2019/12/16, Mon.

 さあ、ピコロ、注意してくれ、耳を澄まし、頭を働かせてくれ、きみに分かってほしいんだ。

きみたちは自分の生の根源を思え。
けだもののごとく生きるのではなく、
徳と知を求めるため、生をうけたのだ。

 私もこれを初めて聞いたような気がした。ラッパの響き、神の声のようだった。一瞬、自分がだれか、どこにいるのか、忘れてしまった。
 ピコロは繰り返してくれるよう言う。ピコロ、きみは何といいやつだ。そうすれば私が喜ぶと気づいたのだ。いや、それだけではないかもしれない。味気ない訳と、おざなりで平凡な解釈にもかかわらず、彼はおそらく言いたいことを汲みとったのだ。自分に関係があることを、苦しむ人間のすべてに関係があることを、特に私たちにはそうなのを、感じとったのだ。肩にスープの横木をのせながら、こうしたことを話しあっている、今の私たち二人に関係があることを。
 (プリーモ・レーヴィ/竹山博英訳『これが人間か』朝日新聞出版、二〇一七年、145; 「オデュッセウスの歌」)


 アラームはいつものように九時半に仕掛けていたが、それよりも早く、おそらく八時台に瞼が既にひらいて、しかも結構軽い覚醒だった。しかしそれでは睡眠が短めなのでアラームまで眠ることにして、鳴り響きを受けてベッドを抜け出したのだが、風邪っぽさが抜けきれておらず、ちょっと寒気がしたので、これはもう少し休んだ方が良いなと判断してふたたび床に戻った。その後、断続的な眠りと覚醒のあいだに脚が痛む時間があって、インフルエンザではあるまいなと恐れられたが、熱の感覚はなさそうだったので大方大丈夫だろうとも思っていた。一一時半に至って正式に起床。ベッドの縁に腰掛けてティッシュを取り、鼻のなかに突っこんで掃除すると、汚らしい黄色が紙に付着する。それでも昨晩と違って水のような鼻水が出てくる気配はなかったので、悪くはないと判断してダウンジャケットを持って上階に行った。母親に挨拶するとともに、少々風邪っぽいと伝える。風邪薬を飲みなと言われたが、こちらももとよりそのつもりだった。さらに、毎日夜遅くまで起きているからだよと苦言を呈されたが、知ったことではない。寝間着からジャージに着替えてジャケットを羽織り、便所に行って長々と放尿したあと、台所に来て炒飯と雑多な野菜の汁物を温めた。母親は昨日、父親と丹波山村に行ってきたと言う。そこで買ってきたパンがあって、最初は食うつもりだったのだが、席に就いて炒飯を食べはじめると思いの外に食欲が薄かったと言うか、パンまでは今はいらないなという感じがしたので、あとで出勤前に食べていくことにした。炒飯と汁物のほか、食卓には林檎を添えられた大根のサラダと、前夜の残り物だという豚肉が並んだ。それらを食べながら新聞を読む。イタリアでは極右ポピュリズム政党とされる「同盟」に対する反対運動として、「イワシ運動」というものが盛り上がりつつあるらしい。運動の名前は、「同盟」のサルビーニ党首の名前と、イタリア語で鰯を意味する「サルディーネ」という語とを引っ掛けたものらしいのだが、この命名にも表れている通り、自らの存在意義を反極右の一点に還元しているようで、それ以上の政治的展望は持っていないのではないかと推測され、もしそうだとするとそれはそれで何だかなあと思わないでもない――運動として多くの人々を動員するためには、そのようにイシューを一つに絞った方が支持を集めやすいのだろうけれど。そのほか、ガザ地区で、イスラエル軍との衝突で負傷する人々が多く出るなか、義肢が非常に不足しているという報告があった。昨年の五月だったかにドナルド・トランプ政権が、米大使館をエルサレムに移転するという一方的な振舞いに出たのだが、それ以来抗議運動は拡大して、衝突によって三三〇人ほどが死亡したと言う。大使館移転に対する抗議運動の高まりは誰にでも予想されたことであり、それに対してイスラエル軍が強行的な鎮圧を行って犠牲者が発生するだろうことも用意に見通せたことのはずで、ドナルド・トランプの決定がかなり直接的に無益な犠牲者を生んだという印象は否めない。トランプだってこうした事態を予想していなかったはずがなく、それにもかかわらず支持基盤の安定化のためだか何だか知らないが、要は自らの保身のために国際社会の抗議を顧みない一方的な決定を下したわけで、つまりは彼がガザの人々の感情とかその生命に丸っきり関心を持っていないのだということが、これ以上ない明白さで露わになっているように思われる。少々短絡の気味があって危険な論理かもしれないが、犠牲になった三三〇人はほとんどドナルド・トランプが殺したようなものではないかという思いをやはり禁じ得ないもので、端的に言って、トランプ、糞だな、との思いを新たにした。
