2020/2/12, Wed.

 (……)ことばどころか記憶をつくる胆力すら失い、かれを語ることばもなにもなくなってしまった。ゆううつはゆううつを脱けるという価値基準をもてない。ゆううつを脱けたところで、そこにある世界想定もゆううつを離れたものではありえず、いきたい世界なんてどこにもないからだ。
 いきたい場所があるということが正常だ。
 それは過去か未来にある。
 おもいだしたい過去か、夢みるべき未来があるか。明日いきたい場所、あいたいひとがいるか。そもそもかれにはそんな思考も組み立てられない。ゆううつでは思考も時間も組み立てられず、ただおそろしい「今」をくりかえしていくしかなかった。このように「今」というのは純然たるモンスターだった。
 (町屋良平『愛が嫌い』文藝春秋、二〇一九年、29; 「しずけさ」)


 相変わらずの体たらくで、一一時まで眠り過ごした。空は雲が淡く混ざって全体的に薄白く、太陽はそのなかでいくらか光を遮られて溶けこむようになっているが、それでも寝床には確かに届く陽射しがあった。床を離れるとダウンジャケットを羽織ってトイレに行き、放尿して戻ってくるとコンピューターのスリープ状態を解除する。LINEにTDからのメッセージが届いており、dbClifford『Recyclable』のうちの何曲かについて短い印象が記されていた。ベッドに戻って薄陽を浴びながら「胎児のポーズ」をしばらく取ったあと、上階に行くと両親二人の姿があって、父親は何故か知らないが休みらしい。二人で昼食を取りに出かけるが行くかと訊くので、こちらは行かないと断った。母親は格子模様を施された深緑のコートを羽織り、鼠色のガウチョパンツを履いて、マフラーを首の周りに巻いた姿を鏡に映して確認している。食事は昨晩の牛肉の炒め物が残っていると言うので、ジャージに着替えると冷蔵庫からそれを取り出し、電子レンジに入れて回しておく合間に洗面所で広がっていた髪を大人しく整えた。室を出るとフライパンにも卵とベーコンが焼かれてあったのでそれを炒め物と入れ替わりにレンジに入れて、それから米をよそって卓に運んだ頃には両親は既に出かけていた。食事を始めながら新聞の一面を眺めると、新型肺炎の感染者は四四六〇〇人を越え、死者も一〇〇〇人を超過したと言う。ところで、Mさんのブログの一月二五日の記事には、SARSに関しての専門家である管軼(グアン・イー)という人が調査のために武漢入りしたものの、現地の衛生環境の悪辣さや住民の危機意識の欠如にこれは駄目だと絶望して直ちに武漢を離れ、「保守的に見積もっても、今回の感染規模はSARSの10倍以上だろう」と語った、という記事が紹介されている(Mさんの記事にはURLの表示がないが、本文中に記されていた記事タイトルで検索すると、https://www.businessinsider.jp/post-206340のページがトップに出てくる)。そのニュースをMさんがSNSのグループ上に周知したところ、中国人学生のうちの一人が、中国のインターネット上では管軼氏は叩かれ笑い者にされており、この学生自身も彼の研究者としての資質能力を疑うみたいなことを言ったらしいのだが、ここでウィキペディアからSARSについての情報を入手すると、一つには、「2002年11月から2003年7月にかけて、中華人民共和国南部を中心に起きたアウトブレイクでは、世界保健機構 (WHO) の報告によると、広東省や香港を中心に8,096人が感染し、37ヶ国で774人が死亡したとされている(致命率9.6%)」というデータがあり、もう一つには、「最終的な罹患数は、世界30ヶ国の8,422人が感染、916人が死亡(致命率11%)とされている」とも記されている。