2020/1/26, Sun.

 [ラインハルト作戦の総指揮官]グロボツニクは、のちにヒムラーに宛てた報告書で、「ラインハルト作戦」の任務として、「(A)(ユダヤ人の)移住そのもの、(B)(ユダヤ人の)労働力の活用、(C)物材の活用、(D)隠匿された有価物及び不動産の収用」をあげている。このうち、(A)(B)はユダヤ人そのものについてであり、(C)(D)はユダヤ人が所有する物についてである。(A)の「移住」が「絶滅」を意味したことはいうまでもないが、(B)で「労働力の活用」があげられているように、「ラインハルト作戦」の目的が最初からたんなる「絶滅」ではなく、労働力の利用にもあったのである。
 (栗原優『ナチズムとユダヤ人絶滅政策 ―ホロコーストの起源と実態―』ミネルヴァ書房、一九九七年、182)


 起床は一一時である。無論遅いのだが、昨晩は三時四五分に床に移ったから、睡眠時間で考えると七時間一五分で悪くない量だった。夢をいくつか見たのだが、もはやそのうちの一つしか覚えていないし、その一つも仔細には記憶していない。どこかの駅で地元の中学校の先輩だったS先輩に会って、音楽をやるから来いというような感じで誘われたのだったと思う。それでホールのような空間に入ったのだが、そこでは映画館のように斜面になってずらりと並んだ客席のなかの色々な場所で、いくつものグループがそれぞれ思い思いに音楽を演じており、遠くの方からDeep Purple "Highway Star"のギターソロの速弾きが聞こえてきたので、"Highway Star"をやってますねとS先輩に掛けると、よくわかるな、というような反応があった。タラララ、タラララ、というあのフレーズが聞こえたのでわかったのだと答え、そのうちに今度はわりと近くで別のグループが演奏を始めたのだが、これがS先輩のグループだったのかどうだったかはよくわからない。演じられた音楽はスムースジャズよりももう少しハードな良質なフュージョンといった雰囲気だった。
 食事は大根やシーチキンや鶏肉の入ったスパゲッティで、なかなか美味かった。新聞からは新型肺炎についての続報や、書評欄を見たはずだが、特段の記憶は残っていない。皿を洗ったり風呂を洗ったりしたのち、緑茶を用意して自室に帰り、久しぶりにslackにアクセスした。すると"C"についての欄でTが色々と発言しており、見ればTDの指摘を受けてコーラスを修正してみた、確認しやすいように比較音源を作ったからチェックしてみてほしい、というような内容で、レコーディングも近づいてきているし確認しておかなければなと早速ファイルをダウンロードしたのだが、それを解凍するとファイル名が文字化けして、何が何やらわからなかったので、slackの方にその旨報告しておいた。翌一月二七日午後三時現在、この問題は既に解決済みである。MacWindowsのあいだでファイルをやりとりすると、何だかよくわからないがエンコードだか何だかの違いで文字化けが起こるらしい。「解凍 文字化け」で検索すると出てきたCubeIceという、文字化けに強いことを売りとしているらしいソフトを利用することで、正しく解凍することができた。
 今日の最初の活動は、日記の読み返しでも作文でもなく、前夜からの流れを引き継いでロラン・バルト/鈴村和成訳『テクストの楽しみ』のメモを行うことにした。The Beach Boys『Pet Sounds』を大変久しぶりに流して聞きながら読書ノートに文言を刻んでいったのだが、このThe Beach Boysのアルバムは名高さに違わず凄い。"God Only Knows"や"Caroline No"などは有名で、Charles LloydとかBrad Mehldauなども取り上げているから知っていたけれど、七曲目の"Sloop John B"などもかなり凄いのではないだろうか。
 メモ書きを続けて一時半を過ぎると、文字を綴ることに疲れたのだろうか、何故か一年前の日記の読み返しに移行している。そこにはモーパッサンが『水の上』のなかで作家の気質について述べた文章が引かれていたのだが、それを改めて読んでみると、特に以下の部分など確かにそうだなあと思われた。作家や芸術家にはもはや単純明快な感情への没入などは存在せず、反省的・分析的な意識しかない、というモーパッサンの発言の主旨自体は、まあ確かにその通りではあるのだろうが、数年前ならともかく今となってはもう当たり前の事柄になっており、今さらそれほど面白い考え方とも思えない。ただ、以下の一節に含まれている具体的な物々への観察の羅列に対しては、ああ確かにそうだ、自分も帰り道でこういう風に色々なことを頭のなかに思い出して――こちらが強いて思い出そうとしなくとも、それらの方から自然と断片的に思い浮かんできて――それをあとで書き記すために記憶に留めておこうとするものだ、と自分の体験と重ね合わせられて納得感があったので、一応新たに転記しておく。