 食後、皿を洗い、さらに風呂も洗ってから下階に下り、コンピューターを点けておき、急須と湯呑みを持って居間に上がった頃には母親はもう仕事に出ていたと思う。緑茶を用意して自室に戻ってくると、Evernoteで前日の記事の記録を付け、支出などもメモし、この日の記事を新規作成した。その後、slackにアクセスすると、先般から段々作っていたものだが、MUさんがミニジオラマの写真を上げていたので、細密でとても素晴らしいとメッセージを送っておき、さらにTの方も、"C"のメロディを認めた楽譜のpdfファイルを上げていたので、隣室からギターを持ってきて、主旋律の譜を見ながらちょっと弾いてみたあと、労いのメッセージを投稿しておいた。それからこの日の日記を書きはじめて、ここまで綴ると一時一五分である。今しがた職場からメールが入って、今日の労働は一コマのはずだったところ、欠勤が出たので二コマ目まで残ってくれないかと頼まれたので了承した。
 その後、一三日の日記を進める。途中、風邪気味だし今日はコートを着ていった方が良いだろうということで、スーツの上に着る用の真っ黒なコートを収納から引っ張り出し、クリーニング屋のビニールを取って西側の、つまりベランダ側の、ガラス戸の前に吊るしておいた。少しでも陽に当てておこうと思ったのだ。そうして二時四〇分まで日記作成に邁進し、あと少し残したところでそろそろさすがに洗濯物を仕舞わなくてはと上階に行った。ベランダにはもはや陽は通っていなかった。洗濯物以外に大根の断片がハンガーに掛けられて風に晒されており、また、籠には何故か松ぼっくりが多数入れられて干されてある。それらも含めて室内に入れていき、足拭きマットの類はソファの背の上に並べておき、日記も溜まっているしあまり余裕はないのだがタオルだけはせめて畳んでおくかと取りかかり出すと、インターフォンが鳴った。出ると、Amazonからのお届け物です、という声がしたので、はい、有難うございますと受けて玄関に出た。この時点で既に何か妙だという気配を感知していたのかいなかったのか。玄関の戸棚の上に置かれてある簡易印鑑を持って、サンダルを履いて――そうだ、この時点で確かに、何だか変だなという警戒感が立っていた。「Amazonからのお届け物です」という文言に妙なものを感じていたと言うか、いつもだったら、「佐川急便です」とか、正確な文言は忘れたが、もっと別の言葉を耳にしていたはずである。声に――声色や、その調子に――聞き覚えがなかったことも警戒の一因だっただろう。いずれにせよ、この時点では何か妙だなという感じ、警戒感が香っており、こうして自分の思考過程を追ってみるとその考えすぎ、飛躍ぶりにびっくりするのだが、まさか出た瞬間に刺されたりしないだろうなという可能性を僅かに考える己がそこにはおり、しかし勿論同時に、そんなことはまさかあるまいと尋常の可能性に大方落着いてもいるから、特段の緊張などはせずに、しかし警戒は怠らず、扉を開けた瞬間に襲われても避けることができるように心を構えながら玄関をひらいた。立っていたのは高年の、やはり見覚えのない男性で、片手にスマートフォンを、片手に包みを持っていた。印鑑を持ったこちらを見て、住所とお名前だけ確認してもらえれば、印鑑は大丈夫ですと愛想ない調子で言ったので、いいですか、と答えて包みを受け取り、礼を言って玄関内に引き返したのだが、相手の素性に対する疑念が立っていたので、ポストを確認しに行くふりをして外に出て、去っていく相手の方に視線を送った。家のすぐ前に車を停めていないことがまた一つ、疑問の種だった。