安楽死計画の直接のきっかけとなったのは一九三九年初め、あるライプチヒの若い父親が盲目、白痴、重度の奇形をもって生まれた自分の子に安楽死を願いでたことであった。ヒトラーはもちろんこれに許可をあたえたが、このことがきっかけになって、ヒトラーは同様な問題を処理する権限を総統官房長ブーラーと彼[=ヒトラー]の侍医ブラントにあたえ、彼らはやがて、「遺伝性および先天性重傷患者の科学的研究のための帝国委員会」を発足させ、組織的に、三歳までの精神的肉体的障害児を捕捉することに努めるようになった。
しかしながら、まもなく内務省の保険行政担当次官であり、ボルマンの寵をえている全国保険指導者コンティがヒトラーに安楽死を成人にまで及ぼすことを進言し、これを自らの権限のもとにおこうとした。こうして起こった、ブーラー=ブラントとボルマン=コンティの争いは、結局、幼児に行なった方法は簡単に成人にも適用できるとする総統官房次長ブラックの進言をヒトラーが了承することによって、ブーラー=ブラント側の勝利に帰した。こうして、ブラックの指揮下に、その本部の所在地ベルリン「ティーアガルテン道四番地 Tiergartenstraße 4」から「T4」との暗号名をつけられた成人の精神病者に対する安楽死計画が組織され、実行されることになったのである。
(栗原優『ナチズムとユダヤ人絶滅政策 ―ホロコーストの起源と実態―』ミネルヴァ書房、一九九七年、81~82)
一〇時のアラームより前から、例によって尿意と股間の膨張のために覚めていたのだが、ベッドを抜けるのを億劫がって曖昧な意識のまま布団の下に留まっていると、目覚ましが鳴った。すぐには起き上がらず、ちょっと音を聞いて頭を晴れさせてから立ち上がって携帯を止めたあと、またしても寝床に戻ってしまったのだが今日はすんでのところで臥位になることは防ぎ、枕とクッションを重ねてヘッドボードに寄せて置き、それに凭れてしばらく休んでから起床するつもりが、太陽を浴びているうちに意識が危うくなって、姿勢もいつか崩れて結局一二時四五分までそこで過ごすことになった。端的に屑である。先日、ある種のごみや屑のような存在としてありたいと日記に書き記したが、それはこのような意味で言ったわけではない。
眠ってしまったものは仕方がないので明日の自分に期待を託し、ダウンジャケットを持って上階に行った。母親は九時から午後四時まで仕事である。無人の居間でジャージに着替え、トイレに行って放尿してから冷蔵庫を覗き、弁当を作った余りだろう、ほうれん草を合わせたチキンソテーや里芋やブロッコリーなどが一皿にまとまっていたので、それを電子レンジに突っこんで温め、合間に米をよそった。それらの二品を持って卓に就き、新聞を引き寄せてものを食べはじめた。日米安保六〇周年――言うまでもなく改定安保条約を起点としてのことだが――とのことで特集記事が組まれている。そのほか、国際面までめくれば、リビア内戦の停戦協議が行われる予定だとか、香港で相変わらず市民が抗議活動に集まっているとか(一五万人が参加したと書かれてあったと思う)、そういった報が伝えられている。それらを読みながら食事を取ったあと、台所に移動して食器を洗い、それから洗面所に入って、微妙にシャギーめいた感じになった髪の毛に整髪ウォーターを掛けて整え、そうしてゴム靴を履いて浴室に踏み入った。風呂を洗うあいだ、頭のなかには中村佳穂の"アイアム主人公"が繰り返し流れていた。出てくると、今日は何となく日向ぼっこをするかという考えが思いついていたので、自室からエリザベート・ルディネスコ/信友建志訳『ラカン、すべてに抗って』を持ってきて、洗濯物の吊るされたベランダに出た。床の上には日向が宿されており、そこに胡座を搔いて見上げれば空は塵一つほどの雲もない快晴、右方の高くに太陽が膨らんで、すべてを吸いこむ天の真空のように光がひらかれているのを直視できない。読書を始めたのは一時一九分だった。乾いて滑らかな風の時折り流れてくるなかで本を読み進め、訳者あとがきを残して読み終えるとちょうど四〇分が経ち、二時台に入ろうとしていた。それなので立ち上がって吊るされたものを室内に運んでいき、入れるだけ入れておいてまだ畳まず、一旦下階に帰った。コンピューターの電源を点け、ログインすると各種ソフトのアイコンをクリックし、それらが立ち上がるのを待つあいだに上階に移動して、緑茶を用意した。