2019/12/15, Sun.

 イギリス人から来る物品の取り引きはアンリの独占だ。ここまでは組織を作ることだ。だが彼がイギリス人に食いこむ手段は同情なのだ。アンリの体つきや顔だちは繊細で、ソドマの描いた聖セバスティアヌスのように、かすかに倒錯的なところがある。瞳は黒くうるみ、まだひげはなく、動作には生来のしどけない優雅さがある(それでも必要な時には猫のように駆け、跳ぶことができる。彼の胃の消化力はエリアスにわずかに及ばないほどのものだ)。こうした自然のたまものをアンリは十分にこころえていて、実験装置を操る科学者のように、冷たい手つきで利用する。その結果たるや驚くべきものだ。実質的には一つの発見だ。同情とは反省を経ない本能的な感情だから、うまく吹きこめば、私たちに命令を下す野獣たちの未開な心にも根づく、ということをアンリは発見した。何の理由もないのに私たちを遠慮会釈なく殴り、倒れたら踏みつけるようなあの連中の心にも根づくのだ。彼はこの発見が実際にもたらす大きな利益を見逃さずに、その上に個人的産業を築き上げた。
 (プリーモ・レーヴィ/竹山博英訳『これが人間か』朝日新聞出版、二〇一七年、125; 「溺れるものと救われるもの」)


 九時半起床。アラーム止めて戻る。横にはならない。寒いので布団掛けるが。外、白い曇りだが、陽の感触も。ベッド横のスピーカー上に積んであるバルトの本から一番上の『ミシュレ』取る。ちょっと読む。そうしているうちに目がひらいてくるので、抜けて、コンピューター。Twitter見てから上へ。一一時に行くと言うと、母親もそろそろ買い物に行くと。ちゃんぽん作っておいたと。火に掛ける。合間、洗面所で整髪ウォーター。ちゃんぽん丼に。卓で食う。新聞。香港。一一月に亡くなった清掃員に関連して五人逮捕とか。英国、分断深まっていると。ボリス・ジョンソンの言辞もあって。攻撃的な。脅迫などによって議員立候補を諦めた女性が結構いるらしい。
 食後、皿洗い。風呂洗い。下階へ。Evernote。記録つけ、歯磨き。傍ら過去の日記。二〇一四年三月二二日。磯崎憲一郎『肝心の子供』から以下の引用があった。

 こう仮定することはできないだろうか。ビンビサーラは物心ついたときから以降もうまもなく臨終を迎えるいまに至るまで、途轍もなく長い、ひとつながりの文章をしゃべり続けている。途中には話題の転換や逸脱、休憩が入ることはもちろんあるにしても、彼がいま語っている事柄は常に、なんらかの形でそれ以前の話を踏まえたものにならざるを得ないのだから、それは長い長い一本の文章を語っているのと同じことではないか。だが、そこでラーフラは思い直した。これは人生の時間が途切れなく続いていることのたんなる言い換えに過ぎない。彼はふたたび人間の人生が過去でできていることに思い当たった。どんな時間でも過ぎてしまえば、人間は過去の一部分を生きていたことになるのだけれど、ここで不思議なことは、今このときだっていずれ思い返すであろう過去のうちのひとつに過ぎないということなのだ。だから、という繋がり方はラーフラにもうまく説明はできないのだろうが、ビンビサーラもまた生き続ける、彼が話し続ける限り死ぬこともない。

