2020/2/1, Sat.

 問題は(1)[アウシュヴィッツ強制収容所の「第一クレマ」と第二~五クレマの残骸から採集した標本がほとんど青酸反応を示さなかったこと]である。[フランスの修正主義者フォリソンの調査依頼を受けたアメリカ人処刑設備製造業者]ロイヒターは、「第一クレマ」及び第二~五クレマの残骸から三一の標本を採集し、他方、ビルケナウ収容所のしらみ駆除装置(チクロンB使用)から比較検討の基準となる「統制標本」 Control sample を一つとった。検査の結果、一八の標本は全く青酸反応を示さず、一〇の標本は一キログラム当たり一・一~二・三ミリグラムの微量の青酸反応を示した。三つの標本は比較的大きな量の青酸反応を示した。最も大きい反応を示したのは「第一クレマ」から採取された標本番号二九で七・九ミリグラムであり、次いで、第三クレマの残骸からの標本番号九の六・七ミリグラム、第五クレマの残骸からの標本番号二一の四・四ミリグラムであった。これにたいして、「統制標本」は、一キログラム当たり一〇五〇ミリグラムという高い数値を示したという。
 標本が採集されたのは、太陽の直射によって青酸化合物が早急に分解されてしまったと考えられる第四クレマと第五クレマの残骸は別として、その他はいずれも、冷たく、暗く、湿気の多い場所で、いずれも、「統制標本」を採集したしらみ駆除室と同じ条件であったという。
 この結果、ロイヒターは、クレマにガス室が存在したならば、それらから採集された標本は「統制標本」よりも大きな数値を示したはずであるとして、これらのクレマにはガス室は存在しなかったと結論する。少量の反応を示した三つの標本については、おそらく、それらの個所でしらみ駆除が行なわれたのであろう、というのである。
 もちろん、ロイヒターの実験が学問的な手続きを正しく踏んで行なわれたという保証はどこにもない。しかし、仮にそれが正しく行なわれたとしても、果たしてそれは彼が主張するように、ガス室の存在を否定するようなものであろうか。
 まず、指摘しておかなければならないのは、チクロンBによって人間よりもしらみのほうが容易に殺害できると考えるのは誤解であるということである。製造業者のマニュアルによると、鼠を殺すには人間を殺すよりも三倍のチクロンBが必要であり、ゴキブリを殺すには鼠の二〇倍必要であるとのことである。実際はしらみよりも人間のほうがはるかに少量で殺害できるようである。さらに、人間殺害の場合は人間を数分で殺害したのちは換気装置によって完全に青酸ガスを排除し、死体処理を行なったのちでなければ、次の行動に移れないのに対して、しらみ駆除の場合は長時間連続してこれを行なうことができる。当然付着する青酸ガスの量は多くなる。
 次に指摘しなければならないのは、上で見たように、第一クレマがユダヤ人殺害に使用されたのはごく短期間のことであったということであるさらに改造が行なわれたのであるから壁面がもとのままであるという保証はないし、床は常に清掃されていたのである。他方、第二~五クレマの残骸は夏は三〇センチの、冬は一メートルの深さの水に浸かったままであるということである。四〇年以上の歳月のうちに大部分の青酸化合物が消失してしまうことは容易に想像できる。
 しかしながら、最大の問題は、少量ではあっても、第一、第三、第五クレマから青酸反応が確認されたという事実であろう。青酸反応などというものは普通の場所から検出されるはずのないものであるから、これは決して量の問題ではなく、質の問題であるはずである。ロイヒターがしているように、少量だから「ガス室」ではなくしらみ駆除だろうというのは全く非論理的であるといわねばならない。たとえ少量であっても、それが「ガス室」である可能性としらみ駆除である可能性は論理的には五分と五分のはずである。むしろ、右で述べた事情を考慮すると、少量であれば、「ガス室」であった可能性のほうが高いのである。現に、しらみ駆除室から採集された「統制標本」からは大量の青酸反応が検出されているではないか。
 さらに重要なことは、我々は、これらのクレマにガス室が存在したということについては数多くの証言を持っているのに、それらにしらみ駆除室があったということについては一度もきいた事がないということである。ロイヒター・レポートに付された設計図を見ても、マイダネク収容所のものにはしらみ駆除室の存在が確認できるが、肝腎のアウシュヴィッツのクレマの設計図からはこれがまったく確認できない。我々は、アウシュヴィッツのクレマにはしらみ駆除室は存在しなかったと考えざるをえないのである。以上の理由からして、これらの少量の青酸反応は、ロイヒターの主張とは逆に明らかにガス室の存在を示すものであり、この点からして、我々は、ロイヒターは意図とは逆にガス室と大量殺戮の存在を実証してしまったのだという、ヴェークナーの主張に全面的に賛成なのである。
 (栗原優『ナチズムとユダヤ人絶滅政策 ―ホロコーストの起源と実態―』ミネルヴァ書房、一九九七年、241~243)


 七時半頃に自ずと目がひらき、頭を起こして机上に積まれた書籍の一番上に乗っている目覚まし時計を見やるほどの意識の軽さもあった。四五分になったらアラームが鳴るからそれまで休もうと頭を枕に戻したが、しばらく経っても響き渡るものがないので、おかしいなともう一度頭を上げると、まだ七時台なのだった。既に八時台になっていると勘違いしていたのだ。それで八時半のアラーム――四五分ではなかった――までふたたび微睡み、携帯が鳴り出すと布団の下からもぞもぞ這い出して動作を止め、ベッドの上に戻ると胡座を搔いてしばらく陽を浴びた。身体の感覚が整うとコンピューターに寄ってスリープを解除し、Evernoteをひらいてわりあいはっきりと残っていた夢の記憶をメモ書きした。Sさんが登場した夢で、次のようなものである。
