2020/1/5, Sun.

 ところで、このような大衆行動は決してヒトラーの望んだことではなかった。彼はすでに[一九三三年]三月一〇日にSA隊員とSS隊員にアピールを出し、行動は「上から指導された計画的なものでなければならない」と述べ、「個人に対する暴力行為、自動車の妨害、あるいは実業界の仕事の妨害は原則として禁止されねばならない」と訴えていた。一四日には内相フリックが各州政府あてに、「公共の安全と秩序のために」「かかる襲撃には厳しく対処」するよう要請した。しかし、いずれも効果がなかったのである。こうして、ヒトラーは自ら積極的にユダヤ人ボイコットを組織することによって運動のイニシアチブをとろうとした。かれは三月二六日にゲッベルスと相談して、各国のドイツ商品ボイコットにたいする防衛という名目で、四月一日を期して全国一斉のユダヤ人ボイコットを行なうことにした。ヒトラーは二九日の閣議で、「そうしなければ、防衛行動(ボイコットのこと)が民衆のなかから自発的に発生し、容易に望ましくない形態をとることになろう」と述べているが、これはよく彼の立場を物語っている。
 四月ボイコットは悪名高い反ユダヤ主義者シュトライヒャー(フランケン大管区指導者)を総指揮者として行動委員会を組織するというかたちで行なわれた。ユダヤ人商店の前にはSA、SSの隊員が歩哨に立ち、住民が店内に入らないよう警戒した。政府は、四月四日にボイコット終了を宣言したが、しかし、運動はおさまらなかった。運動は反ユダヤ的なだけでなく、反大企業的、反体制的な色彩を帯びてつづけられ、結局、七月六日、ヒトラーが「革命終結宣言」を出し、違反者を厳しく取り締まるようになるまで尾を引いた。この中で、四月七日、最初の反ユダヤ立法たる「職業官僚制再建法」が発布されたのであり、以後、一連の反ユダヤ法令がそれに続いたのである。
 (栗原優『ナチズムとユダヤ人絶滅政策 ―ホロコーストの起源と実態―』ミネルヴァ書房、一九九七年、19~20)


 一二時四〇分まで長寝。粘菌の様態。呻き声を上げながら起き上がり、ベッドを抜け出し、ダウンジャケットを持たず上階へ。快晴の日和。母親に挨拶。彼女は炬燵に入って昼食を取りはじめていた。お好み焼きと即席のアオサの味噌汁。台所へ行き、こちらもそれらを用意する。あとは塩バターパン。卓に就き、新聞から米イラン関係の報を読みながら飯を食う。テレビは何か、美容系の話題を取り上げたバラエティ。「ゴッドハンド」と呼ばれているらしい医師が、女性タレントの肩の周りを揉みほぐし、施術していた。それによって姿勢が綺麗になったり、血流が良くなって腕の方までぽかぽかと温まったりするらしい。書評欄にはそれほど興味を惹かれる本の紹介はなかった。「クリープハイプ」のボーカルである尾崎世界観のインタビュー本みたいなものが出たとか。この人は町屋良平とわりと仲が良いと言うか、どこかで対談をしていたような記憶がある。
 食器を洗い、風呂も洗う。尾骶骨の痛みがだいぶましになったようだ。それから自室に戻って急須と湯呑みを持ってきて、台所で茶葉を捨てていると父親が帰ってきた。床屋に行っていたらしい。鹿と猪の肉を貰ったと言う。床屋の主人が猟友会の会長だかと知り合いらしく、食べきれないほど貰ったのをお裾分けされたとのこと。じゃあビーフシチュー(ビーフではないが)にしなきゃね、とか、猪の肉はすき焼きみたいな感じにするのが良いとか両親は話し合っていた。こちらは下階へ帰る。
 茶を飲みながら、一年前の日記を読み返す。そのさらに一年前から、相変わらず不安障害についての考察が引かれている。なかなかに面白い。「言語が第六の感覚器官になった」という言葉には結構強い印象を受ける。

 言語化とはそのまま相対化である。しかし、ほかの人々が例えば、自己などというものは存在しないのではないか、いま自分が見ているこの世界は実在しないのではないかなどと考えたとしても、それで少々不安を覚えるようなことはあっても、実際に自我の解体の危機を感じるなどというところまでは行かないはずだろう。実際、そのような議論を行っている哲学者たちは、実に理性的に、その自我を保ちながら論を考えているはずだ。ところがこちらにあっては、こちらが考えたこと、こちらの頭のなかに浮かんできた言語が、そのまま強い不安という身体症状を引き起こすわけである。こちらが感じ考えたことを言語に移し替えているのではなく、言語として浮かんできたことがそのままこちらが感じ考えていることになるかのようだったのだが(ここ数日の自分の体験を言い表すのには、「言語が第六の感覚器官になった」という比喩よりぴったり来るものを思いつけない)、これは明らかに異常であり、この点にこそ自分の狂いがあるのかもしれない。しかし、実際には、これはやはり不安障害が寄与しているものだろうと思う。不安に襲われている脳と身体というのは、瞬間瞬間に自分の思いつくことの影響を、非常にダイレクトに受けてしまうのだろう。あるいは、不安障害自体を、意味論的体系が現実的体系と畸形的にずれ、あまりに過剰になりすぎる病状として定義することもできるのかもしれない(何しろ、ほかのほとんど誰もが危険や不安を感知しない場において、「不安」の意味を読み取ってしまい、それが高じて発作を誘発するくらいなのだから)。だから、最初のパニック発作の時点でこちらの頭はどこか決定的にずれてしまい、その後ずれにずれ、意味論的体系が膨張しすぎて今に至っているのかもしれない。
 (2018/1/5, Fri.)

 話をちょっと戻すと、相対化のことを説明した際に、自分にはそもそも性質として、どうしても「確かな」ものを求めようとしてしまうところがある(格好良く言えば「真理」への愛であり、すなわち哲学=フィロソフィアである)、しかし同時に、(普遍的に)確かなものなど存在しないのだということもわかっている、しかし、その都度その都度「確かだと思われたもの」で良いので、そうしたものをその都度その都度発見して行きたいのだが、それが今回、不安性向と結びついて極地に至ったのではないか、という自己分析を話した。つまり、その時々の「確かな」事柄を判断するために自分の精神は瞬間的な物事の相対化を行うが、直後にはすぐさま、それが本当に「確か」なのかと疑いはじめてしまい、不安を呼び起こす、そしてその不安から逃れるために/不安から追い立てられて、精神は高速で次の「確かさ」を探り当てようとし、発見したかと思えばそれをまたすぐに相対化しはじめる、といった具合で、自分の頭は永遠の循環に陥っているのだろう。実際、今回の危機でもそのままこれが起こって、目の前の世界の実在を疑い不安が生じるやいなや、身に湧き上がってくる不安こそが「リアル」なものとして感じられ、それで自分はまだ正気であると確認する、しかしそのすぐあとにはまた自らの正気を疑いはじめる、というような反復が何度も繰り返されたのだ。どうもそのように非常に分裂的な傾向が自分にはあるらしいと説明し、しかしもうそれで仕方がないと思っている、自分は不安を感じながらでも、その都度の確かさを求めて行きたい、それが自分なのだと先ほど図書館で開き直った、ということも話し、ただ、その分裂の幅をもう少し狭くしたいので、その点、薬で調節できたらと思っていると告げた。つまり、三日にMさんとの通話で出てきたキーワードで言えば、自分の精神は明らかに「動きすぎて」いたのだが、「動きすぎず、動き回りたい」というのがこちらの望みなのだ。また、この「分裂」を主軸として自分の不安の意味論的体系を(ある程度まで)読み解くこともできると思われるのだが、それはここでは触れない。さらにまた、自分のこのような特性を観察した結果として、むしろ「不安」こそが自分を自分として成り立たせている第一/最終原理、つまりはそれ以上相対化できないものとして定位されているのではないか(中世のキリスト教神学者たちが「神」に与えていた地位が、自分においては「不安」になっている)と考え、さらにそこから、「悟り」というのはこの「不安」でさえも相対化/解体しきったその先にあるのではないかということも考察したのだが、それもここで細かく述べる気にはならない。しかし今回のことで、仏教の言う「一切皆苦」という考え方がこちらには身に染みて理解できた。釈迦は不安障害患者だったとしか今の自分には考えられない。
 (2018/1/5, Fri.)

