2020/1/3, Fri.

 いうまでもないことであるが、反ユダヤ主義そのものはヒトラーの発明でもなんでもない。それは中世以来のヨーロッパ文明の暗部に属するものである。ところで、元来宗教的性格のものであった反ユダヤ主義は、フランス革命以来のユダヤ人解放と世俗化の波に対応して、一九世紀半ばごろから人種主義的なものへと変容することになる。もはやユダヤ人は改宗によっても、世俗化によっても、反ユダヤ主義の敵意から免れえない運命的な存在となったのである。一九世紀末のヨーロッパにおいて一つの頂点に達するこの人種主義的な反ユダヤ主義はロシア各地に頻発したポグロムにその一つの極限の形態を見いだすのであるが、しかし、この形態はただちに反ユダヤ主義者自身によってその情動的一過的な性格からくる不徹底性を批判されることになる。こうして、ユダヤ人を国家権力によって国外へ追放して、その徹底的解決をはかる新たな反ユダヤ主義の思想が出現する。ヒトラーに巨大な影響をあたえた全ドイツ連盟会長クラースはすでに第一次大戦前にユダヤ人に対する「外国人法」の適用と国外追放を主張していたのである。
 この国外追放の思想をドイツに特有なものと見ることもできない。それはのちに見るように、第二次大戦前すでに、ユダヤ人を大量にマダガスカル島へ追放する計画が、ポーランド、フランス、ドイツの政策当事者によって真剣に検討されていたという事実からも明らかである。要するに、ヒトラーの思想そのものは、中世以来のヨーロッパの反ユダヤ主義の伝統を受け継いだ同時代的にかなり一般的にみられる思想にすぎないものであったのである。
 (栗原優『ナチズムとユダヤ人絶滅政策 ―ホロコーストの起源と実態―』ミネルヴァ書房、一九九七年、15~16)