 時間設定としては朝の比較的早い頃、おそらく八時台のあたりだったと思われる。母親とともに出勤し、最寄り駅へと歩いて向かう。母親はもしかすると前職の格好をしていたかもしれない。十字路の辺りでSさんに出くわした。彼は先に坂を上っていき、そのあとからこちらも続く。Sさんは携帯を耳に当てて喋っていたのだが、それは誰かと会話をしているのではなく、どうやら自らの書いたブログ記事を暗唱しているらしかった。駅に到着してホームに入ると、ホーム入口からすぐのところでSさんが柄の悪い若い男に絡まれ、因縁をつけられている。身体がぶつかるか何かしたらしい。男は、明日がセンター試験なんだよね、とか言っている――ということは、相手は高校生として設定されていたのだろうか。こちらはやりとりを遮るように二人のあいだに割って入り、男を無視してSさんの方にこんにちはと挨拶をする。そうすると男は何か文句を垂れながらも仲間のところに帰ったのだが、その同輩たちは五、六人程度いたようで、男は彼らと一緒に悪態をつき、群れなければ何もできないんだから、みたいなことを言って挑発してくるものの、どう見ても群れているのはあちらの方である。こちらとしてはさらに続けて闘争しても良い気持ちで若者のグループの方に見下すような冷徹な視線を送り出していたのだが、Sさんが引き留めるような雰囲気を出すので、闘争心を収めた。それで二人でホームの先の方に歩いていきながら、ああいう手合いはどこにでもいますね、くだらないことに、と隣に掛けると、いるねえ、とSさんは穏やかに受ける。こんな田舎の駅にあんなのがいるとは思いませんでしたよ、というようなことを言うと、いや、いるな、と彼は思い当たる様子を見せた。過去にも朝の出勤時にそういう類の人間を見たことがあるようだった。
 以上の夢をメモしておくと上階に行き、母親に挨拶して台所に入ると、フライパンにウインナーとほうれん草のソテーが拵えてあった。父親はまだ食べていないらしいのでいくらか残しておき、白米もよそって卓に移り、食事を取った。食事中のこと、加えてその後のことは何ら覚えていないので、メモの取られてある時点にまで飛ぼう。九時過ぎから一年前の日記を読みながら、同時にLINEでTとやりとりをした。昨晩、こちらの短歌を読み直したらじわじわと良さがわかってきた、というようなメッセージが届いていたのだ。その続きで短歌についていくらか話し、一〇時に至るとTがこの朝に二〇分くらいで一気に作ったという短歌の羅列が送られてきて、やたらたくさん数があり、どれもかなり批判の気持ちが籠っているものだったので笑った。直接的には(……)を自覚したことを機に気持ちが噴出するような形で生まれたものだろうが、自分の母親との過去の関係を思い返して作ったものもあり、引いては世間一般の過保護でお節介な親に対する批判まで射程は及んでいるようだった。良いと思ったものに二つ言及しておき、「ある種の心理的デトックスと言うか、感情の抑圧が排出されたような感じだね」と言うと、まさにそうだと肯定が返った。
 その後、身支度を整えて黒いスーツに装いを替えた。今日は祖母の七回忌の供養である。法事なのでネクタイは真っ黒だが、白いシャツはボタンダウンのもので、本当は駄目なのだろうが、参加する人間は両親とこちらの三人のみの内輪の催しなので良いだろうと緩く考えた。礼服でなくて普通のスーツを着たのも、法要のあとにそのまま街に出るつもりだったからだ。靴もいつもの鈍い褐色のものを履いた――こちらは現在、黒い革靴を所有していないのだ。
 着替えたあとで風呂を洗いに行き、戻ってくると出発の一〇時半が目前に迫る。Tは(……)現状分析を送ってきていたので、それに対して返信し、法事に行ってくると伝えてコンピューターを閉ざすと、上階に行ってトイレで臓腑の中身を尻から放出した。荷物はリュックサックであり、なかには立川図書館で借りている本やCDが入っている。かなり温かい気候のようだし、コートを着れば充分だろうと判断してストールは持たないことにした。それで上着を身につけると玄関を出て鍵を閉め、既に両親が乗りこんだ父親の車の助手席をひらいた。ゆっくりと、身を絞りこむようにしてシートに就き、足もとにリュックサックを置いて狭いなかでシートベルトをつけると、車は発進した。母親が玄関の鍵閉めたよねと訊くので肯定する。
 彼女はまた、財布のなかにお金がない、一〇〇〇円しか入っていないと言うので、あるよと受けて腕を曲げ、五〇〇〇円を後部座席の方に差し出した。市街へ向けて走る道中のことは覚えておらず、特別に際立った印象は残っていない。(……)の交差点から坂を下って(……)寺へ入ると、車が結構停まっており、ちょうど今しがた前の法事が終わったところらしく、黒い服の老婆が呆けたようにうろついていた。玉砂利の上の一箇所空いていたスペースに車を停めると時刻は一〇時四〇分頃、法事の開始予定は一一時である。まだ早いからと車内でちょっと待つことになったが、手帳を出してメモを始めたところ、いくらも経たないうちにもう行こうと父親が言って、それで降りて本堂の入口に行った。そうするとしかし庫裏へ声を掛けてくださいという掲示があったので靴を履き直し、本堂横の母屋めいた建物の方の戸口へ近寄った。両親が前に並んだ後ろにこちらが立つ陣形を取ったが、インターフォンを鳴らして扉を引き開けても、その開け方が小さかったのでなかの様子は窺えず、こちらがいたことはあちらにはわからなかったのではないか。それでも一応おはようございますと挨拶の声を出しておき、本堂の方にふたたび行くと住職の息子が出迎えてくれたので、よろしくお願いしますと挨拶をした。そうしてなかに入ると、背もたれなしの小さな椅子がいくつも並んだその中央に石油ストーブが置かれて暖気を吐き出しており、畳の端、席の背後の方にはテーブルがあったので、両親はその卓に寄って風呂敷をひらき、祖父母の遺影と位牌を取り出して祭壇に置いてもらっていた。その後、住職の息子と我々とで互いに正座の姿勢になり、頭を下げながら布施を授受したあと、席の最前列、中央の三つに三人並んで腰掛けていると住職がやって来たので、ふたたび挨拶をして法要に入った。
