選別の噂が流れ始めた。Selekcja[セレクチャ]。このラテン語とポーランド語の合成語が外国語のおしゃべりの中に、一回、二回、とはさまり、その数がひんぱんになってゆく。初めは聞きとれないのだが、やがて耳に止まり、最後にはつきまとってくる。
今朝はポーランド人が選別[セレクチャ]のことを話している。ポーランド人はいつも真っ先に情報を得るのだが、普通は秘密にしておく。他人の知らない情報を握っていれば、必ず得になるからだ。みなが選別の近いのを察知した時、自らを遮蔽する[デフィラルシ]わずかの方策は彼らに独占されている(たとえば、パンやたばこで医師か名士を買収する。そして選別の係員をやりすごせるように、適当な時にバラックからカー・ベーに移るか、その逆をする)。
次の日から、ラーゲルと作業場の雰囲気は「選別[セレクチャ]」をめぐるどたばた喜劇、といった態を示す。だれも正確なことは知らないのに、みなが話題にする。仕事中こっそりと会っている、ポーランド人、イタリア人、フランス人の民間人労働者までがそうだ。だからといって絶望の波が起きるとは限らない。私たちの精神状態にはひっかかりがなくて平板だから、不安定になりようがないのだ。飢え、寒さ、労働との戦いは、ものを考えることにわずかの余力も残してくれない。それが選別のことであっても同じだ。各人は各様に反応する。だが道理にかなった現実的行動をするもの、つまりあきらめたり、絶望状態に陥るものは、だれ一人としていない。
(プリーモ・レーヴィ/竹山博英訳『これが人間か』朝日新聞出版、二〇一七年、160~161; 「一九四四年十月」)
アラームは九時半。抜ける。アラーム消す。耐えきれずにベッドに戻る。まったくもっていつもながらの展開である。最初は上体を起こしていたのだが、そのうちに力尽きて横になってしまった。結果、正午まで過ごすことに。私は粘菌である。
上階へ。パジャマからジャージに着替え、台所へ。前日の鯖が残っているが、食べる気にならない。それなので、昨日買ってきたばかりの冷凍の焼き鳥を食うことに。冷凍庫から出して電子レンジへ。三分三〇秒。加熱の合間にトイレに行って放尿し、戻ってくると洗面所で寝癖を整えた。汁物も火に掛け、米をよそり、三品を卓に並べて食事を始める。焼き鳥をおかずに米を貪りながら新聞をめくる。社会面。昨年六月に東海道新幹線のなかで無差別に人を殺した小島一朗(二三歳)の裁判の判決――無期懲役が下されたと言うが、被告人は控訴はしないとはっきり表明し、法廷で万歳三唱を行ったとのこと。一生刑務所に入りたいという願望のために人を殺したらしく、その望みが叶う判決が出たためである。遺族や被害者の憤りや無力感はとても言葉にできないほどだろう。
食後、皿を洗い、さらに風呂も洗った。残り水を排出するあいだは肩や首を回して待ち、急がず鷹揚にブラシで浴槽を擦って、出てくると電気ポットに水を足しておき、下階へ。コンピューターを点ける。インターネットを回ったり、Evernoteで今日の記事を準備したりしたのち、茶を注ぎに行く。一杯目を急須に入れて茶葉がひらくのを待つあいだに、南窓に寄って、身を屈めながらガラスに顔を寄せ、雨が降っているのか確かめようとしたが、どうもはっきりしなかった。とは言え冷え冷えと白く曇っている日和で、いつ降ってもおかしくなさそうである。それなので、時間が前後するが、食事の前に既に、少量出されてあった洗濯物を室内に入れておいたのだった。
茶を用意すると下ってきて、飲みながら読み物に入った。時刻は一時である。まず、過去の日記――二〇一四年三月二六日水曜日。「ガルシア=マルケスのあの距離感、客観性、あれをもって一日を語ることができないものか」と漏らしている。書き手の自己が文中に露わに見えたり、自意識が滲んだりすることをまだ嫌悪していた時期のはずだが、一方で、「自分語りを基準にするのはおかしいのではないか」と疑義を投げかけてもいる。次に、fuzkue「読書日記」、さらにMさんのブログ。後者は最新の一二月一七日の記事に追いついた。なかなか素晴らしい。そして次に、Sさんのブログを三日分読み、続けてUさんのブログ。「思索」: 「思索と教師(5)」(http://ukaistory.hatenadiary.com/entry/2019/12/15/040320)。ロラン・バルトやミシェル・フーコーの行った仕事の路線と軌を一にするところがあるような。しかし、そのようにして「大きな」固有名に引きつけて理解することは、彼の言葉を矮小化してしまう恐れがあるとも思われ、失礼なことかもしれない。
