「清水の舞台からとびおりるかのごとき」気分でかれは心療内科の門を二週間ごとにたたく。棟方くんは夕方のひかりを浴びてこわい。紋切り型のことばで自分を描写することでなんとか情緒を奮い起たせているふしがある。エレベーターの五階をおしてうすぐらい雑居ビルを昇っているあいだに、何千回も踵を返し帰宅したくなっているが、薬がないとねむれない。
診察医には、いぜんやんわりと過眠を注意されて以来、事務的な事項以外はなさなくなった。貝のように口をとざし、聞かれたことに首を縦に振るかふつうに首を横に振るいがいしていない。
じっさいコクコクと頷くさいにかれは首をふっている意識などないのだが……
物語を文字に定着させるみたいに、「踵をかえ」したくなったり、「貝のように」口をとざしたり、「首をふ」ったりしているのだと、むりに認識しないとこの場にいることもつらいのだが、果してここ以外の場所ではかれは自分をどう認識しているのだろう。
(町屋良平『愛が嫌い』文藝春秋、二〇一九年、38; 「しずけさ」)
九時台から段々と意識を取り戻しはじめ、一〇時のアラームで覚醒及び起床することに成功した。布団をめくってベッドを降り、携帯の鳴り響きを止めると寝床に戻るが、布団を再度被ることはなく、「胎児のポーズ」を行って寝起きの身体を和らげる。外は無感動に白くくすんだ曇り空だが、その雲の層を申し訳程度に突き抜けてくる薄陽の感触もあった。部屋を出たのは一〇時四分だった。上階に行って母親に挨拶し、一二時頃行くと伝えると、カレーが少量残っていると言うので冷蔵庫からフライパンを取り出して焜炉に乗せる。水をほんの少しだけ足して弱火で沸騰させているあいだに洗面所に入って、歪んだ髪を櫛付きのドライヤーで梳かして整理した。それから出てきて大皿の米にカレーを掛けると、もう一度洗面所に入って後頭部の髪が浮き上がっていたのをいくらか抑えたが、そうしているあいだに母親が、カレーとともに大根のスライスやほうれん草を盆に用意して卓に運んでくれた。テーブルに就いて新聞の一面から新型肺炎の報道を追いつつ食事を取る。これから日本でも感染者が続々と発見され、規模が拡大してくるだろう。こちらも今日だって都心の方に出る用事があるのだから他人事ではないが、だからと言ってなかなか対策の取りようもない。手はよく洗ってアルコール消毒などもしっかり行いながらも、もし掛かってしまったらそれはもう仕方のないことだ。
食後、食器を洗ってそのまま風呂洗いも行った。ブラシで浴槽の壁に付着した水垢を擦り落とし、仕事を終えて出てくると下階に戻ってコンピューターの電源を入れ、各種ソフトのアイコンをクリックして起動させておき、それから急須と湯呑みを持って居間に上がって緑茶を支度した。注いだものを運んで塒に帰ると飲みながらインターネット各所を瞥見し、今日の記事も新規作成したあと、まず立川図書館で借りている三枚のCDの情報を記録しはじめた。今日が返却日なので、レコーディングに向かう前に立ち寄るつもりだったのだ――ジョン・ウィリアムズ/東江一紀訳『ストーナー』も返却期限を延長しなければならない。待ち合わせは成城学園前駅に三時過ぎなので、一二時三七分の電車に乗っていけば一時間ほどの猶予が生まれて、立川に寄っても悠々間に合うだろうと見越していた。そういうわけで茶を啜りながら、またdbClifford『Recyclable』を流しながらCD情報を打ちこんでいき、それが終わると服を着替えた。靴下は既に真っ赤なものを履いていた。United Arrows green label relaxingで買った真っ青な麻のシャツを着たかったので上階に行き、居間の片隅、テーブルの椅子に掛けられていたシャツ類を五枚いっぺんに自室に持ってきて収納のなかに仕舞っておくと、鮮やかな深青一色のシャツと素材に毛の混ざった褐色のズボンを身に着けた。それにもう長いことまったく着ていなかったものだが、スプリングコートと言うのか、灰色のグレンチェック模様の裾の長い薄手の羽織りを重ね、それでdbClifford "One Track Mind"の流れるなかで歯磨きをして、口を濯いでくると日記に掛かった。この日のことをここまで記録すると一一時二七分で、その頃には音楽はThe Beatles『Live At The Hollywood Bowl』に移行していた。
それから一二時を過ぎるまで一四日の日記にかかずらい、前日の記憶を探索して文字に変換していく。最後までは終えられないまま一二時六分に中断し、the pillowsを流し出してベッドに寝そべると、「胎児のポーズ」を行った。脚上げ腹筋もやっておき、最後に"プロポーズ"を歌いながら立位前屈の体勢も取って脚や腰の肉を伸ばすと、室を抜けて上階に移動した。大根の天麩羅を揚げたと母親は言い、香ばしい匂いが室内の空気に混ざっていて、台所に入ると狐色に染まったスティック型の大根がたくさん並んでおり、食べていきたいようだったが既に歯磨きは済ませてしまった。洗面所で石鹸を用いて手を綺麗に洗い、そうして出発である。
玄関を出るとちょうど我が家の前をYさんが歩いているところに行き合ったので、こんにちはと挨拶を掛けた。お兄ちゃん、外国から帰ってきたのとあちらは向けてきて、兄貴ですかとそれに受けると、Yさんはこちらのことを兄だと思っていたようで誤りに気づいて何とか言うので、僕は弟の方で、とへらへらした笑みを浮かべる。扉に鍵を掛けたあと、イギリスだっけ、と問われるのに、階段を下りて近づきながら、ロシア、ロシアですと答える。兄の勤めを訊かれたのには(……)の名を挙げて、建機の、ショベルカーとか、と言うと、相手は理解した様子で、立派な、凄いところだ、というようなことを言った。お兄ちゃんはよ、とさらに問うのは今度はこちらのことだと判別して、――僕ですか。僕は……まあ……塾の……先生と言うか、講師ですね。するとYさんはふたたび、立派なところだ、とか何とか呟いた。
それから並んで歩き出し、別れて先に行ってしまおうかとも思ったが、お散歩ですかと何となく掛けてみると、すぐに一言では答えがなく、――このあいだまで何ともなかったんだけど、身体がどうも段々動かなくなってきた、足だけじゃなくて手もこう固まっちまって(とYさんは両の手指を掲げ、鉤爪のような形にしてみせる)、ものも開けられない、人間こうなっちまったら駄目だなあ……などと弱気な語りが続いた。こちらはややトーンを落として神妙に、はい、とかうん、とか相槌を打ち、それでいて時折り入る自虐的な言には、いやいや、と微笑を浮かべて聞いていた。それで、身体は弱ってしまったものの、動かなければ余計に弱る一方なので、こうして出歩いているのだ、ということだった。そうですよ、やっぱり歩かないと、と向けると、そうよ、と返る。ただ、月曜日に検査入院をするから来るようにと医者に言われているとのことで、妙な結果が出たら、首、括らなきゃならねえ、とYさんは低い声で不穏な冗談を言って笑っていた。あるいは何割かは冗談ではないのかもしれない。八二歳という高齢に至り身体も急に弱ってきて、今まで簡単にできたことも段々できなくなってきた――去年か一昨年あたりまでは、宅の近くの樹の幹に取りついて枝を裁ち落としたりしていたはずなのだ――となれば、そうした絶望に駆られてもおかしくはないのではないか。自らの死というものの近まりも、おそらくは頭にもたげるだろう。