 ほか、描写として多少の質感を与えたのは以下の二つ。前者は大して〈強力な〉記述ではないが、何となく長閑けさが喚起される。後者もまあまあ。

 「南の窓辺に寄って外の風景を見やる。額に太陽の光線が当たってじりじりと熱される。大根の生えている畑を見下ろして、次に斜面に生えた棕櫚の木を見れば、蓑のような枯葉の乏しくなってほっそりとしており、頂上の緑葉も少なくて松明のようである。梅の木には蕾がつきはじめているようだ。見ていると、隣家の敷地に猫が現れる。鼻から腹のあたりまでが白く、あとは黒い体の猫である。日向ぼっこではないのだろうか、ちょうど柚子の木の影に入ったところで立ち止まり、鷹揚とした調子であたりを見回している。耳がぴくぴくと動く。口笛を吹いたり、窓をリズミカルに叩いたりしてみるとその音に気づくのだろう、こちらのほうを見上げて目が合う」
 「道は全面日蔭に覆われ、山の先に向かう太陽の色が掛かるのは、通りの南側の建物の側面のみだ。道を歩くうちに時折り、建物のあいだから明かりが抜けて辛うじて目を射って来るが、大した威力もない。くるり "グッドモーニング"を低く呟きながら歩く。空はこの時間になっても前日と同様、四囲の端から端まで雲の消滅して水色に満ち満ちている。歩くうち北側の家々の窓に、もう山の稜線に掛かった太陽が金色に映り込み、それに瞬間目を向けて逸らすと視界の内に緑色の痕跡が印されるが、その反映も段々と下降して行って、家に続く裏路地に入る頃には巨大な光球は山の彼方に入り込み、空の色が淡くなったなか山際に漂白されたような純白が漂う。首もとは灰色のマフラーで守られて、午後四時だけれど寒さはなかった。木の間の坂を下って出ると、道端に生えた柚子の木が、黄色の実をいくつもつけて枝を撓らせ、木叢を垂れ下げていた」