 これは、インタビュー集『声のきめ』のなかで、ロラン・バルトがある言語学者の言として紹介していた言葉と軌を一にしている。すなわち、「私たちの一人ひとりはただ一つの文だけを話すのですが、死だけがそれを中断できるのです」(ロラン・バルト/松島征・大野多加志訳『声のきめ インタビュー集 1962-1980』みすず書房、二〇一八年、144; 「『レクスプレス』誌は前進する……ロラン・バルトとともに」)という発言である。文という様式の無限性を格好良く言い表した言葉だが、これが磯崎の先の記述の元ネタなのかどうか、それは勿論不明である。
 過去の日記を読み終えるとインターネット上に記事を投稿し、出発前に身体をほぐしておくことにした。the pillowsを流して歌いながら、屈伸及び開脚を行って肩を柔らかくする。その後、着替えである。ユニクロの臙脂色のシャツを身につけ、青灰色のUnited Arrows green label relaxingのズボンを履いた。その上に、一年ぶりにバルカラーコートを羽織るつもりだった。
 そうしてこの日のことを現在時までさっとメモに認めると、出発である。コートを身につけて上階へ。両親も不在である。鏡に自分の姿を映してみると、シャツの第一ボタンが開いているとコートの雰囲気にあまりそぐわないようだったので、ボタンを留めて、外へ出た。隣家のTさんが家の向かい、林の縁で掃き掃除をしている。近づいて、こんにちは、と挨拶をすると、まったく、背が高くていい男じゃんか、といつものように褒めてくれる。コートに関しても、いいコート着てるじゃんか、と褒めてくれ、彼女がいるだんべ、と言ってくるので、いないよ、と笑う。それから、おばさん、九九だって、と向けると、老婆はそう、九九、と言って、呆れたで、と漏らす。あと一年で一〇〇歳じゃないとこちらが言わずもがなのことを言うと、生きられないよ、そんなにと気弱なことを言い、こればっかりはわからない、と呟くので、生きてくださいよと笑った。風邪引かないようにねと気を遣っておき、さらに、食欲はある? と聞いてみると、あると言うので、それなら良いと頷く。そうしているうちに、いい男だな、と話が回帰したので、そろそろ歩き出す素振りを見せると、今日はどこまで? と訊くので、今日は立川、友達と会うんだわと答えると、彼女だ、と笑うので、彼女じゃない、とこちらも笑って別れた。
 空気には張りがあったものの、マフラーを巻かずとも問題はなかった。坂道に入って辺りを見回しながら行くと、昨日と同様、常緑樹の、旺盛さと言っては言葉が過ぎるかもしれないが、緑の色の勢力に印象を受けた――さすがに色合いは淡くなったようで、夏よりも葉叢に隙間もあるだろうが。落葉は昨日よりもさらに増えたような気がした。それを踏みつつゆっくり坂を上がっていき、駅に着くと階段通路に入る。上りながら空に視線が行くと、今日はパウダーめいた雲が全体に希薄に混ざっていて、南の方角――と言うのは背後だが――ではやや厚くなって陽を薄めている。ホームに入って先の方に歩いていき、昨日と同様、日向の範囲で立ち止まって、辺りに視線を遊ばせる。左方の先、線路の脇では壁のように茂った草の辺りから、煙なのか排気ガスなのかわからないが、何が薄青いような気体が湧き出していて、どうも草の向こうで何か燃やしているか、あるいは車でも停まっているかしているようだった。煙の噴出によってそれに包まれた景色が一片、撓んでおり、また、横に吹き出したり、あまり動かず溜まったり、上方に昇っていったりする気体の動きによって、空気の動向が視覚的によく認識できる。見ていると、ガスらしき臭いが鼻に触れてきた気がしたので、多分排気ガスの類だったのではないか。
 じきに視線をそちらから外し、正面を眺めていると、丘の方から一匹のみで鴉の鳴き声が降ってくるものの、姿は見えず、どこにいるのかはわからない。手前の石段の縁に生えた屈曲した枝ぶりの梅の樹を、あれも昔、悪魔の手のような、とかいう比喩で日記に書いたなと思い出しながら見た。そのうちにアナウンスが入ったのだが、それが電車の遅れを知らせるものだったので、それを知ると即座に手帳を取り出してメモを始めた。後ろから射す陽の色が濃くなった。
 その後やって来た電車に乗り、青梅で降りて乗り換えた。車中ではその時点までのことをメモに取ったと思うのだが、この青梅以降の車内での様子は記されておらず、どこの席に乗ったのかも思い出せない。多分いつも通り、二号車の三人掛けだと思うのだが。メモを終えたあとは、ロラン・バルト石川美子訳『零度のエクリチュール』を読んだようだ。そうして立川に着くと、乗客が降りていって階段口が空くのを待つ。本を引き続き読んでいると幼子を連れた母親が乗ってきた。子は賑やかにしている。さらにもう一組、やはりベビーカーに乗った男児を連れた父親がこちらの向かいに乗ってきたのだが、こちらの子供は静かで、先の子が座席の端の仕切りの上から顔を出してにこにこしている方を、呆けたようにじっと見つめているのに父親が、楽しそうだねえと声を掛けていた。
 そのうちに電車を降りて階段を上り、改札を抜けて人波のなかに同化した。北口方面へ向かい、正面の口から出るのではなく、右手の広い階段に折れて鷹揚に下りていき、道へ出ると交通整理員の立っている短い通りを渡って、昨日もやって来たルノアールのビルに入った。階段を上って入店し、店内を見回すと、AくんとNさんはまだ来ていないようだったので、出てきた男性店員――会合でこの店に来るといつも必ず働いている、挙措からしてベテランの、短髪の人だ――に三人で待ち合わせだと指を立てて示し、室の中央付近の四人掛けに就いた。コートを脱ぎ、畳んで隣の席に置いておくと、席に座る。夏目漱石草枕』の文庫本と読書ノートを出して、二人が来るまでのあいだは多分ノートを読み返していたと思う。まもなく、二人が到着した。Nさんは開口一番、すみません、と謝ったのだが、それはスケジュール変更の件だった。今回の会合は元々一二月一日に予定されていたのだが、二人のあいだで伝達ミスがあって、課題書が夏目漱石の『草枕』だったところをNさんは『枕草子』を読んでしまい、それで一日には間に合いそうもないとのことで、この日に変更したのだった。いやいや、全然いいよ、とこちらは事もなく受ける。
 注文。こちらはコーラとベルギーチョコレートのケーキを頼み、Nさんは水出しコーヒーとチキンのサンドウィッチ、Aくんはブレンドコーヒーとハニートーストを注文した。確か、最初のうちに、入籍したとの報告があったのではなかったか。おめでとうございますと受けると、Nさんが、これからもお付き合いをよろしくお願いしますみたいな畏まったことを言ったので笑った。
 その後、今日はほとんど雑談をせず、比較的早めに『草枕』の話題に入ったと思う。序盤の会話の主題は、画工が抱いている「非人情」の芸術論についてだった。岩波文庫版に収録されていた重松泰雄の解説が指摘していたが、画工は実際には自ら主張しているこの「非人情」の芸術論を実践できていないようである。と言うのも、彼は俗情を嫌っていながら、那美さんに対してはその素性を探ったりして、まさしく俗な関心を向けているからである。だから自らの理論を自ら実行できていないようなのだが、そもそも「非人情」とはどういうことかとNさんは疑問を向けた。序盤で説明されていたことを手がかりに、まあ概ね、距離を置いた対象化というような認識様式のことだろうとこちらは答える。勿論それだけではなく、物語的完結性の拒否、というようなことも含むだろう。と言うのは画工は那美さんとの会話のなかで、俗世間の人情的な認識では、もし今自分があなたに惚れたら、結婚するところまで行かなければならない、というようなことを述べていたからだ。つまり、世間一般的な価値観では、恋愛の終点として結婚という幕引きが想定されているわけで、これは物事が始まったら然るべき形で終わらなければならない、相応しく収まりがつかなければならない、という考え方である。そのような認識と対照的なものとして当然、断片性の擁護があるわけで、画工もやはり那美さんとの会話のなかで、断片的な読み方を提唱している。すなわち、よく評論などにも引用される有名なシーンだが、画工は小説を適当にひらいて、ランダムに行き当たったその頁を断片的に読んでいる。それに対して那美さんは、そんな読み方で面白いんですかと疑義を投げかけ、画工がそれに対して、筋を読むなら自分だって初めから終わりまで順々に追っていくと答えると、女性は筋以外に何か読むものがありますかと再度疑問を連ねる。それを受けて画工は、「余はやはり女だなと思った」などという独白を漏らしていて、そこを読みながらこちらは笑い、ここちょっと女性差別入っているよねと言ったのだったが、それは措いて、画工がそこで実践している断片的な読み方に相応しいものとしてこの小説が作られているかと言うと、ある程度はその気味もあるようだが、完全にそうはなっていない。つまり、緩やかではあるものの、やはりこの作品には物語があるのだ。だからこの点でも、作中に書かれた理論を作品自体が完全には実践できていないという中途半端さがある。
 色々と雑多な要素が含まれた作品だったとAくんは評した。画家の持論を述べたエッセイ的な部分も多いし、英詩の引用があったり、自分でも漢詩を作っていたりと。物語上の大きなテーマとしては、画家が描き出したい抽象的な「感じ」、世界そのものと同化したかのような境地というものがあって、それを描き表すための対象として那美さんという女性が候補に挙がってくる。画家の目からするとしかし那美さんには何かが足りない。それは「憐れ」の情だと彼は思い当たるのだが、物語の終幕で、元夫が戦地に向かって――だったか? もしかすると戦地ではなくて、単に列車に乗ってどこかへ行ってしまうということだったかもしれないが――出発するのを見た那美さんの顔に、まさしく「憐れ」が生じているのを見出した画家は、それですよ、それがあれば絵になります、みたいなことを彼女に言って、それで作品は終焉を迎える。だから一応、作品の成功を匂わせてはいるのだが、しかし実際に成功したかどうかまでは書かれていないし、終わり方としても上手く終わっているようないないような、何だかよくわからないような半端さがやはりある。先ほどの断片性と言うか、完結性を拒否するような話者の理論からすると、綺麗に完結していなくてもそれで良いのかもしれないが。自らの理論にある程度は従っているようでもあり、ある程度は従っていないようでもあるような、中途半端さというものがやはり見受けられる気がする。
 あとは、画家が語っている主客同一の境地についてもいくらか説明した。芸術の世界ではわりとよく言われることだと。夏目漱石の場合の元ネタと言うか、考えを学んだ起源というのは、多分西田幾多郎なのではないか。自分という主体が消えたような感じとか、自分が客体である世界と同化したような感じなどというと難しいかもしれないが、要は、自分という存在を意識しないほどに何かに没頭している状態とか、そういうことだろうと平たく説明して、そういう感覚を体験したことはある、と二人に尋ねた。Aくんは確か、走っているあいだに意識や記憶がふっと飛ぶような瞬間はあると言っていたはずだ。いつの間にか場所を移動している、みたいな。いわゆるランナーズハイというやつだろう。Nさんも、サッカーをしているあいだの熱中感がそれに近いかもしれない、とか話していたか? よく覚えていないが。こちらも昔はわりあいに主客同一的な恍惚感が訪れることがあったのだが、最近では恍惚というような感覚はもはやなくなった。一番直近のものとして覚えているのは、確か二〇一五年の一一月一五日のことで、今過去の日記を確かめてみるとその日で正解だった。当時の記述を一部引用しておこう。