持って戻ってくるとTwitterを覗いたり、gmailをチェックしたり、インターネット各所を回った。購読ブログの新着通知を見てみると、Uさんがまたブログに文章を書きはじめていたので、旺盛で凄いものだなと思った。よくそんなに思考を思いつくものだ。前日の日課記録を完成させ、この日の記事を新規作成すると、『ラカン、すべてに抗って』を読み終えてしまおうということで、訳者あとがきに取りかかったが、精神分析理論に通じていないので何を言っているのか全然よくわからなかった。それでも二時三九分に至ってこの本は読了し、それから野放図に伸びていた足の爪をようやく切ることに決めて、the pillows『Rock stock & too smoking the pillows』というベスト盤をいつものように流し出し、ベッドに乗ってティッシュの上に爪を切り落としていった。その後、歌を歌いながら切断面に鑢掛けをしたあと、ダウンジャケットを脱いで運動に入った。まず、屈伸である。次に、合蹠のポーズと言うのか、足の裏を合わせてベッド上に座り、上体を前に傾けたまま静止して、股関節をほぐす。二、三曲分それを維持したあと、さらにコブラのポーズを取った。うつ伏せになって両手を前に突き、上体を引き上げて背を反らせる形である。それから床に下りて、三日月のポーズ、前後に広い開脚をして両腕を天に向けて掲げる姿勢を取ったのだが、これがとにかくきつくて身体を全然保つことができない。それなのですぐに退散し、ふたたびベッドに乗って最後に板のポーズを、休みを挟みながら何度か行って終いとした。今のところポーズを取るとすぐに身体がぷるぷると震えはじめるような貧弱さなのだが、続けていればいわゆるインナーマッスルが鍛えられて静かにぶれずに姿勢を維持できるようになるものだろうか。運動を終えるとこの日の日記をここまで記して、三時四八分に至っている。一八日の記事は長くなることがわかっているので、ひとまずそれよりも先に前日、一九日のことを書いてしまおうかと思っている。今日の労働は最後の一コマのみである。
そういうわけで、一月一九日の記事を二〇分弱進め、それから食事を取りに上がった。上階に行き、食物を摂取する前に洗濯物を畳んだのだったか、それともあとだったか覚えていない。食事は納豆ご飯と蟹出汁の即席味噌汁である。調理台の上でひきわり納豆に葱を刻んで混ぜ、味噌汁の椀にも太い葱の白い部分を鋏でじゃきじゃき切り落とした。そうして卓に移動し、食べるあいだは特に新聞など読まなかったと思う。窓外に目を向ければ南の山の、まだ葉を落としたままで芽吹きは遠く枝の露出した一帯が、それでも手で撫でられて繊維を立たせた毛織物のごとく柔らかく烟っているその上に、弱くなった日光が降りて、オレンジとまでは行かず、ほんの僅かに赤らんでいた。食後に皿を洗ってからアイロン掛けをする最中にまた見やると、赤らみは早くも山の上半分に登っており、近間の景色から山の下部まではなだらかに中立的な、尋常普通の無表情な色調に平板化して、時刻は四時半だった。陽の色が一刻ごとに、じわじわと退いて山の向こうに駆逐されていく頃合いである。
そうして下階に帰ると、多分緑茶を飲みながらのことだったかと思うが、ふたたび一九日の日記を書き進めた。ちょうど四〇分、作文に沈み、それから服を着替えたはずだ。音楽は中村佳穂『AINOU』を掛けて、そのなかでジャージを脱いで白いワイシャツを纏い、身体を揺らしながら青一色のネクタイも結んで、真っ黒なスーツ姿に変貌した。歯磨きも手早く済ませるとふたたび一九日の日記に取りかかったのだが、傍らLINEにおいてTとTDがおふざけのようなやりとりをしていたので、お前ら遊んでいないで中村佳穂 "忘れっぽい天使"を聞けよ、と介入しておいた。ちょうどその時、この曲が流れていて、やはり素晴らしいなと思ったのだった。それで六時五分に至ったところで書き物を中断し、バッグのなかに財布や携帯、それに次に読み出すことに決めた小林芳樹編訳『ラカン 患者との対話 症例ジェラール、エディプスを超えて』を入れて、コートを羽織って上階に行った。
