この意味で重要なのは、この書簡から五ヵ月後の一九二〇年二月に発表されたナチ党二五ヵ条綱領である。この綱領は、ヒトラーが当時の党首アントン・ドレクスラーと共同で作成したものであるが、ここでは、ユダヤ人など「ドイツ人の血」を持たない「非国家公民」は「客員としてのみ」ドイツ国家に居住が許され、「国家の指導および立法権」から排除され(第四条)、経済的困難のさいには、「国家から追放」される(第七条)、とされている。一見して、明らかなように、ここでは、ヒトラーの一九一九年九月一六日書簡の思想がそのまま綱領化されており、Entfernungの部分が「国外追放」を意味していることは明らかであろう。
(栗原優『ナチズムとユダヤ人絶滅政策 ―ホロコーストの起源と実態―』ミネルヴァ書房、一九九七年、12)
正午前まで堕落。早い時間に一度ならず目覚めたのだが、昨晩の疲労が持ち越されていると言うか、端的に頭痛が解消されていなかったので再度寝つき、一一時頃から意識はわりあい晴れていたのだけれど、身体を持ち上げられず、陽射しを顔に受けながらだらだらと布団のなかの安息を貪る。父親が帰ってきたらしい気配を機にようやく起き上がることができた。ダウンジャケットを持って上階へ。おめでとうございますと両親に挨拶。カレーの香りが漂っていたのでカレーかと訊けば、ドライカレーあるいはカレーピラフの類だと言う。ジャージに着替えると台所に入ってピラフを皿に盛り、電子レンジへ。野菜の汁物も椀によそって続けてレンジへ。卓に就いて食事を取りはじめる。新聞からは国際面。イランの米大使館が襲撃されたとの報。また、台湾で「反浸透法」なるものが制定されたとも。中国のスパイ活動などを取り締まるものらしい。それを見ながら食っていると、正月の栗きんとんや昆布巻や黒豆や、蛸やら蒲鉾やらが用意されるので、カウンターの上から受け取って卓に運ぶ。両親はビールを注ぐが、こちらは水である。一応乾杯。山葵醤油で酢蛸をたくさん頂く。テレビはニュースのあとはおよそどうでも良い番組。橇レースみたいな催し。あるいは駅伝。食べ終えると皿を洗い、風呂も洗った。そうして緑茶を用意して自室へ。
コンピューターを準備して、Evernoteをひらき、前日の記事の日課記録を完成。そうして、「日記: 2020年」という新しいカテゴリーを作って、そこに今日の記事も新規作成。そうして一年前の日記を読み返しはじめた。BGMは、"I Didn't Know What Time It Was"が頭のなかに流れて仕方がなかったので、Sarah Vaughan『Crazy And Mixed Up』。大したものではないが、まあそれなりと思われる描写は以下のもの。
「六時半前に達してカーテンをめくると、山際に沿ってオレンジ色が横に塗り込められて帯を成し、それを背景に密集する枯れ木の影が黒く生えている。ごく細い月が直上西寄りに出ていた。雲は山の向こう、空の低みにあって横向きに長く、水っぽい青の色で垂れているのみで、天上はすっきりと払われている。六時四五分頃になると、曙光の色はかえって抑えられて空の青も和紙のように淡くなる」
「木の間の坂では常緑樹の葉の上にやはり白さが溜まって、緑と白とで稠密な、しかし整然とはしておらず少し型破りなチェック模様のようなテクスチャーが出来ていて、目にざらざらとした感触を与える」
また、先日、クリスマスカードを送ってくれた(……)さんに礼のメールを送っておいて、先ほどgmailを見るとその返信が届いていたが、この一年前にも彼にへ新年の挨拶がてらメールを認めている。その一節をここに引いておく。
今回の件を通して、やはり自分には日記を書くことしかないと改めて確信しました。実際、文章をたくさん書けるようになってからのこちらは調子が良く、感情が完全に戻ったわけではありませんが、読み書きも充実していると思われ、自分は現在の状態に概ね満足しています。結局自分にとっては、毎日書くこと、やはりそれが重要なのだということを強く再認識しました。たとえたったの一行であっても毎日書けていればそれで良い、それを本当に、この世から彼岸へと去って行くその日まで続けることができたならば、それはなかなか大したことではないでしょうか? 自分は日記を書くことによって、つまりはこの世界から意味を読み取ることによって、自分の生に意味を与えているのだと思います。絶え間ない生成の差異/ニュアンスを取り込むことによって、生命を活性化させているとも言えるかもしれません。
