2020/2/5, Wed.

 遠い昔に彼女は海岸で、白い小石を拾った。砂を払い、ズボンのポケットに入れて家に持ち帰り、引き出しに入れておいた。波に洗われ角がとれ、丸くすべすべになった石。中が透けて見えるほど白いと思ったけれど、透明ではなかった(じつは平凡な白い石だった)。ときどき彼女はそれを引き出しから取り出し、手のひらに載せてみた。沈黙をきゅっと固めて凝縮させることができたなら、こんな手ざわりだろうと思えた。
 (ハン・ガン/斎藤真理子訳『すべての、白いものたちの』河出書房新社、二〇一八年、115; 「白い石」)


 一二時二〇分まで重苦しい肉体を持ち上げることができなかった。その時刻になってようやく布団を身体の上から剝ぐことに成功すると、肉体が隅々までこごっているような感じがあったので、「胎児のポーズ」を取ってラグビーボールのように丸まり、それからさらに「猫のポーズ」も行って腰や背の周りを和らげた。そうしてダウンジャケットを持って上階へ。母親は今日はYさん(立川の叔母)及びI.Yさん(母方の祖父の末妹)と一緒に墓参りに出かけている。台所を覗くとフライパンに、細くスライスしたジャガイモを固めて焼いた料理が用意されてあった。それを確認してからひとまずトイレに行って用を足し、戻ってくるとジャガイモ焼きを大皿に乗せて電子レンジに収め、合間に米もよそって食卓に就いた。ジャガイモに醤油をぽたぽたと垂らし、少しずつ千切って口に運びながら米も一緒に入れて咀嚼する。新聞一面には中国に端を発した新型肺炎に対するWHOの対処についての報があった。今次の騒動はいわゆるパンデミックには当たらないとの見解をWHOは示していると言うが、中国国内のみとは言え、既に二万人以上もの感染が発覚しているこの甚大な被害規模を前にしてパンデミックではないと言われてもなあ、と疑問を覚えなくもない――WHO側はおそらく「パンデミック」という言葉の意味を「全世界的な規模の大流行」という定義で捉えていて、基本的には今のところ被害の大部分は中国国内に収まっているので、「世界的な」蔓延とは言えない、という言い分なのだろうと思うが。中国国内における今回の新型肺炎の致死率は二パーセントほど、感染の中心である湖北省に限ると確か五パーセント弱、あいだを取って平均を出すと大体三. 五パーセント程度ということになろうか。その後、紙面を後ろの方にめくると読売文学賞を取った歌人についての記事が載せられていて、それもちょっと読んだのだが、紹介されていた短歌には結構良い感じの印象を得た。ただ、六〇歳の女性である歌人の名前をよく覚えていない――川田何とか、みたいな感じで確か「川」がついたような気がするのだが。今回の読売文学賞については、伝記部門だか何だかで千葉文夫のミシェル・レリスについての評伝が受賞したということを知って、ミシェル・レリスなどという日本ではマイナー極まりないだろう作家についての書物がこのようなメジャーな賞を授与されるとは、日本という国もまだそこそこ捨てたものではないではないかと思ったものだ。発表が伝えられたのと同日か翌日くらいの新聞で、松浦寿輝が短評を寄稿しており、そのなかで、私見ではミシェル・レリスはプルーストにも比肩するほどの重要な文学的業績を達成した作家である、と述べていたのも覚えている。『ゲームの規則』もさっさと読まなければならないだろう。しかし、一体いつになるのか?
 食後、食器を洗うと洗面所に入り、髪を梳かして髭を剃った。葬儀の返礼品カタログから選んだシェーバーが前日に届いたので、それを使ってみたのだが、最近の新しい品だけあって剃り心地は柔らかく優しげで、悪くないものだった。それから風呂を洗うと既に一時、今日は大気に光の染み通った快晴なので日向ぼっこをしたいと思ったが、ひとまず緑茶を用意して自室に帰った。そうして、数日前にslackの方に投稿した"C"についての感想にTDからの返答が来ていたので、"C"を再度聞きながらそれに対する再返信を綴った。最初は緑茶を飲み干すまでのあいだだけ文章を書こうと思っていたのだが、始めると結局、半端なところでは中断する気にならず最後まで書いてしまうものである。そういうわけで四五分が経過して二時前に至り、日光浴はもはや望めなくなった。綴った小文は以下のものである。

 TDの検討に感謝する。

 2Bの案について、似た雰囲気の繰り返しになってしまうという指摘だが、これは正論である。その可能性は勿論こちらも認識していたもので、従って、ここに関しては、ロングトーンフィルインの組み合わせを、前半(「(……)」)に持ってくるか、それとも後半(「(……)」)に持ってくるか、という選択の問題になるのではないかと思う。

