2020/1/18, Sat.

 しかしながら、真の問題はまさに、ゲットーが自立化の道を歩み初めてから生じた。真の問題は、食料の対価としての価値の生産ではなくて、使用価値としての食料そのものの供給の限界にあったのである。前節で見たドイツの食料政策からも想像されるように、ゲットーに供給される食料は甚だしく僅かなものであった。一九四一年一月付のウーチ・ゲットー再編のための会計検査院の調査書は、ゲットー再編の問題点として、生産手段がほとんど存在しないこととともに、ユダヤ人労働力の生産性が甚だしく低いことをあげており、その原因として食料消費の低さを指摘していた。調査書によれば、「監獄の食費は〇・四〇マルクから〇・五〇マルクである。これは、これまでゲットーの住民が費やしてきた額〇・二三マルクの倍である。しかも、ゲットー住民はこれによって、食料支出のみならず、その他の日常必需品をも賄わなければならないのである」。会計検査院はこれを二倍にすることを求めていた。
 ゲットー住民の食料は監獄の半分以下なのである。これは会計検査院が望んだように改善されたであろうか。表1は、一九四一年におけるウーチ・ゲットーの食料供給の実状を示したものである。注意すべきは、これはウーチ・ゲットー一五万住民への食料の総供給量であるということである。たとえば、五月二九日から六月二九日までの期間において、ウーチ・ゲットーには一九万二五二〇個の卵が供給された。これはゲットー住民一人当たり、一ヵ月に(!)卵一・二八個の供給があったことを示している。
 (栗原優『ナチズムとユダヤ人絶滅政策 ―ホロコーストの起源と実態―』ミネルヴァ書房、一九九七年、75~76)


 正確な時間はわからないが、おそらく九時台か、あるいはもう少し早く八時台のあたりから覚醒を得ていた。股間が大きく勃起していたのだが、それは別に淫夢を見たり興奮したりしていたわけではなく、単に尿意の高さのために膨張を招いているらしかった。昨晩眠る前に、水をたくさん飲んだためだろう。尿意は結構切迫していて、さっさと解消したくはあったものの、布団を剝いで寒気のなかに這い出すのが億劫だったので臥位に留まり、一〇時のアラームを迎えて起床した。ベッドを抜け出し、股間の怒張が収まるのを待つあいだにコンピューターを準備したのだが、南窓の方に振り向いてみると雪が降っていたために、本当に降ったのかと驚いた。とは言え粒は小さくて、積もるほどの勢力はなさそうである。性器が小さくなったところでトイレに行って膀胱を負担から解放し、戻ってくるとTwitterやLINEなどを覗き、それからすぐに上階に行った。雪が降っているだけあって、かなり寒かった。両親は共に出かけている。寝間着をジャージに着替えてダウンジャケットを羽織ると台所に入り、ハムエッグでも焼くかと思って焜炉台の片側に積まれていたフライパンを取り出したが、炊飯器を開けると褐色の五目ご飯が炊いてあったので、そう言えば昨晩、明日は混ぜご飯にすると言っていたなと思い出し、卵は焼かずにこれを食べることにして、椀に盛った。汁物が何か欲しいようでもあったが、何だか用意するのが面倒だったので五目ご飯だけを食べることにして、椀一つのみを持って食卓に移動した。新聞の一面から、ドナルド・トランプの弾劾裁判が米上院で開始されるという記事を読みながら米を口に運ぶ。一杯食べ終わるともう一杯おかわりし、二杯目も平らげて窓の方を見やれば、ガラスの表面は下部が曇っており、外の風景を透かした上半分に見えるのも空漠たる空のもとで籠められた山の仄かな影ばかり、空気中には雪の粒子が隅々まで浸透し吸収されているようで、空間全体が中性的な白の色に支配されていた。