ゆっくりとした相手の歩調に合わせてしばらく一緒に歩きながらそうした話を聞いていたのだが、さすがに電車に遅れそうだったので手を振って腕時計を見やると、その動きを捉えたYさんは片手を道の先に向けて差し出し、どうぞ、行ってください、と言うので、すみません、とこちらは笑い、電車……電車に遅れちゃうんでねと弁明をした。それからいくらか顔を寄せながら、気をつけて、と掛け、よく歩いてください、と応援の言葉を定かに送っておき、それじゃ、すみませんと残して別れ、先を急いだ。背後からはYさんの間遠な足音が、随分距離を置いてからも聞こえていたように思う。
坂道を大股に、足取りもスピーディーに上がっていきながら、先ほど会ったY老人のことを考えて、死というものを思い、何故、人間は弱り、衰え、死んでいかなくてはならないのだろうと、哀しみや虚しさと言うよりはほとんど怒りにも近い感情を覚えた。急ぎ足で坂を抜けて駅に入り、ホームに下りたとともに電車が入線してきたのではなかったか。乗りこんで扉際に立ち、外を流れていく風景を眺めながら、自分にとって死とは不倶戴天の敵なのだと思った。(……)
青梅に至ると珍しく一番線に到着したのだったような気がする。二番線の東京行きに乗り換えて、多分一号車に腰を下ろしたはずだ。立川までの道中は前日のことを手帳にメモ書きしていたと思う。鼻水やくしゃみがやたらと湧いて出て、この感触は、これはどうも花粉だなと気がついた。車内にはほかにもやはり、ずるずると鼻を啜っているような人の姿が見られた。立川の前で一四日のことは書き終わったのではなかったか――切りがついたところで手帳を仕舞い、肩を持ち上げて筋を引っ張りながら強張った身体を和らげた覚えがある。
そうして立川に着くと三・四番線ホームに降り立ち、階段口に向かい、人々の後ろからゆっくりと上っていく。よく覚えていないのだがそれから確か、精算機に寄ってSUICAに五〇〇〇円をチャージしたような気がする。改札を抜けるとコンコースを流れ蠢く人群れのうち、多くの人間がやはり白いマスクを顔につけており、ぴったりと隙間なく顔面を覆うことのできるタイプの黒いマスクを張っている人も時折り見かける。駅舎出入口脇の托鉢僧に、ほとんど初めて見たような気がするが、布施を与えて手を合わせ、祈りながら経を読んでもらっている人がいた。中年くらいの女性だったと思うのだが、その人が去ったあとからさらにもう一人、同じように手を合わせている女性がいたので、新型肺炎に掛からないようにとか祈っているのだろうかと勝手な想像をした。
高架歩廊をかなりゆったりとした足取りで行って伊勢丹の横まで来ると、背を大きく曲げて杖に縋り、少しずつ緩慢に、難儀そうな様子で歩いている老婆が現れた。浅葱色のカーディガンを羽織っている姿を窺いながら、その横を急がず優しく抜かしていき、歩道橋に掛かる。左方を見ても右方を見ても眼下の路上には人々の流れが発生しており、まさしく蟻か何かの昆虫の群れのように蠢く姿が、からくり仕掛けの作り物のような、具象性を希薄化された小さな存在たちが交錯し合っている。高島屋とシネマシティのあいだの通路に入って引き続き高架上を進んでいくと、じきに左方、高島屋とパレスホテルのビルの合間にモノレール線路下の広場に繋がる間道がひらけ、その地帯にも自転車に乗った人やら徒歩者やらが無規則にうろついている。街路樹は大方裸だが、あれは常緑樹なのか、早くも春らしい黄緑の色を灯している樹も二本ばかり見られた。パレスホテルの側面の、つるつると光沢のある大理石の壁に自らの姿がうっすらと映りこんでいるのを眺めながら行き、道を折れて図書館に入る。
アルコール消毒液を手に塗布して皮膚に擦りつけながらゲートをくぐる。リサイクル本のワゴンに目ぼしいものはなかったが、そこから振り向いた先の新着図書のスペースには、エドゥアール・グリッサン『ラマンタンの入江』や、浅野俊哉『スピノザ 〈触発の思考〉』などの新刊が見られた。Mさんが最近読んでいた三毛という中国作家の著作もあったと思う。本の並びを確認してからカウンターに寄り、職員に挨拶を掛けつつ、返却ボックスのなかにロラン・バルトの講義録を差し入れた。借りたは良いものの、やはりどうしても読んでいる暇がないのだ――図書館で借りる本は毎回一冊のみに絞るべきだろう。そうして階を上がってCDも返却したあと、音楽作品のずらりと並んだ棚の方に行くと、現代音楽辺りの区画の前に車椅子に乗った老人がいて棚に目を寄せていた。こちらはジャズのコーナーを見分しはじめ、一枚目は早々に菊地雅章のThe Slash Trio『Slash 1°』という作に決定した。棚の前を推移していって次に『Nina Simone Sings The Blues』を選び出す。それから先ほど車椅子の老人が見ていた現代音楽の並びをこちらも調べて、するとNikolai Kapustin『Kapustin: Piano Quintet』という作品が見出された。Nikolai Kapustinというピアニストは端的に言ってやばい音楽家なのでこれも音源データを手もとに保持しておくことにして、それら三枚を持って自動貸出機に寄り、手続きを済ませてディスクを持ち運び用のケースに収め、リュックサックに仕舞うと階段を下りた。ジョン・ウィリアムズ/東江一紀訳『ストーナー』を取り出しながらカウンターに近寄り、台上の四角い区画のなかに本を置くとモニターに触れて延長手続きを行う。今日は本を新しく借りる気はなかったし、書棚を見分していくつもりもなかった。それなのでこれで用は済んだということで、早々に退館に向かう。