 彼は、悩みがあれば、その悩みを記録し、記憶のなかで分類しておく。この世で最も愛していた男なり女なりを葬った墓地からの帰るさに、こう考える、「奇妙な感じがしたな。それは、悲痛な酔い心地とでもいうようなものだった、云々……」と。そして、そのとき、彼は、いろいろと細かいことを思い出す。自分の近くにいた人たちの様子、そらぞらしい素ぶり、心にもない愁嘆ぶり、うわべばかりの顔つきといったような、さまざまのつまらない小さな事柄、芸術家として観察した事柄、例えば、子供の手をひいていた老婆の十字の切り方とか、窓に日がさしていたとか、犬が一匹、葬儀の列を横ぎったとか、墓地の大きな水松[いちい]の下を通った際の霊柩車の感じとか、葬儀屋の頭のかっこうや引きゆがんだ顔つきとか、柩を墓穴におろした四人の男の骨折りぶりとか、要するに、心の底から、ひたすら悲しんでいる律儀な人なら、とうてい眼にもとめなかったろうと思われる、さまざまな事柄を思い出すのである。
 (モーパッサン/吉江喬松・桜井成夫訳『水の上』岩波文庫、一九五五年、76)

 また、この一年前の一月二六日には「(……)」のメンバーで集まっており、こちらとMUさんはこの日に初めて顔を合わせている。それなので、その旨LINE上に報告しておき、我々六人の活動もこうして一年を越えたわけだ、素晴らしいじゃあないか、と磯崎憲一郎風の語感で述懐しておくと、のちのちMUさんからは、「素晴らしいじゃあないか。」と反復的な返信があった。そのほか、一年前のことを報告したよりも前の時点だが、二九日に行く美術展は結局、東京都美術館ハマスホイ展で良いのかと皆に問いを投げかけておいたのだった。返答があったのはTDとTのみだったが、彼らはハマスホイ展が観たいと言い、ほかのメンバーからも異論は上がらなかったので、二九日は上野行きで決定だろう。
 一年前の日記を読んで二時に至ったあとは、ふたたびロラン・バルト/鈴村和成訳『テクストの楽しみ』のメモを取りはじめた。日記の読み返しの途中から、音楽はこれも久しぶりに、John Legend『Once Again』を流していた。それをJohn Legend & The Roots『Wake Up!』に移行させながらメモ書きを続け、三時ちょうどを迎えてこの本から写したい言葉は読書ノートに転記し終えた。あとはこれをもとにしてコンピューターの方に書抜きをしなければならないわけだが、その書抜きはと言えば、ロラン・バルト/松島征・大野多加志訳『声のきめ インタビュー集 1962-1980』の途中で停まっているので、この本を書き抜くのはまだまだ先のことになるだろう。
 ここで一旦ものを食べるために上階に上がったはずだ。居間には炬燵に入った母親がおり、テレビは録画したものらしい『SONGS』を映しており、薬師丸ひろ子が出演して"セーラー服と機関銃"を歌っていた。フライパンに余っていたスパゲッティをよそって電子レンジで温め、テーブルに移って食べはじめた頃には、薬師丸ひろ子松任谷由実の"守ってあげたい"をカバーしていたと思う。この曲はこちらの感覚では、Bメロの部分のシンコペーションを用いた推移の仕方がとりわけ素晴らしいと思う。テレビの音量が小さかったのでバックの演奏はほとんど聞こえず、耳に届くのは薬師丸ひろ子の歌声のみで、それもよほど遠いものだったが、彼女の声はなかなか澄んで安定しているように思われた。
 食事を終えて自室に戻るに当たっては、緑茶を持っていたはずだ。三時二三分から一二分掛けて、二〇一四年六月四日の記事を読んでいる。それから二五日の日記に取りかかったのだが、ほとんど二時間も掛けてもこれを終えられていない。一体どういうことなのか? 何故そんなに書くことがあるのか? 五時半を回ったところで天井がどんどん鳴って母親が呼んでいるのがわかったので、作業を打ち切って部屋を出た。上階に上がり、台所に入って袖をまくり、石鹸を使って手を洗うと、天麩羅でもやろうかと母親は言う。それでエノキダケや人参や玉ねぎを切り分けた。まず最初に揚げられたのはしかしそれらではなく、正月の餅の余りを細かく刻んだものである。これを揚げて細かな煎餅と言うかおかきと言うか、そのような代物に仕立て上げたのだった。揚がると茶色の紙袋に入れて、塩を加えてがさがさ振り、まだ熱を帯びているそれをつまんでいくらか食べたあと、ボウルに天麩羅の衣を用意した。一方で、これは餅を揚げているあいだのことだったかもしれないが、切り分けられた鶏むね肉に塩胡椒や醤油や味醂を掛けて、箸で搔き混ぜて下味をつけた。そうして、エノキダケから順番に揚げていく。
 その途中で、山梨の祖母の話になった。この日は確かまた父親は午前中から山梨に行っていたのではなかったか。もし万が一、お祖母ちゃんに何かあったら――と言うのは無論、亡くなったらという意味だが――、お祭り出られないよね、と母親は言うので、まあそれはそうだろうなと受けた。そこから、祭りの件に話が移った。つまり、こちらは(……)役の補佐をやりたくないということをもう一度表明しておき、父親に言っておいてくれと伝えておいたのだった。とにかく表舞台に立ちたくない、衆目を集めたくない、それに尽きると主張し、もしどうしても何かしら手伝わなくてはいけないのだったら、裏方で勘弁してもらえないかと言ったのだった。そこからさらに父親のことに話題が移り、彼が母親のことを「ババア」呼ばわりして馬鹿にすることに対して、先日こちらが怒りを爆発させた件が回帰した。母親はその後、父親に対して、彼の「ババア」発言についてこちらが多大なる不愉快を覚えているということを伝えたのだと言う。だからそういう風に言うのはやめてほしいと言ったらしいのだが、それに対して父親は、じゃあ何て呼べば良いんだ、とか、ババアだからババアって言っているんだ、みたいなことを答えたらしく、端的に言って糞である。これは駄目だな、という感じだ。