(……)本書が示そうとしたことは、何よりも、ナチズムのユダヤ人絶滅政策というものは存在したということ、しかし、それは従来考えられてきたようなヒトラーが元来抱いていた計画の実現というようなものではなくて、第二次世界大戦、とくに、独ソ戦の過程で、いわば、戦争政策の一環として実行されたものであるということである。さらにそれは、元来、労働可能なユダヤ人は労働力として利用し、労働不能なユダヤ人はこれを絶滅するという原則のもとに始まったものが、いわば事態の経過によって、結果的に、全面的なユダヤ人絶滅に接近したものであるということである。
従来、ナチズムの非合理主義の象徴のように考えられてきたユダヤ人絶滅政策は、実は徹底した合理的思考の産物であった。それは、あまりに徹底的で人道という限界を知らない、いわば、狂気の合理主義ともいうべきものであった。(……)
ただ、いうまでもなく、そこに非合理的な要素が存在しないということではない。否、むしろ、この合理主義の基礎には、中世以来の西洋文明の暗黒面である反ユダヤ主義が厳然として控えており、合理的思考そのものが、この非合理主義を実現するための手段であったという側面があることは否定できない。(……)
(栗原優『ナチズムとユダヤ人絶滅政策 ―ホロコーストの起源と実態―』ミネルヴァ書房、一九九七年、287)
たびたび目を開けながらも身体を持ち上げることができず、時折り唸り声を漏らして苦しみながら一二時一五分まで寝過ごした。その頃になってようやく瞼がひらいたままに保持されるようになり、見れば太陽は既に窓の右方にだいぶ片寄って、本体はカーテンの裏に隠れているが、そこから放たれた光芒が網戸の目に宿って放射状に広がる三本の筋を生み出しており、青空を背後にまっすぐ伸びやかに流れるそれらの筋は粒立った白さでガラスを横切って、まるで飛行機雲のように映るものの、網戸の際に至ると突如として跡を残さず途切れてしまい、左側のガラスの領域には入りこむことができないのだった。ことほどさように、今日も明るく晴れ晴れしい爽天の日和だった。
ダウンジャケットを持って上階に行き、両親に挨拶をしてからジャージに着替え、台所の調理台の上に皿に盛られて置かれてあった炒飯を電子レンジに収めると、回しているあいだにトイレに行った。尿を放って下腹部を軽くし、戻ってくると鰹節の掛かったほうれん草とともに炒飯を卓に運び、椅子に就いて新聞を引き寄せながら食事を始めた。テレビでは『のど自慢』がちょうど始まったところだった。新聞一面には、新型肺炎の感染者が一万二〇〇〇人弱の規模に達したとの情報があった。昨晩の夕刊でも同様の報が伝えられており、さらにそこでは感染が疑われる人の数は一万八〇〇〇人弱と推算されていると書いてあったから、仮にこの推定が正しくて全員が感染しているとすれば、感染者は最終的に三万人にも至ることになる。凄まじいことだ。
食事を終えると食器を洗い、それから風呂場に行って浴槽を掃除した。下階に戻ってくるとコンピューターを点けて各種ソフトを立ち上げておき、そうして急須と湯呑みを手に居間に上がって、緑茶を用意するとふたたび窖に帰った。LINEの方のグループ上に返信をしておき、Evernoteでこの日の記事を作成したあと、時刻を見れば一時を回っていたので、書見を兼ねた日向ぼっこに行くことにした。部屋を出て階段を上がり、陽の照るベランダに踏み入って、洗濯物の配置を少々ずらして自分が座れる日向のスペースを確保すると、床の上に胡座を搔いた。西空に膨張的に輝く太陽からこちらの頬や側頭部に向かって、果てしない距離を渡ってまっすぐに送りつけられてくる暖かな光を遮る何物も存在しなかった。四〇分少々のあいだ、ジョン・ウィリアムズ/東江一紀訳『ストーナー』を読み進めたのだが、この小説はMさんが絶賛していただけあって序盤を少々読んだだけでも確かに素晴らしく、細部まで目配りが行き届いていることが感じられる。翻訳も、通り一遍でない言葉が結構用いられているものの、それが衒いや違和感に結びつかずに上手く効果的に嵌まっており、隅々まで力を尽くして考えられていることがよくわかる、質の高い文章に仕上がっていると思う。
今日は外にいても、風はあまり流れなかったような印象だ。二時を目前として読書を中断し、洗濯物を取りこんで、便所に行って糞を垂れてから戻ってくるとタオルを畳み、洗面所に運んでおいて下階に帰った。そうして二時一五分から二七日の日記に取りかかり、あとはロラン・バルト『批評と真実』の文章を写すだけだったがこれに三〇分ほども掛けて彼の言葉を長々と打ちこみ、記事を完成させるとブログ及びnoteに投稿した。さらに続けてこの日のことも頭から綴っていると、LINEの方でTDから彼の小説の最新版が届いたのでダウンロードして、読ませていただくと返事をしておいた。