既に現時点でも感染者数のみで考えるとSARSの、一〇倍とは行かずとも優に五倍には達しているわけで、このまま増え続ければ確かに一〇倍以上の規模に到達することも充分に考えられるだろう。インターネット上では嘲弄されていたと言う管軼氏の悲観的な見通しが概ね正しかったということが証明されつつあるのではないか? ――と、この一二日のメモ書きを記した時点でも思っていたのだが、二月二〇日を迎えた現在さらに付言しておけば、厚生労働省のホームページ(https://www.mhlw.go.jp/stf/newpage_09637.html)を参照した限り、二月一九日正午時点のデータで中国国内だけでも感染者は七四一八五人、死亡者は二〇〇四名とされている。そこから導き出される死亡率は二. 七パーセントほどなので、今のところSARSに比べればだいぶ低いことは確かだが、死者実数としては既にSARSの際の二倍以上に上っているし、感染者数の高さで言ってもまさしくSARSの一〇倍に迫りつつあるわけだ。
 そのほか、野村克也死去の報などを読んだあと、食器を洗ってから風呂洗いに行った。仕事を仕舞えると自室から急須と湯呑みを持ってきて古い茶葉を流しに捨て、茶壺に僅かに残っていた茶葉すべてを急須に放りこみ、緑色の温かな飲み物を用意した。自室に帰ってそれを飲みながらTDに返信しておき、それから早速昨晩に引き続いて四日の日記に取りかかったものの、昨夜はコンピューターをシャットダウンではなくてスリープ状態にして眠ったので、動作が重かった。それで再起動をするのだが、プログラムの更新とかで時間が掛かるようだったので、ジョン・ウィリアムズ東江一紀訳『ストーナー』を読みつつ茶を啜り、また歯を磨きながら準備を待つ。そうして一二時一五分に至ってコンピューターの用意が整うと日記に掛かった。dbClifford『Recyclable』をBGMにして四日の分を五〇分ほどで仕上げ、ブログやnoteに投稿しておいてから爪を切ることにして、the pillows『Rock stock & too smoking the pillows』をスピーカーから流し出してベッドに座り、ティッシュを一枚敷いた上に背を丸めて屈みこむと、手指の先端をぱちぱちと切っていく。歌を歌いながら指先に一本ずつ鑢掛けも施したあと、ティッシュを丸めて捨てて「胎児のポーズ」を取った。その頃には空からは白さが除去されて概ね青く染まり、近所の家壁に宿る陽の色も明るくなっていた。「舟のポーズ」も一回挟みながら「胎児のポーズ」を続け、一時四三分に至って椅子に戻ると一一日のことをメモ書きした。その後、Steve Kuhn Trio with Joe Lovano『Mostly Coltrane』をヘッドフォンから流し出し、立位前屈を二種類――開脚したパターンと脚を揃えたパターン――を行ってから、この日のことも現在時点までメモ書きした。
 二時前に母親から、洗濯物はそのままで良いというメールが入っていた。打鍵を続け二時半に至ったところで、とは言えさすがにそろそろ入れるようだろうと部屋を出ると、廊下の先のトイレから母親が姿を現した。気づかないうちに帰ってきていたのだ。洗濯物はと訊くと、まだ陽が出ているから良いと言うので、それで部屋に戻って三時過ぎまで五日の日記を書き続け、それからSuchmos『THE KIDS』を流して運動に入り、「胎児のポーズ」や立位前屈を行ったあと「板のポーズ」も二度実践して、三時三三分に至ると切って食事に向かった。レトルトカレーを食うつもりだったところが、米がない。それで何かないかと冷凍庫を探っているとマフィンがあると母親が言うので、二つ余っていたそれを二つとも食べることにして、まず電子レンジで四〇秒熱して解凍し、真ん中から二つに裂いたものをオーブントースターに収めてつまみを捻った。パンを焼いているあいだに部屋から『ストーナー』を持ってきて、一方で豆腐を一つ電子レンジで加熱して、温まったものに鰹節と麺つゆを掛けて卓に運ぶと、本を読みながら箸で千切って口に持っていく。食べ終えるとふたたび台所に行き、最後に残ったバターの小片をさらに小さく分割してマフィンに乗せ、それからさらにまた焼いてパンの表面に焦茶色が差すと、皿に取って二枚のハムを挟みこんだ。一つ目を食べているあいだにもう一つが焼けるようにトースターに仕込んでおき、食後、また同じように用意をして、本を読みながら二つ目のパンも平らげた。