 こちらがそれを前半に持ってきたいと思ったのは、まあ単純に聞いていてそういうイメージが湧いたということが大きいのだろうが、それは多分、キメの停止に向かってもっと流れこむような、なだれこむような、収束していくような動きの感覚が欲しいと感じたのだと思う。とは言え、この部分の変更をそんなに強硬に主張するつもりは別にないので、TDの気に入りを尊重して、現状のアレンジに基本的に即した案を取ることに合意する。その方があるいは歌詞との対応も良いかもしれない。つまり、「(……)」の部分では、幾分平板にも思えるような停止感を提示し、「(……)」の裏でそこから解放されてあたかも心をひらくように音楽空間に広がりを導入し、「(……)」に向かって動き出す、という風に詞と演奏のあいだで応答が生まれるかもしれない、ということである。ただ、その場合でも、前半と後半のあいだに確かな対比を作り強調するために、後半の楽器演奏にもう少しだけ動きを入れても良いかもしれないとは思うところだ。ギターはロングトーンで背景を敷き、空間を広げる役目を担うべきだと思うので、細かく動くとしたらベースかドラムだろうか? この辺りの正否について諸氏の意見を請う。

 さらに続けて、TDが上げていた"D"の音源も聞いてコメントしておこうというわけで、slack上にアップロードされていた音楽をヘッドフォンから再生したのだが、細かいところのベースの動き、あるいは和声の推移が気になった。それで隣室からギターを持ってきて音を確認したり、案を練ったりしているうちにやはり結構時間が経って、気づけば二時半を越えていた。それでとりあえず上階に上がってベランダの洗濯物を仕舞い、タオルのみ畳んで洗面所に運んでおくと、部屋に戻ってきて"D"についてのコメントを短く記した。

 間奏の4ビート的なベース、弾力的で良いのではないか。2サビ前のフィルインも煌めいていて、問題ないだろうと思う。

 気になったのは、2Aの「(……)」の部分のベースなんだけど、ここって何か変えた? 今は多分、一拍目Dからその後F#という推移になっていると思うけれど、以前は一拍目でもっと高音域に上がっていたような記憶があるのだが(偽記憶か?)。

 あと、今回聞いてみて際立って響いたのは、2Bの「(……)」の部分のボーカルですね。このウィスパー的な空気をはらんだ質感は素晴らしく、Tがとても良い仕事をしていると思う。