「最初から真のみにこだわる思索者は、自己解体の仕方を知らないという意味において、むしろ真という名の偽(神話)のカルトを信奉している。思索を始めるというのは、何らかの内的整合性を持つ偽を構想し、そこに参加して実験を行う条件整備をすることであるとすら思う」
「キリスト教の神だろうが、ヘーゲルの絶対精神だろうが、レヴィナスの他者だろうが、その都度、自分自身の問題として「洗脳」され続け、あまりにスポンジのように吸収するがゆえに、それらの党派を守っている長すらも偽善的に思えてくるところまで、自らの思索によって捉えなければならない」
「魅力的な思索をした者というのは、独自性があるというよりも、自らの思索をするためにこそ、自らの矮小な「独自性」を捨て去り、肥沃で魅力的な過去から学び続け、思索を重層的に行い続けることによって、どれが誰の見方なのかが区別つかなくなってしまった成果なのではないか」
「言い得る」という複合的な動詞の頻出――「ともかく、思索において何らかの考えを言い得たいと思ったとき、神話的時空を構想せざる得ないと私は思うわけである」「だが、私が言い得たいのは、まさに、新たな神話を構想すべきだという、それ自体が陳腐化した一種の思想に納得していない、というところである」「そういう魅力的な思索は、どうすれば行うことができるだろうか。今現在手に入る思索群に準拠するだけではこの問いに対する答えは出ないが、それらを知らなければ、それらがどのように不十分かを言い得ることもできない」「とはいえ、問いと対峙する決意を言い得ることは難しい」「「なぜ」と問うことは、圧倒的に光り輝く現在から後退せざるを得ないことである。問いに関するこの理解においては、思索の使命や目的を言うことはできない。それが言い得るならば、まさに問いが全くないことを露呈している」「何らかの諸概念によってそれを言い得たり、それを求めるための諸条件や論理を構築することもできない」
「問いとは何か。問いとは、何らかの所与性をその根源まで遡るきっかけとなる状況の引っかかりである」
「問い自身をなぜ問わなければならないのか、という問いに対して、納得の行く答えを用意することができない」
「そもそも、信仰が理性や証明との対立において語られ、説明できたり、証明できたりすれば真に受けるという構図自体が、問いが一切ない証拠である」
「日常生活として開かれた地平を、前に垂れ流していくのではなく、後ろの方に不自然に、意識的に遡っていき、今ここに物事が成り立っている条件を見出すことを求めている」
「問いは、目の前の現前性が絶対的ではなく、完全に偶然的に見えるために、思索を結晶化することで現在の意味を深く理解する営みである」
「ピアノを弾いても社会を転覆させられないように、思索によって人を殴ることはできない」
「そもそも、真正の思索者は、現れ、演技をしたいという欲求がない。真正の思索者が行っているのは、現れる一歩手前の条件まで徹底的に濃密に思索をし、その枝から芳醇な果実が産み落される以前の一瞬に留まることである」
「思索が自ら自身において現実を全て表現する試みだという点において、既存の言葉を自明としてから始める有用性は、根本的に相容れない」
読み物に一時間弱を費やし、それからこの日の日記。ここまで記して二時一四分。一四日の日記すらまだまだ終わっていないわけだが、綴るのが何だか面倒臭いでござる。どうしたものか。今日は労働は一コマなので、比較的余裕はあるのだが。