それからまたゆったりと高架歩廊上を歩いて、駅の方面に向かった。歩道橋を渡った辺りで、白っぽい色の作業着にずんぐりと身を包んだ女性たち――中年から高年層と見える――が通路の掃除をしており、なかの一人は地面に付着した何らかの白い物体を手で取り除こうと何度も試みながらも、どうしても取れないので結局諦めて立ち上がっていた。水を溜めたバケツを持った清掃員二人とすれ違い、辺りのビルに付された看板や広告に目をやりながら進んでいき、Cafe Klimtの一面ガラス張りで細長い店舗の前を過ぎて広場近くまで来ると、行きにも見かけた老婆にまたもや出くわした。浅葱色のカーディガンを纏った身体をほとんど直角にとも思えるほどに曲げながら杖に頼り切った鈍い歩みぶりは見るからに大変そうだが、一体何の用事でどこに寄ってきたのだろうか。彼女をふたたびゆっくりと追い抜かして駅舎の人波のなかに入り、改札を抜けたところでこの立川駅構内におにぎり屋があることに思い当たった。空腹を抱えながら、食事をどうしようかと考えていたのだ。NEW DAYSで何か買おうかとも思ったものの、店の前で釜飯か何かを盛んに売り出しているさまが何となく敬遠されて素通りしてしまい、成城学園前に着いてからコンビニで何か買えば良いかと何となく考えていたところに、以前から気になっていた件のおにぎり屋を思い出したのだった。一・二番線ホームを上がったその脇にある、「(……)」という店である。そこでおにぎりを買って行き、途中の待ち時間か成城学園前駅に到着後に食べれば良いというわけで、店舗に近寄ってショーケースのなかを眺めてから店員に会釈し、ツナマヨネーズと焼き鱈子のおにぎりを所望した。三七〇円である。金を払って品物を受け取り、ビニール袋をリュックサックに入れて、そうして南武線のホームに向かった。成城学園前に行くには、登戸まで乗ったのち、そこで小田急に乗換えである。ホームに下りて端の方に行き、ベンチはあるかと探したところが見当たらなかったので、発車間近の電車を見送って壁に寄って立ったままおにぎりを食ってしまおうかと一旦思ったのだが、成城学園前に着いてから食べれば良いかと思い直して、目の前の車両に乗りこんだ。扉際に就いて手帳に文字を書きつけながら電車に揺られていると、途中で若い夫婦が乗ってきてこちらの前に立ち、眼鏡を掛けた男性の方――HGの中学校からの同級生であり、現在はトロンボーン奏者として活躍しているT.Aくんをちょっと思い起こす顔貌だった。ところで、今しがた本人のTwitterアカウントを覗いてみたところ、先般二月七日に東京で行われたceroの公演にサポートメンバーとして彼も参加していたらしく、これにはちょっとビビる――が胸に取りつけた道具に赤子をすっぽりと収めて抱いていたのだが、その赤子がちょっと面白い顔をしていたと言うか、他者に依存するほかない自らの無力を悟りきっているかのような、こうして親に抱かれているのは決して本意ではないのだが定められた赤子の運命として致し方ないのだとでも言いたそうな、生まれ落ちてまもないにもかかわらずこの世の哀しみを既に知ってしまったかのような――例えば山中でたまさか出くわした鹿の澄んだ瞳のような、ほとんど動物的な無垢さを思わせる諦観じみた表情を浮かべ、その眼差しをこちらにじっと向けてくるのだった。こちらも時折りその視線を受けて見返してやったが、赤子の両親は自らの子と、何やら手帳に猛然と文字を刻み続けている見ず知らずの人間とのあいだに流れるそうした密やかな交感には多分気づいていなかったと思う。赤子はそのうちに目を閉じ、口の端からほんの少し涎を漏らしながら眠りに入った。
登戸で乗換えである。フロアを上がって一度改札を抜け、案内表示に従って通路を辿って小田急の駅舎に入った。券売機の上の路線図で成城学園前の位置を確認してから改札を抜け、ホームに下りて電車に乗った。車内は確かそう混んでおらず、席に座ったはずだ。成城学園前までは三駅か四駅程度で、そう長い路程でもないし来たことのない場所なので風景を眺めようと思いながらも、結局また手帳にメモを取っていたような気がする。途中で、あれは多摩川なのか、空間の底を貫いて不規則な輪郭線を描きながら伸びていく川の流れを目にした記憶はある。
成城学園前に着くと降車して改札へ向かった。改札は二つくらいあるようだったので、どちらに行けば良いのかTに訊こうと思って携帯を取り出すと、既に彼女からメールが入っており、中央改札だとあったので案内を見ながらそちらに歩いた。抜けて辺りを見回したものの、Tの姿もKくんの姿もまだ見当たらない。左方にベンチが設けられた一角があったので、そこで飯を食うことにしてそちらに寄っていき、身体の悪そうな老婆と娘らしき女性が連れ立って腰を上げたあとに入った。リュックサックからビニール袋を取り出して、さらにそのなかからプラスチックパックを出してベンチに置き、お手拭きで両手指をよく拭う。それからツナマヨネーズのおにぎりを食べはじめた――ラップで包まれたのをほどき、ラップはそのまま剝がさずに手とおにぎりのあいだに挟んで持って、米を食していく。人々は周囲をひっきりなしに行き来し、隣のベンチには幼い子供を二人くらい連れた夫婦が短いあいだ訪れて、自分たちは立って子供たちを座らせていた。右方、駅前すぐの場所にGODIVAの店舗を目にしたような覚えがある。天気はあまりはっきりせず、空と大気は鈍い色合いだったようだ。
二種類のおにぎりを食い終わるとちょうど三時頃になったので、もぐもぐと米を咀嚼しながら改札前に移り、口内で舌を蠢かせて歯の各所に付着した米の滓を取り除きながら仁王立ちして待っていると、突然後ろから身体を叩かれた。Kくんだった。もういたのか、と向けると、いた、存在していた、と返るので笑う。駅ビルと言うか複合施設と言うか、何という名前の建物だったか忘れたが、そのなかで食事を取っていたらしい。Tも既に到着しておりそこにいて、今、レコーディング前のエネルギー補給でハンバーグを食っているところだと言う。KくんがTに連絡を送るあいだ立ち尽くして待っていると、メッセージの送信を終えた彼は座るかと呟いて動き出したので、こちらもそのあとについて複合施設のエスカレーターを上った。そう広くもない広場にテーブル席がいくつか用意されているのだが、すぐ上がったところの席はどれも埋まっていた。端の一席にサングラスを掛けた強面の男性がいたので、何かいかつい人がいるなと言いながらもう一階上がると、そこには人がおらず空のテーブルだけが静かに佇んでいたので、Kくんと向かい合って席に就いた。そうして立川図書館で借りたCDを差し出して見せていると、Tが上階から下りてきたのでこんにちはと挨拶を交わした。ハンバーグをたらふく食ってお腹いっぱいになったらしい。そうして行くかと立ち上がり、エスカレーターを下って駅舎を抜け、まずコンビニに向かった。Tが水を所望したのだったと思う。駅を抜けて右に折れてすぐのところにファミリーマートがあった。Tが買い物をしているあいだ、こちらとKくんは店の前で待ちながら、風邪を引いて欠席のTDについて、どうする、新型肺炎だったら、と言い、もし本当にそうだったら、俺ら全員アウトだよなと不吉な可能性を考えた。――でも、予防するったって、そんなに取れる対策はないよね。マスクも品切れみたいだし……本当に手をよく洗うくらいだよね。そのように無力を表明し、だから俺、図書館の入口とかでアルコール消毒液があると、必ずやるようにしてるよと笑った。
