2020/1/23, Thu.

 (……)我々はすでに、一九四一年夏のゲットーの破滅的な食料事情とドイツ本国における食料問題の逼迫が絶滅政策の重大な原因となったことを知っている。その事情は、絶滅政策の実行にあたってふたたび大きく現われて、絶滅政策の必要性をいわば再確認させたのである。
 一九四二年は一方において、戦時経済の再編成に向けて、ユダヤ人労働力の需要が飛躍的に高まった時点であるとともに、他方において、食料問題の危機的状況からして、ユダヤ人抹殺への要求が焦眉のものとなった時点でもあった。この二つの一見相矛盾する要求は、労働可能なユダヤ人と労働不能ユダヤ人の区別によって解決されることとなったのはすでにみた通りである。ユダヤ人絶滅政策の背景にはこのような現実への「合理的」な対処があったことを知る必要がある。
 (栗原優『ナチズムとユダヤ人絶滅政策 ―ホロコーストの起源と実態―』ミネルヴァ書房、一九九七年、148)


 八時四五分に鳴るように仕掛けておいたアラームによって一度は布団の下を抜け出したはずだが、その辺りのことは全然記憶に残っていない。毛布と掛け布団の重なりが生む温みが重苦しいと同時に甘美な長寝を貪って、一二時二〇分に至ったところでようやく瞼がひらいたままになった。窓外の、どこまでも白さが続く一面の曇り空にしばらく視線を吸いこませて、それから起き上がり、布団を捲ってベッドを降りると、ダウンジャケットを持って階を上がった。書置きによると、母親は郵便局に出かけたらしい。寝間着を脱いで畳んでおき、ジャージに着替えてジャケットを羽織ると、冷蔵庫から昨晩の味噌串カツの残り一つを取り出した。パックから皿に移して電子レンジのなかに収め、加熱するあいだに小鍋の味噌汁――その具は若布とエノキダケである――も温めて、白米も少量よそって、三品を食卓に並べた。席に就き、新聞の一面を見やりながら味噌汁を啜る。紙面には米議会上院で進行中のドナルド・トランプの弾劾裁判初日において早速与野党が激しく対立したとの報告や、中国は湖北省武漢市に端を発した新型肺炎の情勢などが伝えられていた。カツを細かく齧りながら同時に白米を口に運ぶ一方で、新聞をめくって記事を大雑把に確認していき、さほど興味を引くものもなかったので閉じると、食事を終えて席を立った。台所で食器を洗い、洗剤を流したものを乾燥機に収めておき、背後に振り向いて洗面所に入ると櫛付きのドライヤーで広がった髪を梳かし整えた。それから風呂洗いである。栓を抜いて残り水が排水溝に向けて吸いこまれていくあいだ、首を左右に傾けて筋を伸ばしながら待ち、それから浴槽のなかに入りこんでブラシで壁面を擦って洗い、洗剤をシャワーで流して終えると室を出て、一旦下階に帰った。コンピューターの電源を押しておき、各種ソフトのアイコンもクリックしておいて、準備が整うあいだの時間で緑茶を用意しにいく。一杯目の湯を急須に注いでから右方の南窓を見やると、白い景色の透明度が何となく低いような気がしたので、雨が降っているのだろうかと窓際に寄って外を覗き、目を凝らしてみたが、雨粒は視認できなかった。しかし、眼下の地面など少々濡れているように見えたので、こちらがベッドで死んでいるあいだに降ったのかもしれない。緑茶を三杯分用意すると、両手にそれぞれ急須と湯呑みを持って階段を下った。自室に戻ってきて机上に置かれているハンカチの上に手に持ったものを置くと、コンピューターの方に向き直ってTwitterやLINEにアクセスする。タイムラインを見ると、不倫は確かに良くないけれど、まさしく鬼の首を取ったかのようにそれを批判して、公衆の面前で謝罪が行われても絶対に許さないという人は一体何なのか、人間の悪意にげんなりする、みたいなことを呟いている人がいて、また誰か芸能人が騒動でも起こしたのかと思ったが、これはどうも東出昌大のことだったらしい。昨晩辺りからトレンドに彼の名前があって、別居がどうとかいう文言も見られていたのだが、それが不倫問題だったということをここに至って初めて知った次第である。しかし、芸能人の不倫騒ぎなど糞尿みたいにどうでも良い事柄で、こちらにはまったく、塵埃一欠片ほどの興味もない。そういうわけでEvernoteに画面を移し、前日の記録を付けるとともに今日の記事も新規作成して、それから茶を啜りつつ一年前の日記を読みはじめた。二〇一九年一月二三日水曜日である。まず、「卓に就いて食事を取っている母親は、冷たい水で台所仕事をやるのが嫌だ、ほうれん草を絞るのですら嫌だと文句を吐く」という記述があるが、このほうれん草を絞って切るのが嫌だという愚痴は、つい先日も母親が漏らしていたもので、つまり彼女の不満はこの一年前から、実際にはおそらく数年前から変化していないわけである。進歩の不在、まったき停滞の感覚。次に、「ワイドショーというものは暇な芸能人が大して興味もない事柄に対して雑駁にくっちゃべったり我が物顔に意見を述べたりするだけの場であり、さしたる問題ではないことをあたかも大問題であるかのように騒ぎ立てるのが得意な人々の場だろう」という文言が書かれてあり、それに含まれた皮肉気な冷笑ぶりはわりと悪くないように思われたのだが、先の東出昌大の件を見る限りTwitterやインターネットという空間もまさしくワイドショー化しているようなもので、翻ってテレビのワイドショー番組の方もこの件できっと大いに盛り上がることになるのだろう。俗物及び愚物の世界である。昔から思っているのだが、この世の悪辣さというものは一つには、人間たちが本当は大して興味のない事柄、自分にとって切実に重要ではないはずの事柄に対して、それにもかかわらず口を差し挟むことから生まれるのではないか。ほか、一年前のこの時期はMさんの『囀りとつまずき』を読んでいて、この日の日記には総合的な感想が述べられていたのでここに引き、改めて示しておく。