母親の仕事は六時半までになったらしかった。カーテンは服を着替える段で、最初に靴下を履くために階を上がった時に既に閉めてあったと思う。ストールを首に巻きつけると玄関をくぐり、ポストから新聞や父親の保険関連の通知を取って、玄関内の台に置いた。なかに電気料金の通知もあり、今月の請求は(……)円だかだった。随分と掛かっているものだ。やはり暖房を使う時間が長いからだろう。それからふたたび戸口を抜け、扉に鍵を閉めて暗闇の道に出た。空気は相応に冷たかったはずで、手指がひりついたような覚えが微かにないでもない。公営住宅の前まで来ると、一棟のなかから叫びのような音声が聞こえた。女性のもので、それもどうも小学生くらいの子供の声のようにも思われたのだが、いくらか錯乱じみていると言うか、憤慨を誰かに対してぶち撒けて詰っているような調子だった。それを背後に坂道に折れ、ロラン・バルトの言葉について考えたりしながら樹の下を上って行った。出口が近くなると前方から身体の大きい男性が一人現れたが、その姿はほとんど黒い量感、影の塊でしかなかった。その人影がしかし、出し抜けに唾を吐いてみせて、まだこちらとのあいだに距離があるところだったし、別にこちらに対して当てつけたものではないのだろうが、目の前で唾を吐かれるのは気分の良いものではなく、威嚇されているかのような心地になって、うっすらとした反感を覚えないでもない。過ぎて横断歩道を渡り、駅舎に入ってホームに移ると、ベンチに座って寒々しい空気のなか、持ってきた小林芳樹編訳『ラカン 患者との対話 症例ジェラール、エディプスを超えて』を読みはじめた。電車はすぐにやって来た。
乗って車内の暖気に安らぎながら本を読み、青梅に着いてしばらくすると降りてホームを行った。時刻は六時半、授業開始までまだ一時間あるので、駅で読書をしていくらか時間を潰してから職場に行こうと思ったところが、ベンチには男子高校生の姿が数人あって、一人が箸を差し出してもう一人にカップラーメンを食べさせている。その隣に就くのも鬱陶しそうだった。頭上の電光掲示板を見上げれば、今乗ってきた電車は奥多摩行きに変わって四四分の発車なので、時間までそれに乗っていても良かったのだが、もう職場に行ってしまうかと決めて階段を下り、改札を抜けた。
この日の相手は(……)くん(中三・国語)に(……)くん(中三・国語)、それに(……)くん(高三・英語)である。国語は無論テキストを読んでおかなければいけないし、(……)くんの英語も過去問なので読まねばならず、三者ともに予習が必要だったので、早く来て正解だった。時間いっぱい使って扱う箇所を確認し、授業が始まって(……)くんがやって来ると、それで、例のあれはどうだったんです、と向けると、例のあれって何ですかと相手はとぼける。昨日一昨日とあった例のやつですよと続けると笑って、曰く、全然緊張もせずスムーズに解けて、結構できたなと思っていたところが、採点をしてみると全然違ったのだと言う。解答欄を間違えたのではないかと思った、とのことで、苦笑せざるを得なかったが、特別落ちこんではいないようだった。一般入試もあるわけで、元々どちらかと言えばそちらに傾注してきたのだから、別にセンター試験を落としたところで大した問題ではない。それにしても、今まで結構センターの過去問も解いてきているはずで、(……)くんならそこそこ点数を取れそうなものだが、そんなに間違えていたのだろうか。まあいずれ、結果発表を待つほかはないだろう。授業終わりには、別に浪人したって死ぬわけじゃないし、と言うので、その通りですよと応じて、気楽にやるよう促した。授業内容自体は問題はないが、記録ノートに書いたことが乏しかったと言うか、彼とのあいだの授業は本人に任せてしまいがちなのでやや形骸化してきている向きがないでもなく、せっかく事前に文章を読んでおいたのだから、知らないのではないかと予想される語彙などもう少し突っこんで聞いてみるべきだった。
中三の国語二人も、特段の問題はなかったと思うが、やはり生徒たちは記述問題ができない。諸外国はどうなのか知らないが、とにかく日本の学生は文章を書く量が絶対的に足りない。こちらだって小中高の時分には作文が苦手だったので偉そうなことは言えないが、日本の教育は長い文章を書く時間をもっと増やさなくては駄目である。
