2019/12/24, Tue.

 (……)情報を得る可能性がいくつもあったのに、それでも大多数のドイツ人は知らなかった、それは知りたくなかったから、無知のままでいたいと望んだからだ。国家が行使してくるテロリズムは、確かに、抵抗不可能なほど強力な武器だ。だが全体的に見て、ドイツ国民がまったく抵抗を試みなかった、というのは事実だ。ヒットラーのドイツには特殊なたしなみ[﹅4]が広まっていた。知っているものは語らず、知らないものは質問をせず、質問をされても答えない、というたしなみだ。こうして一般のドイツ市民は無知に安住し、その上に殻をかぶせた。ナチズムへの同意に対する無罪証明に、無知を用いたのだ。目、耳、口を閉じて、目の前で何が起ころうと知ったことではない、だから自分は共犯ではない、という幻想を作りあげたのだ。
 知り、知らせることは、ナチズムから距離をとる一つの方法だった(そして結局、さほど危険でもなかった)。ドイツ国民は全体的に見て、そうしようとしなかった、この考え抜かれた意図的な怠慢こそ犯罪行為だ、と私は考える。
 (プリーモ・レーヴィ/竹山博英訳『これが人間か』朝日新聞出版、二〇一七年、237~238; 「若い読者に答える」)


 五時間で起床しようと思って七時半にアラームを仕掛けてあったのだが、一度寝床を抜けても即座に布団の下に舞い戻ってしまい、あれよあれよという間に時間が過ぎていった。どうしても起き上がるための気力が身に宿ってこず、一二時五〇分くらいまで長々と過ごすことになった。糞である。別にそんなに眠いわけでもなく、身体がそこまで重苦しく沈んでいたわけでもないのに、ただ肉体を起こすことができないというのは、一体どういうわけなのか。事前のつもりよりも五時間以上も余計に、何もせずに過ごしてしまった。しかし眠ってしまったものはもはや仕方がないのであって、残った時間を所与として、与えられた条件の内でできることをやるほかはない。
 上階へ。母親は買い物に出かけたらしい。台所にはソーセージが三本と、皿に盛られたシチューの最後の一杯が置かれてあった。シチューを電子レンジに入れ、ソーセージは冷えているものをそのまま三本とも食ってしまい、もぐもぐやりながら便所に行って尿を放った。戻ってくると洗面所に入って整髪水を髪に吹きかけ、ドライヤーで少々整えた。そうして出てくると温まったシチューを持って卓へ、新聞をめくりながら食す。国際面に、米政府がアフガニスタン戦争について情報操作をして都合の悪い情報を隠蔽していたことがわかった、というような記事があった。ワシントン・ポストが政府の内部文書を入手したとか書いてあったか? それを読んで食事を終え、台所で皿を洗うと、先に薬缶に水を汲んだのだったか、それとも風呂を洗いに行ったのだったか。まあどちらでも良いのだが、浴室に入ってブラシで浴槽を擦った。腰の後ろ側、と言うか、尾骶骨の先端あたりが固くこごってちょっと痛むような感じがあった。壁を擦り洗ったあと、風呂桶から外に出て、シャワーから水を流出させると、空中に微細な水の粒が、光のなかの埃のようにして、あるいはそれよりも幾分躍動的かつ弾力的な動きで踊り回る。それを見ながら洗剤を流し、出てくると、多分ここで薬缶に水を注いだのではないか。ポットの脇にそれを置いておき、自室から急須と湯呑みを持ってきて、流しの物受けの暗い底に茶葉を捨てておき、一杯目の分の湯を急須に注ぐと、ポットの傍を離れて南窓に寄り、外を見下ろした。陽射しはわりと明るく通っており、しかし風があるようで、周辺の庭木やら下草やらが絶えずはためいている。当然だが、眼下の草々の上やあいだに、蝶がひらひらと舞い流れる姿はもはや見られない。昆虫についての知識がないのでわからないのだが、蝶というのは、越冬するのだろうか? 越冬するとして、冬眠するのだろうか、どのような仕方で冬を越すのだろうか。この世界に散らばっている無数の蝶たちが、冬を迎えるとともに一斉に冬眠やら冬籠りやらの準備を始めて、人間たちの視界から姿を消すというのは、何かしら物凄いことであるような気がした。空は見なかったので、この時の雲の様子、その模様はわからない。
 茶を持って自室に帰ると、コンピューターを点け、Evernoteで今日の記事を新規作成した。そうして緑茶を啜りながら読み物。まず一年前の日記だが、今日と同じくらいの寝坊をして一二時半だかに起床しており、今と生活の始まり方が何ら変わっていない。文章としては、日記を再開してまだまもないこともあってか、書きぶりから力が抜けており、その軽さと言うか簡易性みたいなものが、なかなか良い感触である。
 次に二〇一四年の日記を読み返し、さらに、fuzkue「読書日記」。「ほどなくして」という言葉に目を留める。これは自分の語彙のなかにはないものだ。大体自分はこういう時は、「まもなく」と書いてしまうと思う。新しい、より多様な言葉遣いを取り入れて行きたい。さらに「まだカレーをつくるつもりだったが、家に帰って、話していて、カレーをつくる気は逓減していった」という一文の、「逓減」という語もこちらは多分一度も使ったことのない言葉だ。
 続いて、Mさんのブログ。一二月二二日の記事の冒頭に付された佐々木中の記述を引く。

 (…)二重人格多重人格と言うが、そういう意味での――「心理学的な」意味での?――人格ならば、二つ三つしか持っていないほうが可笑しいだろう。三たび傍証に中井久夫を引けば、彼は苦笑交じりにといった風情で多重人格が問題になったのは「一世紀以上古い話」に過ぎないと語っている。また、要するに多重人格者とは(人格の)「分裂の数が少なくて、分裂の仕方がへた(過激)」な人であり、それゆえに苦悩する人間のことだと言っている。