 『囀りとつまずき』は明確に面白い。以前読んだ時にはテーマとして「意味の変容」を中心的に扱っているという印象を受けたのだが、実際のところこの作品の主題はそうした狭い範囲に限られず、非常に多様である。話者は世界に対して自らの五感を押し広げ、日常的な生活のなかから、ささやかではありながらも確実に何らかの質感を伴った「気づき」の瞬間を蒐集してみせる芸術家の瑞々しい感性を披露している。透徹した鋭い視線の光る断章から少々鈍く威力の薄いと思われる断章――ささやかさをささやかさのままに忠実に提示する――まで雑多に取り揃えられているが、鈍さの存在が瑕疵となるのではなくて、むしろ生を総体として表現するために必要な部品となっている。隙なく磨き込まれた息の長い文体による、いかにも「小説」だと感じられるような具体的な事物の描写から、意味の圏域の広い抽象的なアフォリズムまで含まれている一方、少々文化人類学的と言うか、異文化の体験から来るちょっとした考察のような断章も存在している。頁を読み進めるごとに新たな側面が顔を現し、この多彩な断章群にどうにか整理を付けて整合的な見通しを得ようとするこちらの意図をすり抜けて行き、またはぐらかす雑駁性を備えている。生半可な要約を試みようとする小賢しさを拒否するような向きがあるのだ。そうした間口の広さ、射程の広角度こそが、まさしく「小説」といういかがわしい作物の豊かさを体現しているのではないか。書きつけられた「まなざし」の語の多さからしても、「視覚」による「目撃」が一つの特権的な主題として現れているというのはおそらく正しいだろう。その点で、「視ること、それはもうなにかなのだ」という文言がエピグラフとして引かれている梶井基次郎の、あの世界との繊細な交感を受け継ぐ貴重な書物ではあるが、しかしそう口にした途端に、この豊かな作品のほかの側面、聴覚や嗅覚、触覚や概念的思考の領域を切り捨て、無視することになってしまうのだ。そうは言いながらも、やはりこの作品を短く表す整理された言葉を探ってしまうのだが――「生のなかに散りばめられた差異の百科事典」というのはどうだろうか?(その点自分はやはり、『囀りとつまずき』を、ロラン・バルトの言う「差異学(ニュアンス学)」の視点から考えてみたい――と言ってしかし、バルトはその内実をさほど具体的には述べていなかったと思うのだが)。そう、この書物は事典なのだ。辿るべき正当な順路はなく、どこから読んでも良いし、どこをどれだけ読んでも良い。柄谷行人との対話における蓮實重彦の発言を引こう――「小説が、何にいちばん似ているかというと、僕は百科事典に似ていると思う。どこのページから読みはじめてもかまわないのが小説だという意味で似ているのであり、それは物語に対する逆らい方でもあるわけだけれども、実際に面白い小説ってそうでしょう。どこを読んだっていいわけです」(『柄谷行人蓮實重彦全対話』、三一一頁)。『囀りとつまずき』は、ここで言われていることがそのままぴたりと当て嵌まる、まさに「小説」なのではないか。またもう一つ、この書物が何に似ているかと言えば、それは句集だと考える。実際、ほとんど自由律俳句にも似た短い記述もあるのだが、この作品が散文でありながらも同時に句集の平面を実現しているとするならば、それは、バルトが自分なりの「俳句」を試みたと思われる「偶景」を、文体や装飾の濃密さの面である種裏切る形ではありながら、しかしやはり着実に継受しているという意味でもあるのだ。