終業後、翌日の座席表を見た(……)先生が、(……)くんの国語に当たっていることを取り上げて準備をしておかないとと動き出したので、次回から過去問ですよと告げ、神奈川県公立校試験の過去問のテキストを示した。(……)先生は、予め予習しておかなければならない負担にちょっと辟易している様子でもあったが、それでも問題と解答をコピーして持ち帰り、確認してくる姿勢など良いと思う。労務の観点からするとこれは勿論業務外のサービス労働、仕事の持ち帰りということになるわけで、本来はこうした時間にも給料が払われるのが筋なのだが、日本という国はまだそこまで進化してはいないので致し方ない。翌日のこちらの授業は二コマになっていた。メールでのシフト連絡では最後の一コマのみだったはずなのだが、どうも連絡のないままに変更されたらしい。室長はこうした方面でたまに適当なところがあると言うか、連絡の不備が起こることがわりとあるので困り物ではある。こちらが翌日の座席表があればそれを見る人間だから良いが、もしそうしなかったらこれは完全に遅刻になっていたところだ。
(……)先生が教室の鍵閉めのために残っている様子だったので、もしあれだったら僕やりますよと声を掛けたが、今、ちょうど乗りたい電車が行ったところだと思うんですよね、と言うので苦笑を返すほかはなかった。それで身支度を整え、じゃあすみませんがお願いします、お先に失礼しますと彼女に挨拶をして出口をくぐると、(……)先生と(……)先生も後ろに続いてくる。(……)先生の方に顔を向けると、迎えに来てるわと笑ったので、良かったじゃないですかと受けて、駅前でこちらに振り向きお辞儀をしてくれた彼に挨拶を返し、ライトバンのような車の助手席に乗るのを見送った。あとに残された(……)先生に、ご一緒してもよろしいですかと声を掛けて了承を得ると、ともに駅舎に入って改札をくぐり、明日、と切り出した。明日、一コマだけだったはずが、二コマになってました、と言って笑う。たまに連絡がないことがあるんですよね。でもまあ、両方とも二対一になってたので、有難い。そう言うと彼女は、三対一と二対一だとかなり違うっていうの、わかります、と同意を返してくれたので、階段を上りながら、二対一の方が全然良いですよ、でもうちの会社は何か三対一にこだわってるみたいなんで、と言った。階段を上がってホームに入ったところで、何かあの、アンケートあったじゃないですか、本社からの、と向け、相手が思い当たったのを確認すると、僕あれに、二対一にしろ、って書きましたからねと言って笑った。でもそうすると、システムの根幹を否定してしまうんで。
ホームを歩いて奥多摩行きに乗りこみ、いつもどのあたりに座っていますかと訊くと、適当に、と返るので、じゃあこの辺りで良いですかと腰を下ろした。(……)先生は七人掛けの端、こちらはそこからあいだを一席空けて就き、このあたりはまだ微妙な距離感である。発車したあたりで、仲良くなった生徒とかいますかと訊いてみると、特には思い当たらないようだった。それでも授業中、雑談はすると言う。僕は雑談は全然しないはずなんですが、(……)くんとかは何かやたら振ってくるんで、それに答えていたら何故か仲良くなってました、と笑った。次いで今度は、やりづらい生徒とかはいますかと尋ねると、(……)先生は、あー……いますね、と思い当たった顔をするので、誰かと続ければ、(……)さんだと言う。確かに彼女は、問題児ではないのだが、無口で基本的に喋らないのでコミュニケーションが取りづらく、なかなか突っこんだ指導をしにくいところはある。そんな話をしたあと、そろそろ到着が近づいたので、(……)駅から家は近いんですかと訊いてみると、三分くらいだと言うので、それは近いなと笑った。そうして立ち上がり、じゃあお気をつけて、お疲れ様ですと残して、同じ言葉の挨拶を受けると電車を降りた。
この文章を書いている一月二一日現在、最寄りからの帰路のことはほとんど覚えていない。と言うのも、今日も勤務の帰りに同じ道を辿ったので、昨日の記憶が今日の印象によって上書きされてしまったからだ。それでも昨日の帰路は風が強くて、身にはそこまで触れてこなかったが林のなかでやたらと流れていて、折々道の脇から結構激しめの葉擦れが耳に届いたのを覚えている。帰宅すると台所の辺りにいた母親が、お祖母ちゃんがまた倒れたんだって、と知らせた。そうなの、と驚いた。母親の話はこちらの質問にまっすぐ答えず結論を後回しにして、仕事が六時半までで、それで電話に出られなくて、と随分遠回りな経緯から語られてなかなか詳細に入らなかったが、搔い摘むと脳梗塞だと言う。二〇一四年の末、我々が欧州を旅行している最中にも同じ脳梗塞で倒れたはずなので、ふたたび、ということになる。父親はこの日は会社の年頭大会だか何だったか忘れたが、ともかく電車で出勤していたところ、知らせを受けてそのまま山梨に向かった。一応、命に別状はないらしいが、もう九〇だし、いつどうなってもおかしくないよと母親は言った。それはその通りだ。