 皿を洗ったあとに緑茶を用意する。茶壺の伊勢茶は尽きたので、葬儀の返礼品として貰った静岡茶である。鋏で袋を開封して急須に茶葉を振り入れ、緑色の液体を湯呑みに注いで自室に戻り、それを飲みながら五日の日記をふたたび進め、四時四〇分辺りから歯磨きをするとともに書見に移った。五〇分まで短く本を読んだあと、洗面所で口を濯ぎ、それから上階の洗面所に行って髭を当たって戻ってくると、中村佳穂『AINOU』を流したなかでジャージを脱いで、上だけ肌着の中途半端な格好で立位前屈を行った。腰や脚の筋を和らげておいてから着替えである。薄水色のシャツに灰色のベストやスラックスを身につけ、二曲目の"GUM"が終わったところでコンピューターを停止させて上階に行くと、居間は薄暗い影に満ちており、帰宅済みの父親が珈琲か何かを飲みつつ茶菓子を食っているそのなかで、テレビは国会中継を映して維新の会の何とか言う議員が質問に立っていた。トイレに行って便器に座って放尿し、戻って洗面所で手を洗うとコートを羽織り、マフラーを巻いて出発である。
 五時五分頃だった。母親が玄関についてきたその前で靴にゆっくり足を入れ、姿見をちらりと横目で見やってから戸口を抜けた。ポストを見るが中身は何もなかったので、ないわと玄関に向けて声を放り、そうして道に出れば空気の感触はかなり緩く、コートの防備を貫いてくる冷気がまったくなくて、何の支障もなく過ごしやすいくらいの、肌に馴染んでくるような、春が近いような夕方の気だった。風も全然なかったのではないか。そのなかで正面の西空には、光が凍らされて実体的に固まり敷かれたような白い雲が混ざっている。
 公営住宅前を行っているとNさんが宅の前に出ており、まだ距離がある時点から顔が合うと、行ってらっしゃいとあちらから声を掛けてきた。近づいて、どうもこんにちはと挨拶すると、また夕方から寒くなってきてねえ、と漏らす。こちらとしては先ほど書いたように、相当に暖かいように感じていたのだが、老骨には染みるものがあるのかもしれない。合わせて肯定で受けたあと、明日あたりから暖かくなるみたいでねえと向けると、雨がどうとか相手は言うので、雨が降るみたいですねと返し、そのように天気の話を二、三、交わしてから、それじゃあ、有難うございますと残して場を過ぎた。
 そうしてかなりゆっくりとした足取りで坂道を上がっていくと、道の脇に老人が一人立って、何やら低いところの細い木枝を見分している。こちらに向けて挨拶らしき言葉を何とか送ってきたので、こんにちはと呟き返して追い抜かすと、そのあとから老人も歩き出したが、こちらの歩みはよほど遅く、足を早めることも特にしなかったので、老人はすぐ後ろについてきて、ちょっと疲れているようなその息遣いがずっと聞こえていた。幹の立て込んだ合間から覗く薄水色を見やったり、足もとの何の変哲もないアスファルトに視線を落としたりしながら行っていると、静かななかで道の脇から、鳥ががさがさ木の葉に当たりながら飛び立つ音が生じてはっとする。心の内は静穏そのものに落着いており、表通りから渡ってくる自動車の色気のない即物的な走行音すらも、この世を構成する一片の音楽じみて耳に響く。