 九時のアラームで起床。フランツ・カフカ及びマックス・ブロートについての夢を何かしら見たような感触があるが、覚えているのはその一事だけで、詳しい内容については何の残骸も残滓もない。ベッドを抜けてアラームを止めると、いつも通り寝床に戻るのだが、今日は臥位に陥ることは避けられて、これは起床できるなという確信があった。窓外から射しこんでくる澄んだ光を受けながら目を瞑っていたが、じきに、ロラン・バルトの『ミシュレ』を瞥見しつつ意識を固めようということで、ベッド脇のスピーカーの上に積まれた本たちの一番上に乗せられたものを取ってひらいた。適当に文章を目にしているうちに身体の感覚が整ったので布団の下を抜ける。コンピューターを点け、Twitterをちょっと眺めてから上階へ。ジャージに着替えていると、洗面所から出てきた父親がおはようと言ったので挨拶を返す。ソファの縁に置かれた携帯からは、箱根駅伝の報道らしい音声が飛び出している。ジャージに着替えてダウンジャケットを羽織ると台所に入り、昨晩作った味噌汁の鍋を火に掛け、釜のなかに残った中華おこわをすべて椀に盛る。味噌汁も椀に入れて卓へ、食事を始める。テレビは点けられており、箱根駅伝を映していたと思うが、興味がなく目を向けなかったので、それについての印象は何もない。父親はソファに就いてじっと眺めていたようだ。新聞に目を落としながら食事を進める。在イラク米大使館襲撃に関連して、ドナルド・トランプTwitterでイランの関与を非難したところ、アリー・ハメネイが「ぬかすな」と反論したとのことで、この「ぬかすな」という和訳の言葉選びはなかなか面白い。その他、台湾で軍制服組トップの参謀総長が乗ったヘリコプターが墜落し、参謀総長を含む八人が死亡したとのこと。
 食後、皿を洗う。正月の風物詩、箱根駅伝などがテレビには映っているが、正月の空気感のようなものをまったく、これっぽっちも感じられない。日常の延長のようにしか思えない。それは一面では多分、単純に歳を取ったということでもあるのだろうが、もう一面では何と言うか、〈労働/余暇〉という現代社会の一般的なリズムに自分が同化していないと言うか、つまりは労働がある平常の日よりも、休日や、こういう休暇のあいだの方がむしろ、自分にとっては〈仕事をしている〉という感覚が強いということなのではないか、とちょっと思った。と言うか、自分においては〈仕事〉が生活において全面化されていると言うか、むしろ〈労働〉の方が例外的な時間だと言うか。〈仕事〉という呼び方も本来は違うと言うかおそらく不十分な語だと思われて、ニュアンスとしては〈使命〉とか〈信仰〉と言った方が多分近いのだろうが。その後、風呂を洗う。浴室の床にはマットが寝かされており、漂白されているらしいので、これ漂白してんの、と母親に訊くと、もう流して良いとのことだったので、まずシャワーを取って水を浴びせた。白い泡が漣のようにしてマットの上を流れていく。それでマットは立てかけておき、浴槽内を擦り洗って、洗剤を流すと室を出てきた。台所には牛乳が一杯放置されていたので、これは、と尋ねると父親のものだと言う。それで、青汁の素と一緒にソファに座って呆けたように駅伝を見ている父親のもとに運んでやり、スプーンも添えた。父親は休暇中の気楽さに任せて髭を剃っていないらしく、灰色の無精髭が口の周りを覆っていた。そうしてこちらは緑茶を用意して下階へ。
 Evernoteで前日の記録をつけ、この日の記事も作成すると、茶を啜りながら読み物。二〇一九年一月三日。その一年前、二〇一八年一月三日からの引用がある。曰く、「前日の記事を書こうと思ってコンピューターに向かい合ったのだが、頭のなかに言語が浮かんでくることそのものが恐ろしく、二、三文書いたところで、どうもこれ以上は続けられないなと判断された(……)」「自分が何を恐れているのかと考えると、まず何よりも、自分の頭が狂うことだった。頭に言語が自動的に浮かんでくるということが怖いというのもそのためで、止せば良いのに(とわかっていながら調べてしまうのが精神疾患の患者というものなのだが)インターネットを検索して、統合失調症の症状として思考が止まらず溢れ出してくる、というものがあるということを知り、自分は統合失調症になりかけているのではないか、このままだと頭のなかの言語がコントロールを失って、そのうちに幻聴のようになってくるのではないかという恐れがあったのだ」とのこと。「頭のなかに言語が浮かんでくることそのものが恐ろしく」とか、端的に言って頭が狂っていると思うのだが、今現在もこの脳内の独り言は普通にあり、常に渦巻いていて、先日はそれを〈原 - 言語〉などと名付けもしたわけだけれど、それに対する恐怖や不安はもはやまったくない。この時の恐怖は一体何だったのだろう? 「自生思考」と呼ばれるような症状だと思っていたのだが、そういうことでもなかったのだろうか? この二〇一八年一月三日及び四日における脳内言語の勢いは、まさしく奔流という感じでかなり凄まじかった覚えがあるのだが、それも、不安障害の症状が回帰していたために、つまり(……)さんが以前言っていたように、自分の思考そのものが不安の対象になってしまったために、その勢いが激しく、強く感じられた、というに過ぎないのだろうか? わからない。今となっては不明である。
 以下の分析、不安障害の意味論的解読もなかなか面白い。結構透徹している。何しろこの時は、必死だったと思う。自分の症状の根源を見定めることができれば、病状を受け入れ、それを解消することができると思っていたのだろう。