 駅に向かってまたゆったりと歩いているあいだ、後方から陽が射して、先導するかのように自身の影が長く路上に伸び、家先に取りつけられた鏡が光り、明るさを混ぜこまれた丘の木々は薄緑色になった。風邪を引いて微熱があるときのように身体がふわふわとして、時間の流れが緩やかになったかのようだった。駅のホームに立ったころには太陽はますます露出して、濡れたホームのアスファルトには空間に穴をあけるかのような白さが撒き散らされ、その氷めいた輝きは目を眩ませた。Radiohead『The Bends』の厚い音を聞きながら呆けたようにしていた。するといつの間にか、空間の隅々まで明るい琥珀色が注ぎこまれて、あたりは一挙に時間が逆流して過去になったかのように色を変えていた。梅の木にはスズメが何匹も集まって枝を震えさせ、そのせいで秋色の葉っぱが一枚また一枚と雫のように落ちた。視界を泡のように漂う虫、木々や草むらの色の震え、川の流れのように刻一刻と変わる光の濃淡、どこを見つめるでもなく、視覚そのものを撫でていくこの世界の最小の動きを取りこんでいると、あっという間に時間が過ぎた。自分がいなくなったかのような瞬間がそのなかにあった。しかし同時に、自分のなかに深く入りこんでいるような感じもした。没我とは、自己を没することではなく、自己に没することで自己を忘れることではないのか? 一年のうちに数回は、そんな風に風景が非現実的な色合いに染め抜かれる時間が訪れるものだ。世界の呼吸が身近に感じられ、体内に流しこまれるその吐息が淡雪めいて心の平原にゆっくりと落ち、わずかな染みを残しては溶けていくような、そんな時間だ。

