2020/2/19, Wed.

 久伊豆神社に参拝し、錦鯉や巨大亀のひそむ庭園をながめる、木洩れ日が水面をまだらにすると、パチパチと土が弾けてい、湿った土が乾いてゆく。高校生のときは人並みの登下校や青春にかまけていて、まともに池を眺めたことなんてなかった。だから小学校の周辺地図に比べて、高校の周辺地図はあたらしく、においたつような並行宇宙の香りがしない。自分が自分じゃなくてもこの場所はこうだった、とおもえる。ようするに、かれが感慨喪失なんてしてもしなくても、あたりまえにここにある景色のようにおもえる。小学校の周囲をまわっているときは、かれは自分がお化けみたいだとおもえた。以前は濃くあったノスタルジーの、手足の細く短いたよりない、犬や猫みたいな数秒ごとにうつりかわるかわいい情緒で、そこに通っていて、ラムネで二十分、アメで十五分、集中して時間をおくればあとはひたすら暇だった。そうしたことが、急激に脳裏にあらわれて、うしなったことが丸ごと襲いかかってくるようで、かれはつかの間自分がなにかを、失ったのか暴力的に与えられているのかわからない。ノスタルジーの凝縮が徴兵みたいに、ショックだった。もうかえってこられない、血縁をぶつ切りにされながらも同時に、ちがう故郷を蹂躙するような気分になった。人為的災害があって、カタストロフがあって、そのあいだにたくさんの思惑があって、霊感がとびかい、自分のたくさんが死んで、それでも語っているその暴力に、小学校の外周を回っているときだけひたされて、皮膚のしたがシュワシュワはじけていた。さわれない校庭の砂の感触を、記憶のなかでたしかめようともその記憶と情緒が切り離されていてからだが反応しない。切断は日常をおびやかして小学校を離れたら語りえなかった。小学校をあやうい息切れとともに離れて、道なりに幼稚園、中学校と進んでゆくとだいぶ回復し、忘れてしまった。池をみてまたおもいだした。あらゆる差異に敏くあっても、語りのなかで暴力と結びついてだれかの故郷を踏みにじる、靴底が足の裏と想像力で切り離されて、まなうらで希望をみてしまうから、白目をむいて生活を生きている。
 かといって、安穏と日常をいとなんでいる。暴力じゃない顔をして飯をくって資本を拡大しているふりをしに会社にいく。元荒川に群生する草花の、生きる叫びのようなのをきいている。鉄筋コンクリート桁橋が跨ぐ、四角く五十センチのたかさでかかげられた親柱が斜めに傾き、深く掘られた堤防の、人類の安全地帯のたかさにまで草は伸びてせまってきていて、そこにきゅうな雨がふってかれはもってきた折り畳み傘をひらいた。出がけに草生に予言された雨だった。二十分ですぐにやむと、積乱雲が去って両手のひらぐらいのサイズで陽がさした。葉にしたたる滴がひかりを反射すると、川がごうごうながれ、かれは、なにかを閃いた。なにか、天啓が。物語なら物語に、絵なら絵に、音楽なら音楽に、ビジネスならビジネスへのモチベーションにすべきインスピレーションかもしれなかった。傘を折り畳んでしまい歩を進めると、五歩でその天啓を忘れ、忘れたあとに、このままで生きていこう、とかれはおもった。とくにインスピレーションの要らない人生だった。なにかを表現したらたちまち暴力になってしまうのでかれはこわい。(……)
 (町屋良平『愛が嫌い』文藝春秋、二〇一九年、249~251; 「生きるからだ」)


 一〇時のアラームで一旦床を離れるも、敢えなく撃沈することになった。その頃には空は晴れ渡っており、顔に触れてくる陽光もかなり活気があって明るかった。自らの肉体の感覚を観察しながら起床の力を引き寄せようと試みているうちにどんどん時が流れていき、結局ふたたび起き上がるのは一二時四五分になった。トイレに立って尿意を解消してから、戻ってくるとベッドで「胎児のポーズ」を取った。この時には空は雲がうっすらと、全体にほんの微かに塗られてひどくまろやかな青になっていた。