 「開経偈」「般若心経」「父母恩重経」の三つを一緒に読んでいただき、それで回向としたいと思います、と住職から最初に説明がある。いつも通りの段取りで、経も毎回の法要で何度も読んでいる馴染みの経文たちである。住職は我々から見て正面の、本堂の中心部に当たる座に就き、その斜め後ろ、我々から見て左手前の位置には息子が就いて、大きく丸々とした木魚や瓶[かめ]のような巨大な金属製の鳴り物などを叩く役目を担う。そうして「開経偈」から読経が始まったのだが、今回は読むあいだ結構観察の耳目を凝らした。頁を一瞥して文句をある程度の単位で頭のなかに入れておき、それを暗唱しながらしばらくのあいだ住職や息子の様子に目を向け、また経文を一瞥して文句を覚えては読みながら観察し、というプロセスを繰り返したのだ。部屋の奥の端は障子戸で画されているのだが、その向こうには何があるのか、障子紙の白い面[おもて]はぼんやりと薄青く染まっており、住職の横顔の輪郭線――眼窩の彫りや鼻の突出、それらの織り成す緩い稜線――が淡青を背景にしてくっきりと際立つ。これは過去にも観察し、日記に記した光景だ――記憶は確か夏のことで、おそらく祖父の供養の場であり、その時はじりじりと炙られるような暑気のなかで住職の袈裟の鶯色が涼しげだったのを覚えている。経の文言を発声する際、住職の口は下に向かってひらき、そのひらいた下唇や顎のあたりが音を伸ばすのに応じて一瞬ちょっと震えるようだった。声色は息子よりも親の僧侶の方が、さすがに年季が入っているのかふくよかで、なおかつ発語に抑揚があり、細かく装飾的に音程を上下させて起伏を生み出し読経にいくらか〈語り〉めいた気味を導入するその演出技法は、ジャズで言うところの軽いフェイクのようなものである。また、全体的な音域も読経が進むにつれてほんの少しずつ上擦ってくるのは、やはり興が乗るものか。こちらは住職の声音に自分の声の高さを合わせて和するようにしたが、隣の母親はそんなことはまったく考慮せずに、的外れな当てずっぽうの高さで発声しており、音楽的調和がなくて下手くそである。父親の声はよく聞こえなかった。息子の僧侶の方は住職に対して低いところで、いくらかざらざらとしたような声色で平板に、音高を一貫して変えずに単調な経を読んでおり、こなれていないような感じを受けなくもなかったが、これはしかし意図的にそのような役割分担をしているのかもしれない――つまりは息子がベースを担当し、住職がその上で主旋律を担う分業だったのではないか。経が終わったあとに立ち上がって用紙を広げ、仏に供養を願う文言を読み上げる朗唱、言わばソロパートは息子の役割である。それは二回あり、一回目は何ということもなく聞き過ごしてしまったものの、焼香のあとの二回目に目を閉じて聞き入ってみたところ、もう少し口調や呼吸をゆっくり鷹揚にした方が、重々しさと言うか威厳のような感じが滲み出るかもしれないと思った。立ち上がって文言を読みはじめた最初のうちは声もやや小さめで、あまり響いていなかったものの、座り直してから祖母の戒名を読むあたりに至ると調子が上がってきて声量が高まり、発語も力強くなっていた。それにしても、自らの声のみが沈黙の空間に響いているこのシリアスな場面で、もし戒名を読み違えたりしたら大変なことだな、とこちらは部外者の暢気さで散漫に考えていた。
 「父母恩重経」まで唱えたあとは焼香の段に移り、そのあいだはやや速めのテンポの、何の経なのかわからない呪文が唱和される。祭壇の方に入って鷹揚に焼香を終え、戻ってきてからも読経はしばらく続いたので目を閉じて聞いていた。梵語なのだろうが、無論まったく意味はわからないし、語の区切れる単位すら不明である。ただ、日本語の経の場合には一拍に二音入ることがあったのに対して、この経では一拍は必ず一音節の長音で統一され埋められていることに気がついた。何度の音程間隔で唱和していたのか不明だが、不協和音とは聞こえず不思議と調和感があって、フリージャズのような気味もあってわりと心地が良かった。
 そうして終了すると互いに礼を言い合い、祭壇から遺影と位牌、そして卒塔婆を取ってもらって、写真と位牌を受け取ったこちらと母親は堂の隅の台に寄ってそれらを風呂敷に包み直した。それから、住職と両親が少々立ち話をする――雪が積もらなくて良かったですねとか、祖母の亡くなった時と葬儀の時も大雪で、とかそういった話で、そのあいだ住職の息子は黙って脇に控え、こちらも同様に会話には立ち入らずに住職の顔を見やっていた。話が終わるとまた改めて礼を言い合い、息子の方にも向いてきちんと顔を見合わせて礼を言っておき、堂から退出すると出口でまた礼を送り合ってから墓場の方に向かった。墓地の入口脇に白木蓮らしき樹が一本立っており、裸の枝の先に蕾がいくつもついていて、錐状と言うかすぼまった形に産毛がびっしりと生えているそれに指先で触れて感触を確かめ遊んでいるうちに、父親は先に墓所へ向かった。こちらと母親はそのあとから水場に入り、水は父親が用意して行ったので箒と塵取りを持って墓所まで歩くと、父親が取り除いた古い供花を塵取りに受け、それから周囲を掃き掃除する。しかし塵取りが小さく蓋もついていないもので、せっかくそのなかに入れた細かな葉屑が風で飛んでしまいそうだったので、一度水場に戻って囲いのある別の塵取りを持ってきた。そうして掃き掃除をしているあいだ、墓石を磨いたり花を立てたり線香を用意したりするのはすべて父親に任せ、火を点けてくれた香の束を分けられて、両親のあとから炉に供えた。半透明のビニール袋に入った米もすべて撒いてしまうと、段を下りて墓の前で手を合わせ、金・時間・健康・能力の四セットを端的に五回くらい唱えておいた。