ちょうど一年前の日記でも考察したことですが、自分の生の隅々まで隈なく目を配り、それを言語化するということは、こちらにとっては書くことと生きることの往還のなかに自分を投げ込み、それによって、彫刻家が鑿を使って木や石から像を創り上げるように自己を彫琢し、洗練/変容させて行くという意味合いを持つものだと思います。短く言い換えればそれは、自己を芸術作品化して行くということです(ミシェル・フーコーが晩年に追究していた主題です)。それはさらに換言するならば、自己のテクスト的分身を作り、それとのあいだに相互影響関係を築くということですが、要するにテクストそのものになりたいということ[﹅18]、それがこちらの欲望の正体なのかもしれません。
さらに、これより一年前、二〇一八年一月一日の日記から、当時自分が襲われていた不安についての考察が一部引用されており、それもなかなか面白いので改めてここに載せておく。
ウィキペディアの「解離性障害」の記事には、「離人症性障害/現実感喪失」という項目があり、そこに定義要件の一つとして、「自分の精神過程または身体から遊離して、あたかも自分が外部の傍観者であるかのように(例えば夢の中であるかのように)感じることが持続的または反復的である」と書かれているのだが、これは自分の感覚にぴったりと適合する記述である。自身を絶えず観察/傍観し続けるというのはヴィパッサナー瞑想の中核を成す技法であって、したがってヴィパッサナー瞑想はそもそも、場合によっては離人症を促進するような性質を持ったものだと言えるのかもしれないが、自分の場合さらにそこに「書くこと」に対する欲望が結びついて、「観察」がほとんどそのまま「言語化」として定式化されてしまった。感覚的直接性を絶えず言語に変換しようとするのがこちらの主体としての存在様式なのだが、それによって感覚的直接性が切り離され、この世界そのものが記号の体系として現実感を失ったものとして構成される、それが怖いのではないかということである。
元々自分は、自分の体験したもの、この世界の豊かさを隈なく書き記したいという欲望を持っており、物事をより緻密に感じ取れるように感受性を磨くことを目指してきた。だから当初は感覚が大元としてあり、それを表現/記録するために言語を使う、という関係だったはずが、言語的能力(文を作成する能力)が発展してくるにしたがい、いつの間にか言語の地位のほうが優勢になってしまうという転倒が起こったのではないだろうか。つまりは自分の体験がすべて言語に還元されてしまい、感覚的直接性を確保できなくなるかのようであること(これが離人感というものだろう)に不安を覚えるのではないか。
別の説明の仕方をしてみると、世界の認識における区分として、まずカントが「物自体」と呼んだこの世界そのものの姿、というような段階がある。これがどのようなものなのか我々人間は知ることができず、人間が認知することができる世界の像は、人体の感覚器官を通して構成されたものにならざるを得ない。これが通常「世界」とか「現実」とかと言われているものであり、先ほど言及した「感覚的直接性」もこのレベルのものとして考えている。この「世界」は言わば、「物自体」の表象としてあると考えられるわけだが、この上にさらに、二番目の「世界」の表象として、言語によって構成される意味論的体系の領域としての世界像が個々人において作り出されるだろう(それを「物語」とか「フィクション」とか呼ぶはずだ)。二層目の世界像と三層目の世界像は勿論相互に関連し合っており、そう截然と区分できるものではないはずだが、自分は今まで、感覚的直接性の世界の「真正性」を信じていたはずのところ、言語的に構築された世界のほうが優勢になってきて、言わばそちらのほうが「リアル」に感じられるようになり、感覚世界の像が相対化されて崩れていく、それに不安を感じているということではないのだろうか(要はこの世界そのものが記号の体系(「テクスト」)として、「フィクション」としてますます感じられるのが怖いということではないか)。
(2018/1/1, Mon.)