佐々木中『定本 夜戦と永遠(上)p.523註』)

 なるほど、という感じ。尋常の[﹅3]人間は、もっと細かく、スペクトル的に分裂している、ということだろうか? 分裂、つまりは主体の複数化というテーマは、ロラン・バルトが主題としていたそれでもある。バルトもラカンから影響を受けて彼の語彙を取り入れているし――もっともその意味合いは結構自己流にずらして[﹅4]いるようだが――やはり精神分析理論もいずれは学ばなくてはならないだろう。
 二三日の記事には、「EVISBEATSの音源がサブスク解禁されていることに気づいたのでさっそく『ひとつになるとき』。“ゆれる”でグッときた。中国に来てまもない時期のことを、天気の良い夕方を第四食堂に向けて歩いているときのあの感じを思い出したのだ」とあるが、曖昧な記憶ではあるものの、過去の日記も読んできた印象としては、Mさんの音楽の受容の仕方というのは、たびたび記憶の喚起や、世界あるいは存在の質感の召喚とともにあるような、過去の回帰と結びついているような気がする。つまりは匂いのようなものとして、嗅覚的なものとしてあると言うか。それは別に、特段珍しい現象ではなく、音楽が記憶の蘇りの媒介になるということは一般的によくあることだと思うのだが、しかし自分の方は、音楽を聞いていてもあまりそういう感覚は得ないかもしれないなと思った。
 読み物は続く。次に、Sさんのブログ。町屋良平『1R1分34秒』について(https://ryo-ta.hatenadiary.com/entry/2019/12/15/000000)。なるほど、と思う。「そんな内省的な小説でありながら、同時にスポーツ小説としてすごく単純に面白い。男っぽい。精神論でもなく比喩でもなく、どこまで理性で行けるかを徹底的に突き詰めようとする、その構えがスポ根的な魅力をもつ」という指摘が興味深い。
 「自分の内側にじっと引きこもって、試合の記憶を反芻し、そのときの相手と自分の、一挙手一動足を執拗に反芻する。自分の声を自分がずっと聞き続けているような世界、ジムやバイト先の人間関係に対する「外面」な部分、映画を作ってる友人に対して見せる「撮られるボクサー」としての外見的部分、ボーイフレンドとして付き合う女に甘えや弱さを露呈する部分、それぞれが自分だし、どれも自分ではない。複数の並行する線をいくつも生きている。(……)試合の相手が謎でもあるが、まず自分が謎である。(……)自分と自分が分裂しているがゆえに、思考がエンドレスで続く」
 「そんな内省的な小説でありながら、同時にスポーツ小説としてすごく単純に面白い。男っぽい。精神論でもなく比喩でもなく、どこまで理性で行けるかを徹底的に突き詰めようとする、その構えがスポ根的な魅力をもつ」
 「自分の考えが、弱い方へ流れそうになったり、間違っているかもしれないと感じることと、文章が分かりやすい比喩やありきたりの結論に着地しそうになることが同等と捉えられているような、その思考をあきらめずに、もうちょっと踏ん張りたいという気持ちを、主人公と書き手で分かち合っているかのようだ」
 「言葉の超高密度なフリーフォーム状態に至り、心身の極限的な苦痛が、そのまま言葉的には快感であるかのような境地」
 Sさんのブログまで読んで二時を越えたので、洗濯物を取りこみに行く。そう言えばそうだ、一時を過ぎた頃だったか、と言うか食事を取って自室に戻ってきた際に気づいたのだが、職場からメールが入っていて、またも今日の労働を一コマにできるがどうするかという申し出だったので、有難く一コマのみにさせてもらうことにした。これでいくらか猶予を確保できたわけである。四時四〇分に出なければならなかったところが、六時半前に出発の時間を遅らせることができたので、だいぶ楽になった。
 そうして洗濯物を入れに上階に行った。西空には雲が掛かって、陽はいくらか陰っていたものの、まったくないではなく、吊るされたものを取っているあいだに雲からもちょっと逃れて、射すものがベランダに漂い、身に触れる。近所ではSZさんが宅の敷地でうろついて何やら作業をやっていたのだが、あれは何をやっていたのだろうか。よく見なかったのでわからない。何かしら機械を動かす音が響いていたが。隣のTさんの宅の屋根には陽射しが溜まって、白い凝縮となって輝く。それを背後になかに入って、タオルを畳んだ。そうして畳んだものを洗面所に運んでおき、自室から急須及び湯呑みを持って上がってきて、茶のおかわりを用意した。この時もまた、一杯目の湯を注いだ時点で南窓に寄って、ちょっと外を眺めた。東南の遠く、市街の方はすっきりと晴れていたようだ。もう少し近間の空には刷毛でさっと刷かれたような淡い雲が流れて、西の方に移るとこちらでは量感を帯びてもっと定かな形を成したものが湧いていて、それが折々、太陽を隠しがちなようだった。
 茶を持って自室に戻ると、Uさんのブログを読む。「思索」: 「思索と教師(7)」(http://ukaistory.hatenadiary.com/entry/2019/12/17/040507)。
 「思索における明快さとは何か。それは単なる形式美や抽象概念ではない。形式美や抽象概念は、むしろ最も分かりにくい。なぜなら、何らかの形式を完成させてしまうことにより、それらをそもそも成り立たせているところの過去が完全に覆い隠されるからである」
 「大抵の思索は絶望的に分かりにくい。もう一つ言うならば、明確化とは、転換の過程である。題材や対象を明確化したことで仕事が終わったと考えるのは、その具体的努力によって思索の明快さを覆い隠している」――「絶望的に分かりにくい」という形容に、学徒としての彼の実感が如実に籠っているように感じられ、ちょっと笑ってしまった。