 上階に移動した。だいぶ眠りすぎてしまいもう一時とあっては、さすがに少々急ぐような心持ちがあったと思う。しかし今更急いだところでどうにもなりはしないので、焦る心を抑えてゆっくりとした動作でジャージに着替える。母親は会食――詳しいことは聞いていないが、料理教室の仲間とだろうか? 二時頃に洗濯物を取りこんでくれと言われており、書置きにもよく払って入れてくれと記されてあった。花粉のためである。台所に行くと、紫がちょっと混ざったようなピンク色のスチームケースに玉ねぎなど諸々の野菜とサラダチキンが詰めこまれてあったので、感謝してそれを電子レンジに入れ、回しているあいだ、しっちゃかめっちゃかになった髪の毛を洗面所で落着かせる。そうして米をよそり、温野菜を持って食卓に就いた。
 野菜には既に塩胡椒が施されてあったのだが、その上からさらに醤油を掛け、それをおかずにして米を口に運ぶ。新聞の一面にはAppleドナルド・トランプ米大統領が蜜月だとかいう見出しがあったが、その記事は読まなかった。クルーズ船関連の報を見たかもしれないが、よくも覚えていない――検査をして陰性だった乗客から下船の方針、という内容だったか。めくって二面には現時点での世界の新型コロナウイルス感染者数のリストが載っており、感染者は中国国内で七万二六〇〇人ほど、死者は一八六八人だったと思う。そのほか国内面には、桜を見る会の前夜会だかが催されたANAホテル側の証言と首相の答弁が食い違っていることを批判して野党が一時審議拒否したとかいう記事も載っていた。
 食後、食器を洗い、風呂洗いも済ませて出てくると空気に陽射しが通っているので、久しぶりにベランダで書見をすることにした。自室からロラン・バルト/藤本治訳『ミシュレ』を持ってきてベランダに出ると、外気のなかに踏み入った途端に花粉が鼻粘膜に襲いかかったようで、早速くしゃみが連発される。洗濯物は戸口の方に寄せられてあり、床のなかほどにひらいている日向を邪魔するものはなかった。こちらの黒い肌着が一枚落ちていたので、拾い上げて吊るし直し、そうして白い陽だまりのなかに胡座を搔いて本を読んだのだが、肌着が落ちていたことからも推測されるように風がなかなか強く吹き流れ、洗濯物はひっきりなしに揺らされて、いくつものフェイスタオルを留められた集合ハンガーはくるくると旋回する。眼下の梅の樹は花をだいぶ厚く広げて清潔そうな雪白を枝に膨らませながら揺らいでいるが、花と枝の接合、花弁同士の結合はまだまだ確かなようで、そこから剝がれて零れ落ちるものはない。こちらは姿勢を固めて微塵も動かずただ文字を読み取るだけの主体へと変化[へんげ]しようと試みるのだが、花粉の猛攻のために鼻水がしばしば湧き、それをたびたび啜ったり鼻腔の入口辺りをちょっと拭ったりする必要があり、どうしても身体を動かさないわけには行かない。それでもなるべく動かず頑張っていると、今度は右足を乗せられていた左足が段々と痺れてきたので、胡座をほどいて姿勢を崩しながら本を読み続けた。『ミシュレ』のなかでは、三九頁に出てきたものだが、ミシュレにとって世界や自然は一枚の敷布のように滑らかに繋がっているもので、どこか一箇所をつまんで持ち上げてみれば布の全体が引き寄せられてくるだろう、という比喩がちょっと良かった。じきに太陽が薄雲に引っかかり、陽が陰ってきてしばらく復活しそうもなかったので、室内に入った。一時二〇分から読み出して、五二分に至っていた。
 ついでに洗濯物も取りこんでおき、しかしまだ畳まずに放置して下階に帰った。すると、最近よく耳にする猫の鳴き声が窓外の近間から聞こえてくる。発情期なのだろうか、わからないが、いくらか切なげな、心細いような、訴えるような声調である。それで窓に寄って外を見ていると、明るい茶色を体に差しこまれた猫が現れて眼下をゆっくりと横切り、畑に続く階段をとてとて下りていき、大根の僅かに生え残っている畑の土のなかに踏みこんでいったが、体重が軽いので猫が乗っても土はほとんど崩れないのだった。猫は何やら地面に顔を寄せるようにしていた。それを眺めてから、緑茶を用意しに行った。
 ほか、この日の生活のメモはほとんど取られていない。あと記しておいたのは職場のことくらいである。(……)
 (……)退勤した。入試本番も明後日に迫り、彼ら彼女らの塾の授業も今日までで、できることは一応やったという感じだ。帰路のこと及び帰宅後のことは記録されていないので省略する。九時半から四五分掛けて『ミシュレ』のメモ書きをしたほかは、大方日記に邁進したようである。