 この時は、多分、自らがほとんど属性を失ったと言うか、主体からひとときふっと離れた、分離して浮かび上がったと言うか、辺りを観察する動きそのものに還元されていたような感覚があったのではないか。そういう瞬間というのは、誰も探してみれば一度くらいはあるものではないかと思う。漱石も『草枕』のなかで画工に託してそれを言わせていて、曰く、芸術とは無縁にあくせく働いて金勘定をしながら日々を過ごしてきたような人でも、自分の人生を思い返してみた時に、何かに没頭したとか熱中して自分という存在が消えたような感じがしたというそういう経験は、一つくらいは思い当たるものだろう、そうでなければまったく生きた甲斐のないものだ、みたいなことを書いていて、Nさんはこの言には同感を表明していた。
 そんな感じで『草枕』の話をしていたのだが、そのうちに、Aくんの新しい職場の話に移った。こちらが何かの拍子で、時代からますます逆行した生き方をしている、と漏らした時に――そうだ、確か、ものを書くという営み、あるいは芸術の営みについてNさんの質問に答えていたその流れからではなかったか。つまり、彼女が、文章を書いている時というのは、どんな気持ちなのかと尋ねてきたのだった。まあ俺の場合は、面倒臭い気持ち、と最初に冗談で答えておいて、まあそれは半分は冗談ではなくて、面倒臭いという気持ちもやはり含まれてはいるのだが、続けて、俺の場合はやっぱり、書いている方が存在として自然だから、というようなことを答えた。ありがちな言い分ではあるが。Aくんは、文章を上手く書けている時というのは、凄く頭が回っていて、ハイになっている、興奮していて眠れないと言うか、眠りたくないような気持ちになっている、というようなことを話していたと思う。こちらも昔はそうだったかもしれないが、今はそこまでの高揚感というものはない。もっと日常的で、恒常的で、まあ言ってみれば地に足ついたと言うか、普通の行動になっている。Nさんはさらに、ものを書く人とか、芸術家というような人種は、どんな動機でその営みに精を出すのだろう、というような問いを提起した。これも勿論、人々に応じて千差万別なので、自分の場合を述べるしかないわけだが、こちらの場合は書くという行為がまず第一に、先に来ていて、それ以外のことはあとに来るもの、先立ってはいないというようなことを話した。世に認められたいというような気持ちも、まったくないではないとは思うが、ほとんど強いものではない。自分の文章が何かの形で認められたり、金になったりしても、有難いとは思うだろうが、別のさほど嬉しくはないと思うと答えた。むしろ、何にも繋がらないけれど、それでもやり続けるのだという形で、無償性という概念を体現できたら良いと思っていると、前日にISさんとの会話でも話したことをここでも話した。だからnoteの料金設定もやめてしまったと。自分の文章を金にしようとは全然思わなくなった。この時代において、金銭的な経済関係に包摂されず、何の見返りも報酬もない状況で、しかし――と言うかおそらく、「しかし」でも「だからこそ」でもなくて、「そして」――何かを実行する、実行し続けるという、そうした姿勢を明確に示すことの方がおそらく重要だろう。物凄く小さな形ではあるが、それは一つの抵抗・反抗である。ある種の反体制的な活動である。いや、そんなことを言うと格好良くなってきてしまうので警戒した方が良いが、ともかく、そういう無償性を示したいみたいなことを話した。一方で、認められなくては、あるいは読まれなくては意味がないではないか、という反論も当然あるだろうとも述べた。それはある意味でその通りだとは思うが、だからと言ってそれは、こちらがものを書き続けるということを止められるような力を持った反論ではない。認められようが認められまいが、こちらが文章を書き続けるということは、今のところ、既定事項として自分のなかにはある。あとのことはこちらの知ったことではないと言うか、こちらの力でどうにかなる事柄ではない。人事を尽くして天命を待つと言うか、あとは野となれ山となれと言うか、この後者の言葉はちょっと意味が違うか? まあどうせ書くだろうし、営みを続けていればどうせそのうちに何らかの形で認められるだろうという自負心も一応、あるにはあるとこの場では述べたが、一方で、どうせ大したことにはならないだろうという逆の感じもまたある。
 それでそういう無償性の話をしていた流れで、ますます世の趨勢から逆行した生き方になってきていると漏らしたのだったのではないか。それに応じてAくんは、自分はもう完全に資本主義に呑まれてしまったと言って、新しい会社の話をしてくれたのではなかったか。この会社というのが、資本主義の極北みたいな管理システムをしていると言うか、規律権力が最大限に活用されたようなもので、徹底的な数値化を押し進めており、休憩時間やトイレの時間まで定められているのだと言う。そのほか、会社は社員にこれだけの金を払っている、あなたの仕事の成果はこれだけである、それを計算すると、あなたは今これだけの赤字となっています、みたいな風に成績を完全に金銭的な数値において把握され、提示されるらしい。早く黒字社員になってくださいね、と。また、以前、顧客からオフィスが煙草臭いというようなクレームめいたものが入ったらしく、それ以来、二時間に一回は「リセッシュタイム」を設けて、皆でスプレーをシュッシュッと吹く時間があるとか、休憩時間は働いては駄目で、きちんと休憩を取らなければならないとか、社外での移動の時間も、前職だったら無論自由に、本を読んだりできたのだが、現職では、それも契約の範囲の労働時間に含まれているわけだから、きちんと出向く先の資料などを読んで仕事に繋がるような時間にしてくださいとされているとか、そんな話を聞いた。徹底的な合理性の追求を旨としたシステムになっているわけで、だから、人間的な意味を捨象する側面を受け入れることができれば、納得が行くシステムになっていると。話を聞きながらこちらは、ミシェル・フーコー的な主題だなと興味深く思った。ミシェル・フーコーの論では、近代社会というのは、学校とか監獄とかにおいて、均一で画一的で社会の生産活動に適応した労働主体を作り出すために規律権力というものを主体の身体に[﹅3]、あるいはこちらの言葉を使えばむしろ心身に[﹅3]注入する。身体的に作用して行動の面を改鋳するというのが重要なポイントで、例えば学校において整列させられるとか、体育座りをさせられるとかそういったことが例として挙がると思うのだが、トイレに行く時間すら管理されるというのは、まさしくその極限的な形態ではないかとか何とか思った。ただ、多少の融通も利く制度になっているらしく、つまり、例えば給料を減らしても良いから残業を減らしたいという人は、そうしたオプションも選べるし、休憩を自分で好きな時間に取れる社員もいると言う。後者の場合、それにはただし、同僚からの高評価などが必要なのだと。曰く、「三六〇度評価」と言って、仕事の能力や業績だけでなく、人格面なども含めてグループの同僚皆から評価を受けるようなシステムが構築されているらしく、それで高評価を得て、きちんと働いていると証明されれば、多少の個人的な自由が認められるとのことだった。これは制度の寛大さと言うよりは、システムに可変性を持たせることでより戦略が巧妙なものになっていると捉えるべきで、つまり、規律権力を完全に内面化して、高度に整えられた労働主体として自らを律することができるようになれば一定の自由を与えますよ、とそういうことであるわけだ。だから、数値という一目瞭然で明確ないわゆる「エビデンス」を根拠として、社員は自らのポジションや働き方を、自ら主体的に選んだかのような[﹅5]納得感を得られるようになっていると思うのだが、その点にパートナーであるNさんは、批判的と言うか、この「かのような」の作用に気づいているようだった。つまり、外堀を埋めていって知らず知らずのうちに社員を望ましい位置へと追いこんでいくような、ある種狡猾で、嫌らしいようなやり方だというような認識を持っているようだったのだが、そのあたりはむしろ、実際にその制度内で働いているAくんの方は、あまり気にしていないと言うか、そういう可変性はわりあい良いのではないかと思っているようだった。この会社は性悪説でも性善説でもなく、「性弱説」というものに基づいていると言い、つまり、人間は弱い存在で、放っておくと誘惑に負けたり、自ずと怠けたりしてしまうものだから、ルールで徹底的に縛らなければならない、という考え方に立っているとのことだった。全体として、非常に興味深い話だった。まあ、自分がそのなかで働くとなったら、人間的な意味の希薄さに耐えられなくなってしまうかもしれないが。それとも、案外上手く適応するだろうか? いずれにせよ、明らかな「エビデンス」によって社員の納得を得るという合理性は徹底されているわけなので、もしかするとこういうシステムがこれから先の時代のスタンダードとなっていくのかもしれない。