 席を立って台所の流し台の前に移ると、茶色い滓で汚れた椀を擦って洗い、それから背後に振り向き洗面所に入って鏡を見れば、寝癖はほとんどついていなかったので、整髪ウォーターは使わずに櫛付きのドライヤーで髪を梳かすに留めた。そうして浴室に入り、浴槽の蓋を取って続けて洗濯機に繋がったポンプも持ち上げると、管のなかから残り水が、切れの悪い小便のように排出されて水音を立てる。それをバケツに入れておき、風呂の栓を抜き、僅かに温みを留めた残り湯が流れ出していくのを待ったあと、ブラシを使って浴槽を擦り洗った。仕事を終えて出てくると居室に帰って急須と湯呑みを持ってふたたび居間に上がり、緑茶を三杯分ほど用意して窖に戻った。インターネット各所を回ったあと、一年前の日記を読みはじめる。昨日読み返しができなかったのでまずはその分、二〇一九年一月一七日である。二〇一六年一二月一七日土曜日の日記から、土埃に汚れた窓ガラスの描写が引かれており、なかなか魅力的な記述のように思われたので再引用しておく。

 ガラスを埋め尽くす汚れは陽に浮き彫りとなって、その一つ一つが白く締まって満ちるように艶めいて、例によって馴染みのイメージの反復だが、星屑の集合のように目に映り、宇宙の一画を切り取って縮小したかのようで、現実の夜空の表面は、どんな澄んだ藍色の時にもこれほど無数の輝きに満たされることなどあり得ないだけに、白昼の太陽のなかでのみ目に映る紛い物のこの星空は、それが紛い物であるがゆえに星天の理想的な像をいっとき受け持って具現化してみせるのだろう、本物よりもかえって、星屑という言葉を付すのに似つかわしいような感じがするのだった。

 また、二〇一六年八月二〇日からは夜の電車内で目撃した風景の記述がやはり引かれており、これも結構感覚を刺激するようだったので再掲しておく。二〇一六年の自分の文章はなかなかきっちりと整っており、そこにある具体性をしっかりと細やかに感得して緊密に描写しようという熱意が現在よりも強いようだ。

 それで窓を眺めていると、外の電灯が流れて行く時に、白であれ黄色っぽいものであれ赤みがかった暖色灯であれみなおしなべて例外なく、その光の周囲に電磁波を纏っているような風に、放電現象の如く細かく振動する嵩を膨らませながら通過していく。それは初めて目にするもので、なぜそんな事象が起こっているのかしばらくわからなかったのだが、途中の駅で少々停車している際に、ガラスに目をやると先の雨の名残りが――と言ってこの頃にはまた降りはじめていたのだが――無数に付着していて、その粒の一つ一つが、いまは静止している白い街灯の光を吸収して分け持っているのを発見し、これだなと気付いた。灯火が水粒の敷き詰められた地帯を踏み越えて行く際に、無数の粒のそれぞれに刹那飛び移り、それによって分散させられ、広げられ、また起伏を付与されて乱されながら滑り抜けて行くので、あたかも乱反射めいた揺動が光に生じ、実際にそうした効果が演じられているのは目と鼻の先のガラスの表面においてなのだが、街灯のほうに瞳の焦点を合わせているとまるで、電車の外の空中に現実に電気の衣が生まれているかのように見えるのだった。

 続いて二〇一九年一月一八日の日記も読んだが、こちらには改めて引いておきたい文章は見つからなかった。一年前の日記を二日分読み返すと時刻は一一時二六分、そこからこの日の日記を記述しはじめ、現在時に追いついたのは一一時五六分である。今日は(……)くん及び(……)さんとの読書会で、一二時半頃の電車で(……)に向かう予定である。
 運動を始めた。背景に流す音楽は例のごとくthe pillows、『Once upon a time in the pillows』というベスト盤である。ベッドの上に乗って足裏を合わせ、股関節を伸ばしながら二曲歌った。それから「板のポーズ」を取り、腹と背を温めたあと、"Thank you, my twilight"の流れるなかで服を着替えた。下はUnited Arrows green label relaxingで買った褐色のズボン、上は何と言う名前だったか忘れたが、TKの下位ブランドのチェックシャツである。それに、もう一〇年くらい前に買ったものではないかと思うのだが、(……)の(……)という服屋で入手した濃い青のカーディガンを羽織った。そしてダークブルーのチェック模様のバルカラーコートを身に着け、"その未来は今"を歌うと荷物を準備した。(……)で借りているCD及び本類でリュックサックのなかをいっぱいにする。そうして上階に行き、赤地のアーガイル柄の靴下を履き、ストールを巻いてから最後に一応トイレに行った。尿を身体のなかから排出して出発である。