Tが出てくるとカラオケ店へ向かったのだが、これもすぐ近傍にあった。「(……)」という店なのだが、地域最安値という売り文句の看板が出ているのに対してTとKくんは、地域最安値って言うか、この地域ここしかないからねと突っこみを入れる。独占市場なんだねと受けながら外階段を上がって二階の扉をくぐり、狭い通路の途中にある受付で予約を確認し、コップなどを受け取るとふたたび外階段を通って階上に移った。廊下の一番奥、一〇番の部屋である。室に入って腰を下ろすとコートを脱いで隣に畳んでおき、コップを持って飲み物を用意しに廊下に行った。注いだのは、ジンジャーエールである。戻ってくるとTは早速身体を伸ばしてウォーミングアップを初めていたと思う。レコーディングを前にしてやはり何となく緊張しているような、いくらか固いような雰囲気がないでもなかった。歌うぞ、とこちらは言って、the pillowsの"スケアクロウ"をまず入れた。そのあとはしばらくKくんと交互に歌い、その後ろでTは柔軟運動を行って身体を温め続ける。ソファ席を支えにして座部の縁に腕を乗せ、身体をまっすぐに伸ばすという姿勢を取っている時があったのだが、あれは「板のポーズ」のバリエーション、ドルフィン・プランクと呼ばれている形だろう。だいぶ効くに違いない。
その後、Tも歌に参加して何曲か歌った。Kくんはプリキュアのテーマソングなどを歌って、それが滅茶苦茶に音域の高い活気のある曲なのだが、裏声を駆使して半ば無理やりなように歌っていたので、よく出るなとこちらは笑った。こちらが歌ったのは大方はthe pillows、あとは小沢健二の"さよならなんて云えないよ(美しさ)"などである。四時四五分かそのくらいになってカラオケを終え、室を抜ける。Tは荷物の準備か何かしており、先に行ってくれ、すぐに追いつくと言うので、Kくんと二人で先に廊下を通って外階段に出て、一階分下に下りて会計をした。Kくんはクレジットカードやキャッシュレスの類をメインで使うためだろう、財布に一〇〇〇円札一枚しか入っていなかったらしいのだが、そのなけなしの紙幣を出してくれて、こちらがそこにもう一〇〇〇円を加え、また七〇円ほどの小銭を全部一〇円玉で支払う。その後、Kくんはトイレに行き、そのあいだにあとから来たTも合流した。カラオケの料金はおおよそ二一〇〇円だったので一人七〇〇円と考えて金を貰ったのだが、しかしあとから考えるとKくんが一〇〇〇円出してくれてTからも七〇〇円貰ったということは、こちらだけが不均等に少なく支払ったことになる。しかしこんな細かい金額を正確に精算するのも今更面倒臭いのでこの件は看過する。Kくんを待ちながらTと何らかの話を交わしていたはずだが、その内容は忘れてしまった。
そうして退店した。外階段から通りを見下ろすとキックボードに乗って過ぎていく女児の姿があり、Kくんはそれに目を留めて、キックボードやん、みたいな風にちょっと呟いていた。階段から出て通りを歩き、一度は駅前からまっすぐ伸びる目抜き通りめいた幅の広い表道に至り、そこを渡って反対側の路地に入ったのだが、「(……)」に行く前にコンビニに寄りたいとKくんが所望した。それで来た方角にちょっと戻ると、太い通りを渡って対岸、先ほどのカラオケ店の手前に当たる位置だったと思うが、そこにセブンイレブンの看板が見えたので、あそこに寄ろうと言ってふたたび目抜き通りに至り、信号も横断歩道もないところで適当に車の流れを突いて渡ってコンビニに入った。Tが歌う前に身体を冷やしたくないと言うので我々も暖房の利いた店内に入り、買い物を待つあいだに何かしらの話をしていたと思うが、やはり記憶に残っていない。Kくんはカフェオレの類か何かを購入していたようだ。
それで「(……)」へと向かった。道中の景色は特段印象に残っていないが、目的地は近間で、歩いていくらも掛からなかった。この建物だと二人が言うのを見れば、単なる無機質なアパートめいた建造物で、録音スタジオの所在を示す看板は何もなく、案内は見当たらない。急な外階段を気をつけながら上がっていくと、四階の一室の扉に、「Ultimate Recording Studio」とか何とか書かれてあったので、アルティメットなんだね、究極なんだね、とTに笑いかけた。インターフォンを鳴らすと顔にマスクをつけた茶髪の若い男性がドアを開けて現れたので、挨拶を交わしてなかに入った。のちほどレコーディング作業中に名前を訊いたところ、KNさんと言った。気の良い兄[あん]ちゃんといった風情で、少年のように屈託なげに笑う人だった。こちらとKくんは入ってすぐのところに設置されたソファに並んで腰掛けた。目の前には個室として区切られ密閉されたボーカルブースが設えられており、右方、室の奥の壁際にはデスクが置かれ、その上に大きなコンピューターが二台乗っている。KNさんはそのうち左側のコンピューターの前に就き、身を柔らかく受け止めてくれそうな、わりと質の良さそうに見える白い椅子に身体を預けていた。
レコーディングを始める前にTからバレンタインデーのプレゼントが配られた。小さな紙袋を取り出して品物をなかに入れはじめたTを見てKくんは、このタイミングで? と目を丸くして笑っていたが、彼女はKNさんの分も用意していたのだった。さすがの気遣いである。帰宅後に中身を見たところ品はクッキーで、チョコレート風の黒褐色のものと、ラズベリーの混ざっているらしいクリーム色のものがあり、特に後者がなかなか美味かった。
それからTがボーカルブースに入ってレコーディングが開始された。最初に一度通して歌ってもらい、終わるとKNさんはかなりいいっすね~と褒め、Kくんも思ったよりもぶれずに歌えていたという評価を下していたが、こちらとしては、最初なので当然ではあるものの、音程にしても声質にしても定まっておらず、全体的に不安定に揺らいでいるように聞こえた。その後、Tがコピーしてきて配布してくれた歌詞も参照しつつ、AメロやBメロなどの単位で区切って録り直していく。KNさんは基本的に褒めるタイプと言うか、歌が終わったあとの第一声は大体「いいっすね~」である。特に音程に関しては判定基準がやや甘めに思われたと言うか、こちらやKくんがちょっと引っかかって指摘するような箇所でもあまり気にせず許容範囲とするようだったのだが、それは多分、録音後に修正できるのだから音程についてはそこまで完全を求める必要はないという頭があるのだろう。実際彼は、音程やリズムは全然問題ないんで、ただ、歌の勢いとか、ニュアンスとか、そういうところは直せないんで、そこだけ注意してほしいっすね、みたいなことを言っていた。彼も今まで色々な歌い手の録音を手掛けてきただろうけれど、Tの歌は音程の観点からするとかなり良い方だと評価していた。