隣家の駐車場の屋根に遮られてあまりよく見えなかったが、少し離れたところにどうやら車を停めているようだった。ポストが空なのを確認して――ついでに、家の前に多数散らばっている落葉にも目を瞑って――玄関に戻り、包みを見てみると、確かに宛先は父親の名前になっており、Amazonの文字もあるが、品名や品種の類がなく、中身が何なのかよくわからない。耳を近づけて振ってみると、さらさらという音がしたので、何かしらの粉が入っているとわかった。警戒はほどけなかった。まさかそんなことはあるまいと勿論尋常に考えてはいるのだが、一方では、昔あった炭疽菌事件のことなどを連想してしまうところがあって、何か危険な物質の類ではないだろうなと、不穏な可能性を考えた。仮に危険物だったとして、我が家が標的として狙われる理由があるとは思えないが、無差別な犯罪の対象に偶然選ばれるということも、まったくないとは言い切れない。それでとりあえず、これが本当にAmazonから届いた品物なのかどうか確かめられないかと、洗濯物は一旦放置して包みを持って自室に返り、包みの表面に記された番号とか英字の連なりとかを検索に掛けてみたが、特に引っかかる情報はなかった。配送情報を確認しようにも、父親のアカウントがわからなければそれもできないだろう。それで、父親に何かAmazonで注文をしたかと直接尋ねてみることにして、携帯を取って電話を掛けた。仕事中なのでおそらく出ないだろうとは思っており、やはり出なかったので、折り返してくるのを待って携帯はポケットに入れておき、階を上がって包みは何となく玄関の方に置いておいて、タオルを畳みはじめた。畳むあいだ、仮に犯罪の類なのだとしたら、父親が宛名になっている以上狙われているのは彼だが、何か恨みを買うようなことがあるだろうか、そのような相手がいるのだろうかと考えた。タオルを畳んでしまうと洗面所に運んで、それから居間に戻った際にポケットのなかで震えるものがあったので、着信に応答した。今大丈夫、と訊き、了承を得たあと、何かAmazonで頼んだ、と訊くと、肯定が返る。何か粉みたいなもの、と言うと、塩、と父親は言って、笑いを立てた。今来たんだけど、何か変だったからさ、何か怪しいものじゃないだろうなと思って、と告げると、そういうこと、と父親は笑い続けたので、安心し、最後に、大丈夫だねと再確認して肯定を受け、わかりました、すいません、と締めて通話を終えた。こちらの考えすぎだと証明されて、安堵した。
 そうして下階に戻ってきて、一〇分打鍵して一三日の記事を完成させ、インターネットに投稿したあと、今しがたの顛末をここまで記せば、既に三時三八分である。猶予がない! 風邪の症状はほぼ収まったようだ。
 運動。例によってthe pillowsとともに。屈伸を繰り返す。毎日屈伸して脚を柔らかくしているのに、眠って起きるとまた鈍くこごっているのはいかなることか。開脚や腹筋も行って、終えると上階へ。フライパンに残った炒飯をすべて皿に盛ってレンジに入れ、合間はソファの後ろで肌着を畳んだ。温まった炒飯を持って席に就き、短く、すぐに食い終えると、皿を洗って下階に下り、歯ブラシを咥えて自室に戻った。センター試験の国語過去問、二〇〇二年度のものを確認する。すると四時半過ぎだった。
 the pillows "Ladybird girl"を流す。廊下にワイシャツがなかったので上階に取りに行き、ベランダの方の隅に掛かったものを二枚持ってきて、紺色のスーツ姿に着替えた。この紺のスラックスが結構窮屈で、猶予がほとんどなく、ぴったりと言えばそうなのだが、もう少し余裕が欲しい。先ほど体重を測ったら六七キロを数えて、これは驚愕するべきだろう。病前の五三キロから一〇キロ太ったのは既に読者もご存知だったと思うが、そこからさらに四キロも太ったらしいのだ。それで腹にも肉がついたのだと思う。