面倒臭いと思いながらも、一四日の記事に取りかかった。とりあえず一〇分だけでも、というような軽い気持ちで、ひとまず取り組みはじめてみるものだ。そうして一度行いのなかに入ってしまえば、ある種の惰性と言うか慣性と言うか、勢いのようなものが広がって、実際には一〇分では止まらずその先まで行くことになる。そういうわけでこの時も五〇分間を費やして三時過ぎまで打鍵を続けた。母親は既に帰ってきていた。先ほど、Uさんのブログを読んでいるあいだに戸口に姿を見せに来たのだった。ローストビーフを作ってきたと言う。それではそれを頂きに行くかということで、上階に上がり、冷蔵庫のなかに収められていた弁当箱を取り出すと、あれも赤飯と言うべきなのだろうか、何だかピンクっぽい色の米と薩摩芋の小片とともにビニールで包まれた料理が二つあって、一つはローストビーフ、もう一つはグラタンのようなものらしい。温めることにしたが、弁当箱のスペースが足りなかったので、グラタンの方は別の皿に取った。まずは箱の方をレンジに入れて加熱し、合間はレンジの前で左右に開脚して、何故か頭に浮かんでいたThe Beatles "Ticket To Ride"を歌った。そうして次に、グラタンを加熱したが、一分半を置いて取り出してみると、冷えていたのが溶けて準液体の形状を取り戻し、平たく潰されたようにビニールのなかに広がっていた。それらを持って卓へ、新聞も読まず、黙々とものを食う。窓外は白く霞んだようになっているが、雨は降ってはいないか、もし降っていても大した降りではなさそうだ。薩摩芋を食ってしまったあと、牛肉をおかずにして米を咀嚼し、最後に白菜や玉ねぎやコーンやベーコンの細かく刻まれて入ったグラタンの類を口に運んだ。ビニールのなかでごちゃ混ぜになっている具材の作る、色と形の入り乱れた配置を見下ろしていると、これだけで一つの抽象画のようだなと思った。食べ終えると食器を洗い、ビニールを捨てようと思って勝手口の外に出されてあったゴミ箱をなかに入れたが、それにセットするビニール袋がなかったので自室に下り、昨晩コンビニでの買い物の時に手に入れた袋を持ってきてゴミ箱に取りつけた。そうしてゴミを捨てておき、ついでに急須と湯呑みも持ってきていたので、緑茶を注いで下階に帰った。そうして書見である。ロラン・バルト/石川美子訳『零度のエクリチュール』、本篇と訳者あとがきは既に読み終えており、残っているのは新聞論文から本に編集する際に削除された文章などをまとめた巻末の付録のみである。それを読んでいき、茶を飲み終えると歯磨きもしながら読書を進め、四時前に至って読了した。あとはメモを取るのみである。
口を濯いでくると、cero "Yellow Magus (Obscure)"を流して歌いながら着替え、今日は灰色の装いを取る。ネクタイは水色にドット模様のもの。それらを身につけて、上着も羽織ってスーツ姿になると、この日の日記を書き足しはじめ、ここまで綴ると四時一八分。今日は何となく、久しぶりに電車で出勤しようかと思っている。そうすれば五時一五分頃に家を出れば良いので、猶予が稼げるし、一コマなので準備する事柄もさほどなかろうと見込んでいるのだ。その分の時間をメモなどに使おうと思う。
靴下を履きに上階へ。すると、石油を入れてほしいと言われる――と同時に訪問客。多分Yさんだったのだと思う。自治会関連の書類か何か持ってきたのではないか。去ったあとにトイレに入って用を足していると、母親が外へ出たようだったので、こちらも追って外へ向かう。道の角には警備員が立っている――赤く点滅するベスト。我が家から西へちょっと行ったところ、公営住宅の前で工事をしているので、通行する人や車などを管理しているのだ。こんにちは、ご苦労さまですと声を放っておき、勝手口の方へ行って、タンクに石油を補充した。満タンになると自動的にポンプは作動を停めてくれる。重くなったタンクを片手に持ってなかへ戻り、ストーブに収めておくと、玄関にあった炭酸水の段ボール箱も元祖父母の部屋に運んでおいた。