 その後、二〇一四年四月一二日の日記も読み返すと二時。今日は地元の図書館に行こうと思っている。あるいは立川に出ても良いのだが。いずれにせよ、緑茶を切らしたので新しく買い足さなくてはならない。
 あと、書き忘れていたが、食事の終盤にテレビは『開運!なんでも鑑定団』に移行し、花田虎上が出演して、ポール・ギヤマンという作家の絵を鑑定してもらっていた。一〇〇万円とのこと。ほとんど黒い近いような暗い背景の前に、花瓶に入った紅色の花が描かれた構図だったと思うが、鑑定士の解説によると、絵の具の塗り方によって表面のテクスチャーがざらざらとした質感になっているのは、ギヤマンという人は親日家で何度も日本に来て作陶なども体験していた人なので、もしかしたらそちらの方面からインスピレーションを得たのかもしれない、とのことだった。
 着替え。上はチェック柄のシャツ、下は青灰色のイージー・スリム・パンツ。羽織りはモッズコートである。リュックサックのなかには立川図書館で借りた二冊の詩集――やはりロラン・バルトを読む方が今の自分にあっては肝要だということで、まったく読まないままに返してしまうことにした――や、地元の図書館で借りているCD三作品に加え、コンピューターも入れる。地元図書館で書き物をしようかと思ったのだったが、結局そうすることはなかったので、もっと荷物を軽くするべきだった。コートを着て、リュックサックを担ぎ、濃淡の違う緑色を組み合わせたチェック柄のストールを持って上階へ。ストールを首に巻き、リュックサックを背負って、じゃあ行ってくると残して玄関へ。靴を履いて姿見をちょっと見やったあと、戸口をくぐる。天気は晴れ晴れとしていたと思うが、空気はわりあいに冷たかった。日向はまだ道に残っていて、アスファルトの細かな凹凸と、そのなかに入りこんだ木や葉の茶色い屑が明らかに見える。坂、途中、鳥の声――右方の林の向こうから。坂を上るあいだは、アマチュアであることについて考えていた。〈徹底的に〉アマチュアとしてあること。それがおそらく自分に適合した路線だ。しかし、それはどういうことなのか? おそらくはつまり、〈責任を担わない〉ということ。徹底して〈無責任〉であること、〈権威〉から距離を取ること。それを完全になくすことは無理だとしても、自分の言表/言説/言明に付き纏う権威を、せめていくらかなりとも〈稀釈する〉こと。
 坂を抜けると、鴉が頭上を横切って、電柱のてっぺんに止まる。それを見上げながら、母子とすれ違う。男児(だったと思うが)はぴょんぴょん飛び跳ねるように動きながらこちらの横を通り過ぎていった。歩を進めると、鴉も背後からふたたび飛び立って、別の電柱の頂上に移る。それをふたたび見上げる。鳥が体を動かすのに応じて、嘴の部分が、白あるいは銀色の光沢を帯びる。
 ロラン・バルトの作品と関連書をひとまず全部読むこと、話はそこからだな、と考えながら街道に出た。しかし関連書も含めると、最低でも多分三〇冊から四〇冊くらいはあるはずで、昨年の記録を考慮するとこちらが一年で読める本の冊数は大体八〇冊くらいだから、おそらく早くとも半年は掛かる。しかも昨年は四月だか五月だかまではニートをやっていたので結構時間があった。今年はそうは行かないので、実際にはもう少し読むペースは落ちると思われるから、ほかのジャンルの本に寄り道をする可能性も合わせて考えると、結局一年くらい掛かってしまうのではないか。バルトを全部読んだあとは、ミシェル・フーコーかな、と一応思っているけれど、一方で、バルトが影響を受けた本たちに触れたい気持ちもある。そのなかで筆頭となるのはやはりニーチェ、そしてブレヒト、あとはクリステヴァラカンデリダあたりか。サルトルソシュールもまあ読みたいは読みたい。ほか、フーコーからカンギレム、そしてアランへと遡っていく流れも考えられるし、レヴィ=ストロースもかなり興味はある。レヴィ=ストロースは活動期間もやたら長いし(確か九〇歳代になっても地下鉄に乗って研究室に毎日通っていたとか聞いた覚えがある)、非常に面白そうで、そこから学べることは多大にあると思う。レヴィ=ストロースと言えば「構造主義」と呼ばれる思考潮流の、ある種の開祖と言うか、彼が人文学系の学問の方にいわゆる「構造主義」的な思考原理を取り入れたというのが一般的な共通了解としてあると思うが、「構造主義」で言えばそれをアンドレ・ヴェイユとかブルバキにまで遡って理解した人間が一体この世にどれほどいるのかという話もあるわけで、やはり行く行くはそういう領域を目指したいとは思う――そのためには数学も相当勉強しないと行けないのだろうが――。
 ロラン・バルトみたいな、いわゆる「ポストモダン」と呼ばれるような姿勢とか、そのレトリックの使い方、あの一種晦渋な文彩/文才、〈曖昧な〉文章の書き方というのは、今の時代にはもう流行らないのだろうとは思う。現在はとにかく「実証主義」的な隆盛が回帰してきていると言うか、いわゆる「エビデンス」とか、「わかりやすさ」というものがとにかく求められる世界なので。ただ、そういう世だからこそ、バルト的な、ある種の〈エレガンス〉みたいなものの価値が見直され、取り入れられても良いはずだとも思う。
 しかし本当は、ロラン・バルトの次に/先に、行かなければ/進まなければ/貫かなければいけないはずなのだ。そのためには当然、バルト的な思考形態とか語彙とかを自家薬籠中のものとしなければ――つまり自分の身に〈インストール〉しなければ――ならないわけで、だからまずは、ロラン・バルトを全部読むこと、話はそれからだ、ということにどうしてもなってしまう。しかし一方で、バルトが決して手を出さなかった領域、つまりは「直接行動」の領域、そちらの陣営の人々――「活動家」――からも学ぶべきものはあるはずで、そうした方面もいずれは勉強してみたいような気もする。
 あと、手帳のメモには「純粋な贈与」とか、「愛・身体」とか書かれているのだが、これについてどんなことを考えたのかは忘れてしまった。レヴィ=ストロースも読まねばとか、構造主義ブルバキにまで遡らなければとか考えながら裏路地を歩いていると、近くで鈴の音が聞こえた。何かと思って辺りを見ていると、自動車整備工の敷地に停まった車の脇から白猫が現れたので、近づき、手を伸ばしたものの、猫は止まらずにこちらの手を逃れて道に出てしまった。歩いていく猫のあとをついていく。じきに一軒の塀に寄って、体が痒いのか身を擦りつけはじめたので、そこにまた寄っていき、しゃがみこんで体に手を触れた。首につけられた鈴は青いものだった。陽光が猫とこちらと塀を包みこみ、猫が顔を震わせるたびに鈴が清かな響きを立てる。左右に行き来しながら時折り塀に身を擦りつける猫の体をしばらく撫でてやり、猫がふたたび道に出るとこちらも立ち上がって、いつもこの猫がいる宅の敷地に収まったのを見届けて先を進んだ。
 青梅駅着。なかに入ってホームに上がる。立川行き、三時九分発。二号車の三人掛けに乗ったはずだ。そうして芝健介『ホロコースト』を読み出す。電車内はほとんどがらがらだったと思う。こちらの向かいに人が乗ってきたのも、かなりあとのことではなかったか。『ホロコースト』を最後まで読み終えた時点で、多分拝島辺りだったのではないか。読み終えると新書をリュックサックに仕舞い、腕を組んで目を閉じた。何だか知らないが、感情が高ぶっていた。やはりホロコーストについて学ばなければならないなと思った。プリーモ・レーヴィ『これが人間か』のなかでシュタインラウフの言葉として伝えられている、「同意を拒否する能力」という一節が、頭のなかに繰り返し回帰していた。それについて考えているうちに、これは、ハンナ・アーレントが『責任と判断』のなかで語っていたことと軌を一にしているなと思考が結びついた。と言って、『責任と判断』の内容をもうよく覚えていないのだが、そこでアーレントは確か、概ね次のようなことを言っていたはずだ。ナチ体制下において、その体制の暴虐的な力に呑みこまれなかった人間というのは、体制に加担することが、自分自身とのあいだに究極的な/決定的な齟齬を生んでしまうから、それを拒否したのだと。彼らにとっては例えば他人を殺したり、ユダヤ人を密告したりしてしまえば、それは自分が自分でなくなるということと同義だったのだ、と。自分自身とのあいだに確かな/定かな調和を保つために、彼ら彼女らは〈静かな〉、しかし頑強な抵抗を繰り広げたと思われるのだが、ここにおいて重要なのは、その抵抗が行動の〈拒否〉という形で具現化されたという点だ。つまりそれは、〈否定性〉のテーマがここにおいて重要なものとして浮かび上がってきたということだ。『責任と判断』を以前読んだ時には、この〈自己との調和〉の様態が、否定性(~~をしない)としてしか定式化されていないことに少々不満を覚えたのだが――それはしかし、肯定性(~~をする)の方にまでこの原理を拡大してしまうと、それと独善とをどのように区別するかという難問に踏みこまなければならなくなるからだと思うのだが――、そうではなかったのだ。〈否定性〉、「同意を拒否する能力」こそが、考えるべきテーマだったのだ。『責任と判断』を読み返さなければならない。
 究極的には、つまり「極限状況」においては、おそらく問題は言わば、非人間として生きるか、それとも人間として死ぬか、ということにあるのだろう。そういうことを考えながら感情が高ぶっていて、正直に言えば目に涙が溜まっていて、繰り返し繰り返し目をひらいてそれを拭わなければならなかったのだが、まったく恥ずかしく、馬鹿げたことである。このような感情性はあまり良くないものだ。もっと冷静でなければならない。言わば、この上なく重要な物事を、ほとんど〈冷淡に引き受ける〉こと、それが肝要だ。大事なのは、熱情/狂信ではなく、黙々と/粛々と、日々確実に物事をこなす〈冷淡さ〉なのだ。たかが一冊、本を読んだだけで、感情を高ぶらせて何かをしたような気になっているのは、まったく馬鹿げたことではないか? それはまったくもって地に足のついていない態度ではないか? 具体的な、物理的な、〈身体的な〉水準で考えよう。極々単純素朴な話として、自分はドイツにもポーランドにも行ったことがない。強制収容所の跡地を見たことがない。ユダヤ人の知り合いも一人もいない。自分が住んでいるのは日本であり、一応首都東京の一部ではあるが、片田舎と言って良いような辺鄙な地方である。その生活は、まあ一応「平和」と言って良いものであり、例えば外国人があからさまに差別されたり不当な扱いを受けたりしている場面を、身の回りで直接見聞きしたことはない。自分は精神的にはともかくとしても経済的には自立しておらず、未だ親の経済基盤に頼ってようやく生活をこなしている身であり、社会的身分としては非正規労働者、いわゆるフリーターに属している。自分が毎日行っているのは文を読んで書くだけのことに過ぎず、それは〈身体的〉には、部屋のなかに籠って言語に触れ、また言語を自分のなかから産出するという行為に集約される。つまり自分は、そこそこの苦難を今までに経験してはきたものの、概ね「平凡な」生を送っている。この非常に具体的な水準を忘れてはならない。つまり、自分は未だ何も知ってはいないし、何も行ってはいないという〈謙虚さ〉の段階を失ってはならない。そして言おう、そのような条件下で例えばホロコーストについて学んだり、「極限状況」に思いを馳せたりすることに、何の、塵一つほどの矛盾も齟齬もないと。自分は「平和に」「平凡に」暮らしている、〈そして〉、自分は「極限状況」を学び、考える。この前後を繋ぐ連結辞は、「しかし」でも「だからこそ」でもあり得ない。〈そして〉、なのだ。逆接でも因果関係でもなく、単なる順接、あるいはそれよりもさらに〈控えめな〉、並列/添加である。つまり、これらの二項の接続は、まったく順当な、何の不思議もない、至極当然の論理的移行なのだ。そして、そうでなければならない。