 駅の階段で老人に抜かされた。頭にはニット帽のようなものを被り、両手には薄汚れた軍手をつけて、一体何に使うのか、坂道から折り取ってきたらしい裸の細い枝を一本持っている。階段を上りきったところで通路の先にいたその老人がこちらに向かって振り返り、笑みに撓めた顔でまた何か挨拶らしき言葉を呟いたものの、聞き取れなかったので、はい、と小さく返すに留まった。雰囲気としては、気をつけて、みたいな別れの挨拶の類だったように思う。それからホームに下りてベンチの端に就き、メモ書きを始めていると、じきに何人か人が入ってきたなかに一人、杖を突いた姿があって、目を向けて容貌を仔細に見ずとも先日見かけた白人の人だなと判別される。彼は自販機に寄って不要なペットボトルか何かを捨てたあと、こちらの左隣に座ってスマートフォンを眺めていた。そうして電車がやって来たので乗車して、こちらは七人掛けの真ん中に就いて引き続きメモを取り、青梅に着いてもいつも通りすぐには降りずに記録を続け、一番線の電車が発ってしまってから車両を抜けた。黄昏はまだ迫りきっておらず空気は明るさを残しているが、とは言え薄青さは天から降って地上の大気に忍びこみはじめており、そのなかで線路の向こうの小学校の校庭脇の細道を、ヘルメットをきちんと被って自転車に乗った中学生らが賑やかに通り過ぎていく。通路を辿って改札を抜けると、先の白人の老人の姿があった。地に杖を突いてゆっくり歩くその後ろからこちらも駅を出て、横を抜かすと、老人はモスバーガーの前で止まり、メニューの看板を眺めているような様子だった。
 今日の労働の相手は(……)くん(中三・社会)に、(……)くん(中一・英語)及び(……)くん(中一・英語)の二人だったのだが、(……)くんは欠席となり、そこに(……)さんがやって来て、彼女は今日の夜から保護者と一緒に面談があるので授業を一コマ早くずらしたと言う。室長が多分その処理を忘れていたようで反映されていなかったのだが、ちょうど岩波くんの欠席でこちらの担当に空きが生まれていたので、じゃあ僕やりますよと言って引き取った。科目は英語である。
 (……)さんはワークは一応一通り終わって復習をしているところだった。今日扱ったのはL8の2、受け身の単元だったが、英作文でほんの少し苦戦したほかは問題なく解けている。不規則変化の動詞が覚えきれていないと言うので、最後の一五分くらいはそれを学習する時間に充ててもらったのだが、ノートを見ると単語などはかなり綺麗に整然と、なおかつ反復的に練習しているようで、だいぶ久しぶりに当たったけれどこの子はなかなか筋が良いのではないか。
 (……)くんは何となく、先週よりも、あるいはいつもよりも僅かながら真面目に取り組んでいるような印象を持った。母親から何か言われたりしたのだろうか? 扱ったのはLet's Readという単元で、"Alice In Wonderland"の一節が取り上げられている。本当は教科書本文を一緒に読むべきなのだが、その余裕はなかった。(……)くんも同じ箇所を扱って、まあまあという感じ。彼は(……)くんに巻きこまれてふざけなければわりとやることはやってくれる。ただ、父親が教育熱心で、自らの出身である(……)大学かどこかに行かせたいらしいのだが、今のままでは果たしてそれはどうかな、という感触だ。
 授業後、(……)くんのところに行き、明日社会で当たるので平成三〇年度の問題をもう一度やりましょうとか話したあと、解答用紙をコピーして用意しておいてから退勤した。駅に入ってホームに上がり、ベンチの端に就く。マフラーは巻かなかったが、それで充分な気候の柔らかさである。やって来て乗りこんだ奥多摩行きの同じ車両の端には、例の大きな声で独り言を撒き散らす、あるいは何らかの見えない存在と交信しているらしき老婆が乗っていた。電車が停まっているあいだは彼女はしかし独り言を特に漏らさず、いくらか挙動不審な動きは見られたものの黙っていたようだ。