 その後、The Beach Boys『Pet Sounds』とともにここまで今日の日記を書けば、三時二五分に達している。
 それから前日、四日の日記にかかずらって四時過ぎまで記録を取ったあと、飯を食いに行った。カウンターか調理台の上にトヨタ博物館ビーフカレーが出されてあったのでそれを食べることにして、小鍋に水を溜め、レトルトパウチを浸けて焜炉の上に乗せた。そうしているところに母親が帰ってきたのではなかったか。冷蔵庫のなかには薄くスライスした大根や人参の酢漬けがあったので、椅子に座ってそれを食べながらカレーが温まるのを待った。ほかにもう一品食べたと思うが、それが何だったかは思い出すことができない。その後、大皿に盛った米にカレーを掛け、卓に就くと、母親がやっぱり一口ちょうだいと言って近寄ってきて、スプーンでほんの少量だけ取って口へ運んだ。――やっぱりうちのカレーの方が美味いね、まあこれはこれで……。こちらとしてはそれほどまずくは感じず、わりあいに美味いように思われ、辛口だが辛味もさほどではなく、食べ終わったあとに水をちょっと飲みたくなる程度のものだった。
 食後、下階へ移動したが、茶を飲んで一服している暇はなかったので早々と歯磨きを始め、口内を洗いながら一年前の日記を読んだ。無意味にやたらと長い記事で、確かこの日は三万字くらい綴ったのではなかったか。Mさんが東京を訪れて、立川高島屋淳久堂を共に見分し、そのあと夜からは新宿でSさん及びWさんと会食をした日である。歯磨きのあいだの時間のみでは当然だが大して読めず、まもなく中断し、口を濯いできてから服を着替えた。今日は青の装いを取ることにして薄水色のシャツを選び、ネクタイも濃い水色のものをつけて、紺色のスーツで色調の統一を図ったあと、出発までのあいだで四日の記事を僅かに書き足し、財布と携帯とコカコーラゼロのペットボトルをバッグに入れて階を上がった。
 コートを着てストールもつけ、母親に行ってくると告げて玄関をくぐると、ゆっくりと道に出た。時間的猶予はまだ充分にあったので急がず歩を進めていると、道脇の林がシズルシンバルの棚引きのような、空気をよくはらんで軽く浮遊的な質感の葉擦れを立ち上げる。もう少し進むと今度はもっと重く、空洞に風が反響しているような音色が斜面の上の方、高いところから落ちてくるのだが、それも密に茂った梢が乱れて立てる音響だった。公営住宅前まで来ると道にも厚い風が降りてきてコートを貫き身を冷やし、視界の先では沢沿いの樹々がかなり大げさに、縦横に蠢き振れている。幹は完全な黒に沈み、葉叢は暗緑色で、梢の葉と葉の隙間には西空の際に敷かれた白さがモザイク状に覗き、樹が頭を振り乱すのに応じてそれが水中を舞い踊る粒子のようにちらちらと結合関係を変転させ、絶え間なく組織を作り変えていく。空は雲が少なくすっきりと晴れており、十字路から坂に入るところで止まって振り仰ぐと、半円をちょっと越えた膨らみの月が直上付近に掛かっていた。
 木の間の坂を落着いて、急がず静かに上がっていくあいだも、風は吹いて樹々を鳴らしていた。駅の上り階段から見える青空に雲は多少散っていたのだが、北西にひらけた地帯の澄明さは物凄く、無涯の〈何もなさ〉、完璧な真空的母性としてすべての比喩を受け容れるかのような空虚空漠が、底無しの深さと一枚の表面性とが奇跡的に一致したような零度の空間が発生していた。ジョン・ウィリアムズ東江一紀訳『ストーナー』のなかで主人公ストーナーが心を奪われた女性――そしてのちの妻となる――イーディスの瞳の形容を借りれば、こういうことになる――「思い浮かぶかぎりで最も淡い色合いの青」。
 ホームに入ると自販機に寄り、ダストボックスに空のペットボトルをそっと捨て、そうしてそこを過ぎて久しぶりにホームの先頭の方へ、黄線を踏みながら歩いて行った。一号車の位置で待っていると薄青い空を背景に黒い鳥たちが、翼をはためかせながら、気流に乗った紙のようにふわふわと流れていく。やって来た電車の扉の向こうには、中学生か高校生かよくも見なかったが運動着姿の男女が充満していてスペースがなさそうだったので、隣の口に移動して乗りこみ、扉際で目を閉じてしばらく揺れに身を任せた。青梅に着くと客たちが去ったあとから席に座り、瞑目して少々待って、一番線の電車が行ってしまってから降りてホームを歩く。通路に入ると人気はなく、階段を打つ自らの弱い足音のみが空気に響く。駅を出て職場に行くまでのあいだもやはり風が走った。
 今日の勤務は一コマのみである。相手は(……)くん(中三・社会)、(……)くん(中一・英語)、(……)くん(中一・英語)。平成三一年度の社会の問題を解きながら授業時間を待ち、始まると(……)くんには平成三〇年度の過去問に取り組んでもらった。三〇分で実施したのだが、それでもすべて解き終えることができた。しかしそれは全然わからないからだと言い、実際、点数は(……)点なので、これではなあという感じではある。社会は苦手なようだ。細かく解説をしてあげたかったのだが、如何せんほかの二人もいるので一人のみにそこまで傾注することもできない。歴史は一応詳しめに確認できたものの、過去問を実施する時は実際、上手く回すのがかなり難しく、過去問の生徒が二人いると相当に大変で、できることは少なくならざるを得ない。
 一年生コンビはまあいつも通りである。この二人は席が近く並んでいると騒ぐので、今日は以前の教訓を生かして(……)くんをあいだに挟み、二人を縦に配置して遠ざけた。(……)くんは「じゃがりこ」を食ったり、授業終盤で(……)くんへの解説に時間を充てたくて早めに切りとしたら漫画を読んでいたりと、相変わらずの調子だ。見つからないようにと囁き声で注意したが、それはちょっと甘くしすぎたかもしれない。
 そうして八時前に退勤した。コンビニへ行ったのは赤のボールペンが欲しかったからで、読書ノートに写した文章のうちのさらに重要な部分にアンダーラインを引くために必要だったのだ。入店すると籠を持ち、「JET STREAM」の安い赤ボールペンを取り、そのほかポテトチップスやサランラップレトルトカレーなどを手もとに保持して会計に行った。レジの向こうには三人、どれも中年の男性がいたが、その誰も結構愛想が良くて、この店は年嵩の男性店員が充実している。退店するとビニール袋とバッグを提げて駅に行き、改札をくぐってホームに上がり、ベンチに就くとメモ書きを始めた。右方の自販機には運動着の中学生たちが群がり迫る。奥多摩行きが来ると乗って席に座り、メモを続けるあいだ、右の方には中学生が一人、締まりのないような顔をしながら乗ってきて、パンか何か食っているようでその匂いが伝わってきた。発車後は時折りくしゃみや咳を漏らしていたようだ。最寄り駅で降車すると駅を抜け、車の途切れた隙に横断歩道を渡って東に折れ、肉屋の横から木の間の坂に入ると待ち構えていたように突風が走って辺りが樹々の擦れ合いで満たされた。竹の樹が撓って葉が揺れて、ざわざわと激しく鳴るのを辿って見上げれば、空には深い藍色が詰めこまれて充満している。
 帰宅するとレトルトカレーを戸棚に、ラップは台所に配置しておき、それから下階へ戻って服を着替えたあとにふたたび上がってきた。台所に入ると、竹輪を豚肉で巻いた料理がフライパンに拵えられてあった。ほか、野菜や茸の雑多に入ったスープに、鰹節の掛かったほうれん草のお浸しや米である。温めるものを温めて卓に運び、食事を取りながら新聞を眺めると、新型肺炎の感染者は二万人を越えたという報道があった。食後、母親の分も合わせて食器を洗い、さらにストーブの石油を入れてくれと求められたので、ダウンジャケットの前をきちんと閉じて玄関から外へ出た。勝手口の方に回り、ポンプがタンクに石油を補充するのを寒空の下で待ち、中身がいっぱいになって重いタンクを手から提げて室内に運ぶと、今度は湯たんぽを下階に持っていってくれと言うので受け取り、階段を下りて両親の寝室に入ると布団のなかに突っこんでおいて、カーテンも閉めてから戻って緑茶を用意して、そうしてようやく塒に帰ることができた。
 すると茶を飲みながら日記の読み返しである。一年前の長い記事を読み通し、続けて読んだ二〇一四年六月一二日からは以下の蓮實重彦の発言が興味深かった。宇野浩二はまだ一冊も読んだことがない。