 「思索は「文化」の味方にならない。文化とは、すでに試みの躍動が堕落し、それを他者に切り売りするための商品である」――制度との共犯がなければ成功は生まれ得ない、というロラン・バルトの言葉を思い出す。
 「合意とは、一般的な知識の次元を遥かに超えた吟味を経た上で、陳腐な「答え」が自然消滅し、それでも複雑さに直面しているために答えが全く分からず、それでも答えの方へと向かう共通の態度である」
 「言い得る」という語彙の頻出。この「言う」に可能の「得る」が付加された複合動詞のたびたびの出現、まるで口癖であるかのようなその現れに、Uさんの、何と言うか、世界と言語とのあいだに自らの身を位置づけて、そのどちらにも完全に依存しようとはせず、安直にどちらに寄りかかるのでもなく、双方に跨ると言うか、あるいはその合間、境界線上[﹅4]に留まろうとする肉薄の姿勢のようなものが表れているような気がする――「思索における言語とは何か。言われた言語は、思索が言い得たいという渇望における、試みの、一面的で、堕落した残滓である」「すでに言い得ることができると分かっている「内容」や「意味」を小包にして伝えるのが講義や交流だというならば、録画映像でも渡せばいいではないか。そこには言語はないのである。言語が可能性があるのは、言い得ぬ真空において次の一言を探す際、未だ私自身には想定できないが、これしかないというその一言においてである」「もしかすると、思索の「目的」は、沈黙の言葉を言い得ることなのかもしれない」「よく分からないが、この数段落の文章においては、何か大事なことを言い得ようとしている気がする」「無論、この難儀な特徴を取り除いたり、言い得たと思い込んだり、言い得たことにして他者に吹聴したりするのは、この試みを消滅させることである。言い得るべく、何らかの反応をした途端、もう遅い」
 「思索は寄与しない、蓄積しない、教えない。その意味で、産業にも、科学にも、学問にも、宗教にも従属しない」
 「思索が関心事とするのは、すでに疑問の余地がないように思われる物事を、その条件の方へと遡及していくことにおいて、自他が考え、行動する条件を再考することである。何々「者」になれるということは、問いが減退・消滅しつつあることを示しているに過ぎない」
 「常に一人の参加者というよりも、自らが無色透明な場所そのものになったかのように、あらゆる側面を吸収しなければならない」――この「無色透明な場所そのものになったかのように」という様態が、こちらの言葉で言えば一種の「作家性」であると言うか、いわゆる「ネガティヴ・ケイパビリティ」の極限みたいな境地と言うか、そんな感じがする。二〇一九年一〇月八日の日記の一節を引く。

 (……)じきにこうして今、自らの思考を見つめている自分自身の様態の方に思念が移って、自分自身と距離を取って自己観察をするということがこちらのような日記を書く者にとっては必要不可欠なのだが、それは言わば自己と世界を同一平面上に置き、その両者のあいだの境や段差をなくすこと、横文字を使うならば主客のあいだのバリアフリー化というようなものだなとまず考えた。自身を世界の一片として、一つの現象として見るそのような観察主体と化した時に、見られる方の自分自身は世界の一部として同化するとして、しかしその見る主体の方はどこにあるのか? 世界からもその一片である自分自身からも退き、距離を取るのだから、世界の外かと考えてみて、しかし存在は存在である限り世界の外に出ることなど出来ないだろうと払い、かと言って単純に世界の内の、どこか具体的な場所にあるとも思われず、どこか曖昧模糊としたような空白の、ちょうど今日の如く深い曇りの日の空に見られる茫漠とした無限の白さが果てなく続いているような、そんな領域が思い浮かんで、ありがちな言い方ではあるが非在の場所、ということになるのではと思った。そこにおいて主体はまた、具体的な属性を持った自己から離れるのだから、無論現実的には完全に個人を脱却することは出来ないとしても、理論的には言わば非人となる。誰でもない者として、どこでもない場所にあること、これこそが作家という主体の様態ではないか、と考えた。言ってみれば非人称かつ非座標の存在ということで、そこにおいて作家という主体は、ほとんど純粋な「存在」そのものと化すのではなかろうか。個別的な人間としての属性からも選好からも解き放たれた概念そのものとしての存在になるということで、あるいは換言すれば、自律的に自動的に筆記する「装置」でもなく、「機械」ですらなく、書くという「機能」そのものの抽象性として存在するのではないか。自己から離れるということは自己を虚しくするということと大方同義であると考えて、それを一言で「忘我」の様態と言ってまとめれば、こうした議論は「悟り」のような観念とも接続できるような気もするが、それは今は措いておき、個別的な属性から切り離されるからこそ作家はものを書けるのだとすれば、ムージルの『特性のない男』という名高い作品名が思い起こされもするけれど、また他方、これはジョン・キーツの言う「ネガティヴ・ケイパビリティ」を想起させるものでもある。以下に谷川俊太郎の説明を引く。