 立川に到着。人々が降りていくのをちょっと待って、最後尾から降り、階段を上る。気持ちは高ぶったままで、涙も目に溜まったままだった。そんな状態で改札を抜け、人波のなかの一つの泡と化しながら広場に出て、高架歩廊を行く。上に書いたような思考が何度も何度も頭のなかに立ち戻ってきていた。「しかし」でも「だからこそ」でもなくて〈そして〉。それを繰り返しながら歩廊を行き、シネマシティと高島屋のあいだの通路を通って図書館に向かった。図書館前に至ってもまだ瞳は湿っていたのだが、図書館に入ってリサイクル本や新着図書を見ると、吟味の頭と心になったらしく、感情の高ぶりは段々と収まっていった。リサイクル本には特に欲しいものはなかった(青山南の何とか言う著作があったが)。新着図書も目新しいものは見かけなかったように思う。カウンターに近づき、お願いしますと低く言いながら詩集二冊を返却すると、フロアを歩いてフランス文学の棚に行った。ロラン・バルト/鈴村和成訳『テクストの楽しみ』を借りることに即座に決定。さらに、その隣にあったロラン・バルト/保苅瑞穂訳『批評と真実』も、地元の図書館にもあったものなのでこれで読むのは三回目か四回目くらいになると思うが、わりと薄い本なので借りてしまうことに。そのほか、ホロコースト関連の本を一冊借りようかと思っていた。フランス文学の棚にはエリ・ヴィーゼルの『夜』もあったので、これでも良かったのだが、何となく、「ホロコースト文学」と言うよりは、歴史的な研究書の類を読みたいような気がしたので、今日は見送った。エリ・ヴィーゼルだと、もう一冊、あれはエッセイなのか回顧録や自伝みたいなものなのか、そんなような本があった。多分、『たそがれ、遥かに』というものだったと思う。これもいずれ読むべきだろう。あとはフランス文学の棚では、バルトの『ラシーヌ論』にコレージュ・ド・フランスでの講義の記録、バルト関連の研究書、サミュエル・ベケットの作品あたりが読みたいもので、さらにはエドゥアール・グリッサンも気になっている。
 それで通路を辿ってフロアを戻り、ドイツ史の書架へ。諸々読みたいものはあるのだ。いくらでもあるのだ。『ヒトラーホロコースト』というタイトルだったか、講談社現代新書の概説の類らしき本があったので、やはりそのあたりから読んでいくべきなのだろうかと思いつつも、そのような何と言うか、打算的と言うか、〈安全な〉、優等生的な読み方ではなくて、やはり興味関心と欲望の強度に従って本を求め、読む順序を決めるのだということで、そういう観点から行くとまず読むべきなのは、何をおいてもニコラス・チェア/ドミニク・ウィリアムズ/二階宗人訳『アウシュヴィッツの巻物 証言資料』だろう。というわけで、これを借りることにして手に持ち、それからレヴィ=ストロース関連の蔵書を確認しておきたいなというわけで、文化人類学のコーナーに行った。「文化人類学」で一区画設けられているのが素晴らしい。しかし、レヴィ=ストロースの著作自体はさほどなかった。『はるかなる視線』と『野生の思考』くらいしか見当たらなかったように思うが、あと、『パロール・ドネ』があったか。また、レヴィ=ストロース周りと言うか、つまりは川田順造あたりの著作は結構あったように記憶している。さらに、今立川図書館のホームページで検索してみると、ほかにも結構所蔵されているようで、しかも『神話論理』なんかも哲学の区画に開架にされているらしいので、これは素晴らしい。
 確認を終えるとカウンターへ。カウンターの前に突っ立って順番を待っているらしき老人がいたので、その後ろに就いたのだが、貸出機が空いても老人は動かない。それで横に出て、良いですか、と訊いてみると、待ってません、とのことだったので、すみませんと言いながら貸出機に就いた。手続きを済ませて本をリュックサックへ。老人はリクエスト本を待っていたか、何かの調査か、ともかく職員の仕事を待っていたようだった。
 退館。通路行く。図書館から出て右折すると空の果て、その際に幽かなオレンジ色や紫色が見えたように思う。高架歩廊を辿りながら、今年一年は、ロラン・バルトホロコーストを学ぶことに捧げようと思った。バルトは、世間一般的な意味での「政治的」な活動をまったくしなかった人である。一九六八年の時にも多分沈黙を守っていたと思う。彼は「直接行動」からは最も遠かったフランス知識人の一人であるはずで、彼の戦場は何よりも言語活動の領域だった。言語活動のなかに不可避的に孕まれている政治性にこそ、彼は我慢ならなかったのだ。それで、文学の、テクストの、エクリチュールの、言語のユートピアを夢見ていたのだと思うが、そういう世間一般的な意味で完全に「非政治的」な〈夢想家〉ロラン・バルトと、物凄まじく「政治的」な、あまりにもおぞましい「現実」に関わるホロコーストという主題を、等しく学ぶこと。これらの、ある種対極と見ることができるかもしれない主題のそれぞれから、学べることを学び尽くすこと。それに今年一年は費やされることになるだろう。
 駅舎に入る。改札を抜け、二番線へ。一番線は確か拝島行きだった。二番線に停まっていた青梅行きの一号車に乗る。この帰りも結構がらがらだったと思う。借りてきたロラン・バルト/鈴村和成訳『テクストの楽しみ』を早速読み出す。翻訳がどうだろうなと思っていたのだが、全然悪くなかった。それどころか、結構ファインプレーではないかと思われる言葉遣いなども散見された。鈴村和成に対する印象が一遍にほどけた感じ。
 河辺駅に着くと降り、エスカレーターを行く。上りながら、生活においても、文筆活動(などという大袈裟な語を使いたくはないが)においても、ぎりぎりの、言わば「縁」を狙うこと、まさしく"Living On The Edge"(Aerosmith)、と思った。改札を抜けて歩廊を図書館へ。いや、違った。その前に、駅舎内の掲示板に寄り、奥多摩行きに接続する電車の時間を確認したのだ。何しろ外は寒いので、青梅駅で待ちたくなかったので。五時四五分が接続の電車だった。現在時刻は五時二五分ほど。余裕である。それで図書館に渡り、CDを返却したあと、CD棚へ。ジャズを見たが、見たところ特に目新しいものはなさそうだったので、今日は借りないことに。それから階段を上り、新着図書を確認。こちらにも、そこまで強く惹かれるものや新たに眼につく顔触れはなかったと思う。トイレに寄って放尿し、手を洗ってハンカチで拭きながら室を出て、階段を下りる。早々と退館、そして向かいのイオンスタイルのビルへ。入口の脇に時計やアクセサリーを陳列しているガラスケースがあり、店員の男性が、いくらか力なさげに客を呼びこんでいたのだが、何と全品一〇〇〇円だと言う。ちょっと気になったが一旦素通りしてビルのなかに入り、籠を取る。椎茸、エノキダケ、茄子などを保持。あとの目的は緑茶とビーフシチューの素である。通路を行き、背の高い棚のあいだに入って品物を探る。ポテトチップス(うすしお味)もついでに。緑茶は、何と言う名前だったか、「駿河」という語が入ったと思うのだが静岡県産のもの――これが前回買った時、なかなか美味かったのだ――と、もう一品は、前回は知覧茶にしたので今日は何か別のものにしてみようということで見たところ、三重県は伊勢産のものがあったので、Mさんの出身地だしということでそれにした。レジへの列に並ぶ。目の前は若い女性。たびたび後ろを振り返るのは、夫とともに遊び回っている子を気にかけているらしい。その子がじきに、チョコレートを持ってきた。母親は、いい子にしなさいね、とか強めに言いつけながら渋々それを受け取ったのだが、子供の方は知ったことではなさそうで、夫の方がベビーカーに子を乗せても、すぐに隙間から滑り出して降りてしまう。一度子供がこちらの持っていた籠に近づいて当たりそうになった時があって、母親は、あ、すみません、と言ってきたので、いえいえと低く答えた。
 そうして会計。レジ袋を貰う。マイバッグの類を持ってきた方が良かったのだが、忘れてしまった。金を払って台で品物を袋に整理し、提げて退館へ。入口のところのガラスケースを覗く。結構格好良い時計もあって、欲しいような気もした。とりあえず、めっちゃ安いですね、と店員に掛けてみると、頑張ってます、と相手は受ける。今日までですかと問うと、下手すると今日までですね、と。もしかしたら延長するかもしれないのだが、その旨の連絡がまだ自分のもとに来ていないのだと言う。気になるんですが、今じっくり見ている時間がないので、と言って離れようとすると、延長したら、来週までいると思いますと言うので、わかりましたと受けて駅に向かった。駅舎に入り、改札を抜けて、階段を下りている途中で青梅行き到着のアナウンスが入ったので、ぴったりだなと思った。ホームに下りてやって来た電車に乗り、リュックサックや荷物を下ろしてまた持ち上げることになるのが面倒臭かったので、座らず扉際に立ったまま目を瞑る。〈思念 - 言語〉を追って到着を待つ。
 青梅着。奥多摩行きはまだ来ていなかったので、降りずに電車内でしばらく待つ。〈思念 - 言語〉を追っている。アナウンスが入ったところで降り、二号車三人掛けに乗ったのだったか? いや、違う。最後尾の車両の、また扉際に就いたのだった。これもリュックサックを下ろすのが面倒臭かったためである。ほかの者らは皆座っているなか、一人扉に寄りかかって立ち、瞑目して待つ。発車して到着。
 降りてゆっくりホームを辿る。駅を出て通りを渡り、たまには違う道から帰るかということで、すぐそこの坂には入らず、東へ向かう。肉屋の隣の木の間の坂を下りていく。葉っぱはもうあまり散っていなかったと思う。帰宅。入る。時刻は六時一五分くらいだったか。部屋に帰る。着替え。コンピューターを机上に据える。腹が減っていて食事を取りたかったが、まだ米が炊けていない。それで、待ちがてらUさんのブログを読むことに。「思索」: 「思索と教師(16)」(http://ukaistory.hatenadiary.com/entry/2019/12/28/030654)。