 話を聞いていると、とにかく売れる仕事をする必要があるよね、とこちらは質問を投げかけた。金銭的な換算によってすべてが回っているわけだから、そこにおいて仕事の価値の第一義は売れるということ、利益を生み出すということにどうしてもフォーカスされざるを得ない。顧客を満足させなければならないわけだが、それで、どういう仕事が売れるのかという問いを投げかけたところ、今から振り返ってみると、その質問に対して直接上手く噛み合う返答はなかったようだが、会社がそういう価値観だと痛感したことがあったとAくんは話してくれた。彼は前職の時代から、取引先の資料などをわりと丹念に、時間を掛けて読みこんだ上で仕事に当たるタイプだったと言うのだが、上司にそんなようなことを話したところ、それで顧客の満足度を上げることに繋がらないのならば、その分の時間を他の案件に使った方が良いと言われたのだと言う。まあ、一つの面から見れば正論ではあるだろう。
 しかし、売れる仕事というのは、いずれマニュアル化されて、誰でも同じようにこなせるような形になるのではないかとこちらが訊くと、実際、わりとそういう方向に進んでいるらしかった。彼の会社は、他企業の求めに応じて社内報などを作るわけだが、極端な話、売れる社内報の作り方がマニュアルされると言うか、あるいは、大体どのような顧客でも満足させられるような一般的な文書を作れるような機械が開発されれば、AIに任せれば良いということになって、仕事を奪われるかもしれない。こちらが笑いながらそれを指摘すると、Aくんも、ことによるとそうした事態がこの先の未来で訪れるかもしれないことは認めつつも、彼がやっているのは折衝と言うか、顧客企業側と自社の文書作成部とのあいだを繋ぎ、顧客の要望を作成担当の方に伝えたり、必要な人材や資料を用意したりする立場だということで、さすがにそのあたりの微妙な領域は残るのではないかと述べていた。まだしも辛うじて、人間的な意味と言うか、差異が忍びこむ余地が、微小なものであれ、あるにはあるわけだ。会社側としてはしかし、そのあたりもやはりマニュアル化したい方針でいるらしいが。
 そういう世なので、芸術家みたいなタイプの人は肩身が狭いでしょうねみたいなことを、AくんだったかNさんだったかが言った時があって、いや、まったくもって肩身は狭いよとこちらは笑った。Aくんの友人にも、それ役に立つの? 金になるの? というような観点を第一に持っているような人がいると言う。そこでAくんが以前、松山に引っ越そうかと半ば本気で考えていたことがある、という事実が明かされた。夏目漱石正岡子規にも縁[ゆかり]のある土地で、東京などに比べると家賃もよほど安いし、そちらに越して文筆的なことをやりながら生きていけないかと、結構物件なども調べたりして、わりと真剣に考えていた時期があったと言うのだが、それに対して、Nさんの友人が、現実的にどう生きていくんですか、仕事はどうしていくんですか、みたいなことを「詰問」してきたことがあったのだと言う。その女性は、Aくん本人と言うよりも、Aくんのパートナーで自分の友人でもあるNさんの行く末を心配して、平たく言えばこの男は本当に大丈夫か、Nさんを任せるに値する人間なのか、というような視点で値踏みしていたのだろうと、Nさんはそんなようなことを言っていたが、ともかく、何か自分の活動と言うか、まあ芸術家みたいな営みをやろうとしてもなかなかやりづらい世の中だ、という話だった。それは、この社会の一般的な人々の価値観を形成している第一原理として、やはり金という存在があるからなのだが、Aくんは無論、そうした風潮には距離を取って相対化している。Nさんも意外と、そのような拝金主義的、とまで言うと言い過ぎと言うか、そんな大袈裟なものではなくて、もっとナチュラルなと言うか、もっと日常性に根ざした自明の[﹅3]――自明性こそが最も暴力的なのだとロラン・バルトは言った――事柄としてあるような気がするが、ともかく、そういう金をまず第一に考えるような趨勢には批判的なようだった。しかしこちらの立場は、三十路を目前としてもいつまでも親に生計を頼っている身なので、一般的にあまり褒められた境遇ではないだろう、と呟く。甘さがあると自覚しているとは言っておき、でも、それは何かもう、すみませんみたいな、こんな生き方ですみませんみたいな、とへらへら笑った。しかし、現実問題としてどうやって生計を立てていくかということはある。ところが、読み書きの時間を充分に取りたいだけ取ろうとすると、やはりどうしても金は稼げない。ちっとも稼げない。それに個人的に、労働からなるべく解放されたいという欲求もある。まあそれは社会のほとんど皆が持っているとは思うが。そうした状況を弁証法的に解決する案として、人は文章を金銭化していく方向を考えるだろうが、自分はそれも目指さない、と宣言しておき、だから、我儘だね、と笑った。それなのでやはり、生活を支え合うことのできるような相手は必要なのではないかと漏らした。
 仕事関連の話の繋がりとして、最近、Nさんの会社では、精神的な疾患になる人が多いという話が出た。よく覚えていないが、この数か月で三人だか四人だか、そんなことを言っていたか? それで、Aくんがトイレに行っているあいだ、どうなんですかね? とNさんは振ってくる。何が「どうなんですかね?」なのか、質問の趣旨があまり明確にわからなかったが、答えて一般論を述べた。まあ増えているみたいだね、と。それには、診断基準の変化や、新しい疾患概念が生まれたことなどが寄与しているのかもしれない。おそらくこれからも増えていくのだろう。ただ、ある種の疾患であると診断され、言わばレッテルを貼られてもその人自身の性質は何一つ変わらないわけで、そのレッテルとのあいだに齟齬を来さず、患者がそれを自らのものとして引き受けながら生きていけると良いのではないか、みたいなことを言ったのだが、自分でも何が言いたかったのかよくわからず、あまり明晰に言述を整えられなかった上に、実に凡庸な発言になってしまった気がする。レッテルを貼られることで、つまり診断を受けることで、それが重荷になる、あるいはより落ちこんでしまう、ということはないだろうかとNさんは言った。こちらはそれに対して、あるかもしれないが、まったく逆の作用もあり得る、つまり診断を受けることで自分の症状が明確化され、受け入れられるようになる、ということも、と。こちらの場合はどうだったのだろう? パニック障害という判断を下されたことで――言わば判決を受けた[﹅6]ことで――、どういう精神的な変化があったのだろうか? 最初のうちはやはり、受け入れ難かったのだろうか? それとも比較的早期に、自分はそういう病気なのだという自己認識を作り上げ、適応に成功したのだったか? もはや覚えていないのだが、ただ、パニック障害になったことで、ある種の疎外の位置に追いやられたと言うか、要は主体としての世間一般的な位置づけからは決定的にずれてしまったのは確かだと思われる。「精神疾患者」という属性の下に自己像を組み替えなければならなかったはずだ。ただ、その後、言わばアウトサイダー的な位置に追いやられたままだったかと言うと、そういうわけでもなくて、何と言うか、自分は病気だったということをほとんど何の気負いも衒いも躊躇もなく他人に話すことができるし、パニック障害であったという事実に対して、少なくとも現在は劣等感を覚えることもまったくない。それだけ快癒したということ、あるいは自分の症状が軽い方だったということをこれは一面では表すものだと思うが、それだけではなく、心身に精神疾患を刻まれたことによっても、こちらは言わば平常人――「健常者」という一般的な言葉をここでは使わないことにするが――の世界あるいは共同体から、さほど離れなかったような気がする。上では平常者としての位置から「決定的にずれてしまった」と言っているので、矛盾のように思われるかもしれないが、何と言えば良いのか……精神疾患患者であるということが二〇歳以降の自分のアイデンティティの形成に大きく寄与したことは確かで、人格性の一部を成すものになったとは思うが、しかしその事実をもって世のメインストリームとの交渉が絶えたり、そこから完全に放逐されることにはならなかったと言うか、まあそんなのは皆、大体そうなのかもしれないが。