ところが電車が発車して走行音ががたがた鳴り出すと、途端に大きな声を上げはじめた。その席の向かいには女子高生が三人ほど座っていたのだが、彼女らは多分びっくりしていたのではないか。降りると、駅のホームでもやはり何か言葉を発しているのが後ろから聞こえてきた。駅舎を抜けて車の通り過ぎたあとの横断歩道を渡り、木の間の坂道に入ると空は曇りのなかに沈んでおり、月も星も気配すら窺えない。顔には少々冷気が寄ってくるものの、コートを貫通するほどの冷たさはやはりなかった。
 帰宅すると両親とも居間にいて食事を取っている。家に入った時から何かしらの独特な匂いを感知していたのだが、父親の食膳に置かれた空の皿を見て思い当たり、シチューかと訊けばそうだと言う。白菜と牛乳がたくさんあったから作ったのだと。それで下階へ下りて、自室に入ってコンピューターを用意しながら服を着替え、ジャージになるとインターネット各所を覗いたり、ベッドで「胎児のポーズ」をやったりしてから食事に行った。メニューは里芋の煮転がしにほうれん草のお浸し、そしてシチューと、米の余りを用いたシーフード入りの炒飯である。温めるものは温めて食卓に移ると、テレビはニュースを映していたのではないか。新型肺炎の報を見聞きし、新聞でも読んだ覚えがある。件のクルーズ船で感染者が一気に六五人だか発見されたとかいう話だったような気がする。あとは検疫官の男性一人の感染も発覚したと言い、またそれとは別で、チャーター便で武漢から帰国したあとホテルに滞在していた一七四人だかの人々の帰宅が叶ったともテレビで伝えられ、良かったなあと父親は漏らしていた。
 食後、皿を洗い、風呂はまだ入らないと言って緑茶を拵え自室へ戻ると、九時半過ぎから六日の記事を書き出して、四〇分で完成させている。さらに七日の記事にも取りかかったものの、気力が足りなかったのか、こちらは一六分で中断しており、それから多少インターネットを回ったのではないか。風呂に入ったのはちょうど一一時になる頃合いだった覚えがある。湯に浸かると胡座の姿勢を取り、両腕を曲げた形で縁に乗せ、身体を静止させて沈思黙考した。この日は短歌を作る方向に頭が向いて、それで三〇分かそこら脳内で言葉を弄くりながら浸かったあと髪を洗い、束子で身体も擦ってから出ると、下階に戻って短歌を三つ、日記に記録するとともにTwitterにも投稿した。

 明け方に雨のよく降るこの星で神の代わりに愛を崇める
 神様は可愛そうだねこの星に知らないことの一つもなくて
 音楽が滅びたあとの地獄では肌を流れる血の音を聴け

 すると時刻は一一時四〇分を過ぎた頃だったのではないか。それから"C"のコーラス案を最終決定するために、Tが作ってくれた20200207の音源を聴き比べた。懸案は三箇所、2B、Cメロ、大サビの一部のコーラスをそれぞれ入れるか入れないかということだったのだが、2Bはピアノ音源で聞いた時にはなかなか攻めていて良いように思われていたところが、実声の歌で聞いてみるとやはり突出しすぎているように響いたので、これはなしだなと意見を翻した。後者二つはそれぞれ加えていくらかサウンドを厚く補強し、力強さを出して良い場面だろうと判断し、その旨をslack上に投稿しておくと、その後、零時四六分から『ストーナー』のメモ書きを始めた。BGMにはthe Hiatusの『ANOMALY』を久しぶりに流したが、これはかなり良いアルバムなのではないか。中断を挟みながらも二時半前まで抜書きを続け、そうして床に入って安息を得た。
 この日読書ノートに書きつけた文言のなかからは、「翼々とした」という表現を学んだ。「その目は冷たく、計算高く、翼々とした光をたたえ、不必要なほど大胆な、それでいて過度に慎重なすごみを感じさせる」(165)という一節のなかに出てきたものだ。意味は「用心深いさま。慎重なさま」とのことで、「小心翼々」という四字熟語として使われることが多いようだ。
