2020/1/2, Thu.

 一九二一年三月一三日のナチ党機関紙『フェルキシャー・ベオバハター』の社説で、ヒトラーは、「必要とあれば、その扇動者を強制収容所に保護することによって、ユダヤ人が我が民族を破壊するのを防ごう」と述べた。
 (栗原優『ナチズムとユダヤ人絶滅政策 ―ホロコーストの起源と実態―』ミネルヴァ書房、一九九七年、13)


 淫夢の類を見たような覚えがある。最初に覚める前だったと思う。詳しい内容は覚えていないが、寝床のなかで股間が膨張していたことは覚えている。九時のアラームで一度床を離れるも、いつも通りまた布団の下に戻って二度寝に入る。一一時四〇分頃起床。両親は既に(……)の祖母宅に行っている。コンピューターに寄ってスイッチを入れ、各種ソフトを立ち上げ、インターネットで各所を回って瞥見してから上階へ。ジャージに着替えてダウンジャケットを羽織る。そうしてまず洗面所に入り、電動の髭剃りで伸ばしっぱなしだった髭を当たった。それから台所の炊飯器に拵えられた中華おこわを一杯、椀に盛り、卓へ。新聞も読まず、テレビも点けず、一人で黙々と食べながら、もっと鋭さと言うか、徹底性みたいなものを纏わなくてはなるまいなと考えた。昨日読んだ(……)さんのブログの記事にも書いてあったが、自分は明日死ぬかもしれないというありそうもない可能性をほとんど現実的に捉えて現在の行動を決めると言うか、明日死ぬとしたら今自分は何をやるか、という物事の観点をリアルなものとして引き寄せるというか、そういう厳しさが必要だと思ったのだ。だらだらしてはいられない。宮本武蔵が何か似たようなことを言っていなかったか? 坂口安吾が書いた宮本武蔵論のなかに関連するような記述があったような気がする。と思って今、坂口安吾堕落論・日本文化私観 他二十二篇』の書抜きを調べてみたが、それらしい記述は見当たらなかった。この文庫本(岩波文庫)は確か、既に売り払ってしまったはずだ。ともかく、話を戻すと、明日死ぬかもしれないという可能性を、半ば現実のものとして身に引きつけて行動を定めるという話なのだが、これは発想としては非常にありきたりな、誰でも考える類の事柄である。しかし、こうした発想を現実のものとして、リアルなものとして生き、実践できる人間はまずほとんどいないだろう。それに近づかなくてはならない。だからと言ってしかし、生に急いではならない。焦る必要はないのだ。急いだり、焦ったりすることは禁物である。ただ、つまりは、死というものをもっと思わなくてはならない、ということだ。死の方から己の生を見つめるということ。ということは、別に明日死ぬかもしれない、という事柄の、「明日」が本質的な問題ではないということだ。そうではなくて、明日なのか数十年後なのか、いつかは知れないが、いつであろうとも自分はいずれ必ず死ぬ[﹅18]という確定的な事実の、そのリアリティをもっと感じるようにしなければならないということだろう。自分は死ぬ。自分は死ぬのに、今、これで良いのか? ということだ。この実に明快な単純性。そういう思考形式を、リアルなものとしてインストールし、実践していくこと。しかしそれは結局、残された時間というものの有限性の観点から、有益な事柄と無駄な事柄とを峻別して取捨選択する、という行動様式に繋がらないか? いや、俺が目指したいのはそういうことでもないのだよな。そういう効率性の権化みたいなことを目指したいわけではないのだが。ではどういう様態を目指すのか? 有益/無駄の二項対立を解体しながらも、死という現実[﹅2]のリアリティをもっと切に身に引き寄せるということ。ひとまず今はその点に留まっておこう。
 さっと米一杯を平らげると、皿を洗って、続いて風呂も洗った。風呂を洗いながら考えたことに、死を思うという話の続きなのだが、それによってもっと厳しく生きることが実現したとして、それは自分のことのみにひたすら邁進するということではない。他人や、社会や、世の中というものから要求/要請される義務的な事柄も同様に、こなしていかなくてはならない。社会から離反してはならないし、離反することなどおそらくはできない。ただ、外見上/表面上、何と言うか、世間的な価値観から照らしても受け入れられるような人間であること、一面としてはそれが求められる。しかし同時に、ある種訳のわからないと言うか、無償的な存在でもあること。この二面性が肝要だと思われる。イメージで語るならば、仮面をつけるのだが、装うのだが、その仮面を時折りは、自ら〈指差す〉(「外す」のではなく)、敢えて指差してみせる、ということ。〈明晰な狂気〉である、というのは、イメージとしてはそんな感じか。
 風呂を洗ったあと――尾骶骨は、多少ましになったような気がするが、まだ少々痛む――下階に下りて急須と湯呑みを持ってきて、緑茶を用意した。そうして自室に帰り、前日の日課記録をつけ、この日の日記記事も新規作成したあと、何をするかと迷いながら、最初は過去の日記の読み返しをまず行おうと思ったのだが、気を変えてひとまずこの日のことを綴ってしまうことにした。それでここまで書いて、一二時四六分。
 読み物。過去の日記を二日分。二〇一九年一月二日と、二〇一四年四月九日。一年前の方は、(……)の祖母宅に集まっている。寿司やらオードブルやらをたらふく頂いている。兄夫婦も子を連れてやって来ており、(……)ちゃんと思う存分戯れているようだ。しかし、文章として、言語としてそれほど印象深い記述はない。強いて言えば、「天気は非常に良かった。直線的な、威勢の良い風が折りに吹いてその時は冷たいものの、それだって身体を震わせるほどの威力は持たず、日向のなかにいれば室内よりも暖かいくらいだった。ピラカンサと言うらしいが(シーラカンスのような名前だ)、南天によく似ていてそれをもう少し大振りにしたような赤い実の植物が大いに実っていて、粒々が雪崩れるように連なっているのが青く明澄な空を背景に鮮やかだった」という描写がちょっと良かったくらい。
 日記の読み返しの途中から、FISHMANS『ORANGE』を流していた。その後、(……)の「読書日記」を一日分、続いて(……)さんのブログを最新記事まで、さらに、(……)さんのブログを一記事。「思索」: 「思索と教師(13)」((……))