三時半を回ったところで記述が現在時に追いついて、それから一年前の日記を読んでいる。「坂を上って行くと曲がり角から見える川向こうの集落、山の前に薄く煙が湧いていて微かな白緑色を揺蕩わせている」というものと、「裏通りを行くあいだ、風は乏しく、陽光が服の表面にぴたりと止まって何かゼリー状の膜に包まれているような暖かさである」という二つの描写が、大した印象をもたらすものではないけれど一応目に留まったようだ。前者は「白緑色」という色彩表現が珍しく、後者も陽光を「ゼリー状の膜」に託す比喩が、発想それ自体としてさほど鮮烈なものではないかもしれないが、これ以降の一年間で使った覚えがなくて物珍しく映ったのだと思う。そうして時刻は四時、そこから六時一一分に至って一月二八日の記事を書きはじめるまで日課記録に空白が挟まっているのだが、この時間は、Tがslackに上げていた"C"のコーラスつき音源を聞いて
それに対するコメントを書いたのだった。以下がその文章である。
歌入れお疲れさまでした。20200201の音源を聞いてみたところ、一聴して、ええやん、と思いました。全体的にとても綺麗です。
細かなところにいくつか、触れておきたいと思います。
・2Aは「(……)」からコーラスが始まり、そのあとの「(……)」に繋がりますが、今回の音源を聞いてみて、「(……)」の部分のコーラスはなくても良いかもしれないなと思いました。ここのハモりがない方が、「(……)」のコーラスが際立ち、その色合いが鮮やかに響くような気がしたからです。「(……)」の箇所は、ベースも躍動的に動いており、また同時にギターのバッキングが入ってくる地点でもあります。そうした楽器の力添えを考慮しても、この2Aの二周目冒頭はシーンが微妙に動き展開するポイントだと考えられるわけですが、その前の「(……)」にコーラスが重なっていると、それが先触れのように機能してしまい、場面の切り替わりの効果が薄くなるのではないかと愚考した次第です。勿論、「(……)」のコーラスがその後の動きを滑らかに繋げるための導入になっているという捉え方も充分に可能ですが、こちらとしてはそれよりは、「(……)」の箇所からコーラス・ベース・ギターの三者が一斉に協働しはじめるという展開の鮮やかさを取った方が良いのではないかと思ったものです。
・2Bの「(……)」には今回の音源ではコーラスが入っていませんが、ここをどうするかということも検討する必要があるでしょう。個人的にはこの箇所のコーラスがなかなか好きだったというのは、先日述べた通りです。加えて楽器の動き方についても思いついたことを提案しておきたいのですが、この部分の前半、「(……)」の裏では、ギターとベースはロングトーンを取り、ドラムがもう少し動いて円を描くような(?)フィルインを奏で、キメに流れこんで終止する、というのはどうでしょうか。ギターとベースの持続が絨毯のように背景に敷かれた上でドラムが丸く空間を囲いこみ、そのなかにコーラスが美麗に響いて、短いブレイク部分でその余韻が一瞬香る、というようなイメージを勝手に思い描いています。ただその場合、後半部(「(……)」)をどのように収めるか、どのように繋げるかについては全然見当がついていません。また、レコーディングの日もそろそろ近いし、それまでにフレーズを考えて固めるのも労力が掛かってかなり大変だと思うので、この案は採用されなくてもまったく構いません。
・Cの「(……)」の部分について思ったことは二つあります。この部分の「Ah」の声はやはり難しい策なのでもう取ってしまって、むしろその前の、「(……)」に単純な三度上のコーラスを付加することで、ベースとギターが入ってくる場面での盛り上がりを補強した方がまとまるのかもしれない、ということが一つ。そして、もし「Ah」の声を採用するのだったら、後半の、「(……)」の裏にも欲しいかもしれない、と思ったことがもう一つです。ここを聞き直してみたところ、前半部に敷かれていた「Ah」の声がふっと消えて、下支えがなくなるような感じがしたからです。確かに、コーラスからギターに向けてバトンが受け渡されているように聞こえなくもないのですが、声が和音であるのに対してギターは単音であり、同時に、当然のことながら音色も空間内での位置取りも違うので、結合と連続の感覚よりも、声が消えたことによる欠如と切断の感覚の方がこちらには強く響きました。
以上、長くなり、また色々と注文をつけて恐縮ですが、検討・吟味してもらえるとありがたいです。
slackの履歴によるとこの文章を完成させて投稿したのは五時三四分である。それから食事を拵えるために上階に行くと、確か居間は真っ暗だったはずで、そのことを指摘すると母親は、来るのを待っていたのだと言ったのだったと思う。夕食としては何かしら昼間の余りなどがあって、ジャガイモをスライスして焼けばひとまず良いだろうという判断になったのだった。それで鍋に水を溜めて焜炉に乗せて沸騰を待つあいだに、ジャガイモを洗って皮を剝き、芽を抉って数ミリの厚さに切り分けた。ぼこぼこと泡を吹いている湯にそれらを投入してしばらく湯搔いたのだが、茹でているあいだに何をしながら待っていたのかはもはや覚えていない。ある程度火を通していくらか固さを減じると笊に上げ、フライパンにオリーブオイルを垂らすとともにローズマリーを少量放りこみ、香りを立たせてからジャガイモをいっぺんに焼きはじめた。その他の具としてハムを細切りにしておいたあとは、焼いている合間に前後左右に開脚して下半身の筋を和らげていた。蓋をして、時折りフライパンを振って搔き混ぜながら火が通るのを待って、芋の表面に焦げ目が生じて大方焼けたと判断されたところで塩胡椒を振りかけ味をつけ、もう少しだけ加熱すると完成、ほかの品物は母親に任せることにして台所をあとにした。