 その後、一時二八分からこの日の日記を書き出して、現在二時五分に至ったところだ。
 間髪入れず、前日、二二日の日記作成に移った。二時二八分まで二三分間進めて、その頃には便意が大きくなっていたので、トイレに行くために部屋を出た。別に下階の便所で排泄したって良いのだが、何となく上階の方に行く気になって階段を上がると、母親は帰ってきていた。(……)の友人から連絡があって会えないかと言うから行ってきた、安納芋などを貰ってきたとか話すのを背後に受けながら玄関の方に出て、トイレに入って性器と尻の穴から糞尿を垂れた。出てくるとまだ食事は取らないと言って下階の自室に戻り、引き続き日記作成に邁進した。三時一二分まで指を動かしてキーを打ち続け、そろそろ食事前の運動に入ろうと作業を切りとした。三時半頃まで運動、そこから食事及びアイロン掛けで四時を迎え、緑茶で一服したあと着替えて出勤、というスケジュールを描いていた。そういうわけでthe pillows『Rock stock & too smoking the pillows』の流れるなか、屈伸、合蹠のポーズ、前屈、コブラのポーズ、板のポーズ、舟のポーズとこなして身体を温めた。とにかく毎日少しであっても続けることが大事である。全行程をこなすには二四分が掛かり、三時三七分に至ったので概ね計算通り、脱いでいたダウンジャケットを羽織って、強く力を籠めていたために熱を持った腹を抱えながら上階に行った。
 母親はふたたび不在になっていた。冷蔵庫から昨晩父親が拵えてくれた味の濃い野菜炒めを取り出し、電子レンジに突っこんで、そのほか白米と小松菜の辛子和えを卓に並べた。新聞は読まずに黙々と箸で食物を口に運ぶ。窓外、近所の宙には煙が湧いており、窓ガラスの下端辺りでは発生から間もないので白濁色が濃くて量感が明らかに見て取られるが、それが上昇して屋根を越え、電線も越える頃にはあるかなしかの結合も失って拡散し、ただでさえ白っぽく山の姿を希薄化している曇天の大気のなかに溶けこんで、視認できなくなるのだった。
 食後に皿を洗って、次いでアイロンを用意して父親の臙脂色のシャツの皺を伸ばし、さらに何枚かのハンカチもまっすぐに整えていると母親が帰ってきた。父親はまた今日新年会の類があって、一度帰ってきた彼を送ってきたのだと言う。そうして会合から帰ってくる際にまた迎えに行かなければならないらしい。ご苦労なことだ。アイロン掛けを終えるとこちらは下階に下りて、急須と湯呑みを持って上がってきて、テーブルの片隅で一杯目の茶を湯呑みに注いでいるその最中に母親が、ちょっとこれを炒めてと言うので、嫌だよと言いながらも台所に移り、大鍋に入った玉ねぎやら大根やらの野菜を木べらで搔き混ぜる。スープにするらしい。母親が牛蒡を切っているあいだしばらく炒め、交代すると茶を持って自室に帰り、温かい飲み物を啜りながら、まったくもって勤勉なことにふたたび日記を綴った。そうして四時半を越えて前日分を完成させたところで出勤に向けて身支度を整えることにして、歯ブラシを持ってきて口内を掃除するあいだ、二〇一四年の日記とfuzkueの「読書日記」を読んだ。それから中村佳穂『AINOU』の流れるなか、着替えである。ワイシャツの白とネクタイの灰色以外は真っ黒の装いを取り、二曲目の"GUM"に合わせて身体を揺らしつつ廊下に吊るしてあるジャケットに近寄って、リズムと同期しながらゆっくりと踊るように、パントマイムでも演じているかのような身振りで衣服を取って身につけた。それで時刻は四時五〇分、まだ一〇分少々日記が書けるなというわけで、今日のことを記録しはじめ、中村佳穂の音楽に乗りながらリズミカルに打鍵していき、五時四分に至ったところでコンピューターを沈黙させ、コートとストールとバッグを持って階を上がった。
 居間は淀んだように暗かった。炬燵に身体を入れながらテレビかタブレットかを見ている母親が、電気をもう点けてと言うので壁のスイッチを押す。それからトイレに行って便器の上に座ったが、大便はまだ出なさそうだったので排尿のみして居間に戻った。テレビは夕方の情報番組を流しており、国会討論の場で福山哲郎が声を張り上げ気味に、口調もやや速く、首相を批判しているのを見て、もっと重々しさを出せば良いのにと思った。答える安倍晋三の方がまだしも余裕があるようにどうしても映ってしまう。それを見ながらコートを着て、ストールを首に巻きつけると、じゃあ行くんでと母親に声を掛けて玄関に出た。母親は郵便があるかなと言って背後についてきた。ゆっくりと足を靴に収め、戸口を抜けて軒から出ると、雨は降っていないようだったので傘は持たないことに決めた。ポストを覗くと父親宛の封筒が二つあったのでそれらを母親に渡し、そうして濡れた道を歩き出した。背後から一台やって来た車が水気をふんだんに孕んだ擦過音を撒きながら遠のいていき、道の果てを抜けて見えなくなったそのあとも、公営住宅前の柵の上にテールライトの赤が反映して残り、それからじわじわと空間に染みこむように消えていった。雨が降ったわりに昨日一昨日と比べると冷気はそこまで強くないようで、風も吹かない。歩いていると軽トラックの類がこちらを抜かしていって、一軒の庭に入っていったのでKさんだなとわかり、その前を通り過ぎる際に会釈を送ったが、フロントガラスの向こうの姿はあまりよく見えず、手を振ったことしかわからなかった。さらに進めばNさんもちょうど家の前に出てきたところだったので、どうも、こんにちはと声を飛ばし、寒くなってねえ、と返るのにははい、と頭を傾けて坂へと曲がった。
