2020/2/26, Wed.

 のちに国民社会主義ドイツ労働者党(ナチ党〔NSDAP〕)となるドイツ労働者党は、第一次世界大戦直後に誕生している。敗北と革命に続く混沌のなかで生まれた多くの小規模な右翼政治団体のひとつで、一九一九年一月五日、ミュンヘンで結成された。(……)
 (リチャード・ベッセル/大山晶訳『ナチスの戦争 1918-1949 民族と人種の戦い』中公新書、二〇一五年、22)



  • 新聞。新型肺炎に対する政府の基本方針が決定されたと言う。軽度の風邪症状の場合は外出の自粛及び自宅待機を求めるが、三七. 五度を超える発熱が四日以上続いたら医者を受診してほしいとのこと。医療機関をパンクさせずに重症者に的確な治療を施すことが感染の拡大と無益な犠牲を防ぐにあたって肝要だと述べられていた。頁をめくってなかほどからは、中井美穂というフリーアナウンサーが、大塚惇平という雅楽の笙奏者にインタビューした記事に何となく目を落とした。雅楽は感情を表現しないある意味で機械的な音楽だが、感情以外の部分に響いて訴えかけるという見解が示されていたのがちょっと興味深かった。
  • ロラン・バルト/藤本治訳『ミシュレ』を読む。ミシュレからヴィクトル・ユゴーに宛てた手紙が九九頁に載せられており、そのなかに、「キリスト教と「革命」とは、敵同士ではないけれども、対称的に向き合った凸角と凹角のごときものなのです」という文言があって、この比喩表現はちょっと気になった。それに続く「キリスト教がもう吸血鬼の状態(死んでいるのでもなければ生きているのでもない)でなくなって、正直な死者として(……)」という言い方も少々気になる。死と生のあいだの中途半端な状態を表すのに「吸血鬼」という形象を用いるのを今まで見たことがなかったように思ったのだが、しかし改めて考えてみると、漫画などに現出する通俗的な類の表象においても、吸血鬼に噛まれるとその者も吸血鬼と化して半ば不死の存在になるというモチーフは、むしろよく見られる、ありふれたものかもしれない。
  • 手の爪を切り鑢掛けをしながら日記のことを考えて、やはり書くことを絞った方が良いなという気持ちに傾いた。そうでなければいつまで経っても記述が現在に追いつかないということは必定である。記憶を大方すべて隈なく、何の変哲もない瞬間をも含めて記そうとするのをやめて、毎日の生活の継起性のなかから多少なりとも浮かび上がるような、何らかの差異を感知した時間のことのみを書くように方法を転換しないと、どうも成り立たないのではないか。要は何らかの意味で、微かなものであっても変化が生じた部分、突出して――その突出の度合いは非常に微々たるものかもしれないが――印象に残った部分のみを書くということだ。そういう風にしなければ、これはとても立ち行かないだろうと思われたのだった。
  • 勤務。今日の相手は(……)くん(中三・英語)に、(……)くん(中一・英語)と(……)くん(中一・英語)。(……)くんは既に推薦で(……)高校に受かっているので復習である。いくつかの単元を跨ぐ総復習問題を扱ったところ思いのほかに良くできていて、(……)高校よりももっと上の学校を狙えたのではないかという印象すら受けたのだが、欲がなかったのか、安全策を取ったということなのか。
  • (……)は二〇分ほど遅刻した。何故なのか理由はわからない。一応訊いたけれど、判然としなかったのだ。元気もなかったようで、テンション低いじゃん、と指摘すると、眠いのだと漏らしていたが、果たして本当かどうか。もしかすると、塾に来たり勉強をしたりするのが嫌だという気持ちがあるのかもしれない。(……)くんの方はいつまで経っても来なかったので、電話をしてみると母親が出て、すみません、忘れていましたと言った。本人に替わってもらい、どうしますかと判断を委ねて、来るか来ないかは君の決断に任せるよと向けると、相手は甲高い呻き声を上げて決めあぐねる。声のトーンが何だか高くて教室で聞く時よりも幼いように響いて、途中でまさか泣いているのかとちょっと思ったくらいだ。気分が乗らなければ無理に来いとは言いませんと甘いところを見せて、気持ちはどうと尋ねると、行きたくないと端的に答えるので、じゃあまあ、休みにしちゃう? と軽く誘導した。お母さんにも訊いてみて、と言うと、欠席で良いと言っているらしかったので、来週は忘れずに来てくださいと残して通話を終えた。