 「より学ぶに値する範例を模索し、私は、アメリカ哲学が生きている数少ないアメリカの大学に留学をする決意をする。しかし、実際に現地で学ぶようになって気づくのは、党派性における強烈な非難合戦は、哲学書を読み解く人々の方が強いということである」
 「『思う』ことが一つの倫理となること」
 「楽器演奏に関心を失ったのは、おそらく、音楽的なリズムや音階がなくとも、「楽器」の演奏が可能だという自覚が芽生えたからだろう。すなわち、言説、スピーチ、そして思索である。単に言葉を発するというこれらの営みは、最も自分自身に近いどころか、自分自身の意思や思想を言い得る手段そのものであり、その楽器を演奏するために、演奏会などの特別な場が不必要なのである」
 「当初、デューイの言葉を借りることによって、私の育った経験世界を理解することを試みてからというもの、19世紀から20世紀にかけてのアメリカの思想家たち(デューイ、ジェイムズ、パース、ソロー、エマソンホイットマンなど)の著述を、自分自身の問題として、強く感情移入しながら読み解いていたので、その極度の接近によって、かえって自分自身という異質性を発見したとも言える」
 「哲学とは結局、納得するまで極端に考え抜く試みにほかならず、それを行うためのツールボックスである」
 「重要なのは、自らの思索の開始点が、吟味によって転換していくことであって、自らがどの哲学の系譜に属しているか、どの概念は説明能力が高いか、などという技術的・体面的問題ではない」
 「最も宗教的なのは、ラディカルに「学び」に開けていることである」
 「その都度、私自身に最も近いように思える思考を根詰めて吟味し、そこに準拠できなくなる疎外の航路」
 「かつては人類史全体から学ぶ気概を持っていたアメリカ哲学黎明期の魅力的な著述群を守る者たちも、自ら自身以外からは学ぶ気のない主義者になってしまった」
 「物事を端的に言い当てることが優れているとか、大げさな躍動感こそが言語の魅力だとする考えは、西洋の近代主義とそのロマン主義的応答の範疇を出ない気がする」
 「英語圏にはシェイクスピアやミルトンがそびえ立っており、ドイツ語圏にはゲーテニーチェヘーゲルがいる。「日本」には何があるのか」