自室に戻り、ロラン・バルト/石川美子訳『零度のエクリチュール』から読書ノートに文言を移して、最後までメモを取り終える。その後、石川美子訳『ロラン・バルトによるロラン・バルト』を読みはじめる。五時五分まで。そうして上へ。マフラーをつけ、コートを着て出発。警備員、まだいる――と言うか、二人に増えていた。そのうちの一人が、こちらが歩く横を抜かしていく――カラーコーンを担いで。公営住宅前の工事というのは、アスファルトを改修するものらしい。巨大なダンプカーが前からゆっくりとやって来たので過ぎるのを待って道の脇に寄るが、過ぎず、停まって、あれは何だろう、後部に積んだ材料か何か下ろしていたのだろうか。よく覚えていない。ともかくその横を抜けられるのか、抜けても良いのか窺っていると、後ろから来た警備員に、どこまで行かれますかと訊かれた。駅までと答えると、その人は多分この辺りの地理に詳しくなかったのだろう、ちょっと間を置いてから、坂の上へ、と訊くので肯定する。それで彼に伴われながら現場を通り過ぎる。路面を、何か機械で、あれは何をしているのだろうか、磨いているのか、均しているのか、いずれにせよアスファルトの上に機械を走らせている箇所があって、蒸気が立っていた。
坂道に入って上っていくと、途中で老婆が前を行っている。惚けたような調子の、ふらふらしたようなのろい歩き方である。道の真ん中をそうして歩いているのだが、こちらが後ろから近づいてきても気づく風でもないので、やはりいくらか呆けたような頭の人だったのだろうか。追い抜かそうと道端に寄って落葉を踏み、よほど近くなって、と言うかほとんど横まで来たところで相手はようやくこちらの存在に気づいて振り向いた。その顔は、何だか見たことがあるような気がしたものの、誰なのかはわからない。驚いたように、ああ、こんばんは、と言うので、こちらも微笑してこんばんはと返した。
雨がほんの幽かに、降ると言えるほどでもないが確かに散ってはいるようで、電灯の光が水っぽく、暈の広がり方に空気が水気を帯びているのが現れている――雨粒は視認できるほどですらないのだが。横断歩道に掛かると、駅前に一人人影があって、それがどうもNさんらしいなと見分けられる。通りを渡り、駅に入ると、駅前には葉っぱがまったく落ちておらず、掃除されたらしいが、見上げてみても裸木の枝には葉はもうなくて、あれは何なのかプロペラのような、虫の翅のような〈部品〉が枝先に残っているばかり。ホームに移ると、案の定ベンチの横をのろのろ行っている姿のNさんなので、横に並んで、こんばんはと挨拶をした。どこまで、と訊かれる。青梅駅前と答え、いつもは歩いていくのだが、今日は寒いので電車で、と話し、そうしながらベンチに並んで座った。何時まで、との問いには、いつもは大体九時半までだと答えると、それじゃあ結構な時間だ、という反応があった。相手は八九歳、来年で九〇だと言うので、それじゃあ凄い、と受ける。買い物だろうか、河辺までちょっと行くとのこと。結構こうして、外出されるんですかと訊くと、わりあいに出ると言うので、それは良い、と思った。自動車にもまだ乗っている。そろそろ危ないんだけどね、やめなくちゃいけないんだけど、というようなことを言うが、しかし我々の地域で車に乗れなくてはなかなか生活するのにも不便だろう。息子は一緒に暮らそうというようなことを言ってくれるらしいが、家内が(ホームだか病院だか知らないが)入っているから、やっぱり近い方がね、と言う。自動車の話に戻ると、昭和二六年に免許を取ったらしい。一九五一年だなと計算して、それじゃあ戦争が終わってまだまもない頃ですね、と向けたが、特に戦争時の話はなかった。当時は立川の、日本自動車学校と言っていたか、そこしか免許を取れる場所が近間にはなく、七五〇〇円だったと言う。当時は月給がちょうどそれくらいだったとのこと。そういう話を、ちょっと大きな声でしてくれた。じきに一人、男性が通って、Nさんに挨拶を向ける。電車もやってくると相手は立って、先の男性と合流するようで、ちょっと先に、と去る様子を見せるので、寒いので、お気をつけて、と向けると、お互いにね、と笑った。
電車に乗る。席に就く。向かいには、何やら疲弊しているらしい男性。傘を持って床に立てながら、それに寄りかかるようにしてぐったりと頭を伏せている。そのジーンズの膝の辺りには大きな穴が空いていて、ファッショナブルと言うよりは単に見すぼらしいような具合になっていて、それでは寒かろうと思った。青梅で降りてホームを行っていると、こちらも乗ってきた電車から降りた人だろう、乗務員の帽子の上が濡れており、ビニールを貼ったようになっている。奥多摩の方では結構降っていたのだろうか。駅で発車ベルを押すために降りる時などに濡れたものだろうか。もう一人、彼が行き会って挨拶を交わしている方が、当然濡れていない。