 道の両端を縁取る落葉の重なりは濡れて、いくらか光沢を付与されている。歩きながらその堆積に視線を寄せてみると、落葉が織り成す褐色には三種類の差異があるようだった。一つはひっくり返った葉の露出した裏側が提示する白っぽく平板な色合い、もう一つはオレンジに近い表側の色で、さらにそれらのなかに、乾いた血液のように鈍く沈んだ赤味がところどころ差し挟まり、全体として粒の大きく大雑把な、拡大されたモザイクのような斑模様を形成しているのだった。
 坂を出て最寄り駅に至ると、ホームに入り、ベンチに腰掛けていつも通り手帳にメモ書きを始めた。電車が到着するまで五分ほどは文字を作成していたと思うが、たった五分ではいくらも書けるものでない。暖かな車内に乗りこんで席に就いてからも言葉を書きつけ続け、青梅に着いてもしばらく頁の上に黒い線を複雑に組み合わせることを続けて、一番線の電車が発った音が聞こえたのを機にボールペンのノックを押して芯を仕舞い、席を立って降車した。
 この日の労働は二コマだった。一コマ目の相手は(……)くん(中三・社会)、(……)くん(中三・英語)、(……)くん(高三・英語)で、二コマ目の生徒は(……)さん(高二・英語)に、(……)(中二・英語)及び(……)(中一・英語)の兄弟。従って、予習をするようなことは特別なく、準備時間は充分余っていたはずだが、何故か手帳にメモを取った記憶がない。(……)くんのところに行って、今日の授業で何をやるか話したりしていたためだろうか。彼は英語は一旦過去問の長文から離れて文法をやりたいと言い、なおかつ日本史もやらなくてはと言って、こちらに日本史やってくれませんかと言うので、さすがにもう忘れてしまったと笑う。それでも、日本史の勉強時間を少しでも確保させてあげることにして、この日の授業は文法問題を二頁こなしたあとは日本史を自習して良い、という方針にした。それで実際授業をしてみると文法問題の正解率も高く、見開き一頁のなかでミスは三問しかなかったので、なかなか良い調子である。余った時間の日本史では、和気清麻呂とは誰か、などと質問を投げてくるので、道鏡の即位を阻止したやつだよ、などと解説し、教科書も持ってきて多少助力を働かせた。
 (……)くん相手の授業はどのような具合だったかよく覚えていないのだが、確か扱った範囲は民主主義と地方自治の課だったはずである。それで日本の政治制度では国会と内閣の関係が密接であることなどを確認し、選挙で過半数を取った政党のリーダーが自動的に内閣総理大臣に選ばれるようになっているのだ、などと解説したと思う。合間の雑談では、いよいよ迫りつつある都立推薦入試について多少話したはずだが、具体的にどのようなことを話したのかは頓と覚えていない。
 (……)くんは本当は英作文を扱う計画になっていたのだが、もう本番も近いし、好きなことをやってくれて良いですよと言うと、過去問をやりたいと言う。過去問はいずれにせよ五コマ分扱う予定があるし、まだ良いだろうと思って、過去問はまだにしておこうと受けると、どんなことをやれば一番良いですかと訊くので、結局文章を読めないといけないわけだから、やはり長文の数をこなして読み慣れをしておくのは良いのではないかと回答した。それで長文読解の頁を扱うことになった。そのなかでも、一頁丸々問題文になっている特に長いやつをやりたいと言うのでその意欲を尊重し、いくらか一緒に読んでわからない表現を拾って記録ノートに記してもらった。なかなか良い授業ができたのではないかと思う。次回も生徒本人の希望を訊いて長文を扱うようにとの指示を出しておいた。彼自身の自主性を重んじることができれば幸いである。終わり間際になって珍しくあちらから先生、と呼びかけてきたので何かと思えば、推薦入試の面接でどういうことを言ったら良いかとか、何かコツはありますかと言う。大人しい子で、特段に雑談もしたことはないが、そのようなことを訊いてきてくれるということは、多少なりとも信頼感が育まれているのかもしれない。途中、鬱症状でブランクは空いたものの、一応彼が小学六年生の時分から見てきてはいるのだ。小学生当時はいつも不安気なような顔をして、おどおどとした雰囲気の少年だったが、中学三年生にもなればそれなりに顔つきも締まって大人びてきたようだった。質問に対しては、難しいことを訊くねえと笑ってから少々考え、まず、緊張する? と問いかけた。すると、緊張します、と言う。それに答えて、緊張はしても全然良い、むしろ緊張してはいけないと考えない方が良い、そうすると余計に緊張してしまうから、自分が今緊張しているなということをしっかり見つめ、受け止めて、それでも良いのだと捉えること、と、基本的な心構えのアドバイスをした。加えて、よほど図太い人間でなければ、受験などという大舞台なら誰でも緊張はする、周りも条件は同じだ、だから緊張して思ったように言葉が言えなかったりしても心配することはない、それよりも、緊張しているとしても、自分はこういうことを思っていると、面接官の質問に対して自分の考えをしっかりと伝えようとすること、相手に自分の言葉を伝えるという姿勢を見せることが重要ではないか、と概ねそんなようなことを助言した。そうして彼の前を離れると、一席前の(……)くんもこちらの言葉を聞いていたようで、なるほど、と笑ってきたので、いいこと言ったでしょ? と冗談で受けて一人で馬鹿笑いを上げた。