 雪の降りは微妙に増していた。傘を持って玄関の戸口を出ると、宙を埋める粒が軒下まで迫ってくる。道へ出ると雪は西から東へ、つまり前から傾きながら降ってくるので、コートの裾に白く細かなものが付着するのを防ぐ手立てがない。せめても流れてくるものを受け止めようと傘を前に傾けると視界は狭くなり、視線を横に逃せば(……)さんの宅の庭に置かれてある材木が白さを被せられており、さらに道の縁の垣根の上端の、葉の一枚一枚の上にも薄く積もって表皮と化したものがあり、雪の純白に彩られると物々がかえってつくりものめくようで、原寸大の模型のようにも映るのだった。降るものはしかし足もとのアスファルトには残らず、緩慢な飛び降り自殺のようにゆっくりと落ちてくる粒はことごとく路面に吸いこまれて消えていく。降雪を少しでも避けようと道の端の樹の下に入りながら行くが、公営住宅の前まで来ると樹もなくなったのでまた道の中央に出て、視線を下に向けると路面にはひらいた傘の影が多角形の図となって黒くぼやけて映っており、その上の宙にはある地点から自分の至近だけ粒子が消滅する境があって、それは当然、頭上に掲げられた傘によって降りが遮られているに過ぎないのだが、身体の周囲に目に見えないバリアが張られているようで何だか不思議な眺めだった。その外は空間が無数の粒に籠められて、一歩ごと一瞬ごとにその布置、位置関係は複雑精妙に変成しているはずだが、じっと観察を凝らしても一瞬前と一瞬後の違いがわからず、まったく同じシーンを永劫に巻き戻して反復しているかのようで、催眠的である。
 坂道に入ると、道の方向が変わったのに雪はやはり前から傾いてくるが、しばらく進むと樹に留められて降りは薄くなった。道の端の落葉の群れは濡れて色合いが微妙に明るいように、ニスを塗られて膜を張ったかのようになっており、帯状の縁取りのそのまた内側の縁では葉屑が細かく崩れて散乱し、暗く赤っぽいような、汚らしいような色調を帯びている。道の中央、こちらの踏んでいくあたりにも細かな枝の屑が、やはり濡れて鈍いように赤く、粘っこいように貼りつき転がっている。ガードレールの向こうの樹々のなかに生えた葉の上には、微かな偏差を孕みつつ雪化粧が施されていて、濃い緑の土台もまとめて砂糖菓子のように見えるのだった。
 駅に着いて階段通路に入ると傘を閉ざしてばたばたと水気を払うが、通路の側面には窓がないので、そのあいだも横の隙間から雪が吹きこんでくる。ホームの屋根の下には人々が集まっており、なかに高年の一団があって、憎らしいねえと呟く声が聞こえたのは無論、この降雪のことである。昨日まであんなに暖かかったのに、神様がそろそろ試験だから、って、というのは、センター試験と重なったことを言っているらしい。傘を手近の柱に掛けて、立ったまま手帳にメモを始めたが、手のかじかみがさすがに今までにない度合いだった。屋根の下にいても雪は風に押されて、時には前から、時には後ろから入りこんでくる。