 「もはや疑いようがなく、存在論的関心事は、思想好きが個々人でやっている道楽に堕した」
 「戦後直後、丸山真男の「民主主義」をはじめとした、民が自ら考える必要性を説く思想は現実味を持った。それまでは、お国のために、お国を最優先させる生活にあったのに、突然、民主主義なる訳のわからない名目で、自由にやってくれ、と言われる。それまでは「大義」が生きていたが、剥ぎ取られ、自分で選択せよと言われ、荒野に放置される。そのとき、何をどのように考えていいのか分からない感覚が広がっていたというのは、戦後に関する書物を読めばすぐに分かる。この開きこそが存在論的関心の萌芽である」
 「たとえば、何らかの強い政治的メッセージを発して集団自殺をすれば、それによって政治は若干動くかもしれない。しかし、あくまでも「若干」である。また、それは共同体の運命を憂慮した変革ではなく、秩序を乱すめんどくさい分子を落ち着かせる行政の調整という域を出ないだろう」
 「だが、三島のように日本精神とその歴史に帰依したり、丸山真男のように民主主義と近代主義に帰依したり、伝統宗教だからということでキリスト教イスラム教に帰依したり、分かりやすいということで新興宗教に帰依したりしても、この状況下では、信仰が矮小化しており、自己満足の域を出ない可能性の方が高いと私は思う。キリスト教史観も、皇国史観も、近代主義の理想史観も、等しく行き詰まっている」
 「ある意味では、アメリカが、人種やジェンダーなどの社会的属性に頼らなければならない理由は、見た目や心理や利害を頼りに、目の前にいる他者との、その場での非歴史的な政治的連帯以外に、依拠する思索の素材がないからではないか」
 「ジェイムズが言っていることで正しいと思うのは、真理の追求と誤謬を防ぐことは異なるということである。近代は、誤謬を防ぐことに長けているが、真理の追求を深めることに長けていない」
 「思想的立場の検討が開いた者においては、最後に(あるいは最初に)着地した考え以外は真剣に取り扱わず、自らと異なる思想を、きちんと思考する能力がなく愚かである、などと攻撃的に排斥する者をよく見かける。私から言わせれば、一つの教義を身に着けたことで、他者に対して攻撃的になるというのは、自我が育ち始めた中高生の反抗期のような未熟さである。つまり、何らかの固有性が育つ萌芽を得ており、本人もそれに自覚的なのだが、いかんせん、意気込みと比べて経験と知識が不足しているため、自らの固有性を守るために、他者に強く当たるのである」
 「思索の試みにおいて史観を徹底的に学ぶというのは、歴史家になるということでもない。歴史家の目的は、過去を丁寧に記録することである。しかし、思索の試みの目的は、あくまでも、存在論的関心事において、この世界でいかに生きるのかを明らかにすることである。言い換えれば、私は一体何のために死ぬべきかを明らかにすることである」
 「思索の試みをする者は、思わず他者に見せたくなるような結晶が生まれたり、孤独がどうしても耐えられなくならない限り、独りで、自ら自身に応答し続けることで、思索を深化させていった方がいい。思索は、個々人が孤独に行うほかに選択肢はないが、思索の試みが真摯であり、最も広い世界を求めるならば、思索が成熟すればするほど、どうせ、現実の歴史や問題、文学や詩や哲学へといずれ手が伸びるのである」
 「信仰の話の文脈で言うならば、思索の言葉は人を殺す。真摯なキリスト教徒においては、神の言葉との対峙によって、有限な人間のままでただ迷っている自己が殺されるように、思索の言葉は、その対峙において自他の自己が瓦解させられる」
 「思索をする言葉が、人を殺す言葉であるというのは、そういうことである。世界に向かう言葉として、世界の圧力や抑圧に屈することなく、言葉をかき集めることによって、誰にも奪うことのできない私自身と共鳴者の躍動する思想的な生命力を養い、その力で、再度、現在に対して摩擦を起こしにいくことである」