 (……)自分の最近の症状と言うのは、不安障害の症候そのものだったのだと気づく瞬間があった。それまでは、自分は本当に、統合失調症か何かになりかけているのではないかと危惧していたのだが、このままだと気が狂うかもしれないという不安というのは、パニック障害の特徴の代表的な例として良く紹介されているのだ。それでは、自分は根本的には一体何を恐れているのかと問うてみた時に、確かな解答はわりと速やかに出てくる。それは、不安という心的状態そのものである[﹅16]。おそらく不安障害も一番初めは具体的な何かに対する不安から始まるのだろう。しかし、症状が進むなかで不安は転移していき、次々と新たな不安の対象を発見していき(あるいは作り出していき)、最終的には不安そのものを怖がる不安不安症、恐怖恐怖症に至ってしまう。マーティン・ルーサー・キング・ジュニア牧師がこのようなことを言っていたらしいのだが、これは自分には非常に納得される考えである。自分は明らかに、こうした地点にまで至っている。
 こちらが今まで不安や恐怖を感じてきた対象を大まかに区分すると、一つには上にも挙げた「他者」がある。もう一つは、「死」である。三つ目が、不安そのものである。これらに共通することは、「受け入れるしかないもの」だということである。「他者」はこちらから独立自存して存在しているものだから、その存在は受け入れるほかなく、また彼らは自分と異なった存在なので、彼らとのあいだに齟齬が生じることも仕方がない。「死」は言うまでもなく、どうやら誰の身にも訪れるものらしく、またそれがいつ来るかはわからないのだから、どうにもならない。そして不安という心的現象は、不安障害者である自分にあっては、コントロールできるものではない。
 このように、自分は「受け入れるしかないもの」を受け入れることができていなかった、それが不安の根源ではなかったかとまず考えた。これらのうち、最も根源的なものだと思われるのは、不安そのものに対する不安である。おそらく初めは、「他者」やそこから生じる齟齬そのものが怖かったはずだが、その後、病状が不安不安症と言うべき様相に至った時点で、不安そのものを軸として関係が逆転し、「他者」や「死」とは、不安を引き起こすから怖い[﹅12]という同義反復的な論理の認知が生まれたのだ。そして、ここから先が重要なポイントだと思われるのだが、不安の発生そのものを怖がる不安障害患者にとって、この世のすべてのものは潜在的に不安に繋がる可能性を持っている[﹅30]のだ。言い換えれば、彼にとっては、すべての物事の最終的な帰着先、究極的なシニフィエが不安だということである。したがって、彼にあっては、生きていることそのもの、目の前に世界が現前していることそのもの、自己が存在していることそのものが不安となる。生の一瞬一瞬が不安の色を帯び、ほとんど常に不安がそこにある状態を体験することになるのだ。
 自分がこのような状態に至っていることをまず認識した。そして、ここから逃れる方法は一つしかない。それを受け入れることである。すなわち、不安からは絶対に逃れられない、ということを心の底から確信して受け入れられた時、初めて自分は不安から逃れることができる。まるで禅問答のようだが、これがこちらの根底的な存在様式なのだ。こうしたことは、パニック障害を体験する過程で考えたことがあるし、自分はそれをわかっていたはずだったのだが、薬剤に馴染んで症状が収まるにつれて忘れていたのだろう。今回、自分は改めてこのことを定かに認識した。自分は自分が思っていた以上に不安障害患者だったのだ。ここ数日、頭が狂うのではないかなどという恐れを抱いていたが、何のことはない、上のような意味で、自分の頭ははるか昔に既に狂っていたのだ。
 (2018/1/3, Wed.)

 ほか、二〇一九年一月三日当日の方からは、散歩に出た際の、「空には青味が僅か残っており、暗い色だが氷の壁が立ち塞がっているように澄明で、乱れなく均一なその色のなかに塵のように小さな星が埋めこまれてちらちらと光っている」という風景描写が、まあ大したものではないが多少は質感がある。
 その後、(……)の(……)も一日分読んで時刻は一〇時半、Twitterを眺めていると"idiotic"という単語を見かけて、そこから連想的にRadiohead "Idioteque"のことを思い出して、メロディが頭のなかに流れはじめたので、一曲流して歌った。それからこの日の日記を書き出して、ここまで綴ると一一時。
 便所に行くついでに自室の燃えるゴミを階上のものと合流させておくことに。ゴミ箱を持って上階へ行き、尿意及び便意が高まっていたので先にトイレで排泄。それから台所のゴミ箱にゴミを移して押しこんでおき、部屋に戻ると次いで、前日、一月二日の記事を綴る。四五分で正午に至る前に完成。これであとは一二月三一日の日記を書けば負債はなくなるが、それがまた長くなるのは間違いないところだろう。日記作成を中断すると上階に行った。母親がたこ焼き器をテーブルに出してたこ焼きを既にたくさん拵えていたので、有難うと礼を言った。卓に就き、機械の上のたこ焼きを取り、ソースとマヨネーズを掛けて食べる。熱く、かりかりとしていてなかなか美味い。テレビはニュース。先ほどからTwitter上でセンセーショナルに伝えられていたが、米軍の攻撃によってイラン革命防衛隊の司令官が殺害されたと。そのニュースに差しかかったところでテレビの音量を上げたが、報道はすぐに終わって、何か日本国内のローカルな話題に移り変わってしまった。そのうちにテレビは『ためしてガッテン』を映し出す。白菜について。白菜のなかには玉ねぎなども比べても豊富なグルタミン酸が含まれていて、その出汁は絶品だと。固く結球することによって水分と栄養分を内に蓄えているらしい。そんなような内容をぼんやりと見たあと、席を立って皿を洗った。その頃には、階下でコンピューターを前に年賀状の作業か何かしていた父親も、階上に来て食卓に加わっていた。入れ替わりのようにしてこちらは皿を洗い、緑茶を用意して自室に帰った。
 読み物。まず英語。Slavoj Zizek, "ISIS Is a Disgrace to True Fundamentalism"(https://opinionator.blogs.nytimes.com/2014/09/03/isis-is-a-disgrace-to-true-fundamentalism/)。思いの外に短い文章だったのですぐに読み終わった。ジジェクという人も、昔から名前は知っているけれど、その文章を読んだことは今までほとんどない。いつになったら読書の文脈に上がってくるだろうか。