 また、特に大きな意味はないのだろうが、「目をしばたたく」という語彙がこの小説中にはやたらとたくさん登場し、この日メモした部分を含めると既に六箇所出てきていると思う。目に関しては瞳の色や様相の描写も多く、こちらに関しては多少、人物的特徴の主要な要素として扱われている気がするが、それも何らかの象徴体系を構成しているのかどうかはわからない。
 一八二頁には次の一段落がある。

 ウォーカーの確信に満ちた声はよどみなく続き、すばしこく動く口からくり出される言葉は、まるで……。ストーナーははっとある可能性に思い当たり、胸に宿った希望が芽生えたときと同じくらい急速にしぼむのを感じた。一瞬、吐き気がしそうになった。テーブルに目を落とすと、磨かれた胡桃材の天板に映る自分の顔が、両腕のあいだに見えた。暗い像で、目鼻立ちまではわからない。堅い木の中に巣食ううつろな亡霊があいさつに出てきたかのようだった。

 ストーナーと一悶着を起こしたチャールズ・ウォーカーという学生を大学に残すか否かを決定するための、予備口頭試問の最中の一節である。ストーナーは試問の冒頭、ローマックス教授――彼はウォーカーの指導教官を務めている――の質問に対してウォーカーが流暢に、滔々かつ堂々とした弁舌を披露した時点では、この学生に好評価を与え、彼の学術活動の前途に「温かく華やいだ希望」(179)を抱いてすらいる。彼はウォーカーの、「なめらかで、迷いがなく、整然とまとまって」いる演説を「聴くほどに感銘を募らせ」、「ローマックスの言うとおり、この学位論文が企図を満たせば、すばらしいものになるだろう」と判断しているのだ。その好印象が覆される転機となった瞬間が上の一段落だと考えられるが、ここでストーナーはおそらく、亡き友デイヴィッド・マスターズのことを思い起こしているのだと推定される。ストーナーが非常勤講師時代に知り合ったこの若き日の友人は第一次世界大戦に従軍した結果フランスで戦死し、物語の前面に姿を現す時間はとても短いのだが、ストーナーは彼の存在から忘れがたく強い印象を得たようで、その後も人生の道行きで折に触れてこの友のことを回想している(友人の死から四〇年以上の歳月が過ぎたのち、病に冒された自らの死が切々と迫りくる床のなかですら、彼はいくらか混濁した意識とともに、「デイヴはどこだ?」という問いを口にしている)。おそらく彼は、この尊敬していた友人の似姿を束の間ウォーカーのなかに発見してしまったことに気づき、自己嫌悪とともに瞬間的な「吐き気」を覚えたのではないか。テーブルの「胡桃材の天板」に映りこんだストーナー自身の顔貌は、「目鼻立ちまではわからない」ほどに曖昧化されており、ぼやけて模糊たるこの「暗い像」にストーナーは、自身の顔形のみならず、マスターズの面影をも見出しているのではないかと推測される。「堅い木の中に巣食ううつろな亡霊があいさつに出てきたかのようだった」という表現は、死者であるマスターズの存在を想起させずにはおかないからである。
 それに加えてこちらが注目したいのは、「亡霊」の前に付された「堅い木の中に巣食う」という形容表現である。ここで頁を遥かに遡って物語の序盤、デイヴィッド・マスターズとゴードン・フィンチとウィリアム・ストーナーの友人三人組が酒場に集って、自分たちの社会不適合性や、大学という機関が彼らのような存在に対して果たす役割について語り合った場面に戻ってみたいのだが、三五頁において、狷介で傲慢だが聡明な友人マスターズは、ストーナーのことを「綿の中の象虫、豆の茎の中の蠕虫、穀草の中の木食い虫」という比喩でもって評している。