自室で着替えてくると食事の支度をした。米がほんの少ししかなかったので、お好み焼きを焼いたとのことだった。それで元々皿に取り分けられてあったのに加えて二枚をフライパンから取り、電子レンジに突っこんで温めた。そのほかのメニューが何だったか、よく覚えていない。夕食中のことも記憶にないが、確か母親は風呂に行って、こちらは夕刊でも読みながらものを食べたのではないか。食後は茶を持って下階に下りたはずで、一〇時三一分から四四分まで作文の時間が記録されており、ここで一九日の記事を完成させたようである。間髪入れずにさらに一八日の分も少々綴って、ほぼ一一時を迎えたところで入浴に行ったらしい。風呂に入っているあいだのことも特別印象に残ってはいない。上がって塒に戻ると、また三〇分ほど一八日の日記を進め、それから書抜きを始めた。今日、読み終えたばかりの、エリザベート・ルディネスコ/信友建志訳『ラカン、すべてに抗って』である。
「ここでは、主体を環境につなぎ止めるのは自由な個人と社会とのかつての契約として理解されるべきではない、むしろある環境と個人の依存関係として理解されるべきだということが示されている。ここで言う個人はそれ自体、この環境の諸要素を内化する特定行為によって規定されている」
「見たところ、ラカンは家族をまったく有機的なものと見なしているようであり、かれの目には一九三〇年代末の西欧社会の破綻状態の明白な特徴と映っている父性イマーゴの衰退を、迷うことなく非難している。しかし、反革命の理論家たちとは逆に、かれは家父長に全権を取り戻させることがこの問題の解決になるという考え方には反対する。同時に、人種や領土そして遺伝的性質の永続性を支える争点として家族を持ち出すことも拒否する。父の昔ながらの主権は永遠に失われた、という確信のもと、かれはその再建計画はなんであれカリカチュアに、まがいものに、つまりはファシズムとその危険な軍事パレードにつながるだけだろうと主張するのである。しかし同時に、家族を廃棄することを意図する絶対自由主義的、快楽主義的あるいは共産主義的な主張をもラカンは拒絶する。問題は権威あるリーダーに姿を変えた父親の男性 - 性の再建でもなければ、家族モデルをそれに取って代わると主張している集団性へと解体していくことでもないのだ」
「アンリ・ベルクソンは一九三二年に義務の道徳と憧憬の道徳を対置させたが、ラカンはそこに依拠することで、母の禁止のなかに原初的義務の具体的な形態、ないしは閉じた道徳を見て取る。離乳ないし分離コンプレックスはその表現である。なぜならそれは、「母の乳房のイマーゴ」というかたちで中断された養育関係を再建するからである。ラカンに言わせると、このイマーゴの存在は、全体的なものに対するノスタルジーの呼び声となって人間の人生全体を支配する。しかし、このイマーゴが社会的紐帯へと結びつくようなものへ昇華されないかぎり、これは致命的なものになる。それはすべてを融解させてしまうものでもあるからだ。ここから死への希求が出現し、主体はそれを自殺的な行為によって表現することもある」
「暴力、狂気、神経症の坩堝、そういう意味で家族はかれの目には最悪の構造に映った。それ以外のどれよりましではあるが」
「本質的には、精神分析は政治的・理論的にファシズムに対する対立項となる」
「つまるところ、フーコーは学問領域としての精神分析のなかには「政治的信頼」を、そしてフロイトの着想のなかには懐疑を通じて支配的権力の機構を裸にする力を、それぞれ認めていたのである」
「現在でもそう考えている向きもあるようだが、ラカンはべつに、女性は男性に劣る存在だと見なす生物学的性差の優越性の枠内での家族観を支持してはいない。そう言えるのはこのような観点によるものだ。主体は象徴的法に従うと主張はすれど、この法とは憲兵の警棒よろしく屹立する反動的なファルスとは似ても似つかないものなのだからと」