 こちらの頭のなかに渦巻く思考/思念、すなわち〈原 - 言語〉を留め、停止させることは誰にもできない。それをするには、こちらの脳を破壊するか、文字通りこちらを殺す、すなわちこちらの存在をこの世から消滅させるほかはない。存在論的にエクリチュールであること、〈書くこと〉であるというのはそういうことだ。自分は常に、絶えず、永続的に、書いている。仮にこうして文章をコンピューターに、あるいは紙の上に書き綴っていないとしても。
 しかし、存在論的様態として〈感化的/感染的〉、あるいはさらに「無謀な」領域を目指して〈革命的〉であろうとするならば、そうでなければならないとするならば、この〈原 - 言語〉は、パロールか、エクリチュールか、その二つのどちらかあるいは双方の形式として表出され、他者の目の前に現れなければならない。つまり、受容者を産まなければならない。〈目撃者の生産〉が必要なのだ。エクリチュールは、漂白/漂流する。それは未だ現れることのない、いつ、どこに存在しているとも知れない受け手に向かって漂っていく広がりを持っている。それに対してパロールは、自分のパロールが届くのは、今、自分の目の前にいる人間のみである。パロールはこちらの〈身体〉と密接に繋がっている。だからこそ、それが届く範囲は狭いが、目の前の相手に対する現前性は高いと思われる。それは、〈密度が高い〉。従って、存在論的に芸術作品的であろうとするならば、エクリチュールだけでなく、パロールをも洗練させていかなければならないはずだ。つまりは、パロールをも、エクリチュールと化すこと、あるいはその両者の区分を融解させ、境界を越えて統合/融合させていくこと。〈書いているかのように、話す〉ということ。〈身体そのものをエクリチュール化していくこと〉。〈声〉で、〈身体〉で、書くということ。
 読み終えると二時前。二時まで一〇分ほど残る。二時になったら洗濯物を取りこみに行こうと思っていたが、余りの時間で何をするか迷う。ちょっとTwitterを覗いたりしているうちに、一時五五分に達したので、もう洗濯物を仕舞いに行ってしまうことに。上階へ。ベランダ、明るく厚みのある眩しい陽光。吊るされたものを取りこんでいき、まずタオルを畳む。畳んだものを洗面所へ運ぶ。戻って、次に下着の類を畳む。そうして下階へ。緑茶をおかわりしようと考え、急須と湯呑みを持って居間へ戻る。三杯分ほど用意。自室へ帰ると、ここまで日記を、数分で書き足す。
 極限的に高尚で、抽象的で、美しい事柄と、絶望的に卑俗で、凡庸で、惨めで、ほとんど汚らわしいまでの事柄とを、等しく書くこと。作家(ここで言う「作家」とは、単に「書き続ける者」のことである)とは、この世の誰よりも平等主義者である。
 それから、一時間のあいだ、三〇日の日記を書き進める。(……)さんとの会話。一時間では終わらないが、腹が減ったのでひとまず切ることに。カップ麺でも食って空腹を埋めようと上階へ。玄関の戸棚を探るが、「どん兵衛」か何かの鴨出汁蕎麦があったように思っていたところ、見当たらない。あるのは「マルちゃん」の餅が入ったうどんのみ。今日読み返した昨年の一月二日の日記においても表明されていたが、喉に詰まらせて死にたくないので餅は一生食わないことにする、という原則をこちらは守っていたものの、ほかにないのでは仕方があるまいとその原則に容易に例外を設けることにした。よく噛んで食えば、そう簡単に詰まらせはしないだろう。それでカップ麺に湯を注ぎ、下階に持って帰る。そうして(……)さんのブログにアクセス。冒頭の佐々木中からの引用を読んでいるうちに、カップ麺の待ち時間五分をあっという間に過ぎていたのでちょっと驚いた。麺を啜りながら二日分を読む。