・caliphate: カリフの地位(支配権)
・permissive: 自由放任の
・predicament: 苦境、窮状
・anemic: 無気力な; 沈滞した
・intrigue: 興味を惹きつける

(……)But what causes such fear and consternation is another feature of the ISIS regime: The public statements of the ISIS authorities make it clear that the principal task of state power is not the regulation of the welfare of the state’s population (health, the fight against hunger) — what really matters is religious life and the concern that all public life obey religious laws. This is why ISIS remains more or less indifferent toward humanitarian catastrophes within its domain — its motto is roughly “take care of religion and welfare will take care of itself.” Therein resides the gap that separates the notion of power practiced by ISIS from the modern Western notion of what Michel Foucault called “biopower,” which regulates life in order to guarantee general welfare: the ISIS caliphate totally rejects the notion of biopower.

Does this make ISIS premodern? Instead of seeing in ISIS a case of extreme resistance to modernization, one should rather conceive of it as a case of perverted modernization and locate it into the series of conservative modernizations which began with the Meiji restoration in 19th-century Japan (rapid industrial modernization assumed the ideological form of “restoration,” or the return to the full authority of the emperor).

(……)However, we should not forget that even this image of a strictly disciplined and regulated fundamentalist organization is not without its ambiguities: is religious oppression not (more than) supplemented by the way local ISIS military units seem to function? While the official ISIS ideology rails against Western permissiveness, the daily practice of the ISIS gangs includes full-scale grotesque orgies, including robberies, gang rapes, torture and murder of infidels.

It may appear that the split between the permissive First World and the fundamentalist reaction to it runs more and more along the lines of the opposition between leading a long satisfying life full of material and cultural wealth and dedicating one’s life to some transcendent cause. Is this antagonism not the one between what Nietzsche called “passive” and “active” nihilism? We in the West are the Nietzschean Last Men, immersed in stupid daily pleasures, while the Muslim radicals are ready to risk everything, engaged in the struggle up to their self-destruction. William Butler Yeats’ “Second Coming” seems perfectly to render our present predicament: “The best lack all conviction, while the worst are full of passionate intensity.” This is an excellent description of the current split between anemic liberals and impassioned fundamentalists. “The best” are no longer able fully to engage, while “the worst” engage in racist, religious, sexist fanaticism.

But are the terrorist fundamentalists really fundamentalists in the authentic sense of the term? Do they really believe? What they lack is a feature that is easy to discern in all authentic fundamentalists, from Tibetan Buddhists to the Amish in the United States — the absence of resentment and envy, the deep indifference towards the nonbelievers’ way of life. If today’s so-called fundamentalists really believe they have found their way to Truth, why should they feel threatened by nonbelievers. Why should they envy them? When a Buddhist encounters a Western hedonist, he hardly condemns. He just benevolently notes that the hedonist’s search for happiness is self-defeating. In contrast to true fundamentalists, the terrorist pseudo-fundamentalists are deeply bothered, intrigued and fascinated by the sinful life of the nonbelievers. One can feel that, in fighting the sinful other, they are fighting their own temptation. This is why the so-called fundamentalists of ISIS are a disgrace to true fundamentalism.

It is here that Yeats’ diagnosis falls short of the present predicament: The passionate intensity of a mob bears witness to a lack of true conviction. Deep in themselves, terrorist fundamentalists also lack true conviction — their violent outbursts are a proof of it. How fragile the belief of a Muslim must be if he feels threatened by a stupid caricature in a low-circulation Danish newspaper. The fundamentalist Islamic terror is not grounded in the terrorists’ conviction of their superiority and in their desire to safeguard their cultural-religious identity from the onslaught of global consumerist civilization.