さらに続いて、ロラン・バルト/鈴村和成訳『テクストの楽しみ』から気になった記述を読書ノートに書き写した。六六頁に、「〈支配される人々〉の側についていうなら、なにものも、いかなるイデオロギーも存在しない。その人たちが自分たちを支配する階級から借用する(表徴化するために、すなわち生きるために)ことを強いられたイデオロギー――そしてこれは疎外の最終段階だ――、それだけを除いては」という文章があるが、これを読みながら、母親の例が頭に浮かんだ。彼女はこの社会における労働礼賛イデオロギーと言うか、いわゆる「働かざるもの食うべからず」といった標語で要約される類の価値観をわりあいに強く内面化しているのだが、それによって前職を辞めたあとは精神的に幾分か苦しめられていたのだ。つまり、退職によって、彼女が半ば無意識的に遵守するべきものとして依拠していたそうした〈主流派〉の価値体系から脱落してしまったので、様々な場面で疎外感や葛藤を覚えていたのだ。その後、現職を新たに得たことで一応こうした体系の内部に復帰することができたため、不労状態によって発生していた劣等感めいた心情は多分薄まったと推測されるのだが、こちらとしてはもっと労働以外にも目を向けて別様の人生観を形成してほしかったところ、しかし母親は結局、〈主流派〉の価値観の外部に留まることには耐えられなかったのだろう。彼女はまさしく健やかに居心地良く「生きるために」、最大公約数的な世間から「借用」した他者のイデオロギーに同化せざるを得なかったということだ。
上の記述に続けてはさらに、「社会の闘争は抗争するふたつのイデオロギーの闘争には還元されえない。問題となるのは、あらゆるイデオロギーの顚覆である」と述べられていて、バルトには珍しくと言うか、いくらか〈勇ましい〉ような声調の箇所だが、「あらゆるイデオロギーの顚覆」が実現した暁の社会とは、一体どのようなものとなるのだろうか? 支配的な思想が不在となった純粋に平等な複数性の様相? それは一種の、文化的アナーキズムなのか?
七〇頁から七一頁に掛けての言葉も、一文ずつ順番に引いてみよう。まず、「言語の生き物として、作家[エクリヴァン]はつねにフィクション(口語)の戦争に捕まっている」。ここで言う「フィクション(口語)」とは、おそらくそれこそイデオロギーに類するもの、権力を孕んだ言語=思想と考えて良いだろう。遡って五七頁には、「フィクション」について真正面から焦点を当てて語った説明もある。曰く、「フィクションとは、言語が到達する一貫性の度合いであって、ある言語が例外的に固まり、聖職者階級(司祭、知識人、芸術家)を見出して、その言語を一般に語り、それを流布させるものなのである」。また、「各々の口語(各々のフィクション)はヘゲモニーをめぐって闘争しており、もしそれがおのれの権力を有するなら、趨勢に応じていたるところ、社会の日常生活のなかにひろがっていく(……)。それは世論[ドクサ]となり、自然となる」。抵抗なく透過的に流通し、広く共有され、あたかも世の始まりから所与としてそこにあったかのような外観を呈するものとしての、言語=思想。
次の文には、「しかし、彼はいつでもそこでは玩具でしかない」とあるが、ここにおける「玩具」の比喩の含意がこちらにはいまいちよくわからない。続いて、「なぜなら、彼を構成する言語[エクリチュール]はつねに一所不住[アトピック]であるからだ」。「一所不住[アトピック]」という重要で魅力的な概念がふたたび登場してきた(ちなみに、以前はこの語を「一所不在」という風に見間違えていた)。作家は定住しない。彼は自らの場所を持たず、安住せず、常に動き、転位し、推移し、放浪し、様々な意味や意匠に〈軽薄に〉飛びついては離れていく。自らの言説が社会に広く受け入れられ、一つの(あるいは少数の)イメージを持ち要約され、つまり端的に言って〈固まり〉はじめるのを察知するやいなや、方向を変えて現在地を離れ、絶えず横滑りしていったロラン・バルト自身の振舞いが、ここで自己言及されているようでもある。ありふれたことだが、この概念を、「難民」あるいは〈亡命者〉の語と結びつけて考えることもきっとできるだろう。立ち戻るべき故郷を持たない者としての、〈故国喪失者〉としての作家。このテーマを考える上では、おそらくアドルノやサイードの思索が参考になるはずだ。