(……)まずもって可視性と関係を持つということは、あるイメージが、画像が、ある光学装置のもとに浮かび出た姿について語ることができるということ、それを「読みうる」ということである。その「読み」「語り」以前にある言語の単位、それが言表なのである。それは可視性のなかにないのだから見えないし、可視性との関係にないから読めず、見えるものについて何かを言いうるものでもないのだ。なぜこの言表が分かりにくいかというと、われわれは可視性と言表のある特定の体制のなかにつねに存在し、そのなかで主体化しているからである。「言表は一定の諸条件と関連してはじめて、解読可能となり、言いうるものとなる」。ゆえに逆を言えば、その「一定の諸条件」のなかにつねにすでに存在しているわれわれの経験のなかには言表は存在しない。それは超越論的な遡行によってのみ見出しうる何かだ。「物と言葉にとどまっている限り、私たちは見ているものについて語り、語っているものを見ていると、または二つは結合していると、信じることができる。それはつまり、われわれが経験的な実践にとどまったままであるということである」。確かに、どうしても可視性との関係を――意味を――前提とせざるを得ない散文のなかでそれを説明するのは無理がなくはない。しかも可視性のなかにないのだからそれは「イメージ」できない。しかし論理的には理解できる筈だ。可視性との関係を一切剥奪された、つまり「読むこと」「了解すること」「見て取ること」「意味すること」「指示すること」との関係を一切剥奪された、言語の生起、出来事、ある呟き、一瞬の傷のような何かである。それがある可視性との関係のなかに集合し(ゆえに「読みうる」「見える」ものとなり)、その集合をなした単位が「言説」である。それはわれわれの世界のなかの言語だ。
佐々木中『定本 夜戦と永遠(下)』p.356-358)

 以下は(……)さん当人の言。

(……)しかし相手を傷つけることなく相手の心の奥深くに踏み込むことなどはたして可能なのだろうか? コミュニケーションというのはそれ自体が一種の暴力ではないのか? 少なくともこちらにとってコミュニケーションというのはたえざる傷つけ-傷つけられるやりとりの循環であるのだが。よくもわるくも、そのようなやりとりによってたがいがたがいに影響をおよぼしあい、変形を被りあい、あるいは(なつかしい術語をひさしぶりに復活させるなら)感染させあう、それ以外にコミュニケーションなどありえないのでは? たとえば、古傷にあたらしい傷口を刻みこむ、そうすることによって自己修復能力を活性化させて、当の古傷ごと癒すという事態が考えられる。しかし同時に、その傷口によって治りかけていた古傷が悪化する、そういう事態もやはりまた考えられるだろう(これが一般的な意味での「暴力」だ)。しかしコミュニケーションとはいずれにせよ、それがよびまねくことになる帰結がどうであれ、あらたな傷口を刻むという行為でしかないのではないか?

 読み終えるとちょうど四時。ここまで僅か五分で書き足す。これからふたたび、三〇日の記事に取りかかるつもり。
 四〇分間、三〇日の記事に取りかかり、完成。一部検閲しながらブログとnoteに投稿。そうすると午後五時。母親に、夕飯は食ってくるのかとメールを送ると、もう帰る、蟹を持っていくとのこと。適当にやってと言う。ひとまず上階へ。真っ暗ななかに食卓灯を灯してオレンジ色の光を差しこませ、居間の三方の窓のカーテンを閉ざす。こちら一人だったら何もやらず、炊飯器に残っている米だけでも充分なのだが、両親は食ってくる様子がないから、何かしら食事を作っておいた方が良いだろうと考え、肉はないかと冷蔵庫を探る。冷凍されたひき肉などがいくらかあったが、量が心許ない。その代わりに餃子が見つかったので、それを焼くことにした。あとは玉ねぎの味噌汁でも拵えれば良かろうというわけで、餃子を開封して、一つずつつまんでフライパンに一二個を並べ、火を点けた。蓋を閉ざして加熱を待つ。一方で鍋に水を汲んで左の焜炉に乗せ、玉ねぎを切って投入する。沸いて灰汁が出てくると取り除き、粉の出汁や椎茸の粉を加えて煮続けていると、餃子の方は底が茶色く焦げて良い感じである。蓋を取ってさらに加熱を続けて、水気がほとんど飛んでしまうと、フライ返しでもって底を剝がしておいた。そうして汁物の方にも味噌を溶かし、溶いておいた卵も加えて完成、それで自室に帰った。
 それから書抜き、ロラン・バルト/松島征・大野多加志訳『声のきめ インタビュー集 1962-1980』(みすず書房、二〇一八年)。BGMはHiromi & Edmar Castaneda『Live In Montreal』。