その後、二〇一四年四月八日の日記、(……)「読書日記(……)」、(……)さんのブログと読む。読み物に触れているあいだ、Sarah Vaughanが流れているわけだが、二曲目の"That's All"もかなりの好演で、特に終盤の盛り上がりなど凄くて、思わず目を閉じて聞き入る。それから三曲目の、例の"Autumn Leaves"の名演もそのまま聞く。指を鳴らす。この音源は、完璧な統一性に満ち満ちている、という感覚ではないのだが、何と言うかとにかく勢い、強靭さみたいなものが凄い。だからと言って、粗い、というわけでもない。相当に高度な領域でのアンサンブルなのだが、窮屈になっていない。圧倒的な、圧巻的な強度。
それから、「(……)」を一記事。二〇一九年一〇月二八日。江川隆男『超人の倫理』から諸々の引用。
《私たちが普段から理解している意志とは、次のようなものです。目の前の或る物は、だれにでも必然的に知覚され認識されるが、その物を肯定するか(意欲するか)、否定するか(意欲しないか)は、その物の認識や知覚の後で、それらとは別の能力である意思によって為されるのだ、と。》
《これに対して、ニーチェが提起する力能の意志は、自由意志や意志一般とは直接には何の関係もありません。力能の意志は、むしろ認識と意志との、あるいは知性と意志との、あるいは感性と意志との同一性をあらわしていると言ってもよいでしょう。そして、この同一性が、遠近法主義における解釈と言われているものなのです。》
《(…)意志とは何でしょうか。それは、何よりも〈肯定する能力〉あるいは〈否定する能力〉です。》
《しかしながら、(…)意志は、認識能力と別の能力ではありません。言い換えると、物の観念そのものが、つまり或る対象の観念それ自体が、肯定・否定の意志的な作用をもつということです。》
《意志を結びつけて自由を考えることは、道徳的思考のもっとも典型的な表象だと言えます。逆に言うと、道徳的思考や感情は、自由を意志と関係づけることでしか考えられないのだとも言えるでしょう。端的に言うと、道徳とは、知性や感性から意志を区別することそのもののうちにあると言えます。》
《これに対して、これまで述べてきたような倫理作用の発揮にこそ自由があると考えること、これは、それ自体がまさに非人間的な様態の産出であり、超人の感性の産出につながっているのです。(…)自由とは、個人が、たとえ人間の道徳のうちにあっても、部分的に個人化して超人の倫理へと移行することなのです。》
《人々が一般的に意志と知性とを区別しようとする理由は、何とか愚鈍(=判断力の欠如)に陥らないようにと努力し続ける道徳的な〈人間=動物〉の産出のためだったわけです。》
《(b)判断をおこなうのは、意志ではなく、知覚や認識それ自体であるということ。したがって、人間に判断を控える自由な力があると考えることは否定されます。
というのも、判断を保留する場合、それは、自由意志によってではなく、その物事を十分に認識していないことによって判断が差し控えられているからです。》
《改めて自由意志とは何かと問いましょう。それは、認識や知覚が非十全であればあるほど、つまりそれらが虚偽の観念から成立していればいるほど、そうした認識や知覚に対して或る決定の形相を与えていると強く実感すること以外の何ものでもありません。すなわち、意志とは自らの出自である欠如性を埋めようとする意識なのです。》
《人間は、自然現象の背後にはその本質としての自然法則があると考えてきました。そして、人間は、それを理解することこそが、自然そのものを、つまり自然(=神)の意志の表出を理解することであり、また自分たち自身が自然を支配することにつながると考えてきました。言い換えると、この限りで意志の問題は、究極的には神の位置を人間が占有することの問題へ帰結していくのです。》
《ニヒリズムとは何でしょうか。》
《第一にそれは、自分たちより高い存在---すなわち、個々の人間の生を超越した価値、例えば〈善〉あるいは〈真〉---を想定して、自分たちの現実の状態、つまり実存の価値を低く見積もるという人間に本質的な傾向性のことです。》
《第二にそれは、そうした諸価値がまやかしだと気づいて、自分たちの実存を遅ればせながら肯定しようとするが、実際にはすべてが手遅れで静かに死に行くことしか残されていないことに人間が気づいていく仮定でもあります。》
《私たちがいる地点は、実はこの第二の過程のほんの入り口にあります。しかしながら、それでも重要な問題が、この地点ではじめて提起可能になります。つまり、こうした受動的消滅に対して、別の仕方での消滅を考えることができるということです。それは、まさに積極的な消滅の仕方、すなわち「能動的破壊」です。》