 やって来た電車に乗って立ったままメモを取っていると、(……)では一番線に着いた。珍しいことである。車両を辿って濡れないように屋根のある場所から降り、そしてホームを行っていると、ベンチに高校生らしき女子が座っていた。通り過ぎかけながら(……)ではないかと目を留めて、足も止めて視線を送ると、イヤフォンをつけて携帯か何かを見ていた彼女は、目だけ一瞬こちらに上げたが、視線は下方に戻って続く反応がなかった。(……)ではなかったのか? そうとしか見えなかったが。街着のためにこちらと認識できなかったか。彼女の視線はこちらの顔まで届いていなかったのかもしれない。ともかくその場を去ってホームの先に進み、やって来た電車に乗って前の方へと移動した。途中、尻のポケットから零れ落ちたまま気づかれなかったものだろうか、席の上に長財布が放置されてあったが、所有者が取りに戻ってくるかもしれないと思い、届けるのが面倒でもあったので手を触れずに通り過ぎた。二号車の三人掛けに就き、電車が発車して(……)まで走るあいだ、道中のほとんどの時間をメモ書きに費やした。
 電車は(……)行きだったはずで、三・四番線のホームに降りたと思う。階段口に向かう途中、ホームの端に鳩が一匹うろついていたのだが、それを見た若いカップルの男の方が無闇に怖がると言うか、異常な忌避感を示して、いや無理、マジで無理、などと言っていた。潔癖なのだろうかと思ったが、そのわりに恋人とべったり腕を組み合っていた。階段口は人が多かったので、もう一つ先の階段から上がろうというわけでホームをゆっくり歩き、段をとんとん踏んでいって上の層に至ると改札に向かった。SUICAを機械に触れさせてくぐり、人波のなかに出て北口広場に向かい、外に出ると高架歩廊を図書館の方へと辿った。道中のことは大して覚えていないが、(……)と(……)のあいだの通路に至った頃、前方に二人の女性が現れて、一人が杖を突いたもう一方の身体を支えているようだったが、その支えとなっている方の人が、この下のところは旅行の時によく来ますね、などと話をしていた。その横を通り過ぎた際に、後ろの女性が、正面に(……)がありますねと言って、建物の表面に表示された文字を読み上げるようなその発語の調子、また、明らかに視界に入る建物の存在を隣の女性にわざわざ知らせるような声色からして、なるほど、目の不自由な人の介助をしているのだなと察せられた。実際、この二人はこちらが図書館に入ったそのあとしばらくして遅れてやって来たのだが、そこでやはり一方の高年の女性の方が視覚障害者だということが確認された。
 図書館に入るとリサイクル本の棚を見て、新着図書も確認したあと、階を上がってカウンターの女性職員にCDを返却した。そうしてジャズの区画に行き、一作目はBrad Mehldau『10 Years Solo Live』を借りることに決めた。これは二ケース四枚組の大作で、こんなものがごく普通に置いてあって借りられるのだから(……)は素晴らしいと言わざるを得ない。もう一作は大西順子の音源を集めるかというわけで、所蔵されてあったJunko Onishi作品のなかの『Baroque』に決めた。それで貸出機に寄って手続きをしたところ、Mehldauの方のソロライブは二ケースだったので、二作品分としてカウントされるだろうと思っていたところが、一作品として判断されていて、つまりもう一枚借りることができたのだが、今更戻って付け足すのも面倒臭かったし、そろそろ時間もなかったのでそのまま貸出手続きをした。
 そうして下階に下り、この日は新しい本を借りる気はなかったが、それでも精神分析関連の著作など見ておきたいというわけで、フロアの隅の方に行って所蔵を確認した。今ちょうど読んでいるエリザベート・ルディネスコの著作が二、三あり、そのなかに浩瀚な『ジャック・ラカン伝』も見られた。そのほか倫理学の区画も見やると、古谷利裕の「偽日記」に引かれていた江川隆男『超人の倫理』も見られたのだが、この辺りで尿意が差し迫ってきていたので、それ以上詳しく見分することは断念して、フロアを横切ってトイレに向かった。蛍光灯が水垂れのような微かな音を降らすなかで小便器に放尿して、手を洗ってハンカチで拭きながら出てくると、カウンターの貸出機に寄り、借りている三冊を取り出して貸出延長の手続きを行った。