SUICAに五〇〇〇円をチャージしておいてから職場に行った。室長は不在。準備時間は国語や英語のテキスト及び、センター試験の英語の過去問、二〇一七年度をちょっと読む。そうして授業――(……)くん(高三・英語)、(……)くん(中三・国語)、(……)くん(中三・英語)。あまり良い調子の授業にならなかった。(……)くんはやはり疲弊しているようであまり突っこめないし、(……)くんもなかなかやばい。結構丁寧に、詳しく説明してから問題に取り組ませたのだが、解説したはずのところもミスしている。理解が行き届いておらず、元々の地頭と言うか、物の覚えも悪いのではないか。知識を頭に入れるのに労力が掛かる印象。宿題もあまりやって来ないので効果が上がらない。問題をもっと細かく区切って答え合わせの時間にして、細密に確認していった方が良かった。今日は一頁まとめてやらせてしまい、その解説をしているうちに時間がなくなってしまった(この教訓は、一週間後、一二月二六日の授業では活かされた)。
翌日の授業を確認してから退勤。帰路も電車を取る。駅に入って、コーラを飲もうか迷ったが、飲まない方に決定し、ベンチに就いて手帳にメモを取った。すぐに奥多摩行きがやって来た。三人掛けに入る。左方だったか右方だったか忘れたが横の方には、高校生が二人。座る際にちょっと言葉を交わしていたので互いに知人のようだが、その後は一言も会話がなく、座る位置もあいだに一席空けていて、疎遠さが窺える。車内は沈黙。そのなかに携帯の音などが伝わるが、腹の音が聞こえそうな静けさである。メモを取りながら発車と到着を待った。帰路の記憶は特にない。寒さはさほどでもなかったはずだ。
帰宅。自室へ行って着替え。コンピューター点けておく。上階へ。米、シチュー、厚揚げ、サニーレタスなどの入ったサラダが少量の食事。厚揚げをおかずに米を食う。シチューも美味かった。夕刊は、IR事業に参加の中国企業が外国為替法を違反したとか何とか。それに関連して何とか言う議員――一二月二七日時点では既に逮捕されて話題となっている秋元司議員である――が取調べを受けたと。テレビは、和食のプロがペルーに行って、身分を隠して現地の日本食料理屋を視察し、その奇妙さに驚愕、みたいな番組。最終的にはマスクを被りながら技を披露し、現地の店の人を驚かせるドッキリ作戦、みたいな企画なのだが、やらせ臭が滲み出る。実にくだらない。しかし、何故くだらないのか、その点を考えてみてもあまり判然としない。わざとらしさのためだろうか? あるいは大仰さや押しつけがましさだろうか。こういう大衆的な番組の意味作用を綿密に分析して、その欺瞞性と言うか、くだらなさの仕組みを構造的に暴きたいのだが――つまりは、ロラン・バルトの下手くそな真似事ということだが。唯一、まだしも興味を覚えたのは、クスコの、何とかいう塩田の風景のみ――風景というものはまったくもって〈罪がない〉(しかし〈自然〉の風景こそ、まったく文化的で、イデオロギー的なものでもあるのではないか――この点は多分、二六日の日記に書くと思う)。日本の棚田みたいだね、と母親は言った。ちょっと違うと思うが。
食後、皿を洗い、風呂は譲って、緑茶を持って下階へ。英語を読む。Gary Gutting And Elizabeth Anderson, "What’s Wrong With Inequality?"(https://opinionator.blogs.nytimes.com/2015/04/23/inequalities-we-can-live-with/)の昨日の続き。
・gratuitously: 事実に基づかず、根拠もなく
・ameliorative: 改良するための
・incarceration: 投獄
・brunt: 大きな重荷