 「教育の問題は文学的なテクストという観念を覆し、青少年にテクストはいたるところにあり、しかしすべてがテクストではないと理解させることでしょう」
 「例えば日本について、わたしがテクストを、織物を、人生を、通りを読むことを学んだように、印刷されていないテクストにテクストとして近づく権利を人々に認める必要があるでしょう」
 「それら[=前衛]は現在までほとんどいつも体制によって、正規の文化によって、世論によって回収されてきたことがわかります」
 「現在、シュルレアリスムは――その内容についての評価ではまったくなく、その使用法について――とりわけギャルリー・ラファイエットあるいはエルメスのショーウィンドウに見つけられるのです」
 「前衛の活動はひどく脆弱な活動であり、それは回収される運命にあるのです、おそらく私たちが経済的な理由のために流行の諸現象を維持し、また維持する必要のある資本主義に疎外された社会にいるからです」
 「個人的には、わたしは暴力には反対です、一定の政治的な場合をのぞいては。この点については、わたしはレーニンの古典的な分析に従います、そこでは暴力ははっきりと限定された戦術上の目的に導かれるべきなにかであり、永続的な倫理的姿勢ではないのです。個人的には、深みにおける秩序壊乱の仕事はすべて、人目をひくような暴力的な、派手な破壊的な活動の外で行われるべきだと確信しています」
 「わたしの本質的な確信は(それは二〇年来のわたしのすべての仕事に結びついています)すべては言語活動であり、何物も言語活動を逃れることはできず、社会全体は言語活動により横断され、貫通されているということです。ある意味で、すべてが文化的であることから出発すれば、非文化を実践することは不可能です。文化は私たちに強いられた宿命なのです」
 「ある種の言語活動の外に身を置く時、――そうしなければなりませんし、私たちはだれもが、そうしているのです――いつでももう一つの言語活動から出発してそうするのであり、非言語活動から出発してそうするのではないことを忘れてはいけません。したがって、誠心誠意、私たちは私たち自身を、私たち本来の言語活動を批評するという無限の過程に身を投ずるのです。それは自己反省性の姿勢であり(先ほど「理論」を話題としましたが、わたしにとっては同じものです)、それは文化を動かすことができるのです。それはその上そこから人が言葉を発する場の非常に注意深い認識に結びついています。非常に革命的だと装う個人が、言葉を発する場について問うことがないならば、彼は偽の革命家です」
 「私たちが産み出そうとしている仕事が限定されたグループの内部で行われるのは確かです。それは秘教的な側面のある仕事であり、「集団」あるいは「大衆」に接触することをまったく目指していません。この点についてあいまいさを払拭するためには、そのことをよく意識しなければなりません。しかしながら、この比較的閉じられた仕事は意味の破壊を演出するためには必要だとわたしは思います。私たち知識人の使命は政治化ではなく、さまざまな意味の批判、意味そのものの批判なのです」
 「フランスの社会は、文化の面では、プチブルジョワの文化のモデルに従属しているので、大多数に届くためには、それらのモデルに巻き込まれる(そして自らの行動を危うくする)必要があるでしょう」
 「ブレヒトに倣い、疎外の最中にあるフランスの社会に対してすぐれたコミュニケーション能力を持ち、それでいながら進歩主義、秩序壊乱、ニヒリズムという真面目な(あえて容赦のないと言いましょう)要素を内に含み持つ芸術の構築を試みることができないかどうかを自らに問うてみることができるのは間違いありません」
 「もっとも危険なものはもっとも暴力的な形態ではありません」
 「ブルジョワイデオロギーが罵倒されるたびに、同時に「どこからわたしは語っているのか?」という問いが隠蔽されるのです。ブランショ以来、すべての現代人がそうしていますが、わたしは本質的に反省に基づくディスクールのためにその問いを要求しただけなのです、それらのディスクールはそれ自体のうちで言語活動の無限の性格を帯び始め、言語活動の無限の性格を演じ、あるシニフィエのデモンストレーションに閉じることがありません」
 「独断的なディスクールシニフィエに基づきます。それは最終的なシニフィエの存在によって言語活動に高い価値を生じさせようとします」
 「ディスクールが(ある個人の選択ではありません)シニフィエの止め具の上で停止することを受け入れた時から、それは独断的になるのです」
 「すべてが言語活動なのです、より正確には言語活動はいたるところにあるのです。それは現実全体を横断しているのです。言語活動のない現実はありません。言語活動を免れているという立場、非言語活動の、あるいはいわゆる中立のあるいは取るに足りない言語活動の背後に守られているという立場はすべて不誠実な立場です。言語活動について唯一可能な転覆は事態をずらすことです。ブルジョワの文化は私たちのうちにあります。私たちの統辞法に、私たちの話し方に、おそらく私たちの快楽の一部分にも。私たちは非ディスクールに移ることはできません、なぜなら非ディスクールは存在しないからです。もっともテロリスト的な、もっとも過激な立場でさえ非常に迅速な回収を喜んで受け入れるのです。残された唯一の闘いはあからさまなものではなく、ほとんどの場合押し殺された、ひそかなものです。いつでも勝利を収めることのできるものではありませんが、それでも言語活動をずらそうと試みるべきです」