 ジョン・キーツシェイクスピアを例に挙げながら、「ネガティブ・ケイパビリティ」ということを言っています。ある特定の詩人が持っている非常に独特な資質として。つまり、「詩人はカメレオンだ」とキーツは手紙で言っている。どんな対象の中にも入り込んでそれと同化することができる、だから詩人自体はもっとも非詩的なんだと。太陽や月や海、衝動の産物である男も女も詩的なんだけど、詩人という種族だけはそんな個体としての個性を何も持たない、詩人は神の創造物の中でもっとも非詩的なもので、自我を持たない、だからこそ、詩を書けるんだ、とキーツは言っているんですね。そのネガティブ・ケイパビリティを、もっとも持っている本物の詩人がシェイクスピアだと。僕がこの概念を知ったのは詩人になってずいぶんあとだけど、なるほどな、って思ったな。
 (谷川俊太郎/尾崎真理子『詩人なんて呼ばれて』新潮社、二〇一七年、87)

 個別的な人間主体としてのあり方から離れ、非人称かつ非座標の、無属性の、純粋に白い「存在」そのものとしての様態を経由して、ふたたび具体的な事物の方へと向かい、そのなかに言わば溶け込んでいく、それらの事物に向かって生成変化していくこと。この世界のなかに自己を散乱させ、撒き散らし、断片化して分有させること。それが作家の存在様態、存在力学なのではないかと、風呂に浸かりながらそんなことを考えた。

 「問いという形式を守り、その視点からいくつも見解を平等に吟味するという様式そのものが、一つの神話であり、「答え」のようなものであるということを自覚しなければならない」
 「だが、超越論哲学の問題点は、自ら自身を問わないところである(一応付記しておきたいのは、カントにおいては、その領域は、感覚界から一切隔絶された論理や記号のみの帰結として開かれるという、非常に厳しい領域であり、「カント」という語を語る者の9割は、おそらくはそれを捉えていないということである」
 「沈黙の現象学
 「教育とは、何らかの目的に合わせて条件整備をすることではなく、冗談やレトリックではなく、試みるべく言葉を探した時点で抽象的に覆い隠してしまっているが、その覆い隠しにおいて現れる沈黙から、より自覚的に始まる試みの航路である」
 「選択、判断、決意というのは、すでに与えられた二択以上の小包から都合の良い方に進むことではなく、「そこ」という、未だ開かぬ非時空から思索をすることで、一切超越論的ではなく、その都度の一言一言が、何らかの枠組みに回収できない出来事であるような、現れ続けることが、堕落以外の道ではなく、失われ続けるその始まりを見据えて、摩擦を自覚しながら勇気を持って謂いを続けるきっかけである」
 Uさんのブログ記事を読むと時刻は三時前、そこからこの日の日記を書き出して、ここまで綴ると三時半ぴったり。
 上階へ。母親帰ってきている。Uさんのブログを読んでいるあいだに、戸口に顔を見せに来ていた。美容院のことだろうが、混んでいて、とか何とか言っていたと思う。この時上がっていくと、葉っぱを掃いてくれと言うので、ええ、と乗り気のしない声を出しておきながらも、トイレで放尿したあと、さっさと始末してしまおうとサンダル履きで外に出た。靴下は履いておらず、裸足である。家の前には確かに薄褐色の落葉が乱雑に、無数に散らかっている。竹箒を取って地面を擦りはじめた。家の敷地と道路とのあいだに挟まれた砂利の地帯から、敷地の方に葉っぱを寄せていると、母親も出てきた。それから駐車場の、父親の車が不在のスペースから掃き出し、集めていく。どうせまた落ちるのだからあまり完璧を求めず、多少は散らばりを残しておいた方が粋でもあるだろうと適当に集めていくと、母親はこれじゃ袋に入れなくちゃ駄目だねと言って、屋内から白くて大きなビニール袋を持ってきた。こちらが掃き集めたものを、まず塵取りに取って、それから袋に収めていく。空気はダウンジャケットを羽織って前を上まで閉ざしていても、なかなかに冷たく感じられる。母親が空咳を漏らして、空気が乾いているから水を撒いてくれと言うので、バケツの水を適当に辺りに零しておき、葉っぱの集まった袋を持って林の方に行って、捨てておくと、袋は勝手口の方にあるゴミを入れて保存しておくための箱のなかに収めておき、室内に帰った。洗面所で、石鹸を使って手を洗ったあと、食事を取ることにして、ケンタッキーフライドチキンを一つ温め、炊飯器に残った最後の米――従って、ところどころ固く乾いている――を椀に盛り、釜のなかには水を注いでおいて食事を始めた。夕刊をめくる。井上章一という学者のインタビューが載っていた。大阪、道頓堀の雑多な街並みなど見る限り、「和をもって尊しとなす」などと言われる日本人だけれど、全然調和を旨になどしていないではないか、と言う。その後、三面に戻って、イランの記事。ハメネイ師のデモ弾圧の指示によって一五〇〇人だかが死亡する事態になったと。
 食事を終えると四時過ぎ、皿を洗って緑茶を用意した。母親がポテトチップス(うすしお味)を買ってきてくれたので、分け合って頂くことにして、半分を取ってもらうと茶とともに袋を持って自室へ帰った。そうして塩っぱいジャガイモのスライスをつまみつつ、石川美子訳『ロラン・バルトによるロラン・バルト』を読む。茶を飲み干したあと歯磨きをしていると、天井がどん、どん、と強く鳴って、呼ぶのは良いがもう少し穏やかなやり方があるだろうと不快に思った。繊細さの欠如。歯磨きをしている最中だったので、何の用事か知らないが知ったことかと、本を読み進めながら口内をゆっくり掃除し、口を濯いでから上階に行ってみると、豚汁を作ってくれと言う。正直面倒臭かったし、日記を書かなければならないところにまた用事か、とうんざりするような気分でもあった。それでもそうした事態を招いたのは結局は自らの怠慢なので、諦めとともに己自身に対する怒りを微かに感じながら、調理台の前に立って料理に従事した。大根、人参、葱、エノキダケ、牛蒡などを切り分け、台所の下部の収納から大鍋を取り出し、油を垂らして火に掛ける。