 コートとバッグを持って上階に行き、排便したあとコートを着て、マフラーをつけた。玄関を出て、郵便物を取って玄関内に置いておき、出発する。坂道に掛かると、駆けてくる者がある。(……)である。こちらを認めると、小さくジャンプして、足を揃えて着地する。それが芝居がかった動作だったので、こちらも黙って視線を送っていると、ゆっくりと、ゆらりという感じで顔を横に、つまりこちらの方に向けてきたので、その妙な間の取り方に笑った。今日、塾、と訊いてみると、今日は月曜日なのでないと。寒いから風邪を引かないようにと気遣いを向けておくと、馬鹿なんで、引かないですと言うので、自分で言うのかと笑って別れた。
 コートを着るとさすがに温かく、防護感が高く、冷気も物ともしない。この日の往路は色々と散漫なことを考えたようだ。結局教育の役割はやはり批評的な精神を身につけるというこおとで、そのベースになるのは差異のグラデーションに対する感受性だろうと、前々からの考えを発展させないままに退屈に反復したり、こちらのスタンスとしてはやはりロラン・バルト方式と言うか、紋切型や制度に対して攪乱的な戦略を取り、差異/微妙なずれを孕ませていくということになるかと考えたりした。しかしそのような、いわゆる「ポストモダン」的な姿勢も、今は一つの紋切型となっているだろう。本当はそこから次の段階に行かなければならないはずなのだが、しかしそもそも、それ以前のモダンの段階の原理/姿勢/思考方式をまだインストールできていない。ポスト・ポストモダンはどういったものになるのか? ポストモダンの徹底ということになるのだろうか。単純な、反動的な退行になってはならないが、そこにおいてはモダン以前の思考原理を取り入れることでひらけるものがあるのではないか。フーコーなども晩年は古代ギリシアの知恵に回帰していたわけだし。しかしそもそも、プレモダン - モダン - ポストモダンという進歩論的な捉え方、そのパースペクティヴが正当なものなのかどうか、そこから疑っていくことが必要なのかもしれないが、こちらにそんな能力は勿論ない。また、仮に近代以前の思考様式から学ぶことができるとしても、我々の場合は日本という特殊文化圏のなかにあるわけで、西洋的なそれとは違った遺産を発掘できないか――ということは誰でも考えると思うが。
 そんなことを思いながら行くと、市民センター裏で前方にカップルが現れる。高校生か? 女子が自転車を押し、男子はそれに身体を寄せている。横を追い抜かすと、お腹が冷えないようにしてるの、とか何とか男子が訊いていた。声は結構大きい。ことによると、周囲に聞かせるようなニュアンスすら感じ取られないでもない。女子は、カイロでも貼っていたのだろうか。冷え性、と続けて訊いた男子はさらに、必需品だね、と言おうとして、噛みそうになってゆっくり音を分割していた。「ひちゅじゅひん」、と言いそうになったのだろう。必需品、必需品、と遊ぶように女子の方も繰り返す
 職場に到着。準備を始めると、室長がV模擬の結果を見ますかと言うので、見せてもらった。皆、思ったよりもできないもので、偏差値が低い。国語の漢字がまずもって取れていない、と室長は指摘して、見てみれば確かにその通りである。読みですら落としている子が多い。(……)くんなどは、英語は確か一五点だったか? それとも八点だったか? 点数は忘れたが、偏差値は二八だった。もっとできる印象で、理科などはわりあい良かったのだが、塾には英語で通っているのに、その効果が全然出ていないことになる。何でですかねと漏らすと、結局、文章が読めないのだと室長は言う。そもそも、読んでいないんじゃないですかね、とこちらは答えたが、その可能性は大いにある。
 その後、余った時間は高校英語のテキストを読んで使い、授業である。(……)くん(中三・英語)、(……)くん(中三・英語)、(……)さん(中一・英語)。(……)くんは受動態及び現在完了の単元。形を質問してみても、ぱっとすぐには出てこない。ミスはbe動詞の時制だったり、あとはbuiltをbuildedとしていたりなど。うーん、という感じ。基礎的な部分が意外と固まっていない。終盤は読解問題の本文を読み、単語を拾った。