ただ、自分は精神疾患患者としては、比較的珍しいようなタイプに属するのではないかという気がされて、パニック障害の時期はまあそれはやはり苦しいし、端的に地獄だったが、その過去を例えば他人に話したりすることに何の憚りも感じないのだ。それは、パニック障害という症状が、完全に過去のものとして遠ざけられたということなのだろうか? 益体のない思考の堂々巡りに差し掛かってきたような気がするのでこの辺りで止めにするが、繰り返しておくと、パニック障害を患ったことが、こちらを世の主流からずれた言わばアウトサイダー的な位置に定位させた――それ以前から元々、何となく疎外的な感覚を得ていたことに加えてと言うか、追い打ちを掛けるように――ことは確かだと思われるのだが、同時に自分は、完全に社会から外れてしまうのではなくて、それ以来、その境目あたりのところにいるような気がするということだ。と言うか、それは昔からずっとそうだったのかもしれない。中学生の時分あたりから、ずっと自分は、一応大勢のなかに所属しながらも、内面的に主流派の価値観――ロラン・バルトの批判して止まない対象として言えば、「プチプルジョワのイデオロギー」――に馴染むことはできず、かと言ってそこから完全に外れることもできず、折り合いをつけながら、表面上そこそこ適応して、まあそれなりに上手くやって来たのかもしれない。こちらが一般的に世の中というものに対して――いや、当時は「世の中」などというものを全然知りはしないから、当然その範囲は概ね学校に限られていたはずだけれど、まあ要は周囲の世界/社会に対して違和感を覚えはじめたのはまさしく中学二年生の時分のことだったわけで、この点からすると自分は言葉の正式な/正しい/元々の意味で「中二病」患者であったと言うべきだろう。ただ、こちらはいわゆる「不良」になることはできなかった。性格的にそこまでの度胸や雄々しさがなかったということでもあるが、同時に、「不良」になるというのは多分、それほど難しくはない、わりあいに簡単な/楽なことなのだ。「不良」は「不良」として、制度のなかに容易に回収され、そういう存在として位置づけられる。それどころか、ある種の人々からは憧憬すら得られるかもしれない。そして、「不良」には「不良」の共同体がまたあるわけで、そのなかで居場所を得ることもできる――と言うか、そうした共同体の方がもしかすると、〈主流派〉のそれよりもあるいは抑圧的で、同調を求める部分すらあるのかもしれない。いずれにしてもこちらは「不良」共同体には参入しなかったし、かと言って〈主流派〉共同体にも飽き足りず、まあ言ってみればそのなかの隅の方にいたような感じだと思うが、そういう位置取りの性向を、ロラン・バルトが奨励するところの〈戯れ〉のようなものとして遡行的に意味づけ/評価するのはちょっと強引すぎるか。ただ、性質的に、主流派イデオロギーに埋没できず、なおかつその外部に離脱しきることもできないという生理的/身体的な傾向性のようなものが、もしかすると元々自分にはあったのかもしれなくて、それが今になってロラン・バルトへの親近感や興味関心として表出しているのかもしれない。
 どうでも良い話を長々と、余計に綴ってしまった。Nさんは用事があるということで――サッカーをするらしい――午後四時で退去した。その後、Aくんと二人で、『草枕』についてふたたび語った。那美さんの芸術に対する無関心をこちらは指摘した。五八頁で、「気楽も、気楽でないも、世の中は気の持ちよう一つでどうでもなります。蚤の国が厭になったって、蚊の国へ引越しちゃ、何にもなりません」/「蚤も蚊もいない国へ行ったら、いいでしょう」/「そんな国があるなら、ここへ出して御覧なさい」というやりとりを画家と那美さんは交わしていて、そこでの女性の発言は明らかに冒頭の、「人の世は住みにくい」(7)という画工の述懐と親近している/それを踏まえて書かれている。だから、「人の世は住みにくい」というのは、那美さんの実感でもあるはずで、「人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい」ということは彼女もまたよく理解している。その住みにくい人の世を、束の間でもいくらか住みやすくするためにこそ、画工にとっては詩や絵画などの芸術があるわけで、それは、「住みにくき世から、住みにくき煩いを引き抜いて、ありがたい世界をまのあたりに写す」(7)ものであり、「人の世を長閑にし、人の心を豊かにする」。しかし、那美さんはそうした芸術の効用を信じず理解せず、「世の中は気の持ちよう一つでどうでもな」ると思っている。画工が、「女が馬へ乗って、山桜を見ている心持ち」を即席で描いて、「さあ、この中へ御這入りなさい」と冗談を言っても、那美さんは、「まあ、窮屈な世界だこと、横幅ばかりじゃありませんか」と返すばかりである。画工は「心持ち」を筆にしたためたのだが、那美さんはその精神的表現を理解せず、その表面しか見ず、画を平面的な二次元の世界としか見なしていない。ここでの発言は、芸術とは無縁の彼女の精神の表面性、その認識の深みのなさを証していると思われるのだが、同時にまた、志保田のお嬢さんの伝説に対する反応も、彼女の芸術への関心のなさを際立たせているだろう。二人の男に言い寄られながらもどちらか一方を選ぶことができず、煩悶して身投げをした志保田の遠い先祖の女性の物語に対して、那美さんは、「第一、淵川へ身を投げるなんて、つまらない」(60)、「ささだ男もささべ男も、男妾にするばかり」だと、豪放な発言をしている。彼女にはロマン主義的なところがないと言うか、ある種、身も蓋もないような、現世的な考え方の持ち主なのだ。そういう人がしかし、芸術作品的な対象として見た時に、画工の感興をそそるという点についてこちらは、そういうこともあるものかもしれないなあ、と思ってちょっと興味深かった、と漏らした。那美さん自身は、自らが芸術作品のような様相を持っていることは気づいていない。画工もそれはどこかで指摘していたと思う。自覚していない、自分に対する意識がないから、かえって俗っぽくなくて良い、というようなことを言っていたはず。格好つけるとかえってダサくなる、ということは確かにあるよね、とAくんは返す。那美さんは要は、「物語」を知らない、ということなのだ。言い換えれば、型を知らないということなのだが、それなのに、まるでそれを知っているかのように行動し、姿を提示する。その無自覚ぶり――と、そのようなことを話しているうちに、那美さんはこの小説において、もしかすると、一種の「自然」のようなものとして書かれているのかもしれない、という思いつきに至った。椿だの木蓮だのという風景と同水準で描かれている、捉えられていると言うか……わからないが。
 まあその路線で考えてみるとして、そういう「自然」のように「非人情」な那美さんが、最後の瞬間には「憐れ」を垣間見せるわけである。非人情として統一されていたところに、人情が一抹入ってくることによって、画家の描きたいベストな対象として、完成――という言葉を使って良いのかわからないが――する。話しているうちに気づいたのだが、これが面白かった。つまり、一つの秩序が崩れる、綻ぶ、ある種破綻するところに感興を覚えるという感性のあり方だ。形式的統一性のなかの綻び、〈ほどけ〉。そこから連想して、千利休だか誰だかのエピソードを思い出した。これは確か、Uさんがかなり昔にブログで紹介していたものだったような気がして、さらにその時に確か、岡倉天心茶の本』が典拠として挙げられていた気がするのだが、この喫茶店の席では曖昧な記憶しか呼び起こせずに、大まかに語ったわけだけれど、次のような話である。千利休だか、別の茶人だか、あるいは坊さんだったか忘れたが、弟子だか誰だかに庭だか寺の敷地だかの掃除を言いつけた。弟子は隅々まで綺麗に掃いて、落葉が一枚もないような清らかな状態を作り出して、できました、と師匠に報告したのだが、庭の状態を見た師匠は、まだ完成していない、できあがっていないと言った。そうしてどうしたかと言うと、一本の木を揺らして、すっかり綺麗に片づけられたところに葉を落として、これで完成だ、と言った、というような挿話なのだが、先にも書いたように岡倉天心茶の本』の内に書かれている話と言われていなかったかと記憶を辿り、手もとにある当該作品を――ずっと以前に買って、積んであったのだ。と言うのも、この著作はロラン・バルトも講義録のなかのどこかで触れていたはずで、おそらくその方面の関心から購入したのだったと思う――探ってみると、見事、求めていた記述を発見できたので、ここに正確な形で引いておく。