読むと二時一九分。流していたSarah Vaughan『After Hours』を止め、上階へ。アイロン掛け。台を炬燵テーブルの端に置く。父親は炬燵に入りながら腕を組み、目を閉じている。シャツ三枚を始末。エプロンも一枚。テレビはどうでも良いバラエティ番組。三〇年前に人気だった呉市で飼われている鰐・カイマンくんの現在は、みたいな企画。およそどうでも良い。映像的に辛うじて価値があるのはその鰐の黒々とした鱗の質感の具体性のみ。アイロン掛けを終えると台を元の場所に戻しておく。その直前に、誰か尋ねてきた者があってインターフォンが鳴り、出ていった母親は高い声で何か言葉を交わしていた。こちらはシャツを階段の途中に運んでおき、自分のもの一枚は自室に持ち帰ってきて、音楽――Sarah Vaughan『After Hours』――を復活させてこの日の日記に取りかかった。ここまで綴って三時直前。
それから、二八日の日記を綴りはじめた。『Sarah Vaughan』をBGMにして一時間半。四時半過ぎまで掛かって完成。ブログとnoteに投稿。Twitterに投稿通知を流すのは止めたし、Twitterのプロフィール欄からもブログへ接続するURLは消去した。TwitterはTwitter、ブログはブログとしてやっていくつもりである。二八日の日記を投稿したあとは、さらに二九日の日記も書いた。と言っても、この日の記事はもうほとんど綴ってあって、あとは読書ノートに記したメモを反映させるのみだったのだが、それは新しい文章を作るのではなく、ほとんどそのまま写す行為になってしまった――読書ノートに文言を記した時点では、日記を書く時にもっと詳しく、細密にまとめようと思っていたのだが、改めてそうするのも面倒臭くなってしまったのだ。それで一五分で完成させ、二九日の記事もブログとnoteに投稿した。そうすると五時に至ったので、食事の支度をするために上階へ。
台所に入りながら、母親に、カレーで良かろうと告げる。レトルトのカレーで、と。しかし母親は、唐揚げを揚げるつもりだと言う。翌日、(……)の祖母宅に行く際に持っていくのだということ。ほか、昼間のドライカレーあるいはカレーピラフもあり、野菜の汁物もあり、米も釜に残り少ないので、カレーではなくて唐揚げのみ揚げれば良いだろうと合点した。それで手を洗う。底のやや深いフライパンに油が注がれ、左の焜炉の上に置かれる。ボウルに仕込んであった鶏肉に片栗粉か何か、白い粉を混ぜて、しばらくしてから一粒を試しに油のなかに投入する。まだ加熱が足りない様子だった。待つ合間に食器乾燥機のなかの食器を片づけていたのだが、そうするとそのあいだに一粒入れた鶏肉が、随分と焦げてしまったので、それは責任を持ってこちらが即座に頂いた。その後、揚げていく。揚げているのを待つあいだは、仁王立ちして腕を組み、目を閉じたり、首をゆっくり回したりして時間を潰した。三〇日に(……)さんと話した事柄などをちょっと思い返したはずだ。ほか、昨日の日記に記した〈原 - 言語〉についてもまたいくらか考えたのだが、どういうことを考えたのかは覚えていない。と言うか、特に新しい発想や論理や〈塊〉は生まれなかったように思う。気になっているのは、この脳内で蠢く言語の動き/様態を、エクリチュール及びパロールとは別次元の言語的秩序として、何か思考のなかに組みこんでいけないかということである。そうこうしているうちに、すべて揚げ終えた。そのほか、合間に大根とシーチキンも似られていたし、その後――すなわちこちらが下階に帰ってから――母親はキャベツの生サラダを拵えたようだ。こちらと母親が立ち働いているあいだ、父親はずっと炬燵に入ったまま、眠ったり、テレビを見たり、携帯を見たりしていたようだ。
六時直前になって自室へ回帰。高橋行徳『開いた形式としてのカフカ文学』を読むが、この人の論述というのは、結局大方においては伝記的/心理的批評と呼ばれる類のものだと思われるし、要は結構、根拠不明瞭な想像が含まれると言うか、こちらの感覚では、その事柄は果たして言えるだろうか? と疑問に思ってしまうような記述が端々に見られる。別にテクスト外のことを想像することそれ自体は悪いことではないと思う。ただ、想像や推測に過ぎない事柄を、まるで根拠をもって確定することのできる事実であるかのように書くのは、個人的な評価基準として頂けない。想像であるならば、想像であるということをきちんと明記したり、あるいは「~~かもしれない」とか「~~と推測される」みたいな言辞を使ってほしいと思う。それが許されないのが学術論文という分野の文章なのかもいれないが――そんなことを言っていたら、ほとんどの事柄が想像や推測の類になってしまって、文章が全体として曖昧模糊極まりないものと化してしまい、確定的な断言がほんの僅かしか見られなくなるし、内容のあることが言えなくなる、という事情もあるかもしれない。