 (……)くんは不定詞及び動名詞の単元。前置詞のあとは名詞になることを確認。読解問題も解説できたものの、本文の方を確認するのを忘れた。やはりまとまりのある文を読めるようにしなければならないので、なるべく一緒に訳す練習を授業内に取り入れた方が良いだろう。切りが良いところで終了とし、時間を二〇分余らせてしまって、余りの時間は宿題をやっていて良いとしたのだが、もう少し別のやりようがあっただろう。間違えた文を練習させるとか、そちらの方が良かったかもしれない。
 (……)さんは宿題をやって来ていなかった。L8のまとめを扱う。問題はできている。あとは、短い文章だったが読解の本文を訳させることができた。そうすると、意外と単語の意味がわからないものが出てきたので、それをメモしてもらった。やはり文章を読む時間を取り入れ、そのなかで語彙を習得させていく、まずもって意味がわかるようにするということが大事だろう。
 二コマ目は(……)くん(高三・英語)と(……)くん(中一・英語)。前者は宿題にしておいた頁が結構語彙の難しい文章だったので、一緒に訳しながら確認し、拾ってノートにメモしてもらった。後者はいつものように眠気にやられてどうしようもない。それでも一応、読解問題の本文訳は確認したのだが、ただ、単語を覚えさせようとしても、眠気にやられて頭に入っていかないようで、うまく行かない。ノートに記録することすら覚束ないので、仕方なく英単語はこちらが書いてやり、意味だけ埋めてもらった。この子の眠ってしまうということはどうにかならないものか。それが解決されないとどうしようもない。
 終業、見送り。その後、担当スペースに戻ってくると、(……)さんがいる。親の迎えがまだ来ず、待っているように言われたと。勉強に対するやる気がなくなってきていると相談された。彼女は芸術系の進路に進みたいようで、推薦入試は面接と集団討論にデッサンだと言う。だから推薦に対してはデッサンを頑張っていれば良いのだが、一般対策として勉強が必要である。しかし、やはりわからないことが多いし、聞ける場所も塾しかないと言う。「親は、言っちゃ悪いけど、頭が良くないので」と。学校の先生は、と訊いてみると、ほかの子が訊きに行ってしまって、気後れするようだ。親御さんからも、マイペースすぎるでしょ、と毎日のように言われるのだが、これでも焦っているよ、と自分では思う。そうした諸々があって、あまりやる気が出ないと言う。自習は結構やっているのを塾で見かけるのだが。まあ、僕がいる時は、全然訊いてもらっていいですよ、とひとまず言っておき、あとはでもまあ、授業中に、ということにどうしてもなっちゃうよね、と苦しい返答をした。やる気の方に関しては、これはなあ……と苦笑する。なかなか上手い解決策がないのが実情である。ちょっと考えて、皆、理由を作るんだよね、とこちらは言ったが、ここで、「皆、こうやっている」というような言説のあり方を提示したのは、あまり良くなかったかもしれない――つまり、「皆もこうやっているので、あなたもこうやりなさい」という風に機能したのではないか。さらには、何のために、ということか、と(……)さんは訊いてきたのだが、そういう目的論的姿勢もこちらはあまり奨励したくはない。しかし第一段階においてはやはり目的が、つまりは「意味」が、必要になってくるだろう。学校に入ったあとにどういうことをしたいかとか、自分が勉強することに理由を人々は考えるのだ、と説明し、そのようにスタンスを定めるところからやらないといけないかもしれないねと提案した。心が固まれば、あとはなるべく毎日触れるだけなんで、と続け、あとは、友達とかにも訊いてみたら、と勧めた。勉強やってる? みたいな、と言うと、皆、やってないやってないって言います、でもやってるんですよね、と言うので、そうなんだよね、わりとやってるんだよね、と受ける。まあ、本当のこと――括弧をつけたい語句だ――を話せる仲の良い友達がいれば、やる気をどうやって出すかとか、尋ねてみたら、と提案し、そういう友達がもしいれば、と強調すると、(……)さんはちょっと迷いながらも、い……ますね、多分、と言うので、それは良いことである。でもその子が頭が良くて、私は馬鹿なんで、いつも五〇点とかなんですけど、その子は八〇点取っても全然低いって言うんですよ、と話すので、苦笑した。でも、真面目に相談すれば、真剣に考えてくれるかもしれないよ、わからないけど、関係を知らないんでね、と最後は曖昧に、頼りなく落としてしまった。