その後、天麩羅を揚げているあいだやその後の食事のあいだまで通して、こちらは母親に対して、父親の振舞いについての批判を色々な言い方で、手を変え品を変えるような調子で繰り返したのだったが、それらを総括して言いたいことは結局、良い歳を取った人間として恥ずかしくはないのか、という点に尽きる。例えば、ある種のじゃれ合いと言うか、仲の良い関係において許される軽口のような形で、男性が相手の女性を「ババア」と呼ぶということもないではないだろう。我が父母のやりとりにもそうした戯れのような気味がまったくないではなく、それはそれで気色悪くグロテスクな感触を醸し出してはいるのだが、ただそれよりもやはり、父親が母親のことを「ババア」と呼ぶ時には、明らかにそれはニュアンスとして彼女を馬鹿にし、軽んじており、つまりは悪意があり、なおかつ相手を押さえつけるような高圧的な言動となっている。そのような父親の幼稚さ、愚かさに対してこちらは、極々単純素朴で端的な軽蔑を禁じ得ない。以前書いたことの繰り返しになるが、それなりの地位を持って多少は人々からの尊敬も受けているであろう立派な「社会人」、一人前の成人男性が、家庭という私的領域においてはそのような言動を弄することに対する生理的な嫌悪及び反感がこちらにはある。六二年だか六三年だか知らないけれど、彼はこちらの倍以上も生きてきているわけである。それだけの長きに渡って生を重ね、それだけの時間の厚みを背負っているその結果としての振舞いが、あのようなものであって良いのだろうか? 彼は今までの六〇数年の人生において、人間について一体何を学んできたのか? これをまさしく愚劣さと呼ばずして、何と呼べば良いのか?
 ただそうした批判を父親に対して直接差し向けるつもりは今のところこちらにはない。まああちらからその件について触れてきたら言っても良いかもしれないし、我慢できなくなったら彼が飲んでいる酒をすべて捨ててやろうかくらいのことは考えているが、いずれにせよこちらは息子の立場、それも未だに経済的に父親に養われている半穀潰しの立場なので、偉そうなことは言えないという事情がある。偉そうなことを言う前に、さっさと生計を自立させろ、と言われたらそれで終わりなのだ。もっとも、そうしたこちらの依存状態と、父親の抑圧的な振舞いに対する批判というのは本当は別に矛盾するものではなく、レベルの違う話であって、依存的な地位によってもこちらの批判の正当性自体が失われるものではないとこちら自身は考えてはいる。むしろ、こちらが仮に父親の態度について直接的に批判を向けた時に、彼が上のような反論をしてこちらの発言を封じこめようとするとしたら、その時こそ完全に父親の程度が知れると言うか、所詮はそのような人間なのだということが明らかになると思うが、しかし人間の世界というのはやはりそう截然とは成り立っていないわけで、発言自体がそれ単独で正当性を持ったものであったとしても、発言の主体の地位や立場や環境などがそこには不可避的に絡んでくることになるのだ。そういうわけでこちらは今のところは、黙って流し、やり過ごすつもりである。
 その後、食事を取ってから風呂に浸かりながら考えたことに、こうしたこちらの父親に対する反感は、いわゆるエディプス・コンプレックスの図式にそのままぴったりと当て嵌まるだろうということに、こちらは当然気づいている。父親が家の外では立派な人間としての体面を保ちながらも、家の内では恥ずべき振舞いを取るというのは、一種、母親に対する甘えの表出として解釈できるわけだ。母親自身も、会社や自治会などでたくさんの仕事を抱えていて忙しく、それでやっぱりストレスが溜まっているんじゃないのという風に言っていたが、もしそうだとすると母親はそのはけ口にされていることになる。言わば一種の八つ当たりのようなもので、父親はそのような形で母親の〈母性〉に甘えていると捉えられ、これは反抗期を迎えた中学生の女親に対する反発とそう変わらないもののように推測される。食事中の話し合いにおいて母親はまた、何か、ぐずりたいんじゃないの、と困ったような笑みを浮かべながら一つの解釈を提示していたが、彼女から見てもそのような幼児性のニュアンスが、微かにではあるかもしれないものの、見受けられるわけだ。ここにおいて父親の振舞いは、言ってみれば息子であるこちらに対して、彼が母親を唯一的に〈所有〉しており、母親の存在をこちらに〈禁止〉していることを顕示していると解釈することができるのではないだろうか。平たく言えば、「この女は俺のものだから、こいつに甘えることができるのは俺だけだ」というメッセージを暗黙に発しているのではないか、ということである。そのような父親に息子であるこちらが嫌悪と反感を禁じ得ず、母親の側に立って父親の振舞いを非難するというのは、こちらの無意識領域に眠っているのかもしれない母親への独占欲の発露を表すものと考えられ、こうして状況は家庭内における唯一の女性の奪い合いという様相を呈するわけだ。精神分析理論をきちんと学んだことなどないし、フロイトの著作も読んだことがないので、細かいところで合っているかどうかわからないが、このように読解すると、これは多分、実に典型的なエディプス・コンプレックスの構図になるのではないだろうか。まったくもって退屈な話だ。
 風呂のあとは緑茶を用意し、さらに母親の風邪が感染ったものだろうか、こちらも何だか喉が痛いと言うか、引っかかりを感じていたので、母親の買ってきたのど飴と言うか、医薬品に指定されている品だと思うが、喉の痛みを静める飴の類を貰って自室に帰った。そうしてfuzkueと、Mさんのブログを読む。後者からは例によって、引用されていた精神分析関連の記述を孫引きする。「享楽(jouissance)」というのは、ロラン・バルトが「快(楽)(plaisir)」と対立的に並べた語で、これらの(一種便宜的な?)二項対立は沢崎浩平によっては「快楽/悦楽」として、鈴村和成によっては「楽しみ/歓び」という日本語に訳されている。