チューブのニンニクや生姜を落としておき、凍った肉の塊をまず投入して、滑らせたりぐるぐる回したりした。そのうちに鍋の底がいくらか焦げついてきたので野菜を入れ、弱火で炒める。ラジカセからは、あれは多分クリスマスソングを集めたアルバムか何かなのだと思うが、歌謡曲をインストバージョンに仕立てた音楽が流れ出ていた。先ほど隣のTさんがやって来て、何だかよくわからないが座布団か何かをくれたと言うのだが、母親はそれについて、あんな地味なやつ、いらないんだけどなあ、とか漏らす。その世俗性――一種の情けの心から、「卑俗さ」とは言わないでおこう――は少々不快である。鍋には母親がさらに、玉ねぎや白菜などを追加し、肉が色を変えて大方ばらけたところで水を注ぎ、あとは頼むと言って下階に帰った。時刻は五時ぴったりである。前日のことをメモしたあと、この日のことをここまで綴れば五時半前。どうも気配からして、父親ももう帰ってきたらしい。
 一五日の日記を進めていると、階段下の室にいるらしい――年賀状の作業を行っているのだろう――父親がこちらの名前を呼ぶのが聞こえた。何かと応じれば、母親が呼んでいると。それで作文を中断して上階に行くと、おばさん(隣家のTさん)に料理を持っていくから手伝って、と。着替えてくると言って靴下を履き、下階に下りると、Bill Evans Trio "Alice In Wonderland (take 1)"を流して服を替えた。黒いスーツである。そうして上階へ行ったが、まだ準備ができていない。台所のストーブの前に立ち尽くして足を温めながら待つ。母親はぐずぐずとうろつき回っている。この時間でいくつも文を書けるのになあと思うが、詮無いことである。カウンターを通してテレビのニュースにぼんやり目を向けたり――しかし視力が悪いのでテロップも読めないし、何を言っているのか音声も定かに届かない――、母親の動きを眺めたりしながら待つ。一つのパックには素麺のサラダに、薩摩芋などが用意され、もう一つのパックには唐揚げが五粒――最初は四粒だったのだが、四個だと数が悪いかなと母親は言って、一粒、小さなやつを追加していた――と、菜っ葉の炒め物が入れられた。その他、豚汁。そんなに提供しなくても良いのではないか? おばさんは、そんなに食べ切れるだろうか? とこちらは思ったが、何も言わず、ただ待つ。しかも母親はこれらの準備を進めるあいだにも、Tさんがくれた座布団について、あんなものいらないのに、とか、あんなもの持ってこなければやらなかったけどさ、と漏らしている。それだったら別に、わざわざ料理をあげたりなどしなくても良いのではないか? この矛盾。いや、矛盾など、ここには何もないのかもしれない。しかし、母親の心理の働きは一体どのようなものなのか。どうしても、欺瞞性あるいは偽善性のようなものを感じてしまい、多少の不快を覚えないでもないが、まあそれも人間というものだろう――「人間」の前に、いかにも〈世間的な〉という形容を付すべきだろうか? しかし、いらないものを貰ったのにも関わらず、そのお礼として料理を返すということは、ここに内容を不問とした純粋な形式性のみとしての贈与関係が成り立っているのだろうか? ともかくも貰ったは貰ったのだから、何かしら返さなきゃ、という観念なのだろうか。
 用意ができると料理を盆に乗せ、その盆をこちらが持って、もう暮れきったなかを隣宅の勝手口へ。豚汁を零さないように慎重に階段を下る。戸口で母親が、おばさ~ん、となかに/奥に向けて声を張り、おばさんはそれに応じてゆっくりと姿を現す。Cちゃん、こういうの着る、と言って、自分の服の裏に着ている、毛糸で編んだ防寒着らしきものを示す。母親は、勿論いらないのだが、ストレートに断ることもできないから、大丈夫、と言ったあとに、これ、ユニクロのダウンジャケットが薄くて軽くて、手放せないから、と自分の羽織っているものを示して、理由づけする。あと、気を遣わないでね、座布団ももう三枚も貰ってるからと言って、要はもう座布団はいらないということを言いたいのだが、多分そんな遠回しな言い方では伝わらないだろう。料理を持ってきたことがわかるとおばさんは大袈裟に驚き、恐縮してみせる。悪い、悪い、と繰り返し、そんなに貰っちゃバチが当たる、と言う。それでも無論、最後には受け入れてくれるので、丼を持ってきてもらい、そこに豚汁を移した。たくさん食べてね、とこちらは顔を寄せて伝える。今帰ってきたの、と訊くので、これから、と答えて、それで退去。
 自室に戻ってそこまでの流れをメモに取ると六時二七分だった。出発することに。コート、ストール、バッグを持って上階へ。母親、送って行こうかと言うが、無論断る。まあ正直なところ、作文の時間を少しでも確保するために車に乗せてもらおうかと迷いもしたのだが。父親は寝間着姿で風呂に行った。玄関に向かうと、母親は、「かんぽの宿」の光を見たいと言ってついてくる。煩わしいが、こちらは何も言わない。家を出て道を歩き、坂道に近づくと、坂を下りてくる人影がある。母親の知人のようで、こんばんは、おかえりなさいと彼女は声を掛けた。相手は高年の婦人で、多分声を掛けてきたのが誰だかわからずに戸惑っていたようなのだが、Fですと母親が名乗ると同定したようだった。こちらもこんばんはと掛けながら、通り過ぎて先に行く。ちょっと話したあとに追いついてきた母親に、あれは誰かと訊くと、SMさんだと言った。坂を上っていき、出口付近に掛かると木の間がひらいて市街や川向こうの町明かりが露わになり、そのなかに「かんぽの宿」の灯火[ともしび]もあるわけだが、ほらあれ、綺麗だよねと母親は言う。そう同意を求められると、一人で見ればあるいは感じていたかもしれない叙情性のようなものが、発生する余地を失ってしまう。風景とは一人で見るものだ。同意を求める言葉/共有志向の暴力性。平凡な視点だが。