  • 教室には体験授業の生徒の保護者が来て室長と面談を持っており、その保護者が連れてきていた幼子が、辺りをうろうろしたり室長のデスクの傍らで椅子に上って遊んだりしていた。(……)先生が多少世話をしてくれていたのだが、こちらも授業スペースを離れて構いに行った。二歳くらいだろうか、頭を撫でてやりながら、お名前は? と訊いたのだが、返答はなかった。幼児は何故かわからないが印鑑にやたらと興味を示しており、途中で室長がやって来て『妖怪ウォッチ』か何かのイラストが描かれたノートをコピーし、塗り絵を遊べるようにしてあげたと言うのに、そちらには見向きもせず、傍らから色鉛筆を差し出してみてもこれは違うと言って置いてしまい、ただ簡易印鑑――いわゆるシャチハタ――のみに夢中になって、メモ用紙などに印を押し続けるのだった。こちらも子供が指差すがままに用紙に印鑑を押してやり、すると幼児はそれを持ってやや危なげに椅子から下りて、面談席にいる親のもとに見せに行くのだった。そのように子供と戯れて面倒を見ている様子を自習席にいた(……)さんや(……)に見られていたので、俺、子守りしてるよ、授業できないな、などと言って笑った。面談は授業時間の途中で終わり、保護者は去っていく時、色々と有難うございましたとこちらに向かって礼を言ってくれた。
  • (……)さんと(……)とは、授業に入る前及び生徒がまだ来ていなかったあいだや授業中にも時折り話をした。(……)さんは社会ができない、わからないと言い、どうしたら勉強を好きになれますかと訊くので、それは難しい質問だなあと回答に困った。難しいことを訊くね、どうしたらいいかなあと繰り返した挙句、俺のなかに答えが今ないわと漏らすと、じゃあ考えといてくださいと言うので笑う。退勤間際にも彼女とやりとりをしたところ、先生、(……)、とこちらの在所を訊くので、あなたの家のすぐ下の方だよ、あなたの家の横をよく通るよと明かした。父親が自治会長をやっているから、あなたのお父さんとも多分知り合いだよと向けると、たまに届けに行ってるわと言うのは、自治会館の方に何か届け物をしてくれることがあるようである。それで自習する二人に、じゃあ頑張ってくださいと掛けるとともに、お父さんによろしく言っておいて、まあ俺のこと知らないと思うけど、と笑って退勤した。
  • やはり人間という存在は自らの足で歩かねばならない。今日は歩いて帰ろうかという気持ちになっていたのだが、職場を出ると、ほんの僅かだけれど肌に触れる水の粒の感触があったので、盛ったら困るなと電車を取った。駅に入ってホームに出ると、二番線側のベンチの前に、例の、見えない何者かとひっきりなしに会話を続けている老婆がいた。立ったまま何か食っていたようだが、そうしながらやはり、不可視の相手と交信して言葉を交わし続けているわけである。こちらは彼女と反対の一番線側のベンチの端に就いてメモ書きをしたのだが、そのあいだ老婆の独語が、意識して聞こうとせずとも自ずと耳に入ってくる。わりと自然なリズムと言うか実際に会話をしている風で、声だけ聞けばあるいは誰かと電話をしているように取り違えられるかもしれない。ただとにかく声は大きく勢いがあり、そして時折り、まさしく哄笑と言うべき高い笑いが挟まる。話題は何だかよくもわからない。たまに不自然に言葉が途切れてちょっと黙ったり声が小さくなったりする時もあるのだが、そのあいだは相手の言葉を聞いているのだろうか。
  • 帰宅後にslackを覗くとTの投稿があり、「(……)」の方から、修正箇所の要望が多すぎるので次回からはもう少しまとめてほしいと言われたとの報告があった。彼女がやりとりを交わし謝罪をしてくれて、ひとまず今回は要望通りに修正もしてくれるし、追加料金もなくて良いということになったと言う。ボーカル音源に対して最も修正点を挙げたのはこちらなので、多少責任を感じないこともなかった。結局はしかし、完璧を期したければやはり設備や環境を整えて自分たちでやるほかはないという結論に至るわけだ。こういう時、文章というジャンルは自分だけでこだわりたいだけこだわれるから良いなとは思う。完璧をあまりに求めすぎたとしても、直接的に身を滅ぼすことになるのは己ただ一人である。夕食後、「(……)」には申し訳なかった、Tもやりとりをしてくれて有難うとメッセージを送っておいた。


・作文
 14:10 - 14:31 = 21分(26日)
 14:31 - 14:53 = 22分(25日)
 14:53 - 15:00 = 7分(22日)
 15:03 - 15:46 = 43分(16日)
 16:43 - 16:51 = 8分(26日)
 16:51 - 17:08 = 17分(16日)
 21:25 - 22:03 = 38分(16日)
 25:31 - 25:54 = 23分(16日)
 26:17 - 26:58 = 41分(26日)
 計: 3時間40分

・読書
 27:00 - 27:52 = 52分(バルト)

・睡眠
 3:50 - 12:30 = 8時間40分

・音楽

  • dbClifford『Recyclable』