子に腰を落として三〇分間、ロラン・バルトのインタビュー集をまた新たに読み進め、それで五時を回ったので家事を片づけることにした。居間に上がるとまず三方のカーテンを閉ざし、それからアイロン台を炬燵テーブルの端に乗せ、その付近にごちゃごちゃと放置されていたシャツ二枚を、形を整えてハンガーにセットし、頭上の物干し竿に掛けた。そうして父親の臙脂色の、ユニクロのシャツからアイロンを掛けはじめたのだが、食卓灯の弱いオレンジ色の明かりだけでは手元のシャツの皺が見分けられなかったので、階段の方に行って壁のスイッチを押し、大きな電灯の方を点けた。それからアイロン掛けを進めるあいだ、母親は最初のうちは台所に立っていて、何をやるのかと訊けば鶏の笹身ブロッコリーを炒めるとか言っていたのだが、そのうちに卓に就いて携帯を何やら弄っていた。それでアイロン掛けが終わるに至っても食事の支度はブロッコリーが茹でられたのみだったので、台所に入って手を洗い、笹身を切り分けた。炒め物のほかには、汁物の余りに素麺を入れて煮込めば良かろうと言い、こちらも異存ない。そうして素麺が茹でられたあとから、フライパンを取り出して鶏肉を炒めはじめた。ローズマリーやチューブのニンニクを調味として加え、蓋をしながら鶏肉に火を通していき、そのうちにブロッコリーも投入、その上から味醂や塩胡椒や味の素が掛けられた。さらにチューブの生姜も加えてまたしばらく加熱し、火が通ったかどうか一片鋏で切断してみてなかが白くなっているのを確認すると、完成として自室に帰ろうとしたところが、物置きから里芋を取ってきてくれと言う。それでマクドナルドの紙袋を受け取って階段を下り、下階の物置きに入って植木鉢のなかに収められていた里芋をすべて袋に移し、上階に持っていくと、今度は白菜を切ってくれないかと言う。多分山梨の親戚だか父親の知己だかから貰ったもので、階段の途中に保管されてあったのだが、それが虫が喰っていて、切った際に青虫が出てくるのが嫌で自分ではやりたくないのだと言う。仕方なしに仕事を担うことにして白菜を台所に持ってきて、新聞紙を敷いた上に置き、虫食いで穴だらけになっており、虫の糞なのか濃い緑色の物体が多数付着している葉を剝いでいった。青虫は発見した限りでは二匹出てきたが、極々小さなもので恐れたり気持ち悪がったりするほどのものでもない。それから大体綺麗になった白菜を半分に切断すると、母親は残骸を森の方に捨てに行くのがまた暗くて嫌だと漏らし、一緒に行こうと言うのでこちら一人で良いと残骸を入れたビニール袋を持って立ったが、暗くて見えないだろうからと母親も懐中電灯を持ってあとについてきた。それで玄関をくぐり、道路を渡り、落葉をかさかさ踏み潰して林の方へと入っていき、表からは見えないあたりに白菜の葉を撒き散らした。そうして戻るとちょうど家の前に宅配の軽自動車が停まって、なかから女性の宅配員が降りてきて、母親はそこに声を掛けに行ったのだが、こちらは先ほど外に出てきた際に東の空に見かけた大きな月が気になっていたので、隣の空き地に入って月を捉えようとしたものの、ちょうど樹の梢に掛かる位置にあってあまり明瞭に見えなかった。宅配員が玄関から出てきたので有難うございましたと声を掛けて家に入ると、何だか知らないが陶器が届けられたと言う。父親が頼んだらしい。何で陶器なんて頼むの、いらないのに、と母親は文句を言い、酒の器か何かかなと気色ばんだので鬱陶しいことになるかと予見したもののそれ以上高まらず、こちらが箱を受け取って元祖父母の部屋に置いておいた。それでようやく自室に戻ることが叶い、六時直前からふたたび ロラン・バルト/松島征・大野多加志訳『声のきめ インタビュー集 1962-1980』を読みはじめた。一時間掛けて読了である。
 それで時刻は七時だったので食事を取るために居間に上がり、白米や鶏肉のソテーや煮込み素麺などをそれぞれ卓に運んで食事を始めた。何故だか知らないが新聞を読む気にならなかったので、テレビを眺めたが、このテレビ番組がおよそくだらない類のもので、しかしそれはまあいつものことである。内村光良がMCを務める『THE突破ファイル』という番組で、困難や問題を「突破」したエピソードをクイズを絡めながら再現ドラマでもって紹介する趣向の番組なのだが、この番組のどんな要素が自分にくだらなさの印象をもたらすのかと言うと、勿論そのすかすかな内容空疎ぶりと言うか、言わば肌理の粗さ[﹅5]だと思われる。