E.A.: (……)Even within the U.S., there is virtually no correlation between pay and performance for top executives. Studies show that excessive incentives for work requiring innovative thinking can actually depress productivity by focusing people’s minds on money rather than the task at hand.
On the bottom end, outright cash transfers to the poor have been found to be hugely successful in promoting productivity in many places, including Brazil, Kenya and even North Carolina. Far from making them lazy, the poor use the extra resources supplied by cash transfers to enhance productivity. They improve their parenting, advance the education of their children, and give them more nutritious food. High inequality, if anything, has negative effects on economic growth, by making the economy more vulnerable to crises and long recessions, and by corrupting the political process. When the rich capture politics, they mainly use their influence to limit competition from below and extract rents from everyone else. This depresses growth.
さらに、髙山裕二「リベラルとは何か?――その概念史から探る」(https://synodos.jp/politics/20919)。
政治思想史でも、リベラルやリベラリズムについてはじつに様々な議論があります。ただ、多くの議論に共通するのは、「二つの自由」の潮流からその説明を始める点です。「二つの自由」とは、オックスフォード大学の政治理論家アイザイア・バーリンが「消極的自由」と「積極的自由」というかたちで定式化することで有名になりましたが、ここではあくまで歴史的な展開の説明として単純化すると、下記の図のようにまとめられるかと思います。
上の古典的自由とは、16、7世紀ヨーロッパの宗教戦争などを通じて獲得された個人の内面の領域、おもに思想信条の自由や表現の自由を指します。これは、公権力から干渉を受けないという意味で「権力からの自由」と評されます。
これに対して、下の近代的自由は、「権力への自由」と言われます。それは、19世紀の産業化の進展にともなう貧困問題、不平等の拡大によって増大した社会的「弱者」を国家(権力)が救済する必要から生まれました。この場合、自由を自己能力の実現・開花と理解し、そのために最低限必要な社会経済的保障をすべての人に認めるべきだと主張されます。
つまり、何かを(他者から)なされないかではなく(自己が)なしうるかに自由の本質があると考えるため、みずからのなしたいこと(自己実現)ができない境遇にある人びとは自由のない状況にあり、彼らの境遇の改善を要求していくことも自由と考えられるわけです。
ところで、現代のアメリカでは、こうした新自由主義的政策を「近代的」自由の立場から批判する人びとがリベラルと呼ばれています(ちなみに、アメリカで新自由主義者たちは通常、保守/ネオコンと呼ばれているのでややこしいです)。(……)