 二コマ目は何はともあれ、(……)が問題だった。基本的な意欲がまったくないのだ。紙に文字をきちんと書くことすらできない。一応現在進行形のまとめ問題を扱ったのだが、勉強をする以前の根本的な意欲や姿勢の点でそもそも支障がある。それなので、これは駄目だなと思って授業は早めに切り上げた。一応最後に椅子に座って相手の顔を正面から見つめ、勉強できる、状態を作ってきてくれないと、お願いしますよと言ってはおいたが、まあ効果はないだろう。小学生の時はここまでひどくはなかったと思うのだが。しかしもしかすると、あるいは発達障害の類でも何か持っているのかもしれない。実際、あとで室長に聞いたところによると、学校でもずっと寝ているような状態で、それで通級に通わせたらという話も出ていると言う。親御さんはどういう人なのか気になって訊いてみたところ、離婚していてこの兄弟は母親とともに暮らしているらしく、母親は当然仕事で面倒を見ていられないから、塾に通わせるだけは通わせて、行ってくれればひとまずは安心、というような状況らしい。やる気がないようだったら帰しても良いと室長は言うものの、そのような処罰的な対応では多分何も解決しないようにこちらは思う。こちらの勝手な想像だと、(……)は何となく疎外感のようなものを覚えていそうな気がするのだが、もしそうだとすると、厳しい当たり方をしてもますます疎外を深めるだけだろう。まあ別にこの想像にも大した根拠があるわけではないのだが、何となく表情や顔つき、言動などからそんな風に思うわけである。ゲームが好きと言うか、授業を早めに終えたその余りの時間でも携帯でゲームをやっているような始末なのだが、かと言ってやっていて凄く面白そうだというわけでもない。ゲームも一種の現実逃避の手段に過ぎないと言うか、所詮は一時の享楽のようなものに過ぎないのではないだろうか。単純な話彼の様子を見る限り、生きていて全然面白くなさそうなのだ。何か空虚のようなものを抱えていそうだと思うのだが、これもあるいはステレオタイプへの回収にほかならないのだろうか。
 それに比べると兄の(……)の方は、少なくともこちらが相手の時にはわりと普通に学習をこなしてくれる。今日扱ったのはas~asの表現の単元で、問題もわりあいできているし、英作文や整序問題でこちらが手伝った文は、見ないで書けるように練習してくれとの指示を出してのちのちチェックしたが、実際正しく書くことができた。言動や様子もどことなく飄々とした感じがあると言うか、そこそこ人生を楽しんでいけそうな雰囲気が滲んでいる。彼に関してはそれほどの問題はないのではないか。(……)が兄として、弟の問題に何かしらの寄与をしてくれれば良いのだが、しかしこの兄弟の仲の良さとか関係についてはこちらもよくわからないので、軽々なことは言えない。もしかしたら仲が悪いという可能性だってある。
 (……)さんはテストが近いということで、その範囲の文法をワークで扱おうということにまとまった。学校でやっているのは不定詞や分詞だと言うので、今日はひとまず不定詞をやることに。名詞的用法、形容詞的用法、副詞的用法の区別などを確認したが、こんな用語で考えても覚えにくいと言って、「~すること」と訳せる場合だとか、何かものに不定詞がくっついている場合だとか、一応噛み砕いた説明をしたつもりである。彼女に関しては、それほど頻繁に当たるわけでないから、こちらのことを内心でどう思っているのか、まだ掴めないところがある。多分嫌われてはいないと思うのだが、信頼感の醸成の点で言えばまだまだ向上の余地ありというところだろう。
 室長とちょっと話して、九時半ちょうどの頃合いに職場をあとにした。奥多摩行きの発車が間近だったので少々急ぎながら駅に入り、通路を辿ってホームに上がり、この日は二号車の奥多摩寄りの方に座ったのではなかったか。最寄り駅までの走行中は瞑目していたような気がするが、よく覚えていない。最寄りからの帰路のことも特段印象に残っていないので割愛して、さっさとこの夜の自分を帰宅させよう。
 帰り着くと室に下り、服を着替えて上がってきて食事である。メニューは炒めた牛肉に、薄味の野菜スープなど。食事中のことも特別記憶にない。食後は多分母親が先に風呂に行って、こちらは緑茶を持って階を下りたのではないか。どのタイミングだったか忘れたが、高校入試の日程を調べた。推薦の方はもう間近で一月二六日、二七日、その結果発表が三一日である。一般入試の方は二月二一日実施、三月二日発表。そのほか生徒たちが受けそうな近場の私立高校の日程も調べたが、どれも二月一〇日もしくは一一日の実施だった。
 一〇時半から四〇分弱、この日の日記を書き進めている。その次に記録に現れている日課は一一時五〇分からの作文で、どうもそれまでのあいだに風呂に入ったのではないか。作文と言ってもこれは短歌を作った時間のことで、零時半まで四〇分を掛けて以下のものたちを拵えた。一番上の「僕は砕けて風になるだけ」というフレーズは、the pillows "New Animal"のなかの一節、「一欠片さえも残さないで/砕けた僕は風になるだけ」から借用したものである。そう、今思い出したが、風呂に入っているあいだにも脳内で言葉の断片を回して短歌を考え、この首を拵えたその勢いを駆って出てきてからも作歌の時間を取ったのだった。