 そうして食事へ。メニューは米、鶏肉のソテー、野菜スープ。鶏のソテーは大きな塊のままだったので、パックの上に取り出して切る。それを電子レンジで温め、スープはテーブルの方のストーブの上から台所の焜炉に移し、鍋の素を加えた。卓に品を並べて食事。テレビは『ナニコレ珍百景』。特に興味深い事柄はない。民家の雨樋から生えたミニトマトが紹介されていて、それが青空を背景にして赤からオレンジ、黄緑と各段階の色が揃っていて、なかなか綺麗だった。それくらい。食後、皿を洗って風呂へ。初めのうちは〈思念 - 言語〉を見ていたのだが、そのうちに意識が朧になって曖昧にほどけていたと思う。八時頃まで浸かっていたのではないか。出てくると自室に帰り、Mさんのブログ。「ダイアグラム」という概念は初めて知った。ガタリが、何とかかんとか分裂症地図作成法、みたいな本を出していたと思うけれど、あれにも関連するものなのか?

 (……)ルジャンドルの異様な「テクスト」概念――ある歴史上のダンスの形態、カリグラフィーの様式、映画、絵画、挙措、説話、歌、詠唱、朗唱、詩、儀礼、葬礼、法のさまざまな形態、親族関係の様態、社会そのものも、その変転のありのままをも含む――もこのような「機械」として理解できるだろう。なぜなら、まさに彼が「テクストの客観主義的表象」「情報化」を批判して見せてくれるのはこのような歴史上のさまざまな挙措であり、その偶発的な制定と案出の出来事であるのだから。そう、ユダヤ教の法文に塗った蜜を舐める子どもたち、この特殊な「テクストの読み方」が、ある可視性と言表の偶然の「遭遇」、すなわち「ダイアグラム」に沿ったものでなくて何だろうか。ダイアグラムとは、ある体制、最小度にミクロな水準から最高度にマクロな水準までを含んだある体制そのものであり、その創出である。
 だから、さまざまなダイアグラムが、装置が実在する。物が実在するのではなく、モンタージュが、機械が実在する。ドゥルーズフーコーがあげるのは、「規律ダイアグラム」であり、「主権ダイアグラム」であり、「司牧ダイアグラム」である。そう、もちろん「ネオリベラル・ダイアグラム」も「ポリスのダイアグラム」も「自己への配慮のダイアグラム」も「ローマ法大全の東ローマ帝国的ダイアグラム」も「ナチス・ダイアグラム」も当然存在しうるし、「司牧ダイアグラム」の下位ダイアグラムとして「修道院ダイアグラム」「フス派ダイアグラム」などさまざまな偶発的なダイアグラムが存在しうると考えられる。そう、統治性と反-統治性とはダイアグラムの、装置の、モンタージュの別の名であるだろう。そして、重大な問題がある。つまり、本性上、ダイアグラムは「実に不安定で、流動的で、突然変異を生じさせるような仕方で、素材と機能をたえずかきまわす。結局、どんなダイアグラムも、いくつかの社会にまたがっており(inter-social)、生成途上のものである。それは決して既成の世界を制限するように機能することはなく、新しいタイプの現実、新しい真理のモデルを作り出す」「予期しない結合、ありそうもない連続体を構成しながら、歴史を作り出すのである」。繰り返す。純粋な物質や物があるのではない。ダイアグラムが、装置が、機械が、モンタージュがあり、それが生産する「現実」と「真理」が実在するのだ。そしてもちろん、それは主体化を、ある装置のもとで生産される主体という装置を次々と製造していくだろう。装置、機械と言ったからといって「物質的なもの」が問われているのではない。技術だけが問われているのでもない。なぜなら「機械は技術的である前に社会的である。あるいはむしろ、物質に関する技術は存在する前に、人間に関する技術が存在するのだ」から。主体化のモンタージュ、主体化のダイアグラム。
 ダイアグラムは、「インターソーシャル」である。それはさまざまな社会の間を飛ぶ。地理的にも歴史的にも。だから、ダイアグラムは進化論に従順ではない。「全く新しい権力があらわれたのだ」。フーコーから始まったわけでもなかろうが、おそらくは彼が中継点となって伝播したこの言い方に対して一瞬の警戒を置くことは、常に何ものかでありうる。当然、新しいダイアグラムのモンタージュが形成されることはある。あるに決まっている。〈中世解釈者革命〉が絶対的に新しいダイアグラムの創出であったことを、誰が疑い得るだろう。しかし、だからといって他の装置、他のモンタージュが「時代遅れ」になり「古く」なり「消失」するなどとはもう考えてはならない。ダイアグラムは一瞬で消滅したりはしない。それは流謫し、思いがけなく別の場所、突拍子もない文脈で突出するのであって、そうそう無くなることはありえないのだ。少なくと「全く新しい」権力によって奇術のように全部が消失してしまうことはない。ダイアグラムとは、言うなれば力の錯綜体であって、都合よく時間系列に沿って並んだりはしない。それは横に飛ぶのだ。それを無いことにしてしまうから、「アルカイック」な「残滓」と思いなしてしまうから、それが突出してきたときに「回帰」だ「復活」だと騒がなくてはならなくなる。そしてそこに「新しい可能性」を見出して躁ぐわけだ。あまりに滑稽な右往左往だ。様もない右顧左眄だ。そこには復活も回帰もない。あるダイアグラムは、古い新しいに関係なく、偶然にその結合関係を「捏造」し、また別の結合関係の結果たる装置やモンタージュを全く関係のない文脈から剝奪してくるのだ。
佐々木中『定本 夜戦と永遠(下)』p.361-365)

 以下の引用も、最近のこちらの関心と真っ向から響き交わす。

 (……)〈外〉は内部の外部だから外なのではない。そのような実体化された外部など全然問題ではない。内部において内部を創り出す者が生きるものこそが〈外〉なのだ。主体は、創造行為の賭博において、〈外〉の襲来の襞となり、かぎ裂きとなる。「かぎ裂きは、もはや、布における偶発事ではなく、外側の布がねじれ、嵌入し、二重化するときの新しい規則となるのである。『随意』の規則、または偶然の放出、賽の一擲だ」。「内とは外の作用であり、それはある主体化である」。そして、われわれは作者となる。われわれは無限の案出の、アントロポスの中空の、歴史の絶対的な終わり無さのなかで「〈外〉の嵌入」として生き続けるのだ。われわれは、作者である。「『もはや作者はいない』などという人々は、……自惚れもいいところです」。
佐々木中『定本 夜戦と永遠(下)』p.369-370)

 また、「ちなみにこちらはありとあらゆるフラグをぶち折ることに快楽を見出す変態なので、後日Echoの友人Ritaからいっしょに飲もうよという誘いがあったときも腹が減っているから無理だという意味不明の理由で断っている」という一節の、「腹が減っているから無理だ」という理由の適当ぶりには笑った。
 続いて、Roger Berkowitz, "Misreading ‘Eichmann in Jerusalem’"(https://opinionator.blogs.nytimes.com/2013/07/07/misreading-hannah-arendts-eichmann-in-jerusalem/)。この記事はなかなか面白かった、あるいは啓発的だった。読んでいてちょっと薄ら寒い思いがしたと言うか、何だかアドルフ・アイヒマンがちょっと自分に重なって感じられなくもなかったのだ。"he acted thoughtlessly and dutifully, not as a robotic bureaucrat, but as part of a movement, as someone convinced that he was sacrificing an easy morality for a higher good"とか、"they are thoughtless in the sense that they abandon their independence, their capacity to think for themselves, and instead commit themselves absolutely to the fictional truth of the movement"とかを読むと、こちらもまさに、"commit myself absolutely to the fictional truth"なのではないかという気がしたと言うか、アイヒマンにとってのナチの大義が、こちらにとっての読み書きではないかという思いにちょっと囚われたのだ。勿論、そのあいだには凄まじい質的差異がある。それに、こちらは一応、"to think from the standpoint of someone else"を身につけているとは思うし、自己相対化の技法、すなわち〈反省〉を習得しているつもりではある(「理論」とは自己反省性の姿勢であるとロラン・バルトは言った)。それでも何だか、アイヒマンのなかに見られる一種の「宗教性」が、自分にも通底しているような気がしたのだった。ギュンター・アンダースが著作のタイトルにしたように、「われらはみな、アイヒマンの息子」というわけだろうか?

・preeminent: 卓越した、傑出した
・internment: 抑留
・excoriate: (激しく)非難する
・spirit: 急いでひそかに運ぶ、運搬する、誘拐する
・detractor: 中傷者
・permeat: 広がる、充満する; 染み込む、浸透する
・dull-witted: 頭の悪い、物分りの鈍い
・leniency: 寛大さ
・libel: 中傷、誹謗
・oath: 誓い
・liquidation: 清算、一掃
・neediness: 窮乏、貧困

(……)One of the pre-eminent political thinkers of the 20th century, Arendt, who died in 1975 at the age of 69, was a Jew arrested by the German police in 1933, forced into exile and later imprisoned in an internment camp. She escaped and fled to the United States in 1941, where she wrote the seminal books “The Origins of Totalitarianism” and “The Human Condition.”

This time, a new critical consensus is emerging, one that at first glimpse might seem to resolve the debates of a half century ago. This new consensus holds that Arendt was right in her general claim that many evildoers are normal people but was wrong about Eichmann in particular. As Christopher R. Browning summed it up recently in The New York Review of Books, “Arendt grasped an important concept but not the right example.”

(……)[Arendt wrote that] “The longer one listened to him, the more obvious it became that his inability to speak was closely connected with an inability to think, namely, to think from the standpoint of someone else.” His [Eichmann's] evil acts were motivated by thoughtlessness that was neither stupidity nor bureaucratic obedience, but a staggering inability to see the world beyond Nazi clichés.