 そうして図書館を出ると、既に時刻は一時五五分くらいで、待ち合わせの二時が迫っていた。傘を差して高架歩廊を辿っていくあいだ、足もとからびちゃびちゃという音が僅かに立つのは、なるほど量も乏しく粒の形も定かならずもはや雨と変わらないとは言っても、確かに降るものは雪であるらしく、目には映らないが路面の水気のなかにも粒子が含まれていて、微細なそれが靴に踏まれて鳴るのだろう。歩道橋に掛かると前には女児が一人ゆっくりと歩いていて、歩速がのろいのはどうも映画のパンフレットか何かを見ているからのようで、周りに連れもなく、このような小さな子が休日の昼間から一人で映画を嗜むとは素晴らしいではないかと密かに称賛し、彼女の持っているパンフレットが何という作品のものか見定めようと、その後ろをこちらもゆっくり合わせていきながら目を凝らしたのだが、同定できないうちに手に持ったものを閉ざした女児は、途端に歩みを速めて去っていった。
 (……)横のエスカレーターから下の通りに下りて、居酒屋とドラッグストアのあいだの細道を表に出ると、左に折れて横断歩道まで歩き、ちょっと待ってから(……)の前に渡った。そうして(……)と(……)のあいだの裏道に入って進み、喫茶店の店舗のあるビルの裏口からなかに入る。階段を上り、入店すると(……)くんと(……)さんは既に来ていて席に就いていたので、出てきた女性店員に待ち合わせであることを示し、テーブルに寄った。挨拶をしてリュックサックは隣の椅子に置き、コートも脱いでその上に置いておくと、椅子に腰掛けた。雪で電車が動かなくなったのかと思ったと(……)くんは言ったが、さすがにこの程度の雪ではそうはならない。二人はもう品物を注文したと言うので、こちらもやって来た女性店員にホットココアを頼んだ。しばらくしてやって来たココアは、以前は小さな銀色の容器に入ったミルクがつけられていたのだが、そのミルクが今はパックに入った既製品に変わっていた。コスト削減のためだろう。そのミルクのせいなのか何なのかわからないが、この店で久しぶりに飲んだこのホットココアは、何だか奇妙な味がしたと言うか、化学的とも形容したくなるような雑味が混ざっていて、正直あまり美味くはなかった。以前はこのようなことはなかったのだが。
 この記事を綴っている現在は当日からそろそろ一週間も経とうという一月二四日である。それなので、この日の会話はもはや詳しくは覚えておらず、頑張って思い出すのも面倒臭いから、喫茶店で話したことはほぼ全面的にカットする。芝健介『ホロコースト』の内容についてや、ユダヤ人絶滅政策に加担することになった役人やSSの隊員などは一体どのような精神性で仕事をしていたのだろう、というような疑問が話し合われた。そのほか、(……)くんのやや強迫神経症的な性向についても語られて、これはちょっと面白かったので書いておいても良いかもしれない。曰く、彼は以前はFacebookTwitterのタイムラインを隅から隅まですべて見なくては気が済まなかったのだと言う。定期的に他人の投稿をチェックする時間を取っていたのだが、昔は飛行機内などではインターネットに接続できなかったから、そのあいだにタイムラインを見られない時間というのがストレスで、外国に着いてホテルに入るとまずインターネット環境を整えて、渡航のあいだに投稿された発言を追うのが常だったとのことだ。何故だかわからないがとにかく全部見なくてはいけないのだというようなこだわりがあったと言い、しかしある時、自分がその人の発言を見ていようがいまいが、周りの人はあまり気にしていないようだなということに気づいて、それでこだわりが薄くなってきて、今は投稿をすべて追うということはなくなり、ごく普通の使い方をするに至ったと言う。自分でも基準がわからないが、妙な部分で強いこだわりを見せることがあると彼は言い、まずもって幼少期からその萌芽が観察されていたと話した。と言うのは、幼児時代の彼は、ジグソーパズルを自分一人で完成させないと気が済まないという執着を持っていたらしく、他人が途中で手を出して一ピースでも嵌めてしまうと、それまでできあがっていた絵をひっくり返してぶち撒けてしまい、最初からまたやり直す、という振舞いに出ていたのだと言う。変なところで完璧主義的な部分があるのだ、ということだ。だから、根っこの部分、土台の部分の考え方、その方向性を間違えると、それこそアイヒマンみたいになっていたかもしれないと思うよ、と彼は話した。