神様も見つけられぬほど粉々に僕は砕けて風になるだけ
火葬場の煙のごとくしめやかに詩を読む君の無言を愛す
首吊りを定めとされたあなたには僕の詩[うた]など無意味なのかな
一〇代の少女の魂の匂いでトランスしよう射精するまで
戦場で兵士が独り叫ぶ問いの答えは夜半[よわ]の風に吹かれて
正論が渦巻き淀む街の空に産み落とされた天使の孤独
永久に君に幸あれなんて言う猿の頭をかち割ってやろう
この恋は俺だけのもの全能の神様でさえ奪えはしない

 それからまたこの日の日記を書きはじめたのだが、どうも文がうまく形成されない感じがあったので、今日は作文の力はもう尽きたようだなと判断して僅か一〇分で打鍵を離れた。そうして記憶ノートの復習を始めたのだが、合間にTwitterを覗いてみるとダイレクトメッセージが入っており、誰かと思えばMさんだった。住所を教えてくれと言う。請われるがままに個人情報を打ちこんで送ると、誕生日プレゼントを送ってくれるらしい。何ですか、『族長の秋』の中国語版ですかと問わずもがなのことを訊くと、わかっていてもそれ言ってくれるなよ、という返答があり、それ以外にないだろうと返ったので礼を言った。それから記憶ノートの前線に新たな情報を書きつけながら、ゆっくりとしたペースで会話を交わした。コンピューターを閉ざしてその上にノートを乗せて文字を書き、ある程度文を書きつけて時間が経ってからコンピューターをひらいて見るとMさんの返信が返ってきているので、それに対して応じる、というような形だった。武漢市に端を発した新型コロナウイルス肺炎に関しては、九日間の潜伏期間があるのだということをここで知らされた。この冬はMさんは帰国中に上京するのは断念していたと言い、おそらくそうだろうなとこちらも思っていたのだったが、しかし新型肺炎の影響で日本に待機になって休暇が伸びる可能性がある、そうなったらあるいは来京できるかもしれないと言うので、武漢市の人々には悪いがMさんが東京に来てくれるなら嬉しく有難いと応じた。明日から一〇日間程度でおそらく発症者の数が飛躍的に増加し、日本でも東京や大阪などの中国人観光客が訪れる大都市では患者が多数出るだろうとの見通しをMさんは述べてみせた。確か今日か明日から中国は春節で休暇になり、帰省などで人々が大量に移動するんですよね? とこちらは確認し、続けて、もはや詰んだじゃないですかと悲観的な言を軽々しく吐くと、しかしMさんも応じて、中国国内のパンデミックはほぼ確定だろうと言った。
 記憶ノートのあとは同様に、ロラン・バルト/鈴村和成訳『テクストの楽しみ』のメモを読書ノートに取りながらやりとりをしていたが、二時過ぎで返信がなくなったので、それからしばらく文字を写して切りとし、夜食にカップ麺を食うことにした。上階に上がって暗闇のなかに電灯の光を割りこませ、玄関の戸棚から安物の野菜タンメンのカップ麺を取って湯を注ぐ。それを持って室に戻り、「築地正明×堀千晶対談 この「世界」を信じる」(https://dokushojin.com/article.html?i=6391)を読みながら麺を啜った。やはり安物と言うほかない味だった――カップ麺など例外なく安物と言えば勿論そうなのだが。