 何かすいません、と言うので、いやいや、と受け、それでさよなら、と別れた。ただ、入口まで行ったところで親がまだ到着していないことが判明したようだったので、そこで待ってな、と面談スペースを示した。そうして片づけ。(……)家三人が自習席に並んでいた。妹と兄が何だか、険悪とまでは行かないが、テストの結果などについて言い合っているような雰囲気だった。片づけのあと、室長の近くに行くと、水曜日、二コマにできるかも、と言う。そもそも元々二コマの認識でいて、メールにもそのように記されてあったはずなのだが、今って三コマですか、と訊くと肯定が返るので、マジすか、と苦笑する。そうなることを祈ります、と笑ったあと、(……)さんの志望校を訊くと、(……)高校だと言う。芸術コースがあるらしい。ただ、それを狙うと言っても、彼女は美術の成績は三だと言う。
 その後、(……)兄妹を見送った。(……)さんは、社会が一五点だったとか言っていた。なかなかである。それから、シフト表を取って、一八日の欄にバツをつけて――読書会なので――退勤した。駅前で工事をしている。(……)家三人が迎えを待っていたので、もう来るの、と話しかけ、迎え、と付け足すと、来ると思いますと言ったが、寒かったら入ってなと職場の方を示し、気遣って去った。帰路の道中は(……)さんのことなどを考えた。こちらの担当スペースの傍で待っていたのは偶然だと思っていて、多分そうなのだとは思うが、ことによるとこちらに相談をしたくて、その機会を窺ってそこにいたのかもしれない――というのはさすがに自惚れが過ぎるか。ともあれ、あのような返答で良かったのか疑問であり、あまり説得力のある解やヒントを示せたとは思えない。ただ、それを措いても、あなたの話を聞いてあげますよ、相談に乗りますよという態度を明示し、この人は自分に向かい合ってくれているという感覚を与えることができていれば、それで良かったのではないかと思う。内容そのものはともかくとしても、そのような第二次のメッセージが伝わっていれば、それだけでも価値はあっただろう。その点をもう少し明確に言語化して、またいつでも相談してください、とか言っておけばさらに良かったかもしれない。親子関係は多分悪いというほどではないのだろうが、彼女からしてみると、結構鬱陶しい気持ちになるのかもしれない。あまり頭が良くない、と自分の親のことを評していたわけで、そのように見ている相手に勉強しなさいと口うるさく言われれば、うんざりすることもあるだろう。
 彼女は意外と、〈主流派〉から外れたところにいるのかもしれない、とも思った――いや、わからないが。受験制度や学校制度に対する疑問や違和感を抱えているのかもしれない。勿論、皆、疑問視する瞬間はありながらも、その疑問を封じこめて言わば流され、段々それに適応していくわけだが、もしかすると彼女はあまり適応できないと言うか、こだわってしまうような人種なのかもしれない、という気がした。
 帰宅。食事は米や薩摩芋や野菜の汁物に、ジャガイモやハムやコーンのソテーなど。父親がAmazonから届いた包みの封を開けて、「マグマ塩」を取り出し、これだ、と見せてくれた。食後、一応風邪薬を飲んでおき、緑茶とともに読み物を通過したあと、風呂のなかで意識を曖昧にして、戻ってくると多分鵜飼さんのブログを読んだのだろうか。「思索と教師(2)」(http://ukaistory.hatenadiary.com/entry/2019/12/02/034857)。
 「あらゆる種類の自明性を丁寧に解体していく思索そのものの躍動の過程」
 「誰よりも教義的でありたいと渇望し、世界中で最も教義的な人よりも真剣に吟味や表現をすることによって、既存の教義性を信奉している人々が偽善的だと暴露してしまうこと」
 その後、下澤和義訳『ロラン・バルト著作集 3 現代社会の神話 1957』を書抜き。
 現代詩「の理想は――特定の傾向をしめすものだが――単語の意味にではなく、事物そのものの意味に到達することであろう」