 かくして供養と墓参は終わり、水場で手を洗ったあと、中央図書館に行くつもりだったので河辺まで送ってほしいと要求して了承を得た。昼食のために「ほっともっと」で幕の内弁当を注文してあり、その受取り時間が一二時だったのでまだ少々間があったが、鯉に餌をやっていれば丁度良い時間になるだろうと母親は言った。そうして墓所を抜けながら、ふたたび白木蓮に目を上げる。無数の蕾のうちの一つが皮を重ねていびつに膨らみ、畸形のようになっていたのだが、それに触れてみると外側の皮が剝がれてぽろりと落ちてしまった。それから両親の寄っていた池の縁にこちらも合流し、手を叩き鳴らすと鯉が出てきたので、母親が持ってきていた食パン――何でも、柔らかくてわりと品質の良い品だという話だ――を三人で千切っては放った。鯉のなかには一匹、金に近いような黄色のものがおり、何となくその個体にパンを食わせてやりたかったのだが、軽い小片は狙ったところにうまく飛ばず、目指した位置に落下してもほかの鯉が即座に奪って食べてしまったりして、黄色の一匹にこちらの慈悲が届くことはないのだった。
 それから車へ戻るのだが、発つ前にトイレに寄ることにして玉砂利の上をゆったり歩いていると、庫裏の前の小さな菜園めいたスペースで老婆が一人、草取りか何かをしており、背を曲げて顔を伏せた彼女の足もとにこちらの身から伸びた影が差しかかる。こんにちはと声を掛けると老婆はゆっくりと顔を上げ、こちらを認めるとこんにちはと緩慢に返してきた。トイレ、お借りしますねと厠の方に手を差し向けて言ったものの、それには反応がない。そのあとから両親もやって来て、トイレに向かったこちらの背後で母親がちょっと雑談を交わしていたようだった。厠で小用を足すと母親のハンドタオルを借りて手を拭き、出てくると車の後ろの裸木を少々眺めてから助手席に入った。
 寺を出ると細い坂を下っていき、広い街道に出て東へ走り、「ほっともっと」に向かった。こちらが先ほど渡した五〇〇〇円を返しながら、品物を受け取ってきてと母親が要求するので、到着すると車から降りて入店し、カウンターの向こうの女性店員に挨拶をして、予約をしております、Fと申しますと慇懃に切り出した。幕の内弁当三つと唐揚げ一〇個入りのパック一つで二三六〇円である。会計を済ませ、少々重いのでお気をつけてという店員の心遣いを受け取って荷物を持ち、退店すると後部座席の母親に袋を渡して助手席に戻った。唐揚げの良い香りが車内に漂って空腹を助長させる。レシートくれと母親は言い、こちらが代金を出すつもりで別に良いと受けたのだが、あちらが譲らないので折れて紙を渡し、そうして河辺に向かってもらった。
 ジョナサンの脇から裏に入って駅前の方に移動し、図書館のビルを過ぎてイオンスタイル河辺のビル脇に停まったところで、礼を言って降車した。そうして道を戻りながら昼食をどうするかと考え、イオンスタイルの一階にリンガーハットが入っているのを目に留めて、ちゃんぽんを食いたいような気分を感じもしたのだが、しかしひとまず図書館に行くことにした。陽の当たった横断歩道を渡り、階段を上って入館するとCDの区画からジャズの棚を見たものの、特に目立ったものはない。立川でも借りるから今日は荷物を増やさない方が良いなと判断し、棚のあいだを抜けて上階へ行くと新着図書を見分したが、ここでもそこまで強く欲望を惹きつけるものはなかったようで、何があったか覚えていない。それからフロアを横切って海外文学の書架に行き、ジョン・ウィリアムズストーナー』を探したが、英米文学の「う」の辺りに見当たらない。確かにこの図書館で過去に見かけた覚えがあるのだが。棚の裏側の列の方も一応調べてみてから検索機に寄って調査を掛けると貸出中だった。それで仕方がないので立川図書館の方で借りることにして、フロアを横切り、階段を下って出口に向かった。
 外に出ると眩しい陽射しが視界を占領略奪し、目を細めざるを得ない。右手で額に庇を作って遠い南空の明るい青さを見ながら行くと、女子中学生が何人も、高架歩廊の駅舎入口付近に溜まっている。その横を過ぎてなかに入ると時刻は一二時半で、ちょうど電車が発とうとしていた。これは間に合わないなと鷹揚に判断し、乗車は諦めて急がずに改札をくぐってエスカレーターを下りると、上りの電車は目の前で発車していった。空っぽになったホームでベンチに掛けて手帳を取り出し、この日のことでなくて三〇日の記憶をメモに取っていると、視界の端に何か掠めるものがあったので目を振れば、白鶺鴒が一匹、随分と近くを歩いていた。白と墨色を組み合わせて水墨画のように恬淡と彩られたその姿が、無規則な動きで目の前を通り過ぎていくのを眺める。