 実は僕は、真の日本の小説の成立というのは、男根的ではなくて、むしろ天皇に似て性を超えてしまったような形の大正中期の「です・ます」調、あそこに近代小説のエクリチュールの成立を見たいんです。「蔵の中」とか。あれは本当は男なんだけれども、抑圧的でないでしょう。それから、どこか同情をひくようなところもある。要するに宇野浩二です。宇野浩二あたりのところが本当は文体をつくったはずなんです。あの文体は、見たところを、頭をそり返していないで、背も低くして、相手をこっちに近づけて、搦手で相手を自分の領土に引き込むという感じがあった。そういう文章がなくなってしまったわけでしょう。それが問題だと思うんです。
 そうすると、どこで、どの文体で成立したかというと、結局のところ断定的な「……だ」とか「……である」とか、ことによったら夏目漱石なんかも文体においては害毒を流したほうなのかなという気も、僕はしているんです。そういう意味で、小説の抑圧的な男根性――本当の男根性じゃないんですが――というものがあって、大正期の社会運動家たちも、みんなそっちでやったわけです。女性運動家たちも、そっちでやっている。それにもう少し自覚的になるべきじゃないかなという気がしたわけです。
 (蓮實重彦『魂の唯物論的な擁護のために』日本文芸社、1994年、202~203; 「反動装置としての文学」金井美恵子

 それからfuzkueの「読書日記」とMさんのブログも読んだが、双方とも一日分に留めたのはあまり時間がないから――と言うか日記がやたらと溜まってしまっているからだ。それで一〇時半頃風呂に行ったが、湯のなかで半ば眠ってしまい、出ると一時間くらいが経過していたのではないか。部屋に戻ると既に一一時台後半だったような覚えがある。そうしてslackを覗くと"C"の2Bのアレンジについて皆が色々検討してくれており、話し合いがなされていたので、それに応答するために"C"の音源をもう一度聞きこむことにした。しかし何度も聞き返しているうちに感覚が麻痺してきて、何がベストなのか、自らの感覚的判断の正確なところが掴めなくなってくる。文章の推敲とまったく同様の現象である。こういう時はもう一旦離れてしまい時間を置いた方が良いと知ってはいるのだが、しかしレコーディングまでの残りの日数も少ないし、今夜中に応答するだけはしておこうと気を入れて頑張った。それで一時間以上ずっと繰り返し、部分的に、あるいは全体的に聞き直したおかげで、相当に疲労し、頭痛を招いたのだが、それでも一応以下の文章をまとめた。