KNさんはそれでいてただ褒めて持ち上げるだけでなく、さっきの方が良かったんじゃないっすかとか、この部分が気になりますね、といった自分の意見を、折々に、押しつけがましくない程度に挟んでもくれるのだった。一度などは、コーラスの構成を検討してくれさえした――2Aの後半、「(……)」の箇所だが、KNさんはここに何か引っかかるものを感じたらしく、コーラスの音程を細かく調べて吟味していた。その上で最終的には彼も納得し、大丈夫そうっすね、綺麗に重なりそうっすねと判断していたのだが、その前段階では、俺、わかった気がする、と呟き、ここは主旋律よりもコーラスの方が存在感として勝ってしまっているのではないかという見解を表明していた。もしかするとそれはあるかもしれない。実際、ここのハモリは結構動きが大きいのだが、ただそれだけにこちらとしてはこの部分のコーラスはかなり良くできていると評価して気に入っているので、変更にならなくて良かったと思う。
Tは、大抵いつもそうらしいのだが、やはり幾分スロースターター気味と言うか、基本的に回数を重ねるごとに良くなっていたように思う。こちらはその時々でそこそこ指摘をしたものの、クリティカルなと言うか、鋭いような助言はあまりできなかったような気がする。ただ、単に気になった点を指摘して改善を促すのみではなく、はっきりと良いと思ったところもTに伝えるようにはした。Kくんも結構積極的に助言を提出していたと思う。レコーディング開始から二時間が経過し、七時を越えたあたりで確かメインボーカルの録音は終わったのではなかったか。そこからはコーラスの録音に移行し、この間は我々が口を出す箇所はほとんどなく、Tが歌ってはKNさんがいいっすね~と受けてスムーズに進んでいった。ただ一箇所、最後のサビのコーラスのみこちらが思っていた形と違っていたので、指摘して修正を促した。細かな説明は面倒臭いので省くが、ここはコーラスラインに一部主旋律とのユニゾンが出てくる構成になっていたのだ。元々は一番二番のサビもそういうラインで作っていたのをTDが改良してくれたのだが、Tは最後の大サビのみは原案のままで歌うものだと思っていたので、ここもTDの改良バージョンに統一してしまって良いのではないかと口を挟んだのだった。のちの夕食時に居酒屋で確認すると、TDもそのように想定していたと言っていたので、それで問題はなさそうである。
そうして一通り録音が終わったあと、一度最初から最後まで通して聞き、問題点の有無を確認したはずだ。こちらは意見を求められて、一番最初のAメロ冒頭だけちょっと気になると答えた。やはり初めの方に録ったのでまだ歌声の質感が固く、どうもこなれていないように思われたのだ。1Aの二周目に当たる「(……)」からは歌い方がちょっと異なって息を孕んだ柔らかいものになっており、その変化による切断の感覚が強いように感じられたのだったが、Tに訊くと、1A冒頭は敢えて固い歌い方にしてみたのだと言った。それでもう一度歌ってもらった結果、Kくんがその新しい歌唱の方が良いと判定を下して、かくして晴れて"C"のボーカル録音は完了となった。五時から三時間が掛かり、時刻は八時頃に達していたと思う。KNさんもだいぶエネルギーを消費して疲れた様子だったので、有難うございましたと皆で丁重に礼を述べた(Kくんなどは、大変有難うございましたと丁寧な言葉遣いをして感謝の念を強調していた)。このスタジオは、時間単位ではなくて曲単位の料金システムを取っており、一曲でいくらという風に決まっているらしい。だから時間が掛かったその分だけさらに金も払わなければならないということはないのだが、それでも途中でKNさんは、まあ、結構掛かってる方ですけどね、と我々のこだわりぶりに苦笑めいた表情を浮かべていた。途中で訊いたところ、今日このあとはほかの客や仕事の予定は何も入っていないので大丈夫だとのことだったが、これは多分、あらかじめ結構時間が掛かるだろうと見越して予定を入れないでおいてくれたのではないかとのちほどTは推測を述べていた。
有難うございましたと感謝の挨拶を何度も口にしながら退出した。外の空間はすっかり暗色に染まり、宵を大方通り抜けて夜の中央部に入ろうとしていたので、外階段に出ながら、夜だ、とこちらは呟いた。雲は完全に払われてはいないものの半分以上は除去されて、深い色の空に星が露出していた。Tはボーカルレコーディングが終わったことに感慨を抱いたらしく、階段上の踊り場のようなスペースに立ち止まり、しばらく携帯を空に向けて掲げていた。それから急な傾斜の階段をゆっくりと下りていき、道に出た。レコーディングの最中にTDからLINEに連絡が入っており、思ったよりも体調が良いので夕食から参加して良いかとのことだったので、Kくんに了承を送り返してもらい、駅に向かって歩きながら飯をどうするかと相談した。TDが来るなら南武線方面に戻った方が近いので、ひとまず登戸まで行こうということになり、その旨をKくんが連絡するとともに改札をくぐったのだが、ホームに下りたあたりで着信があり、Kくんがしばらく通話をして曰く、登戸にはあまり飯屋が豊富にないので、こちらの方に来るのだったらいっそのこともう立川まで行ってしまった方が良いのではないか、とTDが提案しているということだった。そうすれば、こちらもK夫妻も帰りやすくなるという事情もある。それでそのように合意し、TDとは彼の最寄り駅である稲城長沼で合流することになった。Kくんがスマートフォンで電車の運行予定を調べて、稲城長沼に何分に着くかTDに知らせてくれたのだった。