 電車が来ると乗って席に就き、引き続き手帳にメモ書きをするあいだ、立川までの道中の印象は特にない。乗った電車が立川行きだったか東京行きだったかも覚えておらず、従って降りたホームが一・二番線だったか三・四番線だったかもわからない――確か一・二番線だったのではないかと思うが。この日は到着からあまり間を置かずに降車し、人々が階段口に残っているうちにその後ろに就いたのではなかったか。上がったところでおにぎり屋を見やって、おにぎりを買って食おうかとちょっと頭に過ぎった覚えがあるから、やはり乗ったのは立川行きで一・二番線ホームに降りたのだ。それから改札を抜けて人波のなかを北口へ向かうと、駅舎出入口の脇ではいつも雲水が立って鈴を鳴らしては施しを求めているのだが、この時は珍しくその雲水と話をしている者がいた。結構若い男性で、真剣な様子で相手の言葉を傾聴しているようであり、雲水の方は普段は笠で顔がわからないけれどこの時覗いた顔貌からはわりと年嵩のように思われ、こういう托鉢というのは比較的若い修行僧がやるものではないかと思っていたのだが、そういうわけでもないのだろうか、それとも齢を重ねてから仏門に入った人なのだろうか。北口広場に出るとモノレールの駅へ向かう方の通路脇に、犬猫ボランティアの人が男女で二人、並んで立って声を張っていた。ここでは初めて見たものだが、上野駅の公園口のところで募金を呼びかけているのとおそらく同じ団体だろう――と言うのは、特有のリズムや威勢の良さがあるからで、これはやはり共通的にマニュアルのようなものがあって、それに沿って練習をするのだろうか。その前で右折して、お願いいたします! というボランティアの声を背後から浴びながら伊勢丹の方に行くと、百貨店入口の前では何かイベントを催しており、人々が集まったなかに何者か知れないけれどスーツ姿の男性二人がマイクを持って、今、演壇に女性を一人招き上げて、嬉しいですね~とか言いながら名前を訊いているところだった。さらに進んで歩道橋を渡り、高島屋とシネマシティのあいだの通路を行けば、幼い女児を抱いた母親と夫が並んでゆったり歩いており、母親は子供が重いらしく、もう限界、とか言いながら大いに笑い声を上げていた。パレスホテルの側壁には聳え立つビルに遮られて本体の見えない太陽が光を反射させ、左方、モノレール線路下の広場に続く通路――高島屋とパレスホテルのあいだ――にも、裸の街路樹がいくつも並んで人々がそぞろ歩いているなかに陽が射して、淡い暖色の矩形が生まれていた。街路樹のうちの少なくとも一本は、随分と早くて不思議だが、既に緑色を灯しはじめていた。
 図書館に入り、新着図書を瞥見してから返却カウンターへ行くと、ロラン・バルトの著作二冊を箱に入れてから横にずれ、職員にすみませんと声を掛けた。これをもう一度借りたいんですがと言いながら、ニコラス・チェア/ドミニク・ウィリアムズ/二階宗人訳『アウシュヴィッツの巻物 証言資料』を示したのだ。相手は研修中の札をつけた若い眼鏡の女性で、延長はしましたかと訊くので、延長はもうしちゃったんですよと答えると、背後の先輩職員に指示を仰いだ彼女は、それでは一度返却していただいて、と言った。それから彼女がもう一度振り向いて言葉を聞いたかと思えば、貸出しできるのは翌日以降になりますけれど大丈夫ですかと来たので、あ、そうなんですかと驚いた。すぐに再度借りられるものではないのだ。これは地元の図書館とは違うシステムである。そうしたら、返却していただいて、後日、また借りに来ますと文言を考えながら答え、お願いしますと言って本を箱に入れると、上階に上がった。カウンターに寄ってCDを返却し、棚に寄るとすぐに一枚はChristian Scott『Ruler Rebel』を借りることに決め、それから何か面白い音源はないかと邦楽の棚を隅から隅まで眺めたが、興味を惹かれる作品の乏しさは驚くべきものだった。借りたいと思うのは強いて言えば小沢健二Blankey Jet Cityくらいだ。それから洋楽のロック/ポップスの区画を見分し、The Beach Boysの作品やBrian Wilsonのライブ盤を借りようか迷ったが、後者は以前借りたことがあるからコンピューター内に音源が残っているかもしれないと流して、続いてThe Beatlesの欄を見ると唯一の公式ライブ音源である『Live At The Hollywood Bowl』があったのでこれを借りることにした。それから、結局ジャズになるんだよなと思いつつこのジャンルの作品を調べ、最終的にShai Maestro Trio『The Stone Skipper』を三枚目に決定した。そうして自動貸出機で手続きを済ませるとカウンターの前を横切って文庫の棚の前に立ち、哲学の区画や文学関連の著作を眺めたあと壁際を推移していって、全集を確認したり音楽の棚を見たりした。武満徹著作集が全五巻だか六巻だかで揃っており、吉田秀和の全集の類もすべてあったと思う。それから美術の棚のあいだに入り、さっさとトイレに行けば良いのに、高まり迫っていた便意にわざわざ耐えながら著作を調べていった。面白そうな本はいくらでもある。今現在思い出すことができるのは小林康夫の美術論や石川美子の本で、後者は言うまでもなくロラン・バルトの本を訳している研究者であるわけだが、美術方面の著作もものしているとは幅が広い。美術総論の辺りを調べてから――個々の画家や芸術家についての研究書にも勿論食指は動くが、どちらかと言えばやはりこの包括的な美術論の方に興味を惹かれるものが多かった気がする――ようやくトイレに急ぎ、個室に入って腹を軽くすると鏡の前で手を洗い、今日はハンカチを持ってくるのを忘れたので水気を弾き飛ばしてからトイレを出て階段を下りた。そうして通路を辿って英米文学の棚に行き、ジョン・ウィリアムズ東江一紀訳『ストーナー』を発見して手もとに保持し、それからフランス文学の方にも移った。ロラン・バルトを何か一冊借りようかという気持ちが起こっていたのだ。『ラシーヌ論』と迷ったが、コレージュ・ド・フランスの講義集成の一巻目、野崎歓訳の『いかにしてともに生きるか』を再読することにして、二冊を持って通路を歩き、カウンターに行って貸出機で手続きを済ませた。終えるとカウンターの向こうで突っ立っていた職員に会釈を掛けて、場を離れながら本をリュックサックに入れて退館した。