 一時間ほど打鍵を続けたあと、六時半から記憶ノートに手帳から情報を写しはじめたのだが、空腹のために指先が震えて字が書きづらかったので、八分で中断。新しい事柄を書き足すのではなく、復習をしておこうと思って一頁目から二頁目の事柄を瞥見しつつ、目を閉じて頭のなかで事項を反芻する。その頃には両親は帰ってきていた。僅か一〇分で二頁を復習し、七時が迫ったので食事へと向かう。上階へ。餃子を皿に取って温め、米をよそる。トイレを出てきた母親に挨拶。味噌汁も温めてよそり、卓へ。ニュースを見ながら食す。カルロス・ゴーンがどうやって出入国したのか、というような話題。途中、母親が蟹を電子レンジで蒸して出してくれたので、一本食べる。大した味ではない。特別、蟹が大好きというわけではない。その他、前日のキャベツの生サラダの残りも頂いた。食べ終えると台布巾でテーブルを拭き、さっさと皿を洗い、父親が風呂を出たがすぐには入らず、緑茶を持って下階に帰ってきた。そうして英語を読む。George Yancy And Noam Chomsky, "Noam Chomsky on the Roots of American Racism"(https://opinionator.blogs.nytimes.com/2015/03/18/noam-chomsky-on-the-roots-of-american-racism/)。

・taxonomist: 分類学
・great seal: 国璽
・extirpation: 根絶、撲滅
・sable: 黒貂; 黒色
・flush: 赤面
・Injun: アメリカインディアン; ◆Indianが訛ったもので、軽蔑的に用いられる
・efface: 消す、拭い去る; 目立たなくする
usher in: 導入する、先触れする
・fiendish: 悪魔のような、極悪非道な
・deplorable: 嘆かわしい、悲しむべき
・rattle off: すらすらと書く/言う
・malady: 悪弊、弊害

 さらに、吉田徹「西欧社会民主主義はなぜ衰退しているのか?」(https://synodos.jp/politics/22048)も。インターネット上の記事や論考も、毎日最低でも一つずつは読みたいのだが。

 注意したいのは、こうした社民政党衰退のトレンドは、長期的なものであるとことだ。図1は、1970年を起点として、西欧の各社民政党の得票率の推移を示したもの。1980年代前半と90年代後半に各国で得票を増やしたものの、2000年代半ばからは票を2割以上も減らしているのがわかる。
 2008年のリーマンショックと2011年のユーロ危機、その後にとられた緊縮政策が、そのときに政権与党だった社民政党に対する信頼失墜となったのは面は否めない。しかし実際には、経済危機の前から各国社民の得票率は漸減しているのであって、議席減はこうした短期的な経済的な要因に帰すべきではない。逆にいえば、緊縮策の撤回だけが社民復活の条件となるわけではない。

 イギリスの例をみてみよう。労働党は1997年選挙で大勝利を納め、20年近くに渡った野党生活から抜け出すことに成功した。その鍵を握ったのが、1994年に英労働党の党首に選出されたトニー・ブレアを含む党内の「モダナイザー(現代化推進主義)」と呼ばれた改革派だった。
 彼らは党が伝統的に依存してきた労働組合の影響力を排除するとともに、戦後労働党政権の中枢的政策でもあった国有化に関する党綱領を削除した。こうして、サッチャー政権(1979〜93年)によって進められた金融資本主義の恩恵に預かった新中間層の支持を集める「ニューレーバー(新しい労働党)」を謳い、政権交代が実現された。

 このように90年代後半の社民政党は、経済政策では新自由主義的改革を推し進めた。
 他方、フランスのジョスパン政権、ドイツのシュレーダー政権は、ともに緑の党を連立相手としていたことも影響し、同性愛者など性的マイノリティの実質的婚姻を認めるなど、文化的なリベラル色を強めた。つまり、経済的にも、社会的・文化的にも、「リベラル」となっていったのがこの時代の社民の特徴だった。

 80年代の新自由主義、さらに90年代の旧共産圏の崩壊から、社民政党の弱点は経済運営にあるとみられていた。事実、70年代後半の英労働党政権や80年代前半のフランス社共政権などは、それまでの経済運営のパラダイムだったケインズ主義にもとづく総需要管理策に依存したため、インフレ、通貨安、財政赤字の三重苦を招き寄せることになった。
 新自由主義の波を被ったポスト冷戦期の西欧社民は、政権担当能力を示すためにも、それまでの大きな政府路線・財政拡張路線を撤回し、自由貿易と資本市場の自由化を認める親グローバリズム路線へと転換する戦略をとった。

 一般的に言えば、90年代後半以降の社民は、経済政策上は自由主義保守主義勢力に接近し、他方で新たな対立軸として社会文化的なリベラルを掲げるようになる。これが、現在にまで至るアイデンティティ政治による対立激化の源泉ともなっていく。
 政治理論家のナンシー・フレイザーは、このような展開をみせた90年代を「ポスト社会主義の時代」と規定している。そして、それは「文化問題に向けられる過剰な関心と、基本的な社会的な不公正のかたち(搾取、不平等な分配、排除)への過剰な無関心というバランスの欠如」であると批判的に論評した(”From redistribution to recognition?,” in New Left Review 1/212,1995)。