それで唐木田行きだったか、急行だか何だか忘れたが、快速的な扱いの電車があいだの駅を飛ばしていっぺんに登戸まで行くようだったのでそれに乗った。この時席に座りながらTから、Fさん、若返った? と言われたのではなかったか。思わず破顔してそんなことはないと否定したのだったが、髭を剃っているからかもしれないねとTは一人で納得に至っていた。隣りに座ったKくんから、日記の調子はどう、とも尋ねられた。それよりも前、ホームにいた時点で既に一月二九日の日記を読んだと知らされていたような気がする。あの絵の番号とタイトルは全部覚えているの、みたいなことを訊かれたので、さすがにそんなわけはない、リストを見て気になった番号だけ記憶に残していたのだと回答した。絵画作品のタイトルはだから、あとでリストを参照しながら記したものである。調子はどうとの質問には、悪い、と重々しく端的に答えて笑い、まだ七日分までしか完成できていない、つまり一週間遅れている、そして先週に会った時にも一週間遅れだった、だから幅が縮まっていないのだと苦しい事情を漏らした。ただまあメモは取ってあるから、あとはそれに沿って地道にこつこつ書くだけだねと言うと、メモはどのくらい取るの、という質問が続いたので、かなり詳しく取る、メモと言うか要は下書きみたいなもので、言葉の質にはこだわらずに記憶をできる限り詳細に言語に変換しておくという段階がまず一つ必要なのだ、そしてそれを元に清書のような形で正式に文を作っていく、と方法を説明していると、もう登戸に到着した。
行きに来た時とは別の、こじんまりとして人気のない裏口のような改札口から外に出て、細い道を辿っていき、小田急の駅舎から離れてJRの方に移った。改札をくぐったところでTがトイレに向かったので、俺も行ってくると言ってKくんを一人残し、便所に入った。小便器に放尿してから手を洗い、ハンカチで拭いながら室を出てKくんのもとに戻ったあと、Tを待っているあいだに会話は特に交わさなかった気がする。すぐ横の壁に、ドラえもんのスタンプラリーを催す事情でゴミ箱は売店の横に移動させていますという注意書きが貼られていたのを読み、振り向いて、確かにあそこにあるなと小さな店舗横のダストボックスの位置を確認したりしていた。そうしてTが戻ってくるとホームに下りて立川行きに乗ったが、道中の会話はやはりもはや覚えていない。稲城長沼まで来るとマスクをつけてダウンジャケットか何か羽織ったTDが乗ってきたので、大丈夫かと声を掛けた。医者に行ったのかとの問いには、いつも行っている近所のかかりつけ医の類に行ったという返答があった。今のところは新型肺炎を思わせる兆候は出ていないようだ。
立川で何の飯を食うかと話し合っている最中、先日Aくんと訪れたけれど満員で入れなかった個室居酒屋「(……)」のことを思い出して、そこがちょっと気になっていると皆に告げると、行ってみようかということになってKくんがスマートフォンで情報を調べてくれた。Tは席に就いており、三時間のレコーディングを終えてさすがに疲れたらしくふわふわとしたような雰囲気を漂わせ、目を閉じて笑みを浮かべながら頭を左右にゆっくり振っていたので、うなされてるよ、でも幸福そうな顔でうなされてる、とKくんに冗談を向けると、T本人から返答があって曰く、うなされているのではなくて、後頭部を背後の壁に擦りつけその上で転がしてマッサージしているのだということだった。立川までの道中ではまた、TDから相談があると持ちかけられた。何かと思えば、小説作品――『Steins; Gate』の二次創作で、三月に大阪で催されるイベントにて配布される予定だ――のあとがきに謝辞の形でこちらの名前とブログのURLを載せて良いかと言うので、TDのスマートフォンを借りて文言を見せてもらい、名前は良いが、ブログはちょっと載せないでほしいと断りを入れた。あ、そうなのか、とTDは意外そうな様子を見せていたと思う。そうした彼に、もう宣伝はしないのだと告げると、あ、左様でございますか、みたいな、妙に畏まっていながらなおかつちょっと剽軽な反応があった。そうすると、検索で偶然辿り着いた人だけを対象にするわけだねとTDは言ったが、まあ必然的にそういうことになるか。TDはまたあとがき文のなかで「稀代の日記作家」という肩書をこちらに冠してくれていたのだが、ブログを紹介できないとなると、「稀代の日記作家」という点を証明できないな、とも言ったので、まあそうだなと緩く笑ってこちらは受け落とした。それから、何と言うか、やっぱり……と考え、まあ、ゴミみたいな存在でありたいと言うか、そうでなければならないと思う、と笑った。――粗大ゴミみたいな。インターネットの片隅に、何か滅茶苦茶でかい粗大ゴミあるやん、みたいな。そう漏らすと、多分こちらの言わんとすることはあまり伝わらなかったと思うが、皆、笑っていた。
立川に着く頃には、"C"のギターの話題になっていたのだと思う。確かTDが、左ギターは先日新しく録ったものの、歪みの質感があまり気に入らないと言うか、思ったよりもギンギンしておらず、アタック感が弱くてバッキングのストロークが利いてこない、みたいなことを言ったのではなかったか。そこでTがどうすればその辺り改善できるのかなと悩みはじめ、ええ~嫌だ~TTくんに作った曲だから、TTくんのギターが格好良くないとやっぱ嫌だ~と駄々っ子のように漏らしたのだったが、その頃にはフロアを上がって改札の付近に来ていたはずだ。Tは何やら一人で呟きを落としていたが、そのなかからこちらに、TTくんは、高校の時の方がギターが上手かったのかな? と訊いてきた。何とも答えにくい質問だ。改札を抜けてコンコースの人波のなかを縫いながらこちらはちょっと考えて、高校の時の方が、自分のできる完璧に向けて作り上げていこうっていう……何て言うの、気概? ……みたいなものはあったかもしれないね、と答えた。――高校時代の方が、ギターを触っている時間は確実に長かっただろうし、技術的にも、もしかしたらその頃よりも多少落ちているのかもしれない……今は、完全に詰めきれてはいないよね。例えば"C"でも、全篇を通してこう弾こうっていうフレーズを、細部まで完全に詰めて、固めきってはいないと思う。だから、コードストロークなんかも、弾くその時々でちょっとパターンが違ってるんじゃない? コンコースから広場に出ながらそのように、完璧主義者的な側面が良くも悪くもいくらか鳴りを潜めるようになったのではないかという見解を述べると、それに対してTは、性格が丸くなった、角が取れたからね、音にもやっぱりそれは出るかあ、と解釈していた。そういうこともあるいはあるかもしれない。ただやはり、一番の要因は、仕事やら何やらが忙しすぎて、練習をしたりフレーズ案を作ったり、そもそもギターに触れるための時間が圧倒的に取れないということだろうと指摘し、高架歩廊を歩いて伊勢丹の横を通りながら、一つの曲に対する弾きこみ、弾き重ねの度合いは、高校時代に比べて全然足りないだろうと推測的な評価を述べた。そうして下の道に下りるエスカレーターに向かいつつ、ただまあTTも、地下アイドルのバックをやっていたり、音楽的に色々な経験はしてきただろうから、そういったことは多分糧にはなっているんじゃないかと付け加えた。(……)