この番組における再現ドラマの主要な特徴は、大仰さ――すなわち誇張法――及び単純性としてまとめられるだろう。この時視聴した再現劇の第一のものは、軽トラック愛好者が自分の愛車を傷つけられて、その犯人を捕まえるまでの話なのだが、彼の車に対する愛情の向け方や、それが傷つけられたことを知った際の悲嘆ぶりは、まことに大袈裟なものである。それはもはやほとんど芝居とか演技などとは言えないもので、と言うか、明らかに「自然らしさ」を目的としたものではなく、それがまさしくお芝居[﹅3]であることをこれっぽっちも隠さずに明示するような誇張法を取っている。従って、それはいわゆる「リアリズム」を目指したものではまったくなく、つまりは例えば愛車を傷つけられた彼の悲しみに「感情移入」するような視聴者はまず一人もいないだろう、ということだ。むしろその「悲しみ」の表現は、その大仰さによって、ことによると、受け取る人によっては笑いを誘いかねないような外観を成している。この番組の再現ドラマは、と言うか概ねバラエティ番組のドラマというものはどれもそういうものだと思うけれど、誰もが誤解のしようがないほどに強調された大袈裟な単純性の相貌に収まっている。ここには、ロラン・バルトが『現代社会の神話』のなかで、ジェラール・スゼーというバリトン歌手の歌唱に関して批判してみせたブルジョワ芸術の定式化がぴたりと当て嵌まるだろう。「そうした芸術は、意図が十分に理解されないのを恐れているので、いつでも自分の消費者たちのことを、仕事を分かりやすく嚙み砕き、くどいほど丁寧に意図を教えてやる必要がある素朴者と見なしたがる」(下澤和義訳『ロラン・バルト著作集 3 現代社会の神話 1957』みすず書房、二〇〇五年、280; 「ブルジョワの声楽芸術」)というわけだ。そうした誇張法によるあまりの単純さ、ほとんど完全に表現が透明化して構図のみが浮き彫りとなっているかのような構造のわかりやすさ、記号の配列のなす平面における襞=模様のなさ、すなわち一言で言って肌理の粗さには、改めて観察してみるとびっくりさせられるものだ。
 しかしこうした番組が夕食時である午後七時に全国放送で茶の間に流されているということは、自分にはよくわからないが、これにも多分、一定の需要があるということなのだろう。こちらにとってはそれこそがこの世界のまったき不可思議にほかならないのだが、おそらく、社会は求めているのだろう――大仰さを、単純さを、わかりやすさを、明示を、自明性を、透明さを。一日の労働を終えて帰宅し、やっと食事を取って一息つこうという時間に、頭をひねらなければ理解することのできない複雑さ、主体を困惑させるような難解さなど必要ではなく、むしろ有害でしかない、というわけだろうか? こうしたテレビ番組の機能は、僅かばかりの精神的な「慰撫」だと考えられる。つまりは「気晴らし」ということで、こうした番組を「真面目に」、本気で楽しんで見るような人は、多分あまりいないのではないか。いや、どうなのだろう? 結構面白がって、普通に楽しんで見る人もいるのだろうか? よくわからないが、多分大方の人にとっては、ちょっと笑って心を和ませるくらいの機能しか持たないものだと思われ、それこそがあるいは「娯楽」というものの定義なのかもしれない。
 こうしたテレビ番組には、「笑い所」というものが確実に用意されている。バラエティ番組である以上、その目的は人々を楽しませ、笑わせることのはずだからだ。ただし、それは本来の意味で笑える、面白いところと言うよりは、番組制作者の側が視聴者に笑ってほしい箇所のことだろう。そこにおいてもつまりは誇張法と自明性が最大限に機能しているわけで、映像は、今ここが笑うべきところですよ、というほとんど慇懃無礼な指示=メッセージを受け手に送りつけるのだ。むしろ、もう少し強い言葉を使って、このような類の番組は視聴者に対して絶えず、「笑いなさい」という実に直接的な命令を発しているのだと言うべきかもしれない。だからそれは、ある種の「技芸」によって人々を自ずと笑わせる[﹅7]のでもなく、主体を笑うように誘惑する[﹅4]のでもなく、あくまで命令としてのメッセージを送信するものに過ぎない。笑いではなくて、笑いの記号を押しつけている、と言うことができるだろうか? そうした一種の高圧性のような要素も、こちらがこの番組に抱く厭悪や退屈さの一因かもしれない。母親など、まったく単純素朴に、見ながら結構笑っているのだが、彼女はこの番組が放っている命令=メッセージに、唯々諾々と無抵抗に従っているわけだ。実に従順な視聴者。