 往路はそれほど寒くはなかった。街道に出ながら、やはり一人でボロいアパートに住むしかないかな、と考える。現状、月に僅か一〇万円すらも稼げていないわけだが、将来的には頑張ってそのくらい稼ぐとして、いや、あるいはそれも無理かもしれないので、せいぜい月収七~八万円で生きていけないものか? 相当ぎりぎりの暮らしになるだろう。一時的に実現できたとしても、持続性がないと言うか、長いあいだそうした生活を続けるのはなかなか難しいだろう。病気になるかもしれないし。そんな生に一体何の意味が? と人は言うかもしれない――と、そう言った時に漠然と想定されているのは、例えばI.Sの奥さんとなったF田.Mさんだったりするのだが。と言うのも、何年か前に会った際に、それは確か河辺の居酒屋「はなの舞」でのことで、そこにはSはおらず、こちらと、S.H――F田さんとは立川高校で同級生だった――と、あと一人、誰かいたような気がするのだが、それは忘れた。その席で、自分は読み書きをして生きていきたいと思う、みたいなことを言うと、まあ、三〇歳くらいまでならそういう生活もいいかもしれないけどね、みたいなことを言われたような覚えがあるのだ。そうして今、その三〇歳を目前としている。彼女には多分、軽蔑されてしまうだろう。
 「意味」を求めがちな〈ドクサ〉――ロラン・バルトの語彙を軽率に/軽薄に/軽々しく取り入れてしまうが――に対する反感めいた思いもこの道中、街道を歩いているあいだには湧いてきた。そこで言う「意味」の範囲は非常に狭い。ロラン・バルトの語っていた二重の戦術を想起すること――しかしこれについては、のちに書くことにしようか。
 裏通りへ入ると、途端に車の流れの響き――機械的な、近代文明の〈川音〉――が遠のいて、静かになる。道中のことはよく覚えていない。多分、あまり周りに目を向けずに考え事をしていたと思うのだが、しかし何を考えていたのか、とんと思い出せない。僅かな印象の欠片も浮かんでこない。青梅坂を渡って直後、前方を猫が横切ったのは覚えている。猫と言うか、ほとんど暗闇の底に滲み出した色素のまとまりとしてしか知覚されなかったのだが、その場所まで行ってみてスナックと焼肉屋のあいだの駐車場に目を走らせてみても、猫の姿は発見されなかった。一体どこへ消えたのか。薄暗闇だけが広がっていた。
 一五日の記事をいい加減に仕上げなければならないぞ、と思っていた。帰宅後に書けるだろうか? 今日はこれでも、余計な時間はほとんど使っていないつもりではある。しかし、どうも追いつかない。日々に、日々の記述が追いつかない。そもそもベッドに留まりすぎだというのが根本問題で、そこを何よりも解決しなければどうにもならない。
 職場に到着する。準備をしていると、室長が、あとでクリスマスプレゼントを配ってくれと言って、レターボックスの裏に隠されてあった箱を示してみせた。コージーコーナーの洋菓子らしい。聞けば、シュークリームとプリンだと言う。了承し、準備時間では国語のテキストを読んだ。そうして授業。(……)くん(中三・国語)、(……)さん(中三・国語)、(……)さん(中二・英語)が相手。今日はちょっと(……)くんと雑談をしすぎた。そのためにほかの生徒が蔑ろになってしまったような向きがないでもない。(……)くんは気安く、やりやすいのは確かで、彼当人も楽しそうなのは良いことなのだが、雑談に時間を費やしすぎるのは考えものだ。問題も、見開き一頁、つまり一題しか終わらなかった。と言っても、今日は何やら彼は体調が悪いと言うか、とにかく頭が痛いと訴えていたので、ゆっくりやってもらって構わないと緩い方針を取ったので、別に良いのだが。(……)さんは、まあ一応問題はないのだろうか。大人しく、ほとんど黙っているような子なので、相互作用が発生しないから、有効な方策があまり取れないものの、問題は一応かなり解けてはいた。ただ、彼女に関しては、記述問題の解答が模範解答そのままだったりしたことがあって、どこかの隙で答えを見ているのではないかという疑いもないではない。(……)さんは、スペルミスが圧倒的に多い。今日は比較について確認。er及びestについては理解し、ひとまず頭に入ったとは思う。
 生徒の見送りをしたあと、同僚たちに声を掛けて、室長からのクリスマスプレゼントですよと言って、シュークリームとプリンをお披露目した。シュークリームは六つ、プリンは七つ、さらにジャンボプリンが一つだけあったのだが、今日の講師は七人だったところ、シュークリームが六つしか売っていなかったので、穴埋めとしてジャンボプリンを購入したのだと言う。従って、誰か一人はプリンを二つ貰うことになるのだったが、(……)先生がそれを申し出てくれた。家で待っている人がいるとのことで、それは勿論奥さんのことだろうが、大きなプリンを持っていって、「点数稼ぎ」をするとのこと。
 授業後、(……)さんが(……)先生と何やら話しこんでいた。様子を窺うに、どうも絵を見せているらしいと知れたのだが、終業後、甘味を配ったあとに、(……)先生に、(……)さんとお話しされていましたね、と声を掛け、何を話していたんですかと訊いてみると、やはり、デッサンを見てあげていたのだという返答があった。(……)さんは、芸術系の進路に進学したいらしい。(……)先生は高校から芸術科に行った人間なので、それでいくらかアドバイスを与えたとのこと。どうですか、素養と言うか、と訊いてみると、デッサンはまあ、時間を掛ければ誰でもできると言うか、才能とかよりも技術、テクニックの問題なので、回数を重ねれば遅速はあれ、誰でも到達するところは大体同じなんですよね、というような返答があった。私はそう思ってるんですけど、という留保も付されていたが、(……)さんの実力は、中学二年生ならばまあこんなものかな、というような感じだったようだ。好きな画家などいるのか、その辺を訊いてみたかったが、またいずれにすることにして、その辺りの話をまた今度聞かせてくださいと言って別れた。