 その時点で時刻は二時半くらいだったと思う。高架歩廊を行きながら、やはり腹拵えをしておいた方が良いかと考えた――これから荻窪の(……)書店に出向くつもりだったのだ。長時間見て回ることになるのは必定なので、空っぽの胃ではやはり心許なく、エネルギーを補給しておいた方が良いかと判断して、久しぶりのことだがPRONTOに行ってパスタでも食べることにした。それで歩道橋を渡ったところで左へ折れて階段を下ると、正面、陽の射している交差点を、からくり仕掛けの人形のような生気なき自動性を帯びた人々が粘りのある液体のごとき緩慢さで縦横に流れ、交錯する。そのさらに先では青空に、レゴブロックを組み合わせて作ったような赤と白の電波塔が突き立っていた。階段を下りると曲がってビルとビルのあいだの細道に入り、通路を辿って表通りに出ると、人々が行き交ったりビルの入口で客を引く声が飛んできたりして賑やかななかをPRONTOに行き、入店した。ひとまず上階に行ってみたが土曜日の昼時とあってさすがに混み合っており、空席がなかったので一階に戻って、長居するわけでないしカウンター席で良いかと決めてレジに並んだ。そうして注文前に、そこのカウンターは、大丈夫ですかと尋ねてみる。レジカウンターから繋がった流しの前に当たる位置で、スツール椅子が三つ用意されているのだが、夜のバータイムには使われているのを見たことがあるものの、昼間は利用できるのかわからなかったので一応訊いてみたのだ。大丈夫だとのことだったので安心して、アイスココアと、海老とアボカドのバジルソースのパスタを注文し、会計をしてココアをトレイで受け取ると席に就いた。真ん中の椅子に尻を乗せて、リュックサックとコートを右隣の椅子の上に置いておく。そうしてココアを飲んでいると階段を下りてきた男性店員がにこやかにパスタを差し出してきたので、礼を言いながら随分と早いなと思った。品物にはフォークとスプーンが付属されていたが、こちらが使うのはフォークのみである。スプーンを使うのは面倒臭いが、本当は活用した方が綺麗に食べられるのだろう。パスタの上手い食い方というのは未だによくわからないもので、フォークである程度巻きつけては口に運ぶのだが、巻きつけが完全でなくて口から麺が垂れ下がり、それを啜るのも行儀が悪い気がして途中で噛み切ってしまうのだった。パスタは結構もちもちと弾力があってなかなか美味い品だった。こちらが食事を取っている目の前では、二人の女性店員が入れ替わりながら忙しそうに立ち働いている。料理を食べ終えて手帳にメモを取りながらココアを飲み、飲み物も平らげるとカウンターの端、台が直角に折れたさらにその先の方に皿やグラスをまとめて載せたトレイを寄せて片づけておき、コートを纏い直して退店した。
 立川駅に戻って改札を抜けると、四番線にちょうど快速の東京行きがあったので、ホームに下りると三番線の特快は見送ってそちらに向かい、一号車の入って席に就いた。そうしてふたたび手帳にメモ書きである。この時点では多分、前日、三一日のことを記録していただろうか。焦らずに一つ一つ、記憶を言葉に落としていく。向かいに座った若い女性が、数年前の塾の生徒のようにも思われた。マスクをしていたので確かでないが、露出した鼻筋から目に掛けての辺りが何となく似ている気がしたのだ。しかし名前を思い出せない――(……)何とか、と言ったか?
 荻窪に到着して降り、地下通路に下ると改札を抜け、去年のちょうど今頃になるが、Mさんと(……)書店に行った際にここで待ち合わせをしたなと辺りを眺めた。あそこの売店でパンを買って食いながら待った、あそこのエスカレーターを上がりながらその前日に会ったSさんの印象を話したなと各所に視線を送り、しかし今日はそのエスカレーターには乗らずに階段を上って線路沿いを進んだ。途中、ベビーカーに赤子を乗せて立ち止まり、何をするでもなく佇んでいる女性がいた。子供に見せるために電車が来るのを待っていたのだろうか。しばらく線路の横を歩くと通りを渡って、(……)書店に到着した。競取り業者らしき人がうろついているなかで、外の一〇〇円均一を見分しはじめたが、すると早速、『批評空間 1992 No.7』と『現代思想 特集=フーコーは語る』(一九八四年一〇月号)を発見した。『批評空間』はやはり購入を避けられないし、一〇〇円で買えるのだから避ける理由もない。後者もフーコーのインタビューが色々収録されていて、多分それらは思考集成か何かにも入っているのだと思うが、やはり確保しておくことにした。それから入口脇の棚を見ると、モーリス・パンゲ/竹内信夫訳『自死の日本史』が発見された。パンゲという人はロラン・バルトの友人で、東京日仏学院院長時代に彼を東京に招いた功労者である。それなので、多分文庫化されている気がしたのだが――実際帰宅後に調べてみると、やはり講談社学術文庫に収録されていた――三〇〇円だったし、この本も買っておくことにした。かくして、入店する前に既に三冊を確保していたわけである。
 入ると籠を持ち、ひとまず奥に行って、Mさんに贈るようなものが何かないかというわけで精神分析の区画を調べた。すると、樫村愛子ラカン社会学入門 現代社会の危機における臨床社会学』を発見したのだが、これは珍しいのではないか? この人は確か樫村晴香の連れ合いだったはずだ。そういうわけでこの一冊は確保しておくことに決め、さらに調査を続けると、佐々木孝次というおそらくラカン研究の重鎮らしき人の著書も二冊見つかったが、これに関してはあまりピンと来なかった。また、ラカンの『セミネール』のうち、『対象関係』の下巻があったけれど、下巻のみではなあとこれも見送ることになった。そのほか、ミケル・ボルク=ヤコブセン/池田清訳『ラカンの思想 現代フランス思想入門』という三〇〇〇円の品物がラカンの理論をなかなかよくまとめていそうな雰囲気があって好印象で、さらには石澤誠一『翻訳としての人間』という同じく三〇〇〇円の著作も面白そうだったので、このうちのどちらかだなと目星をつけておき、それからほかの区画に移った。