築地  (……)ドゥルーズの生成変化の概念は何か〈良きもの〉と捉えられがちなのですが、必ずしもそうではなく、かなり危険なモーメントというものを含んでいる。そういった善悪の判断から完全に切り離されたような次元で成立するある種の「出来事」としての「生成」、「生の唯一のチャンス」に賭けるということがあると思うのですが、そのことじたいの持つ本質的な危険、恐ろしさというものをまさに堀さんが論考で取り上げられた、ジョセフ・ロージーの映画『クラン氏(邦題:パリの灯は遠く)』では描いています。そこが堀さんの論考[「『シネマ』の政治」; 『ドゥルーズの21世紀』所収]から感銘を受けた点でもあり、そこをどう捉えるか。「生成」の概念を、何か優れた行為やロマンティックなものに結びつけてしまうと、途端にドゥルーズから切り離された議論になってしまうという思いがあって、そういった意味での緊張感というものを自分なりに表現として意識したということがあります。

築地  言語の話に戻りますが、『シネマ』で「仮構作用」の問題と同程度のウェイトで重要なのが、自由間接話法ではないかと思います。〈話法〉の一般的な解説として、直接話法があって間接話法があって、さらにそれらとは異質でよりクリエイティヴな自由間接話法があるという捉え方がありますね。そのことじたいは全くその通りだと思うのですが、ドゥルーズ自身はそのように考えていたのでは実はなくて、そもそも言語そのものが、その本性として自由間接的なものだという考え方を持っていたようなのです。つまり言語じたいが本来開かれたものであって、主客の境界を逸脱する要素がはじめから含まれているという考えです。それに直接話法、間接話法という発想じたい、主体と客体が明確に区分され得る言語学的な規範があってはじめて言えることなので、そもそもそのような思考の基盤がなければ、絶えず言語というのは主客の関係を識別不可能にしながら自由間接的に人々の間を循環する。言語が元来そういう性質を持っているというドゥルーズの指摘は、本質的なものではないかと思います。