 続いて、バルテレミー・クールモン「戦後日本の合わせ鏡としてのヒロシマ」(https://synodos.jp/politics/22924)。

 1952年まで続いたGHQ占領史観に拠って立つ歴史解釈か、ときの世論に迎合し、戦中の日本の戦争犯罪を過小評価しようとする保守派による解釈か。日本の戦後期は、このふたつの解釈の間で揺れ動いてきた。これはそのまま、日本は自らの歴史について分裂症に陥っているとの印象を与える。ヒロシマの破壊に焦点を当てるのではなく、その歴史的意味を探る作業は、いずれの立場にあっても、勝者と加害者の立場を、敗者と被害者の立場へと読み替えるためのアリバイとしてしか作用していない。だから、左、右の何れの修正主義的な解釈も、イデオロギーではなく、対立する双方の立場の言説や立場を強化する作用しか持っていないのだ。(……)

 こうしたナショナリストにとってヒロシマが意味するのは、アメリカの技術的優位性でしかない。なぜなら、日本の敗戦は戦前日本のイデオロギーや軍事政権の敗北ではなく、街を瞬間的に消滅させ、国民と指導者を殉教に追いやった核兵器によってもたらされたものだからだ。だから、このナショナリズムからは、日本の技術的優位性の確立と、そして日本の外交と安全保障の方向転換が唱えられ、さらに日本軍による虐殺の歴史の矮小化ないし歴史修正主義的な見方が唱えられることになる。(……)

 70年以上が経ってもなお、ヒロシマという経験ならびにその解釈や教訓は、日本にとって奇妙なパラドクスであり続けている。たしかに、原爆投下という悲惨な経験と、続くGHQの占領は、戦前日本の統治、憲政、社会との決別を可能にし、30年以上に亘る平和主義の礎を提供してきた。しかしヒロシマナガサキの破壊があったゆえに、日本の戦争責任についての深い反省が回避され、歴史はいかに記憶されるべきという営みは後に回されることになった。
 これは、不遜な比較をするならば――1945年8月に起きた二重の悲劇が人類史で唯一の経験であれば、どのような比較も不可能となる――、1945年春のベルリン絨毯爆撃という悲劇を経験し、戦後復興の責任を感じた若者たちが(実際、戦後ドイツはその足跡を辿った)、そのトラウマから、戦争の加害者・被害者問わず社会そのものが被害者であるとみなしたために、ナチス・ドイツの侵略のみならず、その罪を一定程度まで免じてしまったことと対照的だ。たとえば、ベルリンのブランデンブルク門ホロコーストの記念碑はあっても、指導者を含む第二次世界大戦中の戦死者を追悼するモニュメントはどこにも見当たらない。ヒトラーが最後の日々を過ごした防空壕の跡地は、建物に囲まれた駐車場と化し、そこに何があったのかを示す標章は何ひとつない。目につくものといえば、再生ゴミの収集所だけだ。

 さらに、綿野恵太「オルタナレフト論 第1回 躁転したマーク・フィッシャーとしてのオルタナライト」(http://s-scrap.com/2959)も。

 だが、フィッシャーの批判にもかかわらず、最終的に自殺してしまったフィッシャーと、楽天的にアポカリプスを待望するランドは、同じコインの両面のように見える。フィッシャーはランドの教えを受けていたそうだが、資本主義に対する無能感が両者には共有されている。つまり、「資本主義の終わりより世界の終わりを想像する方がたやすい」とフィッシャーは述べるが、「ならば、資本主義によって世界を終わらせてしまえ」というのが、ニック・ランドではないだろうか。加速主義のイケイケドンドン感は「再帰的無能感」ならぬ「再帰的万能感」なのであり、ニック・ランドとは躁転したマーク・フィッシャーなのである。一時期はアンフェタミン中毒だったというランドは、思想的にもハイなのだ。しかし、「資本主義の最期を告げる鐘が鳴る」ことを信じられないランド的加速主義は、「世界の最期を告げる鐘が鳴る」ことを待望してしまう。オルタナライトには資本主義のオルタナティブを想像できない無能感が隠されているわけだ。