 そうして、映画や美術や建築や演劇などの分野を除き、時間をたっぷり掛けて店内をほとんど隅まで見て回ったその結果、以下の一九冊を購入することに決定した。

・カール・R. ポパー/森博訳『果てしなき探求 知的自伝』(上下)
蓮實重彦『映画 誘惑のエクリチュール
浅田彰『逃走論 スキゾ・キッズの冒険』
阿部良雄訳『ボードレール全詩集 Ⅰ』
阿部良雄訳『ボードレール全詩集 Ⅱ』
樫村愛子ラカン社会学入門 現代社会の危機における臨床社会学
・ミケル・ボルク=ヤコブセン/池田清訳『ラカンの思想 現代フランス思想入門』
・ピエール・ルジャンドル森元庸介訳『西洋が西洋について見ないでいること――法・言語・イメージ』
・ピエール・ルジャンドル西谷修訳『第Ⅷ講 ロルティ伍長の犯罪 〈父〉を論じる』
・モーリス・パンゲ/竹内信夫訳『自死の日本史』
・フェリックス・ガタリ/杉村昌昭訳『分子革命 欲望社会のミクロ分析』
・J. カラー/富山太佳夫・折島正司訳『ディコンストラクション Ⅰ』
・J. カラー/富山太佳夫・折島正司訳『ディコンストラクション Ⅱ』
・花輪光『ロラン・バルト その言語圏とイメージ圏』
・小坂井敏晶『責任という虚構』
・『吉増剛造詩集』
・『批評空間 1992 No.7』
・『現代思想 一九八四年一〇月号 特集=フーコーは語る』

 上から順番に言及していこう。カール・ポパーの自伝は以前から欲しかったところ、新刊書店でも古書店でも一度も見かけたことのなかった代物である。蓮實重彦浅田彰は何だかんだ言ってもやはり読んでおきたい。阿部良雄訳のちくま文庫ボードレールにも前々から興味を持っていた。特に第二巻に収録されている『人工天国』――ハシッシュを題材とした文――が読んでみたかったのだが、それはロラン・バルトコレージュ・ド・フランスの講義録のなかで引いていたからである。角川文庫の渡邊一夫訳も持っているけれど、そちらはさすがに日本語がかなり古いと思われるので、阿部良雄訳も手もとに置いておくことにしたのだった。Mさんに贈るのは結局、樫村愛子ヤコブセンにすることに。ピエール・ルジャンドルは買おうかどうしようか迷ったが、それほど高くもなかったしどうせ読むのだからと勇を奮った。『ロルティ伍長の犯罪』は、多分独特の視座で精神分析的問題を扱ったものではないかと推測され、面白そうである。フェリックス・ガタリの著作は事前の情報は何もなかったが、一〇〇〇円で安かったし興味を惹かれたので買ってみることに決め、ジョナサン・カラーも脱構築概念を理解するのに益する解説書だろうと判断した。花輪光のロラン・バルトについての研究書もやはり読んでおくべきだろう。小坂井敏晶という人の本は、「責任」の主題からホロコーストを取り上げているようだったのでこれも逃すことはできない。『吉増剛造詩集』は現代詩文庫で、五〇〇円と安かった。
 そうして本でいっぱいになった籠をレジへ持っていき、女性店員に、非常に多くて、すみませんと笑いかけると、相手はいえいえ、とんでもないですと返してくれた。――いくらか、リュックサックに入れようと思いますので……文庫本ですかね。それで会計を済ませると、文庫本とほか三冊をリュックサックに収め、残りをビニール袋に入れてもらい、礼を言って退店した。時刻は五時二〇分頃だったのではないか。西空の果てにオレンジ色の濃い残照が染み通っているなか、通りを渡って線路沿いを駅に向かった。暑かった。コートの内、スーツのさらに奥の肌が熱を持ち、明確に汗を搔いていた。駅に入ると改札をくぐり、階段を使って上っていると、ちょうど三番線に八王子行きだか何だかがやって来るところだった。ホームに上がると一号車の方向、すなわち東京側に向けて歩いていき、途中で電車が入線してきたので人と人のあいだに入って一時退避し、先端が通り過ぎてからまた前へ歩いて、三号車あたりに乗りこんだ。扉際を取れたはずである。足もとに本の袋を置き、リュックサックは下ろさず手帳にメモ書きをしながら電車に揺られ、三鷹で特快の青梅行きと待ち合わせると言うので、都合が良いと乗り換えることにした。それで一号車の方へ移動し乗り換えると、最初は扉際を取れずにその前に立つことになり、揺れでメモが取れなかったが、国分寺で前の人がいなくなったのでそこに身を落着けた。それから引き続き記憶を記録に変換していると、立川から近くに若いカップルが現れた。大学生だろうか、友達が死にたい死にたい言って病んでいる、みたいな話を女性がするのに対して男性は、薬飲めよと払い、その後課金がどうのこうのと話していたのは携帯ゲームのことだろう。話しながら女性の方からいくらか拗ねるように身を寄せて、いちゃついているようだった。こちらは小作辺りで席に就いてからはおそらくメモ書きを止めて休んだのだったと思う。午前中から外出してさすがに疲れていたのだ。
 青梅に着くと奥多摩行きに乗り換えて、座ってふたたび最寄りまで休み、降りて以降、帰路のことはよくも覚えていない。帰宅してからのことも記憶に乏しいが、夕食は昼間に買った幕の内弁当や唐揚げで済ませた。日課の記録によれば九時一八分から読み物に触れている。Mさんのブログの一月二四日付の記事に、綿野恵太『「差別はいけない」とみんないうけれど。』の文章が引かれており、そのなかに興味を惹かれる部分があったので自らの日記にも転記しておくことにした。