堀  (……)自由間接話法は、権力関係や階級関係の問題でもあるのです。そのことを映画の問題として考えたときに、たとえば「第三世界」の映画において、いわゆる「中心」と言われる国、例えばフランスからドキュメンタリー作家が、アフリカに行って映画を撮るとする。そうすると語り手である映画作家が、アフリカの人々の語る言葉を搾取してしまうという事態もありうるわけで、端的に言って、植民地的な構造を再生産してしまいます。ドゥルーズが「第三世界」の映画を語る際には、自由間接的な構造への問題意識があるわけですね。ではいかにして植民者の言語を映画作家が語らないようにするか。ドゥルーズはその問題への解として、現地の人が言葉を通して自分が何者であるかをつくり変え、変身してゆく姿を、そのただなかで撮るべきだと言います。摑まえようとした時には、すでに逃げ去っているような「生成」を撮る、ということです。同時に、映画作家のほうも、植民者的なポジションを自ら解体しながら、映画を撮らなければならない。映画作家=語り手としての自分を解体しつつ、撮られている相手の方の変容につきしたがってゆく。双方が逃げ去っていくような、二重の逃走を結合させるような作品のつくり方をするべきだと考えているわけです。

築地  (……)一九二〇年頃に、カフカが語ったとされる次のような言葉があります。「映画はしかし見ることを妨げます。動きの速度や画面の急速な転換は、人間に絶えず見すごすことを強制します。視線が画面を捉えるのではなく、画面が視線を捉えてしまう。そして意識に氾濫を起こさせるのです。映画は、これまで裸のままでいた肉眼に、制服を着せることを意味します」。(……)

 そうして時刻は三時前、それから小林芳樹編訳『ラカン 患者との対話 症例ジェラール、エディプスを超えて』を四〇分ほど読み進めて、三時四五分頃就床した。


・作文
 13:28 - 14:05 = 37分(23日)
 14:05 - 14:28 = 23分(22日)
 14:36 - 15:12 = 36分(22日)
 16:16 - 16:33 = 17分(22日)
 16:52 - 17:04 = 12分(23日)
 22:29 - 23:06 = 37分(23日)
 23:50 - 24:31 = 41分(短歌)
 24:34 - 24:44 = 10分(23日)
 計: 3時間33分

・読書
 13:08 - 13:22 = 14分(2019/1/23, Wed.)
 16:34 - 16:42 = 8分(2014/6/1, Sun.; fuzkue)
 24:47 - 24:59 = 12分(記憶ノート)
 25:00 - 25:27 = 27分(記憶ノート; メモ)
 25:28 - 26:27 = 59分(バルト; メモ)
 26:32 - 26:55 = 23分(築地・堀)
 27:00 - 27:38 = 38分(小林)
 計: 3時間1分

  • 2019/1/23, Wed.
  • 2014/6/1, Sun.
  • fuzkue「読書日記(167)」: 12月9日(月)
  • 記憶ノート: 6; メモ
  • ロラン・バルト/鈴村和成訳『テクストの楽しみ』: メモ: 83 - 85
  • 「築地正明×堀千晶対談 この「世界」を信じる」(https://dokushojin.com/article.html?i=6391
  • 小林芳樹編訳『ラカン 患者との対話 症例ジェラール、エディプスを超えて』: 96 - 127

・睡眠
 2:30 - 12:20 = 9時間50分

・音楽