ただ何だか、こちらの感覚として、テクストにあまり緻密に基づかない想像や推測を滔々と語られても、全然つまらない。テクスト外の事柄に向かっていくならいくで良いのだが、それにもやはり適切な手順というものがあるはずで、あまり厳密でない情報を根拠にしたり、根拠不明瞭なまま〈一息に〉飛んでいく、そういった記述には知的興奮のようなものはやはり感じるべくもない。学術論文というジャンルでなく、作家自らの主観性を題材としたエッセイと呼ばれる分野の文章であれば、そういうこともやりやすいのかもしれないが。まあつまりは、端的に言って、論理的でないと言うか、論理のあいだに隙間が多いと言うか――この「隙間が多い」というのは、勿論、風通しが良いとか、高度で魅力的な飛躍があるとか、そういった肯定的な意味とは別物である――、穴が多いと、単純に読んでいて気持ちが萎えるようなところがあるわけだ。テクスト外のこと――つまりは作家当人の内面や思考など――に到達することは、そんなに簡単なことではないはずだ。むしろそれには、テクストを内在的に、緻密に読み解くよりも丁寧な論証過程が必要なはずである。なぜなら、明らかに、言語的構成物であるテクストよりも、〈現実世界〉の方が豊かで複雑だと思われるからだ。蓮實重彦が、何故いわゆる伝記的/心理的批評を取らないのか、みたいなことを問われた時に、単純な話、自分には、人間の頭のなかというもの、作家の内面というものは、わからないんですよ、みたいなことを言っていたような覚えがあるが、今書抜きを読み返していて該当箇所を発見したので、下に引いておく。
磯田 批評というものを考える場合、作品論ならば表層の分析が可能ですね。作家論となると、蓮實さんにおける作家の概念はいわば表層から還元された一種の虚構のイメージとして受け取れるわけですけど、生身で生きている作家に対しては、徹底して禁欲的になっておられるようですが。
蓮實 禁欲的というわけではなく、ごく当り前なかたちで、生身の人間はわからない。生身の人間をわかる唯一の方法は、ぼくならやはり触れることだという気がします。その人の頭の中に蠢いていること、心の中にあることが、ぼくに触れ得ないことであったならば、その人の言葉に生身のかたちで触れておこうということです。
(蓮實重彦『饗宴Ⅰ』日本文芸社、1990年、47)
そういうわけで、こちらが魅力を感じる批評というのは多分、まずは徹底してテクストにつく、徹底的に厳密にテクスト、書かれてあることに肉薄する、しかしその肉薄、密着、その果てに何故かふっとその外の事柄が見えてきてしまうというか、地中を掘り進んでいたと思っていたら地面の裏から外の世界に貫通してしまったみたいな、内在の極北で内破的に外に出てしまうみたいな、そういう種類のものなのではないかと思う。まずは言語につくこと。これが基本と言うか、批評家を名乗るすべての人間において共有されていなければならない最低限の原則であるように思うのだが、不思議なことに、それはあまり広く守られていないような印象を受ける。
一時間ほどで高橋行徳『開いた形式としてのカフカ文学』を読了。時刻は七時。次いで、同作の読書ノートへのメモに入るのだが、記録しようと思っていた箇所――それが肯定的なものであれ、否定的なものであれ――の頁を手帳に記しておいたので、それを見ながら該当頁を参照してみたところ、あまり気持ちが乗らないと言うか、自分にとってそれほど重要な著作でもなかったので、細かくメモを取るのが面倒臭くなってしまった。それで結構省略しつつ、と言って三〇分は掛けたのだが、読書ノートに文言を引いて、七時半過ぎ。音楽はWynton Kelly Trio/Wes Montgomery『Smokin' In Seattle: Live At The Penthouse』を背景に流していた。このアルバムの冒頭、トリオでの"There Is No Greater Love"はかなりの演奏ではないか。思わず、机を指で叩いてリズムを取りながらしばらく聞き入る。
そうして食事へ。母親が蕎麦を茹でておいてくれ、つゆも作っておいてくれたと言うか、どうも元々作られてあった汁物を改変したもののようだったが、あったので、それに蕎麦を入れて煮込む。ほか、固くなった米や唐揚げやキャベツの生サラダ。卓へ。食す。テレビは何だったか忘れた。いや、思い出した。『ブラタモリ』だった。この日の放送は、『ブラタモリ』と『鶴瓶の家族に乾杯』が合体したような形らしく、タモリと、女性アナウンサーと笑福亭鶴瓶の三人が、沖縄を訪れているらしかった。『ブラタモリ』は、別段見つけているわけではないけれど、見ればなかなかに面白い。昔の沖縄人の世界観が紹介されていた。