 以上読み物に触れると一時四〇分、そこからこの日の日記をここまで書き足して、二時直前。一二月三一日の日記に取りかかるか、書抜きでもするか、音楽を聞くか、それとも洗濯物を取りこみに行くか?
 最後の選択肢を選んだ。上階へ行く。母親は炬燵に入ってタブレット。もう入れても良いかと声を掛けて、眩しい陽射しを正面から顔に浴びながらベランダに出て、吊るされたり柵に取りつけられたりしたものを室内に入れていく。あまりに明澄な晴天で、空気も穏やかなので、どこかに出かけるか陽を浴びながら散歩でもしたいようだが、同時に面倒臭い気持ちもあるので、結局は外出をしない。ハンガーを使って干してある大根などは取りこまずにそのままにしておき、室内に入れた洗濯物を、ソファの後ろに立ちながら畳んでいく。母親の手もとを見てみるとタブレットにはメルカリが映っていて、こいつ、本当に暇さえあればメルカリ見てんなと思った。タオルを畳み、肌着を畳み、ジャージを畳んで、その後、シーツと布団カバーを持って下階に帰った。下階のベランダにも布団が干されていたのでそれを取り入れに掛かる。入れたあと、寝床を整えたのだが、間違えてシーツと毛布の敷く順番を逆にしてしまったので、母親がやって来たあと、協力して敷き直すことになった。さらに、布団をカバーのなかに入れるのも母親は手伝ってくれる。協力して寝床を整え終えると、時刻は二時半頃、コンピューターに寄り、FISHMANS『Oh! Mountain』とともにロラン・バルト/松島征・大野多加志訳『声のきめ インタビュー集 1962-1980』(みすず書房、二〇一八年)の書抜きに入った。三八分間。

 「彼[ブレヒト]は快楽が革命的な任務と決して相容れないとは一度も考えたことがありませんでした」
 「(……)「それら[快楽主義の側面]の残滓を清算」しなければならないと言うかもしれません。そうではありません、それらを清算するべきではなく、それらが残滓ではないようにしなければならないのです。革命的な実践は、どの段階にあろうとも、ポリフォニックな実践です。行動、ディスクール、象徴、活動、決定の非常に広範な混合です。それは多元的なタイプの活動なのです」
 「知識人は代理人ではありません。彼はプロレタリアを代弁する者ではありません。革命的な見地から、彼に欠けているものについて、彼の知的な活動を衰弱させるものについて、知識人としての状況にあって現在の社会が彼に強要する疎外について報告するために、彼自身の名において語らなければならないのです。他人の疎外だけではなく、自分自身の疎外を認識すればそれだけ彼は革命的になるでしょう」
 「テクストと接触してあなた自身の主体をずらすという活動」
 「あなたは研究対象であるテクストを書いた主体を語の伝統的な意味での「作者」、つまり「作品に表された主観性」として扱うように宣告されているのです」
 「ユートピア、それはマルクスがもはやフーリエを批判しないような社会の状態です」
 「新しきものなし、すべては回帰する、というのはとても古くからある嘆きです。重要なのは、回帰が同じ場所に行われないということです。円環(宗教的な)に螺旋(弁証法的な)を置き換えること」
 「「別の場所で」、「螺旋状に」」
 「「テクスト」はベクトルを持たない、能動的でもなければ受動的でもないものです。それは被動作主を前提とする、消費の対象でもなければ、動作主を前提とする、行動の技術でもありません。それは生産であり、その取り返しのつかない主体は、たえず循環の状態にあります」
 「「客体」のないエロティックなものはありませんが、また主体の揺らぎなくしてはエロティックなものはないのです」
 「ですから、わたしの考えでは、「テクストの快楽」は美学、とりわけ文学的な美学とは馴染みのないあるものに送り返されるのであり、それは喜び、消滅の、主体の取り消しの様態なのです」
 「主体は堅固さ(そこには充足、十全、満足、本来の意味での快楽があります)から喪失(そこには破棄、「フェーディング」、悦楽があります)へと移り行くことができます」
 「形容詞がもっぱらステレオタイプな仕方で言語活動にやって来る時、それはイデオロギーへの扉を大きく開いているのです、なぜならイデオロギーステレオタイプの間には同一性があるからです。しかしながら、他の場合、それが繰り返しをまぬがれる時、主要な属詞として、形容詞は欲望の王道でもあるのです。それは欲望の「言葉」なのです、わたしの悦楽への意志を肯定する、わたしの対象との関係をわたし自身の喪失という常軌を逸した冒険へと導き入れる方法なのです」