The problem with this conclusion is that Arendt never wrote that Eichmann simply followed orders. She never portrayed him, in Cesarani’s words, as a “dull-witted clerk or a robotic bureaucrat.” Indeed she rejected the idea that Eichmann was simply following orders. She emphasized that Eichmann took enormous pride in his initiative in deporting Jews and also in his willingness to disobey orders to do so, especially Himmler’s clear orders — offered in 1944 in the hope of leniency amid impending defeat — to “take good care of the Jews, act as their nursemaid.” In direct disobedience, Eichmann organized death marches of Hungarian Jews; as Arendt writes, he “sabotaged” Himmler’s orders. As the war ground to an end, as Arendt saw, Eichmann, against Himmler, remained loyal to Hitler’s idea of the Nazi movement and did “his best to make the Final Solution final.”

Eichmann agreed at trial that he would have killed his own father if ordered to — but only if his father actually had been a traitor. Arendt pointed to this condition to show that Eichmann acted not simply from orders but also from conviction. To say that Arendt denied that Eichmann was a committed Nazi or that she saw Eichmann as a “clerk” is false.

The insight of “Eichmann in Jerusalem” is not that Eichmann was just following orders, but that Eichmann was a “joiner.” In his own words, Eichmann feared “to live a leaderless and difficult individual life,” in which “I would receive no directives from anybody.” Arendt insisted that Eichmann’s professed fidelity to the Nazi cause “did not mean merely to stress the extent to which he was under orders, and ready to obey them; he meant to show what an ‘idealist’ he had always been.” An “idealist,” as she used the word, is an ideologue, someone who will sacrifice his own moral convictions when they come in conflict with the “idea” of the movement that gives life meaning. Evil was transformed from a Satanic temptation into a test of self-sacrifice, and Eichmann justified the evil he knowingly committed as a heroic burden demanded by his idealism.

Stangneth concludes that Eichmann’s manifest anti-Semitism was based neither on religious hatred nor a conspiratorial belief in Jewish world domination. He denied the “blood libel” (the false accusation that Jews had killed Christian children and used their blood in rituals) and rejected as a forgery the “Protocols of the Elders of Zion,” the notorious anti-Semitic tract (and a czarist forgery). Eichmann justified genocide and the extermination of the Jews by appealing to the “fatherland morality that beat within him.” He spoke of the “necessity of a total war” and relied on his oath to Hitler and the Nazi flag, a bond he calls “the highest duty.” Eichmann was an anti-Semite because Nazism was incomprehensible without anti-Semitism.

Arendt famously insisted that Eichmann “had no motives at all” and that he “never realized what he was doing.” But she did not mean that he wasn’t aware of the Holocaust or the Final Solution. She knew that once the Führer decided on physical liquidation, Eichmann embraced that decision. What she meant was that he acted thoughtlessly and dutifully, not as a robotic bureaucrat, but as part of a movement, as someone convinced that he was sacrificing an easy morality for a higher good.

“What stuck in the minds” of men like Eichmann, Arendt wrote, was not a rational or coherent ideology. It was “simply the notion of being involved in something historic, grandiose, unique.” Eichmann described how difficult it was for him to participate in the Final Solution, but took pride in having done so. He added: “if I had known then the horrors that would later happen to the Germans, it would have been easier for me to watch the Jewish executions. At heart I am a very sensitive man.” In a terrifying act of self-deception, Eichmann believed his inhuman acts were marks of virtue.

That evil, Arendt argued, originates in the neediness of lonely, alienated bourgeois people who live lives so devoid of higher meaning that they give themselves fully to movements. It is the meaning Eichmann finds as part of the Nazi movement that leads him to do anything and sacrifice everything. Such joiners are not stupid; they are not robots. But they are thoughtless in the sense that they abandon their independence, their capacity to think for themselves, and instead commit themselves absolutely to the fictional truth of the movement. It is futile to reason with them. They inhabit an echo chamber, having no interest in learning what others believe. It is this thoughtless commitment that permits idealists to imagine themselves as heroes and makes them willing to employ technological implements of violence in the name of saving the world.

 ブログと英文を読んだのち、書抜き。ロラン・バルト/松島征・大野多加志訳『声のきめ インタビュー集 1962-1980』(みすず書房、二〇一八年)。

 「幸いにも、わたしのうちで変わったのは他者です、なぜならわたしは、わたしに語りかけ、わたしが耳を傾け、わたしを魅了する他者でもあるからです。ブレヒトのこの言葉をわたしに適用できたならどれだけ幸せでしょう。「彼は他者の頭のうちで考えた。そして彼の頭のうちでは他者が考えた。これが本当の思想である。」」
 「彼[知識人]はイデオロギー的な価値を混乱させるのです」
 「ブルジョワ(そしてプチブルジョワ)のイデオロギーを解体すること、世界を動かす諸力を研究すること、理論を前進させることが問題なのです」
 「知識人であるとは言語活動としての存在を受け入れることであり、まるで言語活動が人間にとってより重要な利害の実質を伴わない装飾であるかのように、尊大にも「現実」を「言葉」に対立させるある世界の確信をまさにかき乱すのです」
 「知識人の役割はブルジョワ支配下そのものにおいてブルジョワの言語活動を批判することです。彼は同時に分析家であり夢想家でなければなりません、同時に世界の困難と途方もない欲望を描かなければなりません」
 「みずからを追い抜くことを諦めた社会はどのようなものになり、またどのようなものに価するのでしょう? そしてみずからに語りかけることなくしてどのようにみずからを見つめることができるのでしょう?」
 「日常で、わたしは見聞きするすべてのことに一種の興味を、ロマネスクなものの次元のほとんど知的情緒を覚えます」
 「わたしにとっては、問題は――その方面で仕事をしたいと強く思っているのですから将来の問題は――ロマネスクなものを小説から切り離し、今まで行ってきたよりもより深くロマネスクなものを引き受ける形式を少しずつ見つけることでしょう」
 「 わたしのうちには一種の言語活動のエロス、言語活動についての欲動があります、それがわたしを言語活動の存在としているのです」
 「他方では、理論は実践に行き着かなければなりません、さらには理論のあらゆる瞬間には実践の思考がなくてはいけません」
 「神学的な回収――シニフィエによる――の危険を免れるためには、まさに生産の快楽を強化しなければなりません、生産者に、つまりアマチュアにならなければなりません。みずからを解放する文明で重要なのはアマチュアという人物像でしょう」
 「文学の歴史において初めて、世界は文学からはみ出したのです。文学よりも豊穣な世界を前にして、文学は実はたえず驚いているのです」
 「統一的な主体という考えよりも、わたしはカレイドスコープの戯れを好みます。カレイドスコープを揺り動かすと、ガラスは別の配置をとる……」
 「もし小説を執筆するならばもっとも引き受けるのが難しいと思えるのは、「大きな形式」に関係した問題ではありません、そうではなくて単に例えば登場人物に名前を与えること、あるいは単純過去を用いることです」
 「たとえば、しかじかのテクストは快楽の側なのか悦楽の側なのかと問うには及ばない。このような対立関係は、地ならしをすること、さらに前進すること、要するに、話したり書いたりすることに役立つのです」
 「快楽は自我(主体)の一貫性に関わるもので、安楽・快適・晴れやかさといった価値において自己を確認するものです――わたしにとっては、古典作品を読むときがそれです。これに対して悦楽とは、主体がそこにおいて一貫性を保つことができずに自己を見失う読解のシステム、あるいは発話行為の体系です。主体はそこで、本来の意味での悦楽というべき消尽の経験をするのです」
 「悦楽のテクストはあなたを不快にするかもしれない、あなたに襲いかかるかもしれない。しかしそれらは、かりそめにもつかの間のあいだ、あなたを変質させ、転換させる。自我がみずからを見失うという消尽の操作を及ぼすのです」
 「悦楽のテクストは、一種の読解不能性の側にあるべきものです。それは、イメージと想像力の領域のみならず、言語そのもののレベルにおいても、われわれを攪乱するものでなければならない」