 「もっぱら詩だけが、反 - 言語になろうとする度合いに正確に応じて、事物そのものを捉えるのだという確信」
 「つまり、ありとあらゆる言葉の使用者たちのなかでも、詩人は最も形式主義ではないのだ。なぜなら、彼らだけが語の意味は形式にすぎないと信じているのだが、実在主義者である彼らは形式だけでは満足しそうにないからである。このようなわけで、われわれの現代詩は、いつでも言語の殺人として、沈黙の空間的、感覚的な相似物の一種として、姿を現すことになるのだ」
 前衛の反乱は「依然として体制に回収されてしまうのだ。その理由はまず、その反乱がブルジョワの断片である少数派の芸術家・知識人のグループから生まれていて、まさに彼らの反抗の対象である階級よりほかに読者がおらず、彼らが自己表現するには、その階級の金銭に依存するにとどまるからである」
 「前衛が異議申し立てをするのは、美術、道徳の分野におけるブルジョワジーである。それは、ロマン主義華やかなりしころと同じで、俗物、芸術のわからない俗人のことである」
 「支配的文化を定義しようとして、その創造的な核に帰着させるというのは、錯覚にすぎない。まったくの消費だけによるブルジョワ文化というものが存在するのだ」
 ブルジョワ文化の種々の「そうした形式は、中間的な位置を享受する。すなわちそれは、直接に政治的にもならず、直接にイデオロギー的にもならずに、闘士たちの行動と、知識人たちの訴訟とのはざまで、穏やかに生きていくのである」
 「無関心になったもの、無意味化されたもの、つまりは自然というもの」
 「国民的規模で実施されているブルジョワ的規範は、自然界の自明な法則と同じように生きられている」
 「階級の儀式(富の顕示と蕩尽)に由来するブルジョワの盛大な結婚式は、プチ・ブルジョワジーの経済的地位とは縁もゆかりもないものだ。しかし、新聞雑誌、ニュース、文学をつうじて、その結婚式はだんだん、実際に経験しないまでも、夢見られるものとして、プチ・ブルジョワジーカップルの規範にさえなりつつある」
 「プチ・ブルジョワ向きの集団的イメージのカタログをつうじて、自分の表象をばらまくことによって、ブルジョワジーは諸社会階級のまやかしの無差別化を慣例として確立するのだ。ブルジョワ的な除 - 命名がその効果をいかんなく発揮するのは、月給二万五千フランの女性タイピストブルジョワの盛大な結婚式のなかに自分の姿を認める[﹅8]まさにその瞬間からである」
 「ブルジョワジーがそれによって、世界の現実を世界のイメージに、〈歴史〉を〈自然〉に変形する動き」
 「ブルジョワジーの地位規定は、特殊で、歴史的なものである。ブルジョワが表象している人間は、普遍的で、永遠であろう」
 「そして最後には、改善の余地があって動かすことができる世界という最初の観念が、無限に繰り返される同一性によって定義された不可変の人類という転倒したイメージを生産するだろう。要するに、現代のブルジョワ社会では、現実的なものからイデオロギー的なものへの推移は、反 - 自然[﹅3](anti-physis)から偽 - 自然[﹅3](pseudo-physis)への推移として定義されるのである」
 書抜き後、日記のメモを取ると二時を過ぎる。どうしても音楽を聞くための時間が残らない。その後、ロラン・バルト石川美子訳『零度のエクリチュール』から読書ノートに引用を取りはじめたが、頭の重さが嵩んでいき、二時四〇分で脱落した。


・作文
 12:49 - 13:15 = 26分(16日)
 13:16 - 14:40 = 1時間24分(13日)
 14:57 - 15:07 = 10分(13日)
 15:14 - 15:38 = 24分(16日)
 25:11 - 26:13 = 1時間2分(16日)
 計: 3時間26分

・読書
 16:06 - 16:33 = 27分
 22:40 - 23:03 = 23分
 23:54 - 24:21 = 27分
 24:25 - 25:06 = 41分
 26:16 - 26:39 = 23分
 計: 2時間21分

・睡眠
 3:00 - 11:30 = 8時間30分

・音楽
 なし。