一番下に結論を短くまとめたので、忙しかったり文字を読むのが面倒臭かったりする人は、そこを参照してください。

TD、フレーズ案を作ってくれてありがとう。皆も話し合ってくれて多謝である。
 
繰り返し聞き直しているうちに、自分がイメージしていたのがどういうことだったのか、何が解なのかわからなくなってしまった。

しかし、ひとまず前半(「(……)」)について。「円を描くような」というのは勿論イメージなので、俺もどういうフレーズなのか正確にはわからないのだけれど、方向性としてはTDが作ってくれたような感じで間違ってはいないと思う。ただ、いざ聞いてみると思いの外に激しかったので、これだと曲全体のうちでこの部分だけ不相応に突出してしまうような気がした。上にも書いた通り、原案のなだらかな推移の方が、歌詞との対応もうまく行くと思うので、「(……)」の裏は基本的に現状の案で良いんじゃないだろうか。つまり、2月2日の俺の提案は却下で構わない。

ただ、それを踏まえてもう一つ思ったことに、2Aから2Bに移る時の展開感がちょっと弱いのではないかという気がしたのだけれど、皆の感じ方はどうだろう? 多分、俺がフィルイン案を考え出したのも、2Aから2Bへの進行が多少平板に感じられたからだったのではないかという気がする。ただこの点は、俺も繰り返し聞き直すうちに、聞く時々で、このままでも良いような、もう少し展開感が欲しいようなと揺れて、どちらが自分の感覚として正確なのかわからなくなってしまったので、皆の感じ方を教えてほしい。

次に後半(「(……)」)についてだけれど、こここそ、自分が何を求めていたのかわからなくなってしまった。昼間の自分はもう少し細かさが欲しかったのかもしれないが、歌との兼ね合いもあるし、深夜のこちらとしてはここも現状のままで良いんじゃないかと思う。しかも、今回この前後も通して繰り返し聞いてみたのだが、そうすると、2Bの後半(「(……)」)でベースが結構気持ち良いうねりの感覚を生み出して、うまくサビに繋がっているわけだ。それなので、2Bの前半のこの部分(「(……)」)にあまり重い意味合いを持たせない方が良いかもしれないなと思い直した。

そういうわけで、無益に労力を掛けたり、混乱させたりして申し訳なかったが、2Bの前半(「(……)」)は概ね原案で良いということに合意する。結論を以下で三点に要約した。

・結論:
①2月2日の俺の提案(フィルイン案)は却下でOK。
②「(……)」の裏も現状のままでOK。
③2Aから2Bへの進行感だけちょっと気になるので皆の意見を請う。2Aの最後から2Bの冒頭に掛けての部分は、展開感・進行感の観点から見て、今のままで良いか。それとも何か変更した方が良いか。もし変更するとしたら、どんな方法が考えられるか。

以上です。よろしくお願いします。

 文章をまとめ上げた頃には一時台後半だった気がする。そこから日記を書くなり書見をするなり音楽を聞くなりしたかったが、音楽は聞きすぎたので今日は良いだろうと食傷の気味があった。本当は日記を書くか、せめてメモを取ることでもすれば良いのだが、疲労と頭痛のために気力が湧かず、だらだらとした時間を過ごした。(……)二時半に至ってようやくいくらか回復したので、ジョン・ウィリアムズ東江一紀訳『ストーナー』のメモ書きを始めた。
 その後、三時過ぎになって明かりを落とし、真っ暗ななかでベッドに移り、「猫のポーズ」と「胎児のポーズ」を行ってから布団にもぐって眠りに向かった。


・作文
 13:07 - 13:52 = 45分(感想)
 14:33 - 14:50 = 17分(感想)
 14:57 - 15:25 = 28分(5日)
 15:25 - 16:06 = 41分(4日)
 16:54 - 17:08 = 14分(4日)
 計: 2時間25分

・読書
 16:34 - 16:47 = 13分(2019/2/5, Tue.)
 21:22 - 22:16 = 54分(日記; ブログ)
 26:36 - 27:03 = 27分(ウィリアムズ)
 計: 1時間34分

  • 2019/2/5, Tue.
  • 2014/6/12, Thu.
  • fuzkue「読書日記(168)」: 12月17日(火)
  • 「わたしたちが塩の柱になるとき」: 2020-01-29「聖杯で渇きを癒すものはみな信心深き吸血鬼である」
  • ジョン・ウィリアムズ東江一紀訳『ストーナー』: メモ: 83 - 116

・睡眠
 3:20 - 12:20 = 9時間

・音楽