 五〇分ほど打鍵して、――BGMはCharlie Haden & Brad Mehldau『Long Ago And Far Away』かKendrick Scott Oracle『We Are The Drum』か――四日の記事を書きはじめた。あまり上手く書けなかったような気がする。リズム・音調・律動、そういった文の〈流れる〉感じを大事にしたい。一時間四〇分ほど掛けて完成。インターネット上に記事を投稿したあとは、インターネット記事に触れながら、歯を磨いたのではなかったか。「アメリカ vs. イラン(前編) なぜ対立するの?」(https://www3.nhk.or.jp/news/special/news_seminar/jiji/jiji14/)をまず読んだが、これは事態を言葉として簡単にまとめ過ぎている気がしたと言うか、日記に写しておきたいと思うほどの情報、あるいは〈言語/文〉が見つからなかった。次に、綿野恵太「オルタナレフト論 第3回 「選挙に行こう」とみんないうけれど。」(http://s-scrap.com/3123)。

 ソミンによれば、「政治的無知」は、ひとびとの「愚かさ」からくるのではなく、「合理的行動」の結果である[4]。そのうえで、ソミンは政治的無知をふたつのタイプに区別している。ひとつは「合理的無知」と呼ばれるタイプだ。自分の一票が選挙結果を左右することはほぼないために、おおかたの有権者にとって「政治的知識獲得のためにほとんど努力をしないことが合理的である」[5]とされる。仕事、趣味、勉強といった日々の生活に忙しく、政治なんぞにかまっていられないというわけだ。
 もうひとつは、「合理的非合理性」と呼ばれるタイプである。ひとびとが政治的知識を得るのは、よりよい政策を選択するためではなく、「政治ファン」であるためというのだ。つまり、自分のひいきする政党に結びつき、反対者をあざけることに喜びを感じたり、自分が所属する集団やコミュニティから承認されるために、政治的知識を獲得する。もちろん、そのような知識の多くはバイアスがかかり、偏ったものになりやすい。実際に「人々は政治的争点についてすでに持っている見解を強化するために新しい情報を利用する傾向があるが、反対の情報は割り引く」[6]ことが研究結果で示されている。しかし、これらの行動もまた「合理的」である。「彼らの目標が、よりよい投票をするために特定の争点に関する「真理」に到達することではなく、政治的「ファン」であることの心理的利益を得ること」[7]であれば、十分に合理的だといえるからである。

 近年、ジョナサン・ハイトやジョシュア・グリーンは、人間の道徳的判断が、熟慮された論理的なものではなく、直観的・情動的なものであり、その直観的な判断のちがいがリベラルや保守といった政治的対立に結びつくことを明らかにした。ジョシュア・グリーンは、私たちが「利己的な理由から、ある道徳的価値観を他の価値観より支持する場合がある」[16]という「道徳部族」であると指摘したが、スローマンとファーンバックが指摘するのは、私たちは知識にかんしても「部族」的かもしれない、ということだ。ワクチンは人体に悪影響を及ぼすという「部族」があり、地球温暖化はウソだという「部族」があり、アウシュヴィッツはなかったという「部族」があるわけだ。しかし、彼らは間違った知識や信念を抱いているから「部族」的なのだ、と言いたいのではない。賢いエリートと愚かな大衆がいる、といった愚民思想ではないのだ。私たちは多かれ少なかれ「部族」的なのである。スローマンとファーンバックは、科学における「立証の力」を重視しつつも、科学者も「コミュニティに頼っている」と指摘するように、専門知もまた「部族」的なのである[17]。

 口を濯いできたあと、一時から芝健介『ホロコースト』のメモを取っている。この時のBGMがKendrick Scott Oracle『We Are The Drum』だったか。

 ●87: 「ワルシャワ・ゲットーは、一九四〇年一〇月半ばに作られたが、縦四キロ、横二・五キロの空間(市面積の2.4%)に約四五万名(一九四一年春。ワルシャワ人口の約30%)が詰め込まれていた。一九四一年一月から配給がはじまったが、一人当たりの一日の配給量はわずか二一九カロリーで、それも八月には一七七カロリーに減った」
 → ウーチ・ゲットー住民への食料供給の絶望的な乏しさも思い出そう。「[一九四一年]五月二九日から六月二九日までの期間において、ウーチ・ゲットーには一九万二五二〇個の卵が供給された。これはゲットー住民一人当たり、一ヵ月に(!)卵一・二八個の供給があったことを示している」(栗原優『ナチズムとユダヤ人絶滅政策 ―ホロコーストの起源と実態―』ミネルヴァ書房、一九九七年、76)
 ●108: 「食料割当ての最下位とされたソ連軍兵士捕虜の場合、歴史家クリスティアン・シュトライトの調査によれば、独ソ戦全期間を通じて捕らえられた総計五七〇万名のうち、三三〇万名が亡くなったという」
 ●108: 「一九四一年三月三日、ヒトラー国防軍総合司令部への秘密の指示(……)/来るべき戦争は、もはや単なる武器をもっての戦争にとどまらず二つの世界観の激突にも導く」
 → 「世界観」における戦争、という認識は、これよりも以前、ヒムラーも既に表明しているものである。●64: 「一九三八年一一月八日、親衛隊長官(親衛隊全国指導者兼ドイツ警察長官)ヒムラーは、親衛隊将校団の中将以上を集めた定例全国幹部会議の席上で、以下のように話した。/今後一〇年の間に、われわれは危機的対決に直面する。(中略)諸国家の闘争にとどまらず、世界のユダヤ人、フリーメーソンマルクス主義者、教会との世界観闘争に突入するのである」
 ●114: 「捕虜になったソ連軍兵士三五〇万名の死亡率は高く、一九四二年春までに二〇〇万名が死亡している。一日に六〇〇〇名が亡くなったことになる」
 ●115: 「ウクライナではキエフに近いバービー・ヤールの谷で行動部隊C所属第四a特別行動隊[ゾンダーコマンド]が二日間にわたって三万三七七一名を殺害している」
 ●123: 「ソ連侵攻直後、ドイツ軍によってたちまち占領されたリトアニアの首都カウナスでは、行動部隊[アインザッツグルッペン]Aに唆された現地の人びとが、ユダヤ人を棍棒で殴殺していった」

 その後、ロラン・バルト/鈴村和成訳『テクストの楽しみ』を三〇分少々読み進めて、二時半を越えたところでベッドに移った。


・作文
 14:04 - 14:14 = 10分(5日)
 22:36 - 24:14 = 1時間38分(4日)
 計: 1時間48分

・読書
 13:24 - 13:56 = 32分(過去の日記)
 15:12 - 15:27 = 15分(芝)
 16:50 - 17:15 = 25分(バルト)
 18:22 - 18:39 = 17分(「思索」)
 20:15 - 21:27 = 1時間12分(ブログ; Berkowitz)
 21:45 - 22:34 = 49分(バルト; 書抜き)
 24:30 - 24:41 = 11分(NHK; 綿野)
 25:03 - 25:54 = 51分(芝; メモ)
 25:59 - 26:33 = 34分(バルト)
 計: 5時間6分

・睡眠
 3:40 - 12:40 = 9時間

・音楽