彼らは世界を平面として捉えていて、太陽は東にある穴から毎朝出てきて、西の穴から地中に落ちていき、夜のあいだ地下を移動してまた翌朝に東の穴から昇ってくる、と考えていたらしい。その太陽の道行きを模した、あれは遺跡なのか何なのかよくわからないが、そういう場所が紹介されていた。以上のような世界観だったので東というのは沖縄人にとっては神聖な方角であり――これは仏教の「西方浄土」とは逆なわけだ――、沖縄本島から東に向かうと久高島という島があるらしく、その島は神の島と呼ばれていたと。さらにその久高島より東の果ての領域を「ニライカナイ」と呼ぶらしい。それで次に、斎場御嶽[せーふぁうたき]という神聖な祈りや儀式の場に舞台は移った。昔は男性禁制の場所だったらしい。神事を司っていたのは女性だったと。祈りの場は、岩場なのだが、巨大な岩と言うか、崖のような岩の下部がちょっと空洞になっていると言うか、スペースがあるみたいな、そういう場所で、タモリが、あの岩は何だかわかりますか、と尋ねられて、事も無げに、琉球石灰岩ですか、と正解を答えるのが面白いと言うか凄い。そういう地質学と言うのか、そういうジャンルも掘り下げれば面白いのだろうなと思う。レヴィ=ストロースも確かそちら方面の学問が好きだったのではなかったか? 『悲しき熱帯』のなかで、自分の思考方法を形作ったのは、フロイトの精神分析と、そういう地質学的なやつと、あと一つ何だったか、マルクス主義だったか何だったか忘れたが、何か三つの学問を紹介していたような覚えが微かにある。その岩場の天井からは鍾乳石めいたものが垂れ下がっていて、曰く、そこは昔はすべて鍾乳洞だったのだと言う。それが崩落して、一部残った場所が祈りの、神聖な場所になったと。
そんな番組を見ながら、父親が切って持ってきてくれた酢蛸を山葵醤油につけて食う。そうして食後、皿を洗っていると、ロシアの兄夫婦からビデオ通話が掛かってきた。皿を洗い終えると両親の傍に行き、顔を見せて(……)ちゃんに声を掛けたが、昨晩も一応通話したし、そう長く付き合わなくても良かろうというわけで、しばらくすると下階に下りて急須と湯呑みを持ってきて、緑茶を用意して、両親が画面の向こうの(……)ちゃんに声を送っているのを尻目に自室に帰った。そうして(……)さんのブログを読む。「思索」: 「思索と教師(12)」((……))。
「結局、たとえば、キリスト教徒になるというのは、戦争で言うところの戦地における死から考えて日常を送ることである」
「目の前の10人に語っていようが、愛する個人に語っていようが、数少ない真摯なキリスト教徒というのは、あくまでも神の側から接するのである」
「自分自身は神の器だが、その習慣や知識や人格が、不完全でありながら、やはり有限性の中に投げ込まれている事実は疑いようがない。したがって、その不完全な器を、徹底的に神のみに向かって育て上げることが、最低限の準備である。真摯で徹底的な自己批判を忘れずに生きる必要はあろうが、神の器である自分自身が卑屈になっていては、福音は広がらない。信仰は個人の利己の問題ではないからこそ、自らの自己検討と他者との関わりにおいて、尊厳と自信を持つ必要がある。だが、それは、自己愛に染まってしまうことではなく、未だ「新しい」などという古い概念によって定式化することすらもできないnot yetを厳しく思索することである」
「信仰における最も荘厳さを持つ死とは、準備が成熟したあとに、同胞と一緒にちゃっかり決意する死ではなく、自ら以外に誰もいない中で、究極的な未来のために、狂人として死ぬことである」
「信仰の彼岸にある者には確信と目的がある。なぜかと言えば、豊作祈願のように、現前性における「あれ」や「これ」に回収されないが、その所以と目的を明らかにしてくれる無限の背景が、自らの狭隘で判断のつかない思考を超えて、自らとともにあるからである」
「信仰の彼岸においては、自らが信仰において生き、そして死ぬことそのものが、「被る」ことである。仮に当人が神を守ったり、議論によって正当化したりする気がなくとも、信仰者として、未だ想像すらもできぬ、神の開きから考え続けて行動し続けることが、その証明となる。「被る」というのは、信仰者として生き抜くことにより、曖昧に肯定された現在に対してあまりに強い摩擦を与え、その摩擦によって現在に投げ込まれざるをえない私という一人の人間が、消滅することである」
「信仰者として生きるというのは、現在に対する摩擦が、各方面から、あまりに強いことによって、私という人間が、その絶対的な未来によって消滅させられることである。いわば、神に殺されることによって、初めて信仰者は現在に現前する」
「人間が思考する存在である限り、カントから逃れることはできない。だが、カントにおいては、信仰の規準が、全て人間の思考から考えられている。キリスト教が持っている存在論的関心が、認識論的関心に狭められている」