そうして先述のように、六時一一分から二八日の日記に取り組んだ。一時間強綴って切りをつけると運動に入り、 小沢健二『犬は吠えるがキャラバンは進む』を背景に流しながら諸々のポーズを取ったのだが、「舟のポーズ」を行う合間には脚を揉んで腹筋が回復するのを待ちながら"天使たちのシーン"に耳を傾けた。一三分三〇秒以上にも及ぶ長さのこの曲だが、改めて聞いてみるとやはり質の高いもので、特に歌詞が素晴らしかった。
運動は五〇分ほどに及んで八時を回った。食事中のことは覚えていないので省略して、入浴前の時間に移ろう。風呂に入る前に洗面所で裸になった際、自らの肉体を横から鏡に映してみると、やはり背骨がかなり弓なりに湾曲しているように見え、自然に立った姿勢で腹が前に突き出てしまい、いかにも貧相で不格好な姿になってしまうのだった。入浴中のことも覚えていないので割愛してそのあとに飛ぶが、部屋に返ったあとにインターネットで検索してみると、このような背骨の歪みは「反り腰」というらしく、結構これに陥る人は多いようだ。こちらも、自分の身体をまじまじと見つめたことなど今までなかったので全然気づかなかったが、多分結構前からこの状態になっていたと思われ、そこに太って腹に肉がついたために身体の前面が重くなってそれが余計に助長され、その結果として腰に痛みが生じはじめたのだろう。この症状に良いヨガは何かないかと検索してみると、「猫のポーズ」や「子供のポーズ」、そして「板のポーズ」すなわちプランクや「合蹠のポーズ」が効きそうだったので、最後のものを少々やっておいた。
一〇時一四分からfuzkueの「読書日記」にMさんのブログを読んだあと、ふたたび二八日の記事を書き進め、一一時一八分に仕上げたあとはさらに二月一日の事柄の記録にも精を出した。零時三五分まで記憶を言語化し続けると今日の作文作業はここで終い、そこから日課の記録には一時間の空隙が生まれているので、何かしらだらだらとしていたものらしい。一時半過ぎからジョン・ウィリアムズ/東江一紀訳『ストーナー』の記述で気にかかった箇所を読書ノートにメモ書きした。合間に四〇分ほど、メモ書きではなくて通常の読書の時間を挟んで頁の前線を進めたあと、ふたたびノートに書きつけをして、四時に就床である。
・作文
14:15 - 14:42 = 27分(27日)
14:54 - 15:32 = 38分(2日)
18:11 - 19:18 = 1時間7分(28日)
22:33 - 23:18 = 45分(28日)
23:25 - 24:35 = 1時間10分(1日)
計: 4時間7分
・読書
13:13 - 13:56 = 43分(ウィリアムズ)
15:41 - 15:58 = 17分(2019/2/2, Sat.)
22:14 - 22:31 = 17分(fuzkue; 「わたしたちが塩の柱になるとき」)
25:37 - 26:42 = 1時間5分(ウィリアムズ; メモ)
26:50 - 27:27 = 37分(ウィリアムズ)
27:27 - 27:55 = 28分(ウィリアムズ; メモ)
計: 3時間27分
- ジョン・ウィリアムズ/東江一紀訳『ストーナー』: 18 - 54; メモ: 15 - 24
- 2019/2/2, Sat.
- 2014/6/9, Mon.
- fuzkue「読書日記(167)」: 「フヅクエラジオ」
- 「わたしたちが塩の柱になるとき」: 2020-01-26「躓きの石を拾って床の間に飾って愛でるいつもここから」
・睡眠
2:10 - 12:15 = 10時間5分
・音楽
- 中村佳穂『AINOU』
- 小沢健二『犬は吠えるがキャラバンは進む』
- The Beach Boys『Pet Sounds』
- The Beatles『Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band』
- Astor Piazzolla Y Su Conjunto Electronico『Buenos Aires 1976』
- Benny Green Trio『Testifyin'!: Live At The Village Vanguard』
- Bert van den Brink & Hein Van de Geyn『Friendship: Live At The Muziekgebouw aan het IJ』