 (……)いま私たちがリベラル・デモクラシーと呼んでいる政治制度は、シュミットによれば、「自由主義」と「民主主義」という異質の政治システムが組み合わさったものである。自由主義とは「討論による統治」を信念としている。シュミットは、自由主義の特徴として、①複数の権力の均衡(権力分立)、②すべての国家の活動が公開されていること(公開性)、③市民が考えを表明し、議論する自由(出版、言論、集会の自由)の三つをあげていた。討論をおこなうためには、「公開性」がなければならない。議会でどのようなことが議論されているか、市民は知らなければならないし、市民がどんな考えを持っているかが公表できなければならない。そのためには「言論の自由、出版の自由、集会の自由、討論の自由」も必要となってくる。また、議会だけではなく、複数の権力機関が「討論」しなければならないという考えから、立法権、行政権、司法権がそれぞれ抑制し合うという三権分立の考えが生まれてくる。(…)

 (……)シュミットは、民主主義に可能性を見出した。ここで注意すべきは、いま私たちがなんとなくイメージする民主主義と、シュミットのいう民主主義が大きく異なるということだ。たとえば、私たちは投票し、自分たちの代表を議会に送り出し、代表が議会で討論し、多数決をとり、法案を可決することが民主主義だと考えている。しかし、シュミットによれば、それらは民主主義ではない。シュミットによれば、民主主義で重要なのは「同一性」である。それは「治者と被治者との、支配者と非支配者との同一性、国家の権威の主体と客体との同一性、国民と議会における国民代表との同一性、[国家とその時々に投票する国民との同一性]、国家と法律との同一性、最後に、量的なるもの(数量的な多数、または全員一致)と質的なるもの(法律の正しさ)との同一性」である。
 たとえば、独裁政治は民主主義の否定のように私たちには思える。しかし、シュミットによれば、独裁は民主主義の否定ではない。引用で述べられているように、支配するものと支配されるものに「同一性」があればよい。また、立法権、行政権、司法権といった権力の分立は民主主義においては重視されず、国家(行政)と法律は同一であるべきだとされている。つまり、ひとりの独裁者がすべての権力を握ることも、支配される国民との「同一性」が保たれてさえいれば、民主主義なのである。
 また、シュミットは民主主義のもうひとつの特徴として「同質性」をあげていた。シュミットによれば、「同一性」を担保とする民主主義は、同じ民族や言語といった「同質」を必要とする。そして、その「同質性」を保つためには、「必要があれば、異質なるものの排除あるいは殲滅が必要である」とさえいわれる。

 自由主義と民主主義の対立が最も顕著にあらわれるのは経済であった。シュミットによれば、あらゆる人間は平等であるという人権思想は自由主義的である。しかし、絶対的な人間の平等は「概念上も実際上も、空虚などうでもよい平等」であるために、経済という「政治上の外見的平等のかたわらで、実質的な不平等が貫徹しているような別の領域」を生んでしまう。たいして、民主主義は「国民としての同質性」があるために、一国内にかぎられるとはいえ、「国籍を有するものの範囲内では相対的にみて広汎な人間の平等」を実現する。
 アイデンティティの「同質性」をもとにしたアイデンティティ・ポリティクスは民主主義的である。そして、トランプを支持する白人労働者層もマジョリティによるアイデンティティ・ポリティクスに依拠していた。だから、白人労働者層が経済格差の是正を求めることと、移民を排斥することに矛盾はない。先のシュミットの民主主義における平等は次のようにいいかえられるからだ。トランプを支持する白人労働者層は、「白人としての同質性」をもとにしている。そのため、「白人という同じアイデンティティを有するものの範囲内では相対的にみて広汎な人間の平等」として経済の格差是正を求める。しかし、そのいっぽうで、白人の「同質性」を脅かす「異質なるものの排除あるいは殲滅」を必要とする。その「異質なるもの」が移民である。
 つまり、シュミットの観点に立てば、格差の是正を求めることと移民を排斥することは、民主主義というコインの両面であることがわかるだろう。そして、その排外主義の台頭がポリティカル・コレクトネスへの反発としてあらわれているのである。(…)

 入浴はどうも食後すぐ、読み物以前に済ませたようである。一〇時を越えると三一日のことを大雑把に記録し、さらに続けて二七日の記事を二時間二二分も進めて零時台後半に至っているのだが、何故こんなにも時間が掛かっているのか? 不可思議である。しかも二月二日の日記を見てみると、作文欄にまだ「27日」の文字があるから、これほど時間を掛けても終えることができなかったのだ。多分ここまででさすがに疲労して文を綴る力が尽きたのだろう、一〇分間だけ脚のマッサージを挟んだあと、ジョン・ウィリアムズ東江一紀訳『ストーナー』を読みはじめている。そうして二時を越えると就床したらしい。


・作文
 8:35 - 8:47 = 12分(1日)
 10:00 - 10:16 = 16分(1日)
 22:03 - 22:24 = 21分(31日)
 22:24 - 24:46 = 2時間22分(27日)
 計: 3時間11分

・読書
 9:18 - 9:52 = 34分(2019/2/1, Fri.)
 21:18 - 21:59 = 41分(2014/6/8, Sun.; fuzkue; 「わたしたちが塩の柱になるとき」)
 24:59 - 26:08 = 1時間9分(ウィリアムズ)
 計: 2時間24分

  • 2019/2/1, Fri.
  • 2014/6/8, Sun.
  • fuzkue「読書日記(167)」: 12月15日(日)
  • 「わたしたちが塩の柱になるとき」; 2020-01-24「生き死を過度に意味づけしてしまう弥勒菩薩の下生は遠く」; 2020-01-25「裏声であなたの名前を口にする近所の犬が遠吠えをする」
  • ジョン・ウィリアムズ東江一紀訳『ストーナー』: 3 - 18

・睡眠
 3:30 - 8:30 = 5時間

・音楽