 (……)さん――と言うか、既に入籍したので、もう(……)さんなのだろうか?――は六時頃に次の用事に向けて(……)を発たねばならないということだった。それで書店に行くことに。会計を済ませて退店し、ビルを出て、まだ雨の降っており風も激しく流れて寒々しいなかを歩く。道中の会話は覚えていない。高架歩廊を伝っていき、(……)に入ってエスカレーターを上り、(……)に入店した。喫茶店での会話のあいだに、『きけ わだつみのこえ』のタイトルが(……)さんの口から出ていた。先日、テレビ番組でそれについて少々見聞きし、興味を持ったのだと言う。それで岩波文庫の棚の前に行き、当該書を見分した。『きけ わだつみのこえ』は第二集もあったが、それはここで初めて知った。それか、海外文学の類にしようかということになって、壁際にあるそちらの書架に移動し、どうせだから全然知らないやつにしようぜなどと言って候補を探っていたが、決まりきらないうちに(……)さんは次の用事に向けて去っていった。そのあとから(……)くんと二人で候補を探り、結局、まったく知らない作品にはならず、ジョン・ウィリアムズ東江一紀訳『ストーナー』を読むことになった。とても素晴らしい小説だと言って(……)さんがたびたび絶賛していたので、こちらも気になっていた作品だ。今、検索してウィキペディア記事を見てみると、ジョン・ウィリアムズという人はまだ現役の作家なのかと思っていたところが、九四年に亡くなっており、『ストーナー』も一九六五年の作だということで、これは思いの外に、イメージよりも古い年代のものだった。
 それで会計へ。(……)くんは『ストーナー』を購入し――地元の図書館に所蔵されていたはずなので、こちらは貸出で済ませるつもりである――、こちらはヘミングウェイ小川高義訳『老人と海』に岸政彦の『断片的なものの社会学』、そして前田塁『小説の設計図』を持ってレジカウンターに行った。前者二つは、(……)くんへの誕生日プレゼントとして見繕ったものである。前田塁という人は名前も著作も初めて見たもので、文芸批評の区画を眺めている時に目に留まって引き出してみたのだが、すると帯文に蓮實重彦の言葉が書かれていたので、俄然興味を持ったものである。今まで棚に見かけたことがなかったので、漠然と新刊だろうとばかり思っていたのだが、しかし帰ってから確認してみると二〇〇八年の著作だったので、もう随分古いものだった。蓮實重彦は次のような評文を寄せている――「誰もが、この一瞬を長らく待ち望んでいた。前田塁のしたたかな「読み」によって、文学の批評が、いま、嘘のように息を吹き返したのである」。
 前者二冊はそういうわけで包装を頼み、紺色っぽい布の袋に入れてもらい、そうして(……)をあとにして、食事を取りに行くことになった。いつも駅ビルとか百貨店の上層階にばかり行っているので、たまには地上の店を探ってみようかという話になっていた。それで(……)の一階から出て、目の前の横断歩道を渡り、その辺りに良い店はないかと探っていると、何と言う名前だったか忘れたが、「とり」のついた名の居酒屋で地下にある店が見つかり、看板を見てみると品物の値段もそこまで高くなさそうだったので、ここが良いのではないかと合意して、エレベーターで下った。それで二人だと入口の店員に示したのだが、予約の客が入っていて、四〇分くらい経たないと空かない、と言う。それではさすがにと笑って、申し訳ありませんという気持ちの良い謝罪の声を受けて店をあとにした。