これは、ストーナーが社会に馴染めず言わば世間に寄生して生きるほかない性向だということを言い表したものだろうが、ところで「木食い虫」とは、まさしく「木の中に巣食う」存在でなくて何だろうか? 一八二頁においてストーナーが自らの反射像に対して抱いた印象は、従って、三五頁のデイヴィッド・マスターズの発言と、あいだに挟まれた無数の頁の堆積をすり抜けて密やかに響き交わしているのだ。ストーナーが自身の鏡像のなかに見て取った「堅い木の中に巣食う」というイメージは、遥か昔にマスターズから彼に差し向けられた評言と、テクストのレベルにおいて明らかに呼応しているわけである。だからここでは、挨拶に出てくる「亡霊」という形象から連想される死者の記憶のみならず、それに付加された修飾表現によってもまた、デイヴィッド・マスターズの存在が暗示されているとこちらは考えたい。すると、テーブルの天板に反映した容貌のはっきりしない「暗い像」は、ストーナー自身の似姿であると同時に、マスターズの「亡霊」が瞬時、姿を現したようにも思えてくるわけだが、その瞬間的な同一化をさらに敷衍すれば、ストーナーがここで、意識的にか否かはともかく、彼自身とマスターズとを重ね合わせているとも捉えられるだろう。のちの頁にそのことの傍証がある。ローマックスとの決裂に終わった予備口頭試問の翌日、学部長代行ゴードン・フィンチと改めて話し合うストーナーは、この古くからの友人とのやりとりのなかでマスターズの思い出を取り上げてみせるのだ。「三人で話したときに、デイヴは言った。大学は一種の隔離施設で、社会に適応せざる者、半端者が世間から身を隠す場所だ、というようなことを……。しかし、それはウォーカーのことじゃない。デイヴなら、ウォーカーを世間の側の人間と見るだろう。われわれは、あの男をここに引き入れるわけにはいかない。引き入れたら、ここは世間と同じ実体のない場所になってしまう。希望を保つ唯一の手立ては、あの男を締め出すことだ」(197)。従って、ウォーカー及びその後ろ盾であるローマックスと闘争するストーナーは、マスターズの記憶を背負い、彼の取るだろう判断を推量し(「デイヴなら、ウォーカーを世間の側の人間と見るだろう」)、その「亡霊」を身に宿したかのように、古き日に彼が述べた大義に即して行動することになる。ストーナーが口にする「われわれ」という代名詞のなかに、彼自身とフィンチのみならず、亡友マスターズの存在が含まれていることは明白である。
 一八七頁には「声が自分より先走りして」という言い方があり、改行を挟んで、「ついには、その声が言う」という風に、「声」がストーナーから独立して主体となっているかのような表現も見られる。そのような「乖離」のテーマもこの小説には数多く見られ、それらのあいだに何らかの統一的な意味体系の見通しをつけることも不可能ではないのかもしれないが、こちらにはそこまでの力はない。


・作文
 11:47 - 11:49 = 2分(4日)
 12:18 - 13:06 = 48分(4日)
 13:43 - 13:55 = 12分(11日)
 13:55 - 14:23 = 28分(12日)
 14:23 - 14:30 = 7分(5日)
 14:31 - 15:17 = 46分(5日)
 16:12 - 16:30 = 18分(5日)
 21:36 - 22:16 = 40分(6日)
 22:22 - 22:38 = 16分(7日)
 計: 3時間37分

・読書
 11:50 - 12:15 = 25分(ウィリアムズ)
 16:41 - 16:50 = 9分(ウィリアムズ)
 24:46 - 25:25 = 39分(ウィリアムズ; メモ)
 26:01 - 26:28 = 27分(ウィリアムズ; メモ)
 計: 1時間40分

・睡眠
 1:00 - 11:00 = 10時間

・音楽