「全く無知で口下手であっても、「神」が一体何であるかが分からなくとも、そして聖書読解が進んでいなくとも、存在論的な確信において、そのために死を選択して知らない世界に飛び出す狂人がいる」
「哲学が魅力的であるのは、自らは真理を分かってしまったという思い込みが流布した世相において、今一度考えてみようとこだわる姿勢を肯定するところであり、それを行うための思想運動が起こり続けることである。だが、それらがどれほど魅力的であるとしても、それらのうちの一つを「答え」だと言い切ることはできない」
「ハイデガーは、哲学史を人間の歴史と同一視している感が否めない。カントが信仰を認識論に還元してしまったように、ハイデガーは信仰を、存在論の哲学史に還元してしまった」
「言われることによって思想や事実が記録されるのは言うまでもないが、それがなければ、存在論的関心事すらも失うというのは、ある意味では、近代特有の実証主義的見方に囚われた悪しき結果ではないか」
「信仰の唯一の確かさとは、確信を持って死に向かう者が生まれるということである」
「死に向かって動いているとき、それがキャンセルされた瞬間、私自身は死ぬはずであったのに、死なない。三島は、その事実に落胆し、自分の意思で止めることができない時間の進みに身を任せるほかになかった」
「戦争には多大な問題があったが、少なくとも、その連続性において、信仰すべき「大義」があったと三島は言う。現代においては、「大義」が持てなくなったので、死が意味を持たなくなった。死は、生物学的・物理学的な死のみであり、人間の試みにおける死が想定できなくなる。三島によれば、太平の世の江戸では、一応のところ、死を思い描きながらも、畳の上で死んでいったが、現代においては、死を思い浮かべることもない。「死が生の前提となっている」という緊張状態がなくなるのである。無論、民主的な社会体制の中では、その必要もないわけだが、その緊張状態がなくなった者においては、死が念頭から消えることで生が曖昧に肯定させられ、生を謳歌したり、意味のある生を送る問題が消滅する。こういう時代においては、思想も信仰も育たないのは言うまでもない」
「だが、私という有限で歴史的存在が、存在しない可能性が想定できる者においては、単に生きているから結構、ということにはならない。明日、あるいは今、死ぬ、という可能性が開けており、まるでナイフの切っ先の上を歩いているような緊張関係を保つからこそ、死の対局において、生を試みるために、躍動感が生まれる」
「人は抽象的なデータからは学ばない。極端な一事例に何度も立ち戻ることによって、学ぶのである」
そうすると八時四五分ほど。次に何をするかと迷いながら、とりあえず日記を書くことにした。この日のことである。高橋行徳『開いた形式としてのカフカ文学』に関連してあまり定かでない考えをつらつら綴ってしまい、無駄に時間を食った。気づくと四〇分が経って九時半に達していたので入浴へ。風呂のなかで湯に浸かり、浴槽に頭を預けてしまうとうとうと眠ってしまって思念を追えないので上体を立て、目を閉じて散漫に考え事をすると言うか、頭のなかの〈原 - 言語〉の蠢きを見る。資本主義に対して寄生しなければならないということ、つまりは〈寄生虫〉としてあらねばならないこと、そうして、体制のなかに〈穴 - 真空〉を作っていかなければならないということ、などを考えた。それがどんなに小さいものだとしても、ひとまずはそういう方針を取らねばならないと思うのだが、しかしそれもやはり、制度に回収されてしまうのか? わからないが、もう一つの疑問として、こちらの文章がそのような〈穴 - 真空〉を作るほどのものとして機能するのか? それも不明瞭である。ほか、やはり無償の行為というもの、あるいは純粋な贈与というものがこの世――この〈充満した〉、窮屈な、〈固まった〉世の中――に存在するということを証明しなければならないだろうなとも改めて思った。そうして風呂を出て洗面所で身体を拭きながら、〈革命〉というものは、一瞬の、瞬間性のものなのではないかと思った。いや、そうとは言えないかもしれないが、しかし具体的で実体的で現実的な一瞬の行為とか出来事とか――例えばイエスの死のような?――がなければ、〈革命〉もまたあり得ない、これは多分確かなことだろう。しかしその一瞬の行為や出来事に〈革命的〉と言えるほどの意味/意義/波及力を持たせるためには、それまでの文脈が緻密に整備/準備/整地されていなければならないということも確かなはずだ。ただ、今のところのこちらとしては、この〈革命〉の瞬間性、むしろ〈一瞬性〉の方が気になっていて、それに関連してもう少し何か考えたはずなのだが、それが何だったか忘れてしまった。存在論的に〈革命的〉でなければならないということ?