雨の散っている地上に出て、その付近の店を少々見てみたのだが、最終的に(……)の上層階に行ってみるかということになって、結局また百貨店頼りである。(……)に入ったことは多分今まで一度もなかった。何しろ用事がないし、高級そうな百貨店なので、金のないこちらなどには縁がない。それでエレベーターに乗って上層に行き、店舗をそれぞれ見てみると、やはり(……)や(……)とは一段格が違ってだいぶ値も張って、驚愕しながら回った結果、(……)というレストランがまだ手の届きそうな範囲だったので、ここにするかと相成った。入ってみるとフロアはかなり広々としていた。その一角に通されて、(……)くんはカツカレーを、こちらは天麩羅の重を注文した。
 食事をしながら聞いたのは(……)くんの会社の話だが、これも割愛する。ほかに一つ話題としてあったのは、ZOZOTOWNの前澤何とかいう人がTwitterでやっていた一〇〇万円ばら撒きキャンペーンみたいなものについてで、これはこちらが話題に出して、あれは全然つまらない、と批判したのだった。何しろ中途半端すぎる、とこちらは言い、ああいうことをやるのだったら、日本国民一億二七〇〇万人全員を範囲として、完全にランダムで対象者を抽出して配らなければならない、そうした方がもっと面白かっただろうにと考えを述べた。と言うのは、そうすればほとんど純粋な贈与がこの世に存在するということを示せたからだ。完全にランダムで対象者を決めると、既に資産を持っていて一〇〇万円程度では喜ばない人や、単純に受け取りたがらない人にも当たる可能性が当然ある。しかし、だからこそ、それだからこそ良いのだ。相手の属性や資格や身分などにまったく限定されずに――と言ってもっとも、こちらの案でもひとまず「日本国民」のみに範囲を絞っているわけだから、それは完全なランダム性ではないわけだが――、まさしく降って湧いたかのように大金がぽんと与えられる。その徹底的な偶然性の方がよほど面白い。そのような、ほとんど純粋な贈与とも思われる出来事がこの世界に発生するという契機の方が、金を欲しがって群がってくる有象無象たちに施しを成すよりも、遥かに価値があるだろう。ことによるとそれは、本当に金銭を必要としている貧窮者に対して慈善を働くよりも、もっとラディカルなことかもしれない。概ねそういったことを述べた。
 それに対して(……)くんは、彼は要するにかまってちゃんだと述べた。(……)くんは前職の関係で前澤氏と多少面識があるようで、ゴルフのコンペなどで一緒になったりしたこともあったようだが、曰く、Twitterの例のキャンペーンも最終的には自己顕示欲に還元されるものだろうという認識を示してみせた。こちらは前澤氏という人間に興味など一ミリもないので、全然知らなかったが、彼は最近はいわゆるYoutuberになったと言うか、「一億円おろしてみた」みたいな動画を作ってyoutubeに公開しているのだと言う。(……)くんは前職時代に多分彼にインタビューをしたことがあるのだと思うが、彼は実際は結構真面目な人間で、言っていることや考えていることもわりと真っ当なものだった、要は衣服の売れ残りなどをできる限りなくして無駄を省きつつ、誰もが自分にあった欲しい服を自由に手に入れられるような世界を目指していたのだと言う。ZOZOSUITというものができた時には、(……)くんは正直、ついに来たか、と思ったらしい。これは確か(……)さんがブログで触れていたと思うので、こちらも何となく知っているが、自分の体型を計測してデータ化し、それに完全に合ったスーツをオーダーできるというようなシステムだったはずだ。もしこのシステムがもっと一般的に普及して、自分の体型データを持っていけばどこの店でも扱ってもらえる、というような状況が生まれれば、それこそ本当に世界は変わったことになる、と思って(……)くんは密かに期待していたらしいのだが、ところが今や期待の相手は自己顕示欲を満たすばかりのYoutuberに「成り下がった」わけである。それで、いやいや何やってんだよ、彼の熱意と資金と能力があれば、もっと凄いことができるはずだろう、その時間と金をもっと世界のために使えよ、何遊んでんだよ、という落胆や、ことによると怒りじみた感情を(……)くんは覚えたのだという話だった。