その頃には「(……)」の前に着いていた。地下へと続く階段を下りようとすると、建物の前にうろついていた若い男性の店員が声を掛けてきて、四人ですかと確認する。インカムで店内と連絡を取った彼がご用意できますと言うので階段を下り、別の男性店員の出迎えを受けた。彼が靴箱を開けてくれているところに脱いだ靴を収め、案内されて引き戸のなかのテーブル席に入った。全席個室と聞いていたのだが、個室と言っても隣席とのあいだは仕切りのような幕で区切られているのみで、互いに姿は見えないものの、声は普通に筒抜けである。頭上からは暖色灯が下げられてぼんやりとした明かりを室内に広げており、その控えめな光によって向かいに座ったTDの顔貌に陰影が差し、肌の明暗がやや対照的に際立った。席取りはこちらが一辺の左側、右隣にはTが就き、向かいがTDでその右がKくんだった。
豚しゃぶと豆腐のサラダ、鉄板焼き鳥(タレ)、山芋の揚げ物に、九条葱の天麩羅がまず注文された。所望の品が決まって呼出しボタンを押したあとも店員がなかなかやって来なくて何度か繰り返し押さねばならず、それに加えてお絞りやお手拭きの類も一向に提供されなかったのでTはそのことに不満を覚えたようで、男性店員がお冷を持ってくるとすぐに、お絞り……と拗ねたように口にして、それに対して店員は、すみません、申し訳ございませんと大層恐縮し、すぐにお持ちしますねと言って一度去り、布を持って戻ってきた。お通しは鶏肉の南蛮漬けだった。先に挙げた品を食べ終えたあとは本格的な飯物を頼もうということでこちらが親子丼を、Kくんが焼きおにぎりを頼んだ上に、さらに鶏もも肉をカツのようにした一品がオーダーされた。親子丼は結構量があったのでTDにいくらか分け、途中でKくんとも品を交換して提供し、こちらはおにぎりを頂いて、焼きおにぎり、うめえ……としみじみ漏らした。それらを食べてだいぶ満足しているところに届いた鶏もも肉はしかし、なかなか分量が多くてボリュームたっぷりなもので、この流れでこう来るかと驚かれてちょっと注文しすぎたかもしれないなという空気が漂ったのだが、いざ食おうと思えば食えない量ではなかったし、こちらとKくんとTDの三人で分け合って結局は問題なく平らげることができた。この店で頂いた品のなかでは、やはり親子丼が一番美味だったのではないか。
交わされた会話で覚えていることはあまりない。"C"のサウンドバランスの話がふたたびあったが、目新しい観点は出なかったように思う。Tはとにかく良いものにしたい、より良いものを作り上げたい、そのために私にできることは何でもやる、というようなことを繰り返し口にして熱情を表明していた。TT本人にギターサウンドについて相談しようかどうしようかということも迷っていたようだが、結局、TDやTの方でこんな感じが良いのではないかというバランスを作ってから本人に聞いてもらうという方向に固まった。
そのほかの話題が本当にほとんど思い出せない。後半、会話はこちらとT、TDとKくんの隣同士の二グループに分かれ、向かいでは何かしらのアニメの話がされていたようだ。こちらは隣のTに、最近はヨガの真似事をやっているのだということを話していた。どうも腹が出てきたようで腰痛も時折りあるので、この歳になって初めてまじまじと自分の肉体を鏡に映して眺めてみたのだが、そうするとどうも腰が内側に向けて反っているらしいことに気がついた、反り腰と言うらしいが、それを改善するためにやっているのだと語る。Tも以前ヨガを実践して教室らしき場所に通っていたこともあるらしいが、「多動」なので動きを止めてじっとしているのが苦しくてやめてしまったと言う。Fさんには向いてそう、と言うので、そうだね、ポーズ取って止まってるだけだしねと肯定した。それで、「胎児のポーズ」が楽なわりによく効くぞと勧めて紹介し、そのほか、「板のポーズ」や「舟のポーズ」などにも言及した。Tは、今日のレコーディング前にカラオケでやっていたトレーニングと言うかウォーミングアップのポーズに触れて例のドルフィン・プランクめいたものを挙げて、あれは凄く効く、すぐに身体全体があったかくなる、と勧めたので、俺がやっているのはあれの腕を伸ばしたバージョンみたいなやつだとこちらは応じた。姿勢とか骨格が歪んでいるということに気づいたのはとても良いことだ、と彼女は言った。――一生気づかないでそのままっていう人もいるわけだから。気づけた人はやっぱり自分の身体を意識するし、直していこうと努力するし、そういう風にヨガとか続けてれば、段々自然と直っていくと思うよ。
一一時頃になって帰途に就くことになった。その直前にTDが、前回の飯の代金を払っていなかったと言って、こちらに多少の金をくれたはずだが、いくら貰ったのだったか忘れてしまった。さらにTDはスタジオ代もいくらか払うと言ってTに二〇〇〇円渡し、彼女はそれに感謝してまた音楽活動に使わせてもらいますと言いながらも、申し訳ないと思っていたのだろうか、何故かちょっと浮かないような顔になっていた。Kくんもスタジオ代を払っていないからと言って、じゃあ今日のここの代金は俺が全部持つよと気前の良いところを見せたのだが、さすがにまったく支払わず完全にそれに与るのも気が引けるので、微々たるものではあるがこちらは一〇〇〇円を渡して勘弁してもらうことにして、好意に甘えたのだった。
そうして席を立ち、店員に礼を残して退店し、地上の空気のなかに出た。ふたたびエスカレーターに乗って今度は高架歩廊に上がり、駅へ向かっていると、伊勢丹とCafe Klimtのあいだを通る時に頭上で天井ガラスに貼りついて窓拭きか何かやっている人がおり、しかし暗くて仔細に見えなかったので、あれ何やってるんだろ、凄いねとTと言い合いながら通り過ぎた。広場を通って駅舎に入り、改札を過ぎたところでTDと別れた。こちらの電車は一一時二一分、K夫妻が乗る東京行きは一八分だった。それで通路の途中で立ち止まって電車の時間が来るまでまたちょっとのあいだ話をして、TがKくんに、Fさんは最近、ヨガをやってるんだってと教えるので、Kくんにも「胎児のポーズ」を勧めておいた。一五分頃になったところでそろそろ行こうと一・二番線ホームの方に向かい、階段の傍までやって来るとK夫妻がじゃあここでと言ったので二人と向かい合い、Kくんといつものように握手を交わし、じゃあなS、じゃあなJ、と挨拶を掛け合い、そうして礼を述べ合って、手を振りながら別れたあと、ホームに下りて奥多摩行きの最終電車に乗りこんだ。乗ってからはメモを取らず、ジョン・ウィリアムズ/東江一紀訳『ストーナー』を読み、電車のなかにいるあいだに最後まで読み終え、訳業の完成を前にして病に斃れた――死の前日まで翻訳を続け、僅か一頁を残してこの世を去ったと言う――東江一紀の訳者あとがきに代えて布施由紀子という人が綴った文章も読了した。