続く文は、「多義性(エクリチュールの基礎的な段階)という単純な効果からして、文学的な口語[パロール]への参戦は最初から怪しげなものである」。作家の言語はただ一つの意味すなわち主張を振りかざして敵対者を蹴散らし、その影響力拡大――〈浸透〉――を狙うものではないので、「フィクション」のヘゲモニー争いへの「参戦」は、当然ながら「怪しげ」で資格不足のものに過ぎず、あくまでも暫定的な参加にならざるを得ない。とは言うものの、最初に引いた文で「作家はつねにフィクション(口語)の戦争に捕まっている」と述べられていた通り、望まなくとも不可避的に抗争に巻きこまれてしまうということも、おそらく確かなことだろう。言語を発するということは、必然的に権力を行使するということだと思われるからである。
これらを踏まえて最後に、「作家[エクリヴァン]はつねにシステムの盲点にあって、漂流している」と来るのだが、言うまでもなく、「漂流」の身振り=姿形[フィギュール]は、「一所不住」のそれと相同的である。作家は制度のなかにありながらも同時に、そこに完全には捕えられないような、身体をがちがちに縛られ拘束されることを避けられるような「盲点」を探し求めて常に移動し、自らの――おそらくその都度束の間の――「自由」を絶えず追求する。彼は言わば、制度空間の隅の方にある〈蔭〉から〈蔭〉へと、光の当たらない暗がりを辿って移っていくのではないかと想像するが、あるいはこのように、「盲点」を「隅」や「暗がり」として平凡にイメージ化するというのも不十分な振舞いかもしれない。
同じ七一頁にはまた、「彼自身は交換の外にいる。非=利得、禅にいう無所得[﹅3]のうちに入り込んでいる。なにも獲得しようという欲望がなく、言葉の倒錯した歓び以外のものを欲しない」とあるが、素朴にこのような境地、このような存在様態を目指したいものだとは思う。ところで、四八頁には「交換はいっさいを回収する、――交換を否定すると思われるものも手なずけることによって」と書かれているのだが、〈作家〉は交換を逃れることができるのか、それとも結局はそのなかに回収されてしまうのか、どちらなのだろう?
読書ノートへのメモ書きは一時間弱続いた。その後は二時半を回ってから記憶ノートの確認をして、それにも新たな情報を書き入れたのち、小林芳樹編訳『ラカン 患者との対話 症例ジェラール、エディプスを超えて』を読んで四時前に就床した。
・作文
15:22 - 15:49 = 27分(20日)
15:49 - 16:07 = 18分(19日)
16:39 - 17:19 = 40分(19日)
17:44 - 18:05 = 21分(19日)
22:31 - 22:44 = 13分(19日)
22:44 - 22:59 = 15分(18日)
23:46 - 24:18 = 32分(18日)
計: 2時間46分
・読書
13:19 - 13:59 = 40分(ルディネスコ)
14:18 - 14:39 = 21分(ルディネスコ)
17:29 - 17:41 = 12分(2019/1/20, Sun.)
18:19 - 18:30 = 11分(小林)
24:32 - 25:04 = 32分(ルディネスコ; 書抜き)
25:16 - 26:10 = 54分(バルト; メモ)
26:36 - 26:51 = 15分(記憶ノート)
26:52 - 27:17 = 25分(記憶ノート; メモ)
27:17 - 27:51 = 34分(小林)
計: 4時間4分
- エリザベート・ルディネスコ/信友建志訳『ラカン、すべてに抗って』: 143 - 167, 189 - 204(読了)
- 2019/1/20, Sun.
- 小林芳樹編訳『ラカン 患者との対話 症例ジェラール、エディプスを超えて』: 5 - 50
- エリザベート・ルディネスコ/信友建志訳『ラカン、すべてに抗って』河出書房新社、二〇一二年、書抜き
- ロラン・バルト/鈴村和成訳『テクストの楽しみ』: メモ: 64 - 71
- 記憶ノート: 2, 5 - 6; メモ
・睡眠
3:45 - 12:45 = 9時間
・音楽
- the pillows『Rock stock & too smoking the pillows』
- 中村佳穂『AINOU』
- Ozzy Osbourne『Live & Loud』
- Pablo Casals『Beethoven: Complete Cello Sonatas』
- Wynton Marsalis Quartet『Live At Blues Alley』