 これに関連して利休について或る話があるが、それは茶人たちが抱懐する清潔の観念をひじょうに具体的に説明している。利休は息子の紹安[じょうあん]が露地を掃き水を撒くのを見ていた。「まだきれいになっていない」と利休は、紹安が掃除を了[お]えたときに言って、もう一度やりなおすように言いつけた。いやいやながら一時間もたって息子は利休にむかって言った。「お父さん、もうこれ以上何もすることがありません。敷石は三度も洗ったし、石灯籠も庭樹も充分水を打ったし、蘇苔[こけ]は生き生きした緑色に輝いています。小枝一本、木の葉一枚落ちていません。」「ばか者」とかの茶人は叱りとばした。「それは露地の掃除の仕方ではない。」 こう言うと、利休は庭に下りて、一本の樹をゆさぶって、庭いちめんに、金色と深紅の葉、秋の錦の小切れを撒きちらした。利休が求めたものは、清潔だけではなかったので、美と自然でもあった。
 (岡倉天心桶谷秀昭訳『茶の本講談社学術文庫、一九九四年、58)

 これもまあステレオタイプ的な見方ではあろうけれど、こういうものはある種東洋的な感性なのかもしれない。西洋の方の感受性というのは、あるいはそれを近代的な感性と言っても良いのかもしれないが、それは形式的統一性と完璧な完成を求めるものだと思うのだが、上の挿話はその破綻、あるいは別の形での統一性を志向している。
 ほか、「同化」のテーマについて。互いに読んでいて良かった部分を挙げているうちに気づいたのだが、『草枕』のなかには、「同化」の表現が結構よく出てくる。冒頭近く、画工が山道を歩いている際には、雲雀が空のなかに溶けこんでいく、というイメージが登場するし、あとになってからは、海の上に浮かんで灯る漁火がやはり空に同化する比喩があり、水辺に生えた椿も池のなかに落ちて、いずれは混ざってなくなるだろう、というような記述も見られた。また、『草枕』のなかの一つの大きな主題として、上にも記したように主客合一というものもあるわけで、芸術論としても「同化」あるいは「一体化」がテーマとして挙がってくる。あまりテクスト的に綿密に基づいた読みではないが、あるいはこの小説では、事物や存在はそのように相互連関していると言うか、互いに融和的と言うか、同化し合う方向のものとしてあるのかもしれない。世界が截然と区分けされているわけでない。とすれば、それもあるいは東洋的か。よく言われることだと思うのだが、西洋的な認識のあり方は、事物を対象化することで世界を区切っていくもので、そうした作用において自然を支配や操作の対象としたのに対して、東洋の、あるいは日本の認識様態、あるいは主客の関係性は、自然と一体化してそのなかで融和的に調和的に生きるというようなものだったと。こうした話は例えば高校受験とか大学受験の現代文のテキストとしても出てくるような類のものであって、それ自体一つのステレオタイプなので、本当にそうなのか疑わしい部分もあるような気がするのだが、まあひとまずその路線で考えるとすると、一方で画工は対象化あるいは距離化、客観視の技法/原理/姿勢も奉じているわけで、これはどちらかと言えば西洋的な態度かと思われる。東洋的なのか西洋的なのか、どちらなのかややこしいなあ、と漏らしていると、Aくんが、客観化とかについてはどこに書いてあったかと質問したので、読書ノートのメモを参照して、一八頁にあるねと答え、そこをひらいた。そこには次のように記されてある。「有体なる己れを忘れ尽して純客観に眼をつくる時、始めてわれは画中の人物として、自然の景物と美しき調和を保つ」。見ての通り、「純客観」の姿勢によって、自然と「調和を保つ」とある。ある種の神の視点のようなものを借りた、あるいは仮構した客体化によって、自分自身を自然と一体化させるということで――こうした認識論は、こちらの考える「作家性」と言うか、「ネガティブ・ケイパビリティ」とも関連があると思うのだが、そういった方面のことについては今は措く――これを、西洋的な原理/技法を経由することで東洋的な主客合一の融合的な境地を成し遂げる、という風に読むことはできないか。もしそれが可能だとすると、『草枕』の画工の認識はその両者のハイブリッドとしてあるようなもので、とすればそれは、夏目漱石自身の文化的教養の構成、つまり東西の要素の混在ぶり――中国的・日本的伝統を自家薬籠中のものとしながら、英文学をも深く学んだ――とか、この小説の主題的/要素的雑多性、混淆のあり方――一方では英詩を引用するとともに、他方では自ら漢詩を書く――とも重なってくるな、と少々強引ではあるが、そんなことを思いついたので、そう述べた。
 そんなようなことを話したあと、五時半頃退店だっただろうか。会計を済ませ、店の外に出て、肩を回す。Aくん、トイレへ。待っているあいだは何をしていたのか覚えていない。特に何もしていなかったと思う。通る人を眺めたりとか。若いカップルが通った記憶。あと、台車。Aくんが戻ってくるとビルを出て、通りを歩く。エクセルシオールの前の短い通りを渡る際、車や歩行者の通行を管理している整理員が、一度歩行者を停めて車を通したと思ったら、一瞬でまた開けて車の方を停めたので、え、もう? もういいの、と困惑を呟きながら渡った。駅舎横のエスカレーターを上り、仕事の話をまた聞きながら高島屋へ向かうのだが、仕事の話と言って具体的にどんなことを聞いたのかは覚えていない。
 ビルに入ってエスカレーターを上っていき、淳久堂に入ると、まずロラン・バルトの著作を見分するために思想の列のあいだに入った。ロラン・バルトの区画の前に至ると、『零度のエクリチュール』を今読んでいると言って取り上げる。めくっていたAくんは、順を追って読んでみないと、と漏らすが、順を追ってもよくわからない、とこちらは笑う。そのほか、石川美子訳『ロラン・バルトによるロラン・バルト』も面白いと言ってお勧めしておいた。正確には石川美子の新訳の方はこの前日に借りたばかりでまだ読み出していなかったのだが、佐藤信夫の旧訳の方は読んだことがあったので。あと、インタビュー集『声のきめ』も読んだと言って紹介する。その厚さに、よく読んだなあ、みたいなことをAくんは言っていたと思う。
 それから、ホロコースト関連の著作として、中公新書の芝健介『ホロコースト』を見に行こうと新書の区画の方へ。区画の一番端に入ったところ、中公新書が見当たらないので戻ろうとしたところで、ちくま新書の並びに何らかの興味を惹く著作を見つけ、Aくんにも示したのだったが、この本が何だったかは忘れてしまった。それでその位置でしばらく止まり、『フーコー入門』なども示す。と言うのは先ほど思想の棚で、Aくんがミシェル・フーコーにもちょっと興味を示していたからだ。近くには幼子が一人いて、並んだ本たちの背表紙を触ったり、本の位置を調整して隙間をなくしたりして遊んでいるのを母親が窘めていた。しゃがんでいるこちらのすぐ横に子がいたので、笑みを向け、手を振ってあげた。
 それからその列の裏側の方に入って、中公新書の区画に至る。これを読んだよ、と言って、リチャード・ベッセル/大山晶訳『ナチスの戦争』を示した。あと、石川美子の書いたロラン・バルトについての著作も。Aくん、結構真剣に見ていたようだった。矯めつ眇めつ、といった感じだろうか。それから、芝健介『ホロコースト』と、著者名を覚えていないが、ニュルンベルク裁判についての著作を見つけて差し出す。Aくんが見分しているあいだは辺りの著作群を眺めて待ち、結果、芝健介『ホロコースト』を次回の課題書にすることに決定した。Aくんはその場で購入しに行った。
 そうして、飯へ行くことに。高島屋に来たので、ここの上層階で食えば良かろうということで合意されていた。エスカレーターを上って、レストランフロアに入る。回って見てみた結果、安牌ということで、とんかつ屋を選ぶことに。「いなば和幸」という店である。Aくんによると、「和幸」というとんかつ屋もあるらしく、それと関係があるのか、改名したのか、それともまったく別の業者なのか、不明だった。いくらか待って入店し、こちらはひれかつのカツ丼を、Aくんは普通のロースカツ定食みたいなやつを注文。
 ここで話した会話はそれほど覚えていないし、メモもあまり取っていない。辛うじて記録されている事柄にいくつか触れておくと、まず、何かのタイミングで、喫茶店でも話したようなことだが、こちらの生はますます世の趨勢と逆行している、と言った時があった。それに対してAくんは、その位置に留まり続けられるのが凄いと褒めてくれた。皆、何だかんだ言って、現実がどう、とか何とか言い訳をして逃げていくから、とちょっと厳しいようなことを言う。だから、その意志の力が凄い、と言ってくれるのだが、しかしこちらの感じとしてはそんな大それたものではなくて、ただ〈主流派〉の価値観とか生き方とかにあまり添うことができなかったと言うか、単純に、こういう生き方しかできないように追いこまれてしまっただけだと言うか、それも両親の、と言うか主に父親の提供してくれる経済的基盤があってのことで、それがなければとうに読み書きを諦めていた可能性もないではないわけだ。保坂和志が言っていたことを引いて、そんなに大したものではないと謙遜した。保坂和志はどこかで、三〇歳くらいになると自分の可能性というものがわかってくる、限界と言うか、自分にはこれはできず、あれもできず、これしかできない、ということがわかってくる、というようなことを言っていたと思うのだが、そのようにして〈追い詰められて/追いこまれて〉いるだけなのだ、と。
 ほか、Aくんが旅行で回っている城の話も聞いた。鬼ノ城という城と、月山富田城という城について聞いたのだが、鬼ノ城というのは確か岡山県にあると言っていたか? 中国山地の上にある城だったと思う。白村江の戦いのあと、朝廷が本気で朝鮮半島から侵攻される可能性を考えて建てたものらしく、敵勢力はまず九州に上陸するとして、そこから都まで攻めてくるとしたらどういうルートを取るかと言うと、当然瀬戸内海を渡って一直線に来るだろうというわけで、そこを監視できるように中国山地に作ったのだという話だったはずだ。しかもそれは何かの発掘だったか、何かその敷地に建物を建てようとした際の調査だったか、多分違うと思うが、この辺り記憶が不明なのだが、何か偶然、人工的な遺構らしきものが発見されて、それでこれ、城跡じゃないかと判明したのだというような話でもあったと思う。それはもしかすると、月山富田城の方だったかもしれないが。後者の月山富田城に関しては、確か島根県の城だと言っていたように思うが、それ以上のことを全然覚えていない。
 あとは最近こちらは音楽を、特にジャズをよく聞いて感想を書いているという話もちょっとした。それで八時半頃に退店したのだったか? 会計を済ませて出ると、トイレに行った。そうしてエレベーターに乗って二階まで下り、ビルを出て歩廊を行きながら、Bill Evansについて語る。形式的統一性が凄まじいと。するとAくんはTSUTAYAで借りてみるわと言う。ジャズはしかし、まず形式がわかっていないと楽しめないかもしれないと言って、まずテーマ部が提示されて、その後に各人のアドリブが、テーマ部のコード進行に沿って披露され、最後にまたテーマに戻って締めるというのが基本的な構成だと説明した。するとAくんは、スケールっていうやつ、と訊くので、まあ厳密にはジャズのアドリブだとスケールに沿って考えられていたり、あるいはコードに沿っていたりと色々あると思うが、そうそう、とひとまず肯定しておくと、サークルの上手い人がいってたわ、とAくんは話す。スケールっていうのを覚えているから、自分はわざわざフレーズをそのまま記憶しなくても、適当にそれに合わせて弾いているだけなんだよ、みたいなことをサークルの仲間が話していたらしい。駅舎内に入ったあとは、フュージョンマニアの話になって、我々が通っていた早稲田大学には「フュージョンマニア」というサークルがあったのだが、その新歓が自由参加のセッションみたいな感じで格好良かった、とAくんは思い返していた。
 改札内で別れ、青梅行きに乗ったが、帰路のことは何も覚えていないし記録も取られていないので、一気に帰宅まで飛ぼう。帰ったあとは一〇時頃から、地元の図書館で借りたCDのデータを記録した。それから書抜き、読み物、とこなしたが、何だか風邪っぽい症状が表れていて、たびたび鼻を啜り、くしゃみも頻発された。入浴時はそれなので足し湯をして身体を湯のなかになるべく沈めるようにして、今日のことを思い出されるがままに回想した。ほか、短歌を考え、「人生はまばたきほどに短くてまなざしほどに切ない旅路」という一首が整った。
 入浴後はまた読み物。Sさんのブログ。
 「それでも栄は、銀座や六本木とはあきらかに違う雰囲気があって、どことなく燥いでいなくて、いやおそらく誰もが楽しくて騒がしいのだが、その喧噪よりもそれらを取り囲む空間の方が、無体に大きくて、声や物音を丸ごとみんな吸い込んでしまっているような感じなのだ」
 「見上げたときの空の大きさだとか、高いビルとそうでもないビルの割合とか、角地の使い方とか、そういうことが一々、ここが東京とは別の係数ではじかれて成り立ってる場所であることを実感させる」 
 ほか、「偽日記」。
 《(…)並行論は、スピノザに従えば、身体(=物体)が認められるところには必ずそれに対応した精神が存在するということを言明しているからです》。
 《(…)人々が机に精神を認めがたいのは、あるいは習慣的に机を物体の側面からしか認識しないのは、机の物体(身体)に対応したその精神の大部分がその身体と同様にほぼ受動性で充たされているからだ、と。》
 《(…)樹木であれ机であれ、何であれ、その身体(物体)があるところには、必ずそれに対応した精神が存在するということです。これは、机の場合、その机の身体の受動に対応した、まったくの受動で充たされた精神がそこに存在する、ということを意味しているだけです。》