この作品の終幕部、ストーナーが死に向かいゆく場面には次のような記述がある。
ストーナーは首をめぐらせた。わきテーブルには、長いこと触れずにいる本が山積みになっている。ひとりでに手がそちらへさまよっていった。自分の指のか細さに驚き、屈伸してみて、関節の複雑な結合ぶりに感動を覚えた。そこに力がみなぎるのを感じ、ストーナーはテーブル上の本の山から一冊を抜き取った。自分の著書だ。(……)
(ジョン・ウィリアムズ/東江一紀訳『ストーナー』作品社、二〇一四年、326)
また、本当に彼の死の直前、結びの僅か一段落前にも次のような描写が配されている。
開いたとたん、本は自分のものではなくなった。ページを繰ると、まるで紙の一枚一枚が生きているかのように、指先をくすぐった。その感覚が指から、筋肉へ骨へと伝わっていく。ストーナーはそれをかすかに意識し、全身がその感覚に包まれるのを待った。恐怖にも似た古い興奮が、横たわった体の動きを封じるのを……。(……)
(327)
これらの記述を、最序盤、説話内の時間においておおよそ四五年間を隔てた過去に当たる下記の場面と比べてみよう。
ウィリアム・ストーナーは、自分がしばしのあいだ息を詰めていたことに気づいた。そうっと息を吐き、肺から空気が出ていくにつれて服が少しずつ皮膚の上で動くのを意識する。スローンから目をそらして、教室内を見回した。窓から射し込んだ陽光が学生たちの顔に降りかかり、あたかも体内から発する灯りが薄闇を照らしているように見えた。ひとりの学生が目をしばたたき、陽射しを浴びたその頬に和毛[にこげ]の細い影が落ちた。机のへりを固く握り締めていたストーナーの指から力が抜けていく。てのひらを下に向け、改めて自分の両手に見入ったストーナーは、その肌の茶色さに、爪が無骨な指先に収まるその精緻なありかたに、驚嘆の念を覚えた。見えない末端の静脈、動脈を血が巡り、かすかではかなげな脈動が指先から全身へと伝わっていくのが、感じ取れるような気がした。
(15)
二つの場面の類似は明らかだと思われる。一五頁において二〇歳のストーナーが自らの手の爪の「精緻」な作りに「驚嘆の念」を覚えていることは、三二六頁に記された死への道行きのなかで、六五歳の彼が自分の手指の「関節の複雑な結合」のさまに「感動」を得ていることとよく似通ってはいないだろうか。また、若き日の授業の場面で、血流が生み出すささやかな生命の拍動がストーナーの「指先から全身へと伝わっていく」感覚が感知されているのとまさしく呼応するかのように、三二七頁においても、書物の繊維が生き生きと「指先をくすぐ」る感触が、「筋肉へ骨へと伝わっていく」――そしてそれはまもなく、ストーナーの「全身」を包みこむだろう。従ってここには、自らの手指という肉体的形態の細密な構成に対する感嘆と、指の先端から生み出されて身体全体へと波及していく肉体的感覚の伝達という主題的共通性があることはひとまず確かだと思う。こちらがこの小説から読み取ったのは第一にこの類似性であって、それでだから何なのかという点――つまりその意味の解釈の段階――については大したことは思いついていないのだが、さしあたり、一五頁の記述が描いているのは、ストーナーがそれまでの己とはまったく異なった自分に生まれ変わって第二の生を獲得した場面であり、言わば彼における象徴的な生誕の瞬間だということは言っておいても良かろうかと思う。こうした捉え方は、三〇頁に書きこまれている地の文の記述によっても補強され得るだろう。「アーチャー・スローンに初めて名指しされた日、一瞬のうちに今までと違う自分に変わったあの日」という言及がそこには見られるからである。従って、ウィリアム・ストーナーは、人間の身体的造作の精密さに対する驚きと、一点の小さな感覚を全身でもって受け止める細やかな肉体的感応のうちにまさしくウィリアム・ストーナーとなり、同種の驚きと感応のうちに死んでいった。この対照的統一性が、彼の人生の(象徴的な)始まりと終わりとを結びつける密やかな一貫性を担保しているということは、一応言えるかもしれない。そして、対象の細部の表情をまざまざと見て取る観察力とともに、五感を目一杯押し広げて微小な知覚刺激を全身的に捉える感覚性こそが、まさしく文学と呼ばれる営みに携わる者が備えるべき芸術家的な資質の最たるものであると我田引水をしてみるならば、ストーナーは、教師アーチャー・スローンの導きによって――つまりは彼を産婆として――文学者としての生を享け、死に際しても文学者としての死を完遂したと、そんな風に言ってみても良いのかもしれない――随分とわかりやすく、通りの良い読み方になってしまうが。
この日の生活のうち、その後のことは記録されておらず、当日から一〇日以上が経過した現在、当然記憶も残っていない。深夜に読んだ一年前の日記の記述にのみ、言及しておこう。まず、「雲が空を流れる音すら聞こえてきそうな昼下がりの静寂」という比喩はそこそこ悪くないように思われた。そしてまた、「細かく書くのだとか、きちんと書くのだとか、十全に書くのだとか、そうしたこだわりが生まれてくると筆致が窮屈になってやはり書いていても楽しくないと言うか、疲れてくる。そうではなく、やはり一筆書きのように、流れるがままに書く、これがこの日記においては目指されるべきところだろう――「ただ書く」の境地に至るということだ」という文言が見られる。まあ言いたいこと、考えていることはわかるが、現在の自分からすると生ぬるい言い分である。今はまた、文にこだわるべき時が来ているのだ。それを通過して、より言語的体力のようなものを獲得し、感覚が鋭敏化された上でこそ「一筆書き」も活きてくるのではないか。
・作文
11:07 - 11:28 = 21分(15日)
11:28 - 12:06 = 38分(14日)
計: 59分
・読書
23:18 - 23:52 = 34分(ウィリアムズ)
25:47 - 26:05 = 18分(日記)
26:20 - 26:50 = 30分(ウィリアムズ; メモ)
計: 1時間22分
- ジョン・ウィリアムズ/東江一紀訳『ストーナー』: 316 - 333(読了); メモ: 212 - 213
- 2019/2/15, Fri.
・睡眠
4:10 - 10:00 = 5時間50分
・音楽
- dbClifford『Recyclable』
- The Beatles『Live At The Hollywood Bowl』
- Art Pepper『Art Pepper Meets The Rhythm Section』