 室長にプレゼントの礼を言って退勤。九時半を過ぎていたが、疲れたので――僅か一コマの労働で疲れたなどと言っていられないが――、電車を取ることに。駅へ入り、寒いにもかかわらず何故かコーラを買って飲んでしまう。夏頃は毎晩、勤務後にコーラを飲んでいたわけで、それによる糖分摂取が体重増加に繋がったのではないか? ベンチに就いて飲み、その後は手帳にメモを取る。寒い。風はさほど強くはないのだが、空気がちょっと動くだけで鋭い冷気が身体に触れてきて、ことによると身が震えそうな具合である。往路よりも格段に気温が下がったらしい。待合室に入れば良いのだが、何となく、密室空間のなかで近距離で他人と向かい合うというのが気詰まりなように思われて、敬遠するのだった。寒さに耐えながらメモを取り、一〇時一二分発の奥多摩行きがやって来ると乗った。ペンを動かしながら最寄りへ。
 降りて、駅を抜ける。坂道に入ると、上空に星がいくつか見える。照っている、と言葉を当てて、照っているというのは言い過ぎだなと払い、点じられている、とありがちだが穏当な表現に言い直し、次に比喩を考え、ボタンのように、縫いつけられている、とこれもありきたりなイメージだと思いながら頭のなかに言葉を回しつつ下りていく。道中、特に印象深いことはほかになかったと思う。と言うか、特段の印象に出会わないものだから、これはあとあと、帰路のことは特に覚えていないとか、そんな風に書くことになるだろうな、と思っていた。時空のさらなる細分化を図ると、当然、記憶が追いつかない箇所と言うか、微分の追いつかない部分と言うか、つまりは特段に何の印象も得られなかった瞬間というものが無数に発生するわけで、そうした時間のこともいちいち、何も覚えていない、とか、特に印象はなかった、とか律儀に書きつける、そういう書き方はどうかとちょっと考えたのだったが――つまり、「記憶/印象の不在」すらをも一つの差異として捉えるのはどうかと思ったのだったが、それも反復のうちに自ずと一つの技法として、一つの文章形態として〈固まって〉いってしまうわけだ。この日記という文章はその本質としてまったき反復の集積としてあるわけで、それを如何に発展させていくかと言うか、開発/変容させていくかということが、やはり勘所、困難な問題ではある。
 帰宅。下階へ。着替え。食事へ。メニューは何だったか? 米。豚汁。ほうれん草か何かの炒め物。薩摩芋やソーセージや唐揚げ。つまりは当然のことだが、おばさんに提供したのとほぼ同じメニューである。あと、素麺のサラダもあったのだ。そのサラダは、素麺のほか、細かく刻んだソーセージや、卵や、トマトや、細くおろした人参などが混ぜられ、和えられているものだった。まあわりと彩りがあると言うべきだろう。卓に就いて食事――夕刊を読んだのではないか――いや、違う、母親が風呂に入ってテレビを消しても問題なかったのを良いことに、つまり一人で食事を取れるのを良いことに、石川美子訳『ロラン・バルトによるロラン・バルト』を持ってきて、それを読みながらものを食べたのだった。頁はティッシュ箱で軽く押さえてひらいたままにした。食事を終えても母親は入浴中だったので、緑茶を注いで自室に帰り、室長に貰ったシュークリームとプリンを早速頂いた。そうして、一一時過ぎから、石川美子訳『ロラン・バルトによるロラン・バルト』の記述を読書ノートにメモ。ここで多少の思念がまとまりを成したので、と言って断片だが、それをついでに読書ノートに記録しておいた。一つは〈主流派〉による意味の固化、停止、〈行き止まり〉、一つの意味への還元、非多様性、〈横滑りのなさ〉などのテーマについてである。二つ目は存在そのものとしてスキャンダルであるということについて。これらは入浴中にもまた思い巡らしたので、そちらで書こうか。三つ目は、ロラン・バルトの二重戦術についてで、彼は〈ドクサ〉に対してと、「学問」のディスクール/言述に対してでは、意味を支持/擁護するか、意味の免除を主張するかで戦術を変えなければならないと言っているのだが、それとおそらく逆の形で、我々も二方向的な戦術を取らざるを得ないと思ったわけだ。つまり、バルトは〈ドクサ〉のなかにも意味の消失/免除を求める志向があると指摘して、「「ドクサ」もまた、意味を好ましく思っていないのである。ドクサから見ると、意味は、際限のない(止めることのできない)理解不可能性のようなものを人生に対して持ちこむという誤りを犯しているのだ」(石川美子訳『ロラン・バルトによるロラン・バルトみすず書房、二〇一八年、120)と分析しているが、少なくとも現今の日本社会においては、これとは逆の事態が支配的に進行しているとこちらには感じられる。つまり、ここでの〈ドクサ〉は絶えず、物事の意味を一箇所に還元し、停止させようとする。一つ目のテーマと繋がってきたのでここにもう書いてしまうが、〈ドクサ〉が求める意味の固化とは、〈有用性〉(「役に立つ」こと)及び〈経済性〉(「金になる」こと)の二つである。一般世論、言わばプチ・ブルジョアイデオロギーは、この二つの意味を熱心に擁護し、支え、この二様態に世界を停止させようとする。まずこの段階が一つにはある。