 デリダは、ヤスパースのような病跡学の言説、すなわち創造と狂気を別個のものとして前提した上で両者の関係を問う思考を批判しています。そして、そのような言説にひとひねりを加え、創造と狂気を等根源的なものとみて、さらにはその根源を「語りえないもの」として神秘化しようとする否定神学的な言説をも批判します。というのも、ひとたびそのような仕方で何らかの否定的な「根源」が見出されたなら、その人物は悲劇主義的パラダイムにおける「殉教者」となり、同じ「根源」との関係が、他のあらゆる人物にも見出されることになるからです。そうなれば、人々はある否定的な「根源」という構造をそこかしこに見出すことに専念するようになるでしょう(実際、これはハイデガーによる「詩の否定神学」の定式化以降、特にラカンの影響下にある二〇世紀のフランス現代思想で起こったことにほかなりません)。要するに、「創造と狂気」をめぐるあらゆる言説が、結局のところ「金太郎飴」になってしまい、個々の特異性が完全に無視されてしまうようになることをデリダは批判しているのです。
 ここには、デリダの思想の根本的なモチーフ、すなわち、ひとつの「不可能なもの(I’impossible)」の存在を指摘することによって、その当の「不可能なもの」をつねに同一不変のものとみなしてしまう傾向に対する根本的な批判がみられます。むしろデリダは、そのような「不可能なもの」を、様々な差異=差延を孕んだ複数的でありうるものとして捉えようとするのです。
松本卓也『創造と狂気の歴史 プラトンからドゥルーズまで』p.278-279)