最初はスペインで、ナポレオンの侵攻に異を唱えて使われ、「リベラル」が政治的な意味(名詞形)で使われたのは自由主義的要素を多く持つカディス憲法が制定された1812年が最初とも言われます(O.E.D.によると1816年が初出)。とはいえ、そうした思想は革命後のフランスに源流があります。やはりナポレオンの「専制」に抵抗して諸個人の多元的な意見や利害を擁護した人びとが「リベラル」と呼ばれるようになったのです。代表的な人物は、スタール夫人やバンジャマン・コンスタンです。
彼らは、不当な権力、「専制」に抵抗して権力の制限(権力分立)を主張しましたが、それだけではありません。とくに、次の世代のリベラル、アレクシ・ド・トクヴィルや彼の影響を受けたイギリスのジョン・スチュアート・ミルは、政治参加、積極的自由の必要を説きました。積極的自由というと近代的自由にまとめられてしまいますが、それは不当な権力への抵抗が目的である点がポイントです。社会経済的な関心、とくに「弱者」の救済が主題ではありませんでした。
要するに、リベラリズムの原意は、多元的な価値や権利の擁護と、そのために権力を制限することと同時に、権力を構成する参加の文化を重視することにあったと言えます(……)。
ここでロールズの正義論を説明している時間はありませんが、要するに、彼の主張したのは、「弱者」救済とか平等の追求それ自体ではなく、不公正な格差の是正であり、いわば多元的な価値を抑圧するほどの政治経済上の不平等、特権を保持する多数派への異議申し立てだったのです。(……)
まず、リベラルを考えるうえで、「二つの自由」にあまり拘泥しないほうがよく、「自由」という概念からはその定義が難しいということです。さしあたり多元的な権利・価値の保障を目指すこと(者)、としておきたいと思います。これは、パイの拡大と配分ありきの経済的な定義ではなく、いわば政治(学)的な定義です。
そうして入浴へ。一〇時五〇分から浸かりはじめた。水位が低く、上体は露出しており、あまり身体を寝かさず頭も縁に預けないにもかかわらず、うとうとと意識が曖昧になる。今日も束子で身体を擦った。疲れがちょっと取れるような、肉体が軽くなるような気はする。やはり刺激によって血流が良くなるのだろうか。風呂を出ると居間は無人になっていたので、湯沸かしのスイッチを消しておき、緑茶を用意して、電灯を消して下階へ。
『Maria Schneider & SWR Big Band』とともに、ロラン・バルト/松島征・大野多加志訳『声のきめ インタビュー集 1962-1980』(みすず書房、二〇一八年)の書抜き。
「パロールがそれ自体新鮮で、自然で、自発的で、真実で、一種の純粋な内面性に富むからではなく、逆に、私たちのパロールは(特に公共において)ただちに演劇的であり、文化的、弁論的コードの全体から策略(語の文体論的、遊戯的意味において)を借りているのである」
「私たちが話すとき、私たちが言語活動の順番にしたがって、思想を「表明する」とき、私たちは探求の変化を聞こえるように話すのが正当だと信じている。私たちは公然と言語と戦っているのだから、私たちのディスクールは「効果を表し」、「一貫している」と安心している、それぞれのディスクールの状態の正当性は前のディスクールの状態から得られていると安心している。つまり、私たちは直線的な誕生を望んでいるのであり、規則的なつながりの記号を誇示する。そのために、私たちの公共のパロールには、かくも多くの〈しかし〉や〈したがって〉があるのであり、かくも多くの言い直しや明確な否定があるのである」
「エクリチュールはあえて連結辞省略を実行する。去勢と同じぐらい声には耐えがたい鋭利な文彩を」
「言語学者がおそらく言語活動の主要な機能の一つに関連づける呼びかけあるいは〈交話的〉機能、言語活動のあらゆる切れ端」
「それらはそれらを通してひとつの身体がもうひとつの身体を求める呼びかけ、抑揚――鳥を考えれば、さえずりと言うべきだろうか?――なのである。書かれるときに私たちのエクリチュールのなかで消え去るのはこのぎこちない、単調な、滑稽なさえずりなのである」
「対話にあって、同じようにもろい(あるいは動転した)もうひとつの身体にむかって、そのただ一つの機能がいわば相手を〈引きとめ〉(売春の意味も含めて)、話し相手にとどめておくという、知性の面では空虚なメッセージを投げつける外的な(偶発的)身体」