 続いて、記憶ノートに手帳の文言を写していく。音楽はFISHMANSが終わると、Junko Onishi『Musical Moments』に。このアルバムは素晴らしいので、いずれじっくり聞きこんでみたいとは思っている。三〇分ほどペンを動かしたあと、書きつけてある事柄を頭に入れるべく一頁目から復習を始めたが、既に前日、前々日で触れた二頁目まではすらすらと反芻できたものの、新たに三頁目に入ると眠気に妨げられて、瞑目の内の意識が脇に逸れて記憶がなかなか進まず、苦戦した。一頁目から三頁目まで確認し終えるのに、総計で三六分が掛かった。それからこの日の日記を書き足して、現在は四時半過ぎ。
 三一日の記事を三〇分間書き進め、五時を回ったところで食事の支度に。上階に上がって母親に何を作るかと尋ねると、鍋にすると言う。台所には既に白菜や大根や牛蒡などが出されてあった。それで手を洗って、それらを切りはじめる。牛蒡二本を洗うためのブラシが見当たらず、引出しを探したりしてもなかったので、仕方なく冷たい流水を受けながら手で擦り洗って土を落とし、皮を剝いた。そのほか、玉ねぎ、人参、エノキダケなども切る。先ほどの『ためしてガッテン』で、白菜の芯も出汁が出るとのことだったので、芯の辺りも細かく微塵に刻んで入れることにした。それで材料を切り終えると――切るだけで三〇分くらい掛かったのだが――、あとは煮込むだけなのでその後のことは母親に任せることにして、早々と自分の部屋に帰った。六時半までだらだらしたあと――この日、明確に余計な時間を使ったと言うか、明らかに怠けたのはこの一時間のみだと思う――、ふたたび日記。一二月三一日。書いているうちに興が乗ったと言うか、すべて仕上げてしまおうという気になって、一時間半掛けて完成。八時を超える。腹は意外と減っていなかった。野菜を切っているあいだにチョコレートの小片を齧り、部屋に来てから魚肉ソーセージを食べただけだろうか。あれだけの食べ物でも腹に溜まるものだ。チョコレートのために血糖値が上がったのだろうか? ともかく、一二月三一日から既に仕上げてあった一月一日、二日と、三日分の記事をインターネットに投稿し、それで夕食を取りに行った。
 米に冷凍の竜田揚げに鍋に丸いトマトやレタスのサラダ。テレビは『YOUは何しにニッポンへ』。録画されたものだろう。特段に印象深い事柄は覚えていない。新聞、読んだか? 忘れた。食後、皿を洗って風呂へ。三〇分ほど浸かって色々と思念を巡らせるが、何を考えたのかはやはり覚えていない。新しい思考、新しい〈言語〉は多分なかったと思う。風呂を出て、緑茶とともに部屋に帰ると、一〇時から(……)さんのブログを読んでいるのだが、活動の開始が遅くないか? 八時九分に日記を書き終えて、そう言えば投稿のあいだはキリンジ『3』を流していたのだが、その六曲目、"エイリアンズ"が終わったのが、今プレイヤーの履歴を見ると八時四三分である。三日分あったとはいえ、投稿するだけのことに時間が掛かりすぎではないか? 何故だろう。とは言え、それなら活動開始が一〇時だったのも頷ける。九時頃から食事を取りはじめて、風呂に入ればもう一〇時だろう。そういうわけで、(……)さんのブログ記事を一つ読んだ。「(……)」: 「(……)」((……))。

 「実際、21世紀において、文学好きの若造が、ニーチェマルクスの強烈さに洗脳され、デューイの著述を「リベラリズム擁護者だ」「生ぬるい」と毛嫌っている中、その若造が育ったのが、デューイが推奨した教育制度、多元主義、探究精神の文脈の中である、ということが起こっているのは、デューイの幅広さを物語っている」
 「しかし、召集状は、一応のところ、物理的なものだが、思索の試みにおいては、召集状に当たるのは、生きた言葉であるので、それは、捉え難く、習慣の力によって覆い隠され、注視していないと逃してしまうものである。そして、結局、私たちが人間である限りにおいて、その試みは堕落としてしか現れない。だが、私の思うところの愚かさとは、現前性の関係性のみを曖昧に肯定し、その範囲内だけで目論むことである。思索が試みる言葉においては、愚かさに陥ることは、断固として拒絶される。思索の試みとは、その都度、現れる、新たな世代において、自らの状況を直視しながら、最も遠い未来を渇望する故に、思索が最も遠い過去とその卓越した範例に向くことである」
 「それこそ、エマソン自身も、『自然論』において、自らは「透明な目玉」として、自然の全てを受け入れる器であると言い切っている。これはつまり、私は神と直接つながっている、と大真面目に宣言しているのである」
 「また、アメリカの民主主義や連帯の文化は、独特の教会文化と切り離せない。つまり、これらの無宗教的な政治的風土は、毎週日曜日、同じ教会に集まり、一つの思想を魅力的に形成し続け、若者を育て、一緒に社会貢献する、というエートスを言い直しただけであるように見える」
 「ともかく、エマソンからデューイに至るような思索の試みを深化させるには、まず、自分自身が、一体どのような思想性を血肉化しているかを明確化し、それを徹底的に自己批判するところから始めなければならないと思うのである。自分自身が、一体どのよう神話的時空を無自覚の背景として保持しているのかを、自分自身に対して暴露しなければ、上の例のような無思慮な醜態を晒すことになる。そう、自らの思想性を暴露するのみならず、それが血肉化するまで学び尽くし、真っ向から殺しにかからなければならない。そして、殺しにかかった荒野において、砂金かもしれない断片をかき集め、新たな結晶化を試みる」
 「19世紀においては、差別と独占の溢れた世界における新たな場をこじ開ける優れた理想だったかもしれないが、応答する過去がなくなり、抽象的になった多元主義は、ただの思考停止の権化である」
 「解釈学として捉えるならば、思索の試みは、強いて言えば、疑い得ないテクストの他者性を発見するというよりも、完全に疑い得ない私自身が生み出す思索の方に他者性を予感し、それと向き合うことである」