 (……)ラカンは死とセットになった性行為に何を見いだすのか。それは、快とは厳密に区別された、それどころか快/不快という対立にはそもそも収まらない「享楽(jouissance)」――これはラカン精神分析にもたらした独自の概念だ――である。
(…)
 享楽とは、快原理というリミットの向こう側へと主体を誘う根源的な満足のことであり、欲望の真の原動力は快ではなく享楽である。カントの眼には狂気じみて映るだろう主体、「女性と一夜を過ごすために致命的な末路へと突き進む」主体は、まさに、享楽に引き寄せられた欲望の具体的かつ範例的なイメージを与えてくれる。享楽には、定義上、緊張感や苦痛といった、快原理の枠組みのなかではたんなる不快として処理されるものが必然的に含まれる。だからそこには、(2)のケースで自己犠牲に対して尻込みする主体が感じるような葛藤がつきものである。にもかかわらず、それは私たちの欲望をとらえて離さない。少なくとも、享楽との関係なしに欲望は存在しない。
 このようにみてくると、先に触れた欲望の日常的なあり方と無条件的な法としてのあり方の乖離は、そのまま、快と享楽のあいだに横たわる断絶と重ねることができる。快原理が課すリミットを越えないことこそが欲望の「日常」を定義する。それは、私たちを享楽から隔てる見えない壁のようなものだ。だが、これはあくまでも欲望の一面である。ラカンがカントの道徳法則の峻厳さに見いだしたのは、欲望の「日常」とは明確に異なるもうひとつの顔、致死的な享楽へと主体を向かわせる命令の残酷さにほかならない。
 (工藤顕太「「いま」と出会い直すための精神分析講義」第10回「ひとは何のために命を賭けるのか――カントともうひとつのアンチノミー」)

 その後ふたたび、二五日の日記を綴りはじめた。これがまたしてもやたらに時間が掛かって、二時間一八分も費やして零時を回ってからようやく完成した。日記を書いている途中に、Aくんからメールが入った。見れば、今日の日経新聞にこちらが興味を持ちそうな日記についての記事が載っていたので、画像を送るとのことだった。メールに記されていたアップロード場所のURLをパソコンの方でぽちぽち打ちこみ、画像ファイルをダウンロードして見てみると、宮下志朗が一六世紀フランスのピコ・ド・グーベルヴィルという田舎貴族の日記について触れた短いエッセイだった。カルヴァドスという林檎酒を最初に作った人間なのではないかと目されているらしい。宮下志朗山内志朗の区別がいつもつかないのでここに記しておくが、前者は白水社から全七巻で出ているモンテーニュの『エセー』新訳を手掛けたり、ラブレーの小説を訳したりしているフランス文学者であり、後者はそれよりも一〇歳若い哲学研究者で、こちらとしてはわりと最近に岩波現代文庫に入っていた『天使の記号学』という著作が少々気になっている。
 それでAくんには礼を送り、ついでに、最近は日本についても、四〇年以上書き継がれたという江戸時代の田舎武士の日記も話題になっているねと情報を付しておき、もう一つ、フランスのものだと堀越孝一『パリの住人の日記』というものが三巻本で出版されており、以前から読んでみたいと思っていると述べておいた。前者の著作は、この日だったかこの前日だったかに読売新聞の一面下部に広告も出ていたが、多分、支倉清・支倉紀代美『下級武士の田舎暮らし日記』というものだと思う。
 二五日の日記を仕上げたあとは、間断を挟みながらも三時過ぎまでロラン・バルト/保苅瑞穂訳『批評と真実』のメモを読書ノートに取って、そうして就床した。