そうしてしかし、さらにもう一段階の支配的な意味観念があるだろう。つまり、〈すべての物事にはどんな意味であれ、ともかくも意味がなければならない〉という観念である。歴史には、文化には、活動には、営みには、世界には、人生には、〈何らかの意味がなければならない〉。従って、〈ドクサ〉に対して抵抗する立場の人間も、また別の意味を称揚することでそれに対抗する、という戦術を一般的に取るわけだが、それはそれで良いとしても、つまりは〈意味を広げる〉ことに寄与するとしても、そこにもまた、もう一つの、もう一段階別のドクサがあるわけだ。それが先にも記した、〈意味がなければならない〉のドクサである。これに対してこそ、抵抗しなければならないはずなのだ。こちらが目指すところの〈無償性〉がそういうものであって欲しいと一応思ってはいるのだが、それが本当にそのように機能するかどうかはともかくとしても、しかしもう一つの問題としてさらに、ある領域においてはこの〈無償性〉こそがまた一つのドクサになる、という事態が考えられる。例えば、いわゆる「芸術」の領域あるいは「学問」の領域がそうなりやすいような気がするのだが――いわゆる「無駄である/役に立たないが故に美しい」的な言説のことである。と言って同時に、それらの領域もまた、今日では「世論」から絶えず繰り出される意味の付加への圧力に厳しく晒されていて、それに応じて自らの活動に何らかの意味を設定しなければならない事態に追いこまれているわけで、やはりどちらかと言えば〈意味がなければならない〉の観念が支配的なイデオロギーとして蔓延しているように思われるが――、そこではまた戦術を変えなければならないわけだ。つまり、そうした領域に対しては/おいては、敢えて意味を求め、与え、明確化していなければならない。この可変性及び可動性――ロラン・バルトとは逆の形での、二重の、二方面性の戦術が必要なはずだというわけだ。
 付言しておくと、と言うか、これは風呂のなかで考えたことだが、〈無償性〉は無意味であるということではなく、意味不明であるということでもない。なぜならそれらは即座に「ナンセンス」として〈主流派〉に回収されてしまうからだ。そうではなく、それは、この上なく明晰でありながら同時に、言わば〈理解不能〉である、ということだ。ということはつまり、非常に大袈裟な/大きな/強い言葉を使うならば、一つの〈狂気〉としてある、ということであり、ここでミシェル・フーコーの仕事との接続が視野に入ってくることになる。言うまでもなく、『狂気の歴史』の成果及び、「外」を志向する彼の文学論・芸術論との接続可能性である。困惑/当惑させる存在、イデオロギーを揺るがせる存在(「破壊活動」として回収/還元されることなく)、そうした様態として〈革命的〉であること――と一応言ってみたいのだが、しかし〈革命的〉というとても大きな/大仰な言葉を使うにはちょっと自信が足りない。バルトはスキャンダル的と言うか、パロディ的な働きと言うか、体制内異分子的なあり方と言うか言わばスパイのような戦術をエクリチュールの革命性として見なしていたようなのだが――少なくともある時期までは――、こちらとしては今のところはせいぜい、感化的/感染的であること、というようなところを穏当な目標として掲げるに留めておきたい。
 そんなようなことを考えながら湯を浴び、出ると部屋に戻って、まず風呂のなかで考えたことをちょっとメモした。その時点で既に零時二〇分に達していたのだが、一五日の日記をいくらかでも進めておこうと取りかかり、そうすると結局一時間書き続けることになった。(……)二時前から石川美子訳『ロラン・バルトによるロラン・バルト』のメモをふたたび始めた。二時半まで作業を続けて、就床。


・作文
 14:52 - 15:30 = 38分(24日)
 17:00 - 17:11 = 11分(23日)
 17:11 - 17:27 = 16分(24日)
 17:28 - 17:50 = 22分(15日)
 18:15 - 18:27 = 12分(24日)
 24:10 - 24:19 = 9分(24日)
 24:21 - 25:20 = 59分(15日)
 計: 2時間47分

・読書
 13:28 - 14:06 = 38分(過去の日記やブログなど)
 14:19 - 14:51 = 32分(「思索」)
 16:07 - 16:36 = 29分(バルト)
 23:08 - 23:37 = 29分(バルト; メモ)
 25:52 - 26:31 = 39分(バルト; メモ)
 計: 2時間47分

  • 2018/12/24, Mon.
  • 2014/3/31, Mon.
  • fuzkue「読書日記(164)」: 11月21日(木)
  • 「わたしたちが塩の柱になるとき」: 2019-12-22「瞳孔が開く速度で駆けつけることができたら愛と呼べたら」; 2019/12/23「みずからの影を足元から剥がし丸めて運ぶあなたに贈る」
  • 「at-oyr」: 2019-12-13「消費期限」; 2019-12-14「鰻」; 2019-12-15「1R1分34秒」
  • 「思索」: 「思索と教師(7)」(http://ukaistory.hatenadiary.com/entry/2019/12/17/040507
  • 石川美子訳『ロラン・バルトによるロラン・バルト』: 200 - 229, 298 - 301; メモ: 121 - 152

・睡眠
 2:30 - 12:50 = 10時間30分

・音楽

  • Charles Lloyd『Sangam』(BGM)