 繰り返しになるが、こうしたバラエティ番組はこちらにとってはまったくくだらない、どうでも良い、退屈極まりないもので、勿論、通常の意味での興味関心の対象でもない。だからと言って、自分がそれとまったく無縁で高踏的な立場にあると主張したいわけでもないし、母親のような人間を殊更に、「頭が空っぽ」で、愚かな人として貶めたいわけでもない。そうしたことはわりとどうでも良い。ただ、この番組それ自体よりも、こうした文化現象がこちらの内に引き起こす「くだらなさ」とか「退屈さ」の印象に関してはわりと興味があると言うか、何かしら分析するべきものがあるのではないかというような気がする。あと、こうした番組が世の中に広く受け入れられて流通しているという現象的事実に関しては、これはもう自分にとっては本当に不思議なことで、何故そういうことが起こるのか、という点には大いに関心がある。日々の生活のなかに含まれているこういう卑俗なこと、些末なことを観察し、分析し、考察して、それらから何か新たな世界の認識を導き出していきたいとも思う。つまりは、日常生活の民族/民俗学者のような実践をしていきたいということだ。
 食事を終えると皿を洗って風呂に行き、湯に浸かって、上のようなことを思い巡らせながら身体を休め、上がってくると緑茶を用意して自室に帰った。ロラン・バルトのインタビュー集の次に何を読もうか迷って、何か小説を読むか、とすればプリーモ・レーヴィの『周期律』か、あるいは小説ではなくて机の上に積んである彼の全詩集を読むか、それとも今は何だかロラン・バルトの流れが自分のなかに来ているようだから、それに従ってバルトの著作をこのまま読み続けるか、と考えて、結局後者の案を取り、バルトのデビュー作である『零度のエクリチュール』を読みだした。茶を飲みつつ読み、飲み干すと今度は書抜き、下澤和義訳『ロラン・バルト著作集 3 現代社会の神話 1957』から文言を写す。BGMはBill Evans Trio『Explorations』である。書抜きは、三〇分ほどを目安にしていたはずが、気づくとほとんど一時間続いていた。それから歯を磨きながらふたたび『零度のエクリチュール』を読み、一〇時半過ぎからようやく日記を書き出した。この日の日記を綴り、全然大したことは言っていないのに上記のテレビ番組分析に時間が掛かって、ここまで綴ると既に零時半を回っている。一〇日と一一日の記事がまだ書けていない。しかも、一〇日の方はメモを取ってあるが、一一日の方は全然記録をしていない。昨日は読書を優先して日記を放り出してそれに邁進し、そのおかげで今日、バルトのインタビュー集を読み終えることができたわけだが、やはりその日のうちにせめてメモは取っておかなくては駄目だ。
 それからふたたび読書、と言うか、ロラン・バルト/松島征・大野多加志訳『声のきめ インタビュー集 1962-1980』から読書ノートへメモである。ひたすら文言を書き写していき、三時一一分に至ったところでこの本から写すことはなくなった。引用は読書ノートの九頁分にも及んだので、これをまたコンピューターに書抜きするのに骨が折れるだろう。仕事を終えると大人しく就床。アラームは九時半に仕掛けた。


・作文
 22:33 - 23:01 = 28分(12日)
 23:05 - 24:39 = 1時間34分(12日)
 計: 2時間2分

・読書
 14:26 - 15:00 = 34分
 15:25 - 16:31 = 1時間6分
 16:34 - 17:04 = 30分
 17:56 - 18:57 = 1時間1分
 20:18 - 20:39 = 21分
 20:45 - 21:43 = 58分
 21:43 - 22:14 = 31分
 23:01 - 23:05 = 4分
 24:46 - 25:52 = 1時間6分
 26:08 - 27:11 = 1時間3分
 計: 7時間14分

・睡眠
 3:10 - 13:30 = 10時間20分

・音楽

  • Bill Evans Trio『Explorations』
  • Chris Cheek, Ethan Iverson, Ben Street & Jorge Rossy『Lazy Afternoon: Live At The Jamboree』