 そんな話をしながら八時半頃まで店に留まり、それから会計して退出し、エレベーターに乗って下階に下り、ビルを出た。(……)くんは翌日は、夜から地元の仲間とダーツに行く予定があると言ったが、それまでは何もないようだったので、差し支えなければ喫茶店に行きませんかと誘い、了承を得た。それで北口広場を横切って、エクセルシオール・カフェに向かう。入店し、一階の壁際の席を取り、品物を注文した。こちらはここでもホットココアと、チョコチャンククッキーというものを購入して、どちらもチョコレート同士で甘ったるい組み合わせになってしまった。それでふたたび、一一時の閉店まで会話。こちらの読書ノートを見せたり、ロラン・バルトの本を紹介したり、筋トレの話をしたりした。(……)くんは毎回の読書会で、刺激を受けてくれていると言うので、意欲を与えられていたら有難いことだとこちらは受けた。
 そうして一一時に至って退店し、駅に入り、改札のなかで別れを交わして、こちらは(……)行きの最終電車に乗った。帰路のことはもはや覚えていないので省く。帰宅後のことも割愛して、エリザベート・ルディネスコ/信友建志訳『ラカン、すべてに抗って』(河出書房新社、二〇一二年)の書抜きの一部だけ以下に掲げておく。

 「この世界では、集団の幸福ではなく個人の快楽の追求が真理への情熱に取って代わった。精神分析が真理の探求に依拠するものである以上、一方では快楽主義、他方ではアイデンティティへの引きこもりという二重の傾向とは矛盾していかざるをえない」
 「現実的なものへの情熱」
 「周縁、境界、汀[みぎわ]、そして言語新作に熱中した、そんなラカン
 「もちろん、ラカンは真理の探求こそが救済ではなく進歩を、無知蒙昧ではなく啓蒙を手に入れるための唯一の方法であると確信していた。とはいえかれに言わせれば、合理性はつねにその反対に転化し、自分自身の破壊を引き起こすことを理解しておく、という但し書きも必要なのだそうだが」
 フロイトは、「人間の攻撃性や性的欲動を抑えておくためにも欲求不満は必要不可欠であるが、しかしそのことで人間は不幸になる、なぜなら生きとし生けるもののなかでただ人間たちだけが、ほかの動物たちとは違い、自分でもよくわかっている破壊の欲望に取り憑かれているから、と主張していたのである」
 「ラカンにとっては自分一人が自分自身の母親であり父親であり生みの親であった」
 「最後に、かれは悲劇的なほどに、死と肉体の消滅という問いに絶えず向かい合っていた。かれはしばしばこう語った。「わたしは身体をつかってしゃべるし、それもそうと知らずにそうやっている。だからわたしはいつも自分が知っている以上のことをしゃべっている」。さらにこうも語っていた。「生命は死を待ちながら可能な限り休息をとろうと考えている。生命は死ぬことしか考えていない」」
 「「鏡像段階」という見出しは二つの項目が含まれる。「一 鏡像の副次的力」「二 自我の自己愛的構造」。アンリ・ワロン、この共産主義者にしてヘーゲル主義者の心理学者こそ、ラカンがこの用語を借用した当の本人である」
 「ワロンは、鏡の前に置かれた子どもが、「身体そのもの」と鏡に映った身体の像を次第に区別できるようになっていく、という経験を「鏡の実験」と名付けていた。かれによれば、この弁証法的な作業は、主体が自分自身の統一性を思い描く場となる想像的空間を象徴的に理解することで行なわれる。ワロンの見通しでは、鏡の実験は鏡像から想像へ、ついで想像から象徴への移行を特定するものである」