「もはやパロールが沈黙を補塡するために使用する、取るに足らない連結(〈しかし〉、〈したがって〉)が問題なのでは(end6)ない。真の論理的意義素(〈にもかかわらず〉、〈そうして〉というたぐいの)でいっぱいの統語論的関係が問題となるのである。つまり、転写が可能とし利用するのは、話し言葉が嫌う、文法で〈従属〉と呼ばれるものである。文は階層的となり、古典劇の演出のように、役や景の違いがその中で展開される」
「かっこはパロールには存在しなかったが、ある考えが余談であり、二次的なものにすぎないと明確に指し示すのを可能とし、句読点は、周知のように、意味を(であって、形態や音をではない)分割する」
「わたしの一生でわたしの情熱をかき立てたものは人間がおのれの世界を理解可能にする仕方でした」
そうして、石川美子訳『ロラン・バルトによるロラン・バルト』を読む。序盤は写真の部である。バルトが母子三人で肩を組み合いながら映っている海辺の写真があるのだが、笑顔の目の細め方に、何と言うか、凄く、失われてしまった過去、というような感じがした。胸がちょっと苦しくなるような感じ――感傷とは違うと思うのだが。少なくとも通常の感傷や感情移入とは。
(……)
日記のメモを取ると、二時五分である。書見を続ける――読書ノートにメモを取りつつ。三時一五分まで。そうして就床。
・作文
13:57 - 14:15 = 18分(19日)
14:15 - 15:05 = 50分(14日)
16:06 - 16:19 = 13分(19日)
25:39 - 26:05 = 26分(19日)
計: 1時間47分
・読書
13:01 - 13:55 = 54分
15:29 - 15:55 = 26分
16:31 - 16:47 = 16分
16:49 - 17:05 = 16分
21:15 - 21:31 = 16分
21:35 - 21:52 = 17分
21:57 - 22:29 = 32分
23:58 - 24:38 = 40分
24:40 - 25:08 = 28分
26:06 - 27:15 = 1時間9分
計: 5時間14分
- 2014/3/26, Wed.
- fuzkue「読書日記(163)」: 11月17日(日)
- 「わたしたちが塩の柱になるとき」: 2019-12-17「香水を飲み干してから打ち明ける秘密とは揮発性のものだ」
- 「at-oyr」: 2019-12-05「素面」; 2019-12-06「修理」; 2019-12-07「To-y」
- 「思索」: 「思索と教師(5)」(http://ukaistory.hatenadiary.com/entry/2019/12/15/040320)
- ロラン・バルト/石川美子訳『零度のエクリチュール』: 129 - 155(読了)
- ロラン・バルト/石川美子訳『零度のエクリチュール』みすず書房、二〇〇八年、メモ
- 石川美子訳『ロラン・バルトによるロラン・バルト』: 5 - 64, 275 - 281
- Gary Gutting And Elizabeth Anderson, "What’s Wrong With Inequality?"(https://opinionator.blogs.nytimes.com/2015/04/23/inequalities-we-can-live-with/)
- 髙山裕二「リベラルとは何か?――その概念史から探る」(https://synodos.jp/politics/20919)
- 長濱一眞「「身の丈」の偽史(ポスト・トゥルース) ――「真実の終わり」をめぐって――」(https://dokushojin.com/article.html?i=6316)
- 記憶ノートにメモ。
- ロラン・バルト/松島征・大野多加志訳『声のきめ インタビュー集 1962-1980』みすず書房、二〇一八年、書抜き
・睡眠
3:20 - 12:00 = 8時間40分
・音楽
- 『Maria Schneider & SWR Big Band』(BGM)