 もっとも他方で、このリベラル化は伝統的な支持基盤の喪失を意味した。図2は、社民政党を含む西欧の左派政党全体の社会階層別の投票を比較したものだが、90年代後半から左派政党全体が労働者層(熟練工)の支持を失っていったことがみてとれる。(……)

 こうして社会的・文化的にリベラルな価値を嫌う労働者層の支持は、ポピュリズム勢力に掠め取られることになる。2000年代以降の西欧の右派ポピュリズム勢は、雇用創出や社会保障水準の維持、自由貿易制限など、経済政策上は保護主義、移民やマイノリティの権利抑制など、社会的には権威主義的政策を掲げて支持を拡大していった。つまり、経済的な再分配を支持し、文化的・社会的に保守的な層がポピュリズム政治の供給源となっているのである。そしてこうした支持構造を間接的に生んだのは、社民政党の戦術的な変化でもあった。

 各国ごとに様々なパターンがあるものの、そもそも20世紀の社民政党労働組合、もっといって労働世界と切り離せない存在だった。組合が政党をつくったイギリス、政党が労組を組織化したスウェーデン、組合と政党が協働したドイツ、互いが反目したフランスやイタリアなど、労働を政治を切り結ぶかたちは色々であっても、両者が同じ陣営に位置するのは当然であり、これが20世紀後半に花開くの社民政治の基盤となった。
 いいかえれば、社民政治は、工業社会が発展する中、労働者階級の政治参加に道を開き、資本主義と議会制民主主義とを和解させなければならないという歴史的要請から生まれた。
 しかし、現代ではこうした環境的条件を提供する前提が足元から崩壊しつつある。労働社会学者ロベール・カステルの見立てによれば、先進国で19世紀から発展してきたのは、無産階級である労働者の賃労働を制度的に認め、これを社会権とセットとすることで社会統合を進めるという様式だった(『社会喪失の時代』2009=2015年)。つまり、労働と社会的保護を不可分なものとし、その上に社会保障や福祉制度を作り上げることで、社会は不平等を避け、安定を実現したのである。その担い手となったのが、社民政治でもあった。
 カステルはもっとも、現代において20世紀までの社会統合の様式は維持し得ず、社会的な保護を必要としない「超過する個人」と、社会的保護すら受けられない「欠乏する個人」との両極に引き裂かれてしまっている、という。言い換えれば、先進国はゲーテッドコミュニティに住む人間と、住む場所すらもたないホームレスとで構成され、両者をつなぎ得た「労働」そのものの意味合いが双方にとって異なったものになってしまっている。これは所得や資産の多寡や格差以上の不平等社会の到来を意味する。

 読むとちょうど八時。ここまで日記を書き足して、八時一六分。相変わらず尾骶骨が痛いので、立ったまま読んだり作業を進めたりしているが、立っていても痛いは痛い。
 前日の記事を僅か五分で完成させたあと、風呂に行ったのだったか? よく覚えていないが、多分そうだと思う。上階に上がってパジャマと下着を取り、入浴へ。いつも通り、湯のなかで目を閉じ、思考を追う。入浴の時間というのはほとんどこのように、瞑想的/黙想的に思念を見つめるための時間となっている。ただこの時、何を考えたのかは覚えていない。思考が一定の〈塊〉を成さなければあとになって記述できないのが困り所だ。覚えていないということは、特に目新しく、自分自身に新味を与えるような考えは浮かんでこなかったのだろう。
 束子で身体を擦り、風呂を出て部屋に戻ると、九時半前から読書。芝健介『ホロコースト』である。立ったまま、読書ノートに写しておきたい記述や情報がある頁を手帳にメモしつつ、一時間のあいだ読み進める。父親が上階で、母親にまた声を荒げて何か言っているような気配が届いてきて鬱陶しかったので、ヘッドフォンで耳を塞ぎ、Junko Onishi『Tea Times』を聞きながら読んだ。一〇時半前から、今度は今しがた読んだ本のメモ。これもまた一時間進めるのだが、このメモ書きと言うか引用と言うか、文言を読書ノートに写す作業がまったくもって時間が掛かるもので、疲労もする。しかしやらないわけにはいかない。写した情報のなかで気になったと言うか、いくらかの印象を得たのは、まずヨーゼフ・ゲッベルスの経歴のなかに、「1921年ハイデルベルク大学で文学博士号取得」という事実が含まれていたことで、エリートなのだな、と思った。そのような文学的エリートが、国民啓蒙・宣伝大臣として反ユダヤ主義的言説を広範に流布させるに大いに寄与したわけだから、何と言うか、文学って何なのだろうと思ってしまうところが多少はある。また、一九三三年四月二五日には、「ドイツ学校・大学過剰解消法」というものが制定されており、ユダヤ系の学生の入学を、総数の一. 五パーセントに制限する政策が取られたとのことだが、これは初めて知る事柄だった。いわゆるアファーマティヴ・アクションの反対版、ということだろうか。
 一時間のあいだ文言をノートに写し続けたあと、短歌を作りはじめた。コンピューターの前に座って目を閉じ、頭のなかで言葉を動かし、できるとTwitterに投稿していった。以下の七つを拵える。