 次いで、芝健介『ホロコースト』の情報を読書ノートにメモ書きする。BGMはJunko Onishi presents The Sextet『XII』。大西順子のアルバムはどれも高品質である。この作業のあいだは、傍ら耳に入ってきたトロンボーンがやたら上手かったので、何という人かと記録を見てみると、片岡雄三という人だった。インターネットで検索してみると、日本のトロンボーンプレイヤーのなかでは第一人者と言うか、トップクラスの巧者であるというような評が目に入った。なるほど。メモ書きは一時間続けた。大体まあ、毎日一時間くらいメモ書きの時間を取れれば良いのではないか。ノートに文字を書くとなると、やはり椅子にきちんと腰を据えなければならないわけだし、座位で動かずにじっと文字を書き続けるというのも、結構疲れるものだ。
 読書ノートに記録した情報のなかで気になったのはまず五一頁。「[一九三七年]六月末、外務省は、在外公使館、国内関係諸機関に回状を発して、ユダヤ人移送をパレスティナに集中してきた従来の政策の継続はもはや不可能であり、ユダヤ人すべてのドイツからの出国も「ユダヤ人問題」の全面的解決にならないと強調した」とある。「ユダヤ人すべてのドイツからの出国も「ユダヤ人問題」の全面的解決にならない」の認識が気になるもので、外務省の見方では、出国=追放政策の限界がこの時点で既に見えていたということなのか。
 次に、五四頁から五五頁の記述。「[一九三八年]一〇月二六日、保安警察・親衛隊保安部長官ハイドリヒは、一万五〇〇〇~一万七〇〇〇名いるとされたドイツ在住ユダヤポーランド人の国外退去を図る「ポーランド作戦」を展開しはじめる」。しかし、ポーランドの方でもユダヤ人が自国に帰ってくることを嫌って、「国籍剝奪法」なるものを定め、「一〇月二九日をもってドイツ・オーストリア在住ユダヤポーランド人の国籍は失効させると声明を発していた」。当然、ポーランドはドイツから追放されたユダヤ系の人々の受け入れを拒否したので、「ユダヤポーランド人たちは、無人地帯で野ざらしの難民状態になった」と言う。ポーランドという国も二次大戦においてはドイツとソ連に分割で占領されて苦難を被ってきた国だが、ユダヤ人に対するこうした処遇は記憶されておくべきだろう。そして、こうした事態が一九三八年一一月九日夜から一〇日未明に掛けて発生したいわゆる「水晶の夜」に繋がってくるのだ。と言うのも、「野ざらしの難民状態になった」ユダヤ系の人々のなかに、パリに住んでいた一七歳のヘルシェル・グリュンシュパンの両親が含まれており、それを伝え聞いたグリュンシュパンはパリのドイツ大使館を訪れて、三等書記官エルンスト・フォン・ラートを銃撃したのだ。フォン・ラートは一一月九日に亡くなり、その夜、ヨーゼフ・ゲッベルス反ユダヤ主義的な演説を行い、「党は外向けには示威行動の張本人として登場しないが、実際にはこれを組織し実行するものと了解されたい。ただちに各地へ電話でデモの指示を」(56)と指導者層に呼びかけた。これが「水晶の夜」を引き起こしたわけである。
 メモを一時間終えたあとは書見。まあメモ書きも書見の一種なのだが。芝健介『ホロコースト』の新しい頁を読み進める。概ね立ったまま、二時間三〇分弱。二時が近づいてきたところで、立ったまま読んでいても目が閉じるようになってきたので、就床することにした。