 「通常、厳格なコードのもとに言葉を縛りつけておく制度側にとって、二分された言葉は、特に警戒すべき対象になるのである。文学という〈国家〉において、批評は警察と同じく「統制」されていなければならない。批評を解放することは、警察を民間になじませることと同じく「危険な」ことであろう。(……)批評は、裁くことを伝統的な役割としているあいだは、迎合的でしかありえなかった。つまり審判者の利益に迎合するしかなかった。しかしながら、制度と言語の真の「批評」は、それらを「裁く」ことにはなく、それらを識別し、分離し、二分する[﹅10]ことにある。批評は、それが秩序の壊乱者であるためには、裁く必要はない。言語を用いるかわりに言語について語るだけで十分なのだ」(8~9)
 「他の「明白な事実」についても同様であって、それらはすでに[﹅3]解釈なのだ。というのは、これらの事実はその前提として心理的な、または構造的なモデルをあらかじめ選択していたからである。こうしたコード――なぜならこれもコードの一つであるから――は変化しうるものなのだ。したがって、批評家のあらゆる客観性とはコードの選択に基づくのではなく、かれが前もって選んだモデルを作品に適用する際の厳密さにもとづくのである」(18)
 「文学はこれほど無感覚ではないから、平凡な状況に見られる許しがたい[﹅5]性格を絶えず論じ続けてきた。というのは、もともと文学は日常的な関係を根本の関係に変え、その根本の関係を世間の顰蹙を買うような関係に変える言葉だからである。もっともらしい批評家はこうしてあらゆるものの質を一段低下させるために力を尽しているのである。人生のなかの陳腐なものはそれを呼び覚ましてはならず、作品のなかの陳腐でないものは逆にそれを陳腐なものにしなければならないというわけだ。人生に沈黙を強い、作品に意味作用の停止を強いる美学とは、なんとも奇妙な美学である」(22)
 「精神分析が捉える人間は幾何学的に整然と分割できるものではなく、その位相は、ジャック・ラカンの考えによれば、内部[﹅2]と外部[﹅2]のそれではなく、まして上部[﹅2]と下部[﹅2]のそれでもなく、むしろ揺れ動く表[﹅]と裏[﹅]の位相(……)であって、まさしく言語活動はこの両者の役割をたえず交換させ、始めにも終りにも存在しない何かのまわりでその両面を転回させ続けているのだ」(29)
 「「パプア人の言語は」と地理学者のバロンは言っている、「非常に貧弱である。各部族はそれぞれの国語をもっているが、その語彙は乏しくなる一方である、なぜなら人が死ぬたびに喪の印にいくつかの単語を抹殺するからである」」(33)


・作文
 15:43 - 17:35 = 1時間52分(25日)
 21:44 - 24:02 = 2時間18分(25日)
 計: 4時間10分

・読書
 12:50 - 13:33 = 43分(バルト; メモ)
 13:35 - 14:00 = 25分(2019/1/26, Sat.)
 14:04 - 15:00 = 56分(バルト; メモ)
 15:23 - 15:35 = 12分(2014/6/4, Wed.)
 20:37 - 21:16 = 39分(fuzkue; 「わたしたちが塩の柱になるとき」)
 24:26 - 25:25 = 59分(バルト『批評と真実』; メモ)
 26:47 - 27:06 = 19分(バルト『批評と真実』; メモ)
 計: 4時間13分

  • ロラン・バルト/鈴村和成訳『テクストの楽しみ』: メモ: 107 - 157(終了)
  • 2019/1/26, Sat.
  • 2014/6/4, Wed.
  • fuzkue「読書日記(167)」: 12月12日(木)
  • 「わたしたちが塩の柱になるとき」: 2020-01-20「ある程の石投げつけよ咎人の面は常に美しいもの」; 2020-01-21「不道徳な言葉だけでしりとりをしてみた君の語彙が少ない」
  • ロラン・バルト/保苅瑞穂訳『批評と真実』: メモ: 8 - 33

・睡眠
 3:45 - 11:00 = 7時間15分

・音楽