 十字路で前世の自分と出逢えたら交換しよう輪廻の証を
 暁の神話を絞ったひとしずく飲めば見えるさ原初の空が
 恩寵を受けて解放されてなお罪を愛して檻に留まる
 プロポーズとともに贈るよ銃弾をそいつで心の穴を埋めてくれ
 日常に溶けた自分を壊すため散弾銃のように歌うよ
 頼りない天使と一緒に空を飛ぶ正論も暴論も置き去りで
 なくならないこの寂しさを殺すためあなたの寂しさを奪う夜

 そうして零時四〇分から、大層久しぶりに音楽を聞く。まず、Bill Evans Trio, "My Romance (take 1)"(『The Complete Village Vanguard Recordings, 1961』: D1#7)。二回連続。ベースはテーマ冒頭から早速、お得意の三連符の連続を闖入させており、意気充分といった感じで、またカウンターメロディ的なアプローチが諸所に聞かれる。Evansはいつものようにバランスの良い呼吸を保っていて、LaFaroのカウンターメロディも、Evansの適度に空間を開けた穏やかな組立てのなかで活きてくる。ドラムはこの曲では比較的緊密で、ハイハットも終始アフタービートで保って形をはっきりさせており、そこまで流動的/空洞的な感覚はない――ところどころ、やはりPaul Motianらしい装飾は散見されるが。ピアノソロの最後のコーラス、ドラムがスティックに持ち替えてからはフォービートである。表面上は尋常な演奏なのだが、しかしこのリズム隊二人は普通にフォービートをやっていても、それだけで随分強力になると言うか、何ということもないことをやっているはずなのに何か特殊さを感じさせ、強靭な弾力や躍動感のようなものが満ち満ちてくるのは一体何なのか。ベースソロの歌い方は明快で、最後のワンコーラスでフレーズが速くなり、三連符を細かく詰めて長く連ねるが、ただ弾きまくる、という感じでなく、きちんとペースや構成が調整されていて、だらだらしたところがなく締まりをもって巧みに演じられていると思う。曲全体の色調としては無論明るいのだが、陽気と言うほどの屈託のなさではなく、どこか切なさも織り混ぜられているような色合いを感じる。
 次に、Clifford Brown & Max Roach Quintet, "Jacqui"(『Study In Brown』: #2)。三回続けて聞く。テーマは二管のハーモニーが綺麗で、音程が乱れなく正確で見事である。ユニゾンの部分も、トランペットとサックスの両方の音が隙間なく、気持ち良く合わさっている。ソロに入って以降は、Clifford BrownとHarold Landのソロは正直なところ、そこまで強い印象を受けるものではない。高品質で綺麗にまとまっているとは思うが、何らかの突出したニュアンスは感じ取れなかった。思うに、曲構成がソロを盛り上げにくいようになっているのではないか。この曲はA-A-B-Aの進行で、小節数を数えると、八・八・一二・八という区分なのだが、一二小節のB部分で解決するような終幕感がちょっとあるのだ。しかしその後にまた最初と同じ進行の八小節が回帰してくるので、何となく最後をまとめにくいと言うか、やや尻すぼみになってしまうような傾向があるのかもしれないと思った。しかしピアノのRichie Powellはその点、上手く構築している印象で、高速の一曲目、"Cherokee"の時よりも余裕を持って、はっきりとした打音でメロディを奏でており、全体的に乗っている、という感じがある。ドラムのMax Roachはシンバルワークが非常に滑らかで、スネアの細かな刻みも、煽るのではなく添えるあるいは支えるといった感じで、例えばArt Blakeyなどとは全然違う。品が良く、一種模範的なドラマーと言って良いのではないか。ソロはペースが一定で流麗であり、音列のあいだを無闇に/無意味に空けるようなことはしない。Paul Motianのソロの取り方、あの分離感や飛躍感というのは、やはり独特なのだと改めて実感される。あのような間の取り方をしていて、Motianという人は、怖くはならないのだろうか? 閑話休題、この曲は終わり方がちょっと面白く、室内楽的な優美なアンサンブルが短く挟まれたあとに、トランペットがそれを引き裂くように叫んで終幕を迎える。グループの全体的な色合いについて言うと、このクインテットは、トランペット・ヒーローのClifford Brownは別としても、総じて職人的という形容を思わされるもので、さほど派手ではないがきっちりと一定のクオリティを持った良い仕事を仕上げてくる、という印象だ。
 メモを取りながら音楽を聞いて一時間を過ごしたあとは、ふたたび芝健介『ホロコースト』を読み進めて、二時半就床。