洗面所を出て、ダウンジャケットを着て、階段を下りて自室に帰り、日記にふたたび取りかかってここまで。一〇時四一分。
それから書抜き。 ロラン・バルト/松島征・大野多加志訳『声のきめ インタビュー集 1962-1980』(みすず書房、二〇一八年)。
「確かにわたしは「反動的」という語をつかいましたし、少しばかりの想像力の貧しさから繰り返しつかってしまいました(……)」
「文学は古典派のものでも、完全に反動的だとは思いませんし、革命的あるいは進歩主義の文学も完全に革命的だとは思いません。実のところ、古典的で読解可能な文学は、その形式と内容において極端に保守的であっても、部分的には文法を外れ、カーニバル的なのです。それは社会的な地位からも構造からも矛盾を含んでいて、同時に盲従的であり、反体制的なのです」
「マラルメ以来、フランス文学には突然変異体というべき偉大なテクストはありませんでした」
「しかしもちろん「理論的」というのは「抽象的」というのではありません。わたしに言わせれば、それは「内省的」なのです、つまり自身を振り返るのです。自身を振り返るディスクールとは振り返ることによって理論的なディスクールなのです。実のところ、理論の起源となるヒーロー、神話的なヒーローはオルフェウスでしょう、なぜならまさに彼はたとえ破壊しなければならないとしても、愛するものの方を振り返る者なのですから。エウリュディケを振り返ることで、彼は彼女を気絶させ、再び彼女を殺すのです」
「例えばわたしは社交的な戯れを楽しみ(語の強い意味において)ますが、それは大げさな十全たるものではありません、そうではなくて、より深いレベルで、戯れのある種の倫理に従って楽しんでいるのです」
「実のところ、わたしが書いたものの運命に関して、あるいはわたしの書いたものが社会にどのように統合されるかに関して、わたしには個人的に要求するべきことはなにもありません。わたしは書きます、そしてそれはコミュニケーションのうちに放たれるのです。それ以上言うことはありません。それ以上言うことはありませんが、さらに言えば、この運命の甘受が面白いのです、なぜならそれによってわたし自身の仕事が「文法を外れた」(複数の、多数の、あいまいな)作品という地位に置かれることになるのですから」
「もしいつか本当にわたし自身の仕事の批評をしなければならないとしたら、「文法を外れること」にその中心を据えるでしょう」
「一般的に言って、要求、異議、抗議はすべてわたしにとっていつでも退屈で、無味乾燥なものに思えます」
「わたしはたえず「ハプニング」に対して戯れを擁護するでしょう。「ハプニング」は十分に戯れてはいません、なぜなら上位の戯れ、つまりコードとの戯れがないからです。つまりコード化されなければなりません。コードの裏をかくには、コードの中に入らなければならないのです」
「本は消え去ることはないでしょう、それどころか、本は非常におぞましい形で勝ち誇ることになるでしょう。それはマスコミュニケーションの本、大量消費の本になるでしょう、言ってみれば、資本主義の社会が体制から外れた形のいかなる戯れも許さないような、またいかなる欺瞞も可能でないような本となるでしょう。その時、それは全面的な蛮行となるでしょう。本の死は読解可能な本の独占的な支配、読解不可能な本の完全な壊滅となるでしょう」
「ここで言いたいことは、批評の「役割」と「活動」を区別することです。批評の役割を想像することはいつでも可能です。つまり批評の役割の継続を想像することはいつでも可能なのです、たとえ伝統的な役割であっても、それらは必ずしも質のよくないものではないでしょう。わたしはシェーンベルクの言葉に思いを馳せています、前衛の音楽があり、まさにその音楽のために闘わねばならないとしても、ハ長調の美しい音楽を創ることはいつでも可能であると、彼は言ったのです。ハ長調でいい批評をすることはいつでも可能なのです」
「もはや語の伝統的な意味での「作品」を書くのではないような時代をいまやはっきりと思い描くことができるのではないかと思っています、そしてたえず過去の作品を書き直すのです、「たえず」というのは「永続的に」という意味ですが」
「ステレオタイプの無意識的な繰り返しにとどまるよりは『ブヴァールとペキュシェ』を永続的に書き直すほうがましでしょう」
五〇分間。次いで、芝健介『ホロコースト』を読み出す。たびたびメモを取りながらなので、一時間二〇分掛けてもいくらも進まない。一時を回ったところで、(……)それで結局、二時半までだらだらと時間を潰す。そこから記憶ノートの作業に入る。手帳から情報を写す。それから一、二頁を読んで復習。そうすると三時一一分。そこからまた『ホロコースト』を読んで、三時四〇分に就床した。