 《スピノザにおける神---すなわち〈大自然〉---は、無限に多くの属性から構成されると考えられます。しかし、私たちが知りうる属性はそのうちの延長属性と思惟属性だけです。そして、延長属性はその様態として身体をもち、思惟属性はその様態として観念をもちます(精神とは、こうした観念から構成されたものです)。つまり、私たちがこの二つの属性しか認識しないのは、そもそも私たち自身がただ精神と身体によってのみ構成された個物だからです。》

 《感覚可能なものの存在とは、文字通り、感覚してもしなくてもいいような仕方で現れるその物の存在からの刺激のことです。必然性なしに感覚するその仕方は、別の物からの刺激でもよかったということになります。しかし、ここに感情が関わっていると考えると、とたんに事態は変化するように思われます。感覚から感情へ。》
 《というのも、私たちは、そうした可能性のなかでも、或るものからの触発がとりわけ自己にとって〈よいもの〉であることを経験し、またそうしたものについての喜びの感情に刺激されることを経験しているからです。》
 《それは、その物の個別性の観念からその特異性の観念への変化なのです。つまり、そこには精神における非身体的な生成変化が含まれているということです。端的に言うと、喜びを増大させようとする自己の努力は、つねに自分にとっての特異なものとの出会い・遭遇へのベクトルをもつということです。これが自己の生存の内在的規準である〈よい/わるい〉に従って明らかになる対象の価値なのです。》
 《(…)自己の喜びをいつも単なる偶然の出会いに任せるのでなく、〈よいもの〉との出会いを必然的にするには、何が必要となるでしょうか。それは、概念であり、こうした概念に対応する身体の触発です。》

 《それでも、その或る物が自己にとってよい対象であるかどうかの規準は、その対象と自己の身体との間に成立する触発関係のうちにしかないでしょう。》
 《ここには心身の並行論に関するきわめて本質的な事態が含まれています。というのも、それは、実は完全に物理的=身体的(フィジック)な諸法則のうちにある問題だからです。身体は、物理的な延長物であり、したがって物理的な諸法則に従っています。》
 《(…)すなわち、個々の身体のもとでしか明らかにならない物理的=身体的な諸法則が存在するということです。それは、まさに特異性の法則です。そして、それこそが、個々の身体のもとで明らかになる〈よい/わるい〉の内在的諸規準なのです。》
 《身体こそが、もっぱら〈善/悪〉に従う精神とではなく、まさに喜びと悲しみの感情のもとで〈よい/わるい〉の観念を形成する精神と合一する唯一の存在なのです。》

 そのあとは日記をメモしたり、カップ麺を食ったり、読書ノートに書きこみをしたりしたのち、三時に就床した。


・作文
 10:34 - 10:39 = 5分(15日)
 24:58 - 25:42 = 44分(15日)
 計: 49分

・読書
 10:06 - 10:20 = 14分
 11:26 - 11:48 = 22分
 22:22 - 22:38 = 16分
 22:42 - 22:57 = 15分
 23:41 - 24:17 = 36分
 25:46 - 25:58 = 12分
 26:03 - 26:54 = 51分
 計: 2時間46分

  • 2014/3/22, Sat.
  • ロラン・バルト石川美子訳『零度のエクリチュール』: 58 - 69
  • 下澤和義訳『ロラン・バルト著作集 3 現代社会の神話 1957』みすず書房、二〇〇五年、書抜き
  • fuzkue「読書日記(163)」: 11月13日(水)
  • 「わたしたちが塩の柱になるとき」: 2019-12-09「太陽を丸ごと呑んで黄道をめぐるひとりの妊婦となるのだ」; 2019-12-10「郵便の数だけ雨の粒となる世界であれば梅雨は正月」
  • 「at-oyr」: 2019-11-23「名古屋へ」; 2019-11-24「ふたば」; 2019-11-25「消化日」
  • 「偽日記」: 2019-10-26
  • 「対談=伊藤亜紗×平倉圭 記憶を踊ること、私を作り変えること 『記憶する体』『かたちは思考する』刊行記念対談載録」(https://dokushojin.com/article.html?i=6197

・睡眠
 3:00 - 9:30 = 6時間30分

・音楽
 なし。